プレシアの罵声を浴びせられた時、彼女は自分が本当にアリシアなのかわからなくなってしまった。自分がアリシア・テスタロッサであるという自覚はある。 しかしアリシアにはもう一人分の記憶がある。――フェイト・テスタロッサ。プレシアが創り出したもう一人のアリシア。そしてアリシアになることができなかった少女。どんなに辛いことがあってもひたすらに耐え続け、ただひたすらにプレシアに喜んでもらうことだけを考え努力し続けたもう一人の自分。 アリシアとフェイト。二人の間には大きな違いはない。それでもアリシアには底知れぬ愛情が、フェイトには深い憎しみが与えられ続けた。 そんな相反する二人の少女の記憶が今の自分にはある。その記憶はどちらもはっきりと自分が体験したもののように感じられ、それと同時にどこか他人目線で見ることもできた。 自分はアリシア? それともフェイト? いくら考えてもわからない。 だが一つだけ確かなことがある。自分がアリシアだろうとフェイトだろうと、プレシアのことを母親として大切に想っているという事だ。アリシアはもちろん、どんなひどい仕打ちを受けようともプレシアを想い続けたフェイト。その想いに偽りはない。 彼女にとって自分が何者なのか関係ない。ただただ、自分を愛してくれたプレシアを守りたかった。その結果、プレシアに嫌われることになろうとも関係ない。 ――だから彼女は迷わなかった。プレシアに迫る凶刃の間に割って入り、自らの身体を盾にすることを……。 ☆ ☆ ☆ プレシアは目の前で起きた現実を受け止めることができなかった。自分の目の前に躍り出たアリシア。その小さな身体が影魔法少女によって切り裂かれ、そのまま辺りに血を巻きしながら倒れ伏す。その一連の流れをプレシアは目で追うことしかできなかった。 もちろん影魔法少女がそれだけで止まるはずがない。アリシアを切り裂いた影魔法少女はそのままプレシアに向けてその刃を振り上げる。だがその刃がプレシアに届くことはなかった。「い、いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!! アリシアぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 それはプレシアが悲鳴を上げると共に自らの魔力を爆発させたからであった。それはプレシアにとって無意識の行動だったが、結果的にこれがプレシアの身を救った。病魔に蝕まれているとはいえ、プレシアが内包している魔力量は並の魔導師を遙かに上回る。普段はそれを効率的に運用しているプレシアだったが、感情の爆発と共にその魔力が膨れ上がり、辺りにいた影魔法少女を吹き飛ばしたのだ。「アリシア!! 目を開けて!! お願いだから……」 けれどもプレシアは自分がそんな危機的状況だったということに気付くこともなかった。倒れるアリシアに駆け寄りながら声を掛ける。必死に治癒魔法を掛けながら懇願するが、アリシアはうんともすんとも答えない。苦しげにうめき声を上げながらその場で血を流し続ける。治癒魔法によって徐々にその勢いは収まってきているが、このままでは一刻を争うのは間違いない。今すぐにでも時の庭園内の医療設備を使って治療をしなければ命が危ういのは明白だった。 けれどプレシアはその場から一歩も動くことはできなかった。それはプレシアがようやく周囲の状況を把握したからであった。執拗にプレシアに迫りくる影魔法少女。先ほどプレシアが無意識に行ったのは影魔法少女を突き飛ばしただけであって倒したわけではない。そんな影魔法少女が今、プレシアたちを狙って周囲に群がっていた。 そんな影魔法少女を近づけないようにプレシアはとっさに防護結界を展開する。その防護結界に阻まれて影魔法少女の攻勢を止めたプレシアだったが、結果的にそれがプレシアの動きを封じた。治癒魔法と防護結界。マルチタスクを用いて二つの魔法を同時に使いこなしているプレシアだったがこの上、時の庭園内に避難するために転移魔法を発動するのは不可能だった。 