プレシアの手によって時の庭園から飛ばされた織莉子が辿り着いたのは、海鳴市の臨海公園だった。漆黒の風が強く吹き荒び、頭上では雷雲が音を鳴らし蠢いている深夜の臨海公園。この悪天候の深夜ならば人っ子一人見当たらないであろうというのに、織莉子の目の前には無数の人の姿があった。それは彼女同様、時の庭園からこの場に飛ばされてきたリンディや杏子、アルフ、そしてその他の武装隊員たちである。織莉子はその姿を視認するや否や、この場からの離脱を試みる。だがその前に彼女の四肢はバインドで拘束され、さらに杏子の手によって組み伏せられた。 そんな現状になって織莉子が思うのは目の前の二人に対してではなく、この場に転移させたプレシアのことだった。織莉子とプレシアは協力関係だったが、それはあくまで互いの利害が一致したからに過ぎない。故に織莉子もプレシアも相手のことは全く信用していなかった。だから彼女は織莉子を管理局員の只中へと転移させたのだろう。おそらくは囮として織莉子を利用するために――。「美国織莉子さん、あなたには聞きたいことが山ほどあります。ご同行願えるかしら?」「そうは言っても、私に拒否権はないのでしょう? この状況だと逃げられそうにもないし、別に構わないわよ」 そう告げた織莉子だったが、内心では一刻も早く管理局の目の届かない所へと移動したかった。それは彼女が時の庭園で回収した十九個のジュエルシードを隠し持っているからに他ならない。今はプレシアによってその魔力がほぼ奪われ抜け殻と化しているジュエルシード。そのおかげか今のところは所持していることに気付かれている様子はない。しかしアースラへ連れていかれて身体検査でもされようものならすぐにばれてしまうだろう。そうなれば押収されるのは目に見えている。 それでも織莉子が抗わなかったのは、状況の不利を悟っていたからだ。実際に戦いになれば織莉子ではリンディ一人倒すことができないのは、先日の戦いで証明されている。リンディ一人でも手に余る相手なのに今は杏子を初め、他の管理局員やアルフの姿もある。説得次第でアルフは味方になってくれる可能性もあるが、フェイトがアースラにいることを考えるとそれも厳しい。故に織莉子は素直にリンディの言葉に従うことにしたのだ。「……随分と素直なのね。てっきりすぐに逃げ出そうとするのかと思ったわ」「確かにそれができるのならそうしていたけれど、これだけの人数を相手に逃げ出せるほど私の魔法は使い勝手のよいものではないからね。何より今回は途中で誰かが助けに入ってくれるということもなさそうだしね」 そう言って織莉子はアルフの方を見る。するとアルフは目に見えて申し訳なさそうな顔を浮かべた。「アルフ、別に気にすることはねぇぞ。こいつはあんな手の込んだ芝居を使ってまで、ジュエルシードをあたしから奪っていったんだからな」 そんなアルフにすかさずフォローを入れる杏子。だがアルフはこの場に居合わせている中で唯一、織莉子に友好的な印象を持っていた人物である。故に杏子の言葉を鵜呑みにするようなことはなかった。「アルフさん、杏子さんの言ったことは本当よ。私はプレシアさんに加担してジュエルシードを奪った。そのことに間違いはないわ。ついでに言えばゆまさんを使ってジュエルシードを杏子さんに持ってこさせるというアイデアを出したのも私よ」 だがそんな杏子の言葉を織莉子自身が肯定したことでアルフの目が大きく見開かれる。それと同時に明かされたゆまを利用した話を聞き、織莉子を押さえつける杏子の力も強まる。だが織莉子にとってそれらは瑣末な問題だった。「……ところでリンディさん、貴女はこんなことしている時間はないと思うのだけれど?」 織莉子は挑発的に告げる。確かに織莉子は管理局に対し敵対的な行動を取り、プレシアに協力までした存在だ。拘束される云われは十分にある。