すずかは夢を見ていた。初めに見ていたのはすずかの理想を体現したような夢。普通の人間として生まれた彼女が、なのはやアリサと出会い、時に喧嘩し、時に悲しみを共有し、時に笑い合う。そんな夢。普通の人間だから運動神経がそこまで良いことはなく、テストの点数もあまり高くない。それでも夢の中のすずかは幸せだった。だって彼女は人間だから。なのはやアリサと同じ、何の力も持たないどこにでもいる普通の女の子だったから。 だがその夢は突如として現実に塗り潰される。夜の一族の吸血種として生まれ、その生まれを知り絶望した過去の自分。すずかはただ、普通に生きたかっただけなのに、それを真っ向から否定された。自分の血に怯え、他人を傷つけることを恐れた彼女は孤独でいることを選んだ。 家族はいる。夜の一族という血の絆で結ばれた家族。自動人形という血の通っていないが故に不用意に傷つけずに済む家族。そういった意味では、すずかは真に孤独ではなかったのだろう。しかし彼女には友達がいなかった。喧嘩し、悲しみを共有し、笑い合える。そんな友達が欲しくて欲しくて堪らなかった。 だからなのはやアリサと仲良くなれた時、すずかは心の底から嬉しかった。彼女たちと一緒にいる時間が何よりも愛おしく、大切に感じられた。 それ故に、すずかは自分の血を呪った。もし夜の一族ではなく普通の女の子だったのならば、すずかは大切な親友に秘密を持たずに済んだのだろう。もし秘密を持たなければ、すずかはより踏み込んでなのはたちに接することができただろう。もしより踏み込んで接することができていれば――すずかは魔法少女になることもなかっただろう。 キュゥべえに願いを聞かれた時、すずかは自分の血を受け入れる強さが欲しかった。だから彼女はキュゥべえに『強く在りたい』と願った。その先にどんな結末が待っているとも知らずに、彼女は漠然と強さを願った。 確かにすずかは強くなれた。魔法少女として海鳴市の平和を守ると誓ったあの時から、すずかは夜の一族である自分を受け入れることができた。魔女との戦いは怖かったが、それ以上に魔女を放置して誰かが傷つくことの方が怖かった。だからすずかは日夜、必死に魔女と戦い続けた。自分が怖い思いをしてでもこの町の平和を、誰かを救うことができるならそれでいい。あの時までは確かにそう思っていた。 しかしなのはが戦いの場に現れた時から、すずかの歯車が狂い始める。すずかにとってなのはは特に守りたい人の一人である。それなのになのはは自ら戦いの場に赴いている。その矛盾、それがすずかの人間としての枷を外した。 なのはを守るためには、圧倒的な力を手に入れなければならない。彼女の力などがまるで役に立たないほどの力の差を見せつけなければならない。それでも戦うというのなら、そもそもこの世界から戦いを失くさなければならない。ジュエルシードを回収し、この世界にいる全ての魔女を駆逐する。 そのためにすずかは際限なく強くなった。その結果、すずかの中の『ニンゲン』と呼べる部分は消失し、『吸血種』という部分だけが残った。 初めは普通の女の子に、人間になりたかった。ただそれだけだったのに、すずかの中の人間と呼べる部分はもうほとんどない。彼女はすでに人間ではなく化け物なのだ。そのことに絶望しつつも、すずかが魔女にならなかったのは最後の希望が残されていたから。 ――それはなのはたちが平和に暮らせる世界を作り出すこと。 自分の犠牲で皆が平和に暮らせるのなら、すずかは絶望はしない。むしろその未来に希望を繋ぐ。そのためなら自分がどうなろうとも構わない。例え化け物と罵られようとも、吸血種として日の元で暮らせなくなろうとも構わない。それで大切な人たちを守れるのなら、その果てに死ぬことになろうとも構わない。 ――だから今は、こんなところで寝ている場合じゃない。早く起きて、キリカの元に戻らなければ。そして今度こそ、彼女を仕留め、この結界から皆を解放しなければ……。 そう決心してから、すずかが実際に行動を起こすまで、一秒と時間は掛からなかった。 ☆ ☆ ☆「……いい加減にしてくれないかな? 私はただ吸血鬼を殺したいだけなのに、織莉子への愛を貫きたいだけなのに、どうして邪魔するんだよ?」 ディバインバスターの直撃を受けたキリカは、酷く苛ついていた。威力自体は今のキリカにとってそう問題ではない。