アルフと別れたフェイトはアリサを捜すために結界内を飛び回っていた。アリサは魔法が使えない。もし魔法が使えるのなら念話で呼びかけることも、その魔力を頼りに位置を探ることもできるのだが、それができない以上、地道に目視で捜していくしかなかった。「――――ッ!!」 そんなフェイトが不意に感じた強大な魔力。背筋が凍るほどの冷たく、それでいておぞましい魔力。それは先ほどの黒い砲撃と同質のものだった。フェイト一人では勝負にすらならないだろう。それほどまでに圧倒的な魔力。しかしだからこそ、フェイトは魔力の気配が色濃い方に向かって飛んでいく。魔力に対して何の対処もできないアリサが万が一、その魔力をまともに浴びれば一溜まりもない。そんな彼女を守るために、フェイトは覚悟を決めてその魔力を放つ人物の元へ近づいていった。 そうして近づいた先のビルの屋上に佇む一人の少女。紫と赤を基調としたバリアジャケットに身を包むその姿。フェイトの位置からではその顔を確かめることはできないが、それでも彼女こそが先ほどフェイトたちに攻撃を仕掛けてきた魔法使いであると確信を持てた。「……ッ!?」 そんな彼女の足元で横たわっているアリサの姿を見て、フェイトは思わず声を上げそうになる。目立った外傷はないがその目は閉じられており、意識がないのは明白だった。状況から考えて、目の前の少女が何かを行ったのは間違いないだろう。 故にフェイトは反射的に飛び出し、バルディッシュで切りかかる。彼女が何の目的でアリサに手を出したのかはわからない。それでもこのまま放っておくわけにはいかない。相手の持つ魔力は明らかにフェイトより強大なものだ。それ故にフェイトは一撃必殺の覚悟で少女に襲いかかった。 だがそれほどの魔力に少女が気付かないはずはない。フェイトの接近に気付いた少女は驚きの表情を浮かべながら、その顔を上げた。「えっ……?」 その少女の顔を見て、思わずフェイトは動きを止める。アリサの傍に佇んでいた少女、それはなのはだった。その顔を涙でぐしゃぐしゃで歪めたなのは。彼女が泣き腫らす原因となったのは間違いなくアリサだろう。しかし彼女から感じられる魔力はとても禍々しく、フェイトにとっては忘れたくても忘れられないあの黒い砲撃から感じられたものと同じものだった。 何が何だかわからなかったフェイトは、その場で硬直する。バルディッシュに込められていた魔力も霧散し、頭の中では様々な疑問が湯水のごとく溢れてくる。そんなフェイトに対してなのはは思いっきり抱きついた。「よかった、フェイトちゃん。無事だったんだ。本当によかった」 フェイトの身体を抱きしめながら、なのはは心の底から安堵し、その無事を喜ぶ。状況を把握できないフェイトに対し、なのはは突然姿を見せたフェイトの無事を心から喜んだ。自分の砲撃に巻き込んでしまったフェイトが五体満足で無事に生存していた。それがなのはには嬉しくてたまらなかった。 そんななのはの姿にフェイトは何も言うことができず、しばらく為すがままにされ続けた。だがその視線はアリサへと釘付けになっていた。規則正しい寝息を立てているアリサの姿を見て安堵すると同時に、一体この場でなにがあったのかが気になって仕方がない。「……あのね、フェイトちゃん。わたし、フェイトちゃんに謝らなければならないことがあるの」 一頻りフェイトの無事を喜んだなのはは、申し訳なさそうに語り始める。それは先の砲撃を放ったのが自分であるという告白だった。今のなのはの魔力を考えれば、あの禍々しい砲撃を放てたのも不思議ではない。 だがそんなことよりも疑問だったのは、何故なのはがこの短時間にこれほどまでの魔力を手に入れることができたのかということだ。しかもただ強大な魔力になっただけではなく、今のなのはから感じられる魔力の質は以前とは違い、とても混沌としたものだ。なのはが嘘をついているとは考えてはいないが、それでも警戒を緩めることはできなかった。「……フェイトちゃん、わたしに聞きたいことがあるって顔をしてるね」 そんな考えが表情に表れていたのだろう。