「もうホント、なんなのよこれ!?」 アースラの廊下を走りながら、アリサは誰にともなく毒づいていた。なんとかここから出るために廊下を駆けるアリサだったが、そもそも彼女はアースラの出口がどこにあるのかを知らない。誰かに尋ねようにも、ここにいるのは管理局員のみ。アリサが勝手に抜けだしたと知られれば、元の医務室に連れ戻されてしまうだろう。 幸いなことに未だアリサが医務室から抜けだしたことは気付かれていないようだが、それも時間の問題だ。ならばせめて、脱出の糸口だけでも掴もうと必死だった。そのために彼女は、目の前にいる管理局員を尾行していた。(それにしても、さっきから出たり消えたりしてるこれはいったいどういうものなわけ!?) そう思いながらアリサは自分の目の前にある槍を忌々しく睨みつける。まるでこちらの行く手を遮るかのように出現しては消えていく槍。脱走者の動きを封じるようなその動きに、実はアリサが逃げ出したのがバレ、管理局に弄ばれているのかもしれないと勘繰りたくなる。(……でもそれなら、こうして尾行しているのも気付かれているはずよね) アリサ死角に隠れながら、その先にいる管理局員の様子を伺う。廊下を走る管理局員には、アリサに気付いている様子はない。それどころか、彼もまた、目の前の槍にその動きを阻まれていた。(……それにこれがここの防衛装置かなにかだとしたら、それを仕掛けた側の動きまで妨害されるっていうのはおかしな話よね) アリサは管理局員が見えなくなったのを見計らって死角から飛び出すと、一本ずつ確実に槍を避けながら先ほどの管理局員が進んでいった方へと向かって進んでいく。(つまりこの槍を発生させているのって――)「止まりなさい」 アリサがそこまで思考したところで、廊下の先から会話が聞こえる。そこでアリサはピタリと動きを止め、曲がり角に隠れてそっと覗く。そこにはアリサが尾行していた管理局員の他に二人の少女の姿があった。一人は艶やかな金髪に露出の多い黒い衣装を身に纏っている自分と同じ年頃の少女。しかしそれ以上に目に付くのは彼女の手に握られた大きな鎌だ。先端から伸びている刃は金属でできたものではなく、金色に輝く魔法の刃である。それに対してもう一人は、自分より歳上の中高生ぐらいの少女だ。赤い衣装に身を包み、その手には一本の槍が握られている。その槍は先ほどからアリサの動きを阻んでいる槍と同じものだった。 間違いなくあの二人は魔法少女であり、さらに管理局と敵対している。そしてこの槍を生み出しているのもあの赤い魔法少女だろう。もしそうだとするならば、彼女たちについていけば、ここから脱出できるかもしれない。しかし彼女たちがアリサにとって味方になり得るとは限らない。だからアリサは固唾を飲んで、その動向を陰から見守ることにした。「止まりなさい」 一人の武装隊員が単独で現れたのを見て、杏子たちはその足を止める。その武装隊員はアースラで杏子が暮らす中で、一番会話した記憶のある武装隊の隊長だった。 しかし不思議なのは何故、彼が単独なのかということである。彼は一部隊の隊長だ。魔女と戦う時もその背後には数人の部下を引き連れて臨んでいる。突然の事態に単独で動くことになったということも考えられるが、杏子の実力はこの隊長も十分に知っているはずである。それなのに単独で動いているという事実が、杏子の警戒心を強めた。「杏子殿、これは何の真似です?」「何の真似って言われてもな。あたしはあたしの都合でフェイトを逃がそうとしているだけだ」「そうですか。ならあなたたちをここで拘束します」「あのなぁ、状況をよく見てみろよ。こっちは二人でそっちは一人だ。それにフェイトはともかく、あたしの実力を知らないわけじゃないだろ? いくらなんでも無謀すぎるんじゃないか?」 会話をしながら、杏子は目の前の人物が何を考えているのかを探ろうとする。だがデバイスを構えるのみで、何ら作戦らしいものは感じられない。自分の知る通りの実力なら成す術なく無力化されるだけだということは、彼もわかっているはずである。必ず何らかの意図があるはずだと、杏子は視線をさ迷わせる。(あれは……?) そうして見つけたのは、物陰からこちらの様子を覗く一人の少女。なのはの友人であるアリサであった。何故、彼女がこんなところにいるのか。そもそもいつ目を覚ましたのか。杏子の中で疑問は尽きない。もしかしたらアリサこそが杏子たちを捕えるために彼が用意した作戦に関わっているのかもしれない。