「わたしはアリシアになりたい。アリシア・テスタロッサとして母さんを手助けしたい」 フェイトは自分の感情を偽ることができなかった。彼女が『フェイト・テスタロッサ』という存在である以上、プレシアから愛情を向けられることはあり得ない。何故なら『フェイト・テスタロッサ』は『アリシア・テスタロッサ』を模して創られ、失敗作の烙印を押されてしまった存在だ。そんな不完全なレプリカがオリジナルと同様に愛されるはずがない。 しかしそれはあくまで自分が不完全な模造品だからである。ならば本物になればいい。奇跡の対価に戦いの日々が待ち受けることになるとしても、それでプレシアの愛を受け取ることができるのならば何の問題もない。むしろこれは失敗作であった『フェイト・テスタロッサ』が成功体になるために必要な過程なのだ。そう考えればキュゥべえと契約し、魔法少女になることに対して躊躇など生まれるはずもなかった。「――キミの願いはエントロピーを凌駕した。誇るといい。これでキミはプレシアの娘だよ」 そんなフェイトの純然たる願いがをキュゥべえによって叶えられる。ゆっくりと彼女の胸の内から金色の輝きと共に生まれるソウルジェム。それは紛れもなく、フェイトが魔法少女になった証だった。 だが次の瞬間、フェイトのソウルジェムはその場から忽然と消え去る。フェイトとキュゥべえが見ている目の前で忽然と、まるで初めからそこに何もなかったかのように一瞬の間にその場から消失した。 それに呼応するかのようにフェイトの意識も刈り取られる。まるで糸の切れた人形のように倒れ伏すフェイト。そんなフェイトをキュゥべえは一切、感情のない瞳で見つめる。「まさかこんな結果になるとはね。キミといい、なのはといい、やはり魔導師というのは興味深い存在だね」 だがその口から出た言葉は、感情のないキュゥべえにしてみれば極上の賛辞とも言えなくもないものだった。 ――ゆまがこの場に現れたのは、この出来事からちょうど一分後のことであった。 ☆ ☆ ☆ なのはにとってみれば、プレシアという存在は謎の人物という一言に尽きる。わかっていることはフェイトの母親ということだけ。ジュエルシードを集めている理由はもちろん、その略歴や生い立ち、さらには見た目に至るまでなのはには知る由もなかった。 そんな彼女が今、なのはの目の前に立っている。時の庭園の管制室で対峙した彼女の姿を見てなのはがまず思ったのは「フェイトに似ている」ということだった。 顔立ちはもちろん、立ち振る舞いからデバイスの持ち方までどことなくフェイトと重なる部分がある。髪の色こそ違うが二人が親子であるということは、疑いようもなかった。 それでもプレシアとフェイトでは決定的に違う部分が存在する。それは彼女の目だ。酷く冷たい眼差しでこちらの様子を伺うプレシア。殺気というには弱いが、それでもこちらが怪しい素振りを見せればすぐに攻撃を仕掛けるつもりであろうことは明白だ。例えフェイトがこちらに敵対したとしても、あのような目をすることはないだろう。それは実際にフェイトと敵対し、戦ったことのあるなのはだからこそ言えることだった。「あなたがプレシアさん?」 故になのはもこれ以上の距離を詰めようとはせず、デバイスを構えたまま話しかける。これから協力しようという相手だというのに、二人の間には奇妙な緊張感が漂っていた。「そうよ、高町なのは。早速だけれど、本題に入らせてもらうわ。あなたにはアレを倒すこと算段があるのかしら?」 そんななのはの態度にプレシアは一切、揺らぐことなく本題を切り出しながら、スクリーンを示す。そこには現在のワルプルギスの夜と傀儡兵との戦闘の様子が克明に映されていた。影魔法少女に一機、また一機と撃墜されていく傀儡兵。数ではまだ優位であるが、一体一体のスペックが違い過ぎる以上、この先の結果は火を見るより明らかだった。「わたし一人の力じゃ無理です。でもプレシアさんが協力してくれるならあるいは……」 そう言ってなのはは自分の魔法について明かす。大気中に漂う魔力を収束させて放つ砲撃魔法、ルシフェリオンブレイカー。なのはの持ち得る手札の中では、おそらくこれ以外にワルプルギスの夜を倒すことができないであろう魔法のことをプレシアに説明する。「確かにその魔法ならば、あの魔女を葬り去ることができるかもしれないわね。