「フェイトさん、身体の具合はどうかしら?」「魔力はまだですけど、体力の方はだいぶ戻りました」 フェイトが目を覚ましてから少しして、リンディは彼女に事情を聞くために医務室を訪れていた。そこには隣のベッドで横たわっている杏子はもちろん、エイミィやアルフの姿もある。「それでフェイトさん、あの結界の中であなたたちに何があったのか、聞かせてもらえないかしら?」 リンディの問いかけにフェイトは頷くと、杏子に話したのと同様の説明をしていく。「なんだよ、それ!! なのはとアリサは友達なんだろ?! それなのにこんな……」 フェイトの話を聞き終えたアルフは真っ先に怒りを露わにする。フェイトを傷つけられただけでも腹立たしいのに、その上彼女は自分の友人であるアリサの思い出をも奪った。自分に置き換えて考えてみればフェイトに出会ってから今までの出来事を全て忘れるようなものなのだ。アリサのことはよく知らないアルフだったが、それがどんなに残酷なことか痛いほど理解できた。 その横でリンディは眉間に皺を寄せながら、神妙な面もちを浮かべていた。彼女が考えていたのは、アリサの様態の不可解さであった。アリサには一切の外傷がない。検査の結果、身体そのものは健康体。どこにも異常が見つからない。にも関わらず、アリサは一向に目覚める気配がない。初めはそれが記憶操作を掛けられたことによる副作用と考えていた。しかしフェイトの言葉で一つの可能性に思い至る。それはなのはに迷いがあったという可能性だ。なのはにとってアリサは大切な友人であることは間違いない。その記憶を奪う決断をするというのは、生半可な覚悟では行えることではない。 確かに彼女は魔法少女になったことで変わってしまった。実際に対面したわけではないが、放たれた砲撃やフェイトの話を聞く限り、以前までの彼女とはまるで別人のように感じられる。だが彼女は九歳の少女だ。魔法少女になったことで性格が変わってしまったとしても、冷徹に徹しきることは難しいだろう。それもつい一ヶ月前まで魔法のない世界で普通に暮らしていたなら尚更だ。 おそらく彼女は無意識の内に躊躇ってしまったはずだ。もし相手がアリサではなく、特に関わりのない人間ならばそのような迷いを持つことはなかっただろう。しかし相手はなのはにとって最早唯一無二とも言ってもよい親友なのだ。そんな彼女から自分との思い出を奪うことに抵抗がないわけがない。 そして迷いがあれば魔法の効果は乱れる。その結果としてアリサは目を覚まさないのではないか。なのはの目的はあくまでアリサを危険に巻き込まないようにすること。そしてアリサの性格はなのはが一番よくわかっている。その上でなのははアリサが自分をどこまでも追い続けると考えたからこそ、記憶を消すなどという強硬手段を取ることにした。だがアリサが目を覚まさなければ、その目的自体は達成できる。 もちろんこれは予測の範疇に過ぎない。ただ単純に記憶操作の副作用ですぐに目を覚まさなくなっているだけなのかもしれない。ただどちらにしても一度なのはに会い、アリサの現状を伝える必要がある。リンディはそう結論づけた。「フェイトさん、なのはさんのその後の行方についてはわかるかしら?」「……わからない。あの時、なのははあくまでアリサの記憶を奪ったとしか言わなかった。わたしはアリサの記憶が奪われたところを見ていたわけでもないし、なのはがどうやってそんなことをしたのか検討もつかない」 そう語るフェイトは肩を振るわせていた。そんなフェイトを慰めるようにアルフは抱きしめる。そんな二人の様子を見ていた杏子はリンディを睨みつけながら、念話で語りかける。【リンディ、参考までに聞くけど魔導師の魔法の中に記憶を操作するなんてものはあるのか?】【あるわよ。――だけど魔導師になって一ヶ月ほどのなのはさんには使えるような魔法ではないし、何より次元世界でも禁忌になっているような魔法だから彼女が知る術すら存在しないはずよ。むしろ私はこれがなのはさんの魔法少女としての魔法と考えるのだけれど……】【いや、それはないはずだ。もちろんキュゥべえとの契約でこの手の魔法が生まれないって保証はないけど、それならあの黒い炎の説明がつかねぇからな】 一度、その身に受けただけとはいえ、なのはの砲撃に付加された黒い炎の恐ろしさを杏子は深く実感している。そしてそれは以前までのなのはにはなかった力だ。ならばあれこそがなのはの魔法少女としての魔法の一端なのだろうと推測する。【黒い炎と記憶操作の魔法を同時に修得したということは?】【確かにその可能性もあるが、基本的に魔法少女が契約時に身につける魔法は一つだけだ。だからもし同時に身につけたのだとすればアリサに外傷がねぇってことは考えにくいな】 あくまでアリサに外傷はない。もし黒い炎と記憶操作が関連した魔法の一種だとすれば、アリサの身体には火傷痕が残っているはずだ。しかしそういったものはない。意識がないということを除けば、アリサは健康体そのものだ。それにアースラに運ばれる以前に魔力による治療を受けたという痕跡もなかった。【どちらにしてもなのはがどうやってアリサの記憶を奪ったのか。それを得るには情報が足りねぇ。……尤もなのはの魔法だけなら知ってそうな奴が一人、いや一匹いるけどな】【……キュゥべえね】 杏子の問いかけにリンディは確信を持って答える。今はアースラの設備を見て回りたいという要請を受け、何人かの管理局員の監視の元にアースラ内を案内されている。【あいつが素直になのはのことを吐くかわからねぇけど、それでも一度聞いてみる価値はあるかもな】【そうね】 杏子の意見に同意したリンディはすぐにキュゥべえをこの場に呼び出そうとする。だがその前に管制室にいるスタッフからの通信が入った。『艦長、大変です。プレシア・テスタロッサから通信が入っています。