なのはたちが結界に取り込まれ、キリカとの死闘を繰り広げられていた頃、ユーノは結界の外で助け出された子供の治療を行っていた。最初はユーノも結界の中になのはを助けに行こうと考えていた。しかしそれをクロノに止められたのだ。曰く、一般市民であるユーノを危険に晒すような真似は容認できないとのことであり、その言葉は管理局の姿勢としては正しいものであるとユーノ自身も理解していた。 それでも食い下がろうとしたユーノだったが、結界から助け出されてきた少年の姿を見て、その考えは変わった。血まみれになり泣き叫ぶ子供。その左足は使い魔に喰らいつかれたのか、無残に形を歪めている。何人かの管理局員がその子供の元に集まり治癒魔法を使っているが、少なからず後遺症は残ってしまうだろう。 周囲を見渡してみると同様の怪我をした子供が数人おり、目立った外傷のない子供もその多くは何らかのパニックを起こしていた。 そんな惨状を目にしたユーノは、自分の我儘で管理局員を困らせるような真似を止め、その治療を手伝うことにした。なのはを助けに行けないというのなら、せめて助け出された人の傷を少しでも癒したい。そしてなのはが結界から抜けだした時にいち早く駆け寄れる場所にいたい。そう考えての行動だった。 ユーノはなのはの無事を祈りながら子供の治療を続ける。彼女は他の子供とは違い魔導師である。そう簡単にやられるということはないだろうが、それでも結界から助け出された子供の姿を見る度に不安を覚える。なのはは正義感の強い女の子だ。なまじ戦う力がある分、進んで危険に飛び込んで行ってしまう可能性もある。結界の中でクロノや杏子と合流できていれば良いが……。 そんなことを考えていると、突如として結界が爆発するように消失し、そこから青白い魔力の柱が立ち昇る。それはかつて温泉街でも見たジュエルシードの暴走だった。暴走したジュエルシードは轟音を撒き散らしながら地面を揺らす。ユーノは周囲にいる救助された民間人を庇いながら、魔力が収まるのをただじっと待つ。 約一分に渡り暴走し続けていたジュエルシードだったが、次第にその輝きが収まり、静寂を取り戻す。ユーノは暴走の余波に巻き込まれて怪我をした人がいないかと周囲を見回す。すると辺りにいる子供の数が先ほどよりも増えていることに気付く。 それは結界が破壊されたのと同時に取り残されていた人が無作為に解放されたからであった。異空間から見知った青空の元に解放されたことで、安堵の声を上げる子供たち。そんな子供たちの姿を見てホッとしたユーノは、すぐになのはのことを探し始める。【なのは? どこにいるの? 僕の声が聞こえたら返事をして】 辺りを見回しながら念話で呼びかけるユーノ。しかし一向になのはからの返事がない。そのことがユーノに不安を募らせる。 そこでユーノはなのはの名前を呼びながら、辺りを駆け回る。まさかとは思う。それでもユーノは先ほど見た少年の姿を思い出し、その顔色を青くする。見過ごすことがないように一人ひとり丹念に顔を確認しながら、なのはのことを探し続ける。 それでも見つけられないことに焦ったユーノは飛行魔法を使って、上空からなのはのことを探すことにした。仮になのは自身が見つけられなくとも、結界の中に入っていったクロノや杏子ならなのはの所在を知っているかもしれない。そう期待しての行動だった。 そんなユーノの目に飛び込んできたのは、校庭にできた大きなクレーターだった。そこはジュエルシードの魔力が暴走した時に中心地となった場所だった。そこに佇む二人の少女。それはユーノが探し求めていた人たちの姿であった。「なのは、杏子さん、無事だったんだ……ね」 探し求めていたなのはの無事を悟ったユーノは、胸を撫でおろしながら彼女たちの元へと降りていく。だが近づくに連れ、なのはがその胸に誰かを抱いていることに気付く。それはすでに物言わなくなったすずかの遺体だった。「……ユーノくん。杏子さんってばわたしに意地悪なことを言うんだよ。すずかちゃんが死んだって、もう二度と目を覚ますことはないって。そんなこと、ないよね? すずかちゃんは戦いつかれて、眠っているだけだよね」 ユーノが自分の元にやってきたことに気付いたなのはは、沈んだ声で尋ねる。