不意を突かれたので驚いたが、キリカにとってなのはの砲撃は精々、肩を叩かれた程度の痛みでしかなかった。 だが先ほどの杏子の足止めから数えて、すでにキリカはそのイライラがピークを迎えつつあった。彼女が邪魔しなければすでにすずかを殺すことはできていただろう。にも関わらず、現在はその行方さえわからない。さらに執拗に足止めを食らわされている。元々、気が長い方ではないキリカにとって、これは耐えがたい苦痛であった。「どうして邪魔するかだって? 強いて言うならあんたが気に入らねぇからだな」 最初にキリカと対峙した時は、そこまで明確な理由はなかった。ただ目の前で殺されそうになっている子供がいる。そしてなのはがそいつらの知り合いで、杏子自身もすずかとは面識があったからこそ助けに入った。 しかし今は違う。実際にキリカとやり合ってわかったことだが、この結界は彼女が作り上げている。どのような手段でキリカが魔女のような結界を作り出せているのかは杏子の知るところではないが、あまつさえジュエルシードのような危険なものを用い、不必要に一般人を巻き込むようなやり方を今の杏子は許しはしない。 魔法少女が魔女を狩るのは仕方ない。そのために使い魔を成長させるために見逃すのもまだ理解できる。しかしキリカがやっているのは、不必要な虐殺である。魔女のいない結界に一般人を閉じ込め、使い魔に襲わせている。それも魔女の口付けを与えられたものではなく、小学校という何の力もない子供たちに対して。「でも本当のところ、あんたと戦うのに特に理由なんて必要ないんだよね。何の目的であんたがこんな騒ぎを起こしたのかあたしは知らない。だけどこれだけはハッキリしてる。――あんた、異常だよ。あたしが言えた義理でもないけど、こんなの魔法少女のすることじゃあない。こんな絶望を振りまくような真似は魔女のすることだ。……だからあたしはてめぇを殺す。魔法少女が魔女を殺すのに理由なんていらないからね」 杏子はキリカを強く睨みつける。本来、杏子は賢い魔法少女である。勝てない相手と無理に戦うような真似は避け、確実にグリーフシードを手に入れてきた。ゆまと出会ってからは自分の利益のみを追求することも少なくなったが、それでもその戦いに対するスタンスそのものは変わっていないだろう。 そういった観点で言えば、この場は退くべきところである。キリカの邪魔をしないことを約束し、さらにすずかがいそうな場所を教えれば杏子は戦闘を回避することも可能だろう。 だがキリカだけはこの場で仕留めなければならない。例え命を削る結果になったとしても、こいつを見逃せばまたさらに今日のような事態が引き起こされる。それだけは絶対に避けねばならないことだった。「ふ~ん、私が魔女ね。それってあながち間違いじゃないよ?」「……なんだって?」「あの吸血鬼と同じさ。ジュエルシードを埋め込んだ以上、私ももう後戻りできないところまで来てるだよね。尤も、人間であることを止めたところで私の愛は止まらない。例え魔女になろうとその程度で私の織莉子に対する愛が消え去るわけがない。もちろんキミ程度の魔法少女に阻まれることなんてもっとあり得ないけどね」 言い終わると同時に杏子の身体に無数の鉤爪が突き刺さる。四方から突如として飛ばされた鉤爪に、杏子は反応することすらできなかった。「……良かったよ。自分で魔女だって言うなら、それこそあたしはあんたを心おきなく殺すことができる」 その声はキリカの背後から聞こえてくる。そこにはもう一人の杏子の姿があった。それを視認したと同時に、キリカの正面に立っていた杏子の姿が幻となって消え、その場にはキリカの飛ばした鉤爪だけが残される。「でもそのおかげで準備は整った」 杏子の足元から生えてくる無数の巨大な槍。敵を貫くというより押し潰せそうなほどに巨大な槍は多節棍のように曲がりくねり、まるで鉄の龍のような様相を見せる。その中で一際大きな槍の上に杏子は飛び乗ると、冷ややかな目でキリカを見降ろした。「いくらあんたがジュエルシードの魔力を得てようが関係ねぇ。あたしの全力全開、受けてみな!」 そう言って杏子は一気に突っ込んでいく。キリカは狂気を帯びた笑みを浮かべながら、それを正面から立ち向かっていった。 ☆ ☆ ☆ クロノにとってそれは突然の出来事だった。すずかの治療に専念していた彼にとって、それは予想できるはずもなく、それ故に彼は初め、自分の身に何が起こったのかわからなかった。