まどろんでいた忍の意識を覚ましたのは、扉を叩くノックの音だった。はじめ、それをノエルが忍を御輿に来てくれたものだと思った忍は目を擦りながら起き上がり、そのままドアを開けようとする。「忍、今、少しいいか?」「きょ、恭也!? ちょっと待って」 だが扉の外から聞こえてきたのは恭也の声だった。予想外の出来事に忍は慌てふためき、手近な手鏡を見ながら涙の跡を拭き、乱れた髪を整えていく。「ごめんなさい、待たせちゃって」 そうして約一分後、簡単に身なりを整えた忍は扉を開けて恭也を部屋に招き入れる。「いや、こっちの方こそ急に押しかけて悪いな」「それは別にいいんだけど……。でも今日はどうしたの? いきなり尋ねてくるなんて珍しいじゃない」 忍と恭也は恋人同士ではあるが、なるべくお互いに連絡を入れてから会うようにしている。それは忍が夜の一族で、月村家の当主であることが関係していた。恭也はある程度、忍の口からa夜の一族についての事情を聞かされており、その上で恋人として支えている。しかし二人の関係はあくまで恋人であり、少なくとも今はまだ一生涯の伴侶というわけではない。それ故に現状では恭也に一族の秘密を全て伝えることができないでいた。 もちろん忍としては将来的にはそういった事情を全て話したいとは考えている。しかし月村家の当主と言っても夜の一族全体からみれば彼女はまだ若輩者。例え恋人とはいえ一族の秘密を独断で語るような真似をすれば、罰は免れない。そういった関係上、不用意に恭也が夜の一族の秘密を知ることのないように、月村邸を尋ねる時は事前連絡をもらう取り決めをしていたのだ。 だからだろう。忍の言葉に恭也は申し訳なさそうな表情を見せる。そんな恭也の心の機微を感じとった忍は慌てて弁明する。「あっ、違うのよ、恭也。別に私は怒っているわけじゃなくて……」「わかってる。だけどなんとなく、先に連絡していたら忍は会ってくれないような気がしてな」「…………そうね、確かに恭也の言う通りかもしれないわね」 恭也の言葉に忍は言葉を詰まらせる。だがすぐにそれを肯定した。 今にして思えば、忍はすずかの死を知ってから、意図的に恭也のことを頭の中から消し去っていたように思う。すずかの死んだ悲しみを一族の責務で誤魔化し続け、不意に空いた時間も一人になって涙を流す。だがもし、悲しみに暮れている時に恭也が傍にいたらどうだろう。おそらく忍は恭也に甘えてしまうはずだ。自分を律することができず、一族の責務も忘れ、恭也に依存してしまっていただろう。 それが忍には怖かった。すずかの死は忍の心にぽっかりと穴を空けた。その穴を埋めるために恭也に縋る。そうしてすずかのことを忘れようとしてしまうことを、忍は何よりも恐れたのだ。「きっと恭也は私のことを心配して来てくれたんだと思う。そのことに関しては凄くうれしいし、本音を言えば今すぐにでも胸を借りて泣きたいくらい。でもそうしたらきっと、私はもう二度と、一人で立ち直ることができなくなると思う。だから……」「それ以上は言わなくていい」 忍の言葉を制した恭也は、彼女が瞳に溜めている涙をそっと拭う。涙を拭われたことで忍は自分が泣いていたことに気付く。「……正直なところ、忍のことが心配だったという気持ちもあるが、それ以上に俺自身が忍に会いたかっただけなのかもしれない」「…………えっ?」 さらに次いで恭也の口から紡がれた恭也の予想外の言葉に、忍は驚きの感情を浮かべる。「あれから二日、なのはは未だに自分の部屋から出てこようとしない。それに町の中では未だに多数の行方不明者が出続けていると聞く。そんな中で、忍がどうしているか、酷く不安で心配だったんだ」 なのはのことは初耳だったが、行方不明者の件はすでに忍の耳にも入ってきていた。一週間ほど前から多数出ている海鳴市内での行方不明者。警察署に届けられた捜索願の数は有に百数件にも上っていると聞く。届け出が出ていないものも含めれば、その数はさらに増えるだろう。