今すぐ管制室に来てください』 その通信の内容に一同は戦慄する。プレシア・テスタロッサが自らこちらにコンタクトを取ってきた。その事実にリンディは驚き、俯いていたフェイトも顔を上げ目を大きく見開く。「わかったわ、今すぐ管制室に戻ります。あなたたちは時間を稼ぎながらどこから通信が来ているのか、その座標の特定を急いで」『了解しました』 リンディは的確に管制スタッフに指示を飛ばすと、慌てて医務室を後にする。それに続こうとするエイミィ。そしてアルフもまたそんなエイミィに続いて管制室に向かおうと椅子から立ち上がる。「待ってアルフ。わたしも連れてって」「エイミィ、悪いが手を貸してくれ。あたしもプレシアって奴には用があるんでな」 だがそれをベッドに腰掛けるフェイトと杏子が呼び止めた。プレシアが管理局に通信をする理由はわからない。しかし二人にとってこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。「いいのかい? フェイト、たぶんあいつはフェイトのことを気にするような奴じゃない。きっと別の目的で管理局にコンタクトを取ってきたはずだよ」「うん、なんとなくわかるよ。でもわたしは母さんに謝りたいんだ。ジュエルシードを集めることができずにごめんなさいって」 今日一日でフェイトは嫌というほど自分が無力だということを痛感した。思い返せば今までのプレシアの仕打ちもフェイトが力足らずなばっかりに怒らせていたのかもしれない。管理局に捕まってしまった以上、フェイトはもうプレシアと顔を合わせる機会がないかもしれない。故に通信越しとはいえ、きちんとプレシアに謝りたかったのだ。「……わかったよ。でもそれが終わったらすぐにベッドに戻るんだ。今のフェイトは体力も魔力も回復しきってないんだから」「ありがとう、アルフ」 本音を言えばアルフは、今のフェイトをプレシアに会わせたくはなかった。しかし例えこの場でプレシアと会わなくとも、いずれはプレシアと再会する時が必ずくる。それならばいっそ通信越しで一度話し合わせるのもいいかもしれない。それならば少なくともフェイトの肉体が傷つけられることはないのだから。「杏子、ダメだよ。まだ安静にしてないと傷に響くって!!」 その一方で杏子は背中の火傷の痛みを我慢しながら立ち上がる。そんな杏子をベッドに戻そうとするエイミィ。だが杏子は首を横に振る。「こんな傷、あたしにとっては屁でもねぇよ。それよりゆまの行方について少しでも情報を集めねぇと……」 織莉子と行動を共にしているゆま。そんな織莉子が向かった先が時の庭園と言うならば、プレシアの口からゆまの様子を確かめることができるかもしれない。うまくいけばそのままゆまと会うことも叶うかもしれない。そんな貴重なチャンスを逃すわけにはいかない。「それならあたしや艦長に任せて……」「別にエイミィやリンディを信用してないわけじゃねーよ。でもこればっかりはやっぱり自分で確かめたいんだ。例えエイミィが止めてもこればっかりは譲れねぇ。あたしは這ってでも管制室に向かうからな」 杏子は真っ直ぐエイミィの目を見てそう告げる。その強い眼差しにあてられ、エイミィはため息交じりで答える。「――杏子、それは卑怯だよ。そんなこと言われたら連れて行かないわけにはいかないじゃんか」 この一週間、杏子がアースラに滞在している時に一番彼女と話したのはエイミィである。だからこそ杏子がゆまのことを何よりも優先することはよくわかっている。そしてそんな杏子のことをエイミィはとても好ましく思っていた。だからこそエイミィは杏子に肩を貸すことに決めた。あとでリンディに怒られるかもしれないが、その時はその時だと考えて。 こうして四人は医務室を後にする。その足取りはとてもゆっくりだが、それでもできるだけ管制室に急ごうと真っ直ぐ向かっていった。 ☆ ☆ ☆「なのは、いたら返事をして!!」 一方その頃、海鳴市にいるユーノは夜の町を駆けていた。そして必死になのはの名前を呼び掛けながら、彼女のことを捜していた。 なのはが部屋からいなくなったのをユーノが気づいたのは、彼が夕食を持ってなのはの部屋を訪ねた時のことだった。扉をノックしても一向になのはからの返事が返ってこない。初めは眠っているだけかとも思ったが、妙な胸騒ぎがして部屋の中を探査魔法で調べてみると、そこには僅かな魔力の痕跡が残るだけで、なのはの姿はなかった。そのことを士郎や恭也に伝えたユーノは、そのまま町へと飛び出し、今の今までなのはを捜し回っていた。 だが未だになのはがどこにいるのか手がかりを掴むことすらできなかった。そもそもユーノにはなのはがどこに行ったのか、まるで見当がつかなかった。強いて考えられるとすれば月村邸だが、すでにそこには恭也が向かい、なのはがいなかったことはわかっている。さらにキリカの事件の後、封鎖されている私立聖祥大附属小学校にも捜しまわったが、なのはの姿はどこにもなかった。そうなるともうユーノにはお手上げである。 だがそれでもユーノは一歩たりとも足を止めない。探査魔法を用いてなのはの魔力を探しながら、彼女の名前を呼び続けた。 そうして夜通しでなのはのことを捜し続けたユーノの執念が身を結んだのか、微弱ながらもなのはの魔力を捕らえることに成功する。その魔力を頼りにユーノは駆ける。そうして行き着いた先にあったのは、魔女の結界への入り口だった。そしてなのはの魔力は結界の中へと続いていた。 そんな魔女の結界にユーノは躊躇無く入っていく。魔女の恐ろしさはユーノも身を以て体験している。ジュエルシードの思念体と同様、おそらく自分一人では太刀打ちするのすら難しいだろう。それでもユーノは迷わない。この中になのはがいる。例えどんな凶悪な魔女や使い魔が現れようとも、それだけで危険に飛び込むには十分な理由だった。 