もしプレシアの身が五体満足であるならばあるいは可能だったかもしれない。しかし彼女もまたその身に病魔を抱えている。さらに先ほどの魔力爆発によってその身に残された魔力の大部分を放出してしまっている。そんな今のプレシアにはこうしているだけで精一杯だった。 だからこそプレシアは後悔する。この事態を引き起こしたのは紛れもなくプレシア自身である。彼女がアリシアのことを否定し、傷つけてしまったからこそ生み出されてしまった状況。せめて自分がもう少し冷静に事に当たれていれば状況はもう少し良かっただろう。後悔してもしきれない。 だが後悔するのは後でいい。今はアリシアを救う。あの時、救うことのできなかった愛娘を今度こそ救う。そのためにプレシアは自身に残された全魔力をアリシアに注ぎ込まんと治療をつとめた。 ☆ ☆ ☆ アリシアが倒れる様をなのはが見たのは、二人を助けるために向かおうとした矢先の出来事だった。なのはのいた場所からプレシアたちがいる場所は目に届く範囲ではあるが、決して近い距離ではない。さらには影魔法少女の邪魔もあり、間に会わなかったのは当然のことっだろう。 それでも目の前の現実を目の当たりにして思わず苦渋の表情を浮かべる。確かになのはは莫大な力を手に入れた。ユーノと出会って魔導師になり、キュゥべえと契約し魔法少女にもなった。さらにプレシアからジュエルシードの魔力結晶までもらっていた。その力がどれほど強大なものか、なのはは身に染みてわかっている。 それでも彼女は目の前にいる少女一人すら守れなかった。その事実は変わらない。 だが完全に手遅れというわけではない。まだ彼女を救う手立てはある。そのためになのはは行く手を阻む影魔法少女を迎撃しながら、プレシアの元へと一気に向かう。「プレシアさん! ちょっとの間、足止めお願いします」 そしてプレシアたちの側に降り立つと、有無を言わせぬ迫力でそう告げる。その言葉にプレシアは一瞬、考える素振りを見せる。今のアリシアはプレシアの治癒魔法で延命しているようなものだ。それを止めるということは、塞がりかけているアリシアの傷口が再び開くことを意味する。すでに大量の血液を流しているアリシアにとってそれは致命的なことだった。「……必ず生かしなさい。もし死なせたらあなたを殺すわ」 それでもプレシアはなのはに場を譲った。このままプレシアがアリシアの治療を続けたとしても彼女を救うことはできない。プレシアの魔力と体力には限界がある。治癒作業に専念できるのなら問題ないのだろうが、今は影魔法少女の攻勢を受けている。そんな状況で満足な治療ができるはずがない。 だがなのはは違う。彼女には今のプレシア以上の魔力があり、そして同時にプレシアの知らない魔法を使える可能性のある魔法少女である。少なくともこのままプレシアが治療を続けるより助かる確率は高い。そう判断してプレシアはなのはにアリシアを託したのだ。「大丈夫です。必ず助けますから」 そんなプレシアになのはは力強く答える。その姿を見てプレシアは満足げに立ち上がる。そして自分たちの頭上を舞う影魔法少女の群を見遣る。なのはがこの場に移動してきたことによって、その数は先ほどの数十、数百に上るほどの数となっていた。一体いったいだけを見ても、並の魔導師以上の魔力を内包しており、とてもプレシア一人では相手にできるような数ではないことは明白だった。そしてその奥に控えているワルプルギスの夜。影魔法少女を次々と生み出している彼の魔女に至っては、相手しようとすら思えない。 だがプレシアは引かない。今はただアリシアを守る。そのために彼女はより強固な防護結界を作り上げ、そして合間からフォトンランサーを放つ。それはまるでマシンガンの如く凄い勢いで放たれ続ける。それをその身に受け撃墜されていく影魔法少女。しかし場にいる影魔法少女は一向に減っている気配はなかった。 ただ今は耐える時。