時の庭園を駆け巡るアリシアは不思議な感覚に囚われていた。今のアリシアにとって時の庭園は初めてやってきた場所に等しい。それなのにも関わらず彼女にはどこを通れば最短で出口に着くのかを理解していた。そのことを不思議に思いながらもアリシアはその足を止めずに歩を先に進める。 そうして彼女が辿り着いたのは時の庭園の中庭に通じる入り口だった。しかしアリシアはどうしてもその扉を開ける気にはならなかった。この先に広がるモノ。アリシアはそれが何なのか本能的に理解していた。故に彼女はそこで立ち止まってしまったのだ。 それでもこの扉は開けねばならない。いずれはカプセルから逃げ出した自分を捕まえに誰かがやってくる。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。 だからアリシアはそっと扉に手を掛け、外の様子を伺おうと隙間を作る。そこには想像を上回る光景が広がっていた。罅割れた鈍色の空。その空を縦横無尽に駆ける無数の黒い影と炎を纏った少女、そして巨大な異形。 それはまるで怪獣映画さながらの現実感の希薄な光景。先ほどまで自分がカプセルの中に閉じ込められていたこともあり、アリシアは思わず頬を抓る。そこに確かな痛みを感じ、改めて目の前で繰り広げられていることが現実であると認識する。だがアリシアにできるのはそれだけだ。何せ彼女は非力な五歳児なのだ。 アリシアにできることは戦いを眺めることだけだった。ただ一発魔法を放つだけで黒い影を消滅させていく少女。その力は圧倒的なように感じられた。しかし黒い影は空を覆い尽くせるほどの数が存在している。しかも減らした端から巨大な化け物がその影を次々と生み出し、少女を襲わせていく。それでもアリシアには少女の負ける姿が想像できなかった。 その予測を裏切るように、少女の動きが突如として鈍る。そんな少女に群がる黒い影。そうしてできたのは黒い球体。アリシアにはそれが酷く強大でおぞましい存在に思えた。けれど黒い影はそれではまだ足りないと言わんばかりにさらに群がり続ける。それに比例するように黒い球体は巨大化し、まるで黒い太陽のように思えるほどになった。「助けなきゃ――」 その光景を目の当たりにして、口から自然とその言葉が零れる。それと同時にアリシアの頭の中に再び断片的な記憶が過る。それはあの少女に関する記憶。かつて敵として出会い、共闘し、その果てに一方的な実力差で撃墜させられた。「なの、は?」 その記憶を省みたアリシアは無意識に少女の名を告げ、そしてハッとなる。自分はあの少女のことを知っている。そしてその理由はわからないけれど、自分はあの少女に言いたいことがあったはずだ。何を言いたかったのかは思い出せなかったが、それでもその事実を目の当たりにした時には外に飛び出していた。今まで躊躇っていたのが嘘のように外に駆け出していく。その胸中にあったのは『なのはを助けたい』という思いだけだった。 そんなアリシアの思いに応えるかのように、彼女のソウルジェムは淡く輝く。その光は彼女の身体を包み込み、その身に戦うための防具を纏わせ、武器を与えた。 そうして光の中から飛び出たアリシアの姿は、先ほどまでとは様変わりしていた。その身にピッチリと張りつくような黒いレオタード状の衣装。肩から腰元に掛けては濃い青色のマントが誂えられており、それとは別に腰回りには水色のスカートが青いベルトと共に装飾されていた。さらにその手に一挺の斧が握られていた。妙に手に馴染むその斧は金属製である見た目とは裏腹に非常に軽く、非力であるアリシアにも容易に振るうことができた。だが何よりも極めつけは彼女の輝かしい金髪が、晴天を彷彿とさせるような空色へと変化していたことだろう。さらにその髪は藍色のリボンで結われ、ツインテールとなっていた。 そんな自身の変化に戸惑いながらもアリシアはそのまま宙へと駆け出す。この変身が自分に与えられた力なのだと彼女は確信していた。