……でも確実じゃない」「そうです。まだ大気中に漂う魔力が足りない。それを収束させる時間も必要ですけど、それ以前に今の魔力量じゃあの魔女を倒すには至らない」 ルシフェリオンブレイカーはあくまで大気中に漂う魔力を集めて放つものだ。ワルプルギスの夜に内包する魔力を吸収するようなものではない。彼の魔女がどれほどの力を持っているか解らないが、それでも膨大な力をもっていることだけはわかる。そんなワルプルギスの夜を倒すには、現時点で戦場に漂っている魔力をかき集めたところで不可能だろう。「……ならこれを使えばどうかしら?」 だがそんな不可能を可能にするためのアイテムをプレシアは示す。それは高密度の魔力が圧縮されてできた結晶体だった。その途方もない魔力はなのはの全魔力をかき集めたところで到底届かない。下手をすればワルプルギスの夜に匹敵するほどのものだ。そしてなのはにはその魔力に覚えがあった。「これってもしかして……?」「そう、ジュエルシードから抽出した魔力よ。あなたの言う収束魔法。それにこれだけの魔力を乗せればあの魔女を倒すことができるのではなくて」 プレシアの言葉になのはは息を飲む。なのはの前にある魔力結晶。それは少なくともジュエルシードが暴走した時に発生した魔力よりも遙かに多く感じられた。これだけの魔力があれば、確かにワルプルギスの夜を倒すことができるかもしれない。 だからこそ解せない。ちょっとしたきっかけで暴走し、思念体を生み出す危険なロストロギア。それがなのはの知るジュエルシードである。そんなジュエルシードから魔力だけを抽出することなど果たして可能なのだろうか。こうして現物がある以上、不可能ということはないのだろうが、それでも普通の方法ではとても不可能だろう。 それだけではない。そもそもこれほどの高エネルギーを手に入れてプレシアは何をしようとしていたのか。フェイトがジュエルシードを集めていた理由にプレシアが関わっていることは間違いない。だがこんな巨大なエネルギー、一個人が扱うには過ぎたものだ。それをプレシアは手に入れ、そして今、こうして何の躊躇いもなくなのはに渡した。そのことがなのはに警鐘を訴えた。「何をしているの? 今はのんびりしている時間はないはずよ。早くあの魔女を倒しにいきなさい」 魔力を受け取ったなのはがいつまでもこの場を去ろうとする気配を見せないのに気づいたプレシアは苛立ちを隠そうともせずに告げる。そんなプレシアになのはは向き合い、疑問を口にする。「プレシアさん、これだけは答えてください。あなたはどうしてわたしにこの魔力を渡そうと思ったんですか?」 なのはにとって疑問はたくさんある。だがその中で一番、不思議に思ったのはプレシアが何の躊躇いもなくジュエルシードの魔力をなのはに与えたことだ。如何にワルプルギスの夜が驚異とはいえ、これはおかしい。何せプレシアは未だになのはのことを警戒し続けているのだ。如何にワルプルギスの夜が厄介極まりない存在とはいえ、果たしてそんな相手に強大な魔力を授けるだろうか。 答えは否である。もし逆の立場だとすれば、なのははプレシアにこの魔力を渡さない。仮にこの魔力を使ってワルプルギスの夜を打倒しようとするにしても、まずは自分で使うはずだ。如何にルシフェリオンブレイカーが有用だと感じられる魔法とはいえ、信頼のない相手に貴重な魔力を預けるということなど考えにくい。「…………そんなこと聞かなくてもわかるでしょう。あなたの言ったルシフェリオンブレイカーという魔法があの魔女に有効だと感じたからよ」「――いえ、例えプレシアさんがそう感じたとしても、それだけでわたしに、心の底から信用できない相手にこれだけの魔力を預ける理由にはなりません。……これはわたしの想像ですけど、すでにプレシアさんは目的を果たしてるんじゃないですか。これほどの魔力を使ってプレシアさんが何をしようとしたのかはわたしにはわかりません。でもプレシアさんはすでにこの魔力を使って何かを成した。だからもうこの魔力は不要であり、故にわたしに何の躊躇いもなく渡すことができた。……違いますか?」「……三十点といったところね」 プレシアがそう告げた瞬間、時の庭園が大きく揺れる。おそらくワルプルギスの夜、あるいは影魔法少女が大技を放ったのだろう。「もうあまり時間が残されていない。