なのはとフェイトの希望を乗せたスターライトブレイカーによってワルプルギスの夜は閃光の中へと消えた。――しかしその代償は大きかった。不完全な形で放たれたルシフェリオンブレイカー、さらには絶望から希望へと転化したスターライトブレイカー。それほどの離れ技をやってのけ、ただで済むはずがない。全ての魔力を使い果たした二人は最早、その場で浮かんでいることすらできなかった。 地球であったならば、それでも地面に落下するだけだった。けれどここはアルハザード世界。すでに滅びを迎え、大地すらも消失してしまった世界である。そんな二人の足元には無限の闇が広がるだけ。その中に二人は真っ逆さまに落ちていく。 それだけではなく魔力を使い果たしたことで、二人のソウルジェムは急激に濁り始める。ソウルジェムが穢れる条件は二つ、絶望するか魔力を消費するかである。確かに二人の放ったスターライトブレイカーはなのはの集めた魔力を収束して放ったものだ。しかし絶望の魔力を希望の魔力に転化するのに使われたのは、紛れもなく二人の魔力なのである。さらに確実にワルプルギスの夜を屠るために彼女たちの中に残っていたジュエルシードの魔力も全て消費してしまった。 もちろんなのはにはルシフェリオンブレイカーを放つ段階でそうなることはわかっていた。ただ誤算があるとすれば、フェイトの協力を得たことだ。結果的にフェイトの助けがなければワルプルギスの夜を倒すことができなかったとはいえ、この場にいる二人の魔法少女が共に魔女になりかかっているというこの状況。いくらこの世界が別世界ということがわかっていたとしても、それは限りなく不味い状況だった。 なのは一人ならばさしたる問題はなかっただろう。時の庭園でプレシアと対峙した時、彼女にはグリーフシードを渡してある。プレシアならばその使いどころを決して間違えないだろう。 ――問題はプレシアに渡したグリーフシードがたった一個だけということだ。 あの時点でなのはもプレシアもフェイトが魔法少女になってこの場にいるということを知らなかった。さらにルシフェリオンブレイカーにワルプルギスの夜が耐えることも想定していなかった。そしてフェイトがなのはの元に来て、魔力を差し出すことさえ想像していなかった。 フェイトがいなければワルプルギスの夜を倒すことができなかった。それこそまさに奇跡と言い換えても良いだろう。だが奇跡を起こすには代償が必要だ。それこそキュゥべえと契約し、途方もない願いを叶えてもらう代償に魔法少女になるのと同様に。 赤の他人と実の娘。二人のうちのどちらを救うかと問われれば、その答えは明白だ。それでもなのはは諦めない。僅かな力を振り絞り、グリーフシードを取り出そうとする。だがそうして無理に耐性を捻った瞬間、なのはの胸元に備え付けられていたソウルジェムが外れた。落下する中で外れたソウルジェムを、なのはの肉体は置いていく。重力に従い、なのはの肉体は加速度的にソウルジェムを置き去りにする。(……嫌だ、魔女になんかなりたくない。わたしはまだ、死にたくない) 離れていく自身のソウルジェムを見ながら、なのはは思う。戦いの中で一度は人間であることを捨て去ったなのはが、ようやく人であることを取り戻すことができたのだ。ワルプルギスの夜を倒し、皆を、海鳴市を救うことができた。あとは海鳴市に帰ってユーノに謝り、アリサに記憶を返し、そしてすずかが守りたかった日常に帰るだけなのだ。(……ごめんね、皆。わたし、もう帰れそうにないや) なのはは最期にそんな思いを抱きつつ、その意識を手放すこととなった。 ★ ★ ★ クロノ・ハラオウンが目覚めたのは、海鳴市における最後の戦いが終わってから三日後の出来事だった。死の危機に瀕していたクロノであったが、医務官の懸命な治療、そして彼自身が持つ生命力の高さもあり、辛うじて命を繋ぎ止めることができた。 そんなクロノを待っていたのは、戦いの爪痕と自由の効かなくなった身体だった。命の危機こそ脱したクロノだが、彼の受けた傷は深い。目覚めることはできたとはいえ、今のクロノは一人で立ち上がることはもちろん、上半身を起こすことさえ不可能だった。「母さん、杏子。僕が眠っている間、何があったんだ?」 だがそれでも彼は執務官だった。見舞いにきたリンディと杏子に、自分が眠っている間の出来事の仔細を尋ねる。だが二人はそれを語ろうとはしなかった。リンディはクロノには治療に専念して欲しいと願い、杏子に至っては表情を暗くするだけで何も言わない。