「……杏子殿の言う通り、私ではあなたに手傷を負わせることすら不可能でしょう。しかし数秒の足止め程度ならできるはずです。その間に執務官殿が駆けつけてくれれば、杏子殿を拘束することは十分に可能なはずです」 だが隊長の様子を見る限り、アリサを気にしている様子は一切ない。もしや気付いていないのか。そう思えるほどに彼は背後を気にせず、真っ直ぐ杏子たちの方に目を向けている。 どちらにしても、管理局の調べではアリサにはリンカーコアはないはずである。そしてキュゥべえと契約しているというわけでもない。つまり彼女はどこにでもいるただの一般人のはずだ。あの場から援護射撃などが飛んでくるわけはないだろう。「ま、理屈の上ではそうだな。……しかしそう都合よく、クロノがやってくると思うか?」「――思います」 そう断言する彼に杏子は一瞬、怯む。だがすぐに睨み返し、一気に懐まで踏み込んで攻撃を仕掛けた。彼がどのような策で自分たちの前に現れたのか、その策が読めたわけではない。しかし彼の言う通り、この場にクロノやリンディなどが現れたら非常に厄介である。先ほどは不意を突いたということもあり上手くいったが、次も同じように撒けるとは限らない。だからこそ杏子はこれ以上の問答は止め、有無を言わさず目の前の相手を無力化しようとしたのだ。 それに対して隊長は驚きの表情を浮かべるも、その唇が釣り上がる。まるで自分の思い通りの展開になったと言わんばかりの笑み。それでも杏子の攻撃は止まらない。彼が手に持つデバイスを槍で吹き飛ばし、足を払ってその場で転倒させる。隊長はそんな杏子の早業に防御どころか受け身すら取ることができなかった。転んだ拍子に頭を思いっきり叩きつけられ、そのまま意識を刈り取られる。 実のところ、彼には明確な作戦があったわけではない。自分単独では杏子相手に一撃で沈められることは、十分に理解していた。その上で彼が選んだのは、敢えて一人で杏子たちの前に姿を現し、言葉巧みに時間を稼ぐことだった。いきなり攻撃を仕掛けてもやられるだけ。それならばせめて少しでも時間を稼ぎ、クロノたちがやってくる時間を稼ぐ。それが今の彼がとれる最善の策だったのだ。「杏子、よかったの? この人、知り合いだったんでしょ?」 それまで黙っていたフェイトが杏子に声を掛ける。「いいんだよ、こんな奴!?」「でもわたしにはとても親しげに見えたけど……」「そんなことねーよ。確かにこいつとは行動を共にすることが多かったけど、それだけだ」 思い返してみると、魔女退治に向かう時以外にも、やたらとこの隊長は自分に絡んできたようにも思う。食堂で食事をしていれば積極的に隣に座ろうとし、部屋で休んでいるとゲームを持って尋ねてきたり。退屈することはなかったが、それでも心を許した覚えはない。 そんなことよりも今、重要なのは先ほど彼が見せた笑みである。目の前に倒れ伏す隊長は、こちらの油断を誘う演技などをしているわけではなく間違いなく気絶している。彼にとって気絶してしまったのはまったくの偶然だが、そのことが逆に杏子の中に疑念を残らせた。時間を稼ぐにしてはこの結末はあまりにも間抜けすぎる。何か別の作戦が用意されているはず。【ところでフェイト、気付いているか?】【うん。物陰にいるあの子のことだよね】 二人は念話で会話しながら、アリサに気付かれないように視線を向ける。【あいつはアリサっていってな、なのはやすずかの友達なんだ】【すずかの!?】【ああ。といってもあいつは魔法少女でも魔導師でもないけどな】 もしアリサがなのはやすずかのように、彼女にも力があるなら杏子も警戒するだろう。しかし杏子の知る限り、アリサはただの子供である。管理局の検査でもリンカーコアは発見されず、キュゥべえと契約しているわけでもない。それを知っているからこそ、そこまでの警戒を向けていなかった。【そうなんだ。でもそれならどうしてあの子は管理局の船の中にいるの?】【……あいつもあの日、結界に巻き込まれたんだ。しかもそこで襲われて意識を失わされたんだ。だからアースラで治療を受けていたんだよ】 だが杏子が知っているのはそこまでだ。いつアリサが目覚めたことも、こんなところに一人でいる理由も杏子は知らない。「おい、そこで見てるの、アリサだろ? 出てこいよ」 だからこそ、杏子は声を掛けることにした。彼女には杏子たちを捕まえようとする理由はない。仮にあったとしてもその理由がわからない。どちらにしてもアリサが脅威にならない以上、彼女がここにいる理由を確かめておくのも悪くない。