目の前に横たわる杏子の姿をフェイトは無言で見つめる。それは彼女がなんて声を掛けていいのかわからなかったからだ。 キリカの起こした事件の顛末は、フェイトも知っていた。結界の中でクロノと別れた後、フェイトは何度も結界の中と外を往復し、取り残された子供たちの救出を行っていた。管理局に自分たちがこの場にいることを悟られないようにしながら、状況の推移を見守っていた。そして隙あれば、結界の奥にあるジュエルシードを奪おうと考えていた。 しかし結界が解けた後にフェイトが見たものは、すずかの亡骸を抱くなのはと右腕が切断された杏子の姿だった。その傍らにはジュエルシードも落ちており、もしフェイトが何の感情も抱かずにジュエルシードを奪おうとすれば、簡単に奪うことができただろう。 ――だがフェイトはそんな見知った少女たちの姿を見て、動くことができなかった。 杏子とは時に激突し、時に共闘する中でその実力はフェイトも嫌というほど理解していた。出会い方こそ諍いのあるものだったが、今ではフェイトも杏子のことは内面的にも実力的にも信頼している。そんな彼女があのような手酷い傷を負ったことが、フェイトには到底信じられなかった。 なのはとはジュエルシードを奪い合う関係だというのに、どうにも敵視できない相手である。それは温泉街でジュエルシードが暴走した時、助けてくれたからだろう。もちろんジュエルシードの奪い合いということなら容赦はしないが、それ以外の理由で不必要に敵対するつもりはない。 そしてすずかは、この町に来て初めて出会った少女である。最初はフェイトが助ける形で出会い、結果的にすずかに助けられた。それまでは魔法とは一切、縁のない生活を送っていたはずなのに、キュゥべえと契約して以降のすずかは驚異的なスピードで力を身につけていった。その果てしない魔力にはフェイトも抗うことができず、最終的には望まぬ形で別れることになり、ずっと気に掛けていた。 そんな彼女は今、物言わぬ死体となっている。その事実を目の当たりにしてフェイトは衝動的に駆け出そうとする。「ダメだよ、フェイト」 しかしそれはアルフに止められる。なのはたちがいるのは校庭の中心。周囲には無数の管理局員がおり、助け出された子供たちの治療を行っている。そんな中に無策で飛び込んで行けば、いくら今回に限り、クロノに便宜を図ってもらっているとはいえ、捕らわれてしまうだろう。「でもアルフ、すずかが……すずかがっ!!」「そんなのあたしにもわかってるよ! だけどあたしたちが行ったところでどうなるってんだい!」 アルフは悔しげに歯を噛み締め、拳を握りしめる。結界の奥で何があったのか、気にならないと言えば嘘になる。できることならすずかをあんな目に合した奴を殴り付けなければ気が済まない。しかしそれを行ったであろう魔女はすでになのはたちが討伐したはずである。今更顔を見せても、何の意味もないだろう。「フェイト、今日のところは一端帰ろう。それで改めて杏子に話を聞きに行こう」 元々、フェイトが結界の奥に行かなかったのは、その消耗が激しかったからである。ジュエルシードを吸収した魔女の相手をするのは荷が重く、仮に倒せたとしてもその後はジュエルシードを巡って管理局と争わなければならない。そんな分の悪い賭けをしないためにも、クロノとの取引に応じ、結界内に取り残された子供たちを助けることを選んだのだ。「……うん、そうだね」 それがわかっているからこそ、フェイトはアルフの言に従った。管理局に気付かれないようにこの場から去り、自分たちの隠れ家に戻る。その目から無数の涙を溢れさせながら――。 それからの二日間、フェイトは碌に眠ることができなかった。すずかを死に追いやり杏子に深い傷を残した事件、そしてキュゥべえから告げられた契約の話など、様々な事柄がフェイトに重く圧し掛かる。無意識のうちに答えの出ない問題に頭を悩ませ、フェイトの意識を疲弊させていた。 