「すずか!? あなた、すずかなんでしょ!!?」 始め、すずかはその声を幻聴だと思った。この結界の中に彼女が捕らわれていることは知っている。それでもここは結界の中心部に限りなく近い場所だ。さらにキリカとの戦いの余波で辺りには炎が猛り狂っている。こんな場所に何の力もない彼女がいるはずがない。「ねぇ、こっちを向いてよ、すずか。ねぇったら!!」 だがそれを否定するかの如く、再度彼女の声が聞こえてくる。一週間前まで毎日のように聞いていた慣れ親しんだ声。それと同時にもう二度と聞くことはないと思っていた大切な親友の声。そんな彼女が自分の名前を必死に呼んでいる。 できることなら彼女の呼び掛けに応えたい。だが今のすずかにそんなことをする資格はない。すでに彼女はその手を血に染め、人として生きる道を放棄してしまったのだから。 だからすずかは彼女の――アリサの声とは反対方向に向かって飛び立とうと翼を広げる。アリサは決して馬鹿ではない。自分の姿が見えなくなれば、こんなに炎がうねる中に自ら飛び込むような真似はしないだろう。「待ちなさいよ、すずか! あたしはあんたに言いたいことがたくさんあるのよ! 絶対に逃がさないんだから!!」 しかしそんなすずかの考えとは裏腹にアリサは歩を進める。炎の熱気に怯えながらも、真っ直ぐすずかのことを見つめて、少しずつ近づいてくる。「来ないで――ッ」 それに気付いたすずかは腹の底から声を上げる。彼女の怒気を孕む声にすずかの魔力でできた炎はさらにそのうねりを高める。それに一瞬、怯むアリサだったがそれでも歩みを止めることはなかった。少しずつ確実にすずかの元へと向かっていく。「……来ないで、来ないでよ。どうしてそんな危ない真似をするの!」 そんなアリサの姿をすずかは目を離すことができなかった。このまま飛び去ってしまうことは簡単だろう。しかしそんなことをすれば、アリサはこの炎の渦の中に取り残されることになる。それはすずかとしても望むところではなかった。「どうしてって決まってるじゃない。あたしの方から近寄らなきゃ、すずかは絶対にこっちに来てくれないことがわかってるからよ」「そんなこと……」「ないとは言えないはずよ。あたしとはすずかの方から来てくれれば嬉しいけど、もしそれができるならこんなに会えないなんてことなかったはずだもの」 その言葉にすずかは詰まる。アリサの言は紛うことなき事実だ。このような事態でなければ、すずかは二度と人前に姿を現すつもりなどなかった。魔法少女としての業の中で生き、この世界を救い、人知れず死ぬつもりだった。「でも一体何を考えてそんな結論に至ったのかわからないけど、すずか、あんた意外と馬鹿なのね。今、あたしたちはこうして会話してるし、それにほら、もうすぐ顔を合わせることだって可能だわ」 そんなことを話しながらもアリサは巧みに炎を避け続ける。最初はおっかなびっくりといった感じの動きだったが、次第に慣れてきたのかその歩みを速め、気付いた時にはすずかの正面に立っていた。「ねぇ、すずか、あたしたちは今、こうして顔を向かい合わせている。これってそんなに難しいことじゃないはずよ。こんな簡単なことをできないと思い込むなんてどうかしてるわよ」 からかうように告げたアリサはにこやかに笑う。目元に涙を浮かべた優しい笑顔。それがすずかにとても懐かしく感じられた。 だがそれ故にすずかはその顔を直視できない。魔眼の暴走した時の被害を極力避けるという意味もあるが、それ以上に今のアリサの顔はすずかには眩し過ぎた。 今のすずかはその手を血に染めている。人間であることを止め、魔法少女として生きる道を選んだ。そんな自分がアリサに笑顔を向けられる資格などない。「……にしてもすずか、どうしてこっちを見ないのよ? ちゃんとあたしの目を見て話しなさい」 そう言いながらアリサはすずかの顔を掴み、強引に自分の顔に向けさせようとする。「だ、駄目、それは駄目!?」 だがすずかはとっさ半歩後ろに下がることでそれを回避する。「なによ、別にいいじゃない。久しぶりにすずかの顔を間近で見たって」「そう言う問題じゃないよ。