「キ、キミは何を……!?」 思わず零れる疑問の言葉。その表情を赤面させ、クロノはすぐ間近にあるすずかの横顔を見る。 彼は今、すずかに抱きつかれていた。先ほどまで死に体だった彼女のどこにそんな力が残っていたのかわからなくなるほどの強烈な力。軽く引き剥がそうとするが全くびくともしない。もちろん本気の力を込めれば引き剥がすことは可能だったかもしれない。しかしすずかが深い傷を負っていたこともあり、無理に遠ざけようとはしなかった。「ごめんなさい、少しだけ頂きます」 そんなクロノの耳元ですずかは申し訳なさそうに囁くと、その首筋に思いっきりかぶりつく。そしてその傷からクロノの血をどんどん吸っていく。 そうなって初めて危機を察知したクロノは、なんとかすずかを引き剥がそうと目一杯力を込める。しかし血を吸われるという未知の経験をしているクロノは上手く力を入れることができなかった。それとは逆に血を吸うごとにすずかの力はどんどん増していった。 クロノという歴戦の魔導師の血液はすずかにとって、何よりの栄養剤だった。元々、吸血種にとって一番の栄養となるのは異性の血液である。それに加えてすずかは魔法少女。キリカとの戦いで失われた魔力と血、その両方がクロノの血液によって満たされていく。それに伴い、未だにすずかの身体に残っていた傷は全て癒されていった。「ふぅ~、ごちそうさまでした」 口元に残った血液を拭いながら、すずかは満足そうに告げる。少しだけと言いつつ、すずかはかなりの量の血液をクロノから吸い取った。それでも満腹には程遠いが、キリカと対峙するには十分だろう。 自分がどの程度回復したかを確認したすずかはアリサの方に目を向ける。キリカの魔力に中てられ、未だに意識を取り戻さないアリサ。そんな彼女を見ながらすずかは懐からカチューシャを取り出す。それはすずかの宝物であり、なのはやアリサと仲良くなるきっかけを作ったカチューシャだった。それをすずかはアリサの手に握らせる。「これはアリサちゃんにあげる。それと、私と友達でいてくれて今までありがとう」 そう言うすずかはとても穏やかな顔つきをしていた。まるで憑き物が落ちたかのような決意に満ち溢れた表情。そしてアリサの顔を目に焼き付けたすずかは、ゆっくりとその場から立ち上がると、結界の奥に視線を向ける。 その先から感じる大きな魔力が三つ。初めて出会った自分以外の魔法少女である杏子。守るべきもう一人の親友であるなのは。そして忘れもしないキリカ。そんな三人の魔力が結界の一点から感じ取れる。すずかは翼を広げ、その位置に向かって飛び立とうとする。「……ま、待て!」 だがそれを呼び止める声があった。クロノである。血を吸われたクロノは自力で立つことができず、S2Uを杖代わりにしてすずかを睨みつけていた。「どこに……行くつもりだ? それに、さっきのはいったい……?」 息も絶え絶えになりながらクロノは尋ねる。そんなクロノを一瞥すると、すずかは申し訳なさそうに、それでいて決意に満ち溢れた声色でこう言い放った。「ごめんなさい。それを話している時間はないみたい。……だけど安心してください。この結界はもうすぐ解いてみせるから。だからそれまでの間、アリサちゃんのこと、お願いします」「なっ、それはどういう……!?」 クロノはすずかの言葉の真偽を確かめようとするが、突如として辺りに突風が吹き荒れる。そして風が止むと、すでにそこにすずかの姿はなくなっていた。 ☆ ☆ ☆ 杏子の全魔力を籠めた渾身の一撃。いくらジュエルシードの魔力を持つキリカであろうとも、この攻撃を正面から受ければ倒せると、杏子は信じていた。 ――だがその希望は儚く散ることとなる。杏子が作り出した巨大な槍に対してキリカは正面から向き合った。鉤爪を網目状にクロスさせ、槍を受け止めるキリカ。その重みに身体は押されるが、結果的にキリカにダメージを与えるに至らなかった。そうして攻撃を防ぎながらキリカは槍の速度を奪い、その隙をついて上に乗っている杏子を蹴り落とす。頭にクリーンヒットしたことで杏子の意識が一瞬飛び、周囲に作り出していた他の槍も順次に霧散していく。その後は一方的な虐殺ショー。杏子の身体から速度を奪い、少しずつその身体を斬りつけていった。「杏子さん!」 もちろんそんな状況になってもなお、なのはが黙って見ているわけがない。杏子の危機になのはは慌てて助けに入ろうとする。