それだけでクロノには望ましくない結果になったことを理解する。しかしだからこそ、クロノは強くそれを尋ねた。「……わかったよ」 そんなクロノの姿を見て、杏子は折れる。彼女としてもクロノに余計な心労を与えるのを好ましいとは思わない。だがクロノも海鳴市における戦いの当事者に違いないのだ。自ら聞きたがっている以上、話すのが筋というものだ。「だけどクロノ。正直なところ、あたしたちにもわかってないことは多いんだ。その点を踏まえて話を聞いてくれよ」 そう言って杏子は語り出す。クロノが意識を失ってからのことを。なのはがアリサの記憶を消したこと。プレシアとの取引に応じ、時の庭園に赴いたこと。時の庭園の座標をロストし、未だに見つかっていないこと。なのはがワルプルギスの夜の後を追って姿を消したこと。そして自身が織莉子たちと共に海鳴市における最後の戦いに臨んだことを――。 ☆ ☆ ☆ 織莉子の指示に従い、杏子は身体を癒すためにアルフの治癒魔法を受け始めていた。もちろん戦場でのことだったので、集中して治癒を受けることができたわけではない。それでも治癒魔法を受けている時だけは傷の痛みが和らぎ、杏子は槍の投擲を問題なく行える程度には身体の自由を取り戻していた。 魔女と戦う織莉子は水晶球を操り、距離を取りながら戦っている。そんな織莉子に向かう無数の鎖。その先端にいる魔女を象った存在から、様々な攻撃が仕掛けられる。あるものは剣戟を、あるものは炎を飛ばし、あるものは毒液を撒き散らす。織莉子はそれらを全て紙一重で避けながら、少しずつ魔女にダメージを与えていっていた。 彼女がここまで的確に魔女の動きを読むことができたのは、偏に未来視の魔法の効果があったからである。彼女は数秒後の魔女の位置を視続け、それによってヒット&アウェイの戦法を可能としていた。 けれど彼女の戦法には致命的な弱点がある。それは強烈な一撃がないことだ。確かに織莉子の回避能力は素晴らしい。例え万全な状態だとしても、杏子にはあれほど絶妙に攻撃を避け続けることはできないだろう。だがそれだけだ。織莉子が優れているのはあくまで回避行動のみ。攻撃性能はないとは言わないが、それでも魔女にダメージを負わせることができているのかと問われれば疑問が残る。相手が普通の魔女ならば十分に傷を与えることは出来そうなものだが、相手は少なく見積もっても百体以上がより集まってできた魔女である。持ち得る魔力も普通の魔女より数段上。決して図体が大きく手数が多いだけではない。如何に未来視の魔法を持っているとはいえ、いつまでもあのような危険な戦い方をさせるわけにはいかない。一刻も早く傷を癒し織莉子を助けに行かなければ。 だが杏子がそう思った時、突如として織莉子の操る水晶が青白く輝き始める。そのあまりの眩しさに思わず目を背ける杏子とアルフ。そうしている間も輝きはより強く、より魔力を帯び始める。その魔力の輝きを二人は知っていた。 ――ジュエルシード。アルフがこの世界にやってきた理由であり、杏子が管理局や異世界の魔導師と関わることになった原因。魔力の規模そのものは以前、ジュエルシードの暴走時に感じたものと比べれば微々たるものだが、それでもその魔力光を二人が見間違えるはずがなかった。 それを間近で見て、杏子はようやく織莉子がプレシアに協力していた理由を思い至る。そして自分の浅はかさを呪う。何故、彼女がジュエルシードを持っている可能性に気付くことができなかったのか。何故、彼女が単独で魔女と戦おうとしたのか。何故、彼女が海鳴市にやってきたのか。その全てに杏子は合点が行った。【杏子さん、アルフさん。この魔女はとりあえず私が始末しておいてあげるわ。今後、お互い生き残ることができればまた出会うこともあるでしょう。今日のことはその時にでも話してあげるわね。――それじゃあさようなら】 脳裏に響く織莉子の念話。それと同時に彼女と魔女を中心に大爆発が起こる。青い輝きの魔力爆発。杏子とアルフは反射的に防御態勢を取る。 ……そうして爆発が終わり、煙が晴れた時にはすでに魔女の結界は消失し、そこに織莉子の姿はなかった。 ☆ ☆ ☆「……あいつは、織莉子はジュエルシードを持っていた。完全に油断してた。てっきりプレシアに全て渡したと思っていたのに」 事実、プレシアが時の庭園を転移させるのに使った魔力はジュエルシードによるものだ。それも一個や二個のものではない。