そう考えての行動だった。 一方のアリサは、自分の名前が突然呼ばれたことに驚く。アリサからしたらクロノ同様、杏子たちもまた面識のない相手である。にも関わらず、彼女は自分の名前を呼んだ。そのことに戸惑いを隠せない。「出てこないっていうならこっちから行くぜ」 そう言うや否や、杏子はアリサが隠れている曲がり角の元まで踏み込む。その素早い動きにアリサは一切反応ができず、驚きからかその場に尻もちをついてしまう。「あの、大丈夫?」 杏子と一緒にアリサの前に立ったフェイトが、彼女を立ち上がらせようと手を差し出す。しかしアリサはその手を握り返そうとはしなかった。一人で立ったアリサは、警戒しながら杏子たちから距離を取り、敵意を込めた眼差しを向ける。 アリサにとってアースラ内にいる人間は全て、面識のない相手である。ただでさえ面識のない相手のはずなのに、さらに杏子たちは管理局の人間と敵対していたのだ。そんな相手に警戒心を解くほど、アリサは愚かではなかった。「あんた、どうしてあたしの名前を知ってるのよ!?」 そんなアリサの態度に杏子は訝しく思う。アリサに向けられるのは明らかな敵意。魔法の力の持たない何の変哲のない少女。そんな彼女からいくら敵意を向けられたところで杏子は痛くも痒くもない。 しかしフェイトは別だった。見ず知らずの相手に謂われのない敵意を向けられる。そんな経験をほとんどしたことのなかった彼女は、それだけで戸惑ってしまう。「あたしがアリサの名前を知ってたのは、なのはから聞いていたからだ」 そんなフェイトの感情の機微を感じ取ったからこそ、杏子はアリサの問いに素直に答えた。結局のところ、アリサを警戒する理由は杏子にはないのだ。むしろ警戒しすぎてその隙をクロノ辺りに突かれる方が厄介だ。だから杏子はゆまやフェイトと同じような感覚でアリサに接した。「それにしても、どうしてアリサはこんなところに一人でいるんだ?」「あ、あたしは……なのはのことが心配で。それにすずかのことも……」「……もしかして、知らないの? すずかのこと……」 フェイトは躊躇いがちにアリサに踏み込んだ質問をぶつける。それに対してアリサは大きく目を見開き激高する。「……さっきクロノって奴から聞かされたわ。でもあたしはそんなの信じない。すずかが死んだだなんて、絶対に信じないんだから!!」 目元に涙を溜めながら真っ直ぐ睨みつけてくるアリサ。そんなアリサの必死な様子に、フェイトは思わず視線を逸らす。先ほど杏子に慰められたとはいえ、フェイトにもまだすずかの死を完全に受け入れられたわけではないのだ。だからこそ、アリサの言葉はフェイトの心に深く突き刺さった。 そんな二人の様子に杏子は危うさを感じていた。なのはとは違う意味で、アリサはすずかの死を受け入れていない。なのはの方はユーノに任せたことでとりあえずは持ち直すことはできたが、アリサは見知らぬ場所ですぐにその残酷な真実を突きつけられたのだ。見知った人間がだれ一人もいない状況で、親しい友人の死を突きつけられれば、アリサでなくとも受け入れるのは難しいことだろう。 さらにフェイトもまた、同様だ。なのはやアリサと違ってフェイトがすずかと接した時間はそこまで多くはないだろう。しかし先ほどの会話で彼女がすずかを思う気持ちは本物だと十分に理解している。二人の間で何があったのかは知らない。しかし杏子の腕のことも含めて、フェイトには気にして欲しくはなかったのだ。「……確かに信じられないのも無理はねぇ。本当のこと言えば、あたしにだって信じられねぇし。でもな、こんなこと言うのは酷かもしんねぇけど、すずかは死んだんだ」 だから杏子は厳しい言葉をぶつける。表面的にはアリサに向けての発言だが、フェイトの心にも届くように、杏子は言葉を選んでいく。「嘘よ!!」「嘘じゃねぇ! ……そもそもあたしだって、あいつを死なせたことを後悔してんだから」「「……えっ?」」 杏子の意外な言葉にアリサとフェイトの声がハモる。そのことを気にすることなく、杏子は言葉を続けた。「……正直なところ、あたしはそこまですずかと親しかったわけじゃねぇ。きちんと話したのも一度だけだしな。それでもわかることがある。――あいつは誰よりも優しい魔法少女だった。ガキだからなのかもしれねぇけど、それでも皆を守りたいっていう自分の信念を最後まで貫き通した。正直、あいつがいなけりゃあたしたちもアリサも、それになのはだって今頃は死んでたと思う」 キリカの力は圧倒的なものだった。