そんななのはにユーノはなんて返事をしていいのかわからなかった。なのはに抱きかかえられているすずかは、とても見るに堪えないものだった。肩口の辺りまで炭化した両腕。腹から胸に掛けて大きく切り裂かれた上半身。誰の目から見ても、すでに事切れているのは明らかだった。「そういえばユーノくんは治癒魔法が得意だったよね? 流石にこのままじゃあ可哀想だから、すずかちゃんを治してあげてくれないかな?」 それなのにも関わらず、なのははその現実を受け入れようとはしない。目から止めどなく涙を溢れさせ、震える声でユーノに懇願する。その姿が酷く痛ましく、思わず視線を逸らしてしまう。「ねぇ、どうして目を逸らすの? ユーノくんはわたしの魔法のお師匠様なんだから、きっとわたしの知らない魔法ですずかちゃんを……」「いい加減にしろ! なのはの気持ちはわかるがすずかはもう――」「いやっ、それ以上は聞きたくない! すずかちゃんが死んじゃったなんて認めたくない! だからユーノくん、早くすずかちゃんを治してよ!!」 それまで黙っていた杏子だったが、なのはの態度に見兼ねて声を挟んだが、なのははそれを拒絶するように目を閉じて耳を塞ぐ。そのあまりにも弱々しいなのはの姿を見て、杏子はとても悔しそうに顔を歪めた。「……ユーノ、悪い。なのはのフォロー、任せてもいいか?」 そして視線をユーノに移すと、疲れ切った声でそう告げる。その時になってようやく、ユーノは杏子の右腕が異様に短くなっていることに気付く。肘から先が存在しない右腕。切断面からは未だに血が流れ続けており、このまま放置しておけば命に関わるであろう深い傷。「……腕のことなら心配いらねぇよ。魔法少女は普通の人間より、頑丈だからな。これぐらいの傷、自力で治すこともできるさ。……尤もそれでも限界はあるけどな」 そんなユーノの視線に気付いたのだろう。杏子は安心させるように優しげな口調で告げる。だがその言葉には悲壮感も込められており。それがすずかのことを言っているということはユーノにもすぐに察せられた。「わかりました。なのはのことは僕に任せてください」 だからこそユーノは杏子の言葉に力強く、簡潔にそう答えた。それを見て杏子は満足そうに頷くと、なにも言わずにその場から去っていった。 その背中を見送ったユーノは、改めてなのはに向き直る。すずかの亡骸を前に涙を浮かべながら語り続けるなのはの姿。それはある意味、この場で一番痛ましいとも思える光景だった。 ここ数日、なのはがすずかのことで悩んでいる様子をユーノは間近で見てきた。如何にすればすずかに自分の力を認めさせることができるのか、そしてすずかが魔女になる運命を覆すにはどうすればいいのか。すずかの行方を探しながら、なのははそれらの方法を必死に考え続けていた。それがこのような形で死に別れることになったのだ。簡単に受け入れられるはずがない。 だがそれでも、なのははすずかの死を受け入れなければならない。だからユーノはそれを受け入れさせるために、なのはと同じ目線になるようにしゃがみこむと、彼女に対し治癒魔法を掛け始めた。そんなユーノの突然の行動に、なのはは驚きの表情を浮かべる。「えっ? ユーノくん、どうして……」「なのはが怪我をしていたから」「そうじゃなくて、どうして先にすずかちゃんを治療してくれないの? わたしのことなんていいから、すずかちゃんを診てあげてよ」「……ごめんなのは。確かに僕は魔導師だけど、それでも死んだ人を生き返らせる魔法は使えないんだ。それにミッドのどこを探しても死者を甦らせる魔法は存在しないと思う」 容赦なくなのはに現実をぶつけるユーノ。その途端、なのはから表情が消える。一瞬にして空気が冷え切り、まるで道端に生えている雑草でも見るかのように、なのははユーノのことを見た。「……ユーノくんも杏子さんと同じようなことを言うんだね。……もういいよ、こうなったらクロノくんとか他の魔導師さんにすずかちゃんのことを診てもらうから」 そう冷たく言い放ったなのははその場から立ち上がると、他の魔導師を呼びに走り去ろうとする。しかしユーノはなのはの腕を掴み、それを止める。「離してよ、ユーノくん。