頭の中には様々な魔法の知識が鮮明と蘇り、それと同時に自分がどのような存在であるのかも徐々に思い出していく。 だがアリシアは敢えてその事実から目を逸らし、そして自らの意思で戦いの場へと飛び込んでいった。 ☆ ☆ ☆ 新たな肉体を再構築したなのはが最初に感じたことは『疑問』だった。彼女はワルプルギスの夜に対抗するために、人間であることを捨てようとした。魔女にその身を堕とし、プレシアから託されたジュエルシードの魔力結晶を使って、ワルプルギスの夜と相対するつもりだった。 しかしそんな彼女の思惑とは裏腹に、今のなのはにはハッキリとした『自我』が存在した。絶望に囚われることなく、希望を見失っていない。彼女は先ほどまでの自分と何の遜色もないほどに、いやそれ以上に自己というものを確立していた。 だがその姿は以前とまったく同じというわけにはいかない。その姿は魔女のような異形な化け物ではなく、完全な人型。身に纏う衣装も今までの黒を基調にしたバリアジャケットからそこまでの変化はない。だがその大きな違いは背丈にあった。そこにいたのは小さな子供の少女ではなく、成熟した一人の女性。小学生らしい平らだった胸元は、つんと張りのあるものに。子供らしい起伏の少なかった胴体は、スラっとしたくびれのあるものに。幼さの残る顔つきは、とても大人びたものに。言うなればこの姿はより戦闘に適した姿と言っても過言ではないだろう。すずかの意思を継ぐために、そして目の前の強敵を倒すために手に入れた力をより実践的な形で使える形態。それが今のなのはの姿だった。 だからだろう。今のなのはには影魔法少女はもちろん、ワルプルギスの夜にさえ脅威を感じない。むしろ哀れみさえ覚えていた。 魔女というものは、魔法少女が深い絶望の果てに変質するものである。そうした魔女から生まれる魔女という存在もいるが、少なくともワルプルギスの夜はそうではないだろう。ある意味、全ての魔女のオリジナルとも呼べる存在であるからこそ、他の魔女や魔法少女を駆逐し、その力を我がものとしてこれたのだろう。そうして失意の内にワルプルギスの夜に敗れ、吸収されていった魔法少女や魔女もまた、影魔法少女として新たな役割を与えられることになった。そんな彼女たちを不憫の思うことはあれど、憎しみを抱くことなどできるはずもなかった。「……ごめんね」 なのはは誰にともなくそう呟く。彼女がこれから行うのは同法とも言うべき存在への虐殺だ。ルシフェリオンブレイカーを放とうと魔力を収束させた時、そしてこちらの魔力が影魔法少女を介してワルプルギスの夜に吸われた時、なのはには数多の魔法少女たちの記憶が流れ込んできた。それは言わば先達たちの無念の記憶だった。人々を護るために戦ってきたはずなのに、報われることなく失意の中で絶望し、魔女へと転化してきた魔法少女たち。中にはワルプルギスの夜と戦い、その肉体ごと喰われたものもいた。魔女となりながらも、僅かばかりの記憶が残っているものもいた。自分勝手に生きながらも、最期の最期で後悔して死んでいったものもいた。そうして敗れていった彼女たちに与えられた影魔法少女という新たな役割。だがその想いは完全には失われていなかったのだろう。だから今、なのはは感じている。彼女たちの嘆きの声を。それとは裏腹に、影魔法少女は一目散になのはに群がっていく。だがそれは決して彼女たち自身の意志ではない。そこにあるのはワルプルギスの夜からの逆らえない命令。影魔法少女はワルプルギスの夜の使い魔であり、その命令に逆らうことはできない。 だからこそ、なのははそんな彼女たちが苦しまないように、一撃の元で屠った。その全身から炎を噴出し、それで跡形も滅することによってワルプルギスの夜に囚われた魔法少女たちの魂を浄化していく。 その時、なのはの全身に強烈な不快感が襲いかかる。その出所はワルプルギスの夜の視線だった。今までワルプルギスの夜はなのはのことを路傍の石程度の存在としか認識していなかった。