そしてその原因は間違いなく、市内に充満している魔女に違いなかった。「……実を言うと昨日、魔女と戦ったんだ。その中で使い魔程度なら相手になったが、魔女が相手では互角の戦いをするのが精一杯だった。時間を掛けてなんとかその一体を倒すことはできたが、それだけで俺は集中力を使い果たしてしまったよ。もしその状態で別の魔女の結界に取り込まれていたら、俺は生きて帰ることができなかっただろう。今まで御神の剣士として修練を重ねてきたつもりだったが、自分がまだ未熟だと思い知らされ――」 そこまで口にしたところで、部屋の中に大きな破裂音が響き渡る。それは忍が恭也の頬を思いっきり平手打ちした時に発生した音だった。そのあまりの鋭さに恭也はぶたれるまで、反応することすらできなかった。「馬鹿ッ! どうしてそんな無茶な真似したのよ! いくら恭也が強いからって魔女と戦うなんて!! 恭也は夜の一族でも魔法使いでもないのよ。もし万が一、すずかみたいに死んでしまったら、私はどうすればいいのよ」 大粒の涙を零しながら忍は顔を歪ませる。先ほどまでなるべく見せないようにしていたすずかを失った悲しみごと恭也にぶつける。 恭也にしてみれば魔女と戦ったのは少しでも早くこの町に平和を取り戻すためだった。すずかを死に追いやり、なのはをも巻き込んだ事件。その根底にあるのは魔女という化け物の存在である。それを駆逐すればなのはも安心して部屋の外に出てくるようになり、忍の負担も減る。そんな考えからの行動だった。 だが目の前で泣き喚く忍の姿を見て、それがどんなに浅はかな行動だったのかを恭也は改めて悟る。どんなに気丈に振る舞おうとも、忍がすずかを失った悲しみがなくなったわけではない。そんなこと恭也が一番わかっていたはずなのに。「……すまなかった、忍」 だから恭也はただ一言、申し訳なさそうに謝罪する。不必要に自分の命を危険に晒してしまったこと、そして忍を不安にさせてしまったこと。それを心の底から反省する。「……恭也、お願いだからもう二度と、そんな無茶な真似はしないで」 そんな恭也の胸にしがみつき、忍は懇願する。目を大きく腫らした忍の泣き顔を見て、恭也は決意する。もう二度と、忍を悲しませるような真似はしないと。そして彼女を守れるぐらいの強さを手に入れようと。 ☆ ☆ ☆≪――動かないでください≫ 飄々とした足取りでなのはに近づこうとしているキュゥべえに、レイジングハートが待ったの声を掛ける。なのはのことを気遣い、黙って見守っていたレイジングハートだったが、キュゥべえのような存在が現れたとなれば話は別である。≪どのような方法を用いてマスターの部屋に侵入したのかはわかりませんが、それ以上マスターに近づかないでください≫ 明滅するように赤く光りながら、キュゥべえに対して警告するレイジングハート。しかしキュゥべえはその言葉で怯んだ様子はない。なのはの元に近づくのを止め、代わりにレイジングハートが置かれているなのはの机の上に飛び乗った。「これは驚いたね。キミのデバイスもインテリジェンスデバイスだったのか」 そうして見降ろすようにレイジングハートを眺めながら、感嘆に満ちた声を上げる。インテリジェントデバイスについてキュゥべえが知っていたのは、プレシアからもたらされた情報によるものだ。魔導師というキュゥべえの知らない魔法体系。それに対する知識は今、こうしている間にもプレシアからもたらされ続けている。プレシアの研究内容や彼女が抱いている願いなど、肝心な部分は未だに聞き出すことはできていないが、それでも次元世界についての基本的な知識をすでにキュゥべえは身につけていた。「しかし話をするためにやってきただけなのに、そこまで警戒されるなんて心外だよ。せめてとりつく島ぐらい用意してもらいたいところなんだけど」≪マスターの部屋に無断で侵入した貴方にそんなものがあるとでも?≫「……やれやれ。そういうことなら今日のところはこのまま帰るとするよ。