だが結界に一歩踏み入れた瞬間、ユーノの身は竦む。結界の奥から感じる凶悪な魔力。それは今まで感じたこともないような邪悪さと強大さを持つ魔力だった。足が自然と震え、思うように動けなくなる。それでもユーノは必死に前へ歩を進めようと自分の足に命令する。そうしてようやくユーノは歩を前に進め出す。その足取りはとてもゆっくりとしたものだが、それでもユーノは逃げ出すわけには行かない。何せこの結界の中にはなのはがいるのだ。これほどの凶悪な魔力を持つ魔女のいる結界の中で、彼女を一人残しておけるはずがない。 そうしてたどり着いた結界の最深部。そこでユーノが目にしたのは思いもよらない光景だった。一人の少女に群がる複数の魔女。それを少女が放つ砲撃で燃やし尽くしていく。触れた端から蒸発していく魔女を前に、少女は笑みを浮かべ、次なる標的を求めて杖を振るう。 そんな光景を目の当たりにしてユーノはようやく気付く。ここまで来る道中、ユーノは使い魔から一切の妨害を受けることがなかったことを。そして奥へ進めば進むほど邪悪な魔力と比例するようになのはの魔力がより色濃く感じられるようになっていったことを――。「……どうして」 ユーノは思わず呟く。だがその声は魔女の断末魔にかき消され、少女の耳には届かない。「……どうして魔法少女になんてなってしまったんだ、なのは」 それでもユーノは自分の疑問を声にせずにはならなかった。ユーノの目の前で戦っている少女、それは紛れもなくなのはだった。見慣れた白いバリアジャケットではなく、黒衣の魔法少女の装束に身を包み、冷たい目をしながら魔女を狩っている。そこに一切の油断も慈悲もなく、確実に魔女を殺すためだけになのはは杖を振るっていた。それを見てユーノはすぐになのはがキュゥべえと契約し、魔法少女になってしまったことを確信した。「……聞かなくちゃ」 故にユーノは思う。なのはがどうして魔法少女になったのか。どうしてこんな風に魔女と戦っているのか。その理由を聞かねばならない。そう考えたユーノは一歩、また一歩と踏み出していく。 未だなのはは戦闘中。辺りには無数の魔女の姿があり、そのいずれもが命を脅かす存在だ。しかし今のユーノの目にはなのはの姿しか映っていない。周囲に対する警戒もなく無防備なまま、ゆっくりとした足取りでなのはに近づいていく。 初めはそんなユーノの存在に誰も気付いていなかった。周囲にはなのはの放った黒炎が立ち昇り、それが濃厚な魔力の気配となってユーノの魔力を掻き消していたからだ。「……ッ!!」 だからなのはがユーノの姿に気付いたのは全くの偶然だった。たまたま魔女に砲撃を放とうとした射線上にユーノがいた。ただそれだけだった。そしてその傍には一体の魔女がおり、ユーノのことを狙っていることにも気付くことができた。 なのははとっさにブラストファイアーの射線をユーノから逸らし、彼に攻撃を仕掛けようとした魔女に向けて放つ。結果、ユーノを魔女から守ることには成功したが、その代償は大きかった。本来とは違う角度で放たれたブラストファイアー。その結果、生き残ってしまった魔女がいる。そしてそれはよりなのはの近くにいた魔女であった。 目の前にいた魔女から放たれる斬撃。なのははそれを身体を捻ってかわそうとする。だが元々無理な体勢でいたこともあり、かわしきれず左腕が宙を舞う。その痛みに表情を歪めながら、なのはは薙ぎ払うようにルシフェリオンを振るう。その先端から噴き出る黒い炎。それがなのはの周りに集まる魔女を燃やし尽くす。そうして活路を見出したなのはは、ユーノの元へ向かって一直線へと飛んでいく。その間にもなのは目がけて数多の魔女が攻撃を仕掛ける。近づいてくる魔女は杖で薙ぎ払い、炎で燃やすだけで片がつく。しかし遠方から飛んでくる攻撃に関しては、その全てをなのははその身で受けた。 いくら左腕を失ったからとはいえ、その程度でなのはの魔法は揺らがない。本来ならばその全てを避けるか弾き飛ばすことが可能だっただろう。しかし万が一にもそれがユーノに当たらぬとも限らない。だからこそなのはは自らの身体を盾として使ったのだ。 純粋な魔力弾。針による毒の注入。酸による腐食。熱線によるレーザー。それ以外にも様々な攻撃がなのはの身を襲う。だがなのははそれら全てをその身に受ける直前、攻撃を受ける部位を黒炎で燃やした。それはダメージを最小限に抑えるためだ。魔女の攻撃は千差万別。その性質によって効果が異なる。中には一発で致命的なものもあるだろう。だからこそ彼女そうした効果を自分の黒炎で中和しようとしたのだ。そんなとっさの考えは上手くいき、毒は炎で浄化し、レーザーは煙で遮断。酸や魔力弾も蒸発させた。自分で作り出した炎とはいえダメージがないわけではないが、それでも魔女たちの攻撃をそのまま受けるよりは軽減できたと言えるだろう。 そうしているうちにユーノの元までやってきたなのははその眼前で反転し、ブラストファイアーを連射する。それはまるで龍のようにうねりながら、迫りくる魔女を飲み込んでいく。魔女たちもそれに必死に抗おうとするが、なのはの魔力には敵わない。断末魔を上げながらその身を燃やされ、息絶えていく。そうして後に残ったのは無数のグリーフシードと傷ついたなのは。そして茫然と立ち尽くすユーノだけだった。「なのは……?」 辺りの魔女の結界が解け、不気味な空間から閑静な住宅街へと解放されていく二人。ユーノは改めてなのはを目視し、そしてその身体の傷に気付く。損なわれた左腕。全身にある無数の火傷。それらは全て自分を守るためになのはが負ったもの。その事実に気付いたユーノは慌ててなのはに駆け寄り、治癒魔法を掛けようとする。だがなのははそんなユーノを制した。「必要ないよ、ユーノくん。この程度の傷、すぐに治せるから」 そう言うとなのはの全身が炎に包まれる。