正確な数はわからないが、あの時に発生した魔力量はジュエルシードのほぼ全てが暴走した時に発生したものだと考えられていた。そのこと自体はアースラスタッフの懸命な解析により間違いないだろう。 だが肝心のプレシアや織莉子の行方については未だに掴めていない。時の庭園と共に転移したプレシア。ジュエルシードという魔力を抱えている織莉子。すでに捜査の手は大規模に広がっている。プレシアは管理局が把握しているだけの次元世界全域に指名手配がされており、織莉子の方は捜査範囲を海鳴市だけではなく地球全域に広げている。しかし未だに手がかりの一つさえ掴めない。決して管理局が無能なわけではない。しかしプレシアが転移したのは管理局でも存在が疑問視されているアルハザード世界であり、そして織莉子もまた結界の中にその身を隠している。そんな二人を見つけることを今の管理局の技術では不可能だった。「――それで艦長。これからどうするつもりですか?」 クロノはリンディに尋ねる。話を聞く限り、すでに管理局としての任務は失敗と言っても過言ではないだろう。管理局が回収したジュエルシードは全てプレシアに奪われその所在は行方知れず。その上アースラの切り札とも呼ばれているクロノは再起不能な傷を負った。アースラクルーの成果と言えば、第97管理外世界にミッドチルダとは異なる魔法体系が存在していることを突き止めたことぐらいだった。「……大変不本意だけど、一度アースラは本局に戻るつもりよ。クロノをミッドの病院に入院させる必要もあるし、今の戦力ではプレシアや織莉子の行方を負うのは難しいでしょうしね」 そう言うリンディの表情は酷く疲れ切ったものだった。この状況を招いた要因は様々だが、その一つは紛れもなく彼女の判断ミスが原因だ。そのことをリンディ自身も自覚している。もし魔法少女と魔女の存在を知った段階で本局に応援を頼んでいれば、このような状況に陥ることはなかっただろう。 後悔しているのは杏子も同じだった。それは織莉子のことはもちろんだが、それ以上になのはとフェイトに関することであった。 なのはは未だに海鳴市に戻ってきていない。ワルプルギスの夜の後を追っていったというなのは。その彼女が戻ってこないということはすなわちワルプルギスの夜に敗れたことを意味する。彼女が魔法少女になってしまっただけでも言い訳しようもないことなのに、これ以上ゆまになんて伝えればいいのだ。 そしてフェイト。彼女は未だに目を覚まさない。いや、このままではもう二度と目を覚まさないだろう。フェイトが倒れているところを最初に発見したのはゆまだという。そしてゆまはキュゥべえから彼女が魔法少女になったこととソウルジェムを喪失したことを聞かされた。未だにフェイトのソウルジェムは見つかっておらず、その肉体は完全に死んでいる。今はベッドに寝かされてはいるが、完全に生命活動を停止しているフェイトの肉体はいずれ腐敗してしまう。おそらくは近いうちに冷凍保存されるのは間違いないだろう。 そんなフェイトの現状を目の当たりにして、アルフは心に酷い傷を負った。四六時中、眠っているフェイトに声を掛け続け、必死に彼女が目覚めるのを待っている。だがフェイトがアルフに返事を返すことはない。それどころが冷たくなっているフェイトの姿を目の当たりにして、時折り病室で暴れ出す始末だった。 そのような三人の現状を知り、ゆまは――。 ☆ ☆ ☆ ゆまはアースラの一室のベッドの上で蹲っていた。表情を涙で曇らせ、その視線の先にはレイジングハートがあった。「……ねぇ、魔法ってなんなのかな?」 レイジングハートを茫然と見つめながらゆまは尋ねる。だが彼女は何も言わない。レイジングハートの負った傷は未だ癒えておらず、現在も自己修復機能をフル稼働で続けている。そんな彼女にはゆまに返事を返すことができなかったのだ。「レイジングハートは魔法を使うための、魔導師を助けるための仲間なんだよね? でもここにはなのははいない。なのははレイジングハートのことを置いてどっか行っちゃった。それにフェイトも……」 なのはとフェイト。二人はゆまを差し置いて魔法少女になった。魔導師としての魔法が使えたはずなのに、その上でキュゥべえと契約した。二人の願いはキュゥべえの口から聞いている。『すずかの意思を継ぐこと』。『アリシアになること』。すずかとほとんど接点がなく、またアリシアの存在を知らないゆまにはそこにどのような価値があるのかはわからない。