だから一つだけあなたの疑問に答えてあげる。確かに私はその魔力を用いて目的の一つを叶えた。でも完全ではない。そしてその目的を完遂するためにはあの魔女が目障りなの。だから躊躇わず、全てを使い切る覚悟で使いなさい。むしろ下手に遠慮して、あの魔女を倒しきれなかったなんて事態になれば、それこそ意味がない。それはあなたにとっても同じでしょう?」 そこまで言うと、プレシアは有無を言わさぬ勢いでなのはの足下に魔法陣を展開する。それは彼女をここに連れてくる時に使った転移魔法だった。「…………わかりました。でもプレシアさん、これだけは約束してください。この戦いが終わったら、わたしの疑問に全て答えるって」「えぇ、約束するわ。私としてもあなたには色々と話を聞かせてもらいたいからね」 プレシアのそんな言葉を受けながらなのはは転移する。プレシアの思惑はわからないことが多い。だが今はそれをおいておこう。何せこれから倒す魔女は余計なことを考えながら戦えるような相手ではないのだから。 ☆ ☆ ☆ プレシアからしてみれば、それは苦渋の決断だったと言えるだろう。なのはに渡した魔力結晶。それはアルハザードへの道を開くために用意したジュエルシード十九個分の魔力、その余ったもので創られたものだ。結果としてその魔力を全て消費することなくアルハザードに到達することはできたが、それでも残った魔力は最初に抽出した時と比べてもごく僅か。多めに見積もったとしてもジュエルシード二、三個分ほどしか残されていないだろう。 もちろん平時ならば、それだけで極上の魔力と言える。だがプレシアが行おうとしているのは、娘を蘇生させるという奇跡である。アルハザードの技術が如何に万能とはいえど、全くの対価なく死者蘇生などという奇跡を行うことは不可能だろう。だからプレシアはこの魔力はその時のために取っておくつもりだった。 だがプレシアにはわかってしまった。突如として時の庭園に現れた魔女の狙いがこの魔力だということに――。 そもそもこの世界には魔力がほとんど存在していない。空が割れ、大地が闇に飲み込まれてしまった終末の世界。おそらくはまともな生物は全て死に絶え、残っているものといえば世界を構成する要素の残りカスだけ。そのことは先ほど少し調べただけで十二分に理解できた。 それでも僅かばかりの文明の痕跡でも見つけることができれば、それを元にアリシアの蘇生術を見出すことができる。プレシアはそう考えていた。 しかしそのためにはあの魔女が邪魔になる。ジュエルシードの魔力を狙い、時の庭園に組み付いている超弩級の魔女。今後の憂いを絶つという意味でも、確実にあの魔女は葬り去らなければならなかった。 故にプレシアはその札を切った。アリシアを蘇らせるために莫大な魔力が必要である可能性は高く、その魔力をこの世界で見つけるのは文明の名残を見つけるよりも困難だろう。それにも関わらず、彼女はアリシア蘇生のために必要であろう素材の一つを自ら手放さなければならない。それは苦渋の決断以外の何者でもないだろう。 果たしてこの選択が正しかったのか今の彼女にはわからない。しかしそれでもプレシアは賭けるしかなかった。ジュエルシードの魔力を使って高町なのはが、本来ならばこの世界にいないはずの彼女がワルプルギスの夜を倒すことを。 そもそもあの魔女にしても、なのはにしても何故、この世界にいるのか疑問である。ここはアルハザード、次元の壁を突き破った先の世界だ。プレシアはここに至るためにジュエルシードの莫大な魔力を用いた。それならばなのはは一体、どのような手段でこの世界に至ったというのだ。 なのははプレシアに疑問をぶつけてきたが、本当ならば話を聞きたいのはプレシアの方なのだ。あの巨大な魔女に、この世界にいるはずのない魔法少女。苦労の末にアルハザードに至ったはずなのに何故、彼女たちがこの世界にいるのか。 ……どちらにしてもなのはがワルプルギスの夜を倒さないことには話は始まらない。ワルプルギスの夜が求めていた魔力がなのはに渡った以上、その注意はなのはに向かうことになるだろう。その苛烈な攻撃の中で魔力を収束させ、放つまでの時間をプレシアは稼ぐ必要がある。そのためにプレシアは時の庭園に残された傀儡兵をすべて稼働させる。例え撃破されることが目に見えているとしても、今はなのはにルシフェリオンブレイカーを放つだけの時間を稼がなければならない。 