ボクには他にもやらなければならないことが山積みだからね」 キュゥべえはなのはに背を向けて立ち去って行こうとする。それを見て安堵するレイジングハート。だが意外にも、そんなキュゥべえをなのはが呼びとめた。「待って、キュゥべえくん。わたし、キュゥべえくんにどうしても聞きたいことがあるの」≪マ、マスター!?≫ そんななのはの行動にレイジングハートは戸惑いの声を上げる。「ごめんね、レイジングハート。でもわたし、どうしてもキュゥべえくんに聞いておきたいことがあったから」≪……わかりました。ただし警戒は怠らないでください。相手はすずかを魔法少女に仕立て上げた張本人なのですから。せめて何があってもいいようにバリアジャケットは展開しておいてください≫「うん、ありがとう、レイジングハート」 なのははレイジングハートの忠告を素直に従い、シーリングモードでレイジングハートを握りしめて、バリアジャケットを展開する。そうして改めて、キュゥべえに向き直った。「まったく、呆れるほどの念の入りようだね。ボクには何の力もないっていうのに。……それでボクに聞きたい話ってなんなんだい? あとでボクの話を聞いてくれるのなら、何でも話してあげるよ」「――それじゃあ教えて。どうしてすずかちゃんがキュゥべえくんと契約して魔法少女になったのかを」 そうしてなのはは予てより抱いていた疑問をキュゥべえにぶつける。そもそもおかしい話なのだ。なのはの知る限り、すずかは虫も殺さないような性格の女の子である。そんな彼女がどうして魔法少女などという戦いの中にその身を置くことになったのか。それがなのはにはどうしても不思議だった。「そうか。実を言うとね、ボクがなのはに話をしに来た理由の一つもそれなんだ。すずかはなのはのことをかなり気にしている様子だったからね。本来ならば魔法少女が死んだ後のアフターケアなんてする必要はボクにはないんだけど、それでもなのはには聞く理由があると思ったからさ。……しかしどこから話したものか」 思いもよらないキュゥべえの言葉に、なのはは考え込むように押し黙る。キュゥべえに対してなのはが抱く感情は複雑だ。キュゥべえがいなければすずかが魔法少女になり、命を落とすことはなかった。そういう意味では、キュゥべえもまたキリカと同様に憎むべき対象である。 しかしその一方でキュゥべえはなのはの知らないすずかの姿を知っている。さらにキュゥべえと契約すれば、このような悲劇をもう二度と起こさないための力を手に入れることもできる。それ故になのははどのようにキュゥべえと接すればいいのかわからなかった。「……それじゃあキュゥべえがすずかちゃんと契約しようと思った理由から教えてくれないかな」 拒絶する心と求める心。相反する感情の中で揺れ動きつつ、なのはは尋ねる。その質問に対して、キュゥべえは機械的な口調で淡々と答えていく。「それはすずかの他に魔法少女の素養を持つ子がいなかったからだよ。ボクが探した限り、この町に住んでいて魔法少女となり得る素養を持つ子はなのはとすずかの二人だけだった。だけどなのはのことを見つけ出した時には、すでにキミは魔導師になっていたからね。だからボクはすずかと契約することにしたんだ」 今でこそ魔導師であるなのはやフェイトと契約しようと目論んでいるキュゥべえであったが、それは魔導師についての知識をプレシアから聞き出せたからに他ならない。事前知識のない状態では、魔導師を魔法少女として契約することができたのかもわからないし、何よりユーノに自分の存在が知られることは危険であると考えていた。結果的にそのどれもが杞憂であったわけだが、そのためにキュゥべえの動きが束縛されていたのは自由だろう。「すずかちゃんは、キュゥべえくんとの契約を嫌がったりすることはなかったの?」「うん、悩む時間が欲しいとは言っていたみたいだけど、嫌がる様子はなかったね。