そのためにプレシアは惜しみなく自身の魔力を消費していった。 一方、アリシアの側にしゃがみ込んだなのははその身体を仰向けに動かす。胸から腹に掛けて存在する深い切り傷。一歩間違えば身体が真っ二つになっていそうなほど深い傷を受けながらアリシアが未だに生きていたのは彼女が魔法少女だからだろう。魂と肉体のつながりは人間のそれよりも薄く、それと同時により魔法の効果が伝わりやすい肉体。それがアリシアの命をギリギリのところでつなぎ止めていた。 現にアリシアのソウルジェムは徐々に穢れ始めている。元は空のように澄み切った青色をしていた彼女のソウルジェムは、今ではその半分以上が黒く淀んでいる。仮に傷を塞ぐことはできても、このままでは穢れを溜め込み魔女を孵化するのは間違いない状態だった。 そんなアリシアのソウルジェムになのははグリーフシードを当てて穢れを取り除く。ここに至るまでになのはが手に入れた数百にも及ぶグリーフシード。ワルプルギスの夜との戦いの中ですでになのはもかなりの数を消費していたが、それでもまだ百以上のグリーフシードを要するなのはにとって、ソウルジェムの穢れはあってないようなものだった。 いくつかのグリーフシードを用いてソウルジェムの穢れがなくなったことを確認したなのはは、次にジュエルシードの魔力結晶を取り出す。それを先ほどと同様にアリシアのソウルジェムに翳し、その魔力を流し込む。膨大な魔力に刺激を受け活性化し始める。【わたしの声が聞こえる? 聞こえるなら返事して】 そんなソウルジェムに対し、なのはは声を掛ける。なのはが行おうとしていること、それはアリシアの肉体の再構成であった。先ほどから戦いの中で何度も行ってきた肉体の破棄と再構成。魔法少女である以上、アリシアにもまたそれが可能なはずだ。しかしそれを為すには条件が二つある。一つは膨大な魔力が必要であるということ。そしてもう一つは自分の肉体と魂が切り離されていると明確に意識すること。一つ目の条件に関してはジュエルシードの魔力結晶があることですでに満たしている。問題はもう一つの条件。魔法少女とはいえ、元は人間として生まれている以上、魂と肉体の区別など通常ならばつけられるはずがない。それには何かしらのきっかけが必要だ。【ねぇ聞こえてるんでしょ。答えてよ、フェイトちゃん】 そのためになのはは語りかける。彼女のことをフェイトと呼びながら。 ☆ ☆ ☆ 彼女が目を覚ました場所はとても穏やかな平原だった。地表に広がるのは一面に広がる草原。地平線の先が見えないほどに広大な草原の中に一本の大樹がぽつんと立っていた。空に視線を移すとそこは雲一つない晴天の空。辺りには草花が咲き誇り、耳を澄ませば川のせせらぎや風に揺れる葉っぱの音などが聞こえてくる。それらの自然はそこにいるだけで心を落ち着かせ、穏やかな気持ちにさせてくれた。 だが同時に一つ、疑問がある。何故、自分はこのような場所にいるのか。そう考えた時、彼女の脳裏はチクリと痛む。何度、思い返そうとしてもこの場にいる理由が思い出せない。それどころかここ最近、自分が何をしていたのか。挙げ句の果てには自分の名前すら思い出すことができなかった。「わたしは、一体誰なの?」 誰にともなくそう呟く少女。その言葉は決して返答を期待して発せられたものではなく、全くの無意識のうちに出てきた言葉だ。けれど予想外なことにその言葉に対する答えが、予想外な形で帰ってくる。 少女がそう告げた途端、先ほどまで無造作に咲いていたはずの草花が大きく道を作り出す。その道は真っ直ぐにこの草原の中にある一本の大樹に向かって伸びていた。「この道を歩いていけばいいの?」 そう問いかけるも今度は返事が返ってこない。少女は不安に思いながらもゆっくりとした足取りで大樹へ向かって歩き出す。そうして歩きながら彼女は少しずつ自分を取り戻していく。自分が今までどのような環境に身を置き、どのような想いで生きてきたのか。その記憶を少しずつ、確実に取り戻していく。