どこか俯きながら訪ねてくるなのは。フェイトがなのはを信用しきれなかったのは、アリサの現状にあった。もしあの砲撃を放ったのがなのはだとするなら、この結界の中にアリサを傷つけるような人物は一人もいないということになる。だがアリサは眠っている。目立った外傷はなく、呼吸も規則正しいが、それでも彼女の意識はない。その理由がフェイトにはわからなかった。「……それじゃあ教えて。どうしてアリサはここで寝ているの? それになのはから感じられる魔力。いったい何があったの?」 だからこそフェイトは距離を取り、バルディッシュを構える。目の前にいるのは自分とは別格の力を持つ魔導師である。いつでも戦闘になってもいいように、細心の警戒を払いながら、なのはの返答を待った。「……そういえばフェイトちゃんは、杏子さんと一緒にアリサちゃんをアースラから連れ出したんだったね。なら教えてもいいかな?」 なのはがそう告げると同時に彼女の身体から黒い魔力が迸る。魔力は黒い炎となってなのはの周囲を包み込む。そのあまりの熱量にフェイトは恐ろしさを感じると同時に、どこか懐かしさも覚えた。「なのは!? 何を……ッ?!」「何って少しだけ魔力を解放しただけだよ。わたしがキュゥべえくんと契約して得た魔力をね」「キュゥべえと契約って、それって魔法少女になったってこと?」「そうだよ」 フェイトの問いに間髪いれずに肯定するなのは。以前のなのはの魔力はフェイトとほぼ同程度のものだった。それがキュゥべえと契約しただけでこれほどまでに変わってしまうものなのかと、フェイトは驚きを隠せなかった。「……あなたはどうして、キュゥべえと契約したの?」 だがそれ以上にフェイトが気にしたのは、なのはがキュゥべえと契約した理由である。キュゥべえに契約を迫られているのはフェイトとて同じである。それも自分の願いではなく、プレシアの願いを叶えるというイレギュラーな形で契約を求められている。 だからこそ、フェイトはなのはがどのような理由で契約したのかを聞きたかった。数日前に出会った時には、そんな素振りすら見せなかったなのはが契約した理由。そこにフェイトの悩みを解決する糸口があると思ったから。「……すずかちゃんのように強くなりたかったから、かな?」「すずかのように?」「うん。フェイトちゃんもすずかちゃんのことは知ってるよね。誰よりも日常を愛し、それ故に力を求めて、最後には希望を託して死んじゃったすずかちゃん。そんなすずかちゃんの意志をね、わたしは引き継ぐことにしたの。彼女が残した希望をこのまま枯らせるわけにはいかなかったから」 その言葉はとても重いものだった。キュゥべえの叶える奇跡の力があれば、すずかを蘇らせることもできたかもしれない。しかしそうはせず、なのはは彼女の気持ちを優先した。なのはとて、すずかともう一度会いたいと願っていたはずだろうに。「でもね、すずかちゃんと同じ立場になって初めてわかったこともあるんだ。きっとわたしはもう、日常には戻れない。この力は平和を守ることはできるけど、それと同時に簡単に誰かを傷つけてしまう恐ろしい力なんだ」「そんなことは……」「ないとは言い切れないはずだよ。だって現に、わたしの意図しない形でフェイトちゃんたちを傷つけてしまったのだから」 なのはの指摘にフェイトは押し黙る。あの砲撃から感じた強烈な死の臭い。あのまま直撃していれば、おそらく三人ともただでは済まなかっただろう。現に杏子とクロノはまだこの場に現れない。あの二人の力量ならすでに結界内に到着していてもおかしくないはずなのに。「強大な力は人を孤独にする。すずかちゃんはそれを理解したからこそ、みんなの前から姿を消した。そしてわたしもそうするつもりだった。でもね、それをアリサちゃんは納得しなかった。――だからわたしはアリサちゃんの記憶を消したの」 だがなのはの次の言葉を聞いた瞬間、フェイトの頭は一瞬で真っ白になる。思わず聞き返してしまいそうになるフェイトだったが、そんな暇が与えられることなくなのはの言葉は続いていく。