おそらくだけど、その悩む時間も願いを決めるための時間じゃなくて、魔法少女になるかどうかを決心をつけるための時間だったと思うしね」「そう、なんだ」 その言葉を聞いて、なのははさらに疑問を募らせる。キュゥべえの口ぶりでは、まるですずかは最初から何らかの願いを抱いていたように思える。そしてその願いを叶えるためにすずかはキュゥべえと契約した。果たしてその願いというのは、いったいどのようなものだったのだろう。 なのはの目から見て、すずかは決して不幸な少女ではなかった。家族に愛され、友達もいる。常日頃からすずかと一緒に行動していたなのはにも、すずかが落ち込んだ様子を見せたことはほとんどない。強いてあげるとすれば、月村邸に住んでいる猫が死んでしまった直後くらいであろう。 なのはにとってすずかは掛け替えのない親友だ。それは間違いない。それなのにも関わらず、すずかが抱いていた願いの見当すらなのはにはつかない。それがとても悲しく、悔しかった。 すずかが何を願っていたのか、その答えを得るのは簡単だ。今、この場でキュゥべえに尋ねればいい。今ならどんな質問にもキュゥべえは答えてくれるだろう。 しかし果たして、それでいいのだろうか。すずかが胸の内に秘め続けた願い。それはすずかにとって、何よりも大切な願いだったはずだ。例えもう二度とすずかに会えないのだとしても、それを第三者の口から聞き出すことに、なのはは抵抗を覚えた。「……ねぇ、キュゥべえくん、結局、すずかちゃんは何を願って魔法少女になったの?」 それでもなのはは聞かずにはいられなかった。すずかが一体、どんな想い抱いて最期まで戦い抜いたのか。その真実が知りたかったから。 ☆ ☆ ☆ 結界の奥に向かう道中で襲いくる使い魔を片手間で倒しながら、杏子は進んでいく。この二日の間に彼女が倒した魔女の数は有に百体を越えていた。それほどの数の魔女とこの短期間で戦うというのは、一見するととても無謀な行為に思える。だがそれには訳があった。 キリカの事件以降、海鳴市で発見される魔女の数が急激に増えていたのだ。今、杏子が潜っている結界と先ほど杏子が戦っていた結界の距離はたった三十メートルしかない。成人男性ならばほんの二十秒程度で歩けてしまうような距離。それほど近くに魔女の結界が複数できることなど通常ならばあり得ない。しかし今の海鳴市には、それが当たり前のように起きている。 それ故に杏子だけではなく、戦える管理局員は皆、ほとんど休む間もなく魔女と戦い続けていた。幸いなことにすでに海鳴市に出現する魔女の種類は管理局でも把握している。グリーフシードから孵る魔女は元の魔女の亜種であることがほとんどであるため、一般の武装隊員でもチームを組んで挑めば難なく倒すことができるようになっていた。しかしそれでもその数の多さにすでに何人かの局員は怪我を負い、戦線から離脱している。 杏子や管理局は知らないことだが、この二日で魔女が急激に増え始めたのはすずかの死が関係していた。すずかは死ぬまで毎日のように数百体もの魔女を屠ってきた。人間であることを止め、この町の人々を守るために身を粉にして戦い続けていた。だからこそ今まで魔女による被害を最小限に抑えることができていたのだ。それがなくなれば飽和状態になるのは至極当然の話だった。 ――そして増え続けた魔女がこの先どうなるのか、杏子はすぐに思い知ることになる。 少し迷った末に結界の最奥に到着した杏子が見たものは、異質な光景だった。通常、魔女の結界の中に存在する魔女の数は一体であることが常だ。しかし現在、杏子の目の前には四体の魔女がいる。赤い薔薇を咲かした巨大な植物型の魔女。黒いクレヨンで人型に塗り潰されたような実態のない魔女。四つ首を持つ蛇型の魔女。そして西洋の騎士甲冑に身を包んだ人型の魔女。そんなどこかで見たことのあるような四体の魔女が幾重にも折り重なり、互いに喰い合っていた。「……どうなってんだ、おい」 思わず口から出る疑問の言葉。しかしこの場に、杏子の問いに答えてくれるような相手はいない。