翌日、ベッドから起き上がった月村すずかは寝不足だった。それは昨日キュゥべえに言われた言葉が原因だ。「ボクと契約して魔法少女になってほしいんだ」 その言葉から始まったキュゥべえの説明は、夜の一族という普通の人間ではないすずかにも驚きの内容だった。少女の願いを一つだけ叶える代わりに魔法少女として、魔女と戦ってほしい。まるで小説の中の物語のような話だった。 もちろん、すずかにも叶えたい願いはある。それこそ奇跡や魔法でもなければ解決できなそうな願い。絶対に与えられるはずのないそんな力を手に入れる機会をすずかは手に入れた。 しかしすずかには、その願いを叶えて戦いに身を置く決意がなかった。だからキュゥべえに一日だけ返事を待ってもらったのだ。「わかった。それじゃあ明日のこの時間、返事を聞きにくるよ」 すずかのそんなちょっとした願いをキュゥべえは快く叶えてくれた。そしてすずかの元から去っていった。キュゥべえがすずかの元から離れたのは、他に魔法少女の素質を持つ少女を探しに行くためだったが、一人で考える時間が欲しかったすずかには非常にありがたいことだった。 そうして一晩中、考え続けたすずかはすっかり寝不足になってしまったのだ。「はぁ~」 一人ため息をつくすずか。寝ずに考えても、その答えは決まらなかった。もし彼女が恵まれていない少女なら、すぐにキュゥべえの言葉に飛びついただろう。だがすずかはお嬢様なのだ。生まれが少し特殊ではあるが、今の生活に不満はない。優しい家族に仲の良い友達、そんな存在がすずかの周りにはたくさんいる。これ以上を望むのは贅沢というものだ。 だがこんな機会は二度とない。ここで断ってしまったら、この願いは一生、叶うことはないと確信していた。だからこそ迷い、悩み、苦しんでいた。「すずかちゃ~ん。朝ごはんの準備、できたわよ~」 扉の外でファリンが声を掛ける。すずかは普段、一人で起きるようにしている。そして食事ができる前に食堂に顔を出していた。しかし昨夜の夜更かしのせいで、今日は少し寝坊してしまったらしい。「ご、ごめんなさい、ファリン。まだ着替えてないから」「そう~? わかった~。冷めないうちに来てくださいね~」 ファリンが去っていく足音を聞きながら、すずかは身支度を整える。(そういえば今日はなのはちゃんとアリサちゃんが家に来るんだっけ?) 自分の髪を梳かしながら、すずかは本日の予定を思い出す。今日は土曜日、学校も休みなので三人でお茶会をする予定だった。(なのはちゃんとアリサちゃんにキュゥべえのこと、相談してみようかな?) もちろん本当のことをそのまま話すわけにはいかないけど、二人なら自分の期待する答えをくれるはずだ。 そう決めたすずかは身支度を済ませ、足早に食堂へと向かっていった。 ☆【なのは、今日はゆっくり休日を楽しみなよ】 すずかの家に向かう支度をしているなのはにユーノが話しかけてきた。なのはは昨日、学校帰りの神社でジュエルシードを見つけていた。子犬に寄生し戦闘になったものの、大した苦も無く封印に成功。これでなのはたちが手に入れたジュエルシードは三個となっていた。 その戦闘でユーノはなのはの素質に大変驚かされていた。すでに自分の渡したレイジングハートはなのはのことを主人と認めている。戦闘に関してはまだどこか覚束ないものがあるものの、自分より強いのは明らかだ。魔力量に関してもそうだが、それ以外、魔法の使い方でもなのはは天才的だった。【でもユーノくん。またジュエルシードが暴走したりしたら……】【その時は行ってもらうしかないけど、そんな簡単に暴走したりしないよ】 ジュエルシードは不安定だといっても、そんな頻繁に暴走するようなものじゃない。誰かの意思に触れてしまえば別だが、道端に捨てられているだけならそう簡単に暴走などしないはずだ。すでに一昨日、昨日と暴走しているが、だからこそ今日もまた暴走するなんて心配はないだろう。【そうなの?】【そうだよ。だから今日一日はジュエルシードのことを忘れて楽しんで。僕も楽しむからさ】 なのははあくまで協力者なのだ。だからこういった用事をキャンセルしてまで、なのはに手伝わせたくない。しかしユーノが一人で探しに行けば、責任感の強いなのはなら必ずその後をついてくるだろう。だからなのはを安心させるために、ユーノも今日はのんびり過ごす気でいた。 まだ少しどこか引っかかるものを感じていたなのはだったが、ユーノの言葉に納得し、笑顔で頷いた。「なのは~、そろそろ行くぞ~」「は~い。