「すずかちゃんに追い縋ろうとしたわたしのように、きっとアリサちゃんもわたしのことを捜し出そうとする。だけどアリサちゃんには魔法の素質が全くない。体内にリンカーコアもないし、キュゥべえからも魔法少女の素質はないとはっきり言われた。そんなアリサちゃんがわたしのことを捜そうとすれば、どのような危険な目に遭うかわからない」「……だから記憶を消したっていうの?」「うん。凄く悲しいことだけど、でもこれでアリサちゃんの平和が守られる。だから……」「……るな」「……フェイトちゃん?」「ふざけるな!!」 なのはの言葉に、フェイトは怒鳴りを上げる。記憶というのは、その人の人格をも形成するための大切な要素である。そして思い出はその人にとって何よりも掛け替えのないもので、他人にどうにかされていいようなものではない。 だがなのははそれを汚した。それも自分の友達であるはずのアリサのをだ。それがフェイトには堪らなく許せなかった。「なのは、君はアリサの気持ちを考えたことがあるの? アリサはね、ずっとなのはやすずかのことを考えていた。なのはの口から聞くまではすずかの死を頑なに信じようとはしなかった。例えどんな危険な目に遭うとしても、それでもなのはの口から真実を聞くためにここまできたんだ」「……だからだよ。すずかちゃんがあんな風になった以上、わたしにとって友達はアリサちゃんだけなんだよ。だからアリサちゃんには絶対に安全な場所にいて欲しかった。だからリンディさんやクロノくんに頼んでアースラに置いてもらっていたのに、それなのに……」「アリサは一人で待っているのが嫌だったんだ! なのはやすずかが危険な目に遭っているのに、自分だけが蚊帳の外にいるのが嫌で、だからこそ必死に縋ろうとしたんだ! アリサと知り合ってほんの数時間のわたしでもわかるんだから、ずっとアリサと友達をやっていたなのはなら、わかるでしょう?」「わかるよ。でもだからこそ、わたしはアリサちゃんの記憶を消すしかなかった。きっとアリサちゃんはどこまでもわたしを追いかける。それがわかっていたから、だからアリサちゃんの中からわたしたちを消して、その日常を守るしかなかったの!!」「それは違う! なのは、君がアリサの日常を壊したんだ。アリサにとっての日常は、きっとなのはとすずか、その二人がいてはじめて成立するものだったはずだ。すずかはもういないけど、それでもまだなのはがいればアリサの日常は守られたはずなんだ。それなのになのははアリサの中から自分とすずかの存在を消した。それはとても残酷で無慈悲なことだよ!」「……っ!? ……それじゃあ、それじゃあわたしはどうすればよかったって言うの!? 魔法少女になった以上、わたしはもう普通の生活は送れない! 常に戦い続けなくちゃならない! そこにアリサちゃんを巻き込めるわけないじゃない!!」「……それでも、それでもアリサの記憶を消すなんて悲し過ぎる。きっと誰もそんなことは望まなかったはずだ。アリサはもちろん、きっとなのはも、本当はそんなこと、望んでなかったはずだ」 なのはの言わんとすることは、フェイトにも理解できる。大切な人には危険な目に遭って欲しくない。その気持ちは痛いほどわかる。それでもフェイトはなのはの考えを受け入れることはできなかった。 それはフェイトの目の前でなのはが悲しげな表情を浮かべているから。必死で自分の感情を押し殺し、それでもなおアリサの身の安全のために彼女は記憶を消し去る道を選んだ。そのことがフェイトとて理解できないわけではない。場合によってはフェイトには口出しをする必要すらないだろう。「もしこれが二人とも納得しての選択だったらわたしは何も言わない。……でもそうじゃない。アリサはもちろん、なのはだって納得していないっていうのがわかっている以上、あなたはわたしが止める。例え力ずくでも、アリサの記憶はわたしが取り戻してみせる」 そう言ってフェイトはなのはにバルディッシュを向ける。今のなのはとフェイトとの間には、絶対的な魔力の差がある。それでも迷いのあるなのはとなら、十分に勝機はある。フェイトはそう考えていた。