プレシアからの通信があってちょうど一時間、彼女との取引を間近に控えた杏子は、転送ポートの前に来ていた。そんな彼女の背後にはリンディの姿がある。「杏子さん、決して無茶はしないでね。あなたは怪我人なんだから」「わかってるって。そこまで無茶なんてせず、大人しく仕事をこなして帰ってくるさ」 そう言う杏子だったが、彼女がそこまで聞き分けがよくないことをリンディも知っていた。「そんなことよりもリンディ。援護は任せたぞ。いくらあたしでもこんなものを持って一人で立ち回るのはきついものがあるからな」 そう言って杏子は淡く光る八つのジュエルシードを取り出す。今は封印の術式が掛けられているため、暴走の気配はない。しかし万が一、魔力弾が命中すれば、その封印はあっけなく破られることだろう。そして一個暴走すれば、近くにあるジュエルシードも連動し、とんでもない事態になるのは間違いなかった。「わかってるわ。でもどちらにしても杏子さんが内側から時の庭園の結界を破らないことにはどうにもならないのだから、その点は頼りにしてるわよ」「わかってる。必ず破ってみせるさ。だからいつでも援護しにこれるように戦力を整えておけ。……それとフェイトにはあとで話があるって伝えておいてくれ」 そう言って杏子はこの場にいないフェイトに思いを馳せる。プレシアの言葉で傷つき、心に深い傷を負ったフェイト。しかしそれでもフェイトにとってプレシアはかけがえのない存在であったのは間違いない。 そんな相手を杏子は今からぶちのめそうとしている。フェイトのことを考えれば、それは杏子の役目ではないが、それでも今は杏子が動くしかない。まだフェイトは立ち直れていないのだから。「それじゃあ、行ってくる」 そう言って杏子は転送ポートに入る。そしてそのまま時の庭園まで転送されていった。転送中、魔力障壁に阻まれた杏子だったが、手に握りしめたジュエルシードの魔力がそれを中和し、杏子の進入を許していく。 そうして杏子は時の庭園の中庭に降り立った。基本的には整備された綺麗な庭園。しかしその一角にはスクラップになった傀儡兵の山が盛り上がっていた。そしてそこには予想外の人物の姿があった。「キョーコ~、久しぶり~」「貴女が杏子さんね、初めまして」 それはゆまと織莉子であった。満面の笑みを浮かべて杏子に手を振るゆまと温和な笑みを浮かべながら挨拶してくる織莉子。しかも二人の側にはティーセットが広げられており、優雅な午後の一時を彷彿とさせるような光景が繰り広げられていた。「…………はっ?」 そのあまりにも予想外の光景に、杏子は思わず間抜けな声を上げる。二人はプレシアに捕らわれ、傀儡兵に襲われていたはずだ。確かに先ほどまで戦闘を繰り広げていた痕跡はあるものの、二人は五体満足で杏子の前に立っている。それがあまりにも不思議だった。「あれ? キョーコ? どうしたの?」「どうしたの、じゃねぇよ!! どうしてそんな呑気そうにお茶を飲んでんだよ!! あたしがどれだけ心配したと……」「そのことについては私から説明するわ」 そうゆまに怒鳴りかかる杏子の間に織莉子が割って入る。「確かに私たちはプレシアさんの操る傀儡兵に襲われ、管理局との交渉材料に使われた。だけどあれはフェイク。実際に私たちは傀儡兵に襲われたけど、でもそれはこの場にジュエルシードを集めるための作戦。だから杏子さんの心配は杞憂で、初めからゆまさんの命が狙われているとかそういったことはないの」 そしてそのまま杏子に真実を告げる。ただでさえ呑気にお茶を飲んでいる姿を見た杏子は、その言葉の意味を一瞬理解できずにフリーズする。「…………はぁ!! それじゃあ何か!? プレシアはあたしにジュエルシードを持ってこさせるためだけに、あんな一芝居を打ったってことか」 だがすぐに元の調子を取り戻し声を荒げて織莉子を問い詰める。そんな杏子に織莉子はゆっくりと首肯した。それを見て杏子は一安心したのか、ホッと一息つき――そしてすぐに自分がはめられたことに気付いた。 確かにゆまは無事だった。