こうしている間にもすずかちゃんが……」「嫌だ、絶対に離さない」 ユーノはなのはの目を真っ直ぐ見つめる。芯の通った強い瞳。そんなユーノの視線に耐えられず、今度はなのはの方から視線を逸らす。けれどユーノはそんなことはお構いもせずに強引になのはを自分の元に引き寄せると、その身体を強く抱きしめた。「ゆ、ユーノくん!?」 突然の行動になのはは戸惑いの声を上げる。そんななのはの動揺など気にせず、ユーノは優しく語りかけていく。「聞いてなのは。僕はあの結界の中で何が起きたのかを知らない。だけどなのはたちの様子を見る限り、とても悲痛で辛いことが起きたんだと思う。それでなのはが悲しむ気持ちもわかる。受け入れたくないって気持ちもわかる。でも僕にとっては他のことが気にならないくらいに、なのはが生きて帰ってきてくれて嬉しかったんだ」 そこでユーノは一度、言葉を区切る。そしてなのはの肩を抱き、改めてその表情を見つめながら言葉を続けた。「僕にとってなのはとても大切な存在だ。掛け替えのない、とても大事な人なんだ。……そしてそれはきっとすずかにとってもそうだったんだと思う。その証拠に彼女はこんな状態になっても優しげに微笑んでいるじゃないか」 その言葉になのはの目が大きく見開かれる。ユーノの言う通り、すずかは傷だらけの肉体とは裏腹に、とても穏やかな表情をしていた。それこそ、まだ魔法に触れる前の日常の中で慣れ親しんだすずかの笑顔とも遜色がないほどに。「すずかが死んだことを悲しむなとは言わない。でもそれを受け入れないのはダメだ。だって彼女はこんな満足そうに眠っているんだよ。それを友達であるなのはが否定するなんて、悲しいじゃないか。だからなのは、今はいっぱい悲しもう。僕も一緒に泣いてあげるから」 ユーノはなのはに笑い掛ける。血だまりの中にいたなのはに触れたことで、ユーノの服も真っ赤に染まっていた。しかしそんなことはまるで気にならないような慈愛に満ちた微笑み。そんなユーノの真っ直ぐな気持ちを受けて、なのははその瞳から失わせた輝きを取り戻していく。それと同時にまるで氷山の一角が崩れるかのように、深い悲しみがなのはの内から湧き出てくる。「…………すずかちゃん、すずかちゃぁぁぁああああん」 その感情に身を任せるかのように、なのはは必死で親友の名前を呼び続ける。正しく死を受け入れ、心の底から打ち拉がれるなのはの姿。そんななのはを慰めるようにユーノは背中をさすりながら、共に涙を流し続けるのであった。 ☆ ☆ ☆ 死者十三名、行方不明者五十六名、重軽傷者合わせて三百十二名、それがキリカの引き起こした事件における最終的な被害者の総数である。額面上は行方不明者と記載されているが、ほぼ間違いなくその五十六名はすでにこの世にいないだろう。あくまで使い魔の食べ残しが判別のつく範囲で確認された人数が十三名であり、それ以外の行方不明者は消去法で五十六名と定められたに過ぎない。実際はすでに骨の欠片も残らず、使い魔に喰われてしまっているだろう。 どちらにしても七十人弱の犠牲者を出したこの事件は、国内有数の凶悪事件としてニュースで大々的に取り上げられていた。新聞では一面を飾り、テレビでは通常時間帯のニュースとは別に緊急特番として取り上げられている。 その際、この事件は『集団幻覚事件』として扱われた。子供たちの笑顔溢れる私立の小学校を襲った悲劇。犯人は小学校に忍こみ、多量の幻覚剤を散布。それを嗅いだ生徒と教師の多くは怪物に襲われる幻覚に囚われ、パニックの中で多大の犠牲者が出たという筋書きだ。 しかし真実は違う。一人の魔法少女が暴走の果てに引き起こし、事件の原因を作ったとも言うべきもう一人の魔法少女がその命と引き換えに終わらせた。もちろん、そのような話を全国ネットで放映するわけにはいかない。地球において『魔法』存在しない。それが世の中に知られる一般常識なのだ。よって魔法に関する事件など、存在してはならない。このような場合、本来ならば事件ごと黙殺するのが常である。しかし此度は犠牲者が多過ぎた。そのために事件を完全に揉み消すわけにはいかず、このような形で真実を隠蔽するしかなかった。 もちろんそれで納得できない人も多いだろう。