ワルプルギスの夜がスターライトブレイカーに消え去る光景。それをプレシアは時の庭園の管制室で目撃した。最初に放たれたルシフェリオンブレイカーの魔力とはまるで正反対のスターライトブレイカーの魔力。その質量はプレシアが今まで見た中で間違いなく最高の魔力と言えるだろう。それほどの魔力を正面から浴びて逃れることのできる存在などいるはずがない。それと同時にそれほどまでの魔力を発して術者が無事で済むはずがない。それがプレシアの考えだった。 故に彼女の動きは早かった。ワルプルギスの夜が消え、スターライトブレイカーの威力が消失し始めた時にはすでに彼女は動き始めていた。管制室から一端外へ転移し、さらにそこから魔力を使い果たしたなのはとフェイトの救出に向かう。それこそが今のプレシアにとって最重要の仕事だった。「うっ……」 早速、時の庭園の中庭にやってきたプレシアだったが、辺りに漂う魔力の残滓の濃さに思わず口を塞ぐ。それはスターライトブレイカーの余波ともワルプルギスの夜が残した残滓とも言えるほどの正と負が入り混じった魔力。膨大な魔力を内包しているプレシアですら、魔力酔いを起こすのだ。もし一般的な魔力資質の持ち主がこの場に足を踏み入れれば、それだけで意識を失ってしまうだろう。 プレシアはデバイスで身体を支えながら、なのはとフェイトの位置を捕捉する。管制室にいた時と比べて二人のいる位置は遥かに下降しており、魔力切れで為す術なく落下しているのは明らかだった。プレシアはとっさに二人をこの場に転送しようとする。だが周囲に漂う魔力の残滓がそれを阻害する。プレシアの集中力を削いでいるのもあるが、それ以上に魔力同士が干渉し転移魔法の発動座標を上手く固定できなかった。 そうしている間にも二人の身体はどんどん落下していく。その先に待つのが大地であったのならば、そこにクッション作用を与えるだけで済んだだろう。しかし彼女たちの落下する先に地面はない。あるのは光さえ通さない永久の闇。おそらくその中に飲み込まれてしまえば、救出は困難となるだろう。 だからこそ、プレシアはすぐに思考を切り替える。二人をこの場に呼び寄せるのではなく、自身が二人を助けに向かう。幸い、この世界に障害物となり得るものはない。プレシアは直線距離でなのはとフェイトの元に飛んで向かう。回収すべきはアリシアの肉体と二人のソウルジェム。それ故にプレシアは闇の中に落ち行くなのはの肉体には目も暮れず、真っ直ぐフェイトの元へと向かって飛んでいく。 そして間一髪のところでフェイトの腕を掴む。闇の中に頭まで遣ったアリシアの肉体。それをプレシアは力任せに引き上げる。その胸元にはフェイトのソウルジェムがあり、さらに左手にはなのはのソウルジェムが握られていた。それを確認したプレシアは、すぐさま時の庭園の中庭へと戻る。そして彼女はなのはから渡されたグリーフシードを取り出して、そこで動きを止める。 グリーフシードがソウルジェムの穢れを吸い取る性質を持つことはプレシアも知っている。けれどたった一つのグリーフシードでは二人の穢れを取ることができないであろうことは一目でわかった。加速度的に穢れを溜め続ける二人のソウルジェム。そこに最早、一刻の猶予もないことは明らかだ。このまま放っておけば間違いなく二人とも魔女になるだろう。 なのはとフェイト、救えるのはどちらか一人だけ。魔法少女として類希なる力を持ち、プレシアの知らない情報も握っていると予測されるなのは。実力はあるがプレシアにとっては失敗作であり、すでに捨て去った人形であるフェイト。 もしプレシアが本当の意味でアリシアだけに傾倒し、冷血な人間であったのならば迷わずなのはのソウルジェムにグリーフシードを当てただろう。だがプレシアは迷っていた。最早、一刻の猶予もないこの状況で、フェイトを見捨てることがどうしてもできなかった。 確かにプレシアはフェイトに辛く当たってきた。