なのはの放ったルシフェリオンブレイカー。それによってほとんどの影魔法少女は消滅した。しかし肝心のワルプルギスの夜を消滅させるには至らなかった。彼の魔女はルシフェリオンブレイカーの一撃を浴びながらもなお耐えていた。もちろんまったくダメージを受けていないわけではない。灼熱の業火に焼かれたワルプルギスの夜の身体は少しずつ崩れていく。このままルシフェリオンブレイカーを受け続ければ、彼の魔女とて間違いなく死に絶えるだろう。 だが果たしてそれまでの間、なのははルシフェリオンブレイカーを撃ち続けることができるだろうか。如何にジュエルシードの魔力を持っているとはいえ、その魔力は無限ではない。いずれは魔力が底を尽く。それまでにワルプルギスの夜を倒すことができなければ、もう打つ手はない。そうなればなのはもフェイトも間違いなくワルプルギスの夜に喰われることになるだろう。 それを危惧したフェイトは、急ぎなのはの元へと向かう。すでにフェイトの放つフォトンランサーは大した意味を為さない。ならば残った魔力を全てなのはに渡し、彼女の放つ一撃に駆けるしかない。 しかしフェイトはすんなりとなのはの元に辿りつくことができなかった。なのはの周囲は炎に包まれ、辺りには黒炎を纏った竜巻が渦巻いている。それはなのはの意図した発生したものではなく、言わばルシフェリオンブレイカーの余波のようなものだ。莫大な魔力を込めた一撃から漏れだした魔力によって生み出された炎を乗せた熱風。それらがフェイトの行く手を阻み続けた。 それでもフェイトが元の身体だったならば、無理を押してでもなのはの元に向かっただろう。けれど今のフェイトが使っているのはアリシアの肉体である。アリシアの肉体が傷つけば申し訳が立たず、さらにはプレシアを悲しませることになる。それがフェイトに躊躇いを覚えさせた。 ――フェイト、わたしのことは気にしないで。あの娘を助けてあげて。 その時、フェイトの脳裏にアリシアの声が響く。本来ならば表層にアリシアの意志が出てくることはできない。それはアリシア自身がフェイトに告げた言葉だった。故に今の声は極限状態で戦い続けたことで聞こえた幻聴だったのかもしれない。けれどフェイトはアリシアの意思に従い、自らを省みずに炎の中に飛び込んでいった。どの道、ここでワルプルギスの夜を倒すことができなければ、フェイトたちに未来はない。多少、アリシアを傷つけることになってもなのはに魔力を届ける。その覚悟の元、フェイトは突き進んでいった。持ち前のスピードを活かし、炎を直接浴びないように注意しながら的確に進んでいくフェイト。その中心点に近づくに連れ、徐々に汗を滲ませる。目も開けていられないほどの熱気にあてられながらも、フェイトは必死になのはの元へと辿りつこうとし、そして到達する。 それは奇しくも彼女がソウルジェムを握りしめるのとほぼ同時だった。その姿を見てフェイトは直感的になのはが自らの命を捨てる覚悟でワルプルギスの夜を倒そうとしていることを悟る。そんななのはの想いをフェイトは必死に思い留めようとする。自分の胸の内を暴露し、説得するフェイト。その言葉は確かになのはの心に響いたのだろう。なのはは穏やかな笑みを浮かべながらフェイトに礼を言う。 それと同時に放たれていたルシフェリオンブレイカーに変化が起きる。先ほどまではどす黒い魔力を乗せていたそれは、今では輝かしい希望に満ち溢れた光に変わる。さらにその変化によって先ほどまでルシフェリオンブレイカーに耐えていたワルプルギスの夜が苦悶の表情を浮かべる。それを見てなのはとフェイトは魔力を一気に込める。自分の中にある魔力を全て注ぎ込み、ワルプルギスの夜に向けて放つ。それを正面から受けたワルプルギスの夜はその威力に耐えきれず閃光の中へと消えた。 それを確認するとフェイトの中からふっと力が抜ける。ワルプルギスの夜を倒しきることができた安心感。その気の緩みから脱力し、そのまま宙に投げ出される。その浮遊感にフェイトは焦って身体を浮かそうとする。だが上手くいかなかった。ワルプルギスの夜を倒すためにフェイトは自身の魔力を余すことなく使い切り、その魔力はもう一遍たりとも残っていなかった。 