実際に現場の捜査を行った警察の捜査官や一部のマスコミ関係者などがそうだ。だが真実が公になることは決してない。事件に疑問を抱いたものがいくら口酸っぱく訴えたとしても、真実は闇の中に葬られることになる。その記憶を直接、書き換えられることによって――。「ありがとう。また何かあったら連絡して頂戴」「はい。では失礼いたします」「……ふぅ」 県警本部長との通話を終えた忍の口から自然とため息が零れる。事件発生から二日、忍は事件の事後処理に追われていた。隠蔽工作や遺族への対応、そして今後の対策など、忍は休む暇なく働き続けていた。 何故、忍がそのような真似をしているのかというと彼女が夜の一族であり、月村家当主だからである。今回のような常識外の要因によって引き起こされた事件は、決して一般人に知られてはならない。そのためこのような場合、国内の夜の一族の当主が直接、事件の隠蔽工作を行わなければならない。国内には月村家以外にも夜の一族の名家はあるが、今回は事件が発生した場所が海鳴市ということもあり、その対応を忍が行うこととなったのだ。「……お疲れ様です、忍様。あちらに軽食を用意しておりますので、お召し上がりください」 ぐったりとした表情を見せる忍にノエルは労いの言葉を掛ける。今の電話で一応の一区切りはついたが、それでもまだまだ忍がやらなければならないことは多い。他の夜の一族に事件の推移を説明しなければならないし、それ以前に海鳴市は未だに魔女だらけという現状だ。まだまだ忍の心が休まる時間はないだろう。「ありがとう、ノエル。だけど今は食事をとりたい気分ではないの。少し部屋で寝てくるから、一時間後に起こしてもらえるかしら」「……かしこまりました。おやすみなさいませ、忍様」 忍はノエルの言葉を背に自室へと戻っていく。そしてベッドに倒れ込むと、その顔を枕に埋めた。「すずかぁ……、すずかぁ……」 そのまま枕を涙で濡らしながら、何度も最愛の妹の名を呼ぶ忍。だがいくら呼んでも、もう二度とすずかからの返事は返ってこない。そのことを理解しつつも、すずかの名を呼ばずにはいられなかった。 ――忍がすずかの死を知ったのは、事件が終わってすぐの出来事だった。なのはの手によって運ばれてきたすずかの死体。真っ黒に焼け焦げ炭化した両腕。鋭利な刃物で幾重にも斬り裂かれた身体。伸ばしていた髪が短くなっていることなど気にもならないほどに、すずかの肉体はボロボロだった。とてもまともな死に方ではない。それなのにすずかの表情は何かをやり遂げたかのような、非常に安らかなものだった。 その後、なのはと共にすずかの遺体を運んできたクロノの口から、その死に様が語られる。すずかがなのはやアリサをはじめとした、結界に取り込まれた人々を救うために相手の魔法少女と相討ちとなったこと。元々、相手の魔法少女の狙いはすずかであり、彼女がそのことに責任を感じていたこと。実際にはもう少し詳しい説明がなされていたが、忍の耳に残ったのはこの二点のみであった。 正直なところ、忍にとってすずかの死んだ経緯などどうでもよかった。どんな死に方であろうと、すずかが死んだことには変わりはない。忍にとってすずかは唯一の肉親であり、最愛の妹だった。そんな妹が自分の与り知らぬところでその命を散らした。その事実が忍の胸を締め付けて離さなかった。「……すずか、どうして、どうして魔法少女になんてなってしまったの?」 涙で目を腫らしながら、忍は何度となく考えた問いを口にする。結局、忍はすずかの口から何も聞けなかった。温泉街の夜にした約束も叶うことなく、すずかは逝ってしまった。今にして思えば、あの時に無理やりにでも聞いておけばよかったと思わずにはいられない。 忍はすずかの姉として精一杯やってきたつもりである。すずかが物心つく前に両親が事故で亡くなり、その後はノエルやファリンと協力して一緒に育ててきた。若くして月村家の当主となった重圧と戦いながら、それでもすずかのことは常に気に掛けてきたつもりだった。 だけど結局、すずかが何に悩み、何を願ったのかを忍が知ることはなかった。姉である忍に、すずかは最後まで悩みを打ち明けることはなかった。それが忍には堪らなく悔しく、それでいて悲しかった。「……すずか、ごめんね。