その記憶を取り戻していく度に、少女の中には焦りが生まれ、徐々にその足取りは速くなっていく。最初は歩き、次第にその足は駆け足へと変わり、最終的には飛行魔法を用いて大樹の元へと向かう。 そうして大樹の元にたどり着いた先で待っていたのは一人の少女だった。それも自分と瓜二つの少女。どこか自分より幼い印象を持つその少女は、彼女がこの場にやってきたのを見て、微笑みながらその名を呼んだ。「ようやくここまでたどり着いたんだね、フェイト」 その声を聞いて少女はようやく自分の名前を取り戻す。――フェイト・テスタロッサ。プレシアに愛されることだけを望み続け、その果てに自分すら捨て去った少女。それが少女の名前だった。そしてフェイトは目の前にいる自分と瓜二つの少女の名前を知っていた。「あり、しあ?」「うん、わたしはアリシアだよ」 戸惑いながら問いかけるフェイトに対して、アリシアは微笑みを絶やさない。フェイトにしてみれば、目の前の光景は受け入れ難い光景であった。フェイトはアリシアになることを願い、魔法少女となった。だがアリシアはここにいる。それならば自分は一体誰になったのか。そもそも何故、アリシアが存在しているのか。その理由がフェイトにはわからなかった。「フェイト、難しいこと考えてるでしょ? ここはね、夢の世界なの。わたしたち二人のね」 そんなフェイトの疑問にアリシアはあっけらかんとした態度で答える。「ゆめのせかい?」「そう。ここはわたしとフェイトの夢の中。わたしもびっくりしたよ。今までずっと身動きのできない狭い場所にいたのに、いきなりこんな開けた場所に放り出されたんだから」「そ、そうなんだ。でもどうしてこんなことに?」「う~ん、わたしにも難しいことはわからないんだけど、確かフェイトはわたしになろうとしてキュゥべえと契約して魔法少女になったんだよね?」「キュゥべえのこと知ってるの?」「うん、ずっとママとフェイトのことを見てたから。それでね、どうやらその時にわたしとフェイトは一緒になってしまったみたいなのだ」 ソウルジェムはフェイトがキュゥべえとの契約によって摘出されたフェイトの魂そのものである。しかしそのソウルジェムが動かしているのはアリシアの肉体。本来ならば一つの身体に二つの魂は宿らない。しかしアリシアの魂はアリシアの肉体の中にあり、フェイトの魂はアリシアの肉体の外にあった。そのために彼女たちの魂は混在していたのだ。「でもフェイトってば、すっかり自分のことをわたしだと思っているから焦ったよ。わたしがいくら呼びかけても答えてくれないし」 そう言って拗ねるような表情を見せるアリシア。肉体の内と外という隔たれた場所に存在した二人の魂。通常ならばいくら呼びかけたところで意志疎通は不可能だっただろう。 だけどあの時、プレシアを守るという共通の意志を二人は持った。さらにはその結果として、肉体が意識不明の重体に陥った。表層にあったフェイトの意識はその衝撃に耐えきれず、アリシアの意識があったこの場所まで降りてきたのだ。「でも、ママも助かったし、こうしてフェイトと話すことができるようにもなったし、結果オーライだよね!」「アリシアは、その、怒ってるの?」「怒る? なんで?」「だって、わたしは母さんに愛されたい一心でアリシアになろうとしたから」 フェイトがアリシアになろうとしたのは、プレシアに愛されようとしたからである。こうしてアリシアの意識と出会うことなどフェイトは想像などしていなかったが、それ故に罪の意識を覚えてしまう。言うなればフェイトはアリシアを乗っ取ったのだ。怒られても仕方のないことだと思う。「ううん、ぜんぜん怒ってないよ。むしろわたしが怒るとしたらママにだよ」「母さんに?」「だってフェイトはわたしの妹なのに、ママったらいつもきつく当たってばっかりなんだよ。もしわたしが自由にしゃべったり動いたりできたら、ママのほっぺたを思いっきりひっぱたいてるところだよ」 それはアリシアの本心であった。