だがこの時、ワルプルギスの夜は初めてなのはに注意を向けた。たったそれだけのことなのに全身からは嫌な汗が噴き出す。 しかしそれと同時になのはは嬉しく思った。何故なら今、この瞬間を以って、なのははワルプルギスの夜に認められたのだ。対等の立場であるかどうかはわからない。しかし少なくとも、ワルプルギスの夜が自分のことを『敵』と認識されたのだ。『餌』ではなく『敵』。その違いは些細なようでとても大きいものだった。 故になのはも気を引き締め直しながらルシフェリオンを構える。それを見てワルプルギスの夜の顔が大きく歪む。その表情の意味するところはなのはにはわからない。だがそれは今までの高嗤いしていた時の顔とは違い、とても歪でそれでいて人間らしいと感じられた。 そんなワルプルギスの夜になのはは果敢に挑んでいく。もちろん無策にというわけではない。なのはが戦いの中で最初に意識したこと、それはワルプルギスの夜を時の庭園から切り離すことだった。覚醒した魔法少女としての魔力とジュエルシードの魔力。その二つを何の考えもなしに放てば、ワルプルギスの夜だけではなく時の庭園も一緒に崩壊させてしまう可能性がある。それを避ける意味でも、なのははなるべく大技を避け、小技で攻め立てた。 ルシフェリオンを一振りするだけで生み出される無数の魔弾。その一つひとつを自由自在に操り影魔法少女の数を減らしていく。そして隙を見つけては、ディバインバスターやブラストファイアーを放ち、ワルプルギスの夜に攻撃を仕掛けた。同じディバインバスターでも先ほどまでとは違い、そこに籠められた魔力量に大きな差があり、確実にダメージを受けるワルプルギスの夜。その過程で幾数もの影魔法少女を葬ることになり、その度になのはは表情を曇らせるが、それでも攻撃の嵐を止めるわけにはいかなかった。 もちろんワルプルギスの夜もただやられているわけではない。影魔法少女を生み出すと同時に無数の触手で攻撃を仕掛けるワルプルギスの夜。その面を制圧する質と量は圧倒的だった。撃ち落とすことも防御することも避けることも不可能だと感じたなのはは、敢えて自らその中に飛び込んでいく。そして全身の至る所から炎を噴き出し、自らの身体ごと触手を燃やし尽くした。 なのはの使う炎の魔法は大きく分けて二種類に分類される。一つは自身の身体能力の向上、さらには傷ついた肉体を治癒する命の灯とも言うべき紅い炎。もう一つは敵を灰をも残さず燃やし尽くす黒き炎である。そしてこの時、なのはが使ったものは後者であった。黒い炎弾と化したなのはの肉体はそのまま自らの肉体ごと影魔法少女の群れを燃やし尽していく。それはまるで導火線のように影魔法少女の身体を伝ってどんどん燃え広がり、辺りには焼け爛れた影魔法少女の燃えカスとなのはのソウルジェムだけが残った。 だがそれも一瞬だけのこと。今度はソウルジェムから紅い炎が噴き出す。その中でなのはの肉体は再構成される。それはさながら不死鳥の如き蘇生術であった。 魔法少女とは言わば、ソウルジェムそのものであり、肉体はあくまで外付けのハードウェアみたいなものである。故に魔力さえあればその肉体が滅んだところで何度でも蘇ることができる。もちろんその際に多大な魔力を消費し、さらには肉体が死を迎えることで精神的にも疲弊する。普通の魔法少女にはとてもできない芸当だろう。しかし今のなのはには覚悟があり、さらにジュエルシードの魔力もある。それらが合わさることによって一見不可能なこの戦術も可能となっていた。 そんな捨て身な戦い方をしながら、なのはは大気中にワルプルギスの夜を倒せるほどの魔力が霧散するのを待っていた。確かに今のジュエルシードの魔力をそのままルシフェリオンに乗せて放つだけでも倒すことができるかもしれない。だが確実ではない。もし倒しきれなかったとすれば、それすなわちなのはの敗北を意味する。後に待っているのはワルプルギスの夜に一方的に蹂躙される未来だけだろう。 