だが彼女たちが魔法少女になった、その事実に違いはない。 ゆまは二人のことを尊敬していた。なのはは魔法少女になることが杏子の横に並び立つための唯一の方法だと思っていたゆまに、別の道があることを示してくれた。フェイトは魔法少女としてではなく魔導師として杏子の横に並び立つための手解きを手伝ってくれた。ゆまにしてみれば二人とも杏子とはまた違う憧れに似た何かを抱くには十分すぎるほどの力を持っていた。 それなのに彼女たちは魔法少女になってしまった。魔法少女になりたかったゆまを差し置いて。「……キョーコに出会う前、わたしは魔法が皆を笑顔にするためのものだと思っていた」 両親に虐待を受けていたゆまにとって、掛け値なしに幸せだと感じる時間は両親が不在の時間帯だった。特にその時間にやっていたアニメがゆまにはお気に入りだった。魔法を振り撒き、皆を笑顔にしていく少女のお話。テレビの中の女の子はいつも幸せそうで、その姿にゆまは憧れていた。「だけどキョーコと出会って、魔法少女はそんな幸せな存在じゃないと知った」 そんなゆまは両親の死と引き換えに本物の魔法少女と出会う。だけど本物の魔法少女はゆまの想像の中の魔法少女とはまるで別物だった。可愛らしく幸せの中にいるのではなく、過酷な戦いの中に身を置く凛々しい存在。だけど等しくゆまに笑顔を与えてくれる、そんな存在だった。 ゆまはそんな魔法少女に憧れた。憧れ、そしていつしか自分も誰かを助けられる存在になりたいと思うようになっていた。そのために自分も魔法少女になるのが一番だとゆまは考えた。しかしゆまを助けた魔法少女は――杏子はそれを否定した。『魔法少女なんて碌でもない。そんなものになる必要はない』。そう一蹴された。それでもゆまはひたすらに魔法少女になることを求めた。「それでもわたしは魔法少女になりたかった。キョーコのように誰かを助けたかったから」 けれどその思いはなのはと出会ったことで変わった。魔法少女になるだけが杏子を助ける道ではない。杏子がそれを望まない以上、他の道で杏子を助けるべきだ。そうなのはに教わった。 それを実践するためにゆまはフェイトに魔法を習い始めた。自分に才能があったのか、それはわからない。だがそれでもゆまは魔法を使うことに成功した。それは小石を数秒浮かべる程度の魔法だったけれど、それでもこれが杏子を助けるための第一歩になるのだと、ゆまは信じて疑わなかった。「なのはと話して、フェイトに魔法を学んで、わたしは別に魔法少女にならなくても杏子を、誰かを助けられる人になれるって思った。それなのになのはもフェイトもキュゥべえと契約して魔法少女になっちゃった」 なのはもフェイトもゆまにとって杏子とは違う意味で憧れの存在だった。杏子はゆまを助けてくれた正義の味方。魔法少女として魔女と戦う姿はとても格好よく、いずれは彼女のように誰かを助けられる人になりたかった。だけどそれは現在ではなく未来の話。杏子とゆまとの間には絶対的な経験の差があり、それは例え魔法少女になったところで覆せない。もちろん今の自分が杏子と対等な関係を築けるのならば良いが、そうでないことはゆまも十分にわかっている。 だがなのはとフェイトは違う。彼女たちはゆまとほとんど同じ年。それなのに魔導師として類稀なる才能を持ち、さらに各々が信念を持って戦っている。それは杏子とは違った意味で格好よく、ゆまが憧れを抱くには十分だった。杏子の横に立つことは無理でも、頑張れば二人と同じくらいのことはできるはずだ。ゆまはそう思い、だからこそ魔法少女になることを諦め、魔導師としての魔法を会得しようと頑張ってきたのだ。 そんな二人が魔法少女になった。それはゆまにとって裏切りにも似た何かに感じられた。すでに杏子と同じように戦えるのに、魔法少女になってゆまを突き放した二人。そんな二人の心がゆまには理解できない。例えキュゥべえに叶えてもらいたい願いがあったとしても、誰かが望まない方法ならばなのははそれをしないのではなかったのか。アルフに心配を掛けてまで魔法少女になってフェイトが為したいことは何だったのか。それがゆまにはわからない。「ねぇレイジングハート、わたしが間違ってたのかな? わたしも二人のようにキュゥべえと契約していれば杏子が傷つかなくて済んだのかな? 魔導師になるなんて悠長なことは言わず、キョーコのいないところで魔法少女になっていた方がよかったのかな?」 