そのためにプレシアは傀儡兵を自動操縦から手動操縦に切り替えようとする。だがそうする前に時の庭園に非常警報が鳴り響き、プレシアは一時作業を中断する。そして焦ったように管制室を後にする。そうして向かったのはアリシアの肉体がある彼女の研究室。そこに辿り着いたプレシアは思いもよらない光景を目撃することになる。 ☆ ☆ ☆ フェイトが意識を失ったのとほぼ同時刻、水溶液に浸されたアリシアの肉体が保管されたカプセルの中に一つの宝石が現れる。それは先ほど、フェイトの目の前から消失したソウルジェムであった。金色に輝くそのソウルジェムは、まるで意志を持っているかのようにアリシアに徐々に近づき、その唇に接触する。するとソウルジェムの色が徐々に輝かしい金色から澄み渡る空色へと変化していった。 それと同時に先ほどまで微動だにしなかったアリシアの肉体に変化が訪れる。僅かに揺れる指先。そしてゆっくりと開かれる瞼。瞼の奥から覗かせる焦点の合っていない瞳。だがこの瞬間、紛れもなくアリシアは十数年ぶりに目を覚ました。(…………ここは?) ぼやけた頭でアリシアは目の前の光景を眺める。どこかの研究室のような一室。その中で水溶液に浸されている自分。その現実を自覚した時、彼女は思わず口を開ける。直後、大量の水溶液が口の中に入ってくる。それなのにも関わらず、不快感は感じれど苦しさは感じなかった。 だがそれでもパニックにならずにはいられない。言いしれぬ不安に駆られ、カプセルの中で暴れまわる。何とか脱出しようとガラスに拳を叩きつける。しかしガラスはビクともしない。アリシアは何か使えるものがないかを探り、そして見つけてしまう。カプセルの中で自分と一緒に漂うソウルジェムを……。 アリシアは最初、それをガラスに叩きつけて脱出をしようと考えた。だがそうしてソウルジェムを手にした瞬間、彼女の脳裏に見覚えのない幾多の記憶が流れ込んでくる。それは自分と同じ姿の少女が戦う姿。数多の戦闘を経験し、その果てに自分の出生を知り、挙げ句の果てにキュゥべえと契約し魔法少女となったフェイトの記憶。 しかしそれらの記憶はアリシアの脳裏にしっかりとした形で残ることはなかった。あまりにも一瞬の出来事。まるで夢物語を見たかのようにアリシアは戸惑う。だが少なくともこれは夢ではないということをアリシアは本能的に自覚した。「えーっと、『フォトンランサー』」 故に彼女はソウルジェムを手にしながら、その魔法を口にする。彼女にしてみれば生まれて初めて口にする魔法の名前。だがそれだけでアリシアの持つソウルジェムは答えた。彼女の手から水色の雷の槍が生み出され、それはそのままアリシアを閉じこめていたカプセルのガラスを貫き破る。 それは指先程度の小さな穴。そこから少しずつ水溶液が漏れ出しながら、カプセルに罅が広がっていく。アリシアはそんな罅に向かって拳を大きく振り上げて殴りかかる。その際、ガラスの破片がアリシアの拳を傷つけたが、それが決定打となりカプセルは大きな音を開けて砕け散った。 水溶液と共に投げ出されるようにカプセルの外に出たアリシア。それと同時に辺りには劈くような警報音が鳴り響く。その音はアリシアの危機感を刺激するには十分だった。とっさにその場から逃げ出すように走り出すアリシア。 ……そんな風にアリシアは焦っているがあまり気づかなかった。ガラスを殴りつけた時に切りつけた右の拳の傷がすでに治っていること。そして僅かに彼女の手の中にあるソウルジェムが黒く濁り始めていることに――。 ☆ ☆ ☆ 時の庭園の外に放り出されたなのはを待ち受けていたのは、影魔法少女からの一斉攻撃だった。彼女が現れた場所は、決して戦場のど真ん中であったわけではない。戦闘区域の端、少なくとも体勢を立て直しができるような位置取りだったのは間違いないだろう。 それでも影魔法少女が傀儡兵を無視してまでなのはに襲いかかってきたのは、プレシアの読み通り、ワルプルギスの夜の狙いがジュエルシードから抽出した高密度の魔力結晶であるからに他ならない。 今はなのはの両手に握られているそれを奪うために、影魔法少女が全力で攻撃を仕掛けてくる。なのははそれを巧みにかわしながら思考を巡らす。この苛烈な攻撃の中で魔力を収束させるのはほぼ不可能だ。