お姉ちゃんがもしっかりすずかのことを理解してあげられていたら、こんなことにはならなかったのかもしれないのに……」 忍は自分を責める。いくら自分を責めてもすずかが戻ってこないのはわかっている。それでも忍はもっとすずかのことを理解することができたのではないかと後悔する。まだすずかが赤ん坊だった頃から現在に至るまで、自分の悪かったところを想い起こしては涙し、後悔し続けた。 そうしているうちに今までの疲れもあってか、自然と忍は眠りにつく。そうして見る夢の中でもなお、忍はすずかを失った悲しみをわすれることはなかった。 ☆ ☆ ☆ アリサが目覚めたのは事件から二日後、アースラの医務室でのことだった。アリサの身体にはリンカーコアが存在しない。魔力を持たない人間が、大量の魔力を正面から浴びれば人体に悪影響を及ぼすこともある。そのため、キリカの魔力を正面から浴びたアリサは、アースラにて精密検査を受けることになったのだ。 幸いなことにアリサには魔力による人体への影響は発見されなかったため、その後は地球の病院に搬送することも考えた。しかしそれをなのはが頑なに拒んだのだ。すずかを失ったなのはが恐れたさらなる喪失。未だアリサが目を覚まさない以上、万が一の可能性ということも十二分に考えられる。そんななのはの不安を察したクロノと杏子はその意見を尊重し、少なくとも目が覚めるまではアースラのベッドで寝かせておこうということになった。 そして現在、目覚めたアリサにクロノが掻い摘んで事情を説明していた。簡単に管理局についての説明を終えたクロノは、そのままアリサも巻き込まれた事件についても説明していく。「嘘よ! あたしはそんな話、絶対に信じないんだからね!!」 そうして話が佳境に入ったところで、アリサはベッドから立ち上がりクロノを怒鳴りつけた。肩を上下させ、怒気を露わにするアリサに対して、クロノは淡々と事実を突きつける。「嘘じゃあない。キミには受け入れがたい事実かもしれないが、月村すずかは死んだ」 ――すずかの死。それは彼女の親友であるアリサには到底受け入れられるものではないだろう。だがすずかの死は純然たる事実である。クロノ自身も確認したすずかの死体。無数の外傷があるのにも関わらず、その表情はとても安らかだったすずかの亡骸。 それを思い出し、クロノは自分の首筋をそっとなぞる。キリカの創り出した結界の中でクロノはすずかによって血液と魔力を吸われた。あの時に感じた虚脱感は今でも残っている。実際、血を吸われてしばらくは貧血で立っているのもやっとの状態だった。事件から二日経った今でもその影響は残り、魔力は全体の四割ほどしか回復していない。 何故、彼女があのような行為で魔力を回復できたのか、それはクロノにもわからない。しかし結果的にクロノがあの場で治療したことが原因で彼女を死なせてしまった。 あの時、クロノにはアリサとすずかを連れて結界の外に出るという選択も取ることができたはずだ。そうすれば少なくともすずかが死ぬことはなかっただろう。 しかしながらすずかが命を賭してキリカと戦わなければ、犠牲者がさらに増えていたことは間違いない。実際にキリカと対峙した杏子の話を聞く限り、なのはを含めて三人がかりで挑んだとしてもキリカに勝つのは難しかっただろう。そうなればいたずらに民間人の犠牲は増え、最悪、杏子やなのはも死んでいたかもしれない。 今でもどのような行動を取ることが最善だったのか、クロノにはわからない。だが一つだけ言えることがあるとすれば、それはすずかがあのような結末になったことを後悔していないということだ。 執務官として、クロノは様々な戦場に降り立ってきた。その中で死体を何度も見てきた。こちらが非殺傷設定で戦うとはいえ、相手の魔導師がそうだとは限らない。それに例え非殺傷の魔法だとしても、偶然が重なれば相手を死に至らしめてしまうこともある。 そんな命がけの闘いの中でクロノが目にしてきた死に顔は、苦悶に満ちたものがほとんどだった。苦痛に歪ませた顔。恐怖に引き攣った表情。狂気の笑みを浮かべながら死んでいく姿。相手が凶悪犯罪者、もしくはそんな犯罪者に殺された民間人ということもあるのだろうが、クロノの見てきた死に顔はそういったものがほとんどである。 