だがそこに全くの後悔がなかったと言えばそうではない。アリシアと同じ顔なのにアリシアではない。だけど全くの別人とは思えない。プレシアが創り出したフェイトは言わば、そのような存在だ。アリシアとの差異は明らかなのに、それでもアリシアを想起させてしまう。そんなフェイトの姿を見たくなかったからこそ、プレシアはフェイトを傷つけ、遠ざけたかったのだ。 はじめはそれだけだったはずなのに、いつしか憎しみを抱くようになった。アリシアを蘇らせる研究が上手くいっていなかったこともあり、プレシアはその感情を止めることができなかった。いや、止めようとすらしなかったのだ。そうしてプレシアはフェイトを『人』ではなく『道具』として見るようになった。 けれどアリシアの肉体で会話したフェイトのことを、もうただの『道具』として見ることはできなかった。先ほどのフェイトの姿はよりアリシアを感じさせた。影魔法少女から身を挺して自分を庇ってくれた彼女を、ただの『道具』として片づけてしまって良いのだろうか。「うぅ……あぁ……」 そんな葛藤を浮かべているプレシアの耳に入るフェイトのうめき声。アリシアの身体でアリシアの口から出てきた苦痛の声。「アリシア!!」 そんな彼女をプレシアはとっさにそう呼ぶ。そしてそれがプレシアの答えだった。確かに今のアリシアの肉体を動かしているのはフェイトのソウルジェムである。だがそれでもプレシアは彼女のことをフェイトではなくアリシアと認識した。故に彼女はフェイトのソウルジェムにグリーフシードを当てた。 ――ありがとう、ママ。フェイトを助けてくれて。 そんなプレシアの脳裏にそんな声が聞こえる。それはフェイトの声とは似て非なるもので、そしてプレシアがとても聞きたかった声。思わずプレシアは辺りを見回す。だがいくら周囲を探ってもその声がどこから聞こえてきたのか、プレシアにはわからなかった。 ☆ ☆ ☆「ゆま、準備できたか?」「もうちょっと待って」 数日後、アースラが本局に帰る日に合わせ、杏子とゆまもまた旅支度をしていた。そうは言っても彼女たちは元々根無し草。持ち歩いているものなど少ない。それでも海鳴市で彼女たちは互いに背負いきれないほどの荷物を抱えることになった。その全てを清算するわけにはいかないが、それでも不必要なものはこの場に置いていくつもりだった。 ゆまは鏡の前に立ち、最低限の身支度を整える。着ている服装自体は、彼女が海鳴市にやってきた時と変わらない。そんな自分の姿を確認したゆまは、最後に机に置いてあった首飾りを付ける。その垂れ下がる先には傷一つない赤い宝石が輝いていた。「レイジングハート、変なところはないよね?」≪No Problem! 似合ってますよ、ゆま≫「ならよかった」 ゆまの問いに赤い宝石、レイジングハートが答える。その答えに満足したゆまは、ハンドバックを片手に部屋を出る。そこにはすでに準備を整えた杏子の姿があった。「遅ぇぞ、ゆま」「ごめん、キョーコ。でもなんでそんなに焦ってるの?」 ゆまと杏子。二人は自由気ままな旅人だ。そんな二人は普段、時間に囚われるようなことは何もない。それにも関わらず杏子はどこか焦っているようだった。「んなもん、待ち合わせがあるからに決まってるだろ?」「待ち合わせ? 聞いてないよ」 杏子から出た意外な言葉にゆまは首を傾げる。「昨日、話しただろ。あたしたちはこれから旅の同行者と合流して、そのまま海鳴を後にするって」「そーだっけ?」「そうだよ。っていうか、そのために昨日の内にリンディやクロノに別れの挨拶をしたんだろ」 ゆまはなんとか記憶を掘り起こそうとする。だが杏子はそんな時間はないと言わんばかりにゆまの手を引っ張り、アースラの転送ポートへ向けて走り出す。「キョ、キョーコ、痛いよ。もうちょっと優しく……」「バーカ。このぐらいの痛みで騒いでるようじゃ、あたしを助けられるようになんてなれねーぞ」「むぅ、キョーコ、今それを持ち出すのはズルい。