当初の予定ではプレシアの操る傀儡兵に注意を引きつけてもらっている間に一気にルシフェリオンブレイカーで殲滅することを考えていたが、影魔法少女が傀儡兵に見向きもしなくなった以上、それはできない。 かといってジュエルシードの魔力を手放すことはできない。すでに集まった高密度の魔力を霧散させ、再チャージするには時間がかかる。できることならばこの魔力結晶はこのままの形で使いたかった。 そう思ったなのははルシフェリオンを呼び出し、その中にジュエルシードの魔力を収納する。それは彼女がキュゥべえと契約する前、封印したジュエルシードをレイジングハートにしまうのと同じような感覚でである。 ――しかしそれが間違いだった。レイジングハートがジュエルシードを収納できたのは、それが封印されていたからに過ぎない。もし封印されていないジュエルシードを放り込もうとすれば、それはレイジングハートと反発しすぐさま暴走を引き起こしてしまっただろう。 そして今、なのはが用いているデバイスはレイジングハートではなくルシフェリオンである。それはレイジングハートを模して作られたなのはの魔法少女としての武器だ。だがそれはあくまでレイジングハートを模したもの。レイジングハートはもちろん、デバイスの仕組みに詳しくないなのはが自らの魔力だけで練り上げた簡易的な魔法補助の武具。それがルシフェリオンなのだ。 確かにルシフェリオンはレイジングハート以上になのはの魔力を行使するのに長けてはいる。だがルシフェリオンが優れているのはあくまでその一側面のみ。レイジングハートと違って自分の意志を持たず、またなのはの不得意な魔法を補助するということはルシフェリオンにはできない。言うなればルシフェリオンはなのはの長所を伸ばすことができるだけなのだ。 そもそもルシフェリオンブレイカーの魔力チャージ時に感じる不快感。それこそがルシフェリオンとなのはのソウルジェムが密接に繋がっていることを意味する。なのはが練り上げた魔力を最適な形で射出するのがルシフェリオンの役割であるが、あくまで魔力を練り上げる肯定が行われるのはなのはのソウルジェムの中でなのだ。つまりチャージした魔力は少なからず、一度なのはのソウルジェムに入り込むことになる。ソウルジェムは言わば魂そのもの。そこに魔女の持つ負のエネルギーが入り込んでしまうが故にあの不快感は発生するのだ。 そして今、なのはがルシフェリオンを通じて仕舞おうとしたジュエルシードの魔力結晶。その行方もまたなのはのソウルジェムの内であった。魔女のものとは違い負のエネルギーを帯びていない純粋な魔力の塊。だがその魔力の質・量ともになのはのソウルジェムには巨大過ぎた。 魔力結晶を仕舞った瞬間、胸を貫くような激痛がなのはの全身に襲いかかる。それは魔法を行使する集中力を維持できないほどの激痛だった。影魔法少女の執拗な追撃をトンでかわしていたなのはは、その激痛に耐えきれずそのまま墜落していく。だが影魔法少女、延いてはワルプルギスの夜はそれを見逃さない。一斉になのはの身体を取り囲むように集まる影魔法少女。そしてそのままなのはに覆い被さるように群がっていく。 結果、その場にはなのはを中心とした黒い球体が出来上がる。それでもなお、影魔法少女はなのはに吸いつくのを止めない。最早、中心にいるであろうなのはに手が届かないのは明白なのに、一体、また一体とその球体にくっついていく。 その中心にいるなのはの肉体は少しずつ解体されていた。まるで解け込むように肌にへばりつく影魔法少女。そこからなのはの魔力が吸い上げられているのを感じる。それがなのはにはどこか心地よく感じられた。無論、その状況が不味いということはわかっている。しかし彼女の肉体は全身に廻っている痛みによって麻痺し、指先一つまともに動かすことができなくなっていた。 そんな肉体の状態とは裏腹に、彼女の意識はハッキリとしていた。自分が影魔法少女に取り囲まれ、魔力を吸われている。その事実を冷静かつ客観的に認識していたのだ。 初め、なのははあの魔力にプレシアが何らかの細工をしたのではないかと考えた。だがすぐにその考えを否定する。それはこんなことをしたところで、プレシアに何の利もないからだ。ワルプルギスの夜を倒したいのはプレシアも同じのはず。それなのになのはの不利を誘発する細工をするなど考えにくい。