それは先ほどまでの黒炎ではなく、夕陽のように赤い炎。だがすぐにその炎は周囲へ霧散する。そうして炎の中から出てきたなのはには、一切の傷がなくなっていた。全身にあった火傷はもちろん、失われた左腕もまるでそんなことがなかったかのように元通りになっている。「なのは、どうして……?」「……魔法少女は魔女と戦うためにできている。だから魔力があればどんなダメージだろうと簡単に癒すことができるの。今みたいにね」「違う! 僕が言いたいのはそういうことじゃない!! どうして魔法少女なんかになってしまったんだ!! 魔法少女になった人間がどうなるのか、なのはも知っているだろう!? それなのにどうして、こんな……」 ユーノは腹の底から叫ぶ。そんなユーノの姿を見てなのはは表情を曇らせる。だがそれも一瞬だけで、すぐに彼女は能面のような無表情に戻り、一言こう告げた。「……それはわたしに力がなかったからだよ」「そんなことない! 僕の知るなのははとても強い女の子だったはずだ! キュゥべえと契約しなくても誰かを助けることができる、そんな人だったはずだ!!」 ユーノの知る限り、なのははとても心優しい少女だった。ジュエルシードの回収をしようとする自分に屈託のない笑みを浮かべながら手を貸してくれたなのは。誰かが傷つくことを嫌い、温泉宿では悩んでいるゆまに声を掛け、暴走したジュエルシードを抑えようとしたフェイトにも手を貸した。 そんななのはにユーノは惹かれていた。今はすずかの死を悼み、悲しんで落ち込んではいるが、それでもいずれは必ず立ち直ってくれる。そんな強さを感じさせる少女だった。 だが先ほどのなのはから感じるのは強さは強さでも圧倒的な暴力。他者を蹂躙し、目的のためなら手段を選ばない。そんな力だ。それはユーノの知っているなのはとはとてもかけ離れているものだった。「ううん、それでもわたしは弱かったんだよ。だからすずかちゃんを死なせることになってしまった。そのせいですずかちゃんが守っていたこの町の人々を危険な目に遭わせることになってしまった。……だからわたしはすずかちゃんの思いを、強さを引き継ぐことにしたの」 そう言ってなのはは正面からユーノの瞳を覗き込む。血のように紅い瞳に見つめられたユーノは本能的に危機感を感じ、視線を逸らそうとする。だがそうはならなかった。ユーノの身体はまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直し、逸らすどころか瞬きすらままならなかった。「ごめんね、ユーノくん。わたし、もう行くね。こうしている間にも、誰かが魔女の犠牲になってないとも限らないから」「な、のは、まっ……」 必死に呼びとめようとするユーノ。しかしなのはに掛けられた呪縛によって身体の自由が効かず上手く声が出せない。そんなユーノになのはは振り返ることなく去っていく。その儚げな背中をユーノはただただ見つめることしかできなかった。 ☆ ☆ ☆ いち早く管制室に戻ってきたリンディは、スクリーン越しにプレシアと対峙していた。「初めまして、プレシア・テスタロッサ。私は……」『くだらない挨拶はいいわ』 なるべく事を友好的に運ぼうとしていたリンディを一蹴するプレシア。『そんなことより、ビジネスの話をしましょう』 「ビジネス?」『そう、取引と言い換えてもいいわね』 プレシアはただ真っ直ぐリンディを見降ろしながらそう告げる。その言葉の真意をリンディは計りかねていた。「プレシア。あなたがどのような意図でそんな話を切り出そうとしているのかはわからないけど、私たちがそんな話に乗ると思う?」 リンディたちは管理局。そしてプレシアは管理局に無断でロストロギアを集めている次元犯罪者だ。もし何も知らずに彼女がジュエルシードを集めようとしていたのなら、情状酌量の余地はあるだろう。しかしアルフの話から、プレシアがジュエルシードを輸送していたスクライア一族の護送船を襲ったという供述が取れている。その事実を前にして、取引も何もないだろう。『思わないわ。あなたたちは管理局員で、そんな管理局員としての尺度から見れば、私は次元犯罪者なのだから。……でもね、私には時間がないの。だからあなたには必ずこの取引に応じてもらう必要がある』 プレシアがそう言うと、スクリーンの右下に別の映像が映し出される。そこには二人の少女の姿があった。白い衣装を纏った魔法少女がもう一人の幼い少女を庇いながら傀儡兵と戦っている様子。そしてその二人が誰なのか、リンディには心当たりがあった。魔法少女の方はリンディに苦渋を舐めさせ、自ら時の庭園に向かったという織莉子。そしてもう一人の少女はおそらく――。「ゆま!?」 その時、リンディの背後で叫び声が響き渡る。その声に思わず振り向くとそこには杏子たち四人の姿があった。「杏子さん、あなたどうしてここに……!?」「すいません艦長。でもどうしてもゆまちゃんについての情報を得たいからって杏子がきかなくて……」 リンディの疑問にエイミィが申し訳なさそうに答える。だが杏子にはそんな二人のやりとりがまるで耳に入っていないかのようにスクリーンに目が釘付けになっていた。「まずいよ。あの傀儡兵は時の庭園に備蓄された魔力で動いてるんだ。一体一体は大した強さじゃないけど、あれだけの数となると……」 そう呟いたのはアルフである。まだリニスに修行をつけてもらっていた時、フェイトとアルフは実戦訓練と称して何度もあの傀儡兵と戦ってきた。一体だけならば大した実力ではないが、それがあれだけの数となると、とても一人では捌ききれるものではない。それが誰かを守りながらなら尚更だ。『さて、取引というのはね。彼女たちの命とジュエルシードを交換しないかというものよ』 そんな映像に戦慄している管理局スタッフに、プレシアから無慈悲な言葉が告げられる。