この場にいるのは言葉を介さない四体の魔女のみである。 杏子は何が起きているのかを把握するために、目を凝らして魔女の様子を観察する。蛇の魔女の口の一つが大きく開き、そのまま西洋甲冑の魔女を一飲みにする。さらにそれに呼応するかのように、植物の魔女が蔦を伸ばし、西洋甲冑の魔女を飲み込んだ蛇の頭を絡め取る。飲み込まれた西洋甲冑の魔女は蛇の頭を切り裂き、その切り口から脱出を図ろうとする。しかし鎧が引っかかっているのか、その上半身しか這い出てこなかった。だがその甲冑には先ほどまでなかったクレヨンで描かれた落書きのような模様が描かれている。 それからも四体の魔女は互いに互いの身体を重ね合わせ、徐々にその身体を一つに纏めていく。それは決して見た目だけの出来事ではなく、その内から放たれている魔力もまた、より禍々しく強力なものへとブレンドされていった。「……チッ、ボーっと眺めている場合じゃないな」 しばらく茫然と眺めていた杏子だったが、このままでは厄介なことになると感じ、槍を手にして魔女の群体へと突っ込んでいく。するとそれまで杏子のことなど意に介してなかった群体から無数の蔦が伸ばされる。それを避けつつ一気に懐に潜り込もうとした杏子だったが、無策に飛び込むことを本能的に避け、ロッソ・ファンタズマを囮に使う。「なっ……!?」 そうして突っ込ませた杏子の分身体は、蔦から放たれる青い液体に貫かれ一瞬の内に消失する。分身体を通過した青い液体は地面に付着すると、その場で毒々しい蒸気を発生させた。さらによく見ると、伸びてきている蔦の一つひとつの先端には小さな蛇の頭があった。どうやら青い液体はその口から吐き出されたものらしく、今度は杏子の本体に向かって射出される。 蛇、そして毒素を持つ青い液体。それはかつて杏子の見守る中でクロノが戦った蛇の魔女の攻撃方法だった。しかし蛇の魔女にはあのような蔦はない。あれは植物の魔女の身体の一部であったはずだ。 そんな疑問を抱きつつ、魔女の様子を眺めていると、いくつかの蔦が不自然な動きをしている事に気付く。地面に先端を擦りつけているいくつかの蔦。それはまるで何かを描いているような動きだった。そう考えた時、杏子は温泉街で出会った魔女のことを思い出す。杏子が直接対峙したわけではないが、その攻撃方法と使い魔の生み出し方を杏子はなのはとの会話で聞かされていた。 そしてその記憶通りに、地面から複数の人型が現れる。しかしその形はただの人型ではなく、まるで騎士甲冑でも身につけているような勇ましいものだった。皆が一様に剣を持ち、鎧に身を包む姿は、西洋甲冑の魔女のシルエットとほぼ同一のものだった。「おいおい、冗談きついぜ」 そこまで見て、杏子はようやく四体の魔女が合体したという現実を受け入れる。歪な形ではあるが、互いに互いを喰い合い、その長所を融合させた姿に杏子は忌避すら覚える。その背中にびっしりと冷や汗を掻き、目の前の魔女をどのように攻略するかを考える。 もしこれが魔女を四体同時に相手にするだけならば、杏子はここまで危機感を覚えなかっただろう。しかし今、目の前の相手から感じる魔力の禍々しさはキリカほどとは言わないまでも、驚異的なものだった。「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!!」 耳を劈くような魔女の咆哮。群体と化した魔女は歪な身体でありながら素早く動き、杏子へと襲いかかる。無数の蔦と騎士型の使い魔を用いた波状攻撃。騎士の攻撃を槍で受け止めることはできるが、毒液は命中するだけで致命傷だ。攻撃を凌ぎきることは可能だが、一向に魔女の本体へと近づくことができなかった。 そうしている間にも杏子は徐々に結界の隅へと追い詰められていく。彼女としてもこれ以上、時間を掛けるわけにはいかない。魔女が融合するなど、杏子でも知らなかったことなのだ。クロノは別にしても、もし他の武装隊員がこのような相手と遭遇すれば一溜まりもないだろう。