さらにそれと同時に突如として痛む胸元。まるで内側から喰い破られるような感覚に、フェイトは表情を苦痛に歪ませる。フェイトは苦痛に抗いながら、痛みの発生源を見る。それは彼女のソウルジェムだった。晴天の空を思わせる青い色をしていたフェイトのソウルジェムに漂う穢れ。それは時間が立つごとに加速度的に増加し続け、それに比例するように痛みも増していく。 止めどなく穢れが溜まっていくソウルジェムを見て、フェイトは危機感を覚える。だがフェイトに出来ることは何もない。今の彼女には魔力は一欠けらほども残されておらず、さらに穢れを取るためのグリーフシードすら持ち合わせていない。フェイトにできることはただこのまま永久の闇へと落ちていくことだけだった。(駄目ッ! 母さんにアリシアを返すまでは駄目だ!!) それでもフェイトは必死に痛みに抗う。もう魔力など残っていないのは明白にも関わらず、身体を浮かべようとする。自分はどうなってもいい。だがアリシアの身体を傷つけるわけにはいかない。その思いの一新で彼女は必死に祈り続ける。 その時、フェイトの指先の端に何かが触れる。それはなのはのソウルジェムだった。フェイトのものと同様に加速度的に穢れを溜めている。周囲を確認すると、なのははフェイトの遥か下方に落下していた。「なのはッ……!!」 それを見てフェイトは叫ぶ。しかしなのはは一切の反応を示さないまま、闇の中へと飲み込まれていく。そしてフェイトもまた、そんななのはを追うように永久の闇へと落ちていった。 ★ ★ ★ アルフにとってフェイトは掛け替えのない唯一無二の存在だった。幼少時に病気になり群れから追い出されたアルフは、フェイトの使い魔になることによってその命を助けられた。魔導師にとっての使い魔は、目的のために使われる道具の意味合いが強い。そんな中でフェイトがアルフに望んだのは『ずっと傍にいること』。孤独の中で死に逝く宿命だった自分を何の見返りもなく助け出してくれたフェイト。そんなフェイトだからこそアルフは心の底から支え尽くしてきた。 けれど今、アルフの傍にはフェイトはいない。フェイトの行方は最後の戦いから四日経った今でもわかっていない。本当のことを言えば今すぐにでもフェイトを捜しに飛び出していきたい。しかしアルフにはやらなければならないことがあった。 それはこの場に残されたフェイトの肉体の世話である。ベッドの上で横たわっている物言わぬフェイトの肉体。呼吸はおろか心臓すら動いていない冷たく冷え切ったその肉体は、紛れもなく死んでいると言い切れる状態だ。キュゥべえによる魔法少女契約。一つの願いを叶える代わりに魂をソウルジェムという器に作り替えられる悪魔の契約。本来であるならばキュゥべえと契約したところでこのような状態になるはずはなかったが、フェイトのソウルジェムは契約と同時に何処ぞへと消えて去ってしまった。この場に残されたのは物言わぬ肉体のみ。魂がなければそれはただの死体である。それだけ見ればフェイトは死んでしまったとほとんどの人物が考えるだろう。 ――それでもフェイトはまだ生きている。その確信がアルフにはあった。それはアルフが今、この場に存在しているからだ。使い魔であるアルフはフェイトからの魔力供給がなければ存在することすらできない。そして死者に魔力供給は行えない。すなわちフェイトはまだ生きている。それは確固たる事実であった。 問題はフェイトのソウルジェムがどこに行ってしまったのかである。正確な場所は誰にもわかっていないが、アルフにはなんとなくフェイトのソウルジェムがどこにあるのかわかっていた。フェイトが願ったのは『アリシアになること』。それは延いてはプレシアのためだ。つまり今、フェイトはプレシアと共にいる。その点については間違いないと言っていいだろう。 尤もアルフにわかるのはそれだけだ。プレシアはジュエルシードの魔力を使ってアルハザード世界へと転移した。その行方は未だ、見つかっていない。何よりプレシアが本当にアルハザード世界へ到達できたのかすらわかっていない。