「てめぇ、ゆまに傷一つでもつけてみろ!! ただじゃ済まさねぇぞ!!」 それにいち早く激高したのは杏子であった。背中の火傷に響くこともお構いなしに声を張り上げる。だがプレシアはそんな杏子を歯牙にもかけようとしない。『そう思うならあなたが管理局からジュエルシードを奪って私の元に持ってくればいい。それができなければ、彼女はいずれ死ぬことになるでしょうね』「なっ!?」 それどころか、そんな杏子のゆまに対する想いすら利用してジュエルシードを手に入れようとさえ考えていた。そんなプレシアの発言に思わず杏子は槍を出し、スクリーンにその先端を向ける。「……フザケるなよ。誰がてめぇの言うことなんて……」『そう、ならあなたはあの小娘が死んでもいいのね』「……クソッ」 その言葉に杏子は槍を降ろす。確かにゆまを助けたい。だが管理局とこれ以上、敵対するような真似ができるはずがない。「母さん、どうしてこんなこと……。こんなの母さんらしくないよ」 そんなプレシアの様子を見て、フェイトが口を開く。本来ならば、フェイトがプレシアの目的の妨げになるようなことはしない。しかし今回の場合、フェイトの目から見てもプレシアが卑劣なのがわかる。ゆまは自分の友人で杏子は恩人。そんな二人を傷つけてまでプレシアの望みを叶えたいとは、いくらフェイトでも思うはずがない。『それはねフェイト――あなたが役立たずのお人形だからよ』 しかしプレシアはフェイトの言葉に耳を貸さない。『あなたが集めてきたジュエルシードの数はたったの七つ。全体の三分の一でしかない。――これでは足りない。それなのにあなたは傷つき、管理局に捕まってしまった。所詮、失敗作は失敗作だったということね』 それどころか何度もフェイトに辛辣な言葉を浴びせる。人形、そして失敗作。その言葉が何度となくフェイトの耳に反芻する。『確かにあなたの言うとおり、こんな真似は私らしくないのかもしれない。でもねフェイト、それはあなたが役立たずだったからよ。もしあなたがすべてのジュエルシードを集めていれば、私がこのような真似をする必要などなかったのに。――こんなことなら、失敗作など再利用などしようとはせずに、さっさと処分すればよかったわ』「か、母さん、何を言ってるの?」 プレシアの言葉にフェイトは震える声で反応する。人形、失敗作、再利用、処分。そして夢の中で『アリシア』と呼ばれていた自分。それらの言葉がフェイトの中でぐるぐる回る。『良い機会だから教えてあげるわ。フェイト、私はね、ずっとあなたのことが――大嫌いだったのよ』 その言葉を聞いた瞬間、フェイトの心が砕け散る。なのはに為す術なく敗れ、杏子とクロノが身を呈して自分を守ってくれたことにも気づかなかったフェイト。そんなフェイトが最後のより所としていたプレシアへの想い。それがプレシアの手によって容赦なく砕かれた。そんな心に呼応するかのように、フェイトの身体もその場に崩れ落ちる。「フェイト!? しっかりしろ!!」 そんなフェイトを慌てて支えるアルフ。しかしフェイトは何も返さない。彼女の心は今、確かに折れたのだ。「……てめぇ、それでもフェイトの母親か!?」 そんなフェイトの様子を目の当たりにして、さらに杏子は怒る。もしこれがスクリーン越しではなく直接、対面しての会話であるならば、杏子は迷わずプレシアに突っ込んでいっていただろう。『私がフェイトの母親ですって。――そんなわけないじゃない。私にとってフェイトはただの失敗作でしかあり得ない。ただ捨てるのがもったいなかっただけ。私の娘は過去も未来もアリシアただ一人だけよ』「あり、しあ?」 プレシアの言葉にフェイトは虚ろな表情で顔を上げる。プレシアの口から告げられた『アリシア』という名前。だが夢の中とは違い、そうプレシアから呼ばれたフェイトが感じたのは嫌悪感だった。夢の中の自分は間違いなく『アリシア』だった。だが今の自分は『アリシア』ではない。そのことを感覚的にフェイトは実感してしまう。 だがそれはおかしい。フェイトには紛れもなく『アリシア』としての記憶がある。幼い頃、プレシアに微笑みかけられ、共に笑顔を浮かべていたとても幸せでとても大切だった日々。その思い出があるからこそ、フェイトは今まで戦ってこれた。あの頃の思い出があったから、いつしか再びプレシアが自分に微笑みかけてくれる。フェイトはそう信じて疑わなかった。『フェイト、あなたはね、アリシアを模して作られたお人形なの』 だがそんなフェイトの僅かな希望をプレシアは容赦なく打ち砕いた。『私がアリシアを蘇らせるために始めた人造生命体を創り出す研究。『Project F.A.T.E.』。これが為せばアリシアが蘇ると信じて疑わなかった。だけどせっかくアリシアの記憶を上げたのに、あなたは決定的にアリシアとは違った。アリシアとは利き腕も違うし、魔力の質も異なった。それなのに見た目だけはアリシアと同じ』 プレシアの言葉一つひとつがフェイトの心を抉る。フェイトはその場で力なく膝を付き、もう声を発する気力すら残っていなかった。それでもプレシアは語るのを止めない。『……だけどそんなあなたにも利用価値があった。アリシアと違って無駄に高い魔力資質。それを鍛え上げて道具として使えば、アリシアを生き返らせるのに役立つと思ってね。だから私は今日まであなたを生かしてきたのよ。……それなのにあなたは肝心なところで役立たず。お使いすらまともにこなせない。――そんなあなたを愛せるわけがないじゃない』 そしてそれは、その話を周りで聞いている杏子やリンディ、アルフを不快な気分にさせるには十分な破壊力だった。「……なぁリンディ。あたしはもう無理だ。我慢できそうにねぇ。ゆまのことだけでも相当頭に来てたってのにこれだ。もう背中が痛かろうと片腕がなかろうと魔力が回復しきってなかろうと関係ねぇ。