だけどそれすらもキリカの予想の範疇だった。なのはの回りを取り囲むように鉤爪が降り注ぐ。それを紙一重でかわしながら、なのはは杏子を助けに向かう。しかし鉤爪を必死に避けることに夢中になっていたなのはに、背後からキリカが近づいてくることに気付かなかった。キリカはそっとなのはの肩に手を置きその全身から速度を奪う。途端になのはの身体が硬直し、まるで石像のようにその場に立ち尽くしてしまう。「たぶんこの子がなのはだよね? ホント、織莉子の言ってた通りの魔導師だ。よかった。もし事前に織莉子からなのはの見た目について聞いてなかったら、間違って殺しちゃってたところだよ。流石は織莉子、抜け目ないね」 キリカはなのはの姿を近くでマジマジと確認しながら、織莉子の名前を出す。そのことになのはは内心で驚きを浮かべていた。「……てめぇ、なのはを解放しやがれ」 そんななのはに対して杏子は震える身体に鞭を打ち、槍を支えに立ちあがる。言葉自体は強気な口調の杏子だが、もはやその身に魔力や体力はほとんど残されていない。手持ちのグリーフシードを使えば魔力だけは回復することはできるが、キリカがそのような時間を与えてくれるはずはないだろう。「安心しなよ。他の連中はともかく、なのはって子は殺しちゃだめだって織莉子に言われてるんだ。だからこの子には私が吸血鬼を殺すまで、このまま大人しくしてもらうつもりだよ。……でもキミは別だ。キミは吸血鬼を逃がした張本人だし、それにさっきも散々人のことを馬鹿にしてくれたからここで殺してあげるよ」 そう言うとキリカは無慈悲に鉤爪を杏子の頭めがけて飛ばす。先ほどと同じ轍を踏まないために、殺すと決めたこの瞬間に殺す。そう思っての一撃だ。 しかしまたしても、キリカの鉤爪は命を奪うに至らなかった。「……へぇ、戻ってきたんだ、吸血鬼」 それはすずかが鉤爪を火血刀で叩き落としたからであった。すずかが戻ってきたことに杏子は驚き、キリカは愉快そうに笑う。身動きを取ることができないが、なのはもあれほどの傷を負っていたすずかがこの場に現れたのは予想外だった。「すずか、おまえ、どうやって……!?」「あの程度の傷、少し魔力が戻れば自力で治せます。それより杏子さん、なのはちゃんを連れてこの場から離れてください。あの人の狙いは、私ですから」「……残念ながらそれは違うよ。織莉子に頼まれているなのはって子はともかくそいつは私のことを好き勝手言ってくれたんだ。だからそいつも殺す。逃がさせはしないよ、吸血鬼」 すずかの言葉にキリカが憮然とした態度で返事をする。だがすずかはそんなキリカの姿は眼中にないようで、その視線は真っ直ぐなのはに向けられていた。「おい、聞いてるのか!! 吸け――ッ!!!」 そう言い掛けたキリカはすずかの刀による一撃で吹っ飛ばされる。杏子にはその動きがほとんど見えなかった。まるで瞬間移動したかのようにキリカの手前に移動し、気付いた時にはキリカが吹っ飛ばされていた。杏子の目には一連の光景がそのように移っていた。 そうしている間にもすずかはなのはの身体に近づくと、そのままをお姫様抱っこで持ちあげる。そして杏子の傍まで運ぶと、優しくその場に降ろした。「杏子さん、今ならまだ、キリカさんの呪縛でなのはちゃんは動くことができません。たぶんなのはちゃんは私の言うことを聞いてくれないから。だから今の内になのはちゃんを連れて逃げてください」「……悪いがすずか、そいつはできねぇよ。あたしとしてもすずかのなのはを逃がしたいって言う気持ちはわかる。でもな」 そう言って杏子は自分の切断された右腕を見せる。「右腕はこんなだし、それに体力も魔力もほとんど残ってねぇ。あたし一人ならともかく、なのはを連れて逃げるのは今のあたしには無理だ」 実際のところ、多少の無理をすれば今の杏子でもなのはを抱えて逃げることは可能だっただろう。しかしそうしなかったのは、なのはの意思を確かめてないからである。すずかの言う通り、もしキリカの呪縛が解ければなのはは絶対にこの場に残ろうとするだろう。それがどれだけ危険なことか杏子自身もわかっているが、だがそれでも今、この場ですずかとなのはを一言も会話せずに別れさせるのは良くないと、杏子の直感が告げていた。「……そう、ですか」 その言葉にすずかは顔を曇らせると、なのはに向かって火血刀を一振りし、キリカの魔法による呪縛から解放する。そんななのはにすずかは真正面から向き合った。