アリシアにとってフェイトは紛れもない妹。それ以外の何者でもない。いくらプレシアが母親だとはいえ、最愛の妹に対して理不尽な要求をしてそれができなければ暴力を振るうなど以ての外である。「わたしの方こそごめんね。お姉ちゃんなのに今までフェイトを守ってあげられなくて」 むしろ申し訳なさを感じていたのはアリシアの方であった。彼女は全て見ていた。あの事故があった時、確かにアリシアは死んだ。しかしその魂はアリシアの肉体の中に残り続けていた。もしもアリシアの肉体が普通の死者のように弔われ埋葬されていれば、自然とその魂は肉体から解き放たれていただろう。しかしそうはならなかった。プレシアの手によってアリシアの肉体は万全な形で保存された。それが結果的にアリシアの魂を現世に留まり続けさせたのだ。 そしてそれからの十数年間、彼女は人生の全てを賭けてアリシアを蘇らそうとし続けた。そんな母親の姿を見て、アリシアは必死に声を上げ続けた。もういい、自分のことは忘れて幸せになって欲しい。何度もそう訴えかけ続けた。 だがその言葉はプレシアには届かない。当たり前だ。アリシアは死者なのだから。死者には何もできない。プレシアが病魔に蝕まれても、リニスが使い魔としての役目を終え死にゆくのも、フェイトがプレシアに辛く当たられ続けるのも、アリシアには見ていることしかできなかった。それがアリシアにはたまらなく辛かった。それでもアリシアは決して目を反らそうとはしなかった。アリシアのせいで皆が苦しんでいる。そのことから目を反らしてはいけない。アリシアはずっとプレシアやフェイトたちの行く末をただただ見守り続けるつもりだった。 だけどそんな日々は唐突に終わりを告げる。フェイトがキュゥべえと契約し、アリシアになった。表層にいるフェイトの意識はフェイトのものではなく、創られたアリシアとしての記憶だったが、それでもアリシアには二度とあるはずのないチャンスだった。そのために目覚めてから何度もフェイトを呼び、そして今、彼女は自分の目の前にいる。 だからアリシアは以前からフェイトにしてあげたかったことをする。フェイトの目の前に駆け寄り、その身体を思いっきり抱きしめる。「あ、アリシア? 何を……」「……本当ならずっとこうしてあげたかったんだ。フェイトは頑張ってるよって誉めてあげたかったんだ」 驚き戸惑うフェイトに対し、アリシアは優しげにそう告げながら頭を撫でる。そんなアリシアの想いに触れたフェイトは自分を恥じた。プレシアの愛が欲しいがために、フェイトはアリシアになろうとした。そんな自分の浅ましい心がどうしようもなく恥ずかしくなった。「アリシア、ごめんなさい。わたしは取り返しの付かないことを……」「ううん、この世の中に取り返しの付かないことなんてない。わたしたちがこうして話すことができているのがその証拠だよ」「で、でも……」「それにね、わたしはフェイトにお礼を言いたいんだよ。わたしの代わりにママを支えてくれてありがとうって」 フェイトはどんなに酷い仕打ちを受けても、プレシアを見捨てようとはしなかった。もしアリシアが逆の立場ならば、きっと耐えることはできなかった。そう思えるほどの仕打ちを受け続けてもなお、フェイトはプレシアを愛し続けたのだ。そんなフェイトにアリシアは尊敬の念すら覚えていた。 そんなアリシアの言葉にフェイトは何も言えなくなる。確かにアリシアの言うとおり、フェイトはプレシアを支え続けた。しかしそれは偏にアリシアとしての記憶がそうさせたに過ぎない。幼い頃の自分によく見せてくれたプレシアの笑顔。それがもう一度、見たい一心でフェイトはどんな理不尽にも耐え続けることができたのだ。「違う、違うよ。アリシア、わたしは……」「ううん、違うなんてことない。例えフェイトがどんなことを想っていたとしても、それでも今までママを支えてくれたことに変わりはないよ」 アリシアの言葉にフェイトの心はズキリと痛む。