プレシアの人質になっているようなことなどなく、呑気にお茶を飲んでいたくらいだ。しかしプレシアがジュエルシードを求めているという事実に変わりはない。そして自分はまんまとジュエルシードを持って時の庭園までやってきてしまったのだ。「ゆま、今すぐアースラに戻るぞ」 だからこそ杏子はゆまの腕を強引に掴み、元来た道を戻っていく。「あら? 杏子さん、どこに行くというのかしら?」「アースラに戻るんだよ。あたしの目的はゆまだけだからな。そのゆまが無事ってんなら、このまま帰っても問題ないだろ?」「いえ、そういうわけにはいかないわ。貴女が持ってきたジュエルシードを頂いてからではないと……」 そんな織莉子の言葉と共に時の庭園が大きく揺れる。そして杏子の懐にあった八つのジュエルシードもまた、何かに呼応するかのようにその輝きを増していく。そのことに気付いた杏子はとっさにゆまの手を離し、遠くに駆け出す。だがそんな杏子の抵抗むなしく、彼女の懐にあったジュエルシードは全て、まるで何かに導かれるようにどこかへ弾け飛んでいったのであった。 ☆ ☆ ☆「艦長、大変です。時の庭園内で強力な魔力反応。これは……ジュエルシードの魔力です」「なんですって!?」 杏子が時の庭園に向かって数分も経たないうちに、アースラ内では非情アラームが響き渡っていた。それは時の庭園から複数のジュエルシードが発動した反応を感じ取ったからだ。先ほどまで外界との接触を拒むように張り巡らされていた結果は消え、時の庭園の内から膨大な魔力の柱が十九本、立ち昇っている。そのいずれもがジュエルシードの魔力だった。そしてその魔力総量は、次元震を起こすだけでは留まらずそれだけで世界を滅ぼしかねないほどに強大なものだった。 一個のジュエルシードが暴走しただけの魔力とは考えにくい。まず間違いなく十個以上、おそらくは柱の数と同じ十九個のジュエルシードが発動しているだろう。下手をすれば全てのジュエルシードがあの場で暴走しているのかもしれない。「エイミィ、結界が消えたという事は時の庭園に向かうことは可能ということね」「そうですが……。まさか艦長、今から時の庭園に向かうつもりですか!?」 今の時の庭園に満ち溢れている魔力。それはいくらリンディが優れた魔導師でアースラの支援があるといっても抑えることができるものではないだろう。「そのつもりよ。今の状態を放っておけばこの世界はもちろん、周辺の次元世界にどのような影響を与えるかわからないわ。もちろん、アースラとて一溜まりもないでしょう。……それでもこのまま手を拱いているわけにはいかないわ」 しかしそれでもリンディは迷わない。ここで自分が向かわなければ地球はもちろん、他世界に与える影響は計り知れない。例えその命を投げ打ってでもジュエルシードの暴走を止める必要があった。「で、ですが……」「エイミィ、あなたに指示を一任します。できるわね?」 不安げな表情をしているエイミィにリンディは優しく微笑みかける。「……ずるいですよ、艦長。そんな顔をされたら、断るに断れないじゃないですか。……わかりました。でも艦長、絶対に無茶はしないでくださいね。クロノくんと一緒に帰りを待ってますから」「えぇ、必ずプレシアを捕まえて戻ってくるわ」 そう言ってリンディは管制室を後にする。残されたエイミィを初めとした管制スタッフはその背中を見送ると、すぐさま他の局員に指示を飛ばし、自分たちのやるべきことを始めるのであった。 ☆ ☆ ☆「おいてめぇ、一体何をした!?」 杏子は織莉子の首筋に槍を突きつける。しかし織莉子はそれに動じない。むしろそんな杏子と織莉子の険悪な雰囲気にゆまの方が慌ててしまったぐらいだ。「やったのは私ではなくプレシアさん。今、この時の庭園には十九個のジュエルシードがある。そのジュエルシードを使って、彼女は目的を果たそうとしているの。アルハザードに向かうっていう目的をね」「アルハザード?」「私が聞いているのは、数多ある次元世界において、突出した技術力を持ち、それ故に自らの技術に溺れて滅んでしまった世界のことよ。