けれど今、ジュエルシードの魔力を行使しようとしているのは織莉子ではなくプレシアなのだ。目に見えて危険な存在と潜在的に危険視される存在。どちらを先に対処すべきかを理解できないほど管理局は愚かではないはずだ。「もちろんプレシア・テスタロッサのことを忘れてはいません。彼女についてもすぐに対処します。でもそれがここであなたを見逃す理由にはならないわよ」「別に見逃してと頼んでいるわけではないのだけれどね。どちらにしてもこのまま私に注意を向けているようではプレシアさんを捕まえることはできなくなるわよ。プレシアさんが私を含めた邪魔者を時の庭園から排除したということは後数分で彼女の目的が果たされるということなんだから」 その言葉を聞いてリンディはハッとなる。プレシアの目的、それはアリシア・テスタロッサを甦らせることだ。そしてその手段を求めるためにアルハザード世界へと向かおうとしているそのために彼女はジュエルシードを集めようとしたのだ。そして今、彼女の元にはジュエルシード十九個分の魔力がある。一個でも暴走すれば小規模な次元震を引き起こすような魔力の塊が複数存在している。その魔力をもし、一斉に発動させるとしたら――。『艦長、大変です! プレシア・テスタロッサが時の庭園ごと転移、座標を見失いました。さらにその余波で次元空間が非常に不安定。このままでは中規模から大規模の次元震が発生すると思われます』 リンディがそこまで考えた時、アースラのエイミィからの緊急通信が入る。それはまさにリンディが思い描いた中で限りなく悪い知らせだった。それを聞いたリンディは慌てて周囲にいる武装局員、およびにアースラで待機しているスタッフに指示を飛ばす。「杏子さん、申し訳ないけど織莉子さんのことはあなたに任せていいかしら?」 そうして一通り指示を終えた後、リンディは申し訳なさそうに杏子とアルフにそう問いかける。その言葉に杏子は強く頷く。それを見てリンディはすぐにその場から転移し、アースラへと戻っていった。 こうしてその場に残されたのは捕まっている織莉子を除けば杏子とアルフの二人のみ。二人は厳しい目つきで織莉子のことを見ているが、当の織莉子はそんなことは気にせず、ただじっと夜の空を眺めていた。雷雲蠢く海鳴市の空。肌に感じられる濃厚の魔力の気配。だがそれは海鳴市の方からではなく海上の方から感じられていた。そしてその魔力がすぐに消え去ったことを確認すると、織莉子は内心でほくそ笑む。だがそれを彼女は一切表情に出さず、杏子に話しかけた。「ねぇ、杏子さん、いつまで私はこうしていればいいのかしら?」「さぁな。プレシアが捕まるまでじゃねーのか?」「なら杏子さんもしばらくこの場から動けないということね」「……それがどうかしたのか?」 織莉子の言葉に杏子は訝しむ。だが織莉子はそんな杏子の言葉に返さず、アルフに顔を向ける。「それにアルフさんも、この状況だとアースラに戻りにくいでしょう?」「ま、まぁそうだね。それに織莉子には少し聞きたかったこともあるし」 アルフはどこか目を泳がせながら織莉子の言葉に答える。「そう。ならせっかくだから貴女たちが聞きたいことっていうのに答えてあげるわ。時間はたっぷりあることだしね。それじゃあまずはどうして私がこの町にやってきたところから話しましょうか」 そうして織莉子はゆっくりと語り始める。アルフはそれを興味深そうに、杏子は怪しんで耳を傾ける。しかし二人は気付かない。この時、織莉子は二人をこの場に引きつけるためにその話をしだしたということを。そして二人の知らないところで状況は加速度的に変化しているということを――。 ☆ ☆ ☆ 幼い頃のプレシアは両親に聞かされるアルハザードについての御伽噺が大好きだった。その物語はまるで夢の中のように素敵で、子供のプレシアを夢中にさせた。しかし夢はいずれ醒めるもの。