ルール違反だよ」「ルールなんてねーだろ。……ってか、見送りはいらねぇっつったのに」 そんなことを言い合っている間に二人は転送ポートに辿りつく。そこには二人を見送ろうとリンディやクロノを初めとした管理局の主だった面々が待ち構えていた。「おいおい、別れの挨拶は昨日の内に済ませたんじゃないのかよ」「……これもリハビリの一環だから気にするな」「車椅子でよく言うぜ」 杏子の言葉に答えたのはクロノである。本来ならまだ病室で寝ていなければならないような状況だが、それでも彼は杏子の見送りにやってきていた。「杏子さん、今までありがとう」 そう言ってリンディは頭を下げる。「おいおい、まるで今生の別れみてぇじゃねぇか」「……正直、その可能性は否定できないわ。今回、私たちは任務を失敗した。だけど未だに脅威は続いている。ジュエルシードは間違いなくこの世界に存在し、さらには魔女という管理局で認知していない異形の化け物もいる。おそらく管理局としてもこの事態を放っておかないでしょう。すぐにでも別部隊が派遣されることになるわ」「……そうか。ところで本当にあたしがバルディッシュを持っていっていいのか?」「えぇ、必要な記録は全てコピーさせてもらいましたし、それになによりそれがアルフさんの意志ですから」 本来であるならば、バルディッシュは今回の事件の重要な証拠品である。敵方が使っていたインテリジェントデバイス。事件の調査をするためにはより深い解析が必要であることは誰の目から見ても明らかだ。だがそれをリンディは是としなかった。彼女としてもフェイトの身は気がかりなのだ。だからこそ捜索の手助けとなるように杏子の手に託すのはリンディとしても賛成だった。「ならいいけどよ。けどリンディ、あたしとしてはできれば次もあんたらと組みたいぜ。管理局っていう組織はまだ信用しきれないけど、あんたら個人に関してはそこそこ信用しても良いってわかったしな」「私としても同じ意見よ」「ならあたしは待ってるぜ。リンディが戻ってくるのをな。クロノも、次に会う時は身体の傷を治しとけよ。勝負の決着もつけたいしな」「あぁ、その時を楽しみにしているよ」 そう告げて杏子はゆまを連れてアースラを後にした。その去り際を見送ったリンディとクロノはすぐに踵を返す。一刻も早く地球に戻ってくるために。 ☆ ☆ ☆ 高町家の食卓は家族円満の明るいものだった。それはとてもありふれた光景。家族が仲睦まじく楽しげに語らう日常。その会話内容がどんなものだったのかと後で問われれば思い出せないような些細なもの。それでも確かに幸せを感じることのできる時間だった。 しかし今の高町家の食事風景はお世辞にも明るいと呼べるものではない。それはテーブルを囲む空席の存在だ。……高町なのは。高町家の末っ子であり、類稀なる魔導師としての素養を持ちながらも、キュゥべえと契約した少女の席だった。彼女の座る席の前にはきちんと彼女のための食事が用意されている。けれどその食事を口にするものはここにはいない。後にごみに捨てられることになるだけの食事。それでも高町家の母親である桃子はなのはの食事を用意せずにはいられなかった。今、この瞬間にも彼女が帰ってくることを信じて。 すでに彼らは知っている。彼女が魔法少女となり、魔女との戦いの中で行方知れずになったことを。それを管理局から聞かされた時の高町家一同の取り乱しようといったら尋常ではなかった。まず母親である桃子が泣き崩れ、次に長男の恭也が話をしにきたリンディに斬りかかろうとする。それを止めたのも高町家の家長である士郎だったが、リンディを見つめるその眼差しは仇でも見るような射殺す視線だった。「……ごちそうさまでした」 だが一番になのはが行方不明と聞かされて心に傷を負ったのは長女である美由希だった。彼女はその現実を受け入れることができなかった。そもそも魔法少女も魔女も普通に生活している人々にとってみればファンタジーの領分である。