アリサちゃんは知らないかもしれないけど私は――」「魔法少女なんでしょ? それぐらい知ってるわよ。でもそんなの関係ないわよ。なのははなのはだし、すずかはすずか。そりゃ秘密にされていたことには少しムカッときたけど……」「そうじゃないんだよ、アリサちゃん」 魔法少女であるだけなら、何の問題はない。現にすずかが皆の元を離れようと決心したきっかけは力のコントロールができず、その果てに自分がどのような末路を迎えるのかを知ったからだ。いくらアリサが優しい言葉を掛けようとも、その事実を知らない上での言葉など、上っ面だけの言葉でしかない。「なら魔法少女はいずれ魔女になるから一緒にいられないとでも言うのかしら?」「えっ……?」 だがそんな前提はすぐにアリサの口から覆されることになる。「……その顔を見ると、どうやら本当みたいね。はぁ~、もしかしたら織莉子さんが嘘言ってるのかもと思ったけど」 さらにアリサの口から紡がれる言葉にすずかは驚きを隠そうとしなかった。「アリサちゃん、織莉子さんのこと、知ってるの?」「えぇ、実は五日前にもね、あたしとなのはが魔女の結界に取り込まれたことがあったのよ。その時に偶然助けてもらって、ついでに魔法少女について色々聞かせてもらったってわけ」「そう、なんだ」「ま、それはともかくとして、あたしはもちろん、なのはや忍さんだってすずかが魔法少女だろうがなんだろうが気にすることはないわよ? それにもし、すずかが魔女になるって言うのなら、それを全力で止めてみせる。だからすずか、あなたは何も心配せずに皆の元に帰ってきていいのよ?」 アリサは優しくすずかを諭す。その言葉の一つひとつがすずかの心を温かくしていく。だがすずかは首を静かに横に振った。「ごめんね、アリサちゃん。それでもやっぱり私は皆の元には帰れないよ。だって私はもう……」 すずかがそう言い掛けた瞬間、背後から強烈な殺気を感じる。そしてとっさにアリサを抱きかかえ、その場から飛び退く。そうして先ほどまですずかたちが立っていた場所には無数の鉤爪が突き刺さっていた。「逃がさないよ、吸血鬼」 そしてすずかの耳に入ってくる忌まわしい声。声のする方を睨みつけると、そこには笑みを浮かべたキリカの姿があった。「といってもここは私が作り出した結界なんだから、いくら逃げ出しても無駄なんだけどね」「――別に逃げたつもりはありませんよ。私はただ、刀を拾いに来ただけです」「ふぅん、ま、いいや。ところでそいつ、誰?」 キリカは怪訝そうな表情でアリサのことを見る。その瞳はまるで路傍に転がる石でも見るような、そんな無為で空虚な表情だった。 その視線に晒されたアリサはまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直する。キリカとしては特に意識せずに向けた視線。だがそこに籠められていた魔力によってアリサはその自由を瞬時に奪われてしまったのだ。 そんな視線にこれ以上、アリサには触れさせまいとすずかは庇うようにその間に割って入る。「あなたが結界内に取り込んだ一般人ですよ。さっきたまたまそこで使い魔に襲われそうになっていたのを見つけて助けてあげただけです」 そして淡々とアリサについて嘘の情報を与える。もしキリカが自分とアリサの関係を知れば、決して見逃そうとはしないだろう。織莉子に生かすように言われているなのははともかく、アリサについては何も言及されていないはずだ。だからこそすずかは自分からその関係性を否定し、少しでもアリサの身の安全を考えた。「それより戦うのなら先ほどの場所まで戻りませんか? ここで戦うと関係ない彼女まで巻き込んでしまう可能性がありますからね」 この場でアリサを一人にするのは危険であるが、それでも傍に置いた状態でキリカと戦うことの方が危険度は上だ。それ故のハッタリ。後はキリカがその提案を乗ってくれるかどうかだが……。「別に私はそれでも構わないよ。私が殺したいのは吸血鬼だけだし、下手に近くをうろちょろされるのも目触りだしね。でもさ――」 言いながらキリカは頬を釣り上げる。その笑みからは残忍さが滲み出ていた。「わざわざ私たちが移動しなくても、そいつが先に死んじゃえば関係ないよね?」 