「……フェイトちゃん、ホンキ?」 しかしバルディッシュを構えたフェイトに対して、なのはは急激に冷ややかな目つきを向ける。つい先ほどまで取り乱していたのが嘘だったかのように、今のなのははとても静かで、それでいて不気味だった。「あぁ、わたしは本気だ。確かに今のなのははキュゥべえと契約して、わたしよりも強い魔力を持っている。……それでも、わたしは負けない」 そう言ってフェイトはバルディッシュでなのはに切りかかる。だがなのははそれを受け止めた。ラウンドシールドでもルシフェリオンを使ってでもなく――素手で。電撃を伴った魔力刃を直接掴んでいるはずなのに、なのはは眉一つ動かさない。ただただ冷ややかな瞳をフェイトに向けるのみだった。「なっ……!?」「フェイトちゃんがアリサちゃんを思う気持ちは嬉しいけど、それでもわたしは誰にも負けるわけにはいかないから。だから……ごめんね」 なのははバルディッシュを掴んだまま、もう片方の腕でルシフェリオンを構え、フェイトに砲撃を浴びせる。至近距離から放たれた黒いディバインバスターは、そのままフェイトを飲み込んで、吹き飛ばしていく。なんとか防御しようとしたフェイトだったが、彼女がとっさに展開したラウンドシールドを一瞬で溶かし、そのまま彼女の意識を刈り取っていく。砲撃の中で何度も気絶と覚醒を繰り返し、それでもなおなんとか砲撃から逃れようとフェイトは足掻き続けた。 どうにか砲撃の中から逃れることができたフェイトだったが、すでにその身は満身創痍の状態だった。身に纏ったバリアジャケットはボロボロに焼け焦げ、飛んでいるのもやっとの状態。それでもフェイトの心は決して折れていなかった。 だがそんなフェイトに追撃を掛けるかのように、なのははその背後に回り込み、ルシフェリオンを突きつける。そこから感じられる魔力は、先ほどフェイトが喰らったディバインバスターよりも、なお大きなものだった。「……ごめんね、フェイトちゃん。こんなことしといてなんだけど、できればしばらくの間、アリサちゃんを守ってあげてくれないかな。――わたしにはもう、その資格がないから」「……ま、待って。なのは」 なのはの言葉に待ったを掛けようとするフェイト。しかしその間もなく、なのははディバインバスターの二射目を放つ。背後から放たれたそれは、今度こそフェイトの意識を確実に刈り取っていく。 確かにフェイトはここに来るまでに大部分の魔力を消耗していた。それになのはとの戦力差を見誤ってもいなかった。それでもこのような結果になったのは、純粋な実力差の表れだった。それがフェイトには堪らなく悔しく、それでいて悲しかった。(わたしに、もっと力があれば――。わたしも、魔法少女になっていれば……) フェイトが魔法少女になるチャンスは、もう随分前からあった。もしフェイトが魔法少女になっていれば、ここまで一方的にやられることはなかっただろう。いや、それ以前に最初にキュゥべえから持ちかけられた時に契約していれば、なのはが魔法少女になることもなく、すずかを助けることもできたかもしれない。 そんな後悔を抱きながら、フェイトの意識は沈んでいく。どこまでも深い闇の中へと、フェイトの心は堕ちていった。 ☆ ☆ ☆「……っ!?」「アルフ、どうかしたの?」 フェイトの元に向かって飛んでいるアルフの表情が突然、強ばる。フェイトとアルフ、魔導師と使い魔というものは目に見えない絆で繋がっている。故に時たま、フェイトの感情がアルフの中に流れ込んでくる時がある。別の世界にいる時や結界の内と外などはそういったものが流れ込んでくることはないが、今のように近しい距離にいる時に、フェイトが何かしらの強い感情に捕らわれた時は、漠然的だがそれを感じ取ることができた。 そんなアルフが胸のうちに抱いている感情を一言で表すなら「悔しさ」。どうしてそんな思いがフェイトの中から溢れているのかは、今のアルフには知る由もないが、それでもフェイトが危機的な状況に陥っているということだけはハッキリと理解できた。