管理局や魔導師、次元世界などとなんら変わらない。そんな存在に妹を奪われたと言われ、果たして素直に受け入れられるだろうか。分別のある大人であるならば、管理局の説明に矛盾がないと理解できるかもしれない。しかし美由希は良くも悪くもまだ子供だった。兄である恭也ですら怒りを抑えられずに斬りかかったくらいなのだ。それも当然と言えるだろう。「恭也、本当に行くのか?」 故に現在、高町家の食卓には空席が二つある。なのはと美由希。行方不明になった末妹とその妹を捜しに姿をくらました長姉。しかし残された家族からしてみれば、どちらも変わらない。自分の我儘を押し付け、父と母、そして兄に心配を掛ける馬鹿な娘たちだった。「はい。父さんと母さんには心配を掛けることになるけど、でも絶対に美由希となのはを連れ戻すから」 そんな妹たちを今日から恭也は捜しに向かう。もちろん士郎と桃子に黙って家を飛び出した二人と違って恭也は毎日電話を入れ、定期的に家には戻るつもりだ。だがこれから彼が飛び込もうとしているのはこの世界の裏側というべき希望と絶望の入り混じる魔法の世界。「恭也、これだけは約束しろ。決して無茶はするな。そして魔女と戦闘になるようなことになれば、すぐに逃げろ」 そんな恭也に対し、士郎は真剣な表情で告げる。本当のことを言えば、今の二人を放ってなのはたちを捜しにいくことには抵抗がある。士郎は大丈夫だろう。彼は人一倍強い剣士であるということは恭也自身が一番よく知っている。けれど桃子は違う。彼女はなのはと美由希が行方不明になったことに酷く心を痛めている。その上、自分まで家を出ると言っているのだ。口には出さないが、言外に反対しているのは明白だった。「わかってるよ。俺はそこまで馬鹿じゃない。必ずなのはと美由希を無事に連れて帰るためにもね。……それじゃあ父さん、母さん、行ってくる」 それでも恭也は止まるわけにはいかない。どれほど士郎と桃子に心配を掛けることになるのだとしても、恭也は立ち止まるわけにはいかない。何故ならなのはも美由希も、恭也にとってみれば最愛の妹たちなのだから。 ★ ★ ★ ユーノにとってなのはは掛け替えのない存在だった。だがユーノがそのことに気付いたのは彼女を失ってからのことだった。 初めて出会った時、ユーノは申し訳なさを覚えつつもなのはの持つ類稀なる才能に縋った。自分の力だけではジュエルシードを回収することができない。実際に思念体と戦ってそのことは痛いほどにわかった。しかしなのはと一緒ならば話は別だ。彼女の力があればジュエルシードの思念体とも十分に渡り合えることができる。巻き込んでしまったことに申し訳なさを覚えつつも、それを気にする素振りを見せないなのはの優しさにユーノは甘えた。 だがその状況はたった一夜で一変する。魔女と呼ばれる化け物。そしてそれを狩る魔法少女。管理外世界における独自の魔法事情。そして魔法少女として姿を現したすずかと織莉子から告げられる魔法少女の末路。――そしてすずかの死。それはなのはの心は非常に負担になったはずだ。それも自分を守るための犠牲になったのならば尚更だ。そしてだからこそ、なのははキュゥべえと契約し魔法少女になってしまったのだろう。自分の無力さを嘆き、さらなる力を手に入れるために魔法少女になった。 そんななのはの姿を目の当たりにした時は取り乱してしまったが、後になって考えれば、それも仕方のないことのように思える。あの時、なのはは「すずかの意思と強さを引き継ぐ」と言っていた。おそらくそれがなのはの願いなのだろう。すずかの意思がどのようなものかはわからないが、なのははその思いに殉じるつもりなのだろう。例えその果てに自分がどのような末路を迎えることになるのだとしても。「僕のせいだ。僕がなのはを巻き込んだから」 ユーノの脳裏に後悔が過る。なのはを魔法の世界に引き込んだのは他ならぬユーノ自身である。