「くそ、杏子の奴、いったい何を考えているんだ!?」 杏子に出し抜かれたクロノたちが拘束を解いたのは、彼女たちが去って一分後のことだった。一分というのは、時間にしてみれば大したことはないが、この状況では致命的なタイムロスだと言えるだろう。「そんなに怒るものじゃないわよ、クロノ。それよりも今はフェイトさんたちを逃がさないように先回りしないと。とりあえず私は管制室に行くから、クロノは転送室で杏子さんたちを待ち伏せしてちょうだい」 そう言って二人は廊下に出る。しかしそこはすでに杏子の魔法によって行く手を阻む仕掛けが施されていた。バリケードのように張り巡らされた槍の数々。それは他の場所のような幻覚ではなく、確かな実体を持つ本物だ。 いくら管理局員が集まったところで、それは杏子には驚異になり得ない。今、アースラにいる中で驚異になり得る可能性があるのは、あくまでハラオウン親子のみであり、その二人を閉じ込めておくのが脱出への最善の策であると考えての仕掛けだった。「……やってくれるわね、杏子さん」 これほどの仕掛け、とてもこの短時間で仕掛けられるものではない。おそらくはこの一週間、彼女がアースラに住んでいた頃から少しずつ、気付かれないように仕掛けていったのだろう。しかし彼女もこのような自体になることなど、想定していなかったはずだ。万が一、管理局と敵対することになった時のために用意していた。その思慮深さと剛胆さは驚嘆に値する。「艦長、一気に吹き飛ばすので少し離れていてください」「ダメよ、クロノ。こんなところで範囲魔法を使ったら、アースラにどんなダメージを与えることになるかわからないわ」 クロノやリンディの力なら、この程度のバリケードを吹き飛ばすことだけなら実に容易い。だがその代償としてアースラの壁に穴を開けてしまう可能性がある。廊下とはいえ、壁の中には無数の配線が所狭しと通っている。もしそれらを傷つけてしまえば、どんな事態が起きるともわからない。「ここは地道に撤去していきましょう。幸い、通信手段は封じられていないようだしね」 リンディは念話でアースラ内全局員に杏子たちを捕まえるように通達する。リンディからの連絡を受けた局員たちはその内容に慌て、急いで杏子たちを捜しに向かう。 しかしリンディは誰よりもアースラ内にいる武装隊員の実力を把握している。数の上では圧倒的に有利だとしても、杏子もフェイトも相手は共に一流の使い手。捕まえるどころか、足止めすら難しいだろう。(……どうせ逃げられてしまうなら、ここは一度逃がしてしまうのも手かもしれないわね) そうしてリンディは一つの策を講じることにする。この方法で思慮深い杏子を出し抜くことができるとは限らない。しかし現状、杏子たちを捕まえられる可能性はおそらくこれしかないはずだ。 だがどちらにしてもここから解放されないことには始まらない。リンディはクロノに自分の考えを説明しつつ、アースラを傷つけないように槍の撤去を始めるのであった。 ☆ ☆ ☆ アースラの廊下を駆け抜けた杏子たちは、ようやく転送装置のある部屋までたどり着いた。人の気配がまるで感じられない広い一室。その中央には、船の外に出るための装置が煌々と光っている。「……妙だな」「妙って何がよ?」「考えてもみろよ。あたしたちがアースラから出るには、必ずこの転送装置を使わなければならない。……にも関わらずだ、ここには誰もいないし、転送装置の電源が切られているわけでもない」 これでは好きに逃げ出せと言わんばかりだ。杏子の予想では、武装隊員で足止めしている間にクロノをはじめとした精鋭を待機させておくとばかり思ったのだが、そのような気配は一切、感じられない。 もちろんそうならないように杏子は、クロノたちを閉じ込めた部屋の周りには、特別面倒な足止めを仕掛けたつもりだ。簡易的なものだが、それでもリンディやクロノを少しの間、閉じ込めるのには十分な仕掛けだろう。 だがそれにしたって他の武装隊員がいないのはおかしい。杏子たちがこの場所を目指していることは、少し考えればすぐにわかることだ。それなのに誰も待機させていないのはおかしさを通り越して不気味である。「でも杏子。いくら怪しいからって転送装置を使わないわけにはいかないよね?」 