それに対してすずかの死に顔はとても安らかなものだった。やり遂げたことを誇る満足げな笑み。焼き焦げた両腕や抉られた胴体の傷とは裏腹に、その顔つきは驚くほど綺麗なものだった。 だからクロノはすずかを死なせてしまったことに責任を感じつつも、その在り様を認めていた。命がけで友を、罪のない人々を守り抜いたすずかの姿はある意味で、クロノが目指す管理局員としての理想の一つの体現だった。 もちろん目の前にいるアリサも含めて、すずかのことを以前から知っていたなのはや杏子は彼女の行動を肯定しないだろう。クロノ自身もすずかの行動を尊敬しているし、理解もしているが、その死に納得できたわけではない。 それでも一人ぐらい、すずかの行動を認めてあげる人がいても良いと思う。命を賭して皆の命を救った月村すずかという少女の生き様を。「……信じない、あたしは絶対に信じないわよ。すずかが死んだなんて」 すずかのことを考えながら語られたクロノの言葉に、アリサから強気な態度が消え、どこか悲痛に満ちたものへと変わっていく。それでも彼女は頑なにすずかの死を認めようとはしなかった。「……そうか。ならこの話は一端、終わりにしよう。だがいくら否定したところで事実は変わらない。……彼女の死については僕にも思うところがある。だから僕の話が聞きたくなったら、いつでも呼んでくれ」 そんなアリサの態度を見たクロノは、それだけ言うと医務室を後にする。そうして閉じた扉の向こうから、アリサのすすり泣く声が響いてくる。それを聞いたクロノは医務室の外に待機していた医務官に「しばらく一人にしてやってくれ」と頼み、自室へと戻っていくのだった。 ☆ ☆ ☆ 魔女の結界内で杏子は左腕で槍を振るう。大きく薙いだ槍が魔女の胴に辺り、まるで大砲のように大きく吹き飛ばされていく。その先には杏子が事前に創り出していた無数の槍。まるで剣山のように突き出している大量の槍に向かって吹き飛ばされた魔女は、成すずベなく串刺しとなりその身体を消滅させていく。そうして呆気なく魔女が死に辺りの景色が現実のそれに戻っていくのを見ても、杏子の感情には一切の揺らぎが存在しなかった。 今回、杏子が魔女との戦いに有した時間はほんの数秒である。その中で杏子が使用した魔法は槍を生み出す魔法のみ。幻惑の魔法はもちろん、身体強化の魔法すら彼女は使用しなかった。持ち得る運動能力のみで魔女の攻撃を避け、返しの一撃を食らわした。ただそれだけで杏子は魔女を駆逐したのだ。 決して相手の魔女が弱かったわけではない。今の魔女も管理局の武装隊員ならば八人がかりでやっと倒せるような相手である。クロノでもこれほど短い時間で始末することは不可能だっただろう。それでも今の杏子には物足りない相手だった。『エイミィ、次の魔女はどこだ?』『えっ? もう倒しちゃったの!? まだ前に連絡を貰ってから十分も経ってないのに』『あの程度の相手、物の数にもならねぇよ。むしろ結界の中で魔女を探すのに手間取るくらいだからな』 事実、十分のうち九分は魔女探索に時間を掛けたと言っても過言ではないだろう。道中の使い魔を適当にあしらいながら結界の中で魔女を探すのは、それこそ魔女と対峙するよりも骨が折れることなのかもしれない。『えーっと、そこから三十メートルほど東にいったところに魔女の結界反応は出ているけど……。でも杏子、さっきから休みなしでもう二十体以上もの魔女と戦ってるんだよ。いい加減、少し休んだ方がいいんじゃない? 右腕のこともあるしさ』 そう言ってエイミィは表情に影を落としながら杏子の右腕に目を向ける。見た目だけなら左腕と変わらず存在している杏子の右腕。しかしその実態がないということをエイミィは知っていた。 今、エイミィの目に映っている杏子の右腕は彼女が魔法で生み出している幻惑である。魔法少女である杏子ならば、切断された右腕が残っていれば繋げることもできただろう。しかし杏子の右腕はキリカの結界と共に消失した。すずかがなのはと対話する時間を作るためにキリカの足止めを買って出なければ、杏子は右腕を回収することができたかもしれないが、杏子には一切の悔いはなかった。 