仮にプレシアがアルハザード世界にいるのだとしても、今のミッドチルダの技術力ではプレシアの元に辿りつくことすら困難だろう。(くそっ、どうしてあたしはフェイトから目を離してしまったんだ!!) アルフは心の中で一人愚痴る。フェイトが悩んでいたことはわかりきっていた。プレシアに命じられたジュエルシード探しも満足にこなせなかったことに始まり、管理局から逃げる際に杏子とゆまを離れ離れにしてしまったこと。なのはに為す術なく敗れアリサの記憶を守ることができなかったこと。助けられたかもしれないすずかを死なせてしまったこと。そして何よりプレシアに告げられたフェイトが本当の娘ではないという事実。思い返せばフェイトはこれだけのことを抱え込んでいたのだ。 そんなフェイトを支えるのが自分の本当の役目だったはずだ。それなのにアルフはプレシアに対する怒りに身を任せ、フェイトの傍を離れた。大切な人から目を離してはいけない。それは織莉子にも言われていたことだ。けれどアルフには許せなかったのだ。献身的に尽くしてきたフェイトを、心ない言葉で突き放したプレシアを。母親に捨てられる悲しみ。それがどれだけ辛いことか、アルフは身を以って知っている。だからこそプレシアを殴りに行かずにはいられなかった。 言い換えればそれはフェイトの想いよりも自分の怒りを優先したことを意味する。今までもプレシアのフェイトに対する態度は目に余るものがあった。それでもアルフが直接、プレシアに食ってかからなかったのはフェイトに止められていたからだ。フェイトがひたすらに母としてプレシアを慕っていたからこそ、アルフはプレシアに対する不満を自分の中に黙殺した。しかしプレシアはそんなフェイトの想いを裏切った。それも一番、傷つくであろうやり方で。 それがアルフは許せなかった。フェイトのことは心配だったが、それでも怒りを抑えることはできなかった。幸い、管理局の中ならばフェイトの身の安全は十分に保証されている。そうした油断からアルフはフェイトを置いて時の庭園に向かってしまった。――そしてその結果、アルフはフェイトを失った。「フェイト、あんたは今、どこにいるんだい?」 物言わぬフェイトの肉体を撫でながら、アルフは呟く。もちろんその言葉に返事は返ってこない。だがそれでもフェイトは生きている。アルフの中にフェイトの魔力は確かに流れ込んできている。けれどそれが一体どこからきているのかが分からない。アルフの前にいるのは物言わぬフェイトのみ。その事実が堪らなく悲しくなり、自然とアルフの目元から涙が零れる。≪――アルフ、あまり根を詰めるものではない≫ そんなアルフにこの三日、ずっと沈黙を貫いていたバルディッシュが声を掛ける。突然、声を掛けられたことでアルフは驚き、視線を向ける。そんなアルフの視線など気にせず、バルディッシュはおもむろに自分の考えを告げる。≪この三日、ずっと考えていた。私がサーに対して今、何ができるのかと……。サーは生きている。それは間違いない。ならばその従者たる我々は今すぐにでもサーを捜しに行くべきだろう≫「けどここにいるフェイトの身体はどうするんだい?」≪もちろんその世話もしなければならない。サーの肉体を腐らせるなどあってはならないことだ。だからアルフ、ここは役割を分担しよう。サーの肉体の世話は引き続きアルフに任せる。その間、私は――≫「――あたしたちと一緒にフェイトのソウルジェムを捜す。バルディッシュはそう言いたいんだろ?」 その時、部屋の中に入ってきた杏子がバルディッシュの言葉を引き継ぐ。その後ろにはゆまの姿もあった。「杏子? ゆま? どうして?」「そんなのフェイトが心配だからに決まってるよ!」「つっても、あたしたちが捜すのはこの世界だけだ。次元世界全域なんてただの魔法少女のあたし一人じゃ手が回らないからな。そっちの捜索は管理局の連中に任せるさ。けどさ、予想が正しければフェイトと、そしてなのはが見つかるのはあたしたちの世界だと思うぜ」 杏子はさも当然のようにそう告げる。それぞれが消えた理由は違えど、その原因には二人が魔法少女であることが関わっているのは間違いない。そして魔法少女であるならばいずれグリーフシードが必ず必要になる。