それでもフェイトはジュエルシードの捜索を止めることはなかった。それはプレシアの頼みであるということももちろんあったが、それ以上に動いている間は余計なことを考えずに済んだからである。しかしいくら探してもフェイトの魔力探知に引っ掛かるのは魔女の創り出した結界ばかり。肝心のジュエルシードは一個も見つけることができなかった。 杏子を見つけたのはそんな矢先の出来事である。満身創痍で倒れ伏す杏子。魔法少女の姿のまま横たわる杏子が、つい先ほどまで魔女と戦っていたということはフェイトにもすぐにわかった。 フェイトの視線は自然と杏子の右腕に向かう。左腕に比べて半分ほどの長さしかない痛々しい右腕。すでにその傷は塞がっているが、切断されたことには変わりはない。そんなハンデを背負った状態で魔女と戦っていたという事実にフェイトは驚きを隠せず、杏子の前に姿を現すことができなかった。「でもま、とりあえずさっきの魔女のことをエイミィたちに伝えないとな」 そんなフェイトに杏子は一切気付いた様子もなく、管理局に通信を繋ごうとする。それを察したフェイトはとっさに、杏子を巻き込む形で結界を展開する。今を逃せば、次に杏子と話をする機会を得られるのはいつになるかわからない。それ故の行動だった。 とっさのこととはいえ、まだフェイトの中で整理がついたわけではない。話したいことはたくさんあったはずなのに、なんて声を掛けていいのかわからない。「……久しぶりだな、フェイト」 そうやって逡巡していると、杏子の方から声を掛けてくる。身体を起こすような真似はしなかったが、その視線は真っ直ぐフェイトの方に向けられていた。そんな杏子の瞳に晒され続けたフェイトは、渋々といった具合で姿を現し、杏子の元に近づいていく。「……うん、久しぶり、杏子」 そうしてやっとの思いで出せたのは、そんな当たり障りのない言葉だった。そんなフェイトの態度に杏子は不思議がるが、その視線が今は無き自分の右腕に向いている事に気付き、得心がいく。「ああ、この右腕のことか? この前、少しドジっちまってな。でも安心しろって、魔法少女やってりゃ、こんな傷は日常茶飯事だからな」 杏子はさも大したことのないように笑みを浮かべる。だがそれが逆にフェイトの琴線を刺激した。「……どうして杏子はそんなに傷ついてまで、魔女と戦うの?」 そして思わずその疑問が口から飛び出してしまう。遠くから眺めている時は右腕の傷しか気付かなかったが、こうして近づいてみると杏子が全身に無数の傷を負っているのがわかる。左腕や両足の至るところに爛れたような傷がある。おそらくは先ほどの戦いでついた傷なのだろう。実際に杏子の戦いを目撃したわけではないが、もし杏子に右腕があればここまでの傷を負うことはなかっただろう。「どうしてって、そりゃあたしが魔法少女だからに決まってるだろ? 魔法少女である以上、魔女を倒してグリーフシードを手に入れなければ、いずれは魔力が枯渇しちまうからな。別世界の魔導師であるフェイトにはわからないかもしれねぇけど、この世界の魔法少女っていったらそんなもんだぜ」 魔法少女は基本的に打算的な生き物である。失った魔力を供給できるグリーフシードという利益のために魔女と戦う。言わばそれが魔法少女の仕事なのだ。 そして現在の海鳴市は絶好の狩り場。どこを歩いても魔女が闊歩しているというこの町の現状は魔法少女である杏子の目からしても異常である。もちろんそんな利己的な理由のみで戦っているわけではないが、そのような側面があるのは間違いない。だからこそ、杏子は管理局と連携して魔女を狩っているのだ。「でもそれでそんな怪我をしたり、死んじゃったりしたら元も子もないよ!!」 だがそんな理由ではフェイトは納得することはできなかった。「確かにわたしは魔導師で杏子は魔法少女だから、本当のところは理解し合えないかもしれない。