ちょっと待って~」 言いながらリボンをつけて、鏡で確認する。変なところは特にないことを確認したなのはは、リビングで待っている恭也の元に向かった。 リビングに着くと、恭也は美由希と一緒にニュースを見ていた。それは隣の県で少し前に起きた家族三人が殺害された事件のニュースだった。殺害されたと言っても人間にではなく、野生の熊に襲われたものだ。現に警察が事件発生からすぐに山狩りを行ったところ、ふもと付近で一匹の熊が発見され、射殺されていた。「まだ娘さん、見つかってないんだね」「そうだな」 すでに解決しているような事件だったが、一つだけまだ解明されていない謎があった。それはその家族の娘の死体が見つかっていないということだ。発見されたのは両親の死体だけ。いくら探しても娘の死体が見つからなかった。解剖した熊の胃の中からも娘の痕跡は発見されていないことから、全国で目撃情報を募っていたのだ。「確かなのはと同じ年頃の女の子よね」 暗い表情を浮かべて美由希が呟く。その家族のことを自分たちのことに当てはめてしまったのだろう。「安心しろ。美由希。仮に何かがあったとしても、俺がなのはを必ず守ってやるから。もちろんお前もな」 そんな美由希を安心させるために、恭也が告げる。それは恭也の本心からの言葉だった。「恭ちゃん。……そうだね。それじゃあ二人とも、いってらっしゃい」 その言葉に美由希は暗い雰囲気を振り払い、笑顔で二人を送り出した。 ☆ なのはより先に月村邸に着いていたアリサはすずかや忍と一足早くお茶会を楽しんでいた。ファリンの淹れる紅茶は非常に美味しい。アリサの家にもメイドや執事はいるが、これほど上手く淹れられる人物はいなかった。普段はかなりのうっかりやだと聞いていたが、こういった特技もあるからこそ、彼女はすずかの専属メイドを務めることができるのだろう。 アリサは紅茶を口に入れながら、正面に座っているすずかの様子を伺う。「はぁ~」 今日、アリサが月村邸に訪れてから七度目のため息。明らかに昨日とは違うすずかの雰囲気に、アリサは心配していた。本来ならすぐに問い詰めたいところではあったが、まだ口に出す気はない。それはこの場にすずかの姉である忍がいることと、もう一人の親友であるなのはがいないからだ。 すずかの様子がおかしいことは忍もノエルも気づいているだろう。その上で何も言わないのなら、今この場で自分から言う必要はない。だが、なのはと三人になれば話は別だ。アリサは自分のことを我の強い女であると自覚しているし、自覚しているかはともかく意思が固いのはなのはも同じだ。そんな二人を前にして、目の前にいる引っ込み思案な親友が隠しごとできるとは思えない。そうなってから問い詰めればいい。 少し待てば自然とその状況ができるのだ。ならば今は、優雅にファリンの淹れた紅茶を楽しんだ方が得だろう。 そんなことを考えているうちに、なのはが着いたようだ。その肩にはユーノを乗せ、隣には恭也の姿もあった。「恭也。なのはちゃん。いらっしゃい」 忍は立ちあがって二人を出迎える。だがその足はまっすぐ恭也に向かっていた。忍と恭也は付き合っている。だから自分たちの中でなのはとすずかは特に仲が良いかというと、決してそういうわけではない。以前、二人に聞いてみたが、なのはたちも最初、自分たちの兄や姉が付き合っていることを知らなかったのだという。まったく別の場所で仲良くなっていった二組の兄妹、姉妹。世界が狭いとはまさにこういったことを言うのだろう。「じゃあ、私と恭也は部屋にいるから」「私たちはお飲物をお持ちしますね」 そんなことを考えている内に、恭也と忍、ノエルとファリンが部屋から出ていく。残されたなのはは空いている席に座る。「すずかちゃん、アリサちゃん、おはよ~」「おはよう。……相変わらずすずかのお姉ちゃんとなのはのお兄ちゃんはラブラブだよね~」 アリサは茶化すようにすずかに声を掛ける。しかし、すずかからは何の返事もなかった。 ☆ 部屋から去っていく忍と恭也の背中を見て、すずかは羨ましいと感じていた。 忍は数年前から月村家の当主として、夜の一族を支えている。夜の一族には敵が多い。だから弱みを見せぬと忍はすずかの前でさえも常に厳しい表情をしていた。 そんな忍が急に笑顔になったのは、恭也と知り合ってからだった。まだ二人が恋人になる前、忍はよく自分やノエルに学校であった恭也の話ばかりしていた。その話を聞いて、すずかは恭也がどのような人物か会ってみたくなった。 