「……久しぶりだね、なのはちゃん」「うん、久しぶり、すずかちゃん」 お互いにお互いの視線を合わせて名前を呼び合う二人。たったそれだけの行為なのに、堪らなく懐かしさを感じてしまう。「再会したばかりで悪いんだけど、なのはちゃん、杏子さんと一緒に逃げてくれないかな?」「……嫌だよ。すずかちゃんもわたしがそう答えるってわかってたから、杏子さんに連れて行かせようとしたんだよね?」「……うん。だけどこれだけは譲れない。なのはちゃんには絶対にここから避難してもらう」「どうして? どうしてすずかちゃんはいつも一人で何でも抱え込もうとするの? あの時、温泉の夜に魔女を倒した時だって、すずかちゃんは自分が傷つくことも厭わなかった。ねぇ、どうして?」 その言葉にすずかは押し黙る。これまで隠してきたこと、今まで感じてきたこと、そしてこれからやろうとしていること。そのすべてがすずかに重くのしかかり、彼女の口を詰まらせる。「……すずか、一分だけ時間をやる」 そんなすずかに杏子は優しく声を掛ける。その視線はキリカの吹き飛ばされた方に向けられていた。「杏子さん?」「今のあたしだとそれが限界だ。だからその間になのはと互いが納得のいく答えを見つけろ。いいな」「杏子さん、待っ……」 そんなすずかの制止虚しく、杏子はキリカの吹き飛ばされた方向に向かって駆けていく。その数秒後、少し離れたところで金属のぶつかり合う音が響き渡る。杏子とキリカによる火花散らす攻防。杏子がすでに満身創痍なのはすずかの目から見ても明らかだったのに、それでも今の杏子はキリカの猛攻を精一杯防ぎきっていった。 本当ならすぐに助けに行くべきところだろう。しかしなのはもすずかも、その場から一歩も動こうとしなかった。ただ漠然と、杏子とキリカの戦いを遠くから眺めていた。「……杏子さんって凄いよね」 そんな杏子の戦いぶりを見てなのはが静かに語り掛けてくる。「歳上っていうのもあるんだろうけど、わたしにはあんなに他人の事を思いやって命を賭けるような真似、何年経ってもできないかもしれない」「……そんなこと、ないよ。なのはちゃんだってきっと、杏子さんみたいに誰かのために命を賭けられるようになる。だってなのはちゃんは現に、私やアリサちゃんの本当の気持ちを理解してくれたから」 始めて話して、喧嘩になったあの日から、アリサもすずかも孤独ではなくなった。夜の一族という秘密を抱えたままだったとはいえ、すずかは確かになのはに救われたのだ。その事実は変わらない。「私がどうしてなのはちゃんに戦って欲しくなかったのかって言うとね、なのはちゃんは魔法なんか使わなくても、誰かを救うことができる人だったからなんだよ。……なのはちゃんがいたから私もアリサちゃんも一人じゃなくなった。なのはちゃんが私たちを結び付けてくれたんだって、私もアリサちゃんも本当に感謝してるんだよ。……少し話が逸れちゃったね。とにかく私はなのはちゃんは魔法なんて使えなくても、誰かを救うことができると思ってる。でも私はそうじゃない」「そんなことない! すずかちゃんだってアリサちゃんのことを救ってたんだよ!!」「えっ?」「前にね、アリサちゃんに聞いたことがあるんだ。『どうしてすずかちゃんに声を掛けようとしたの?』って。そうしたらアリサちゃん、凄く恥ずかしそうに『すずかが自分に似ている気がしたから、あたしのことを理解してくれるかも』って答えたんだよ! それにわたしも、二人のことは前から気になってたから、ずっとお話しするタイミングを伺ってたんだ。すずかちゃんはわたしが三人を結び付けたって言うけど、でも本当にわたしたちを結び付けてくれたのは、すずかちゃんなんだよ」「そう、だったんだ」 なのはの言葉にすずかは涙を浮かべながら頬を緩ませる。嬉しくて堪らないから、止めどなく涙が溢れてくる。 夜の一族として、魔法少女として、吸血種としてすずかは今まで生きてきた。普通の人間とは違う、特別な力の中ですずかは暮らしてきた。その中で力に怯えたことも、受け入れより強くなろうともしてきた。 だけどそんな必要はなかった。夜の一族だろうと魔法少女だろうと吸血種だろうと関係ない。ただ一人の女の子として、こんなにも優しく、それでいてかけがえのない親友が二人も持てた。それだけで十分だったのだ。「なのはちゃん、今までありがとう。やっぱりなのはちゃんは凄いや。