そう言ってキリカはすずかたちに向かって駆け出す。それを迎え撃つかの如くすずかは飛びだし、その鉤爪を火血刀で受け止める。「キリカさん、あなたが殺したいのは私だけなんでしょ!? なのにどうして?!」「決まってるじゃん。こうした方が吸血鬼の苦しむ顔が見れると思ったからだよ。それに私が吸血鬼の提案なんて飲むわけないじゃんか」「……くっ」「ところで、敵は私とこんなことをしていていいのかな?」 そう言うや否や、どこからともなく無数の鉤爪が飛んでくる。それはすずかを狙うものではなく、アリサを標的として飛ばされたものだった。 未だ身体が強張っているアリサはそれを避けようとすることすら叶わない。それに気付いたすずかは即座に反転し、アリサの元へと駆け出す。「アハハ――ッ。私に背中を見せるなんて良い度胸じゃん、吸血鬼」 そんなすずかの背中をキリカは両手に持つ十の鉤爪で大きく切り裂く。裂かれた背中からは大量の血が噴き出し、その場に火血刀を落とす。 だがそれでもすずかは止まらなかった。痛みに耐えながら今の自分が出せる全力でアリサの元に近づき、そのまま彼女を突き飛ばした。すずかの視界に入るのは驚きの表情を浮かべるアリサと、自分に迫りくる無数の鉤爪、そして高笑いを上げるキリカの姿だけだった。 ☆ ☆ ☆ 結界の奥に向かっていたクロノは、目の前の出来事に対してどういう対処をするべきか思い悩んでいた。 先ほどまでクロノは使い魔と交戦していた。結界に取り残された子供たちを襲う使い魔。執務官以前に一人の魔導師として助け出すのは当然のシチュエーションだ。そしてそれはクロノの後からやってきた二人の魔導師――フェイトとアルフにとっても同じことだったのだろう。 子供たちを助けるという共通の理由を持っていたため、クロノは彼女たちと協力して周囲に群がっていた使い魔を駆逐した。そして今は使い魔に襲われ怯えきった子供たちをなだめながら、偶然遭遇した二人の処遇について考えていた。 このような状況でなければ、彼女たちを拘束しアースラに連れていくべきなのだろう。しかしここは魔女の結界の中で、そこには未だに多くの力なき子供たちが取り残されている。そんな状況下で彼女たちと不必要に事を構えている余裕はクロノにはない。一刻も早く結界の奥にいる魔女を倒し、この現状を打開しなければならない。「すまない。キミたちに一つ頼みがある。彼らを結界の外まで連れて行ってあげてはくれないか?」「えっ?」 そんなクロノの提案が意外だったのだろう。フェイトから意外そうな声が上がる。「本来ならばキミたちを拘束し、アースラで事情聴取をしたいところだ。しかし今は状況が状況だ。そんなことに時間を割いている余裕はない」「だから今日のところはあたしたちを見逃す代わりにこいつらを結界の外に連れていけってことか?」「そういうことだ」 クロノは毅然とした態度で答える。 そんなクロノの態度は気に入らなかったが、アルフとしてもその提案は良いものと言えた。ジュエルシードを目的として結界の中に入ってきたとはいえ、今の二人だけではジュエルシードを取り込んだ魔女を倒すことは難しいだろう。杏子と合流し協力すればあるいはとも考えたが、どちらにしても危険な相手であることには変わりない。もう一つの目的である一般人を助けるという意味でも、その提案には賛成であった。「あたしとしてはそれでも構わないよ。フェイトもそれでいいかい?」 だからこそ、アルフはフェイトが口を開く前に自分の意見を告げる。そのことに驚くフェイトだったが、最終的にはアルフと同様の考えに落ち着き、首肯でクロノに答えた。「なら僕はそろそろ行く。彼らのことをくれぐれも頼む」 そう言ってクロノはその場から飛び立とうとする。「ま、待ってください!」 だがそれをフェイトが呼び止める。フェイトにはどうしても確かめたいことがあったからだ。「一つだけ聞かせてください。あの後、杏子はどうなったんですか?」 それは杏子についてのことである。結界に入る前に杏子の姿を目撃したとはいえ、それでもわからないことが多い。ゆまのこともある以上、杏子の現状を確かめておく必要があった。