あたしは今すぐにでもあいつをぶちのめしに行くぞ」 そう言うと杏子は魔法少女の姿へと変わる。さらに彼女の周囲からほとばしる魔力。それは怒りからか普段よりも数段と強力に感じられた。「杏子、あたしも付き合うよ。プレシアは曲がりなりにもフェイトの母親だった。だからあたしは言いたいことがあっても我慢してきたんだ。それをフェイトが望まなかったから。――でもプレシアはフェイトを捨てた。フェイトの信頼を裏切った。もうこんな奴、フェイトの母親でもなんでもない。ただの鬼婆だ。だからあたしがぶちのめす」 そんな杏子の言葉に呼応するかのようにアルフが立ち上がる。そして射殺すような目つきでプレシアを睨みつけながらそう告げた。 そんな二人の様子を見て、プレシアは実に愉快そうに笑う。その笑い声がさらに二人の心を不快にさせた。『別にかまわないわよ。私をぶちのめしにこようと捕まえにこようと私は拒まないわ。――ただし、入場券としてジュエルシードは持ってきてもらうわ。それができなければ、あなたたちでは時の庭園には入ることができないでしょうからね』 その言葉と共に右下の映像が織莉子とゆまの戦う様子から時の庭園の全体像へと切り替わる。そして杏子たちの眼前で強力な防護結界が敷かれていく姿が克明に映っていた。それはプレシアが組み上げた外敵の進入を阻む結界だ。如何なる転移魔法をも無効化し、さらに膨大な魔力砲撃を防ぐ時の庭園の最終防衛ライン。 元々、防護結界自体は時の庭園にあったものだが、それでもこれほど強固で他者の進入を阻むものではなかった。だが織莉子から聞かされたジュエルシードの魔力転用の仕組み。それが使われたことによって、並大抵の魔導師では進入することも破壊することも困難なものへとなったのだ。だが一つだけ、この防護結界を簡単に中和する方法があった。『この結界にはジュエルシードの魔力が使われている。それを中和して進入するには同じくジュエルシードの魔力を使わなければならない』 それは同質の魔力をぶつけること。異質な魔力には反発するが、同質の魔力は簡単に受け入れる。そういう防護結界をプレシアは敷いたのだ。本来ならばそれは致命的な欠点となり得るが、この場合はそれがメリットになる。何故なら今のプレシアが求めるものこそ、ジュエルシードの魔力だったのだから。「……つまり取引に応じるにしても、てめぇを捕まえにいくとしても、ジュエルシードを持ってこなければ時の庭園には入ることができないってわけか」『そういうことよ。それで、管理局としてわたしの取引に応じてくれるのかしら?』 プレシアの言葉に、一同の視線がリンディに集まる。この場でジュエルシードを持ち出す決定権があるのは、リンディだけである。こうしている間も、管制室のスタッフの何人かはなんとか時の庭園の防護結界を突破する術がないかを調べてはいるが、プレシアは一流の技術者だ。そんな彼女を上回る技術力がなければそれを見つけるのは不可能であろう。 かといってここでプレシアを見逃すわけにはいかない。織莉子はともかくゆまを見殺しにすることを杏子が許すはずがない。ここでプレシアがゆまの救出を拒めば、彼女は再び管理局と敵対することになるとしてもジュエルシードを奪おうとするだろう。リンディとしてもそれは望まなかった。「……わかりました。あなたとの取引に応じましょう。プレシア・テスタロッサ」 だから今、ここでの最善策は時の庭園に赴くこと。そして少しでもゆまたちを救える可能性を上げること。そのためにリンディはプレシアの取引に乗ることにした。――表面的には。『そう、ならジュエルシードは佐倉杏子、あなたが持ってきなさい。それ以外の者が時の庭園に足を踏み入れるのは許さないわ』 しかしプレシアとて、そんなリンディの算段が読めないはずがない。故にジュエルシードの受け渡しに杏子を選んだ。もしこれがリンディをはじめとする管理局の魔導師ならば、すかさず時の庭園との転送パスを繋ごうとするだろう。そんな相手の進入を簡単に許すほど、プレシアは甘くない。「杏子さんは民間協力者よ。だから取引には私が……」「……いや、あたしはかまわねぇ。アルフには悪いけど、あいつは一度ぶちのめさないと気が済まねぇしな。ゆまを襲い、フェイトを傷つけた報いはきっちりと払ってもらうさ」 杏子はまっすぐ強い眼差しを向けてリンディを諭す。そこには強い自信が満ち溢れており、なんらかの策があるのは明らかだった。「……まったく、杏子さんには叶わないわね」 リンディは呆れたようにそう告げると、改めてプレシアに向き直る。「わかりました。その条件を飲みましょう。でも杏子さんは怪我人な上、ジュエルシードは特別な処置をして仕舞ってあるの。だから少しだけ時間をいただくわよ」『……なら今から一時間後にもう一度連絡を入れるわ。それまでに準備なさい』 プレシアはそう告げ、一方的に通信を切る。「……それで? 杏子さん、あなたには何らかの作戦があるのでしょう?」 それを確認したリンディは改めて杏子に問いかける。リンディを説得した杏子の眼差しは決して屈したものではなかった。むしろプレシアに一泡吹かせてやろうという杏子の決意がありありと現れていた。「いや、作戦ってほど明確なものはねぇよ。ただどちらにしても時の庭園には行かなきゃならねぇ。そのためならあたしがどんな傷を負っていようとも関係ないさ。……なんにしてもあまり時間はねぇから、準備をしながら色々と考えてみるさ。――だけどその前に」 そう言って杏子はフェイトの前にしゃがみ込み、正面からその顔を見やる。心を無くしたかのように虚空を見つめるフェイト。アルフの必至の励ましの言葉にも耳を傾けず、フェイトはただただ沈黙していた。「……フェイト、一時間だ。もしフェイトがプレシアに言われた言葉に納得できないのなら、一時間後にプレシアが再度、連絡を取ってくるまでに立ち上がれ。