ゆまにとってショックだったのは、戦いの中で杏子が幾多にも傷を負っているということだった。彼女は隠しているようだが、長く行動を共にしてきたゆまには彼女が右腕を失くしていることに気付いていた。だがそれ以上になのはとフェイトのことで心を痛めていることを知っている。そんな杏子に対してゆまは何の役にも立てない。慰めようとしてもはぐらかされ、逆にゆまの方が気遣われてしまう。それがゆまには堪らなく辛かった。≪……わたしはそうは思いません≫ そんなゆまの問いかけにそれまで黙って聞いていたレイジングハートが初めて答える。決して彼女の修復が終わったわけではない。それでもレイジングハートは目の前の少女の問いかけに答えずにはいられなかった。≪フェイトやバルディッシュのことはわかり兼ねますが、少なくとも私はマスターがキュゥべえと契約するのは反対でした。そしてそれは今でも変わりません。現にマスターは帰ってこない。私を手放すことになってなお、マスターは戦い続けている≫ 自己修復中とはいえ、レイジングハートは己の身に何が起きたのかを正確に把握していた。戦いの中でなのはと別れ、織莉子に拾われ、ゆまの手に渡った。その一部始終の経緯をレイジングハートは事実として認識していた。だがどのような過程を辿ろうともレイジングハートにとって重要なのはただ一点、すなわちこの場になのはがいないという事実だけだった。 依然としてなのはは行方不明。管理局があの手この手と捜索を続けているが、手がかりすらつかめていない状況だ。それでもなのはは戦い続けているであろうことは明白だった。彼女はそのために魔法少女になったようなものなのだから。≪私にもっと力があれば、マスターは魔法少女になることはなかったでしょう。マスターを危機に貶めることもなかったでしょう。マスターと離れ離れになることもなかったでしょう。そのことが私は許せません≫ レイジングハートとなのはとの付き合いは、それこそひと月ほどでしかない。それでも彼女はなのはとの出会いに運命を感じずにはいられなかった。長い間、遺跡の中で眠りにつき、時を超えて出会った今代のマスター。彼女の素養は目覚ましいものもあったが、それ以上に彼女の心そのものをレイジングハートは気に入っていた。しかしキュゥべえと契約し魔法少女になったことでその心が歪んでしまった。すずかのことがあったにせよ、あの悪魔の囁きに耳を傾けるなのはを止められなかったことを後悔してもしきれない。≪だから私ももっと力があればというゆまの気持ちは理解できます。――それでも私は魔法少女になることは反対です。私はデバイスですが、仮に魔法少女になれると言われても決して首を縦に振らないでしょう。それほどまでに魔法少女になるということが愚かしく、救いのないということを知っているから≫ 魔法少女になることで確かに彼女たちの願いは叶ったのだろう。けれどそれだけしかない。強く在ることを求めたすずかは、強さの果てに命を散らした。すずかの意思を継ぐことを決めたなのはは、人であることを止め家族と友を置き去りにした。アリシアとなりプレシアを助けることを望んだフェイトは、己の存在そのものがわからなくなった。確かに彼女たちの願いは叶っている。だがそれと同時に彼女たちは大切なものを失っているのだ。 魔法少女になるということはたった一つの奇跡の代償に全てを諦める。言い得て妙な話だが、それこそが魔法少女の本質なのではないかとレイジングハートは考える。奇跡という名の希望に縋り、その果てに絶望の化身になる。魔法少女というものは斯くも残酷で、慈悲のないものなのだ。≪そもそもゆまは肝心なことを勘違いしています。あなたは先ほど『魔法少女になれば杏子の傷つかなくて済んだのか』と言いましたが、ゆまが魔法少女になったところで、むしろ魔法少女になればなおのこと彼女は傷つくはずですよ。杏子が守りたいと思っているのはゆま、あなたの日常なのです。そんなあなたが魔法少女になったのだと知れば、それだけで彼女は傷つくでしょう。それも決して癒えることのない心の傷を……。それはゆまとしても本意ではないはずです≫ 杏子はどこまでも面倒見が良く、身内に甘い少女である。だからこそ彼女は腕を失い、深い傷を負いながらも戦場に立ち続けた。自分が立つことで他の者が傷つかずに済むように。そんな杏子が何よりも大事にしているのは紛れもなくゆまなのだ。なればこそ彼女はゆまに強く『魔法少女になるな』と言い続けた。