ジュエルシードの力もさることながら、彼女の戦い方にはまるで躊躇いがなかった。魔女を相手にそれならわかる。敵は自分とは違う化け物なのだ。しかしキリカは人間相手、それも魔力を持たない一般人を前にしてもその太刀筋が鈍ることはなかった。 そんなキリカを倒すために、すずかは自分の持てる力の全てを賭けた。彼女自身も杏子より遙かに強い力を持っていたはずだ。もし周りを犠牲にしてもいいという覚悟があれば、きっとすずかは死ぬことなかっただろう。すずか一人なら逃げることは容易だっただろうし、あるいは命を散らさずともキリカを倒すことができたかもしれない。 それでもあの時、すずかは自分の命よりも皆の生存を優先したのだ。「信じたくない気持ちはわかる。でもな、あいつの死を否定しちゃダメだ。特にすずかの友達ならなおさらだ」 杏子の言葉にアリサは大きく心を揺さぶられていた。アリサにとって杏子は今日、初めて出会った赤の他人である。しかし杏子がすずかのことを語る時に見せた表情。それは確かに、心の底からすずかの死を悔やんでいるといったものだった。「……あたしは、すずかの命を犠牲にしてまで助けられたいとは思わなかった」 それでも、アリサはすずかの死を受け入れない。アリサにとってすずかは唯一無二の存在なのだ。親友という意味ではなのはもいる。だがなのはとすずかでは致命的に違う点があった。「あたしは例えどんなことになったとしても、すずかに生きていて欲しかった。あの子はあたしにとって初めてできた友達で、それでいて放っておけない子だったから」 アリサにとって、同年代で初めて意識した相手、それがすずかだった。自分とどこか似ていると感じる少女。常に一人でどこか孤独感を感じる彼女に親近感を覚えたからこそ、アリサは自分から彼女に話しかけたのだ。 だがすずかと仲良くしているうちに、自分とすずかでは友達ができなかった理由の違いに気づく。社長令嬢であるが故にプライドが高く傲慢だったアリサに対し、すずかは常に他人の目を気にする少女だった。それでいて時折、ごくありふれたことに対して、羨望の眼差しを向けることがあった。まるで自分には遠い世界の出来事のような遠い目をするすずか。本人は隠しているようだったが、アリサにはそんなすずかの視線を敏感に感じ取っていた。 しかし結局、アリサには何故、すずかがそのような目をする理由を突き止めることができなかった。それが悔やんでも悔やみきれなかった。「……本当はあたしにだってわかってるのよ。あたしにはすずかやなのはのような力はない。あの結界の中でもあたしは守られているだけだった。それが凄く悔しいし、悲しい。……でもだからってそれを受け入れていいわけじゃない。あたしにはあたしにできることがある。魔法は使えなくとも、すずかとなのはを支えることができる。そう思っていたのに……」 アリサは静かに涙を流す。必死に否定しながらも、心のどこかで否定しきれない悲しみが溢れ出す。「……なんと言われようとあたしは信じない。この目で確かめるまで、すずかが死んだだなんて信じたくない。せっかく久し振りにすずかと再会できたのよ。それがこんな別れなんて、絶対に嫌っ!!」「……ならあたしたちがなのはのとこまで連れてってやろうか?」 涙を見せながらも気丈に振る舞うアリサに、杏子は手を差し伸べる。「もちろん覚悟はしてもらう。あたしと一緒にくるってことは、その先には数多の危険が待ち受けることになる。管理局の追っ手を撒かなきゃいけねぇし、何より今の海鳴市は魔女だらけだ。安全度で言うなら、このままアースラに留まり続ける方がよっぽど安全だ。どうする?」「そんなの、決まってるじゃない」 杏子の差し出した手を、アリサは迷うことなく掴む。その顔に迷いはない。なのはに会い、すずかが本当に死んだのか、それを確かめることができるのなら、どんな危険が待ち受けていようと構わない。そんな覚悟に満ちた表情だった。「……悪ぃな、フェイト。勝手に決めちまって」「ううん、杏子が言わなかったらわたしの方から言いだしていたと思う。わたしからもあの子にはきちんと話をしなければならないと思うし」 杏子の言葉が響いたのは何もアリサだけではない。フェイトもまた、同様に一つの決意を固めていた。それはなのはに謝ること。あの結界の中に侵入したのにも関わらず、フェイトは引き返すことを選んでしまった。それ以前にも、フェイトは自分の前から立ち去るすずかの後を追うことができなかった。