「織莉子、悪いけど少し飛ばすよ」 アルフはそう告げると織莉子の許可をもらう前にその飛行速度を上げて飛んでいく。そうして飛んでいった先に並んで横たわっている二人の少女。それはフェイトとアリサだった。目立った外傷もなく規則正しい呼吸で眠っているアリサと、全身が大きく傷つけられうめき声をあげているフェイト。そんなフェイトの姿を見て、アルフは慌てて駆け寄り、その身体を抱き起こす。「フェイト!? 一体だれが、こんな……」「落ち着きなさい、アルフ」「こんな時に落ち着いてなんて……」「こんな時だからこそ落ち着きなさいと言っているのよ! ……今は一刻も早くここから脱出してフェイトさんの治療をしなければならない。そうでしょう?」 織莉子の言葉にアルフはハッとなる。彼女の言う通り、今この場でアルフが泣き叫んだところで何にもならない。今は一刻も早くフェイトを安全な場所に運び、治療を受けさせる必要があった。「そ、そうだね。それじゃああたしがフェイトを運ぶから織莉子はそっちの……」「いえ、アルフさん。その必要はないわ。ここは管理局に助力を請いましょう」 だからこそアルフは、管理局の結界から抜け出し、時の庭園まで戻ることを提案しようとするが、その前に織莉子が自分の考えを告げる。「なっ…!? なにを言ってるんだい!! あたしたちは管理局と敵対してるんだよ。それなのに管理局に助けを求めるなんて、冗談じゃないよ!!」 しかしそれに納得できるアルフではない。アルフたちと管理局は敵対関係にある。望まぬこととはいえ、次元世界の法に触れることも数多くしてきたアルフにとって、管理局に助けを求めるのは抵抗があった。「アルフさん、貴女にとって重要なのは管理局に捕まらないことではなく、フェイトさんの身を守ることでしょう? 本当にフェイトさんの身を案じるのなら、ここで下手に動かすよりも、管理局に任せた方が良いと思うのだけれど」「そ、それは……」 だが織莉子の切り返しに、アルフは反論のしようがなかった。フェイトがどの程度、弱っているのかアルフにはわからない。それはつまり、下手に動かせば命に関わる可能性も考えられるということだ。 そもそもアルフにとって重要なのはプレシアの願いを叶えることではなく、フェイトの幸せだ。そのために甘んじてプレシアのために動いてきたアルフだったが、フェイトの命には代えられない。 間違いなくフェイトは管理局の助けを受けることに納得しないだろう。しかしそれでも彼女のことを考えればそれが最善のはずだ。「……わかったよ。あたしはここで管理局の連中がやってくるのを待てばいいんだね?」「えぇ、管理局の人たちなら、きっとフェイトさんのことを悪いようにはしないはずよ。……尤も、私が一緒にというわけにはいかないけれど」 そう言うと、織莉子はアルフに背を向け屋上の出口へと向かって歩いていく。「ちょ、ちょっと待ちなよ、織莉子。あんたはあたしたちと一緒に来てくれないのかい?」「残念だけれど、私はまだ管理局に捕まるわけにはいかないの。申し訳ないけれど、貴女とは一緒には行けないわ。ゆまさんのことも一人にしておくわけにはいかないしね」 そう言う織莉子ではあるが、ここで管理局と一緒に行くという選択肢がないというわけではない。しかし織莉子はすでに管理局が一枚岩でないことを視っている。例えリンディを信用して織莉子の知る全てを話したとしても、その情報が管理局上層部に伝われば、どのように動くのか、織莉子にも想像がつかない。もちろんいずれは管理局にもこの世界の運命と魔法少女の真実について話さなければならない時が来るだろうが、それは決して今ではない。織莉子にとって今は管理局よりも優先すべきものが複数存在する。「……アルフさんには申し訳ないとは思うけど、私には私の目的があるの。その目的のためには一度、プレシアさんと話をしなければならないわ」 故に織莉子はアルフに別れを告げる。元々、織莉子にとってアルフはフェイトのおまけでしかない。そしてフェイトでさえ、今の織莉子にとってはプレシアのところに向かうための案内人に過ぎなかったのだ。