こんなことなら初めからなのはちゃんに悩みを素直に打ち明けていればよかったよ。もちろんアリサちゃんにもね」 すずかは涙を拭いながら微笑みかける。温かみのあるすずかの微笑み。それなのになのははそれを見て、酷く嫌な予感を覚えてしまう。まるでこれで最後のお別れのような、そんな予感。「……そろそろ一分だね」 そう言うと、すずかはなのはの前から二歩下がる。そして次の瞬間、なのはを取り囲むように紫色の炎が檻を作る。慌てて隙間から出ようとするが、それを炎が阻む。近づくととても熱いのに、それでも決してなのはに燃え移らない温かい炎。それは間違いなくすずかが作り出した炎の檻だった。「すずかちゃん!?」「ごめんね、なのはちゃん。本当はこんなことしたくなかったけど、でもなのはちゃんは頑固だから。絶対に許してくれないと思ったから。だから……」「ダメ、ダメだよ、すずかちゃん。そんなことしちゃ、ダメだってば!?」 なのははすずかがやろうとしていることを本能的に悟る。そして涙ながらに必死にすずかを止める。そんななのはに対し、すずかは終始笑っていた。魔法少女になったすずかが見た狂気を帯びた笑みではない。なのはの親友である月村すずかが浮かべる優しく穏やかでとても温かみのある微笑み。「ねぇ、なのはちゃん、これを見て」 そう言ってすずかは自分のソウルジェムを取り出す。紫色に澄んだすずかの魂。そこに一切の穢れはなく、そこに内包されている膨大な魔力になのははただただ圧倒される。「魔法少女の魂であるソウルジェム。その穢れはね、魔力の消費だけじゃなくて魔法少女本人がどれだけ絶望しているかでその濃さを増すんだよ。私のソウルジェムもついさっきまで、真っ黒だった。でもね、なのはちゃんの今の言葉で私は救われたんだ。だから……」「イヤイヤイヤ! そんな話聞きたくない!!」 なのはは必死に泣き叫ぶ。その先にすずかの言葉を聞かないように耳を押さえ、声を荒げる。「……だからね、なのはちゃん、私は絶望の果てに死ぬんじゃない。希望を繋げるために死ぬんだよ」「あっ……」 聞かないために声を出していたはずなのに、見ないために目を瞑っていたはずなのに、なのははその最後の言葉をハッキリと耳にしてしまった。それを語る満面な笑みを浮かべたすずかの姿をハッキリと目にしてしまった。「たぶん、これからなのはちゃんはもっと辛い目に遭うと思う。もっと大変な戦いに巻き込まれると思う。そんななのはちゃんをこれから助けてあげられないのは残念だけど、でも決してめげないで。そしていつまでも誰かを救える人でいて」「待って、すずかちゃん。待ってってば!?」「さようならなのはちゃん。――今までありがとう」 すずかは最後にそう言うと、なのはの必死の制止の声を無視して飛び立った。そして先ほどまで笑顔を浮かべていたその顔を大きく歪めた。自分の中の悲しみに必死に耐えながら、すずかは声を殺して涙を流すのであった。 ☆ ☆ ☆「杏子さん、お待たせしました」「……おせぇよ」 すずかがキリカと杏子の戦いの場に辿り着いた時、すでに杏子は立ってすらいなかった。その場に大の字で倒れ込み、大きく息を吐いている。あと数秒、その場にやってくるのが遅ければ、杏子の命は失われていただろう。「でも、その顔を見る限り、互いに言いたいことは言い合えたみたいだな」「はい。ありがとうございました」 そうして礼を告げた後、すずかはキリカに視線を向ける。全身がボロボロの杏子とは違い、キリカに目立った傷はない。もちろんそこまでの期待をすずかはしていない。戦いを始める前から杏子は片腕を失い、魔力もほとんど残っていなかったのだ。むしろここまで耐えただけでも奇跡に近いだろう。「何? 今度は吸血鬼が私の相手をするわけ? もういい加減、誰か一人ぐらい殺したいんだけど」「安心してください、キリカさん。これで最後です」「ん?」「もう私は逃げも隠れも致しません。私とあなた、どちらかが死ぬまで殺し合いましょう」「……へぇ、面白いじゃん」「ただし、少しだけ場所を移しませんか? ここには杏子さんもいますし、それに近くにはなのはちゃんもいますから。下手に横やりを入れられるのは、キリカさんももう嫌でしょう?」「そうだね。わかったよ。それじゃあ最初に戦ってた場所でいい?」「えぇ、どこでも構いません。他の人が巻き込まれない場所でしたら」「お、おい、すずか」 とんとん拍子に話が進んでいく中、杏子は疑問に思いすずかに声を掛ける。