だから杏子は一刻も早く目の前の相手を始末し、その情報をエイミィに伝える必要があった。 そこで杏子は賭けに出る。ロッソ・ファンタズマを使っての撹乱攻撃。本体と二体の分身を分散させ、三方向から一気に攻め立てる。作戦と呼ぶにはおこがましいが、それでも状況を打開するにはこれしかない。 しかし杏子は失念していた。ロッソ・ファンタズマを使えば目視では決して見分けのつかない分身体を生み出すことが可能である。だがそれはあくまで視覚に頼った相手にのみ有効な魔法である。視覚情報に頼らない相手には、いくら分身を生み出したところで意味はない。「なっ……!?」 それ故に目の前から伸びる蔦は分身体に目もくれず、杏子に迫りくる。攻撃の密度が下がることを期待していた杏子は、すでに前傾姿勢で踏み込んでしまった。そんな杏子に向かって吐き出される毒液。まるで散弾銃のように放たれる毒液に隙間などなかった。「こんなところでやられてたまるかよ!!」 万事休すかと思われた杏子は、とっさに身体を捻りながら右腕を突き出す。肘から先は実体のない幻の右腕。それが霞と消え、代わりに腕と同等の太さの槍が飛び出してくる。そしてそれを力任せに大きく薙ぎ、飛んできている毒液を付着させながら周囲の蔦を薙ぎ払う。そうしてできた僅かな隙間に、杏子は身体を滑り込ませる。「……くぅ」 僅かに触れた毒液が杏子の肌に染み込み、骨を溶かす。その痛みに表情を歪めるが、それを無視して魔女の本体に槍を大きく突き立てる。刺さったのは蛇の魔女の頭の一つ。そこに杏子は魔力をありったけ注ぎ込みながら、大きく切り裂いていく。そのまま植物の魔女の花弁を斬り上げ、西洋甲冑の魔女の上半身に向かって思いっきり振り下ろす。そして槍を突き立てまま杏子は魔女から距離を取り、槍に込めていた魔力を爆発させる。 そんな杏子の渾身の一撃を受けた魔女は、大きく音を立ててその身体を崩壊させていく。周囲には赤い花弁を散らし、西洋甲冑は中身が抜けたようにその場で崩れ落ちていく。蛇の胴体は干からびたように縮こまり、いつの間にかその全身に描かれていた不気味な紋様は消え去っていた。そうして息絶えた魔女の群体は、その場に四個のグリーフシードを残して結界を消滅させた。「ああー、つかれたー」 魔女が死んだのを確認すると、杏子はその場で大の字になって倒れ込む。目に映るのはどこまでも広がる青い空。そんな空に向かって杏子は腕を伸ばす。そうして伸ばした肘から先のない右腕を見ながら、杏子は先ほどの戦いを振り返る。 ――右腕の仕込み槍。よく映画などで見る義手に武器を仕込んでおき相手の不意を突くという戦術。武器は刀や銃など様々だが、本来武器などないと思ったところからいきなり飛び出してくるというのは、不意打ちとしてかなり有用な策である。それを杏子は幻惑の魔法で再現した。「実践で使ったのは初めてだったが、まさかここまで有効だとはな」 だがそれはあくまで机上の空論。腕の再生に当てる時間がなかった杏子が考え出した苦肉の策である。実際、今回の戦いでは役に立ったが、常に右腕の幻惑の中に槍を隠し持つというのは思いの外疲れる。それまでの疲労もあったのだろうが、杏子はどうにもその場から起き上がる気にはならなかった。「でもま、とりあえずさっきの魔女のことをエイミィたちに伝えないとな」 そう思って杏子は管理局に通信を繋ごうとする。だがそんな杏子の思惑虚しく、彼女は結界に取り込まれてしまう。突然のことに警戒の表情を浮かべる杏子だったが、すぐにその警戒を解く。それはこの結界が魔女の創り出した結界ではなく、魔導師が創り出した結界だったからである。そして今、この状況で杏子を結界に取り込む魔導師は一人しかいない。「……久しぶりだな、フェイト」 そうして姿を見せる金髪の魔導師。杏子は親しみを込めてその名を呼ぶ。それに対してフェイトは暗い面持ちで杏子の右腕のあった場所を見つめるのであった。2013/5/12 初投稿