それをきちんとなのはに話、詫びなければならない。「……そうか。だがこれ以上の話は後だな。今はさっさと海鳴に戻るぞ。アリサもしっかりついてこいよ」 そうして三人は走り出す。杏子はゆまに再会するために。フェイトはすずかのことをきちんとなのはと話すために。そしてアリサはすずかの死を確かめ、なのはに話を聞くために――。 ☆ ☆ ☆「フェイト、遅いね~」「そう、だね」 一方その頃、ゆまとアルフは隠れ家で帰りの遅いフェイトの心配をしていた。ゆまには黙っているが、アルフは内心で気が気ではなかった。すでにフェイトが戻ると告げた時刻から二時間も過ぎている。しかしフェイトからは何の音沙汰もなく、アルフがいくら念話で話しかけても何の返答もない。そのことがアルフに不安を募らせた。 考えられる可能性は二つある。一つはフェイトが魔女の結界に取り込まれてしまった可能性、そしてもう一つは管理局に捕まってしまった可能性だ。 どちらにしても、危険なことには代わりのない状況。本当ならばすぐにでもフェイトを探しに行きたかった。しかしそうしなかったのは、この場にいるのが自分とゆまだけではなかったからだ。「アルフさん、心配ならフェイトさんを捜しにいってもいいのよ。その間、私はゆまさんと話をして待たせてもらうから」 そう言って紅茶に口を付けるのは織莉子であった。何故、彼女がここにいるのかというと、時は二時間ほど遡る。「あたしも理論はそこまで詳しくないんだけどさ、魔導師の魔法っていうのは体内にあるリンカーコアって器官から魔力を生み出し、外に放出するってことらしいんだ。だからまずは自分の中に魔力の流れがあるってことを感じ取るのが重要だ」 ゆまはアルフの指導の元、魔導師の魔法を使う練習を行っていた。ただしゆまのリンカーコアはまだ目覚めていない。魔法少女としての魔法は杏子の側で幾度となく見てきたが、魔導師のそれは数えるほどしかない。そのためまずは自分の中のリンカーコアを意識することから始めさせられていた。「アルフはそうゆうけど、全然ピンとこないよ。もっと具体的にゆってくれないと……」 フェイトが幼い頃に使っていた練習用のストレージデバイスを持ちながらゆまはぶーたれる。すでに魔力の流れを感じ取るための修行を始めてから一週間近く経つ。しかし一度たりとも、ゆまは自分の身体に魔力を感じ取れたことはなかった。「具体的にって言ってもな、あたしもフェイトも魔法自体は自然に使えるようになっていたからなぁ……。もちろん今ぐらいの実力になるのには時間はかかったけど……」 前提条件としてゆまとフェイトとでは決定的な違いがある。フェイトは魔法が一般的に普及している世界で生まれ、物心つく前から魔法に触れて育った。そのためまるで言葉を覚えるかのように魔法を使えるようになった。もちろん今の実力になるにはそれ相応の努力をこなしてきたが、魔力の流れ自体は生まれた時から自然と身体中を巡っていたと言っても過言ではないだろう。 それに対してゆまは、魔法少女や魔女といった存在がいる世界に生まれたとはいえ、魔法に触れたのはほんの数ヶ月前の出来事である。ただでさえ魔法に触れた経験が少ないというのに、今、ゆまが覚えようとしているのは別世界の魔法体系である。さらにゆまの持つリンカーコアはフェイトやなのはが持つような大きな魔力を秘めてるものではなく、どちらかと言えば小さな部類のものだ。苦労するのも当然だろう。「むー、それじゃあフェイトもアルフも生まれた時にはもう魔導師だったってこと?」「いや、流石にそこまでじゃあないけどさ。でも今のゆまよりは簡単に魔法を使える身体だったのは確かだよ」「そんなのずっるーい。ひきょーものだ!!」「い、いや、そんなこと言われてもな」 ゆまの態度に思わずたじろぐアルフ。こんな時、フェイトがいてくれればゆまをいい感じでなだめてくれるのだが……。「二人とも楽しそうだね」 そんなやりとりをしていると、いつの間にかキュゥべえが二人の前に現れた。「あっ、キュゥべえ久しぶり~」 キュゥべえが現れたことで話の矛先がそれたことに安堵するアルフ。だがすぐに気を引き締め、キュゥべえに対し警戒の眼差しを向ける。「あんた、何の用だい? フェイトに用なら、あいにく今は留守だよ」「いや、今日はフェイトに直接、用ってわけじゃあないんだ。実はプレシアからある魔法少女を捜してくれと頼まれてね」「もしかしてあたしたちにもその魔法少女を捜すのを手伝えってことか?」