成長するに連れアルハザードの伝承は現実ではあり得ない御伽噺として一蹴するようになり、いつしか耳にすることも無くなっていた。 そんなプレシアがアルハザードの名を次に目にしたのは、アリシアを亡くした後に始めた研究資料を集めている時だった。どのような手段を用いれば、アリシアを再び目覚めさせることができるのか。それを模索していた時期。プレシアはありとあらゆる分野の文献に目を通した。そうした文献のいくつかにアルハザードの名が出てきたのだ。藁にも縋りたい気持ちであったプレシアは、そういった文献内容を無視せず一つひとつ頭の片隅に蓄積させていった。 多くの文献にその名を記されるアルハザード世界。その中で共通するのは現実に存在しているかどうか定かではないほど遥か昔に滅びているということ。そしてその技術体系は現代のミッドチルダを初めとした次元世界では再現できないということだった。 特筆すべきは、それらの情報は全て図書館に貯蔵されているような書籍に記載されていたということだ。誰の目にも留まる書籍においてアルハザード世界の技術を再現することは不可能であると書かれている。それが一冊や二冊ならば偶然であると考えられるが、十数冊となれば話は別だ。意図的な情報操作。まるでアルハザード世界の技術を再現させまいとする意志を感じられた。 だからプレシアは裏の情報屋を使って、アルハザード世界について調べた。残念なことにアルハザード世界そのものに通じる情報を得ることはできなかったが、その過程である人物の名を知るに至った。 ――ジェイル・スカリエッティ。法的には禁忌とされている研究も行っている科学者。その研究内容には人造生命に関するものもあり、アリシアを甦らせることを目的としているプレシアにとってみれば、是が非でも接触したい相手であった。 しかし問題もあった。それはスカリエッティが管理局最高評議会によって生み出された存在であるということである。次元世界において管理局の力は非常に大きい。だがそれは決して司法組織として人々を助けてきたからではない。犯罪者を取り締まるのと同時に時には法に逆らってまでその影響力を広めようとしてきたからである。一般人にしてみれば管理局は次元世界における正義の象徴とも呼ぶべき組織だが、少しでも裏の世界に精通したものならその実態が下手な犯罪者よりも性質が悪い存在であることを知っていた。 そんな管理局の中で最高評議会は、まさに裏の部分を象徴する存在だ。元々は世界の平定のために立ちあげられた時空管理局。しかし世界の平定を求めるあまりそこに住まう人々すらも蔑ろにするのが最高評議会のやり方だ。そんな彼らが創り出したスカリエッティに接触するということは、少なからずプレシアも目をつけられるということになる。しかしアリシアを目覚めさせる研究を進める意味でも、アルハザード世界についての情報を得る意味でも接触を避けることはできなかった。 結果から言えば、スカリエッティとの邂逅はプレシアの望みを叶えるには至らなかった。彼が精通していた生命操作や生体改造の研究はProject F.A.T.E.の前身となり、またアルハザード世界が存在する確証をプレシアに与えた。しかしProject F.A.T.E.によって創り出されたフェイトはアリシアと呼ぶにはあまりにも別者であり、アルハザード世界に関してもその座標を正確に知ることはできたものの、そこに向かうだけの魔力を手に入れることができなかった。さらにアルハザード世界の情報を盗み出したことで最高評議会に目を付けられ、その後の行動にも慎重にならざるを得なかった。 だがプレシアには時間がなかった。その身を蝕む病。寝る間も惜しんで研究し続けた代償か、プレシアの身体は病魔に蝕まれていた。もちろんその程度のことで立ち止まるプレシアではない。リニスを使ってフェイトを鍛えている間も彼女はアリシアを取り戻すために動き続けた。