それはすずかの死に顔を見たからである。最終的にすずかは満足して逝けたのだ。多くの魔法少女が後悔と怨嗟を残して魔女に殺される中、彼女は納得して死んでいった。すずかと直接、話したのは一度しかない杏子だったが、それでも見知った少女が心残りなく戦いに殉じられたと考えれば、右腕一本など安い代償である。 そもそも切断された右腕がなくとも、再生させることができないわけではない。魔法少女の治癒能力は常人のそれを遥かに上回る。杏子は治癒魔法が苦手なためすぐに再生治療を施すことはできないが、それでも数日の時間を掛ければ元の状態に再生させることは可能であった。 だが現状、右腕の治療に時間を掛けている暇はない。海鳴市にいる魔女の数は日に日に増え続けている。そんな状態の中、杏子が戦線から離脱すれば民間人の犠牲者はさらに増加するだろう。見ず知らずの相手がいくら死のうとも杏子には関係ないが、それによってゆまが危険に晒される可能性を考えると、治療を後回しにしてでも魔女を駆逐しに赴く必要があった。『その辺の魔女なら例え片腕がなくたって余裕で倒せるから問題ないさ。それに腕がないならないで、戦いようがないわけじゃないしね。……っと、そろそろ結界の入り口に着くから話はまた後でな』 もはや作業感覚になりつつ魔女狩りに飽き飽きしながらも、杏子は結界の中に入っていく。――その先で待ち受ける魔女がどのような相手とも知らずに。 ☆ ☆ ☆【なのは、ご飯は部屋の前に置いておくからね。少しずつでいいからきちんと食べるんだよ】【うん、ごめんね。ユーノくん】 ノックの痕、ユーノが部屋の中にいるなのはに声を掛ける。その声になのはは力なく返事をする。そんななのはの様子にユーノは心配したが、それ以上声を掛けることなくその場を後にした。 この二日間、なのははまともに食事をとることができなくなっていた。それはすずかの死に堪えたというのもあるが、それ以上に目の前で使い魔に食べられていく同級生の姿を間近で目撃したのが原因だった。助けを求める声に応えることもできず、その場で血を撒き散らしながら肉塊へと姿を変えていくクラスメイト。何かを口にする度になのはの脳裏にはその光景がフラッシュバックし、胃の内容物を吐き出してしまうのだ。 それでも少しずつではあるが野菜や果物だけなら食べることができていたなのはだったが、未だにすずかを失った悲しみが癒えることはなかった。アースラで眠っているアリサの様子は気になるものの、一日のほとんどをベッドの中で過ごし、自分の世界に閉じ籠ってしまっている。 そんななのはは現在、布団の中で携帯電話を弄り続けていた。画像フォルダに保存されているいくつかの写真。それを延々と眺め続けていた。 しばらくの間は一定のリズムで写真を次から次へと表示していたなのはだったが、ある一枚の写真を目にしてその手を止める。その写真には三人の人物が写されていた。無邪気な笑みを浮かべながら目を輝かせているなのは。そっぽを向きつつも視線だけはきちんとカメラに向けているアリサ。どこか照れくさそうに頬を赤らめつつ微笑んでいるすずか。学校の屋上にある花壇の前で撮影されたその写真は、三人が初めて一緒に撮った写真だった。花壇の前で喧嘩したなのはたちが友達になれた記念にと撮影した思い出の写真。 全てはここから始まった。その後は何をするにしてもほとんど三人一緒で、なのはたちは様々な思い出を積み重ねていった。 ……しかしもう二度と、三人が揃うことはない。すずかは死んだ。これ以上、犠牲者を出さないために皆を救った。その命を犠牲にして――。「……どうして、すずかちゃん、どうしてなの?」 ユーノの言葉で正しくすずかの死を受け入れたなのはであったが、それでも疑問に思わずにはいられない。確かにキリカの力は圧倒的なものだった。経緯は見ていないが、すずかを死の淵まで追い込み、杏子の右腕をも斬り飛ばした。なのははキリカの姿を間近で眺めただけだが、それでも自分の実力では勝てないと否が応でも思い知らされた。 だがあの場にはなのはを含めて四人の魔法使いがいた。四人でキリカに戦いを挑めば、あるいはすずかは死ななかったかもしれない。そう思わずにはいられなかった。「……ううん、そうじゃない。