「彼女は民間協力者として僕たちに協力してくれている。おそらくここにも来ているはずだ」「そう、なんですか。なら一言、伝言をお願いできますか。『ゆまは元気にしてる』って」 本当ならば杏子との連絡役を頼みたい。しかしフェイトとクロノではその立場が違い過ぎる。このような状況でなければ、遭遇した瞬間に戦闘になってもおかしくない間柄なのだ。それでも最低限のことだけは伝えておきたかった。「……そうか。やはり千歳ゆまはキミたちと一緒にいるのか」「ゆまのことを知っているんですか!?」「ああ。杏子に少し聞かされただけだけどね。だが今はその話は置いておこう。とりあえず僕はもう行く。伝言は必ず杏子に伝えるから安心するといい」「はい。よろしくお願いします」 そう言ってフェイトは頭を下げる。その姿にクロノはどこかばつが悪くなったように感じ、これ以上は何も言わずにその場から飛び去った。 そうして飛びながら、何故フェイトのような少女がジュエルシードを必要としているのか、クロノは頭を捻らせるのであった。 ☆ ☆ ☆ そこに立っていたのは死に体の少女だった。腹部に三本、両足と右腕に一本ずつ、計六本の鉤爪がすずかの身体を貫いていた。それらの傷口からは止めどなく血が溢れ出ており、その場で立っていられるのも奇跡と呼べるような状態だった。 無数の鉤爪に身体が貫かれた時、すずかは自らの死を覚悟していた。すでに身体からは致死量を超える血液が失われている。魔力もほとんど残っていない。このような状態では身体を再生させることができず、いずれはキリカによってソウルジェムを砕かれることになる。そう確信していた。 もちろん心残りは山ほどある。織莉子の記憶を覗いた時に見た破滅の魔女はもちろん、それ以外にもこの世界の脅威となり得る存在はたくさんいる。それらを駆逐することなくこんなところで命を散らすことは、すずかとしても本意ではなかった。(やっぱりこれって、報いなのかな?) すずかが実際に手を掛けてきたのは、何も魔女だけではない。いずれ魔女になる可能性のある魔法少女もまたその手で殺してきた。魔女になり掛けている以前に、そんな血塗られた道を歩き続けた彼女はもう決して平和な日常へと帰ることはできない。だがそれでもなのはとアリサ、そして忍たちが幸せな日常を謳歌できればそれでいい。そう思っていた。 だが実際に死を間近にして、すずかは未だ何も果たせていないことに気付く。ここですずかが死んだところで世界は何も変わらない。来るべき破滅をもたらす最後の敵を前にすずかが死に、織莉子が意識を戻さなければ立ち向かえる者など誰もいない。ジュエルシードの魔力などをその身に使っているキリカなどとても半年もの間、生き続けることは不可能だろう。 それ以前に自分はアリサを救うことすらできていない。自分がいなくなればこの場に残るのはアリサとキリカ。そしてキリカが自分を殺せばアリサはどのような行動を取るだろう? そう考えた時、諦めの表情を浮かべたすずかの瞳に強い光が灯る。(まだ、私は――ッ) 傷ついた身体を無理に動かそうとするすずか。唯一鉤爪に貫かれることのなかった左腕を使い、その身体に刺さっている鉤爪を引き抜こうとする。だが……。「流石は吸血鬼、しぶといね」 そんなすずかの思い虚しく、その正面にキリカが立つ。そして今まさに引き抜こうとしている鉤爪を掴むと、傷口を抉る。「――ッ!!」 声にならない叫びと共にすずかの口から大量の血液が吐き出される。それをキリカは正面から浴びるが、その手を緩めることはなかった。「どうやらさっきとは違って、もう回復する魔力すら残されてないみたいだね」 執拗にキリカは鉤爪ですずかの腸を抉り続ける。狂気に染まった両眼ですずかの苦痛で顔を歪める姿を見つめる。「あ、アンタ、すずかに何してるのよ!! 今すぐ離しなさいよ!!」 そんなすずかを助けようとアリサが怒鳴りをあげる。その手にはすずかの落とした火血刀。震える手で自分の力では扱いきれないほどの重量を持つ刀をキリカに向けながら、精一杯の虚勢を張る。 そんなアリサの姿を一瞥したキリカはすぐ様、興味を失くしたようにすずかの方に向き直る。