最高評議会から盗み出したアルハザード世界に関する情報と技術を使い、どうにか彼の世界に赴く方法を模索し続けた。 そうして見出した高純度の次元干渉型エネルギー結晶体であるロストロギア、ジュエルシード。残された時間も僅かであるということもあり、プレシアはその魔力に一縷の望みを託した。その過程で魔法少女と魔女という想定外の知識も手にし、ジュエルシードもほぼ全て手に入れた。あとはアルハザード世界に赴き、その技術を用いてアリシアを蘇らせればいい。そう思いプレシアはアルハザード世界へと転移した。 ――だがプレシアの思惑はものの見事に外れた。 頭上に広がるのは赤く罅割れた空。次元そのものに亀裂が奔り、ボロボロと崩れ落ちる赤い空。その罅割れた隙間から覗くのは、七色の虚数空間。それはまさに滅んだ世界と呼ぶに相応しい空だ。そうして割れた空の欠片が落ちるのは無間の闇。本来、地表が広がっているべきはずの空間であるのにも関わらず、そこには一欠けらも存在しない。その先がどこまで続いているのか目視することもできず、サーチャーを飛ばしてもその制御をすぐに無くし押し潰される。そんな漆黒の世界がそこにはあった。 そんな闇を見てプレシアは悟る。これが滅びを迎えた世界なのだと。もし文明が滅びただけであれば、そこには生きた痕跡が残る。それならば例え数千数万の年月が経とうとも、考古学的観点から分析、解明することも可能だっただろう。しかしアルハザード世界は文字通り、世界そのものが滅びたのだ。 世界を構成する粒子が歪み、その因果を捻じ曲げる。そうでなければ空が割れ、大地が崩落するなどということが起こり得るはずがない。そんな通常では起こり得ない現象が起きてしまったのも、アルハザード世界の技術が現代のミッドチルダよりも遥かに高度な文明が栄えた証だろう。それ故にこの世界には生き物はもちろん、過去に栄えた文明の名残はほとんど残っていないことを悟る。 だがそんな絶望的な現実を前にしてもなお、プレシアは諦めない。彼女は多大な犠牲を払い、僅かな望みを託してここまで到達したのだ。それを無駄に終わらすつもりはない。例え可能性は僅かだとしても、今のプレシアにはそれに駆けることしかできない。だから彼女は目を血眼にしながらキーボードを動かし、この世界の様子を探るのであった。 ☆ ☆ ☆ ワルプルギスの夜を追ってなのはがやってきたのは、不思議な空間だった。眼下に広がるのは底知れぬ闇。降り立つ地面は一切なく、一度落ちたら最後、這い上がることができないほどの暗さを感じさせる。そして頭上に広がるのはひび割れた空。血のように紅い空の至る所に亀裂がはしり、ポロポロと空が欠片となって落ちていくのが目に入る。そうしてできた穴の先には眼下と同じように深い闇が広がっていた。 現実世界はもちろん、魔女の生み出した結界ともどこか違うように感じさせるこの空間。異端だらけの光景の中で唯一、なのはが見知っているものと言えばワルプルギスの夜の存在だけだった。そんなワルプルギスの夜は、なのはのことには目もくれず、一点を目指して進んでいく。その先にあるのは浮遊した大地。まるでこの世界に残された最後の陸地とも思える場所に向かって、ワルプルギスの夜は今まででは考えられないほどの速度で向かっていた。そんなワルプルギスの夜の接近に気付いたからだろう。浮遊した大地から無数の魔弾が放たれる。しかしそのすべてがワルプルギスの夜に当たることなく、影魔法少女に迎撃されていった。 次に現れたのは、全身を甲冑で覆った無数の人影だった。それを見てなのは慌てて声を掛けようとするが、すぐにそれらが人間ではなく魔力で創られた傀儡兵であることを悟る。なのははそんな傀儡兵を援護するかのようにディバインバスターを放ちながら戦いの最中へと割り込んだ。 