そんな尻込みをしている杏子にフェイトが声を掛ける。フェイトにも杏子の不安はわかる。しかしそんな不鮮明なもので足を止めるぐらいなら、初めから逃げ出そうとはしない。ここまできた以上、彼女たちは足を止めることを許されない。「……そうだな。ここで物怖じするようじゃあ、何のためにここまできたのかわからねぇしな」 三人はリスク覚悟で転送装置に乗る。目的地は海鳴市郊外。そこからまずは徒歩でフェイトの隠れ家を目指す。そうしてゆまと合流したのちに、今度はなのはの元にアリサを連れていく。「一応、最後にもう一度聞いておくけど、本当にいいんだな、アリサ。このままあたしたちについてきて」「くどいわよ! このままここにいたところで何も変わらないんだったら、どんな危険が待ち受けていようと行くしかないじゃない!!」「ならいい。それじゃあ帰るぞ。海鳴市へ」 その掛け声とともに転送装置は起動し、三人の身体は光に包まれる。そうして三人は海鳴市へと戻っていった。 ☆ ☆ ☆ フェイトを捜しに外に出た織莉子とアルフだったが、手がかりすらない現状ではそう簡単に見つけることはできないと判断し、二手に別れて捜すことにした。主にアルフが上空から広範囲を捜し、織莉子が足を使って地道に捜索する。 そんな役割分担で捜索を開始してから約一時間、織莉子は未だにフェイトが見つかるどころか手がかりすら掴むことすらできなかった。普通なら人に尋ねて捜すという方法が取れるのだが、フェイトは魔導師。一般人にその姿が目撃されている可能性は限りなく少ないだろう。ならば魔力の残滓を頼りに捜すという手も考えられるが、至るところにいる魔女のせいで、そんな微かな魔力など探知できるはずもなく、結局のところ地道な捜索活動に従事する以外に手はなかった。「……あら?」 そんな織莉子は不意に、不思議な魔力の気配を感じ取る。絶望の気配を漂わせる魔女の多い今の海鳴市の中で、強く猛々しいと思われるほどの強力な魔力。しかしその魔力からはどこか不安定で弱々しさも感じられる。 だが問題なのはその魔力を感じた先だ。織莉子のすぐ傍にある魔女の結界。魔力はそこから漂ってきている。おそらくは戦いの渦中の魔力がここまで漂ってきているのだろうが、結界を創り出した魔女の魔力ならともかく、結界に侵入したものの魔力が溢れ出ることなど、織莉子は聞いたことがない。可能性があるとすれば結界に綻びがあるか、もしくはその魔力の持ち主がとてつもなく強大な魔力の持ち主であるかのどちらかだ。 念のため、その魔力がフェイトのものではないかと疑うが、魔力の質から見てこれは魔導師のものではなく魔法少女の魔力である。それでもこれほどの力を持つ魔法少女が海鳴市にいるという事実は見過ごせない。織莉子はその魔力の正体を確かめようと、記憶の奥底から心当たりのある魔法少女の魔力を一人ひとり検証していく。織莉子が未来視によって知り得た魔法少女の数は少なくない。その中から該当する人物を絞っていく。「……えっ? でも、まさか、そんなことがあり得るはずが……」 そうして行き着いた人物を思い浮かべた織莉子は、驚きのあまりに思わず口から疑問が零れる。結界の中で戦っている人物が、織莉子の想像通りの人物であることはあり得ない。織莉子の知る限り、その人物は二日前に死んでいる。その死体を確認したわけではないが、未来視という形でそのシーンは目撃しているし、その後にキュゥべえにも事実確認をした。 ――しかし何度、確かめてみても間違いなく、この魔力はすずかのものである。「これはいったい、どういうことなのかしらね」 未来視はあくまで未来に起きる可能性を視せるもの。つまり織莉子の視た未来の光景は実際の出来事ではないのかもしれない。だがそうなるとキュゥべえの言葉はどうなる。キュゥべえは織莉子の問いにすずかは死んだと答えていた。嘘を突かれたとも考えられるが、その理由が織莉子には見当もつかない。 だがこの事実をこのまま見過ごすわけにはいかない。織莉子は無言で結界の中に入っていく。入ってすぐに感じられる濃厚な戦いの気配。複数の魔女が混在し、絶望の気配の漂う結界の中で、何者かが一人で戦っている。その正体を突き止めるために、織莉子は周囲を警戒しつつ結界の奥へと向かっていくのであった。 ☆ ☆ ☆ その少し前、なのはとキュゥべえは魔女の結界の中を訪れていた。今や海鳴市の至るところに存在している魔女の結界。その中でも彼女たちが訪れたのは一際、巨大な結界だった。複数の魔女の結界が入り混じり、混沌としている魔女の結界。しかしいくら周囲を見回しても、辺りに使い魔の姿はない。それはなのはが倒したからいないというわけではなく、彼女たちがこの結界に入った時にはすでに死滅していたからだ。その代わりに存在しているのが、数十数百とも思える魔女の大群。だだっ広い結界、その中央で魔女同士が喰い合い、より強力な魔女へと姿を変質させている最中だった。「……キュゥべえくん、これがすずかちゃんの見ていた光景なんだね」「厳密には少し違うかな? すずかが生きていた頃は、ここまで露骨に魔女が喰い合うようなことはなかったからね。むしろすずかがさせなかったと言うべきか」 本来、魔女は同一の結界の中に存在しない。各々のテリトリーに潜み、その中に迷い込む人間を絶望に誘う。どのような性質をもっていようと、その魔女の本質には違いはない。 だが今の海鳴市にいる魔女は違う。強大な魔力にあてられ、さらなる力を求める野獣と化している。現になのはの前にいる魔女たちは、彼女のことなど一切気にせず、力を得るために目の前の魔女を喰らい、そして喰らわれている。 そのあまりにも醜い光景を目の当たりにして思わず口元を抑えるなのは。互いに喰い合う魔女の姿そのものが気持ち悪いのではない。その際限なく力を求めるという在り様。その歪さになのはは吐き気を催したのだ。 それでも決して視線を外そうとしない。胸の奥から込み上げてくる吐き気に耐え、ただじっとその光景を目に焼き付けていた。「……わたしはあの魔女たちのことを否定しない。だってそれは、すずかちゃんの願いも否定しちゃうことになっちゃうから」 なんとか吐き気を飲み込むと、なのははそう言って魔女へ向かって一歩ずつ近づいてく。より間近でその光景を脳に焼き付けるために。「なのは、どこに行くんだい? キミをここに連れて来たのは、すずかが見てきた光景を見たいと言ったからだ。いくら魔法少女となってさらなる力を身につけたと言っても、キミはまだ魔法少女としては半人前。その初陣にしては、ここにいる魔女の大群を相手にするのは聊か厳しいんじゃないのか」 キュゥべえはなのはを心配して声を掛ける。尤も、キュゥべえが心配しているのはなのはの無事ではなく、彼女から回収予定のエネルギーに関してだ。なのはの素養、そして魔法少女になる時に叶えた願い。その二つを加味すれば、彼女が魔女になる時に発生するエネルギーの総量は想像がつかない。彼女一人でノルマ回収が達成できるとは思えないが、それでもキュゥべえにとって大きな一歩になることは間違いない。「確かにキミは強い。魔導師として素晴らしい素養を持ち、その上で魔法少女になったんだ。まず間違いなく最上級の力を持つ魔法少女になれただろう。でもキミはまだ、その力の使い方をきちんと理解していない。そんな状態でこんな大群に戦いを挑むのは無謀なんじゃないかな?」 だからこそ、キュゥべえもまた慎重にならざるを得なかった。なのはならあるいは、ここにいる魔女を殲滅させることも可能かもしれない。しかし万が一、こんなところで悪戯になのはを死なせて、その魂が絶望に染まる時に発生するエネルギーを回収し損ねるようなことになれば、それはキュゥべえにとって大きな損害である。それ以外にも、いずれジュエルシードを全て手に入れる上でもなのはという戦力は絶対に必要になってくる。それ故の言葉だった。「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。わたしは魔女なんかには絶対に負けないから」 しかしなのははその言葉に耳を貸さない。魔法少女になったことで自分の実力を過信しているというわけではない。このまま魔女を放置して逃げ出せば、新たな犠牲が生まれる。それが許せないからこそ、なのはは魔女の大群に戦いを挑むのだ。例え自分がどんなに傷つくことになったとしても、それで一人でも多くの命が救えるのならそれでいい。――そう、すずかがそうやってなのはたちの命を救ったように。 ☆ ☆ ☆ 転送装置で地球に戻ってきた杏子たちが降り立ったのは、奇しくも四人の少女が一同に集まり、初めて管理局の存在を知ったいつかのビルの屋上だった。郊外どころか海鳴市の中心とも言うべき都市部に降り立ったことで、杏子はすぐに警戒態勢をとる。 それとほぼ同時に彼女たちに襲いくるスティンガー。杏子はとっさにフェイトを突き飛ばし、アリサを抱えてその場から飛び退く。 突然のことで驚きの表情を浮かべる二人だが、すぐに自分たちが管理局の罠にハマってしまったことに気付く。そうしてスティンガーが飛んできた方向へ視線を動かすと、そこには案の定、クロノの姿があった。「……おいおい、随分と手厚い歓迎だな、クロノ」「それはこっちの台詞だ。アースラに仕掛けられた君のトラップには本当に手を焼かされたよ」 クロノは鋭い目つきで杏子を睨みつける。その視線には明確な敵意が込められており、この後、起きる展開は容易に想像できた。「しかしアリサ・バニングス、どうして君までここにいるんだ? まさか杏子に人質にでもされているのか?」「人聞きの悪いことを言ってんじゃねぇよ! こいつは自分の意志であたしたちについてきたんだ」「……そうか。だが杏子、君はそれでよかったのか? 彼女をアースラから連れ出すということは、なのはの頼みに反することだ。そのことに君が気づいていないわけがないだろう?」「なのはの頼み?」 クロノの口からなのはの名前がでたことで、アリサは思わず口を挟む。「なのはは僕たち管理局に君の保護を頼んだんだ。今の海鳴市は僕たちから見ても危険過ぎると判断せざるを得ない。そんな場所に何の力もなく、さらにいつ目覚めるかわからない君を置いておくことになのはが強く反対してね。特別扱いするわけでもないが、あの魔法少女に直接ダメージを与えられたということもあり、その頼みを聞くことにしたんだ」「なのはが、そんなことを……」 クロノから説明を受けて、アリサはその表情を沈める。それはなのはの思いを踏みにじってしまった罪悪感からではなく、彼女と自分との間に明確な距離があると改めて自覚させられたからだ。 確かにアリサには何の力もない。だからって彼女一人、避難させて自分は海鳴市に留まり続けている。その事実がアリサにはどうしても許せなかった。「それで、君はどうするつもりだ? もしアースラに戻るというのなら、すぐにでも転送させよう。だが、杏子たちについて行くというのなら……」 そう言ってクロノはS2Uを構え、アリサに対しても敵意を飛ばす。それに怯むアリサ。そんなアリサの前に杏子とフェイトが守るように並び立つ。「天下の執務官殿が民間人相手に殺気を飛ばすなんて大人げないぜ」「わたしはアリサのことはついさっき知ったばかりだけど、彼女の気持ちはなんとなくわかるから、だからここで無理矢理連れさるなんて真似はさせない」 二人はそれぞれに武器を構え、臨戦態勢をとる。もし二人が各々の目的を優先するのならば、ここはアリサを見捨てて逃げの一手を打つ場面である。そうすれば二人は間違いなくクロノから逃げ果せることができるだろう。しかしその選択肢は二人の頭にはない。 アリサをすずかの死ときちんと向かい合わせ、なのはと会話させる。なのはとアリサ、二人の様子をみてきた杏子は、それが必要不可欠なことだと杏子は感じていた。ユーノだけではなのはを立ち直らせることはできなかった。そんななのはを立ち直らせることができるとしたら、それはもうアリサを置いて他にはいない。そしてそれはアリサにとっても同様だろう。だからこそ、二人をきちんとした形で向かい合わせる必要があると感じていた。 フェイトは未だ、後悔の中にあった。あの時、すずかを無理にでも追いかけていれば。そしてあの結界の中を無理にでも進んでいれば、何かが変わっていたかもしれない。もちろん過ぎてしまったことは変えられない。しかしこれから起こることは変えることはできる。すずかが命を賭けて守ろうとしたものを、フェイトもまた守りたかった。 考えは違えど、二人がアリサを守り、その想いを尊重したいという気持ちに変わりはない。「あたしはあんたと一緒に帰ったりなんかしない。仮に連れ戻されたとしても、何度だって抜け出してやるわ!」 そんな二人の強い想いに触れ、アリサは強く決意し、自分の意志をクロノに告げる。