フェイトが今までプレシアのために動いてきたのは、プレシアを喜ばせたかったというよりもプレシアに褒められたかったという思いの方が強い。プレシアのためではなく自分のため。だからフェイトはアリシアを甦らすことではなく、アリシアになることを願ったのだ。「フェイト、そんな顔しないで。そんな顔されたら、わたしも泣いちゃうよ」 そう言って微笑むアリシア。その目元にはフェイト同様に、涙を溜め込んでいた。それを見たフェイトは涙腺を決壊させる。ここに至ってフェイトは自分の選択が間違いだったということに気付く。「ねぇ、アリシア。これからはわたしの代わりに――」 だからこそフェイトはアリシアに自分の代わりに意識を表層に出してみないかと提案しようとする。実際にこうして話してみたからこそわかる。プレシアにとって本当に求められているのは紛いものの自分ではなく本物のアリシアだ。どんなに頑張ったところで自分はアリシアにはなれない。自分はアリシアのように強くはない。アリシアのように優しくもない。それが痛いほどわかってしまった。ならば自分は潔く身を引くべきだ。あくまで自分はアリシアの代用品。本物が存在しているのなら自由に動く身体も、プレシアの愛も全て本物に譲ろう。自分はそんなアリシアの中でプレシアの喜ぶ顔を見ることができればそれだけで十分だった。「……それは無理だよ」 そう思って告げようとしたフェイトだったが、それを言いきる前にアリシアは首を振った。「今、こうしてフェイトと話をすることができていること自体、本当だったらあり得ないことなんだよ。それもフェイトの願った奇跡の力によって。だからたぶん、わたしはどう頑張っても表に出ることはできないんだと思う」「そ、そんなの、やってみなくちゃわからないよ」「わかるよ。本当はフェイトだってわかってるんでしょ?」 その言葉にフェイトは何も言えなくなる。フェイトの願いは『アリシアになること』であって『アリシアを蘇らせること』ではない。あくまでフェイトにできることは自分がアリシアになることだけなのだ。いくら願ったところで今からではアリシアの意識を表に出すことは不可能だろう。「でもそれでいいんだと思う。だってわたしが死んじゃってるってことには変わりはないんだから。だからその分、生きているフェイトが愛されなくっちゃ駄目だよ。本当ならわたしとしてじゃなくてフェイトとして愛されて欲しいとは思うけどね」 そう告げるアリシアは、笑顔だった。痛々しいほどに悲しい笑顔。本当はプレシアに会いたいはずなのに、それをひた隠そうとしているのが見てわかる。そんな笑顔だった。「ごめん、ごめんね、アリシア…………お姉ちゃん」 そんなアリシアの姿にフェイトは泣き崩れる。そんなフェイトを優しく慰めるアリシア。そんな彼女の頬もまた、涙が伝っていた。「――ごめんね、お姉ちゃん。もう大丈夫だから」 一頻り泣き終えたフェイトはそう告げる。まだその目は真っ赤に染まっているが、それでもいつまでも甘えているわけにはいかない。「ほんとうに? ほんとうに大丈夫なの?」「うん。名残惜しいけど、いつまでもこうしているわけにはいかないから」 二人にはわかっていた。外ではまだ苛烈な戦いが繰り広げられている。それなのに自分たちがこんなところで寝ているわけにはいかない。プレシアを助ける意味でも早く身体を治し、戦場に戻らなければならない。 そう思いながらもフェイトは躊躇っていた。なんとなく、なんとなくだが、もう二度とこうしてアリシアと話すことができないような、そんな気がする。それは理由のない直感のようなものだが、そんな言い知れぬ不安をフェイトは感じ取っていった。「フェイト、気にしなくていいんだよ」「でも……」「むぅ。それじゃあわたしの代わりにママを助けてきてよ。それでママにこう伝えて。アリシアはママの娘でいられて幸せだった。今までありがとう。そしてこれからはフェイトを、わたしの妹を愛してあげてって」 そんなフェイトの気持ちを断ち切るようにアリシアは伝言を頼む。