だがその言葉に返事しようとせず、すずかはキリカに連れられ歩いていく。その最中、チラッとすずかは杏子に目を向けると、一言、テレパシーを使ってこう告げた。【杏子さん、これからもなのはちゃんのことをよろしくお願いします】 それを聞いて杏子は不審に思い、何度もすずかにテレパシーを送るが、返事が返ってくることは一度もなかった。 ☆ ☆ ☆「キリカさん、初めに言っておきます。私はこの一撃に全てを籠めます。だからキリカさんも最大の攻撃手段を以って、私に攻撃を仕掛けてください」 場所の仕切り直しをし終えたすずかは、火血刀をキリカに向けながらそう言い放った。その言葉に疑念を抱くキリカだったが、敢えて問い掛けようとは思わなかった。 それはすずかの目が先ほどとはまるで別人のもののように見えたから。一度、殺す寸前まで追い詰めたすずかの目は酷く濁っていた。まるでこの世の全てに絶望し、それでもなおたった一つの希望に縋っている愚か者の目つき。単純な実力では並みの魔法少女以上だが、それでも魔法の相性とジュエルシードの魔力を用いれば負けることはない相手だった。 しかし今のすずかの瞳はとても澄んでいる。濁りのない赤い瞳でキリカのことを真っ直ぐ見詰めている。それを見て、先ほどまでのような挑発的な戦い方では勝つのは難しいと、本能的に感じ取っていた。「それともう一つ、織莉子さんのことはすみませんでした」「――ッ!? おまえ、何を今更!!?」 そんなすずかの言葉にキリカは激昂する。謝ったところですずかがやったことの何の罪滅ぼしにもならない。キリカにとって織莉子は全てであり、この世界そのもの。それを無慈悲に奪ったからこそ、キリカはジュエルシードの魔力にまで頼り、関係ない一般人まで巻き込み戦いを挑んだのだ。それを今更謝られたところで、許せるはずがない。「別に許してもらおうなんて思ってないですよ。私だって、キリカさんのことは許せないですしね。でもこれだけは最後に言っておこうと思ったから」「吸血鬼ぃぃぃいいいいい!!!!!」 その言葉にキリカの堪忍袋の緒が切れる。まるで自分が勝つことが当たり前といった自信満々な態度。そして何より、すでに自分は救われてると言わんばかりのすずかの瞳。それがキリカの琴線に触れ、その本気を引き出した。「喰らえ、ヴァンパイアファング!!」 そうして繰り出されるのは必殺の一撃。大量に生成された鉤爪が丸鋸の形で形成され襲いかかってくる。 すずかはそれに対して避ける素振りも見せなかった。正面から火血刀で受け止めると、そのまま軌道を逸らす。しかしそれだけで終わるキリカではない。第二第三のヴァンパイアファングを次々と生み出し、すずかに猛攻を仕掛けていく。また軌道を逸らした最初のヴァンパイアファングも弧を描きながらすずかの背後から迫り来ていた。「――アハハッ、どうだ、吸血鬼。ヴァンパイアの名を冠するこの技と織莉子の愛でとっとと死んでしまいな!!」「……キリカさん、私、言いましたよね。最大の攻撃手段を以って攻撃してきてくださいって。そして私はこの一撃に全ての力を籠めるって」 すずかは火血刀を頭上に構える。真っ直ぐ振り上げた無防備なすずかの身体に、キリカの放ったヴァンパイアファングが食らいつく。すずかの肉を抉り続けるキリカの牙。それでもすずかは刀を振り上げた体制のまま、動こうとしなかった。 そうしている間にも確実にすずかの肉が抉られていく。だがそれは胴ばかりで、火血刀を振り上げた腕や力強く地に足をつけている脚部、そして何より首を飛ばすには至らなかった。 それを不気味に感じたキリカは、すずかの全身に速度停滞の魔法を掛ける。刀を振り上げた無防備な体勢で固定させられたすずかの命を狩り尽くすのは時間の問題だろう。そうキリカは考えていた。「……キリカさん」 だがその考えが間違いだということにキリカはすぐに気付く。「ごめんなさい。私の考えなしの行動があなたをジュエルシードの魔力に頼らせるなんていう結果を招いてしまった」「な、何を言ってるんだ、吸血鬼。これは織莉子が私に教えてくれた使い方で……」「でもそれは、こんなところで使用して良い技術じゃなかったはずですよ。織莉子さんの予測では、半年後に現れる破滅の魔女を生み出す存在が現れるまで、使用は禁じられてたはずです」 織莉子の記憶見たすずかは知っている。彼女が何重にも策を巡らせ、この世界を救おうとしていたことを。