「む、無視するんじゃないわよ!!」 そう言ってアリサは火血刀を持って突っ込んでくる。キリカはその姿を見ることなくアリサの攻撃を避ける。だがアリサはめげずに何度もキリカに襲いかかる。それがあまりにもしつこかったため、キリカはすずかを蹴り飛ばし、剣を向けてくるアリサの襟首を掴みあげた。「キミ、ホンキ? ただの人間が魔法少女に剣を向けるなんて殺してくれって言ってるようなもんだよ? そのまま隅で隠れてた方が良かったんじゃない?」「ふ、ふざけないでよ。友達を見捨ててまで生きたいとは、あたしは思わないわよ」「友達? この吸血鬼と?」「そ、そうよ。すずかはあたしの大事な親友よ。あ、あんたなんかに好きにはさせないんだから」 そう言い放つアリサだが、その声はか細く震えていた。キリカの言う通り、アリサは何の力も持たないただの人間だ。先ほどのやりとりでキリカの持つ力が圧倒的だということはアリサにもわかっている。 それでもアリサは退くわけにはいかなかった。ここで退いたらもう二度と、アリサは胸を張ってすずかのことを親友だと呼べなくなる。そう思ったから、精一杯の虚勢を張り続けた。「ふ~ん、親友ねぇ」 そんなアリサの言葉を聞いて、キリカは掴んでいた襟首を離す。突然の事に対応できなかったアリサはその場で尻もちをつく。そうして痛がるアリサをキリカは冷徹な表情で見降ろした。「ねぇ、キミは吸血鬼のことを愛してるの?」「あ、愛?」 キリカの口から出てくる意外な言葉に、思わずアリサは反芻する。「そう、愛だよ。私は愛する織莉子のために敵を殺す。その邪魔をキミはする。キミの力では絶対に私には勝てないのに向かってくるなんて、そんなの愛がなければできないことだよ。もしキミが吸血鬼のことを愛してるっていうのなら、私にも少し考えがあるけど?」 真っ直ぐアリサの顔を見るキリカ。キリカの深い闇色の瞳に見つめられたことでアリサは悲鳴にも似た呻き声をあげるが、すぐにその怯えを自分の中から消し去る。そして逆に強い意思を瞳に籠めて、キリカに言い放った。「……あんたの言う愛って言葉の意味はわからないけど、愛しているかいないかで問われれば、間違いなくあたしはすずかのことを愛していると断言できるわ。だってすずかはあたしにとってかけがえのない親友なんだから!」 キリカはアリサの目を真っ直ぐ見据えながらその言葉を聞く。二人の間にしばしの静寂が流れる。ほんの数秒でしかなかったが、アリサにとってその間は永遠とも呼べる長い時間に感じられた。「――キミ、名前は?」 その後にキリカはアリサの名前を尋ねる。どこか満足のいった表情を浮かべながら、ジッとアリサの瞳を見つめてその返事を待った。「あ、アリサ・バニングスだけど」「そっか、キミってアリサって言うのか。キミの吸血鬼に対する愛は紛れもなく本物だよ。とても清廉で潔白な純粋な愛。私以外でここまで愛が深い人を見たのは初めてだ。キミは愛について語り合える同志、いや伝道師だ。その相手が吸血鬼っていうのが少し気に入らないけど、愛する相手は個人の自由だ。そこに誰も口を挟んじゃいけない。もしそんな奴がいたら、そいつは愛について何も知らない。ただの嘘つきだ。愛は無限に有限で、それで唯一のものでなければならないものなんだ。他人の言葉に耳を貸すようじゃ、そんなの本当の愛とは言えないよ。だから私はキミの吸血鬼に対する愛を肯定する。私が否定したところでキミの愛が本物という事実に変わりはないから意味はないけど、それでも私はアリサの愛を認めるよ」 キリカは目を輝かせながら爛々と語る。先ほどまでとの態度の違いに、アリサは思わずたじろぐ。 しかし同時に今はすずかを救い出すチャンスでもあった。先ほどまでは誰の言葉にも耳を貸さないといった雰囲気だったが、今のキリカはとても友好的に思える。キリカのことを許す気は毛頭ないが、それでもすずかを救い出せるかもしれない絶好の機会を逃すつもりはなかった。 だが……。「でもそれ故に残念だな。せっかくこんなに愛の造詣が深い人に会えたのに、もう別れることになるなんて」「キリカさ……えっ?」 