そうすればあたしが必ず、フェイトをプレシアの前に立たせてやる。わかったな」 そう言って杏子は軽くフェイトの頭を撫でる。そしてアルフの方をちらりと見ると、ニヒルな笑みを浮かべながら、管制室を後にした。 ☆ ☆ ☆『……プレシアさん、もう終わったかしら?』「えぇ、管理局との交渉は上手くいったわ。少なくとも今のところわね」 一方、アースラとの通信を切ったプレシアはすぐさま織莉子と連絡を取っていた。「それにしても派手にやってくれたわね。これからのことを考えれば、そうたくさん壊して欲しくはなかったのだけれど」 プレシアはそう言って織莉子の周りに転がる傀儡兵の残骸に目をやる。いくら織莉子が戦闘タイプの魔法少女ではないとは言え、それは魔女相手の話である。未来を予測する織莉子にとってみれば、機械の思考パターンなど魔法を使わずとも自然に読むことができた。『これでも一応、手加減しようとはしたのだけれどね』 しかしそれでもゆまを守りながらというハンデ。さらには管理局の面子を騙す演技力。その両方を見せつけるためには、手を抜くことはできなかった。 尤もプレシアからすれば、ここで織莉子を始末できれば、それでもかまわないつもりで傀儡兵に襲わせていた。織莉子の持つ未来視は有用だが、同時に驚異でもある。今は利害の一致から行動を共にしているが、いつまでもそうしているとも限らない。織莉子はプレシアの技術力を望み、そしてプレシアは織莉子からもたらされる情報を望んだ。そんな信頼のない協力関係。それはほんの些細なきっかけで壊れてしまうほどに脆いものだろう。「……まぁいいわ。それじゃあ私は次の準備に入るから、あなたたちはそこで適当にくつろいでなさい」 そう言うとプレシアは一方的に織莉子との通信を切った。そうして一人、物思いに耽る。考えるのは先ほど管理局の前でプレシアが話した内容についてだ。ジュエルシードを求めるために、ジュエルシードの魔力でしか中和できない防護結界を作った。それはまだ解る。しかし管理局との交渉の中でアリシアの存在を明かしたこと。それがプレシアには納得できなかった。 彼女としてはアリシアのことはぎりぎりまで秘密にしておきたかった。それはアリシアがプレシアのアキレス腱だからに他ならない。管理局は司法組織と言えば聞こえはいいが、その裏でどのようなことをやっているのかはプレシアの耳にも聞き及んでいる。今回、交渉した提督はそういった裏の事情を知らないだろうが、上層部ともなればそうではない。事実、プレシアも過去に管理局の闇の部分と技術提供をし合う間柄であった。そうした技術の粋で完成したのが他ならぬフェイトなのだから。 今でこそ、そういった管理局の黒い部分とは縁を切っているプレシアだが、彼女の所在を掴めば彼らは黙っていないだろう。プレシアの持ち得る技術力や魔力を、管理局は喉から手がでるほど欲しがっているのだから。 故にプレシアは管理局相手にこちらから通信を仕掛け、しかもその回線上でアリシアの存在を明らかにしたことに一抹の不安を抱いていた。 それでもプレシアが実行に移したのは、こうすることでプレシアの計画が成就する可能性が高くなると織莉子に聞かされたからだ。正直なところ、未来視の能力を信用することはできても、織莉子自身を信用することはできない。それでも残された時間が少ないプレシアには、その案に乗るしかなかったのだ。「……まぁいいわ。アリシアさえ甦らすことができれば、後のことはどうとでもなる」 誰にともなくプレシアはそう呟くと、研究室へと戻り、管理局が攻めてくるのに備えるのであった。 ☆ ☆ ☆『……まぁいいわ。それじゃあ私は次の準備に入るから、あなたたちはそこで適当にくつろいでなさい』 その言葉を最後にプレシアからの通信が切れる。それを確認した織莉子は辺りの惨状に改めて目を向けた。織莉子の周囲に転がる十数体の傀儡兵の残骸。そしてピタリと動きを止めた数十体の傀儡兵。先ほどまで管理局に送られていた映像は、紛れもなくリアルタイムで行われていたことである。しかしそれは決してプレシアと織莉子が敵対したからではない。むしろ二人の協力関係は続いているといってもいいだろう。 全ては管理局を騙すための演技。正義を振り翳す管理局なら、人命を対価に要求されれば表向きだけでもそれを飲むことは容易に想像がついた。もちろん素直にジュエルシードを渡す気でないことはわかっている。しかし時の庭園に敷いた結界の作用で、彼女たちは要求を飲むにしろ飲まないにしろジュエルシードを持ち込まざるを得ないのだ。だから多少回りくどくとも、織莉子とプレシアはこのような騙りを取ることにしたのだ。 もしプレシアと敵対する人間が織莉子だけならば、管理局は見捨てたかもしれない。だがそこにゆまが加わればその成功率がグンと上がる。管理局と事を構えた織莉子と違い、ゆまは生粋の民間人だ。しかも杏子が管理局に協力している以上、その要求は間違いなく飲まれる。それを見越して織莉子はプレシアに策を施したのだ。「ねぇオリコ、これで本当にキョーコがくるんだよね?」「えぇ。杏子さんはゆまさんが危機に陥ったのを知って放っておくような人ではないはずよ。そのことはゆまさんの方がよくわかっているはずでしょう?」「うん、そうだけど……」 ゆまの表情は暗い。やはり皆を騙すような真似をして心苦しく感じているのだろう。魔女に両親を目の前で殺されることを体験し、杏子から一人で生き抜く力を、フェイトたちから魔導師の魔法の手ほどきを受けているとはいえ、ゆまはどこにでもいる人間の少女なのだ。織莉子やなのはのように魔法少女の宿命を受け入れたわけでも、クロノやフェイトのように魔導師として戦いの場に出ていたわけでもない。今はまだ少し稀有な経験を積んでいる普通の女の子に過ぎない。「……ゆまさん、もしかして貴女は後悔しているのかしら? 