この世界の魔法少女や魔女のことを知らなかったとはいえ、その事実に変わりない。もしも二人が出会うことがなければ、なのはは今でも平和な世界で暮らせていたのではないだろうか。「……いや、違う」 そう考えたユーノだったが、すぐにその考えが間違いであることに気付く。確かにユーノと出会ったのがきっかけでなのはの運命は大きく変わった。だが例えユーノと出会うことがなくとも、なのははいずれ魔法少女になってしまったのではないだろうか。「なのはの持つ魔導師としての資質は凄まじいものだった。もしそれが魔法少女としての資質にそのまま直結するのだとしたら……」「ボクと契約した彼女は最強の魔法少女となり、そしていずれは最強の魔女へとなるのだろうね」 ユーノの言葉を引き継ぐように告げたのはキュゥべえだった。いつからそこにいたのか、彼の生物は赤い瞳を輝かせながらユーノに近づいてくる。「なのははどこだ、キュゥべえ」 そんなキュゥべえに対し、ユーノは冷たく言い放つ。それも当然だ。ユーノにとってキュゥべえは自分からなのはを奪い去った存在なのだ。そんな相手に友好的に振る舞えるほど、ユーノは大人ではない。「いきなりのご挨拶だね。残念ながら僕らでもなのはが今、どこにいるのかは掴めていないんだ。そんなことよりボクと少し話をしないかい」「僕に話だって? 冗談じゃない。なのはを魔法少女なんかにした奴と話すことなんて何にもない」 「そう邪険に扱わないでよ。なのはに魔法を授けたという点では、ボクもキミも同じ穴のムジナじゃないか」「やめろ! 僕はお前みたいになのはの人生を狂わせたわけじゃない!!」「同じだよ。キミはジュエルシードを集めるため、ボクはエネルギーを回収するためなのはの持つ力を利用した。そこに違いはないはずだよ」「違う! 僕はそんなつもりじゃなかった。ただ僕一人の力じゃジュエルシードを集めることができなかったから、だから……」「だからなのはの力を利用した。彼女の持つ類まれなる素質に目を付け、一般人だった彼女を魔導師に仕立て上げた」「違う!」 ユーノは必死に否定する。ユーノが行ったのは決してキュゥべえの言うような契約ではない。だがしかし、平和な日常を生きていたなのはを危険な世界に招き入れたという意味では同じなのだ。だからこそユーノはその言葉を強く否定した。「違わないさ。キミとボクの違いがあるとすればそれはキミが人間でボクがインキュベーターであることぐらいの些細なものだよ。……でもだからこそ、キミにはなのはを救える可能性がある」「…………えっ?」「ユーノ。キミはボクが何故、彼女たちと契約したのかを知っているかい?」「そ、それはこの宇宙の寿命を延ばすためのエネルギーを回収するため」「その通りだ。この果てしなく無限に広がる宇宙は常にエネルギーを消費し続けている。そしてそれはそのままこの宇宙の寿命ということになる。ボクたちはそのエネルギーが枯渇しないために人類の感情をエネルギーに変換して宇宙の寿命を延ばしている。……だけど言い換えればこれはボクたちインキュベーターだけではとても為し得ないことだ。知っての通り、ボクたちには感情がないからね。この宇宙はボクたちインキュベーターとキミたち人類、この二つの種族がいて初めて延命することができるんだ」 インキュベーターにとって人類は家畜同然の存在だ。彼らの目から見て感情は精神疾患でしかない。さらに個体間の意思疎通方法が口頭を介したものしかなく、そして感情があるが故に意志の同期を完全な形で行うことができない。 だがその感情こそが、この宇宙の延命に繋がっている。かつてインキュベーターが進化の過程で置き去りにした感情がこの宇宙を救うために必要な唯一無二のエネルギーを生み出しているというのは因果な示し合わせだとも言える。「本来ならばボクたちは人類が家畜を扱うように、キミたち人類に相対することができる。だけどそうしないでいるのは、キミたちの存在がなければこの宇宙を存続させることができないからなんだよ。