そうなった時、身動きが取れないような状況でもない限り彼女たちはいずれ魔女と事を構えることになるだろう。そして二人は共に非常に強い魔法少女である。それほど強い魔法少女ならば、各地を転々としている杏子たちの耳に入ることもあるだろう。「もちろん絶対に見つけるなんて断言はできないけど、当事者の中でこの世界を自由に動けるのはあたしたちだけだ。ならあたしたちがやるしかないだろ?」「ほんとはアルフも一緒に誘いたいんだよ。でもアルフは、ここにいるフェイトの面倒を見ないといけないから。だからアルフの分までわたしたちが捜しに行くんだよ」「……杏子、ゆま、恩に着るよ」「その言葉はフェイトが見つかった時まで取っておけ」 そう言って杏子はバルディッシュに手を伸ばす。杏子の手の中に収まったバルディッシュは淡く明滅しながら、申し訳なさそうにアルフに語りかける。≪アルフ、すまない。本当はお前こそサーを捜しに行きたいだろうに≫「別にあたしは気にしちゃいないよ。デバイスと使い魔という違いはあれど、あたしたちは共にフェイトを支えてきた仲じゃないか。バルディッシュの言うようにフェイトを捜しに行きたい気持ちはもちろんあるけど、今回はフェイトの帰るべき場所を守ることに専念するよ。でもこれだけは約束しとくれよ。フェイトが見つかったらすぐにあたしのところに会いに来るって」≪当然、どのような手段を用いようとも必ず≫ アルフの言葉に力強く答えるバルディッシュ。バルディッシュとてフェイトを心配する気持ちでは誰にも負けない自負はある。けれどフェイトとの付き合いは自分よりアルフの方が長い。さらにフェイトに対して献身的に世話をする姿勢はバルディッシュとしても見習いたい部分も多い。そんなアルフにだからこそ、物言わぬフェイトの肉体を安心して託すことができた。「それじゃああたしたちはそろそろ行くわ」「アルフ、元気でね」「あぁ、杏子はともかくゆまは無理するんじゃないよ」 そんな二人の別れの言葉にアルフは笑みを浮かべながら見送る。そして二人はそのままフェイトの眠っている部屋を後にした。「……杏子、ゆま、バルディッシュ。信じて待ってるからね」 二人が部屋を去った後に、アルフは誰にともなくそう呟く。その表情は悔しさを噛み殺したような、苦渋に満ちた表情だった。 ★ ★ ★ あの日、海鳴市の最後の魔女との戦いに向かうことになった時、その時点で織莉子の勝利は確定していた。今の織莉子にとって、ただの魔女など自分を害するに値する存在ではなく、それは海鳴市で互いに喰い合い強力な力を手に入れた大魔女といっても例外ではなかった。 もちろん織莉子自身には大した力はない。未来視という魔法とそれに通ずる攻撃手段は確かに魔法少女の中でも上位に位置する。それでも彼女の本質は後方支援のサポートタイプ。本来ならば前に出て戦うようなタイプの魔法少女ではない。そういった意味でも織莉子にとってキリカは必要不可欠な存在と言っても過言ではなかった。 だがそれは先日までの話である。事、戦闘面のみに限定すれば、最早キリカの存在は織莉子には必要のないものとなった。 その理由は彼女が持つ十九個のジュエルシードにある。魔力を根こそぎ吸われ、ほとんど空となっているジュエルシード。だがそれ故に暴走の心配はなく、それでいて願いを叶えるという性質だけはそこに残っていた。 ――つまり織莉子はジュエルシードに願っただけなのだ。『目の前にいる魔女を殲滅せよ』と。 もちろん無条件でその願いが叶えられるわけではない。ジュエルシードの魔力が空っぽということは、その願いを叶えるための魔力をどこからか引っ張ってこなければならない。しかしそれこそ無用の心配だ。なにせ織莉子は魔法少女なのだ。魔法少女の魔力はグリーフシードさえあればいくらでも回復することができる。故に織莉子はただそれだけで海鳴市を救ったのだ。「……思ったより疲れるわね、これは」 壁に背を預けながらそう零す織莉子。その手に握られていた織莉子のソウルジェムは、どす黒く濁っていた。魔女を撃破する時に遣った魔力。そして杏子たちの目を暗ますために使用した転移のための魔力。