アリサは、何も知らないままでいるのが嫌だった。傍観者ですらなかった自分を置いて、親友二人が遙か遠くにいってしまっていた。それがどうにもたまらなく辛かった。 しかし今にして思えば、アリサは無理に二人から事情を聞きだそうとしなかったことも事実である。それは下手に二人の秘密に触れようとしたことで、今の居心地の良い関係が壊れるのが嫌だったから。だからアリサは今でもなのはが魔導師になったことも、すずかが魔法少女になったことも知らないままだったかもしれない。それがどんなに恐ろしいことか、想像もしたくない。 だがもう迷いはない。例えどんな危険が待ち受けていようとも、その結果、なのはとの関係が変わってしまおうともアリサは前に進み続ける。もう絶対、大切なものを零れ落とさないで済むように。「……そうか。君の気持ちは十分に理解したよ。だが一つだけ忠告させてくれ。敵対している僕がこんなことを言うのもおかしな話だが、僕たちの戦いに巻き込まれないように気をつけてくれ。生憎と、僕も彼女らも君を気遣う余裕などないだろうからね」 クロノがそう告げると同時に、周囲には管理局が創り出した結界が立ちこめる。ビルの眼下から聞こえてきた喧騒の音はなくなり、隔離された位相空間へと場所を移す。「……フェイト、あたしがクロノとやり合っている間にこの結界を突破することって可能か?」「もしこれが普通の結界ならできたと思うけど、きっとこれはわたしたちを逃がさないために管理局の人たちが創り出したものだから、そう簡単にはいかないと思う」「ってことは、どうやらあたしたちがそれぞれの目的を果たすためには、ここでクロノを倒さなきゃならねぇってことだな」 そう言って杏子たちは覚悟を決める。魔女相手ならば杏子の方が戦い慣れている分、クロノよりも優位に戦うことは可能だが、直接対決となると話は別である。自由自在に飛べるクロノに対して、杏子は基本的に地に足をつけた戦い方しかできない。さらに同じ魔導師でも執務官であるクロノとフェイトとでは、その実力に天と地ほどの差があることも知っている。 だがそれでも、杏子は足掻く。もしこれがクロノと一対一の戦いならば、逃げるための策を考えただろう。しかし杏子には秘策があり、さらに横にはフェイトが立っている。この状況ならば、クロノを出し抜くことは十分に可能だろう。「戦う前に一つだけ約束しろ。あたしたちが勝ったら、この場は素直に結界を解いてあたしたちを見逃せ。クロノを倒しても結界が解けないまま閉じ込められるとかになっちまったら、あたしたちとしても溜まったものじゃないからな」 だからこその条件提示。クロノを倒した後、結界を破る魔力が残っている保証はどこにもない。それ故に杏子は確実にクロノを倒せばこの逃亡劇が終わる保証が欲しかったのだ。「その条件を飲んでも構わないが、その代わりにこちらからも一つ条件をつけさせてもらう。僕が勝てば君たちの知っている情報は全て開示してもらおう。もちろんそれは杏子だけじゃなく、フェイトも同様だ」「……あたしは別に問題ねぇが」 そう言って杏子は並び立つフェイトをチラリと見る。正直、杏子はフェイトがこの条件を飲むとは思えなかった。フェイトが自分の目的のためにその身を犠牲にしてまで戦ってきたのは、杏子も知っている。そしてその情報を不用意に開示しようとしないのもおそらくは母親のためだろう。二対一とはいえ撒ける可能性がある以上、この条件をフェイトが飲まない可能性もあると考えていた。「わたしもその条件で構いません」 だが実に呆気なく、フェイトもまたその条件を了承する。「……いいのか?」「構いませんよ。だってわたしたちが勝てばいい。それだけの話なんですから」 思わず確認をした杏子に、フェイトは力強い笑みを見せる。それを見て目を丸くした杏子は、次第に腹の底から笑いが込み上げてくる。「……ぷっ、あーっはっはっは! そうだな、その通りだぜ、フェイト。やっぱお前は最高だぜ!!」 そうして一頻り笑った杏子は、アリサに視線を移し、声を掛ける。「フェイトがここまで強気な発言をしたんだ。これで負けるなんてありえねぇからな。だからアリサ、お前は安心してあたしたちの戦いをその目に焼き付けてろ」 そうして戦いの火蓋が切られる。先ほどのような逃げるための戦いではなく、倒すための戦い。