幸いなことにこの空間には戦いの余波で破壊してしまう町などといったものはなく、砲撃で結界を突き破り現実世界に影響をもたらすということもない。だからこそ遠慮はしない。今のなのはができる最大限の攻撃を以って、確実にワルプルギスの夜を仕留めるつもりだった。そのためにならば何時間でもワルプルギスの夜と戦い続けるつもりだった。 ――だがそれは思いもよらない形で崩されることになることを、この時のなのはは予想だにしていなかった。 ☆ ☆ ☆ 意を決してなのはを助け出すために動き出したアリシア。しかしそれはそう簡単にいくはずもない。勢い勇んでなのはの元に駆けつけようとしたアリシアであったが、そのことにワルプルギスの夜が気付いていないはずがない。彼の魔女はアリシアに対して数体の影魔法少女を差し向け、その進行を妨害する。いくら断片的な記憶によって魔法が使えるからといって、アリシアにとってみれば実践は初めても同然。そのため無数の影魔法少女の猛攻に為す術もなかった。 そんなアリシアを救ったのは彼女が助けに向かおうとしたなのは本人であった。正確に言えば、なのはにアリシアを助けた自覚はないのだろう。彼女はただ、自らの肉体を再構築し、その溢れんばかりの魔力によって周囲に群がる影魔法少女を滅し、ワルプルギスの夜との戦いに臨んだだけだ。しかしそれが結果的にアリシアに群がる影魔法少女の数を減らすこととなった。 そうしてようやく五分の戦いができるようになったアリシアは、戦いの中でさらなる記憶を想起することになる。アリシア本人には覚えのない記憶。だがそれは確かに現実にあったことだと、アリシアは認識していた。 アリシアの死をきっかけに生み出された一人の少女。彼女はただ母親に愛されたかった。ひたすらに母親を慕い、母親が望むことなら何だって叶えようと一生懸命に戦い続けた。……だけど結局、彼女はそんな些細な望みすら叶えることができなかった。母親にとって彼女の存在は体の良い人形。それも愛すべき娘と同じ姿をした存在。故に彼女は愛されることはなかった。『わたしはアリシアになりたい』 故に彼女は願ってしまった。自分が本当の娘でないのなら、本当の娘になればいい。母親の愛情を受け取れる存在になればいい。そう彼女――フェイトは願ってしまった。奇跡の代償に全てを失う契約を履行してしまった。 結果、フェイトはアリシアとなった。その肉体もその魂も全て捨て、アリシアとなってしまった。(ママ、なんで、わたしの分までフェイトを愛してあげなかったの?) 戦いの中でそのことを思い出したアリシアは涙する。アリシアにはフェイトの気持ちがよくわかる。フェイトはただ愛されたかっただけだ。誰よりも母親に、プレシアに愛されたかっただけなのに、それが叶わなかった。だからこそ自分すら捨ててしまった。フェイトという自分を捨て、アリシアを生かす道を選んでしまった。 フェイトはそれほどまでにプレシアを思っていた。もしプレシアとフェイトが普通の親子として生まれたのならそんなことはなかったのだろう。しかしアリシアを亡くしたことでプレシアは歪み、そんな歪んだプレシアの執念がフェイトを生み出したのだ。それがアリシアには堪らなく悲しかった。 ☆ ☆ ☆ プレシアが時の庭園の中庭に到達した時、戦場は混迷の最中にあった。頭上を埋め尽くす無数の影。それらは全てワルプルギスの夜が生み出した影魔法少女であった。そんな影魔法少女の中で炎を振るうなのはと思わしき女性。しかしその姿はプレシアの知っている幼い少女のものではなく、妙齢の女性の姿だった。彼女の振るう魔法の節々にジュエルシードの魔力を感じ取れるのでその女性がなのはであることは間違いないのだろう。しかし一体何がどうなってあのような姿になっているのか、プレシアには理解できなかった。 そんなことを考えているうちに迫りくる影魔法少女はその圧倒的な物量により、なのはを押し潰されていく。だが次の瞬間、なのはがいた場所を中心として大爆発が起こる。