アリサが意を決して話しかけようとしたところで、キリカの口から雲行きの怪しい言葉が紡ぎだされる。キリカはそんなアリサの動揺にまったく気付かず、言葉を続けた。「本当なら七日七晩ぐらいアリサと愛について語り合いたいところだけど、私の愛がそれを許さない。今すぐ吸血鬼は屠らなきゃならない。そして私はアリサの愛を引き裂くような真似はしたくない。だからせっかくできた同志もこの手に掛けなきゃならない。正直、あまり気は進まないけど、これも愛のため。愛なら仕方ない。織莉子に対する愛だけは絶対に否定してはいけない。否定したくない。だからそのためにせっかくできた同志アリサも殺す」 そう言うとキリカはアリサを殺意の籠った眼差しで睨みつける。誰かから直接殺意を向けられた経験がなかったアリサはそれだけで腰が抜け、全身から嫌な汗が噴き出し、寒くもないのに身体が震えだしてしまう。「でも正直、私はアリサのことが羨ましいよ。だって死ぬ時も愛する者と一緒なんて、なかなかできるものじゃないよ。死ぬことによって二人は愛によって永遠に結ばれる。一緒に死ぬんだから何も怖くないし、離れることもない。これほど素晴らしい愛の成就は他にないよ」 そこまで言うとキリカはアリサから視線を外し、すずかの方に顔を向ける。「良かったじゃん、吸血鬼。キミは死んでも一人にはならないみたいだ。この子が付き合ってくれるみたいだよ。キミみたいな敵には勿体ないほどの贅沢だけど、でも私はキミを敵として恨む前にアリサを愛の伝道師として認めて一緒に殺したいんだ。このことを知ったらもしかしたら織莉子は嫉妬しちゃうかもしれないけど、だけどたまには織莉子をヤキモキさせる権利は私にだってあるはずなんだ。そうだよね? 織莉子」 キリカは誰にともなくそう呟く。すでにその瞳は焦点があっていなかった。誰もいない虚空を見つめて、ただただ織莉子の名を呼び続ける。もちろんその言葉に返事は来ない。「……織莉子、待っててね。今、私が愛を証明してあげるから」 一頻りそうしたキリカは、改めてアリサに向き直る。そしてその首筋に鉤爪を突きつけた。「本当は二人同時に逝かせてあげたいところだけど、まだ吸血鬼を身体のどこにソウルジェムを隠しているかわからないから、先にアリサから殺してあげるね。でも安心してよ、すぐに吸血鬼も逝かせてあげるから。だからアリサは安心して吸血鬼を向かい入れる準備でもして待っててよ」 キリカの言葉にアリサは何も返さない。狂気を帯びたキリカの殺意に当てられ続け、ただの一般人であるアリサがここまで意識が持っていただけでも奇跡に近いことなのだろう。そのことにキリカは少しだけ不満を覚えたが、それでも彼女がやることは変わらない。「それじゃあさよなら、アリサ。私が死んだらその時は、二人で愛について語り合おう。約束だよ」 別れの言葉と共にキリカは手首を軽く捻る。それだけでアリサの首が飛び、彼女が死ぬはずだった。「あれ?」 しかしそうはならなかった。跳ね跳ぶはずのアリサの首はその場にくっついたまま。それどころか手ごたえすらない。まるで目の前のアリサが幻とすり替わってしまったかのような、そんな感覚。それでもキリカは何度もアリサを殺そうと鉤爪を突き立て続けた。「いくらやっても無駄だよ。本物のそいつはもう、この場にはいないんだから」 どこからともなく聞こえてくる第三者の声。それと同時に目の前のアリサが霞となって消え去る。そしてそれは少し離れたところにいるすずかも同様だった。 そしてその代わりに目の前に現れる一人の少女。赤い装束に身を包み、その手には一筋の槍。酷く不機嫌な表情を浮かべ、真っ直ぐキリカのことを睨むその魔法少女の名は佐倉杏子。管理局と協力し、この結界内に潜むジュエルシードを持った魔女を倒すためにやってきた魔法少女だった。「――キミは、誰? アリサと吸血鬼をどこにやったの?」「はん、そんなこと、教えるわけねぇだろ。バーカ」「……なら殺してでも聞き出すから」 そう言ってキリカは杏子に襲いかかる。そんなキリカに杏子は出し惜しみなどせず、全力で挑んでいった。2013/3/29 初投稿および誤字脱字修正2013/4/6 感想版にてご指摘のあった箇所を修正