だからこそ杏子は出し惜しみせず、最初から全力でクロノに挑んでいった。 ☆ ☆ ☆ なのははレイジングハートを握り、バリアジャケットに身を包み、魔女たちへと戦いを挑んでいく。魔法少女になったからといって、なのはの基本的な戦闘スタイルは変わらない。高威力の魔法で敵を殲滅する砲撃型。レイジングハートの先から放たれる魔弾によって、魔女が次々と打ち抜かれていく。 今までのなのはの砲撃ならば、それだけで倒すのは難しかっただろう。ディバインバスターを溜め打ちすれば今までのなのはでも可能だっただろうが、今の彼女が放っているのはディバインシューター。それも拡散性が高く、一発一発の威力が通常のものよりも劣るバリエーションだ。それなのにも関わらず、通常の魔女はその一撃で身体を貫かれ消滅していった。 それはキュゥべえと契約したことで、なのはの持つ基礎魔力が大幅に向上したからだ。また連射速度、射撃精度についても同様で、なのはは三十発近いディバインシューターをほぼ同時に放ち、そのすべてを確実に魔女に命中させていた。 もちろんそれだけでは倒せない魔女もいる。すでに他の魔女を喰らい、力をつけた他よりも一回りほど大きな魔女。言わば大魔女とも呼ぶべきそういった魔女は、なのはの放つディバインシューターを気に留めることなく、未だに他の魔女を喰らっていた。 その中でも一際、大きな魔女がいた。三十メートルはあるであろう大きな巨体。しかしその身体つきに整合性はなく、その身体は様々な生物を無理やり縫い合わせたようなものだった。その腹には通常の魔女なら一口で飲み込めてしまいそうな大きな口があり、他の魔女を捕まえては、まるでポケットに物をしまい込むように放り込み続けていた。【なのは、早くあの大きな魔女を倒すんだ。これ以上力をつけられたら、手に負えなくなる】 そんな大魔女の姿を見て、キュゥべえはなのはに指示を飛ばす。すでになのはの実力はすずかと同等かそれ以上だ。それは彼女の願いの産物でもあるのだが、なのはにはまだ伸び代が十分に残されている。 その証拠にこの戦闘で彼女が使った魔法は全て魔導師としてのものだ。移動に使っている飛翔魔法も攻撃の手段として放つディバインシューターも、魔法少女としての力ではなく魔導師としての力だった。 魔法少女になったものは、自分の願いが叶うと同時にいくつかの力を授けられる。それを一括りに魔法と呼んでいるが、そうして手に入る力は千差万別。他者を拘束する魔法、傷を癒す魔法、幻影を作り出す魔法、時を止める魔法、未来を視る魔法。その願いによって少女が手に入れる魔法は大なり小なり違いはあるが、例外なく全ての魔法少女にはそうした力が与えられていた。 だが未だ、なのははその一切を見せようとしない。こちらの攻撃にびくともしない相手にも、頑なに魔導師としての魔法を使い続ける。隙をついてディバインバスターなどを放っていたりもするが、それでも大魔女はびくともせず、魔女を喰らい続けていた。【なのは、キミはもしかして魔法少女としての戦い方がわかっていないんじゃないのかい?】 そんななのはの姿を見て、思わずキュゥべえが尋ねる。今まで魔導師として魔法を振るってきた弊害。ほとんどの魔法少女はキュゥべえと契約した瞬間、本能的に魔法の使い方を理解することができる。しかしなのはは今まで、短いながらも魔導師として戦ってきた。それ故に身体に染みついてしまった癖が、彼女を砲撃魔導師としての戦いをさせていたのだ。 もちろんそれだけでも彼女は以前より遥かに強い。キュゥべえと契約したことにより基礎魔力が向上し、放つ魔法一つひとつの威力も精度も上がっている。しかし今の海鳴市で戦い抜くには、その程度の実力では物足りない。せめて大魔女にダメージを与えられる程度の魔法を行使できなければ、この先の未来は存在しない。【なのは、確かにキミの魔法少女としての素質は素晴らしい。それはボクも認めることだ。だけど満足に行使できなければ、それは宝の持ち腐れだ】【……何が言いたいの? キュゥべえくん】【なのは、ボクはね。キミに死んでほしくないんだ。今のキミに倒すことは無理でも、魔法少女としての力を使いこなせるようになれば、この程度の魔女を倒すことなんてキミには造作もないはずさ。