ジュエルシードの魔力に頼るのは、その手段の一つであり、そしてその力がもたらす先にある未来もまた、織莉子は知っていた。そしてそのことを織莉子がキリカに伝えてないはずがないとすずかは確信していた。「そ、それは……。でもお前を殺せば織莉子は喜んでくれるはずだから、だから私は……」「そう思わせてしまったことが私の罪。そしてその結果、罪のない一般人を大量に死なせてしまった。だから私はその責任を取らなきゃならない。その事態を巻き起こした元凶と私自身の命を以って――」 だから彼女はここで討たなければならない。ジュエルシードの力によって引き起こされる破滅の魔女を滅ぼした後の二次災害。それをこんな時期に起こしてしまわないために。それが最善の未来につながると信じて。 すずかの強い思いに呼応し、振り上げた火血刀に魔力が集中する。すずかの持つ全ての魔力。彼女の持つソウルジェムが光り輝き、その魂を消費させる。それに呼応するように火血刀もまた熱く燃え、光り輝く。そのあまりの眩しさにキリカは直視することすらできなかった。「――赫血閃・日輪」 そうして振り下ろされる巨大な太陽。何かが砕けた音と共に放たれたそれは剛球となってキリカのヴァンパイアファングを飲み込んでいく。日輪に触れた牙は一瞬の元で蒸発し、跡形も残さなく消えていく。それを見たキリカは、慌ててこの場から逃げ出そうとする。だが日輪の持つ引力がキリカのことを掴んで離さなかった。徐々に徐々に引き寄せられていくキリカ。右目に埋めこんだジュエルシードの魔力を全開にしてその引力から逃げ出そうとするが、精々、その場に留まっているだけで精一杯だった。「嘘だ嘘だ嘘だ。私の織莉子に対する愛がこんなところで負けるはずがない。こんな吸血鬼なんかに私の愛が否定されるはずがない。嫌だ、嫌だよ、織莉子、助けて織莉子。お願いだから。もう勝手にジュエルシードを持ち出したりしないから、だからぁぁぁあああああ!!!!!」 キリカは叫びと共に日輪に飲み込まれる。そしてそれと同時に爆発を起こす。結界を揺るがす轟音。ジュエルシードの魔力と合い合わさって、炎を纏った光の柱がキリカの創り出した結界を打ち破っていった。 ☆ ☆ ☆ 結界が破られたことで、次々と捕らわれていた小学校の子供たちが解放されていく。その中になのはや杏子、クロノやアリサの姿もあった。「すずかちゃん!? すずかちゃんはどこ?!」 結界が解けるのとほぼ同時になのはの周囲を覆っていた炎の檻が消え去ったのを確認すると、彼女はすぐにすずかの姿を探し始める。無事に生還できたことに喜び勤しんでいる生徒たちのことなど一切気にせず、一番魔力の残滓が感じられるところに向かって人目も気にせず駆け寄っていく。 そうしてなのはが目撃したのは、校庭にできた大きなクレーターだった。魔力の余波で抉られた地面と燃え続ける白い炎。そしてその中に倒れている見知った人影。「すずかちゃん!?」 なのはは慌ててその傍に駆け寄る。だがそうして間近まで近付いてなのはが目にしたのは、両腕が大きく焼け爛れ、全身に無数の深い傷のある親友の姿。傍には刀身のない柄だけの刀が落ちており、傍には砕けたソウルジェムの欠片が散らばっている。 なのははすずかの身体を軽く揺さぶろうとする。「熱っ」 だがなのはは反射的に手を離す。すずかの身体はとても人間の体温とは思えないほどの熱を持っていた。そのことがなのはの脳裏に最悪の予感をよぎらせる。「う、嘘、嘘だよね? すずかちゃん? さっき言ってたことは全部、嘘なんだよね? ね、嘘だと言ってよ。ねぇってば!!」「止せ、なのは。もう止すんだ」 すずかに必死に縋りついて泣こうとするなのはを杏子が必死に引き剥がす。「杏子さん、止めないでよ。私はすずかちゃんに、すずかちゃんに……」「なのは、現実を受け入れろ! すずかはもう……」「そんなことない! ようやくさっきすずかちゃんと仲直りができたんだよ。あの時、すずかちゃんはいつものようにわたしに笑いかけてくれたんだよ。わたしのなまえをよんでくれたんだよ。だから、だから――」「諦めろ、なのは。すずかはもう死んじまったんだよ!!」 杏子によって現実を突きつけられたなのはは、その場で力なく膝をつく。焦点の合っていない瞳から、止めどなく涙が溢れてくる。そんななのはの姿を杏子はただ、見ていることしかできなかった。2013/4/6 初投稿