杏子があの場で願ったのはその二つだけだが、それだけで彼女のソウルジェムは真っ黒に穢れきっていた。その濁りを織莉子は手持ちのグリーフシードで回収する。一個では回収しきれない穢れの量であったことに驚きを感じながらも、織莉子は自分のソウルジェムの穢れを全て浄化した。「……キュゥべえ、いるんでしょ? グリーフシードを渡すから出てきなさい」「やれやれ、キミには敵わないよ、織莉子」 織莉子の言葉にキュゥべえはさも初めからそこにいたかのようにゆったりとした足取りで現れる。そんなキュゥべえの姿を捉えた織莉子は、軽く微笑みながらそこに向かって複数のグリーフシードを投げつける。それをキュゥべえはまるで踊りでも踊っているかのようにすべて落下する前に背中で受け止めて吸収していった。「きゅっぷい。ごちそうさま、織莉子」「どういたしまして。それじゃあ私は杏子さんや管理局に気づかれる前に行くわね」「ちょっと待ってよ。まさか織莉子はグリーフシードを回収させるためだけにボクを呼んだのかい?」「そうよ。それが貴方の仕事なのだから、当然でしょう」「確かにそうだけど、でもボクには聞く権利があるんじゃないかな。キミがこの海鳴市で本当に為そうとしたことはなんだったのかをさ」「…………さぁ? 何の事かしら?」 織莉子はさもとぼけたようにそう告げる。事実、彼女が杏子やアルフに話した内容に嘘はない。確かに彼女は一人の少女を救うためだけにこれほど大がかりな準備をしてワルプルギスの夜をこの町に呼び寄せたそれは紛れもない事実である。「とぼけても無駄だよ。そもそもキミがワルプルギスの夜を見滝原ではなく海鳴に呼び寄せたと言っていたけど、偶然ジュエルシードがこの町に降ってこなかったら、そんなことできなかったはずだ」 だがキュゥべえはすぐに矛盾を指摘する。織莉子一人の力でワルプルギスの夜の餌を用意することはできない。それは例えキリカが生存していようが同様だ。 そもそもワルプルギスの夜を見滝原に向かわせようとしたのはキュゥべえの策略である。見滝原に住まう魔法少女としては破格の素質を持つ鹿目まどか。彼女と契約するための駄目押しとして用意した最終手段、それこそがワルプルギスの夜だった。ワルプルギスの夜の襲来で彼女たちが契約前に死んでしまう可能性もあったが、そのリスク以上にまどかから回収できるエネルギーは魅力的だった。 もちろんキュゥべえとて、初めからそのようなリスクのある方法を試そうとしたわけではない。しかし幾度となくまどかと契約しようとしたが、その全てを暁美ほむらに邪魔された。だからこそワルプルギスの夜を使うなどという強硬手段に出るしかなかったのだ。 だがワルプルギスの夜を初めとした多くの魔女はまどかの持つ潜在的な魔力よりもジュエルシードの放つ魔力に惹かれた。そしてそこにはまどかには及ばないまでも優れた魔法少女の素養を持つなのはと、魔導師という異世界の魔法体系を身につけたフェイトの二人がいた。ジュエルシードそのものは織莉子から譲り受けた一個しか手に入れることができなかったが、二人と契約できたのはキュゥべえにとっては大きな一歩と呼べるはずだった。その上でまどかと契約し魔女化させることができれば、間違いなくエネルギー回収ノルマは満たせるはずだった。「それなのにキミはまんまとボクを出し抜き、ワルプルギスの進路をこの海鳴に変更し、そしてその原因となったジュエルシードのほぼ大多数を手中に収めた。おまけになのはとフェイトの存在は魔女化することなくこの星から消失した。いくら未来視の魔法があるからといって、果たしてここまで上手くいくものなのかな?」「……別にすべてが私の思い通りに事が運んだわけではないわよ。本来ならば貴方に預けたジュエルシードも含めてこの時点ですべてのジュエルシードは私が手にしている予定だったし、何よりキリカを死なせてしまった。これは私の視た未来にはなかったことよ」「それでも結果だけ見れば、今回の戦いで一番得したのは紛れもなくキミのはずだ。魔力を失っているとはいえ、願望機であるジュエルシードを十九個も手に入れた。確かにボクもなのはやフェイトと契約できたことでエネルギーが回収できたけど、彼女たちがすでに消失してしまった以上、これ以上のエネルギーを回収することはできないだろうしね。