だけどそれでも杏子がそんなボロボロになってまで戦っているのを見過ごすわけにはいかない。……だからもし、これ以上杏子が無理な戦いを続けるっていうのなら、わたしが力づくで止めてみせる」 そう言うと、フェイトは杏子にバルディッシュを向ける。「……フェイト、お前、本気か?」 そんなフェイトに対して、杏子もまた睨みつけるように言葉を返す。だがそれでもフェイトの決心は揺るがない。「うん。これ以上、杏子に傷を負わせ、あまつさえ死なせるようなことになったら、わたしはゆまに顔向けできない。だからもし、杏子がそんな腕でこれ以上、無理をするっていうのなら力づくにでも――止める」 そう宣言すると同時にフェイトの足元に魔法陣が展開し、杏子をバインドで拘束する。警戒していたはずなのに、杏子はそんなフェイトのアクションに対応することができなかった。しかしバインドで拘束されているのにも関わらず、杏子は慌てた様子を一切見せなかった。そして一つ息を吐くと、観念したようにこう告げた。「わーったよ。そこまで言うのならこれ以上の無理はしねぇよ。正直、もうグリーフシードは十分過ぎるほど集められているしな」 連日の連戦と管理局員から戦利品として渡され続けたグリーフシードによって、杏子はしばらくの間、魔力の心配をしなくていいほどのグリーフシードを集めていた。もちろん強敵との戦いで過剰に魔力を消費してしまえば別だが、それでも戦わなくても一年は大丈夫な蓄えがあった。「っていうか、例えあたしが万全な状態だったとしても、そんな顔をしている相手とやり合う気はサラサラないしな」 杏子の目に映るフェイトの顔は、依然として暗い面持ちのままだった。瞳にこそ、強い決心が宿ってはいるものの、とても今から戦おうという人物がする顔つきではない。「……もしかしてフェイト、責任でも感じてんのか? あたしの腕とすずかが死んだことを」 クロノから結界内でフェイトと遭遇したことは、すでに杏子も聞かされている。杏子としてはあのクロノが条件付きとはいえフェイトを見逃したことに驚いたが、よくよく考えればあの場にはフェイトもいたはずなのだ。そして彼女の狙いはジュエルシード。いくらクロノに見逃されたとはいえ、そのまま遠くまで逃げ出しているとは考えにくい。おそらくは事の顛末をどこかで目撃していたはずだ。 そう当たりをつけての言葉だったが、どうやら予想は的中していたらしい。図星を突かれたフェイトはまるで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、動揺からか杏子に施したバインドを解除してしまう。「やっぱり知ってたんだな、すずかが死んだことを……。別に慰めるわけじゃあねぇけど、仮にあの場にフェイトがいたところであの結界を創り出した女には太刀打ちできなかったと思うぜ。現になのはは何もできなかったし、あたしもこの様だしな」 キリカの力は絶大なものだった。魔法少女の力量は決して魔力の絶対値で決まるわけではない。戦いの経験や魔法の性質、その他諸々の要素が組み合わさって決定される。杏子の幻惑の魔法とキリカの速度低下は決して相性が悪いということはない。戦いの経験で言うならば、おそらくは杏子の方が上だろう。それでも杏子が一方的に蹂躙され、足止めすることしかできなかったのは、キリカとの魔力差が大きかったからに他ならない。 ジュエルシードによって底上げされたキリカの魔力。その圧倒的な魔力の奔流に杏子は抗うことしかできなかった。油断していたわけでもなく、ただ純粋な魔力差によって右腕という代償を支払うことになった。もしもキリカが自分と同等に戦い慣れていたとしたら、そしてすずかが命がけでキリカを倒さなければ、杏子もまた、あの場で命を落としていただろう。「それでも、それでもあの時、わたしが結界の中にいたらすずかは死なずに済んだかもしれない。