「いや、織莉子――その魔法少女自体は思いの外早くに見つかったんだけど、でもボク一人じゃ時の庭園まで連れていけないから、フェイトかアルフに頼もうと思ってきたんだよ」「なるほどな。そういうことか」「それで今、織莉子を玄関のところで待たせているんだけど、部屋に入れてもいいかな?」「…………」 キュゥべえの言葉にアルフは返事を窮す。初対面、それもキュゥべえが連れてきた相手を部屋の中に招くのは危険なんじゃないかと思う。だからアルフは部屋に招くようなことはせず、そのまま時の庭園に連れていこうと考え、その旨をキュゥべえに伝えようとした。「いいよー。魔法少女ならわたしもお話ししてみたいしね」 だがその前にゆまがフランクに答え、そのまま玄関に向かって走っていく。「あっ、おい、ゆま、ちょっと待て」 それを慌てて追いかけ、ゆまを止めようとするアルフ。しかしその時にはすでに、ゆまは玄関の扉を開けて件の魔法少女を迎え入れていた。制服に身を包んだ、大人びた雰囲気を持つ魔法少女。その佇まいはとても優雅なもので、思わずゆまは見入ってしまう。だがその背後にいたアルフは、その魔法少女にただならぬ気配を感じていた。どこか浮き世離れした雰囲気に、全てを見透かすかのような眼差し。今まで出会ってきたどの魔法少女とも異なるものを、織莉子から感じ取っていた。「あら? これは可愛らしいお出迎えね」 そんな異なる感想を抱いている二人に対して、織莉子は普段と変わらない自然体な態度でゆまの頭を軽くなでる。突然のことに驚くゆまだったが、織莉子の手の感触はとても心地よいもので特に嫌がる様子もなく受け入れた。「えっと、あの、おねーさんも魔法少女なの?」「えぇ、そうよ。ところで貴女がフェイトさん?」「ううん、わたしはゆまだよ?」「そう、貴女がゆまさんね。私は美国織莉子っていうの。よろしくね」 そうゆまに微笑みかけた織莉子は、その後方に待機していたアルフを視界にいれる。直接、織莉子と視線を合わせた瞬間、アルフの全身に鳥肌が立つ。アルフの狼としての本能が警鐘を鳴らす。「あら? どこか顔色が悪いようだけれど、大丈夫?」 そんなアルフの様子に織莉子は心底、心配した表情を浮かべ歩み寄ってくる。「いや、大丈夫だよ。ちょっと立ちくらみがしただけさ」 アルフは半歩下がって、織莉子から距離を取ると、誤魔化すように告げる。「そう、ならいいけれど……」「それで、あんたを時の庭園まで連れて行けばいいんだろ? ちょっと待ってな、今から準備するから」 アルフは一刻も早く、織莉子から離れたいと思い、さっさと時の庭園に連れて行こうとする。だがそれに織莉子が待ったを掛けた。「アルフさん、別に急ぎというわけではないから、そこまで焦らなくてもいいわよ。体調も悪そうだし」「いや、だからちょっと立ちくらみがしただけだって。あんたを時の庭園に連れて行くくらい訳ないよ」「そう、なのかしら?」 アルフの必死の言葉に、織莉子はその様子を一変させる。だがそんな織莉子の雰囲気の変化にゆまとキュゥべえは一切、気づかない。織莉子に真っ直ぐ見つめれているアルフだけが、その変化を敏感に感じ取っていた。【アルフさん、貴女は本当は早く私から離れたいだけ何じゃない?】「なっ……!?」 そして誰にも聞かれないように、織莉子は念話にてアルフにだけ語りかける。【貴女は私に底知れぬ不気味さを感じている。その理由まではわからないけれど、でもとにかく私の側から一刻も早く離れたい。だから時の庭園に急いで連れて行こうとしている。違うかしら?】「そ、そんなこと……ッ?!」「どうしたの? アルフ」 念話で話しかけてくる織莉子に対して、アルフは口から言葉を出す。そのことがゆまに不審に思われる。「い、いや、なんでもないよ」【安心なさい。私は貴女方の敵ではないわ。……少なくとも今はね】 そう話す織莉子は穏和な笑みをアルフに向ける。しかしその裏に潜む織莉子の本音が、アルフにはまるでわからない。【それに今、この場で戦うことになったとしても、きっと私一人ではアルフさんには勝てないでしょう。だから……】「キュゥべえ、プレシアさんも別にそこまで急いでいるってわけではないのでしょう? なら少しここでゆまさんやアルフさんとお話ししたいんだけど、かまわないかしら? フェイトさんにも会ってみたいし」「そうだね。プレシア自身は一刻も早く織莉子に会いたがっているみたいだったけど、少しぐらいなら問題ないと思うよ」「なっ、なにを勝手に……」「別にいいでしょう? 