……そもそもキミは初めからこうなることがわかっていたんじゃないのかい?」「否定はしないわよ。プレシアさんがアルハザードと呼んでいる場所に向かう時に使うジュエルシードの暴走した魔力。それを使えばワルプルギスの夜を釣るのは容易だったし、なのはさんもフェイトさんも年齢不相応の心の闇を抱えていたのには気づいていた。……それでもできることならば二人には人間として生きていて欲しかったわ」 織莉子は思う。なのはとフェイト。彼女たちならば例えキュゥべえと契約しなくとも、優れた魔導師になることができていただろう。性急に力を求めず、優れた師匠の元に指示していればなのはの才能はきちんと開花していたはずだ。自分と他者を比べようとはせず、自分は自分とはっきりとした個を持っていればフェイトは誰かに成り代わろうなどと思わなかったはずだ。 だがそうはならなかった。なのはは心半ばに死した友のため、フェイトは愛して止まない母親のため、それぞれキュゥべえと契約した。その結果、二人は確かに求めていたものを手に入れることができただろう。その先に待ち受けているものは破滅だとしても、彼女たちは自分の願いに殉じた。それを否定する気はない。「私たち魔法少女に未来はない。それはキュゥべえ、貴方が一番よく知っているはずよ」「そうだね。確かにキミたち魔法少女の行く末は死ぬか魔女になるかのどちらかだ。だけどそれがどうしたというんだい。キミたち人類は一日に数千数万と増殖をし続けているじゃないか。その一人や二人をこの宇宙のための犠牲にしたところで、何の問題もないだろう?」「それは貴方たちの尺度でしょう? 私たち人類の考え方は違う。私たち人類はいつでも未来を求めている。そしてそこには個としての意識があり、貴方たちのように同一の意識を持つような存在とは違うわ」「確かにそうだね。キミたち人類の中には赤の他人でも犠牲にできないものもいる。でもキミはそうじゃないだろう」「……どうしてそう思うのかしら?」「簡単な話だよ。キミは世界を救うために戦っていると言ったね。そしてそのためならばいかなる犠牲も厭わない。大を救うために小を犠牲にする。それはボクら、インキュベーターの考え方と類似しているものだ。もちろん細かいところを突き詰めれば違いは出てくるとは思うけれどね」 キュゥべえの言葉はまさしく正しい。織莉子にとって未来を救うための犠牲なら自分さえも犠牲にして良いと考えていた。 そもそもこの世界にとって真に不要なのは魔女と魔法少女と考えている節が織莉子にはあった。だから織莉子は魔法少女になってしまった相手には冷たい。唯一の例外であったキリカを除いてしまえば、彼女は等しく魔法少女を憎んでいた。 そしてその憎しみは諸悪の根元であるキュゥべえに向いていないはずがない。キュゥべえが地球にやってこなければ、この世界には魔女も魔法少女もいなかったはずだ。仮にそのせいで人類が未だに穴蔵の中で暮らすような生活をしていたとしても、それは自然の摂理に乗っ取った流れである。それを否定できるはずもない。 本来の生態系ならばむしろ、今のこの状況の方がおかしな話なのだ。キュゥべえの言う通り、穴蔵で暮らしていた過去の人類。それがここまで進化することができたのは、それこそインキュベーターの介入があったからだ。むしろそれ以外に理由がないと言い切ってもいいだろう。「……確かにその通りよ。でもね、キュゥべえ。私は貴方たちを決して認めない。この世界に魔女という絶望を振りまき、少女たちの希望を犠牲に宇宙の延命を望んだ貴方たちの存在をね」 故に織莉子はインキュベーターを否定する。彼らの独善的な行いで犠牲になっている人類。それは長い歴史における生命の淘汰という観点から見れば正しいものなのかもしれない。共生に似た形で発達してきた文明と幾人もの犠牲の末に延命する宇宙。宇宙全体で見ればそのインキュベーターの行いは確かに正しいものなのだろう。 しかし織莉子はあくまで人類だ。キュゥべえによって身体を弄られようと、その心は未だに人類側である。