杏子の腕を失くすようなことはなかったかもしれない。だから、だからわたしは……」 フェイトはその場でポロポロと涙を零す。胸の中に秘めていた感情を溢れさせるかのように、その涙は止まらない。そんなフェイトを安心させるために杏子は彼女の傍まで近付くと、その身体をそっと抱き寄せた。「フェイト、お前がそこまで責任を感じることはねぇよ。確かに犠牲はあったけど、それでもすずかは満足して逝ったはずだ。なんたってあいつの死に顔はとても安らかなものだったからな」 その言葉を聞いて、フェイトは二日前に見た光景を思い出す。なのはに抱かれるすずかの顔は確かにとても小奇麗だった。身体に付けられた数多の傷とは裏腹に、とても満足げな表情だった。「それにあたしの腕だって別にこのままってわけじゃない。魔法少女の身体ってのは便利なもんでな、死にはしない限り、どんな損傷だろうと魔力で治癒することができるんだ。尤も、あたしは治癒魔法が苦手だから、部位欠損ほどの傷となると治すのに数日は掛かっちまうけどな。……だからさ、フェイトがそんなに気に病むことはないって」 そう言って杏子は笑いながらフェイトの頭をくしゃくしゃにかき回す。突然の出来事に呆気にとられるフェイトだったが、次第に杏子に釣られて彼女の口からも笑みが零れる。 果たして本当に杏子の腕が治るのか、その真偽は今のフェイトにはわからない。それでも杏子が自分を慰めようと、励まそうとしている気持ちは十分に伝わった。「ごめん、杏子。そしてありがとう」 だからこそ、フェイトは礼を言う。すずかの死に対する悲しみが薄れたわけではない。だが、それでも杏子の言葉で少しだけ気が楽になったことも確かだ。「気にすんな。すずかを死なせてしまったことで悲しむ気持ちはあたしにもわからんでもないからな。でもいつまでも気にしていていいことじゃねぇ。特にこの町の現状を考えてみればな」「この町の現状?」「ああ。でも詳しい話はもう少し後にした方がいいかもな。そろそろこの場所に張られている結界が魔女によるものではなく魔導師によるものだって気付かれているだろうし」 この一週間、管理局と行動を共にしてわかったことは、決して彼らは無能ではないということだ。武装局員の強さは杏子の目から見れば非力なものだったが、魔女やジュエルシードの探査能力だけを見れば、杏子の持っている力を遥かに上回るものだった。下手をすればこうして話している間にも、結界の外で管理局員が結界を突破しようと何らかを講じている可能性だってある。「……あっ?」 その可能性を考えていなかったフェイトは間抜けな声を上げる。そもそも彼女としても、杏子を結界で取り込んだのは、あくまで反射的な行動だったのだ。もし彼女が冷静であったのなら、こんな愚策を取るようなことはないだろう。「って気付いてなかったのかよ! てっきりあたしは何か考えがあってこんな真似をしたのかと思ってたんだがな」「ご、ごめん、杏子」「いや、別に責めてるわけじゃあないんだけどさ。でもそうなると、もう外には武装局員が待機しているってことぐらいは想定しといた方がいいかもな」 言いながら杏子はどのようにしてフェイトを逃がすかを考える。彼女としてはこの場で管理局と事を構えるつもりはない。杏子の目的はあくまでジュエルシードによって集まっている魔女の駆逐。ジュエルシードそのものが目的ではないため、その所持者が管理局だろうとフェイトだろうとどちらでも構わないのだ。 それでもフェイトを逃がすことを第一に考えたのは、ゆまを預かってもらっている恩があるからだ。またいち早くゆまと会いたいという気持ちもある。そのためにはここでフェイトが捕まるよりも、逃がした上で連絡を貰った方が早いと考えていた。「フェイト、もし結界の外に管理局の連中がいたらあたしが引きつけとくから、その間に逃げろ」「――そういうわけにはいかないな」 そんな第三者の声が聞こえるのと同時にフェイトと杏子の身体はバインドによって拘束される。