貴女だって本当はフェイトさんが帰ってくるのを待っていたいだろうし」「……わかったよ」 織莉子自身は敵ではないという。しかし彼女を見たときに感じた嫌な感覚。それが間違っているとはアルフにはどうしても思えない。だから織莉子という人物を見極めるためにも、その提案を渋々受け入れた。「ふふ、ありがとう。せっかくだから自家製の紅茶をごちそうするわ」 ――それから二時間、ゆまと織莉子はすっかり仲良くなっていた。織莉子が振る舞った紅茶が美味しかったというのもあるが、それ以上に織莉子の話術。それがゆまの感情を引き立たせ、懐かせた。その表情はまるで杏子と話している時と同じくらい楽しげなものだ。 だからこそ、アルフは織莉子のことを末恐ろしく感じてしまう。いくらゆまが人なつっこい性格をしているといっても、それでも初対面の相手にここまで自分をさらけ出すような真似はしなかった。フェイトですら、今のゆまの表情を引き出すまでに数日の時間を要したのがその証拠だろう。「ねぇねぇ、オリコ。オリコはどんな願いでキュゥべえと契約したの?」「私の願い? 気になる?」「うん、すっごく」「そう。なら特別に教えてあげる。私がキュゥべえに祈ったのは『生きる意味を知りたい』って願いよ」「生きる意味?」「魔法少女になる前の私はただ漠然と生きていた。生きる目的もなく、ただただそこに居るだけだったの。だからどうしても知りたかった。私が生まれてきた意味ってものをね」「それで、オリコはしることができたの?」「ええ。凄く尊くて大切な私だけの生きる意味をね」「それは?」「ふふふ、それは……秘密よ」「えー、そこまでゆっといて秘密だなんてずるいよー!!」 事実、ゆまはこのような踏み込んだ質問をぶつけるほどに織莉子と仲良くなっている。織莉子は時に正直に答え、時にうまくかわし会話を誘導していく。「ごめんなさい。でもね、私の生きる意味なんてそこまで大したものじゃないのよ」「そうなの?」「ええ。私としては、どうしてゆまさんが魔法少女ではなく魔導師になろうとしていることの方が気になるわ」「そんなの決まってるよ。キョーコと一緒にいたいから。だからキョーコの隣に立てるような強い魔導師になりたいの」「本当にゆまさんは杏子さんのことが好きなのね。でもそれならキュゥべえと契約して、魔法少女になった方がお手軽じゃないかしら?」「そーだけど、それはキョーコが望まないから。キョーコが望まない方法で力を手に入れても、キョーコは喜んでくれない。それにわたしがいつの間にか魔導師になってたら、きっとキョーコはびっくりするしね」「ふふふ、そうね。私も影ながら応援してるわ。がんばってね、ゆまさん」「うん!」 二人からすれば、それは他愛のない会話の応酬なのだろう。しかし端から見ているアルフからすれば、二人の会話は実に危うい。織莉子の話術を持ってすれば、ゆまの口から様々な情報を割ることが可能だろう。下手をすればアルフ自身も気づかぬ内に、何らかの秘密を暴かれているかもしれない。「ところでアルフさん、本当にフェイトさんを捜しにいかなくていいのかしら?」「えっ?」 そんなことを考えていたアルフは、不意に織莉子に話しかけられおかしな声を上げてしまう。「さっきそのことを訪ねてからもう三〇分、つまり彼女が帰ってくる予定の時刻からもう二時間半も過ぎていることになる。これはいくらなんでも遅すぎるわ。ゆまさんもそう思うわよね?」「うん。でもフェイトは大丈夫だよ」「……どうしてそう思うのかしら?」「だってフェイトはキョーコに勝ってるし、何よりわたしの魔法のおししょーさまだからね。だからちょっと遅くなっても、きっと無事に帰ってくるよ」 心強い言葉を掛けるゆまだったが、アルフは内心で気が気ではなかった。確かにフェイトは強い。それはアルフにも十二分にわかっている。しかしいくら強いからといって、安心はできない。現に強い魔法少女だったはずのすずかが二日前に見るも無惨な姿に変わってしまったのだから。「ゆまさん、貴女は一つ勘違いしているわ」「えっ……?」「いくらフェイトさんが強いからといって、心配しない理由にはならないのよ。楽観視していて万が一のことが起きれば、きっと貴女は後悔する。違うかしら?」 そう語る織莉子の胸中は、キリカのことでいっぱいだった。織莉子には心配する時間すら与えられなかった。織莉子が目覚めた時にはすでにキリカは死んでいた。 意識を失う前と目覚めた後で、織莉子を取り巻く世界は大きく変わった。