周囲にいた影魔法少女は為す術もなくその爆炎の中に飲み込まれ、阿鼻叫喚の悲鳴をあげながら消滅していく。その中から飛び出してきたなのはには目立ったダメージが見られず、彼女はそのままに次の標的へと向けて砲撃魔法を放っていた。 そのあまりにも派手な戦いに思わず目を奪われてしまったプレシアだが、すぐに彼女はこの場にやってきた目的を思い出す。すなわちアリシアの捜索である。プレシアはしきりに辺りを見回し、アリシアの姿を捜す。すると戦場の中心から逸れた場所でもう一つの戦闘が起きているのがわかった。 どこかで見覚えのある衣装に身を包み、どこか見覚えのある魔法を行使する一人の少女。その姿は紛れもなくプレシアの愛して止まないアリシアそのもので、だけど同時にどこかアリシアとは別人のように感じられた。アリシアはもちろん、フェイトとも似ても似つかない青い髪。そして何よりアリシアにはあれほどの魔力を有していないどころか、魔法の使い方さえ知らないはずだ。彼女の纏う魔力光こそアリシアと同一のものだが、彼女がアリシアでないことは明白だ。 彼女がどういった存在なのかはわからないが、彼女の存在はプレシアにとって冒涜的なものである。プレシアにとってアリシアは愛すべき娘であり、全てを犠牲にしてでも取り戻したい存在だ。そんな彼女を模した存在など、許せるはずがない。 故にプレシアはその少女に向かってフォトンランサーを放つ。自分で創り出したフェイトにさえ憎しみの感情を覚えていたのだから、この反応は当然だろう。 突如として戦いの最中に飛んできた第三者による攻撃。それはアリシアと影魔法少女の注意を引くには十分だった。アリシアは持ち前のスピードでプレシアの放ったフォトンランサーをかわす。そしてすぐにそれを放ったのがプレシアだということがわかる。「ママ!!」 それに気付いたアリシアは満面の笑みを浮かべてプレシアの傍に飛んでいく。そんなアリシアに対し、プレシアは無言でフォトンランサーを放つ。それを間一髪のところでかわしたアリシアであったが、その意図がわからず目を白黒させる。アリシアにとってもプレシアは唯一無二の存在なのだ。そんな母親に攻撃をされたという事実を、幼いアリシアは冷静に受け止めることができなかった。「……あなた、私のアリシアをどこにやったの?」 そんなアリシアに対してプレシアは容赦ない言葉をぶつけてくる。アリシアにはその言葉の意味が理解できなかった。彼女にとってみれば自分こそがアリシア・テスタロッサ当人である。そしてそのことをプレシアは何の言葉なしに理解してくれるのが当然だと考えていた。だがプレシアがアリシアに向ける目つきは敵意。その瞳には愛情などとは程遠い、むしろその逆の憎しみが籠められていた。「ま、ママ? なに言ってるの? わたし、アリシアだよ」「あなたがアリシア? 馬鹿も休み休み言いなさい。私のアリシアはそんな髪の色をしていないし、ましてや魔法なんて使えない。これならまだ目覚めたばかりのフェイトの方がアリシアに似ていたくらいよ!!」 その言葉は今のアリシアにとって致命的だった。今のアリシアを生かしているのはフェイトの願いである。彼女がアリシアになりたいと願ったことで、アリシアは目覚めることができた。その想いの懇願はプレシアに愛されること。それなのに彼女はアリシアを愛そうとしない。自分は紛れもなくアリシア・テスタロッサであるはずなのにプレシアはそれを認めようとはしない。 それがアリシアの、そしてフェイトの心の均衡を崩す。キュゥべえとの契約によってアリシアになったはずのフェイトの意識が表層へと蘇ってくる。今までアリシアが断片的に視ていたものではなく、ハッキリとしたフェイトの記憶。それが脳裏に次々と蘇ってくる。それは幼いアリシアの意識を塗り潰すには十分だった。「ち、違う。わたしはアリシアだよ。フェイトじゃない。わたしはアリシアになったんだよ。だからママは、母さんは……」 ブツブツと呟くアリシア。