ワルプルギスの夜が傀儡兵、延いては浮遊する大地に気を取られているうちに魔力を収束させてルシフェリオンブレイカーを放つこともできただろう。だがなのははそうしなかった。それはこの場に漂う魔力だけではワルプルギスの夜に届かないと判断したからだ。次元の壁を超えたことで戦場に漂う魔力はリセットされてしまった。それではワルプルギスの夜を倒すには至らない。 それに傀儡兵が影魔法少女に放つ数々の魔法、それらは全てフェイトが戦いの中で見せた魔法に酷似していた。もちろんそれはフェイトが使っていたものより威力が劣ってはいたが、関係性を疑わずにはいられない。 なのはは魔法少女としてはもちろん、魔導師としてもまだビギナーだ。純粋な戦闘力でそのことを忘れがちになるが、彼女がユーノから学んだのは簡単な魔法についての説明だけだ。ミッドチルダの成り立ちや魔導師の使う魔法の仕組みといったことはほとんど教わっていない。だから今、目の前で傀儡兵が使っている魔法はミッドチルダではポピュラーな魔法なのかもしれない。しかしそれでもフェイトのことを思い起こさせる魔法を使う傀儡兵が気になり、故にそれを操る人物について興味を持たずにはいられなかった。 ――そしてそれは時の庭園の中で傀儡兵を操るプレシアも同様だった。アルハザード世界に眠る秘術を探し続けたプレシアの前に突如として現れたワルプルギスの夜。その存在に驚きつつも、アルハザードにやってきて初めて出会った生きた存在。それだけでプレシアの興味を惹くには十分だった。だが相手は魔女。それもフェイトからの情報にあった魔女よりも遥かに強力な力を持っている存在だ。そう安々と時の庭園に近づけるわけにもいかず、迎撃しながらその生態を調べ始めた。 だがすぐにプレシアは落胆することになる。ワルプルギスの夜が持つ絶望的なまでの負の魔力。それはプレシアが求めていたものとは遠くかけ離れているものだったからだ。だがそれもそのはずである。魔女の性質は千差万別だが、人々に絶望をもたらすという本質はどの魔女も変わらない。そんな魔女の絶望が凝縮され融合した存在がワルプルギスの夜なのだ。 何故、アルハザード世界に魔女がいるという疑問は残るが、それでも目の前の存在はプレシアの求める存在ではなく、むしろこうして時の庭園の進行を阻害している以上、排除すべき対象でしかない。故にプレシアは本腰を入れてワルプルギスの夜を討伐しようと傀儡兵を派遣する。 だが排除するにはワルプルギスの力は膨大だった。本体はもちろん、ワルプルギスの夜が生み出す使い魔一体一体の実力も並みの魔導師をも遥かに上回る。仮にプレシアの体調が万全だったとしても、ワルプルギスの夜を撃退できたかどうか、疑わしいところだろう。 それでもやらねばなるまい。時の庭園を捨てて逃げる選択肢などありはしない。ここにはアリシアがいる。アリシアを見捨てることなどできるはずがない。例えこの身を犠牲にしたとしても、彼女はアリシアを護りきるつもりだった。 だから彼女は時の庭園を自動制御に設定し、自らも戦いの場に赴くつもりだった。なのはが現れたのはそんな時である。 傀儡兵を援護するように戦うなのは。なのはのことはフェイトからの情報でプレシアも知っている。だがプレシアの持っている情報はなのはがキュゥべえと契約する以前のものである。だから彼女は今のなのはの力に驚きを抱かずにはいられなかった。間違いなく彼女の魔力は全盛期のプレシアを上回っている。あれほどの魔力があれば、ワルプルギスの夜を倒すことも可能だろう。 それ故に惜しい。なのはが魔法に触れたのはほんの一ヶ月前、魔法少女になったのなどついこの前の話だ。故に彼女の戦い方には無駄が多い。未だその魔力を自由に扱い切れているわけではなく、その膨大な魔力で相手を叩き潰しているという戦い方であった。 格下の相手ならばそれで問題はない。しかし相手はワルプルギスの夜。