結界の中に未だ侵入者はいないと思っていた二人は、完全に不意を突かれる形となった。そしてそのバインドは杏子にはとても見覚えのあるものだった。「一体いつからそこにいたんだよ、クロノ」 杏子は魔法が飛んできた方向を睨みつけながら名前を呼ぶ。「ついさっきだ。キミたちにばれないように結界に入るのには苦労したよ。だがそのおかげで最小限の魔力行使でキミたちを捕えることができた。エイミィには感謝しないとな」 それを聞いて杏子には得心が行く。杏子からの連絡がなかったことに心配したエイミィが異常を察知し、それをクロノに伝えたのだろう。クロノを結界内に転送させることができたのも、彼女の手腕によるものかもしれない。「でもどうしてあたしまでバインドで拘束してるんだよ」「キミは彼女を逃がそうとしていたのだから当然の処置だと思うんだが……」「…………チッ」 杏子は舌打ちしてクロノを睨む。だがそんな視線などまるで気にせず、クロノはフェイトに向き直って告げる。「フェイト・テスタロッサ、残念だが、今日はキミを見逃す理由はない。それにいくら抵抗したところで、そのバインドはすぐに解除できるものではない。このまま大人しく僕についてくればキミに手荒な真似はしないと約束する。もちろんキミの使い魔にもね」「……わかり、ました」 すでにバインドで拘束されている以上、フェイトにはクロノに逆らう手立てはない。仮に杏子が自由に動けるのなら、まだ抗いようがあったがそうでない以上、ここは素直に捕まるしかないだろう。(ごめん、アルフ) フェイトは心の中で別行動中のアルフに謝罪する。おそらく自分が捕まったと知れば、アルフは冷静ではいられないだろう。できることならアルフには危険な真似はしないで欲しい。そう願わずにはいられなかった。 ☆ ☆ ☆「――強く在りたい。それがすずかの願いだよ」 すずかの叶えた願いをなのはに尋ねられたキュゥべえは、そう簡潔に答えた。だがその一言だけでは、なのはにはその願いにどのような意味があるのか実感がわかなかった。それをキュゥべえも察したのだろう。首を傾げているなのはに対し、キュゥべえは言葉を続ける。「そうさ。その言葉にすずかがどんな想いを込めていたのかまではボクにはわからない。だけどすずかはその願い通りに強くなり続けた。実のところ、すずかの持つ魔法少女としての素質はそこまで優れたものではなかったんだ。だけど彼女は短期間で、歴代でもトップクラスの魔法少女になるまで成長することができた。それは間違いなく、すずかが強くなることを望んだからだ。もし違った願いで彼女が魔法少女になったのなら、あれほど強くなることはなかっただろうね」「……それじゃあ、それじゃあすずかちゃんは自分の願いに殺されちゃったようなものじゃない!?」 キュゥべえの心ない言葉を聞いて、なのはは激昂する。確かになのはの目から見てもすずかは異様なまでに強かった。それも見る度にその強さは遥かに増していった。「言われてみれば確かにそうだね。だけどそれもすずか自身が望んだ結果だったはずだよ。だって彼女は自ら命を魔力に変換してキリカを倒したんだから。もしすずかが自分の命を第一に考えたんだとしたら、キミたちを見捨てて逃げ出せば良かったんだからね」「……そんなこと、すずかちゃんにできるはずがないよ」 キュゥべえの言う通り、自分の命のことだけを考えれば、すずかがキリカと正面からぶつかる必要性はどこにもなかった。彼女はあの場になのはを守るために現れ、アリサを初めとした結界に取り込まれた人々を守るために戦ったのだ。 だがそれができないことをなのはは知っている。すずかは誰よりも優しい女の子なのだ。他者が傷つくのを何よりも恐れ、時にはなのはやアリサにさえ遠慮を見せたすずか。だからこそ、彼女は皆の命を守るために自らの命を散らしたのだ。