「別にキミに認めてもらう必要はないよ。ボクらはボクらで正しいことをしていると思っているけど、それはキミたち人類の犠牲の果てに成り立っていることは否定できないしね。……でもだからといって今のエネルギー変換の仕組みを否定されても困る。キミたち魔法少女のおかげで宇宙の寿命は間違いなく延びた。その事実は確かなのだから」「……確かに宇宙を延命させるという意味では、貴方の取った手段は最適な方法なのでしょうね。でもそれは果たして必要なことだったのかしら?」「どういうことだい?」「私はね、この宇宙は一度、滅ぶべきだったと考えているの。いえ、この世界の仕組みを考えればすでに宇宙は一度滅んでいると言ってもいいわね」「馬鹿な。そんなはずはないよ。現にキミたち人類もボクたちインキュベーターもこの宇宙に存続している。それこそが宇宙が滅びていない何よりに証拠になるはずだ」 織莉子がキュゥべえに叶えてもらった願い。それは自分の生きる意味を知りたいというものであった。そしてその願いから生まれた魔法こそが未来視。未来を覗き、そこから最善の未来を選択することができる能力である。 だが考えてみればそれはおかしい。彼女は生きる意味を求めていたはずなのに、その結果として現れたのが未来視の能力である。確かに未来がわかればこれから自分がどのような人生を歩んでいくのかはわかる。だがそれでわかるのは彼女がどのように生き、どのように死んでいくかだけである。そこから生きる意味を見出すことは可能だろうが、本当の意味で生きる意味を知ることにはならないだろう。 そもそも未来はとても移ろいやすいのだ。些細なことで変化するその未来は、すでに彼女が魔法少女になった当初のものとは大きく異なる様相を描いているだろう。果たしてその中に彼女の生きる意味と呼ぶべきものが存在するのだろうか。答えは否である。「……キュゥべえ、私は知ってしまったのよ。この世界の仕組みを。そしてこの世界の本当の姿をね。そしてそれはおそらく、貴方も知らない事実のはずよ。私はそれを知ったからこそ、運命と戦う道を選んだ。例え何を犠牲にしても、得難い未来をつかみ取るためにね」 そう語る織莉子に一切の揺らぎはなかった。彼女は紛れもなく、自分が見た世界の真実とやらを信じ、そしてそれに基づいて行動している。そのことは彼女の態度から明らかだった。「それで、キミが知った世界の真実とはなんなんだい?」 だからこそキュゥべえは問う。自分たちの知らない真実。それが何なのか、キュゥべえにも興味がある。もちろんそれが織莉子の考え違いである可能性の方が高いと思ってはいる。だが万が一、彼女の言う世界の真実がキュゥべえたちでも認知していないものだとすれば、それは是が非でも聞き出したいところだった。「それは……まだ教えられないわ。それに貴方にも時がくれば自然とわかるはずよ。この世界の本当の姿も、そして私が何を為そうとしているのかもね」 だがそんなキュゥべえの期待を裏切り、織莉子は口を割らなかった。まるでキュゥべえをあざ笑うかのように、彼女はごく自然にそう答えた。「さて、それじゃあ私は今度こそ行くわね」「待って織莉子。キミはまだボクの質問に答えてくれてないじゃないか」「……そうね。ならば一つだけ教えてあげるわ。私はこの世界を救うために戦っている。そして貴方たちインキュベーターの目的は宇宙の寿命を延ばすこと。それは決して相反するものでもないけれど、決してイコールでは結び付かない。だから私は貴方に全ての真実を語らないのよ」「……わけがわからないよ」「貴方たちはそれでいいのよ、キュゥべえ。この事実は、誰も知らない方がいい。それは私たち人類だけではなく、貴方たちインキュベーターにも言えることだわ。……けれど私は知ってしまった。だから戦うのよ。例え無謀だとわかっていたとしても、この歪み切った世界を守り抜くためにね」 織莉子はそう言ってジュエルシードを空に掲げる。それと同時に青白く光るジュエルシード。そのあまりのまぶしさにキュゥべえは一瞬、織莉子から視線をはずす。そしてそのまばゆき光がなくなったとき、この場に織莉子の姿はなくなっていた。2014/5/19 初投稿