ならばこれは初めからワルプルギスの夜の狙いがジュエルシードの魔力だったと考えた方が利口だろう。そうなれば海鳴市海上で突如としてワルプルギスの夜が進路を変えた理由にも説明がつく。 ワルプルギスの夜は極上の餌を求めていたのだ。通常、魔女は人の絶望を喰らう。しかし海鳴市に置いて、魔女は魔女同士で喰らいあっていた。確かに人間の行方不明者も多かったが、それはあくまで海鳴市にいる魔女の数が異常とも言うべきほどに多かったからである。海鳴市に置いて魔女は人間を結界に招き入れるような真似をしたのではなく、その数が多いが故に偶然入りこんでしまう人が多かっただけなのだ。 ワルプルギスの夜が海鳴市にやってこようとしていたのは、そこで互いに喰い合い、力を身に付けた魔女を喰らうためなのだろう。普通の人間、普通の魔女を喰らうよりもそれは栄養価の高い餌だ。それを嗅ぎ取ったが故にワルプルギスの夜は海鳴市を目指し、そしてそれ以上に極上の餌だと感じたが故にその矛先をジュエルシードの魔力結晶のある時の庭園に向けたのだ。 だからこそなのはにはわかる。今、自分はワルプルギスの夜に喰われている。こうして意識がある以上、まだソウルジェムは砕けていないのだろうが、それでも肉体の方は最早、まともに残っていないのかもしれない。さらに言えば少しずつ確実に彼女の魔力はワルプルギスの夜に吸われている実感があった。今はまだ、魔力結晶に蓄えられた魔力があるから問題ないが、それが尽きればそのままなのは自身の魔力も吸い尽くされてしまうだろう。 そしてそうなった後にワルプルギスの夜が向かうのは海鳴市であることは間違いない。元々、ワルプルギスの夜が狙っていたのはそこにいる魔女なのだ。如何に海鳴市にいる魔女が互いに喰い合い強大な力を手に入れたとしても、ワルプルギスの夜には敵わないだろう。だが問題なのは、その戦いにおける海鳴市の被害だ。ワルプルギスの夜は結界を持たない。それはつまり現実世界に直接、被害が出るということだ。 そんなこと、なのはに許せるわけがない。あの町にはなのはの大切な家族がいる。なのはのことを心から心配し、だからこそ決別することになった親友がいる。そして何より、海鳴市を守ろうとして最期まで命がけで戦ったもう一人の親友の想いを踏み躙るわけにはいかない。 例えここで死んでも構わない。そのことで悲しむ人がいるのはわかっている。でもなのは一人の命で皆を、なのはの大切な思い出に満ち溢れた海鳴市を守ることができるのなら、それで構わない。 だからなのはは持てる全ての魔力を注ぎ肉体を再構築する。原型を留めていない今の肉体を捨て、新たな肉体を魔力によって生み出そうとする。それはとても魂と肉体の繋がりを断ち切ることのできない人間には真似できないこと。魔法少女の行く末と真実を知っているが故にできることだ。 むしろこの時、なのはは魔女になっても良いとさえ考えていた。魔法少女である以上、引き出せる力には限界がある。だが魔女になればどうだろう。確かになのはという個人の意識は存在しなくなるかもしれない。だがそれを代償にさらなる力を得ることができるはずだ。その力でワルプルギスの夜を倒せるのならそれに越したことはない。 もちろんリスクがないわけではない。ワルプルギスの夜を倒すことのできる魔女、しかもそのおそらくはその力を喰らってしまうのだからより驚異的な存在になってしまうだろう。だがなのははこの場所のことを知らない。ここがどこでどのようにしてワルプルギスの夜はやってきたのか、なのはには想像もつかない。だがこの場合、それは非常に都合がいい。何せこの世界には何もないのだ。そんな世界で魔女になったところで、誰に迷惑を掛けるわけもない。唯一、懸念することがあるとすればプレシアの存在だが、彼女はフェイトの母親であるということ以上のことをなのはは知らない。だがどのような手段を用いたのかはわからないにしろ、彼女はこの場にいる以上、元の世界への帰り方も知っているはずだ。ならば何も問題はない。 そう考え、なのはは自分の限界以上の力を引き出す。プレシアから託されたジュエルシードの魔力も取り込みながら、自身の肉体を再構築していく。――そうして再誕した新たななのはの肉体は、人間の器に収まるようなものではなかった。2014/1/24 初投稿2014/4/1 全体的に微修正&気付いた誤字修正