そこに行ってプレシアさんはアリシアさんを蘇らせるつもりなのよ」「……だが、そのどこにジュエルシードを暴走させる必要があるんだ?」「それはアルハザードが本当に存在しているかどうか、わからない世界だからよ。次元世界では子供に聞かせる童話として語り継がれてきただけで、その世界が本当に存在するのかその確証はないの。……尤も、プレシアさんは何故かアルハザードが存在していると確信しているみたいだけどね」「つまりアレか? 本当にあるかわからねぇほど不確定な世界に向かうためだけに、プレシアは世界を危機に晒していると、そういうことか?」「……えぇ、そういうことよ」 その言葉に杏子は槍を降ろし、織莉子の横を通過する。「杏子さん? どこに向かうというのかしら?」「決まってる。プレシアのところだ」 フェイトの一件、ゆまに対しての行い、そして織莉子から聞かされた話。そのどれを取ってもプレシアと戦うには十分な理由になる。杏子にとってこの世界がどうなろうと、それは知ったことではないが、それでもゆまを危険な目に遭わせ、フェイトを傷つけた落とし前だけはつけなければならない。「いえ、それは杏子さんの役目ではないわ」 だがそんな杏子の肩を掴み織莉子が呼び止める。それを鬱陶しそうに振り払う杏子だったが、織莉子の真剣な眼差しに気づき、その足を止める。「杏子さん、貴女はゆまさんを連れてアースラに戻りなさい。プレシアさんとは、私が決着をつけるから」「……あんたがか?」 織莉子の言葉に杏子は目を見張る。杏子からすれば、織莉子はプレシアとグルの可能性が高い。杏子にとって織莉子とは初対面で、何より彼女は自らプレシアの誘いに乗って時の庭園にやってきたのだ。何より織莉子自身、未だにプレシアと協力関係であることを認めたばかりだ。そんな彼女にプレシアのことを任せるわけにはいかない。 しかしだからこそ、杏子は逡巡する。もし織莉子とプレシアがグルなら、そんな織莉子とゆまをこのまま二人きりにしておいていいのだろうかと。確かに今のところ、織莉子がゆまに危害を加えた様子はない。しかしだからといって織莉子を信用していいわけではなく、さらに言えばゆまを連れてプレシアの元に連れて行くわけにもいかない。「杏子さん、貴女が私を疑う気持ちはわかる。でもね、貴女にとって優先すべきことはプレシアさんを倒すことでもジュエルシードの魔力を抑えることでもない。ゆまさんの身の安全を守ることよ。ゆまさんのことを考えれば、今すぐ彼女をアースラに避難させるのが一番の得策よ。この場で私に預けるというのも杏子さんには不安だろうし、ゆまさんを連れてプレシアさんのところに行くなどというのは以ての外。それならば選べる選択肢は一つしかないのではなくて?」 そんな杏子の心理を突くかのように、的確な言葉を告げる織莉子。図星を突かれた杏子は思わず視線を逸らし、そのままゆまの顔を見る。未だにゆまの表情は不安げだ。その表情の意味はわからないが、少なくともそんな顔をしているゆまを残してプレシアの元に向かうなどできるはずもなかった。「……そう、だな」 どこか不満そうに織莉子に向かってそう告げる杏子。彼女の言葉が正しいことを杏子は理解している。だがそれと同時に事が織莉子の思い通りに運んでいるのもまた事実なのだ。それが杏子にはたまらなく気に入らなかった。「ゆま、帰るぞ」 それでも今は織莉子の言葉に従うしかない。杏子にとって何よりも大切なのは、間違いなくゆまなのだから。ゆまの身の安全を考える以上、いつまでも彼女を時の庭園に居させるわけにはいかなかった。「う、うん。オリコ、またね」 そんな苛立ちがゆまにも伝わっているのだろう。その口調にはどこか戸惑いが混じっていた。「えぇ、ゆまさん。またいずれ会いましょう。それに杏子さんも」「……次に会ったらてめぇもただじゃおかねぇからな」 杏子は織莉子に背を向けたままそう呟くと、ゆまを連れて時の庭園の転送ポートのある場所へと戻っていった。後に残された織莉子はそれを見送ると、ゆっくりと歩きはじめる。