仮に結界に捕らわれたのが見ず知らずの他人だったとしても、すずかは同じように命を賭して戦っただろう。「そうだろうね。彼女の願いの根底にあったのは、他者を守るための強さだったことは明白だし、魔法少女としても損得を考えない珍しいタイプだったからね。ある意味では、あの結末も当然の帰結だったのかもしれないね」「……なんでそんなことを言うの? キュゥべえくんはすずかちゃんが死んだの、悲しくはないの?」「ボクたちには人間の言う『感情』というものが存在しないんだ。だから人間が他者の死を悲しむというプロセスは、ボクには全く理解できないんだ。ただ、貴重な戦力が失われたという意味では、ボクも悲しむべきなんだろうね」 そう語るキュゥべえの姿は、なのはには酷く冷酷に見えた。口先だけの言葉。感情がないキュゥべえの言葉には重みがない。そんな彼が口にするすずかを悲しむという気持ち。それがなのはには酷く不気味であり、腹立たしかった。「……出てって。もうこれ以上、キュゥべえくんと話したくない」 なのはは涙を浮かべながらまるで親の仇でも見るような眼差しでキュゥべえを睨みつける。本当はまだまだキュゥべえに聞きたいことはたくさんあったはずである。だがこれ以上、キュゥべえの言葉を聞きたくなかった。酷く淡白であっさりとしたキュゥべえの言い分は、なのはをただただ不快にさせるだけだった。「聞きたいことを聞き終えたら追い出そうとするなんて、キミは随分と身勝手なんだね。……でも流石にこのまま出ていくわけにはいかないかな。だってボクはまだ、肝心な話をできてないのだから」 そう言ってキュゥべえはなのはに向かって近寄ってくる。その仕草におぞましさを感じたなのはは反射的にバリアジャケットに身を包み、レイジングハートの先端をキュゥべえに向ける。しかしキュゥべえはそんななのはの態度を全く気にせずに言葉を続けた。「なのは、キミはさっき言っていたよね。自分が魔法少女になっていさえいればすずかは死なせることはなかったって。――実際、その通りだと思うよ。キミの魔法少女としての素養はすずかより遥かに上だ。それに短期間とはいえ魔導師として戦ってきた経験がある。それらを組み合わせれば、キミはきっと現存するどの魔法少女よりも強い魔法少女になれるだろう。そうすればもう二度と、大切な人を失うようなことはなくなるんじゃないかな」 キュゥべえの言葉になのはの心が大きく揺れる。自分に力がないということは、なのはが一番よくわかっている。もう二度と、あんな悲劇を起こさないためには強くなるしかない。そして魔法少女になることがその一番の近道であるということも明らかだった。≪黙りなさい。これ以上、マスターを誑かすような言葉は許しません≫ もちろんレイジングハートはそれを許さない。魔法少女は最終的に魔女になる。そのことをすでになのはたちは知っている。それがなくとも魔法少女になることで魔女と戦う運命を背負わされるのだ。すずかの死を目の当たりにしたレイジングハートが、自分のマスターであるなのはにそのような道を取らせるはずがない。 しかしそれでもキュゥべえは言葉を止めない。レイジングハートの警告などまるでなかったかのように、なのはに声を掛け続けた。「今の海鳴市の状況はなのはも知っているだろう。ジュエルシードの魔力に惹かれてやってきた無数の魔女。飽和した魔力によって魔女の行動は活性化し、無数のグリーフシードや使い魔が生まれ、それがまた魔女へと育っていく。杏子や管理局の魔導師が頑張っているみたいだけど、明らかに手が足りていない。魔女との戦いから疲労が生まれ、いずれは隙を突かれて死んでしまうかもしれない。そんなことになったらなのはも嫌だろう?」≪マスター、このような戯言に耳を貸す必要はありません。マスターの力は私が保証します。