そんな彼女がこうして怪我を負い、意識がない以上、織莉子にとってこれ以上この場に留まる理由は存在しなかった。「だけどさ、時の庭園に行くにはあたしかフェイトがいないと……」「私が一方的にプレシアさんに会いたいと願っているのならそうでしょうね。でも最初に私に会いたがったのはプレシアさんの方よ。キュゥべえに伝言を頼めば、きっと迎えを寄こしてくれるはずだわ。もしかしたら今の状況すらもプレシアさんに伝わっているかもしれないわね」 リンディとの戦いの最中に姿を消したキュゥべえだが、おそらくはどこかに姿を潜ませて様子を伺っているのは間違いないだろう。ならばフェイトとアルフが管理局に捕まったという情報もすぐにプレシアに伝わるはずだ。プレシアが織莉子に何を求めているのかはわからないが、最終的な望みについては視っている。自分の手足となるフェイトとアルフが使えなくなったとなれば、プレシアも少しは焦るだろう。そうなれば迎えの手はきっと早まるはずだ。「どちらにしても、私が管理局と顔を合わせる時は今ではないわ。本来なら先ほどの戦闘ですら予定外のことだったのだもの。これ以上、未来の方向を変えるわけにはいかないの。だからごめんなさい、アルフさん。これ以上、貴女と行動を共にすることはできないわ」 織莉子はそう謝ると、再び歩を進め出す。織莉子を引き止めたい気持ちはアルフにもある。彼女の言葉がなければ、こんな状況になってもアルフはただ、フェイトの帰りを待ち続けていたかもしれない。そのことにアルフは恩義を感じていた。 しかし織莉子の言葉に込められた強い意志。それを感じ取ったアルフは、これ以上の説得は無駄だと悟る。「……わかったよ。でも織莉子、プレシアには気をつけなよ。フェイトの前ではとても言えないけど、あいつは人の皮を被った悪魔なんだから」 だからせめて織莉子に対して忠告する。プレシアは自分の研究のためなら何だってする。実の子であるフェイトにすら、無茶な仕打ちをし、それがこなせなければ容赦なく鞭を振るう。もしフェイトやアルフが時の庭園内にいれば織莉子を守ることもできるだろうが、それができそうもないからこそ、織莉子に注意を促したのだ。「……ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。プレシアさんが人の皮を被った悪魔というのなら、私は人の皮を被った魔女なのだから」「へっ? それってどういう?」 織莉子の予想外の返答にアルフは問いかけるが、織莉子は返事を返すことなく、そのままアルフの前から姿を消す。その謎めいた織莉子の言葉は、その後、アルフの中にしばらく引っかかり続けるのであった。 ★ ★ ★ 織莉子との戦闘の折に、リンディはアルフの不意打ちでバインドを仕掛けられ、身動きを封じられたが、それ自体は物の一分も掛からないうちに解除することができていた。今すぐ追えば、彼女たちが結界を抜け出す前に追いつくことができる。それがわかっていたリンディだったが、しかし彼女はすぐに二人の後を追おうとはしなかった。「こうして管理局の人間と直接対面するのは初めてのことだから自己紹介をさせてもらうね。ボクの名前はキュゥべえ」 それはリンディの足下で、キュゥべえが話しかけてきたからだった。最初はなのはと共に魔女の結界にやってきたキュゥべえは、そこで織莉子と合流したが、先の攻防の最中でなのはにも織莉子にもついて行くことはせず、この場に止まり続けていたのだ。 キュゥべえは時空管理局という組織に多大な興味を持っている。数多ある次元世界を管理する司法組織。次元世界についてより正確な情報を得ようとするなら多角的視点から情報を集めなければならない。そう言った意味では、管理局の人間というのは、キュゥべえにとって実に都合の良い対象だった。「あなたがキュゥべえさんね。私は時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです。あなたのことは杏子さんからいろいろと聞かされているわ」「杏子からということは、きっとボクの悪口がほとんどなんだろうね。