だがその方向はプレシアの執務室へ向かうものではなかった。 ☆ ☆ ☆ 時の庭園にやってきたリンディは、アースラからの魔力支援を受けながら、これ以上ジュエルシードの魔力が暴走しないように自分の魔力で無理矢理押さえつけようとしていた。 しかしただでさえ膨大な魔力の塊であるジュエルシードが複数発動している以上、とてもリンディ一人では抑えきることができなかった。リンカーコアが痛みを発しているが、それを無視して魔力を行使し続けるリンディ。「ん? そこにいるのはリンディか」 そんなリンディの前にゆまを連れた杏子がやってくる。「杏子さん、無事だったのね。それにゆまさんも」「まぁなんとかな。しかし大丈夫か。酷い顔してんぞ」 リンディの顔には脂汗が浮かび、その表情も苦痛に満ちたものだった。「今のところはね。それより杏子さん、あなたに預けたジュエルシードは……?」「……すまねぇ、奪われちまった」 その言葉を聞いても、リンディは特に驚きはしなかった。時の庭園の現状を考えればそれもそのはずだろう。しかしそうなると、今この場ではどんなに少なく見積もっても十五個以上のジュエルシードが発動しているということになる。その莫大な魔力を正面から受け止められるのは、如何にアースラの支援があったとしても後数分が精一杯だろう。「ところでリンディがここにいるってことは、結界自体はもう破れているってことだよな」「破れたというよりは、プレシアが自ら解いたと言った方が正しいけどね」 本来ならばプレシアとの取引に向かう前に時の庭園を囲む結界を解除する任を杏子は受けていた。プレシアの言葉通り、ジュエルシードの魔力があれば時の庭園を囲む結界は中和できた。その性質を利用し、杏子は自分の持つジュエルシードを使って結界を中和し、リンディたち管理局を招きいれようと考えていたのだ。 しかしその工作をする間もなく杏子の前にゆまと織莉子が現れ計画は頓挫。結果的に管理局は時の庭園に侵入することはできたが、肝心なジュエルシードは全て奪われてしまった。勇んでやってきた杏子にとってこの結果はとても不本意なものだっただろう。「まぁこうなった以上、どちらでもそう違いはねぇか」 そう呟くと、杏子はゆまの元にしゃがみ込んで告げる。「ゆま、おまえは先にアースラに向かってろ」「えっ? キョーコは?」「あたしには、落とし前をつけなきゃならねぇ奴がいるからな」 ゆまのことがあったから、あの場は織莉子に任せて戻る道を選んだ杏子だったが、それでもこのまま帰るのはシャクである。何より杏子は織莉子のことを信用していない。いくら彼女がプレシアを倒すようなことを宣ったとしても、それを信じられるほど杏子はお人好しではないのだ。むしろゆまを出汁に杏子を遠ざけ、プレシアと共にこの場からの離脱を計ろうとしていると考える方が自然である。「ならゆまも一緒に……」「駄目だ!!」 そんな杏子に着いていこうとしたゆまだったが、それを杏子の一括で止められる。いきなり大声を上げた杏子にゆまは思わず驚いてしまう。「……いきなり怒鳴って悪かったな。でも今回ばかりはゆまを守ってやれる自信がねぇ。だからゆまはあたしの帰りを待っててくれないか?」 杏子はゆまの頭を軽く撫でる。久しぶりに感じる杏子の手の感触。だがそこにゆまは違和感を覚える。杏子の様子は何も変わりはないはずなのに、何かが違う。そんな漠然としたものがゆまの心に不安を植え付けていく。 だからゆまは無言で杏子の腰にしがみつく。そして自分の思いの吐露していく。「や、やだよ。せっかくこうしてキョーコと会えたのに、また離ればなれになるなんてわたしはやだ」「……何言ってやがる。あたしはすぐに戻ってくるさ。だから……」「嘘だよ。だってキョーコはこの前だってフェイトやなのはを逃がすために自ら囮になったじゃん。そんなキョーコのことを信じられるはずがないよ」「……ゆま、でもな」「それにキョーコは知らないだろうけど、わたしも少しは魔法を使えるようになったんだよ。まだキョーコの隣に立つには心とも無いけど、でも自分自身の身を守るくらいは……」「ゆま!? てめぇ、魔法少女になったのか!?」 