……否、その意識は最早完全にフェイトのものになっていると言ってしまっても過言ではないだろう。「あなたが何者なのかなんてことには興味はないわ。――でもね、アリシアの肉体は返してもらおうかしら。それはあなたには過ぎたるものよ」 だがプレシアにとってそんなことはどうでもいい。彼女がフェイトだろうとそれ以外の何者であろうと関係ない。プレシアにとって重要なのは彼女がアリシアかどうかである。そして彼女がアリシアではないという結論を下した。だがそれでも目の前の少女が使っている肉体はアリシアのものに間違いないだろう。そうである以上、なんとしてでもその肉体を取り戻し、そしてそれを奪った彼女にそれ相応の報いを受けさせる必要があった。 プレシアはこちらに迫ってくる影魔法少女を迎撃しながら、アリシアを名乗る少女をバインドで拘束する。すでに心の均衡を保つことのできなくなっていたアリシアは、それに一切の抵抗を見せなかった。プレシアはそんな彼女を連れて時の庭園の中に戻ろうとする。【駄目です、プレシアさん。その娘を連れていっちゃ駄目!!】 だがそれに待ったを掛ける声があった。それはワルプルギスの夜と激戦を繰り広げているなのはからのものだった。【……解せないわね。どうしてあなたがこの娘に執着するのかしら?】【その娘は……魔法少女です。それもソウルジェムにかなりの穢れを溜めている。このまま放っておいたら、いつ魔女が孵化してもおかしくないぐらいに】【なんですって!?】 なのはの言葉にプレシアは足を止める。その表情は驚愕に染まっていた。キュゥべえによる魔法少女契約のカラクリ。それがどのようなものなのかをプレシアは知っている。キュゥべえとの契約によって肉体と魂が切り離され、より魔法を行使しやすいソウルジェムへと変換される。ソウルジェムは魔力を行使する度に穢れを溜め、それが一定のラインを突破することでソウルジェムが孵化し魔女となる。それがプレシアの知る魔法少女契約の全てである。 しかしアリシアは今まで目覚めることはなかった。そんな彼女がキュゥべえと契約することは不可能なはずだ。ならば可能性は一つしかない。――フェイトに命じたキュゥべえとの契約。それが果たされたのだ。どうしてフェイトではなくアリシアが魔法少女になっているのかはわからないが、そう考えれば彼女がこの場に生きて存在している説明がつく。 それに気付いたプレシアは自分が今までアリシアに対して行った仕打ちに気付く。アリシアであるはずの彼女に冷たい言葉を浴びせ、さらには攻撃魔法まで放ってしまった。その事実がプレシアの冷静さを損なわせた。「わた、私は、なんてことをしてしまったの!!?」 その場で取り乱し、頭を抱えるプレシア。集中力が途切れたことでアリシアを拘束していたバインドは解除される。それでもアリシアはピクリとも動かない。依然として茫然自失のまま、その場に立ち尽くす。 そんな二人の隙を影魔法少女は見逃さない。二人の元へ一気に近づくとその凶刃をプレシア目がけて振り下ろす。なのはは必死にプレシアに念話で訴えるが、その声はプレシアには届かない。今の彼女は自分がアリシアを傷つけてしまった自責の念でいっぱいだった。 故に彼女は影魔法少女が接近したことにすら気付かなかった。本来ならプレシアはこのまま影魔法少女の凶刃に倒れるところだっただろう。しかしそうはならなかった。それはとっさにプレシアを護るために二人の間に割って入った少女がいたから。足元に倒れ伏す少女からは血だまりが広がっていく。それを目の当たりにして、プレシアは叫ぶ。「い、いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!! アリシアぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 辺りに響く慟哭。それを皮切りに戦いはいよいよ佳境へと入っていく。2014/4/1 初投稿