彼女はボクのことをだいぶ煙たがっているみたいだから」「確かにそうね。……でも実物は思ったより可愛らしい見た目をしているのね」 可愛らしいと称しながらも、リンディはキュゥべえに警戒を込めた眼差しを向ける。少女たちの願いを叶え、その上で魔法を使えるようにする人類とは別種の知的生命体。魔法少女の使う魔法は本質的に魔導師が使う魔法とは違う。体内器官であるリンカーコアから技術的に魔力を引き出す魔導師とは違い、魔法少女の魔法はその想いから生まれる。杏子が管理局にいる間、何度も彼女の魔法を計測させてもらったが、彼女の使う魔法は間違いなく次元世界に存在する魔法体系とは全く別種のものだ。 それを少女の感情から引き出し、さらに願いまで叶えてしまう技術など、リンディは聞いたことがない。まるで自らの意思を持つロストロギアだ。そんなキュゥべえがこのタイミングでコンタクトを取ってきた。その理由がわからないからこそ、リンディは用心していたのだ。「ありがとう、リンディ。だけどそう警戒しないで欲しいな。ボクはただ、キミたちの住んででいる世界に興味があるだけなんだから。それにそれはキミたちだってボクに興味を持っているのは同じだろう?」「……その通りね。管理外世界で独自で生まれた魔法体系。管理局員としても一人の人間としても、興味がないわけではないわ。――だけど今はあなたの話を聞いている時間はないの」 警戒すべき対象とはいえ、キュゥべえから話を聞くのは確かに魅力的だ。今回の事件において、魔女と魔法少女は密接に関わり過ぎている。どのような顛末を迎えるにしても、報告書に記さなければならないだろう。その上でキュゥべえから直接、話を聞くことができれば、より正確に魔法少女と魔女の実態を掴むことができるはずである。 だが今のなのはと織莉子も捨て置くわけにはいかない。九歳という若さに似合わないほどの魔力を持つなのはと、どこか秘めたる恐ろしさを感じさせる織莉子。そんな二人をこのまま放置してしまうことに、リンディは一抹の不安を抱いていた。「キミたちの事情は十分に理解しているつもりだよ。でもさリンディ、考えてみなよ」 そう言いながらキュゥべえは軽快なステップを踏みながらリンディの肩の上まで上っていく。「ボクを連れて行くことになにか不都合なことがあるかい?」 肩に乗っているはずなのに、キュゥべえからはほとんど重みを感じない。このまま走ったり、飛んだりしても何の不都合がないほどまでに、キュゥべえからは重みがなかった。「それにボクがいれば織莉子やなのはがその足を止めてくれるかもしれないよ。なんたって彼女たちを魔法少女にしたのは、他ならぬボクなんだからね」「……確かに、そうかもしれないわね」「なら早速、織莉子たちの元に向かおう。ボクにとってもキミにとっても、こうして足を止めている時間は勿体ないからね」「……そうね」 どこか釈然としない思いを感じながらも、リンディはキュゥべえを抱えながら飛び始める。今は迷っている時間はない。キュゥべえと話を聞く機会を見逃すことも、なのはや織莉子たちを逃すこともリンディにはできないのだ。 正直なところ、このままキュゥべえを連れていくことに不安はある。それでもキュゥべえを連れていくことを選んだのは、やはりキュゥべえについての情報が圧倒的に不足しているからに他ならない。 魔女と戦う上で、キュゥべえの情報は少なからず重要になってくる。キュゥべえがどのような目的で動いているのか。どのような技術を用いて少女たちの願いを叶え魔法少女へと変えるのか。そもそもキュゥべえは本当に自ら意思を持つ人類とは別種の知的生命体なのか。そのすべてが未だに明かされてはいないのだ。それらの情報を得られる機会をみすみす逃す手はない。 ――しかしその判断が、結果的に重大な過ちを生むことになるとは、この時のリンディにはまだ、知る由もなかった。2013/9/16 初投稿2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正