時の庭園に残るという決断をしたことを――」 だからこそ、織莉子は優しく尋ねた。尋ねながら織莉子はほんの数時間前、時の庭園に残るか去るかを尋ねた時のことを思い浮かべる。あの時、ゆまは迷いながらも時の庭園に残る道を選んだ。それはすなわち織莉子たちの計画の片棒を担ぐことを決意したことを意味する。その果てに杏子と敵対することになるかもしれない覚悟を持った上でだ。 ゆまがどのような考えの元で時の庭園に残ることを決断したのか、正確なところは織莉子にも解らない。だが少なくとも杏子により早く会える可能性に賭けたのは間違いない。そんなゆまの心意気に織莉子は共感を覚えた。 だがそれ以上にゆまが残る決断をしてくれたことで、織莉子は自信の計画が成功するという確信を得られた。織莉子の考えている計画の中でゆまが関わってくるのは二ヶ所。その内の一つが先ほどの傀儡兵との戦いだ。管理局に見せるために行われた茶番。しかしそれを茶番と見抜かれるわけにはいかない。織莉子もゆまも本気で戦い、傀儡兵に追い込まれているという風に管理局に思い込ませなければならない。 そのために織莉子はあえてゆまに何も話さなかった。突如として傀儡兵に襲われ、逃げ回るゆま。そんなゆまを身を呈して守ろうとする織莉子。そしてプレシアもまた本気で織莉子を殺すために時の庭園に存在する大部分の傀儡兵を投入した。そんな死力を尽くした戦いを見せたおかげで、管理局はプレシアとの取引に応じた。本当に管理局が騙されてくれたのかどうかは直接やりとりしたわけではないため解り兼ねるが、ジュエルシードを持って杏子がやってくるということであれば、計画を次の段階まで進めても良いだろう。「ううん、わたしは後悔なんてしてないよ。キョーコを騙したのはちょっと悪い気がするけど、でもこれでキョーコに会えるのなら全然平気。それより織莉子、もう一つわたしがやらないといけないことがあるんでしょ?」 ゆまは自分の気持ちを悟られないように誤魔化しながら織莉子に尋ねる。そんなゆまを微笑ましく思えながら、織莉子は告げる。「そうね。あと一、二時間もすればここに杏子さんがやってくるでしょう。その時、ゆまさんは杏子さんに連れられてアースラ、管理局の次元航行船に乗ることになる。でもそうなるとおそらく私とはしばらく会うことはないでしょう。だからゆまさんにこれを預かってもらいたいの」 言いながら織莉子は懐から一つの宝石を取り出す。至る所に罅が入り、明滅する赤い宝石。それにゆまは見覚えがあった。「これってもしかして……?」「そう、レイジングハートよ。尤も見ての通り、かなり傷ついているから今はまともにデバイスとして機能していないでしょうけどね。それでもボイスメッセージを録音できたのは僥倖だったわ」 何故、織莉子がレイジングハートを持っているのかと言えば、なのはが落としたレイジングハートを回収したからに他ならない。もし織莉子が回収していなければ、レイジングハートは魔女の結界の消滅と共に虚空の彼方へと消え去っていただろう。「ねぇオリコ、これってなのはのだよね? わたしがもっていてだいじょーぶなの?」「……ホントのことを言うとね、レイジングハートをなのはさんに返す機会は何度かあったの。でも今のなのはさんに返して良いものか、迷っているの」 魔法少女となったなのはは確かに強い。しかし彼女がその力を引き出すのに、最早デバイスは必要としない。なのはの想いが生み出した新たな武器、ルシフェリオン。レイジングハートを模倣して作られ、それでいて今のなのはの魔力を引き出し、コントロールするのにはレイジングハート以上に適切なデバイスであろう。 もちろん、レイジングハートと優れたデバイスだ。その性能が優れているのは魔導師ではない織莉子にもわかる。だがそれ故に今はなのはに渡すよりゆまに渡す方が適切だと思ったのだ。「ゆまさん、貴女はまだ弱いわ。確かにフェイトさんに習って魔導師の魔法を少しは使えるようになったかもしれない。しかしその程度の魔法では、杏子さんの役に立つことはできない。……でもデバイスがあれば話は別よ。レイジングハートはとても優秀なデバイスだわ。ゆまさんと信頼関係を深めた後に望めば、きっとゆまさんの力になってくれるでしょう。――だからなのはさんに再会する時まで、有効に活用なさい。そしてもしなのはさんにレイジングハートを渡すべきだと判断したその時に、ゆまさんの手から返してあげて」「うん、わかったよ」「ありがとう、ゆまさん。――これで私も安心して戦いの場にいけるわ」「……ねぇオリコ、本当にキョーコと戦うの?」「その必要があればね。でもゆまさんが一緒にいてくれればその必要はないかもしれないわ」「ホント!?」「えぇ。だけど杏子さんとの戦いが避けられるかどうかはゆまさんに掛かっていると言っても過言ではないわ。だからよろしく頼むわね」「うん!!」 その言葉にゆまは目を輝かせながら頷く。そんなゆまの様子を見て織莉子は微笑む。今のところ、織莉子の計画は万事、順調に進んでいる。もちろん最後まで上手くいくかどうかは解らない。それでも織莉子は完遂しなければならない。例えそこにどんな犠牲を孕むことになったとしても。 ……それでも、と織莉子は思う。例え犠牲を孕んでも計画は達成する。しかしできることならその犠牲は最少であって欲しい。少なくとも目の前の少女が悲しむことがない程度には――。「そうだ。ゆまさん、杏子さんを説得するついでにもう一つ頼まれてくれないかしら。もしフェイトさんに会ったら一言、こう伝えて欲しいのだけれど……」 だから織莉子は気まぐれにゆまに伝言を頼む。その言葉の意味がゆまには解らず首を傾げる。 だがそれはフェイトにとって深い意味を持つ言葉ということをこの時のゆまはまだ、知らなかった。2013/12/7 初投稿