このような輩と契約し魔法少女にならなくとも、魔女と渡り合うことは十分に可能です≫ もしレイジングハートが自分の意思で砲撃を放つことが可能であれば、この時点ですでに撃っていただろう。だがレイジングハートはあくまでデバイス、使い手が命じない限り魔法の行使をすることはできないのだ。それを知っているからこそ、キュゥべえは歩みを止めずに語り続けた。「キミのデバイスはそう言っているけど、本当にそうなのかな? 確かに普通の魔女と戦う分には今のなのはの力でも問題ないだろう。――でもこの町には魔女が集まり過ぎた。ここまで魔女が一ヶ所に集まってしまう例は極めて稀だ。それでも今までに全くなかったわけじゃあない。だからこそ言えるのだけれど、一度こうなってしまったらボクたちにはもう手のつけようがない。いずれは魔女の群体が誕生するか、あるいはすでに群体と化した魔女がやってくることになるだろう」「群体の魔女?」「簡単に言えば魔女の集合体といったところだね。一体の魔女が核となり、他の魔女の波動を集めることで生まれた存在。その力は既存の魔女とは一線を画す。魔法少女でないキミたちは知らないと思うけど、ワルプルギスの夜と呼ばれる魔女が最たる存在だろうね。もしあの魔女がやってきたとすれば、この町に現存する全ての戦力をかき集めたとしても、太刀打ちできないだろう」 その話を聞いてなのはは息を飲む。それを見てキュゥべえはダメ押しと言わんばかりに言葉を続けた。「実を言うとね、本来ならもっと早い段階で魔女の群体が海鳴市で誕生していてもおかしくなかったんだ。でもそうならなかったのは、この町にすずかという魔法少女がいたからなんだ」「えっ?」 突然出てきたすずかの名前に、なのはは驚きの声を上げる。「すずかはね、キミたちの知らないところで一日に数百体もの魔女を駆逐していたんだ。慢性的に増え続ける魔女を、それ以上の速度で彼女は倒し続けていたんだよ。たった一人でね」 キュゥべえから明かされる衝撃の事実に、なのはは言葉も出なかった。口元を手で押さえ、目からは大粒の涙が零れ落ちる。だがそれでもキュゥべえの言葉は止まらない。「だけどそんなすずかはもういない。杏子や管理局が引き続き魔女と戦っているようだけど、それでもすずかが行ってきた戦いには到底及ばない。このままいけば、あと数日もしないうちにこの町は壊滅的な被害を受けることになるだろう。それはなのはとしても望むところではないだろう」「……うん、そんなこと、絶対に許しちゃいけない」 なのははレイジングハートを強く握る。すずかがその身を犠牲にして守り続けたもの、それを壊すような真似、今のなのはに許せるはずがない。≪マスター、騙されてはいけません。確かに現状、海鳴市には多数の魔女がいます。しかしだからといって、キュゥべえの言うような強力な力を持つ魔女が現れるとは限りません≫ そんななのはの様子に危機感を覚えたレイジングハートは焦ったように苦言する。「そうだね。でもレイジングハート、どちらにしてもこの町をこのままにしておくのはまずいと思うんだよ。わたしたちがこうしている間にも、魔女は罪のない人たちを襲っている。すずかちゃんが守ろうとした人たちを。それをこのまま見て見ぬふりをするなんて、わたしにはできない」 なのはは後悔していた。すずかを死なせてしまったことを。自分に力があれば、すずかを死なせることはなかった。そしてキュゥべえと契約し、魔法少女になることによってその力を手に入れることをなのはにはいつでもできたのだ。≪マスターは今の力でも十分に魔女と渡り合うことができます。それに修練を重ねれば、マスターはいずれ一流の魔導師になることも可能なはずです≫「……ごめんね、レイジングハート。でもわたしはもう決めたんだ」 なのはは申し訳なさそうに呟く。しかしその決心は揺らがない。自分に力がないからすずかを死なせてしまった。そしてまた、同様の悲劇が起ろうとしている。