その身から溢れる魔力は今のなのはをも有に上回るものだ。そんな相手に魔力をぶつけるだけでは太刀打ちできるわけがない。【高町なのは、私の声が聞こえるかしら?】 だからこそ、プレシアはなのはに声を掛ける。そしてその判断は紛れもなく、プレシアが取れる中で最善の行動だったと言えるだろう。 ☆ ☆ ☆ なのはは戦いの中で自身の消耗具合に焦りを覚えていた。海鳴市周辺の海上での戦いからここまで彼女は常に神経を研ぎ澄ませながら戦い続けている。いくら魔力に優れていると言えど、各上の相手とそんな戦いを続けていればいずれは限界がくる。事実、先ほどからなのはの攻撃の被弾数は劇的に上がっている。今はまだ反射的にラウンドシールドでそれらの攻撃を防御することができるが、その余裕がなくなるのも時間の問題だ。 かといって立ち止まるわけにもいかない。どこかに降り立とうにも大地はワルプルギスの夜が取りつこうとしている浮遊大陸しかなく、影魔法少女の数も徐々に増えてきている。何体かは傀儡兵が引き受けてくれてはいるが、それでもなのはの比重が減るどころか徐々に増え始めていた。【高町なのは、私の声が聞こえるかしら?】 なのはの脳裏にプレシアの声が響き渡ったのは、そんな時のことだった。突然の念話になのはは一瞬、注意をそちらに取られてしまうが、すぐに意識を引き戻し、隙を突こうとして攻めてきた影魔法少女を迎撃する。【……あなたは誰? どうしてわたしの名前を知ってるの?】 その後になのはは改めて声の主に問いかけた。マルチタスクが使えるとはいえ、今のなのはに意識を分割している余裕はない。これが普通の魔女や影魔法少女だけならそれでも何とかなっただろう。しかし相手は自分より遙かに格上の魔女。この声の主がなにを思ってこのタイミングで念話をしてきたのかはわからないが、今のなのはにとってそれは限りなく迷惑に近かった。【私はプレシア・テスタロッサ。あなたにはフェイトの母親と言ったほうがわかりやすいかしら?】 そんななのはの考えとは裏腹に声の主、プレシアはさらになのはの気を取られるようなことを告げる。フェイトの母親、つまりはフェイトにジュエルシードを集めさせようとした張本人。何故、彼女はジュエルシードを集めようとしていたのか、そして何故、ワルプルギスの夜が向かった先にいたのか、疑問は尽きない。【だけど今、そんなことは重要ではないわ。それははあなたにもわかっているでしょう?】【……そうですね】 だが一つだけわかったことがある。傀儡兵を操り、あの館に住まう人物はプレシアということだ。そしてそんな彼女がこのタイミングで声を掛けてきたとすれば……。【それでね、少しばかりあなたに協力してもらいたいことがあるんだけど、聞いてもらえないかしら?】【奇遇ですね。わたしもプレシアさんに頼みたいことがあったんです】 なのはとプレシア。立場や目的は違えど、今の二人には情報が不足し、共通する敵が存在している。そしてその敵は二人が手段を選んでいる余裕がないほどに強大だ。【そう。なら話が早いわ】 そう言うと、なのはの足下に見覚えのない魔法陣が展開する。【……っ?! プレシアさん、これは!?】【安心なさい、転移用の魔法陣よ。その先であなたに目の前の魔女を倒すだけの力をプレゼントしてあげるわ】 驚き戸惑うなのはに対し、プレシアは事も無げに告げる。プレシアの考えはなのはには読めない。しかしそれでも結果的にワルプルギスの夜を倒すのに繋がるのならそれでいい。そう思ったなのはは抗う事はせず、魔法陣によって転移されていった。 ☆ ☆ ☆ 一方その頃、アースラに送られたゆまはすぐにフェイトの元へと向かった。ゆまの目から見たフェイトは、強い魔導師であると同時にとても繊細な心を持つ少女だ。普段は自分に魔法を教えてくれる心優しい師匠。だが母親に対する悩み苦しむ姿は、ゆまにとって羨ましくもあり、そして心苦しく感じられた。