快活に語るゆまの言葉を遮り、杏子が再び怒鳴りつける。先ほどのようなとっさに出た大声ではなく、心の底から怒りに満ち溢れた杏子の言葉。そんな杏子の姿にゆまは思わず怯むも、少しずつ杏子の勘違いを正していく。「ち、ちがうよ、キョーコ。わたしは魔法少女になってないよ」「それじゃあどうして魔法が使えるようになるってんだよ!! 魔法少女にならなければ魔法なんて――」 そう言い掛けて杏子は気づく。この数日、彼女が共に行動し共闘していたものたちは皆、キュゥべえと契約することなく魔法を行使していたことを。そして今までゆまが誰と行動し、そして誰の拠点で過ごしていたのかを……。「ううん、わたしはただフェイトとアルフに魔法を教わっただけだよ」 その言葉を聞いて自分の考えが正しかったことがわかり、安堵する杏子。だがそれと同時に別の疑問が湧き上がる。「そうか。でもどうして魔導師の魔法なんて」「だってキョーコ。わたしにキュゥべえと契約して欲しくなかったんでしょ。でもわたしはキョーコの役に立ちたかった。今はまだ身体を少し浮かべることぐらいしかできないけど、でも絶対足を引っ張らないって約束する。だから……」「悪いな、ゆま。でも約束する。あたしは絶対にゆまのところに帰ってくる。だからさ、ゆまは安全なところで待っててくれよ。そっちの方があたしも安心して戦えるからさ」 そう言うゆまの言葉を遮り、杏子は自分の意志を告げる。ゆまの目を真っ直ぐ見つめて、自分の想いをはっきりと伝える。 そのような杏子の想いを受けたゆまは頷くしかなかった。もちろんゆまとて杏子のことを信じていないわけではない。それでも不安なのだ。杏子はたまに無茶をする。普段は自分の身を守るのが最優先と言っている癖に、いざとなれば平気でその身を犠牲にする。そんな杏子だからこそ、ゆまは懐き、力になりたいと思ったのだ。もし魔法少女になればその力はすぐに身につくだろう。だがそれを杏子が望まない以上、ゆまはその選択肢を選ばない。それに杏子はゆまが魔導師になることを止めなかった。ならば焦らずじっくり魔導師の魔法を覚えていけばいい。「ねぇキョーコ。この戦いが終わったらわたしに戦い方を教えてくれないかな?」 そう思いつつもゆまは一歩踏み込んだ願いを告げる。杏子の隣に立てるようになるには生半可な努力では足りない。魔法だけではなく体術を身につけ、息のあったコンビネーションも身につけなければならないだろう。 それにはキョーコから戦い方を学ぶのが一番早い。そんな願いを杏子が聞き入れてくれるとは限らないが、それでも頼まずにはいられなかった。「……ならそれまでにある程度は魔法を使えるようにならないとな」 だが意外にも杏子はそれを拒まなかった。「キョーコ、ほんとうにわたしに戦い方をおしえてくれるの?」「……あたしの知らないところで魔導師になろうとするぐらいなら、まだ目の届くところで訓練させた方がいいからな。……でもそれは海鳴市での戦いを終えてからだ。だから今は大人しくアースラで待ってな」「うん、わかったよ!」 杏子の言葉にゆまは満面の笑みで答える。それを見て満足した杏子はそのままゆまをアースラへと転送させようとする。だがその直前、杏子は思い出したかのようにゆまに告げる。「ゆま、一つだけ頼まれてくれねぇか」「なに、キョーコ?」「アースラにはフェイトもいるんだが、少しショックなことがあって落ち込んでいるみたいなんだ。だからゆま、そんなフェイトを励ましてやってくれないか」 今のフェイトに欲しいのは慰めの言葉ではないことはわかっている。それでも今のフェイトは見るに耐えない。自分の存在そのものを否定された彼女の姿は、まるで父親に魔女と罵られた昔の杏子とダブってしまうから。「うん、いいよ」 そんな杏子の頼みを快く引き受けたゆまは、自らの意思でアースラに向かっていく。そんなゆまの姿が見えなくなるまで見守った杏子は、気持ちを切り替えてプレシアのいる時の庭園の奥地へと向かって走り出すのであった。 ☆ ☆ ☆「フェイト、杏子のことが心配だからあたしも行ってくるよ」 アースラの医務室のベッドに横たわるフェイトに声を掛けるアルフ。しかしフェイトからの返事はない。未だに彼女は虚空を見つめながら目元を涙で濡らし続けていた。 そんなフェイトを一人にしておくのには不安がある。しかしこのままプレシアの暴挙をただ見ているわけにはいかない。アルフには力があり、そしてプレシアに対する怒りもある。このまま手を拱いている間に世界に多大なダメージを与えるプレシアを放置して置くわけには行かなかった。「すぐ、帰ってくるからね」 アルフは名残惜しむようにフェイトの頭を軽く撫でると、転送ポートに向かって駆けだしていった。そんな彼女が去っていってもなお、フェイトは如何なるものにも反応を示すことはなかった。自分は偽物。失敗作。道具。そして『アリシア』。そんな言葉がフェイトの脳裏を何度も巡る。確かにフェイトにはアリシアの記憶がある。自分に対して優しく微笑んでくれるプレシア。しかしそれはフェイトに対してではなく、アリシアに対してだ。 フェイトが頑なにプレシアの命に従っていたのは、彼女に認めてもらい、昔のように微笑んでもらいたかったからだ。そのためにフェイトはどんな困難な任務でも文句を言わずに行っていった。しかし何をやったところでプレシアはフェイトを認めない。微笑みかけてくれない。プレシアが見ていたのは常にアリシア。自分ではない。それを理解してしまったからこそ、フェイトの心は壊れてしまった。「やれやれ、キミはいつまでそうしているつもりだい?」 そんなフェイトに声を掛けてきたのはキュゥべえであった。リンディやエイミィを初め、全てのアースラスタッフがプレシアの行おうとしていることを止めようとしているが故に、キュゥべえの監視はフリーになっていた。だからこそキュゥべえは先ほど得た新しい情報を元にフェイトに近づいたのだ。「正直、ボクには人間の気持ちはわからない。プレシアがどうしてアリシアを求めるのかも、フェイトが偽物と言われてショックを受けることも、まるで理解ができないよ。ボクは時の庭園でアリシアの肉体をみたけど、キミたち二人は瓜二つだ。もちろん死んだアリシアの方がキミより幼い見た目をしていたけど、見た目だけなら大差ない。そこに宿る魂が例え別物だとしても関係ないじゃないか」 まるでフェイトを慰めるかのようなキュゥべえの言葉。その言葉はフェイトの耳を右から左に抜けるだけだが、それでもキュゥべえはしゃべるのを止めない。「そもそもプレシアがそんな簡単な願いを抱いているなんて、ボクには予想外だったよ。人一人生き返らせる事なんて、彼女の持つ魔力ならボクと契約すれば造作もないことなのに、それなのにわざわざフェイトに叶えさせようとしたんだからね」 キュゥべえの発言にフェイトがわずかに反応する。キュゥべえの言う通り、もしプレシアがアリシアを本当に蘇らそうとしているのならば、自身がキュゥべえと契約すればそれで済む話だったのだ。しかし彼女はそうしなかった。その理由は何故か。「それに今でもプレシアはボクと契約せず、自らの力でアリシアを蘇らそうとしている。そんなことに何の意味もないのに、どうして人間は無駄な努力をしたがるのか、わけがわからないよ」 そう言ってキュゥべえはフェイトに歩み寄る。感情のない赤い瞳を輝かせながら、フェイトの顔の正面に座り込む。「でもきっと、プレシアはいずれアリシアを蘇らせるだろうね。その方法がどのようなものであれ、彼女の執念は本物だ。彼女の言うアルハザード世界にたどり着くにせよ、ジュエルシードの性質を引き出すにせよ、ボクと契約するにせよ、きっとプレシアは自分の望みを叶えるだろう。……そうなったらきっとフェイトは本当にお払い箱だろうね。だってプレシアにとって必要なのは本物であって、偽物のキミではないのだから」 キュゥべえの辛辣な言葉に、フェイトの瞳から涙が零れる。必至に否定しようにも、フェイトにはキュゥべえの言葉が事実であると受け入れてしまっていた。