アリシアとて、できることなら自分でプレシアのことを助けに行きたい。しかし彼女にはその資格も、その手段も持ち合わせていない。だからその想いをフェイトに託す。フェイトなら自分以上にプレシアを助けるのに相応しい。何せアリシアにとってフェイトは自慢の妹なのだから。「わかったよ。でもお姉ちゃん、ときどきここに遊びに来てもいいかな?」「……うん。フェイトならいつでも歓迎するよ」 それは心の底からの笑顔だった。その顔を見て安心したのだろう。ようやくフェイトも破顔し、そして改めて表情を引き締める。するとフェイトの身体が淡く輝く。それと同時にフェイトの意識が現実に引き戻されていく。「それじゃあお姉ちゃん、いってくるね」「うん、いってらっしゃい」 フェイトは最後の力を振り絞ってアリシアに満面の笑みと共に告げる。その言葉に同じく笑みで答えるアリシア。その会話を最後に、フェイトの身体は露となってこの場から消えていった。「……フェイト、頑張ってね。わたしはずっとあなたの中で見守っているから」 そしてフェイトの身体が消えると同時にアリシアは満足げに誰にともなく告げると、その姿を消した。 ☆ ☆ ☆【フェイトちゃん、お願いだから目を覚まして】 アリシアと別れ、意識の表層に昇っていたフェイトは不意になのはの声を耳にする。【……なのは?】【フェイトちゃん、よかった。ようやく繋がった!】 フェイトが声を返したことでそう安堵するなのは。【あのね、フェイトちゃん。今から言うことをよく聞いて。フェイトちゃんの身体は今、死の淵に瀕しているの。でもフェイトちゃんは魔法少女だから、十分な魔力があれば今の身体を捨てて新しい身体を作り出すことができるの。わたしが今からサポートするからフェイトちゃんは……】【ごめん、なのは。それはできないよ】 フェイトに肉体の再構成のプロセスを伝えるなのはだったが、言い終わる前にフェイトがそれを断る。【えっ? フェイトちゃん、それってどういうこと?】【だってこの身体はわたしのものじゃなくて、アリシアの身体だから。だからこの身体を破棄して新しい身体を作るなんてこと、わたしにはできないよ】 それは今のフェイトにとって譲れない境地だった。もしフェイトがアリシアに会わなければなのはの提案に従っていただろう。しかしフェイトは知ってしまった。この身体の中にアリシアの魂があることを。フェイトにはアリシアを切り捨てることなどできるはずもない。【なのはがわたしの身を案じてくれている気持ちはわかる。でもわたしにも譲れないものがあるから。だから……】 そう言うとフェイトの身体が青白い光に包まれる。とても温かく淡い光。それがフェイトの身体の傷を癒していく。それと同時にフェイトのソウルジェムが急激に穢れていくが、それでもフェイトは身体を治すのを止めない。例え自分の魔力を使い尽くそうとも、アリシアの身体を治す。そしてプレシアを助ける。その決意の元、フェイトは限界を超えて魔力を行使する。 そんなフェイトの気持ちを悟ったなのはは、ジュエルシードの魔力を与える。魔力の消費量だけで言えば、肉体を再構成するよりも今ある傷を治癒する方が少なく済むことはなのはにもわかっていた。だがそれでも肉体の再構成をさせようとしたのかというと、その所要時間に大きな差があるからだ。一から肉体を作り出すのと細胞を繋げるのとでは、後者の方がより繊細な作業が必要となる。それをなのはは度重なる戦いの中で理解していた。 それに今のフェイトの身体はある意味で戦闘に不向きだ。子供だった元のなのはの肉体よりも今のフェイトはさらに幼い。魔法少女である以上、フェイトもなのはと同様の魔力を有しているのは間違いないだろうが、それでも肉体の方がこれからの戦いに耐えられるかわからない。故になのははフェイトにより強い肉体を与えて自分のサポートをしてもらいたかったのだ。 だがフェイトがそれを拒んだのなら仕方ない。そこに揺るぎない想いがある以上、なのははフェイトの意志を尊重した。