もちろん感情を持つ種族は他にもいるし、感情エネルギー以外の方法で宇宙の寿命を延ばすこともできる。だけど人類から回収できるエネルギーほど効率よく運用できるものは他にないのも紛れもない事実だよ。特になのはやフェイトとの契約時に回収できた感情エネルギーは、ここ百年では他に類を見ないほどの質と量を兼ね備えていたと言えるね」「……いったい、何が言いたいんだ?」「つまりはね、ボクたちにも欲というものがでてきたということだよ。本来、ボクたちが一番効率よくエネルギーを回収することができるのは少女との契約時ではなく、彼女たちが絶望し魔女になるその瞬間だ。だけど二人と契約した時に回収することのできたエネルギー量は、並みの魔法少女のそれを遥かに上回っていた。ならばもし彼女たちが魔女になった時に発生するエネルギー量は一体どれほどのものだろうと思ってね」「この上まだなのはの心を弄ぶつもりだって言うのか!!?」 そんなキュゥべえの言葉にユーノは激怒する。今までの話は全てキュゥべえの理屈だ。そこに例えどんな崇高な理由があるのだとしてもとても許せるものではなかった。「そんなつもりはないよ。だけど今のままじゃ仮になのはが魔女になったとしてもボクたちはエネルギーの回収は行えない。何せ、今の彼女はワルプルギスの夜を追っていってしまったからね。時代によって名称は異なれど、ワルプルギスの夜は有史以前から存在した最古参の魔女であり最強の魔女だ。如何になのはの持つ力が優れているとは言っても、そこには限界がある。彼女一人の力では善戦することはできたとしても、完全に消滅させるには至らないだろうね」「そんな!? でもそれなら皆でワルプルギスの夜を倒しに向かえば……」 そう言い掛けてユーノは口籠る。そんなユーノの心を代弁するかのようにキュゥべえが言葉を続ける。「行かないんじゃない、行けないんだよ。最初に言っただろう。今、なのはがどこにいるのかはこのボクたちにすらわからない。この星の至る所にいるはずのボクたちにもね。それにワルプルギスの夜は結界を必要としない魔女だ。だけどそれは決して結界を作らないという意味じゃない。獲物を結界の中におびき寄せる必要がないという意味だ。考えてもみなよ。それほど強大な魔女が結界もなしに常に行動をしていれば、この星はすぐに滅びているはずだ。そんな魔女の結界だ。その性能もまた、他の魔女のそれと比べて優れているのだろう。それを見つけるのは容易ではないだろうね」「……だからってこのまま放っておくわけにはいかない。きっとなのはは今もまだ苦しんでいるはずだ。魔女との戦いもそうだけど、それ以上にその心を誰かが救ってあげなきゃならない」 なのはが魔法少女になったのは、すずかを失った喪失感が原因だ。それはいくら戦いを続けたところでなくなるはずがない。完全に癒すことはできないにしても、それでも支えることぐらいならユーノにだってできる。だからこそ手遅れになる前になのはを見つけ出さなければならない。 そう思い、ユーノはキュゥべえに背を向け歩き出す。そんなユーノの背中にキュゥべえは変わらず声を掛け続ける。「そうだね。そう思っているだろうキミだからこそ、ボクは話をしに来たんだ。この状況でなのはを見つけるのは容易ではない。仮に見つけることができたとしても、その時にはすでに手遅れかもしれない。……だけどすぐになのはを見つける方法がないわけでもない。もちろんそれ相応のリスクはあるし、何よりキミ自身にとってこの手段は受け入れ難いものかもしれない。それでもボクは提案させてもらう」 その言葉を聞いてユーノはその足を止め、再びキュゥべえに向き直る。そんなユーノにキュゥべえは普段と全く変わらない口調で言い慣れた台詞を告げた。「ユーノ・スクライア、なのはを救うためにボクと契約して魔法少女になって欲しいんだ」第一部「もしも海鳴市にキュゥべえもやってきたら?」 END