それはゆまにとって母親、もっと言えば両親と過ごした日々の記憶が辛いものだからに他ならない。 記憶に残る両親の姿。それは毎日のように怒鳴り合い、何か気に食わないことがあればゆまに暴力を振るう姿であった。どんなに泣き叫ぼうとも二人が満足するまで暴行が止むことはなく、その度にゆまの身体には傷ができた。 ただゆまにとって両親は決して憎むべき存在ではなかった。例え暴力を振るわれようとも、何度「役立たず」と言われようとも、ゆまにとって両親は掛け替えのない存在だった。 今にして思えば、二人は魔女の口づけを受けていたのかもしれない。魔女の口づけは人を狂わす。そんな呪いを受けてもなお、必ず自分を取り戻し涙ながらに謝罪したゆまの両親は本当にゆまを愛していたのかもしれない。 そんな両親も魔女に無惨に殺されもういない。二人がゆまのことを本当はどう思っていたのか、今のゆまには確かめる術はない。もちろんゆまは二人が自分を心から愛してくれていたと信じている。だからこそ、母親のことで悩むフェイトの力になってあげたかった。自分の母親にジュエルシードを集めることを命じられ、さらにはキュゥべえとの契約を強要されたフェイト。そういった命令が下される度に怒りを露わにするアルフ。フェイトの母親のことを知らないが故にはっきりとしたことはわからないが、それでもゆまはフェイトが愛されていると信じたかった。 しかし実際に顔を合わせたプレシアの姿を見て、その考えが揺らぐ。ゆまがプレシアと顔を合わせたのは一度、織莉子に連れられて時の庭園に再び足を踏み入れた直後だけだ。その際に見たゆまを見つめるプレシアの瞳はひたすら冷酷だった。ゆまのことを塵芥を見つめるような瞳で睨みつける冷酷な女。それがゆまにとってのプレシアの印象だった。 もちろんたった一度、少しの時間を共にしてわかることには限りがある。しかし彼女はフェイトのことをゆまに訪ねようとはしなかった。ゆまがフェイトやアルフと一緒に行動していたことはプレシアも知っているはずだというのに、彼女は一度として二人の名前を話題に出さなかった。もしかすればゆまがいないところで織莉子にフェイトのことを聞いたのかもしれない。そう考えればあの時、織莉子がフェイトへの伝言を頼んだのにも説明がつく。ゆまにはその言葉の意味がまるでわからないが、重要なのはその言葉をフェイトに伝えるということだ。 さらに言えば、杏子からもフェイトのことを頼まれている。杏子の話では今のフェイトは酷く落ち込んでいるらしい。なればこそ、すぐに励ましてあげよう。ゆまはそう意気込んでフェイトのいる一室へと踏み込んだ。「…………えっ?」 だがそこでゆまが目撃したもの、それは地面に突っ伏したフェイトとその傍に佇んでいるキュゥべえの姿だった。「やぁゆま、遅かったね」 何事もなかったかのように声を掛けてくるキュゥべえ。しかしそんなキュゥべえの言葉はゆまの耳には入らなかった。「フェイト!? しっかりして!!」 ゆまは慌ててフェイトの元に駆け寄ると、その身体を抱き起こす。フェイトの身体はとても重く、そしてその身体から急速に熱が抜けていくのを感じる。そんなフェイトの身体を必死に揺らしながら、ゆまは声を掛け続ける。だが何度、声を掛けてもフェイトからの返事はない。 そんなゆまの様子を見て、キュゥべえは感情のこもっていない声で、ただ一言こう告げた。「ゆま、そんなことをしても無駄だよ。それは中身のないただの肉の塊なのだから」 その声を聞いて、ゆまの動きは固まる。そしてまるで信じられないものを見るかのようにキュゥべえを見つめる。そんなゆまにキュゥべえは容赦なくこの場で起きたことを告げる。それは今のゆまにとってとても受け入れられないほどに、残酷で冷酷な真実だった。2014/1/15 初投稿2014/4/1 全体的に微修正&気付いた誤字修正