自分の持つジュエルシードの魔力の半分を与えて、フェイトの肉体を活性化させる。あれだけ深かった傷口が見る見るうちに塞がっていく。さらに失われた血液もまた、魔力によって補充される。「おはよう、フェイトちゃん」「おはよう、なのは」 そうして光が収まった時、そこには傷一つないフェイトの姿があった。 ☆ ☆ ☆ すでにプレシアは限界だった。アリシアを護るために創り出した防護結界。それを維持するだけで今のプレシアには精一杯だった。すでに防護結界は影魔法少女の群れに隙間なく覆われており、少しでも気を緩めたら最期、すぐにでも壊されてしまうところまできていた。 それでも結界が壊れずに済んだのは、プレシアの強固な意志の強さがあったからに他ならない。アリシアを護る。それをプレシアは命が尽きても完遂するつもりだった。周囲にはプレシアの口から吐き出された血液が飛び散っている。時折り、胸が締め付けられるように苦しくなる。それでもなお、プレシアは気を緩めない。ただひたすらになのはを信じて結界を維持し続けた。 その時、突如としてプレシアの気が軽くなる。先ほどまで影魔法少女に膨大な圧力を加えられていたのが、そっくりそのままなくなる。それでも結界は壊れていない。そのことを不思議に思い周囲を見渡すと、つい先ほどまで結界を取り囲んでいたはずの影魔法少女の姿は全てなくなっていた。その代わり、結界の外にはなのはの姿があった。デバイスを手に一気に影魔法少女を殲滅していくなのは。それを見てプレシアは反射的にアリシアの倒れていた場所に視線を移す。そこにはアリシアが立っていた。「アリシア!!」 それに気付いたプレシアは彼女の元へと駆け寄ろうとする。「待ってください。――母さん」 それを他ならぬアリシアが止める。その言葉にプレシアは足を止め、表情を固まらせる。そして改めてそこに立つアリシアの顔を見る。アリシアとは似ても似つかない青い髪の少女。そこから感じられる魔力はプレシアの全盛期の魔力を遥かに上回るほどの魔力を纏わせていた。しかし彼女が魔法少女ということを考えれば、その膨大な魔力にも納得ができる。 だが彼女は今、プレシアのことを何と呼んだだろうか? 聞き間違えでなければ確かに『母さん』と呼んだ。それはアリシアではなくフェイトが自分を呼ぶ時に使う敬称だった。「――母さん。わたしは母さんに聞いてもらわなくちゃいけないことがあります」 その時、プレシアはようやく目の前にいる少女の正体に辿り着く。アリシアに似て非なる少女の正体。それはプレシアのよく知る相手だった。「……今はそんなことを言っている場合ではないでしょう。話があるというのならこの状況を打開してからにしなさい」 だからこそ、プレシアはいつものように冷徹に命じようとする。だが意識すればするほど、それができなかった。それは彼女から以前以上にアリシアを感じさせるからだ。それは彼女の肉体がアリシアのものだからなのかもしれない。それとも魔法少女になり、魂の形を変質させたからなのかもしれない。 それでもプレシアはハッキリと目の前の相手がアリシアではなくフェイトであると確信する。確かに節々の仕草や気配はアリシアを彷彿とさせる。だがそれ以上に目の前の少女はフェイトなのだ。自分を慕い、その感情を利用し尽くして切り捨てたアリシアの紛いもの。フェイト自身、アリシアと同じ遺伝子を使って創り出したこともあり似ているのは当たり前なのだが、その明確な違いをプレシアはハッキリと見分けることができる。故にそう結論付ける。「それじゃあ一言だけ。『ママ、わたしはママの娘で幸せだったよ。今までありがとう』。――そしてさようなら」 けれどプレシアがそう確信した瞬間に見せた彼女の顔は、まさにアリシアそのものだった。そのことにプレシアが驚いている間に少女はなのはの元に向かって飛んでいく。「あの娘はアリシア? それとも……」 その背を見送るプレシアの口から零れた疑問に返す声は、この場に存在しなかった。2014/4/12 初投稿