もしあの日、すずかに会いに行かなければこんなことにはならなかっただろう。そのことを後悔していないと言えば嘘になる。 しかし織莉子にはこの未来は見えていなかったのだ。未来視という他の人物にはない力を持ちながら、彼女は自分の半身と言うべき存在を失ってしまった。 そこまで大げさでないにしても、ゆまやアルフにとってフェイトが大切な存在であることは間違いない。なればこそ、二人にそんな思いを味会わせることに抵抗を覚えた。「それはアルフさん、貴女とて同じよ。私のことを警戒したくなる気持ちはわかるけど、それで大切な存在を亡くして、貴女は納得することができるの?」「そ、それは……」 織莉子の言葉にアルフが詰まる。彼女の言うことはまさしく真理を突いていた。織莉子のことに意識を向けすぎていたが、よく考えれば今の海鳴が危険であるという事はアルフにも十分わかっている。それなのに今まで、フェイトを助けに逝くこともなく、こうしてこの場に留まり続けた自分を恥じた。 そんなアルフを後目に織莉子は立ち上がり、玄関に向かって歩を進める。「あんた、いったいどこに行こうってんだい?」「アルフさんが私とゆまさんを二人きりにしたくない気持ちもわかる。だから二手に別れて捜しに行きましょう。それなら何の問題もないはずよ」「……どうしてそこまでしてくれるんだい?」 アルフは思わず訪ねる。アルフにとって、織莉子は今日、初めて出会った相手である。それだけではなく、二時間もの間、常に警戒の眼差しを向け続けていた。それなのに彼女は無償で手を差し伸べている。腹のうちに底知れぬ化け物を秘めている予感のある少女が取った意外な行動が、アルフにはどうに不思議だった。 「……実を言うと、私もついこの間、大切な人に死なれてしまったの。私が預かり知らぬところで彼女は戦い、そして死んでいった。私には止めようがなく、気づいた時にはもうすでに事が済んでいた。……そんな思い、もう誰にも味あわせたくないの」 そんなアルフの疑問に織莉子は明確な答えを示す。キリカの死。それが織莉子に与えた影響は大きい。他人を思いやる気持ちがまったくなかったわけではない。それでも目的のためなら他人の命はもちろん、自分の命がどうなろうと構わない。それぐらいの覚悟が織莉子にはあった。「オリコ、大丈夫? 今のオリコ、凄く泣きそうな顔をしてるよ?」 しかしキリカの死は織莉子には許容できなかった。自分に純真な眼差しを向けてくれたキリカ。父親ではなく、初めて織莉子を織莉子として見てくれた大切な人。こうしていなくなってみて初めてよくわかる。織莉子にとってキリカはなくてはならない存在だった。表面上が取り繕っているものの、その心にはぽっかりと穴が空き、ちょっとしたことで心が乱されてしまう。「……ごめんなさい。少しあの子のことを思い出してしまって、それで……」 織莉子は目元に溜まった涙を拭いながら、改めて二人の顔を見る。もう少し時が経てば、キリカの死という事実をしっかりと受け入れることができるだろう。しかし今はまだダメだ。自分のような気持ちを他の人にも味あわせたくない。だから自分でもらしくないとは思いつつも、率先してフェイトを捜しに向かおうとした。「……悪かったよ」 そんな織莉子の顔を見て何の前触れもなくアルフは立ちあがり頭を下げた。織莉子のことをきちんと理解できたわけではない。彼女の持つ独特の雰囲気は、今でもアルフの本能に訴えかけている。それでも先ほど、織莉子が語って見せた表情は決して偽りのものではないだろう。「アルフさん、貴女が頭を下げる必要はないわ。それより今はフェイトさんを捜しに行くのが先決でしょう?」「……そうだね。それじゃあゆま、あたしと織莉子はフェイトを捜しに行ってくるけど……」「もちろん、ゆまも行くよ!」「ダメだ。ゆまの気持ちもわかるけど、フェイトと入れ違いになるといけないから、ゆまはここで待っていてくれ」 気合いたっぷりにフェイトを迎えに行くつもりだっただけに、ゆまは表情を沈める。だがすぐにその顔に笑顔を取り戻し、アルフと織莉子に信頼を込めた言葉を放った。「……わかった。でもアルフ、オリコ、絶対にフェイトを連れて帰ってきてね。約束だよ」「えぇ、わかったわ」「任せろ」 そんなゆまに見送られて、フェイトを捜しに行く二人。その先で待ち受けているものを、まだ二人は何も知らなかった。2013/7/1 初投稿2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正