造られた存在だとしても、フェイトがプレシアの娘であることには変わりない。だからこそ、プレシアに告げられた先ほどの言葉が事実であるとどうしようもないほどに理解できた。「でも今ならまだ間に合う。もしフェイトが望むなら、ボクがキミを本物のアリシアにしてあげてもいい」 そんなフェイトに告げられた誘いの言葉。その言葉を聞いて、ずっと虚空を見つめていたフェイトの瞳の焦点が合う。「キミには力がある。何者にも負けない魔法少女としての素質が。それはなのはにも引けを取らないだろう。もしキミが魔法少女になれば、なのはと同等、いやそれ以上の魔法少女になれるだろう。その上でキミはプレシアの本当の娘にもなれる。プレシアの娘として彼女の願いを叶え続けることができる。それはキミにとって最良の未来なんじゃないのかい?」「……母さんの本当の娘」 キュゥべえの言葉を反芻するフェイト。その脳裏に浮かぶのは、アリシアが生きていた頃の記憶。プレシアと二人、和やかな日々を送っていた暖かな記憶。それが偽物だと知った時は絶望したが、もし本物だとしたらこれ以上の幸せはないだろう。「もしフェイトがアリシアとしてプレシアを助ければ、きっとプレシアもフェイトのことを認めるだろう。キミが自分の娘だと。……だけどボクと契約する前にアリシアが蘇ってしまえば、その機会は二度と失われてしまうだろうね。だってプレシアの娘はたった一人だけなんだから」「……母さんの娘はたった一人」 フェイトはアリシアではない。それは紛れもなく事実だ。だが少なくともその遺伝子と幼き頃の記憶という意味では、フェイトとアリシアは同一の存在である。彼女とアリシアを別人たらしめているのは、その魂であり魔力資質だ。しかし言い換えればフェイトとアリシアの違いはそれしかないのだ。 そして彼女は知っている。すずかの意思を継ごうと魔法少女になったなのはがどのような変化を起こしたのかを――。実際になのはと戦ったからこそわかる。その魔力資質は元々のなのはのものではなくすずかに近いものになり、その記憶すらも引き継ぐに至った。 ならば遺伝子レベルで同一な存在であるフェイトがアリシアになることを望めばどうなるのか、その答えは明白である。「もちろんキミ自身がアリシアになるのではなく、本物のアリシアを蘇らせるのでもいいだろうね。それがプレシアの望みだろうしね。でもボクとしてはどちらを願うのかはキミに選んで欲しい。だってこれは人間特有の家族間の問題という奴なのだから」 キュゥべえの言葉にゆっくりとフェイトは身体を起こす。すでに彼女の中に魔法少女になることに対する抵抗はない。杏子やゆまには非難されるだろうが、それでもこのままプレシアに見捨てられることだけは何よりも嫌だった。「キュゥべえ、本当にわたしが願えばアリシアは蘇るの? わたしはアリシアになることができるの?」「次元世界出身の魔導師だからだろうね。キミの魔力資質はなのはよりも上だ。ボクの知る限り、キミ以上の魔力資質の持ち主は一人しかいない。これほどの資質があれば、他者を蘇らせることも、他者に成り代わることも容易だろうね」 それを聞いたフェイトは目を瞑り深呼吸をする。自分の胸の内にある様々な感情、それを整理していく。 魔法少女になることを頑なに反対している杏子。そんな杏子の想いを汲み、それでも彼女の力になりたいと魔導師になろうと努力を始めたゆま。フェイトの力が足りず、守ることのできなかったアリサ。圧倒的な力でフェイトを撃墜したなのは。そんななのはに自分の想いを託し死んでいったすずか。常に着き従い、気遣ってくれたアルフ。そしてどんなに厳しい言葉を浴びせられたとしても、フェイトにとって誰よりも大切な存在であるプレシア。「キュゥべえ、わたしは――」 そんな数々の想いを胸にフェイトは告げる。自らの望む願いを――。そこに一切の迷いはない。彼女はただ自分の思いの丈を口にした。 ☆ ☆ ☆ 一方その頃、地球にいるなのはは異変を感じていた。こことは違う次元の壁の向こうで発せられている膨大な魔力。そのあまりの巨大さに捨て置くことができず、なんとか発信源を突き止めようと奔走する。 