もしすずかが生きていれば、全力でそれを阻止しようとしただろう。例え自分の全てを投げ打ってでも。「たぶんすずかちゃんはわたしがそんなことをすることを望まないと思う。でもこのまま放っておいてすずかちゃんが守ろうとしたものが壊されるっていうのなら、そんなのわたしには耐えられない。だからわたしはキュゥべえくんと契約して魔法少女になる」≪……マスター≫ レイジングハートはこれ以上、なのはに掛ける言葉は見つからなかった。なのはのデバイスになってから一ヶ月、レイジングハートはずっと彼女の姿を見てきた。だからこそこれ以上の説得は無意味だと、痛いほど理解していた。「そうか。よく決心してくれたね、なのは。それで、キミの願いはなんだい? キミの魔力資質なら、それこそすずかを甦らせることだって可能なはずだよ」「キュゥべえくん、それってホント!?」「うん。しかもすずかの肉体はまだ残っているんだろう? それならより確実だね」 魔法少女になり力を手に入れること、それが今のなのはにとって重要なことであった。だからその言葉を聞くまでは、なのはは特に願いらしい願いを抱いていたわけではなかった。強いて言うのなら魔法少女になることそのものが、なのはにとっての願いだった。 だがすずかを甦らすことができると言うのなら話は別である。あの時、なのははすずかと仲直りすることはできたが、それでも言いたいことを全て言い合えたわけではない。まだまだ聞きたいことも言いたいことも山ほどある。 なのはは目を瞑り、祈るようにすずかの姿を思い浮かべる。出会い、育み、そして永遠の別れることになった親友。平和だった頃、何度も見たすずかの優しい顔。そして最後に見せた、皆を守りきった後の満足げな笑み。それを願えば、もう一度その顔を見ることができる。それはなのははもちろん、すずかの死を悲しんでいるはずのアリサや忍といった人々にも喜ばしいことだろう。「わ、わたしは――」 しかしふと、なのはの脳裏に映るすずかの表情が曇る。まるでそんなことは望んでいないと言わんばかりの沈んだ表情。首を横に振り、辛そうな、それでいて詮方ないといった笑みを浮かべるすずか。『……だからね、なのはちゃん、私は絶望の果てに死ぬんじゃない。希望を繋げるために死ぬんだよ』 なのははすずかの最後の言葉を思い出す。できることならすずかともう一度、会ってお話をしたい。だがそれはなのはの我儘だ。すずかは自分の死に全く後悔していなかった。そんな彼女の想いを踏みにじっていいわけがない。だから……。「わたしの、わたしの願いは――」 なのはの気持ち、そしてすずかの想い。それらを乗せたなのはの願い。この命、そして魂さえも代償にしても構わない。それほどの感情を込めて、なのはは告げた。 それと同時になのはの胸に激しい痛みが奔る。膨大な魔力の輝きを放つソウルジェムが、なのはの胸の内から生まれてくる。桜色の輝きを持つ、穢れのないソウルジェム。自分の身体に溢れる魔力に、なのはは驚愕の表情を浮かべる。「……契約は成立だ。キミの祈りはエントロピーを凌駕した。なのは、これでキミも晴れて魔法少女というわけだ。それにしてもこれは想像以上だね。資質の高い子だと思っていたけど、まさかこれほどの魔法少女が生まれるなんて思いもよらなかったよ」「……ねぇキュゥべえくん、わたし、強くなれたのかな?」「もちろんだよ。今のキミの魔力やキリカやすずかに勝るとも劣らないものだよ。実際、戦ってみないことにはわからない部分もあるけど、それでも契約前より強いのは確かなはずさ」「そう、なんだ」 なのは自身、自分の内から湧き出てくる魔力に驚きを隠せない。だが自分で望んだはずの力を手に入れたはずなのに、なのはの表情はどこか陰を帯びていた。それはさながら、これから巻き起こるであろう戦いの激しさを暗示しているかのような、そんな悲痛に満ちた表情だった。2013/5/28