きっとそういうことじゃないんだ」 しかしすぐにその考えが間違いであることになのはは気付く。あの時、杏子はアリサとすずかを助け出し、さらにキリカの足止めをした。クロノは助け出された二人の治療をし、その治療を受けたすずかはキリカを打倒するに至った。皆、自分にできることを精一杯行っていた。 だというのにあの場でなのはが行った行動といえば、不意打ちでキリカに攻撃を仕掛けた。ただそれだけである。今のなのはが放てる最高の攻撃魔法、ディバインバスター。それを背後から当てたのにも関わらず、キリカは傷一つ負わなかった。その後、もう一度キリカに攻撃を仕掛けようとした時には、成す術なく身体の自由が奪われてしまった。 さらに言えばキリカと遭遇する前、使い魔と戦っていた時ですら、なのははアリサを守り切ることができなかった。なのはが目を離した隙にアリサは結界の裂け目に飲み込まれ、彼女を孤立させてしまった。もし運が悪ければ、そのままアリサが死ぬこともあり得ただろう。 なのはは最後に告げられたすずかの言葉を思い出す。「なのはちゃんは魔法なんか使わなくても、誰かを救うことができる人なんだよ」「いつまでも誰かを救える人でいて」。そんな言葉の数々がなのはの胸を締め付ける。 すずかの言葉を否定するような真似はしたくないが、果たしてあの場で誰かを救うことができていたのだろうか。アリサを危険に晒し、杏子に酷い怪我を負わせ、すずかを死なせてしまった。確かになのはがいたから救われた命もあったのかもしれない。それでもすずかが成したことには到底及ばない。キリカの手から皆の命を救い出したのはすずかであり、そしてそれは彼女の持つ魔法少女としての力だった。「……わたしも魔法少女だったのなら、すずかちゃんと一緒に戦うことができたのかな?」 なのはが戦うことをすずかは頑なに否定していた。魔導師であるなのはは魔女と戦うべきではない。それはすずかだけではなく杏子も口にしていた言葉だ。魔法少女にとって魔女から手に入るグリーフシードは生きるために必要不可欠なものである。それ故に魔法少女は魔女と戦い続けなければならない。けれどもグリーフシードを必要としないなのはには、魔女と戦う理由はどこにもない。それが杏子の言い分であり、おそらくはすずかも同様の理由でなのはが戦うのを嫌っていたのだろう。 戦う覚悟はなのはにもあった。誰かを守りたいという気持ち、そこに偽りはない。さらになのはには戦う力もあり、魔力量だけで言えばユーノやクロノよりも多いとお墨付きをもらっていた。――だけどそれだけでは全然足りなかったのだ。すずかと杏子は魔法少女。それに対してなのはは魔導師。その絶対的な違いが、戦いに対する覚悟の違いを生み出していた。 そのことに気付いた時、なのはの目から自然と涙が零れ出す。この二日間で枯れるほど泣いたはずなのに、それでもなのはの悲しみは止まらない。 織莉子の口から魔法少女の末路について聞かされた時、周りからどんなに反対されようともキュゥべえと契約すれば良かったのだ。そうすればアリサが危険に晒されることも、杏子が右腕を失うこともなかった。そして――。「あの時、皆に反対されてでもわたしが魔法少女になっていれば、すずかちゃんは死ぬことはなかったのに!!」 心の中をの後悔を吐き出すようになのはは叫びを上げる。枕を涙で濡らし、自分の無力さを痛感する。「――それがキミの望みかい?」 その言葉はあくまで、なのはの心の内の叫びだった。返事など期待せず、ただ思うがままに口から出た言葉。だというのになのはの言葉には予想外の返事があった。思わず声のする方を向くと、そこにはキュゥべえがいた。まるで最初からそこにいたかのように、キュゥべえはその場に佇んでいる。「キュゥべえ、くん?」「久しぶりだね、なのは。こうして直接話をするのは、あの夜以来かな? ……ところでキミは今でもボクと契約する気はあるのかい? キミが望むならどんな願いだって叶えてあげるよ」 キュゥべえは瞳を妖しく輝かせ、なのはに問いかける。そんなキュゥべえの悪魔の言葉は、今のなのはにはまるで天使の囁きのように聞こえたのであった。2013/4/18 初投稿2013/5/12 一部描写加筆&修正