しかし地上にいる限り、その魔力の元に行くことなど不可能だ。魔力の発信源は次元の狭間を航行している時の庭園。いくらなのはの魔力が凄まじいものとはいえ、次元の壁を打ち破る事ができない以上、向かうことなどできるはずもない。 だがそれ以上になのはが気になったのは、海鳴市に近づいてくる膨大な負のエネルギーだ。今までなのはが戦ったどの魔女よりも強大で、それでいて絶望に満ちあふれた魔力。それが少しずつ海鳴市に近づいてくるのをなのはは顕著に感じていた。 故になのは自らそこに向かって飛んでいく。ただでさえ、海鳴市は魔女だらけだというのに、そのような存在が現れれば、壊滅的な被害を被ってしまう。だからこそ、なのはは海鳴市を守るために攻めて出ることにしたのだ。 幸い、向かってくる方向は海鳴市湾岸。その魔力の出所も海上と言うこともあり、なのはは真っ直ぐ魔力の発生源に向かって飛んでいった。 そこにいたのは一体の魔女。まるで台風の目のような巨大な魔力の渦に覆われた強大な存在。耳障りな笑い声をあげ、身体を回転させている黒ずくめの魔女。人型の形を取っているが、頭が下、脚部が上と逆立ちのような状態で浮かんでおり、その下半身には巨大な歯車が備え付けられている。 だが見た目のことなど、すでに数多の魔女を狩ってきたなのはにとっては大した問題ではない。問題なのは、その魔女が結界の中ではなくこの世界に顕現しているということだ。明らかに今まで戦ってきた魔女とは明らかに一線を画す存在。それでいて結界を形成せず、ただそこに存在しているだけで負のエネルギーをまき散らす存在。(これが織莉子さんの言っていた、世界を滅びに誘う魔女の一体!!) そう確信するには十分な相手だった。だからこそ、なのはは遠慮しない。初っぱなから全力で魔力を込めたブラストファイアーを撃つ。普通の魔女ならその一発で沈んでしまうほどのなのはの砲撃。しかし目の前の魔女には傷一つ与えることができなかった。 だがそれでも魔女の注意を引きつけるという意味では十分だったのだろう。先ほどまでなのはを無視して進行していたその魔女の視線がなのはに向く。その瞬間、なのはは身の毛もよだつほどの寒気に襲われる。本能的に後退し、魔女から距離を取る。そんなのはに対し、無数の影が飛んでくる。まるで次元を切り裂く刃のような攻撃をなのはは避け続ける。だがそうして影が通った端から生まれる無数の使い魔。それらは全て人型のシルエット。宇宙の星の輝きを映すようなベージュ色。それぞれが特有の得物を手にし、またその衣装も独特。だが何よりも驚嘆すべきは、その一人ひとりから感じられる魔力。それは並みの魔女を遥かに上回るものであると同時に、魔法少女を彷彿とさせるような気高さをも感じさせた。 まるで影魔法少女と呼ぶべき使い魔。一体一体ならば大したことはない。それに集団で襲いかかろうとも、なのはの敵ではないだろう。しかし問題なのはこれらの存在が使い魔という点だ。使い魔である以上、本体の魔女が生きている限りほぼ無限に生みだされていくのは間違いない。そしてその本体であろう目の前の巨大な魔女は、なのはの攻撃で傷一つ負っていないのだ。 苛烈を極める影魔法少女たちからの攻撃。それと同時に魔女から次々と生み出される影魔法少女。それにたった一人で挑んでいくなのは。こうして誰も知らぬところでなのはとワルプルギスの夜との戦いが始まったのであった。 ☆ ☆ ☆ 自らの命を賭して、最愛の存在を取り戻そうとするプレシア。そんなプレシアに認められようと禁断の果実に手を伸ばしたフェイト。未来を見えるが故に、滅びを回避しようと画策する織莉子。義理堅いからこそ、自分を傷つくことを省みずに行動する杏子。そして平和を守るために今もなお、戦い続けるなのは。 それぞれの思惑が錯綜し、彼女たちの知らないところで事態は動く。それはまるで蛇のようにうねり、彼女たちを思いもよらない結末へと導いていくことを、今この時、誰にも知る由もなかった。2013/12/13 初投稿