だからここは退いて、ボクと一緒に魔法少女としての力を少しずつ覚えていこう】【……そんなのダメだよ。今、あの魔女を倒せるのはわたしだけなんだから】 必死に呼びかけるキュゥべえだが、なのはは聞き入れようとはしない。なのは自身、溢れんばかりの力を手に入れたことは自覚している。現にさきほどから放っているディバインシューターやバスターは、以前までとは比べ物にならない威力だ。それでも大魔女には傷一つ負わせることができない。 だがそれでも、なのはは自分の力が目の前の魔女に劣っているとは思わない。なのはの内から溢れる炎のように熱い魔力。上手く外に出すことはできていないが、それを自由に解放することができれば、あんな魔女の大群など一撃で消し炭にできると確信している。 しかし何度、念じてもなのはは自分の内にある魔法を上手く引き出すことができない。レイジングハートの先から出るのは、契約前と同様の桜色の砲撃のみ。それでも強くなったことには変わりないが、それでダメージを与えられない以上、意味がない。「こうなったら……」 焦りのあまり、なのはは大魔女の正面に躍り出る。そしてそのまま至近距離でディバインバスターを放つ。自分の持ち得る魔力を限界まで引き出して放たれるディバインバスター。それを真正面から放てば、無傷とはいかないはずだ。そう考えての行動だった。 しかし無情にも、そんななのはの必死の一撃でも、大魔女に大したダメージを与えられなかった。ディバインバスターが直撃した部位には大きな穴が空き、魔女は低くうめき声を放っている。しかしその動きを鈍らせるどころか、なのはの存在に気付いた様子もなく手近な魔女を喰らい続けている。さらにそうして喰らって魔力を得たためか、なのはが作りだした傷は一瞬で回復してしまっていた。「そ、そんな……」 その無情な現実になのははショックを受けるあまり、レイジングハートをその場に落としてしまう。そのまま宙で茫然自失となり、その場に動きを止める。 そうしてできた大きな隙。大魔女はなのはに注意を向けないものの、他の魔女もそうというわけではない。なのはの近くにいた魔女の一匹が触手を伸ばし、その身を自分の元に引き寄せる。 触手から逃れようと必死にもがくなのは。しかしその手にはレイジングハートもなく、上手く自分の魔力を練ることができない。力任せに抜けだそうとしても、なのはは九歳の女の子。魔法少女になったことで身体能力が向上したといっても、高が知れている。もがけばもがくほど、なのはの身体に触手の棘が食い込み、脱出を困難にしていく。 そうして徐々に引き寄せられる先にいた魔女は、大きく口を開きなのはを飲み込めるのを今か今かと待っている。そんな絶望的な状況に、なのはは死を覚悟し目を閉じる。その心の内は後悔で溢れていた。せっかく魔法少女になり、皆を守れる力を手に入れたはずなのに、誰も守ることができなかった。そんな後悔がなのはの心を絶望に染め上げる。 だがそんな中、なのはは不意にすずかのことを思い出す。すずかは最後まで諦めなかった。自分がどんなにボロボロになろうとも皆を守り切った。そんなすずかが今のなのはの姿を見たらどう思うだろう。きっと軽蔑されるはずだ。 皆に止められたのに魔法少女になり、誰も守れず死んでいく。それでは何の意味がない。なのはが死ぬ時、それはすずかのように誰かに希望を繋げる時だ。今のように絶望の果てに死ぬということはあってはならない。だから……。「わたしに力を貸して、すずかちゃん!!」 なのはがそう叫ぶのと同時に、魔女は触手を一気に動かし、なのはを口の中に引き込んでいく。そして口を閉じ、何度も咀嚼する。 だが次の瞬間、その魔女の全身から大きな魔力の柱が立ち昇る。炎のように赤い魔力の柱。その発生源たる魔女は、その魔力に中てられ、その身を業火に燃やされ、一瞬で消し炭にされる。そんな燃え尽きる身体の中から現れる人型のシルエット。 ――それはなのはだった。一本の杖を握りしめ、爆炎の中から舞い上がるなのは。その胸に紫色のソウルジェムを輝かせた姿は、先ほどまでとは、一線を画すものだった。2013/7/14 初投稿2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正