その気持ちは痛いほどよくわかる。≪ですからゆま、あなたは魔法少女にならないでください。私に止める権利などがないことは重々承知しています。それでも魔法少女になることだけは止めさせていただきます。杏子とゆま、あなたたち二人の関係は私の目から見てもとても好ましい。互いに互いを大事に思い、尽くし合おうとしている。その関係を崩すような真似だけは、決してしないでください≫ だからこそ、レイジングハートはゆまが魔法少女になることを反対する。なのはが魔法少女になることは止めることができなかった。故にこれ以上、レイジングハートは誰かが魔法少女になるところは見たくなかった。「……ありがとう、レイジングハート。わたしの質問に答えてくれて」 レイジングハートの話を聞き終えたゆまは、しばしの沈黙の後に礼を告げる。彼女とて本当は魔法少女になることで杏子が傷つくことになるくらいわかっていた。それでもゆまは杏子を助けられる存在になりたかったのだ。例え失望されることになったとしても、杏子がこれ以上傷つかずに済むように、彼女を支えられる存在になりたかったのだ。 そんなゆまの前にぶら下がるキュゥべえとの契約。魔女と戦い続ける運命を受け入れるだけで杏子を助けられる力を手に入れることができるのだ。一度は否定した選択肢だが、その否定した人物もまた魔法少女になってしまった以上、心が揺らいでしまうのは必然であろう。 だがレイジングハートの言葉で目が覚めた。なのはが魔法少女になることを止められなかったことを彼女は傷つき、悲しんでいる。ゆまでさえ辛いことなのだ。なのはのパートナーであるレイジングハートならその思いは一際、大きいだろう。そしてそれはアルフやバルディッシュにも言える。フェイトが魔法少女になり、さらに寝たきりという現状、彼女の抱える悲しみはそれこそレイジングハート以上だろう。 魔法少女になったことで本人は願いが叶い、幸せなのかもしれない。しかし周りにいる者たちは皆、不幸になっている。ならばゆまが魔法少女となった時、不幸になるのは誰なのか。そんなの答えるまでもない。だから魔法少女にはならない。例えどんなことがあったとしても、魔法少女になるわけにはいかない。「……ねぇレイジングハート、わたしに魔法をおしえてくれないかな」 故にゆまは尋ねた。キュゥべえと契約することを禁じられているが、魔導師になることに関しては杏子の許可も貰っている。あとは優秀な教官の元で学べばいい。その点、レイジングハートはこれ以上もない適役だ。なにせ彼女はなのはに魔法を教えた張本人なのだ。フェイトがいない以上、彼女に学ぶのが一番だろう。 もちろんレイジングハートに習うからといって、なのはのようにすぐに戦えるようになるわけではない。ゆまの魔導師としての資質は決して高くはない。天才的な資質を持っていたなのはやフェイトやもちろん、クロノやユーノにも有に及ばない。年齢も加味すれば仕方のないことだが、管理局の一般的な魔導師よりも発している魔力は少ないだろう。≪確かに私はゆまに魔法を教えることは可能でしょう。しかしあなたの魔力資質では前線に出て戦えるような魔導師になるのは難しいですよ≫「……それでも構わない。もうなにもできないのは嫌だから。ほんの少しでも杏子や皆の役に立ちたいから」 海鳴市における戦いで、ゆまは常に足手まといだった。ゆまにできたのはただ見ていることだけ。近くで戦いを眺めて、杏子を危機的な状況に追い込んだことだけ。例え誰が否定しようとも、その事実は変わらない。≪それに魔導師になるということは、少なからず杏子の意に反することになると思いますが≫「そこはキョーコに我慢してもらうよ。それにわたしはもう、ほんのちょっとだけだけど魔法を使うことができるしね」 そう言いながらゆまは身体を浮かす。それは地面から5センチほどの僅かな浮遊。それでも紛れもなく、ゆまが自分の力で行使している魔法には違いなかった。≪――決意は固いようですね≫「うん!」≪ならばゆま、わたしがあなたに魔法を教えてあげましょう。ただし私の指導は厳しいですよ≫「厳しいのにはキョーコで慣れてるから平気だよ」 こうしてレイジングハートはゆまに魔法を教えることとなった。その姿を見て思う。なのははまだ生きている。その確信はある。それでももしゆまがレイジングハートの想像を超えるほどの魔導師に成長するならば、その時は彼女のことを新しいマスターと認めよう、と。2014/5/4 初投稿