その当時、すずかが偶然仲良くなったなのはの兄が恭也だと知ると、さっそく翠屋に遊びにいった。その日、恭也は翠屋でウェイターをしていた。そして偶然、忍もその場に訪れていた。すずかは忍に見つからないようにしながら、二人の様子を観察する。すると忍は今まで見たことないようなとても楽しげな表情を浮かべていたのだ。それはすずかにとってとても衝撃的な出来事だった。しかしその数日後、すずかはさらなるショックを受けることになる。 それは忍が恭也を月村邸に連れてきて、自分の恋人だと紹介したことだ。そしてすずかのいる前で夜の一族についての全てを恭也に口にした。 夜の一族のことを知ることができるのは、将来的に一族に連なる者になる人物だけだ。もし忍の話を聞いて恭也が拒絶したら、その記憶を消さなければならない。だから忍は酷く恐ろしげに恭也に一つひとつ説明していった。 すずかは普通の人間が自分たちの秘密を知って、受け入れてくれるわけがないと思っていた。自分たちは人間にとって恐ろしい存在。決して受け入れられるはずがない。だからこそ忍はあんなにも眉間に皺を寄せ、一族の敵と戦ってきたのだ。 だから恭也が忍のことを受け入れた時、すずかにはとても信じられなかった。しかし忍は恭也のことを心から信じ、また恭也もそんな忍の信頼を裏切るような真似をしていない。そんな二人の姿を見て、いつしかすずかもその関係を認めるようになっていた。 そんな二人の姿をすずかは見ていてとても微笑ましく思えるが、たまに憎らしく感じる時もある。忍には困った時に相談できる相手がいる。しかしすずかには忍以外にそんな相手はいない。なのはやアリサは親友だが、それでも夜の一族のことは話せない。もし話してしまったら、二人を一族に加えるか、その記憶を消さなければならない。受け入れられないのももちろん恐いが、すずかは二人を一族に加えたいとも思わなかった。二人には普通の人間であることを手放して欲しくない。だからすずかから夜の一族のことを話そうとは思わなかった。 そんな思いがあるからこそ、すずかは二人との間に見えない壁のようなものを感じることがある。二人は普通の人間で、自分は夜の一族だから。「……ちょっとすずか、聞いてるの!!」「えっ……?」「えっ、じゃないわよ! やっぱり今日のあんた、ちょっと変よ!!」「ア、アリサちゃん。落ち着いてよ~」「なのはは黙ってなさい!」 なんとかアリサをなだめようとするなのはだったが、こうなったアリサが止まらないことをすずかはなのは以上に理解していた。「ご、ごめんね。アリサちゃん」「ごめんじゃないわよ! あたしが来てからため息を七回もしてるし! 何か悩みがあるなら言いなさいよね!!」 それだけ言うと、すずかは腕を組んで明後日の方向を向く。その光景に茫然とするなのはとすずか。「……ふふふ、ははは、あはははは」 すずかの口からは自然と笑い声が響き渡った。それは次第に大きくなり、今では腹を抱えて笑っている。滅多に見れないすずかの馬鹿笑いを見て、今度はそれにアリサが茫然とする。「な、なにがおかしいのよ!」「だ、だって、アリサちゃん。私がしたため息の数、数えてたんだもん」「なっ!?」 すずかの指摘に顔を真っ赤にするアリサ。すずかはあまりの面白さに、目元から小さな涙を零す。いや、それは決してアリサの台詞が面白かっただけで流れ落ちたものではないだろう。「……ありがとね。そこまで心配してくれて」「……やっと笑ったわね、すずか」 アリサは悪戯に成功した子供がするような笑みを浮かべる。そうして辺りには二人の笑い声が響き渡った。「ちょ、ちょっとー、なのはも会話に混ぜてよー!」 来たばかりでまだ状況を正確に掴めていないなのはが頬を膨らませて抗議する。それを見て、さらに二人は笑い合うのであった。 ☆「ごめんね、なのはちゃん」「ごめん、なのは」「むー」 一頻り笑い終えた二人は、素直になのはに向かって頭を下げる。それに納得できないなのはは頬を膨らまして二人を睨む。「お嬢様方、お待たせいたしました。紅茶をお持ちしましたよ~」 まるでタイミングを見計らったように現れるファリン。実のところ、ファリンは先ほどまでのやり取りをすべて物陰から聞いていた。しかしここで自分が下手に出て行ってしまったら、さらに場をややこしくしてしまうのではないかと思い、ずっと物陰に隠れていたのだ。「そうだ。せっかく天気も良いことですし、お茶会の続きは庭でしませんか?」 さも、今思いついたかのようにそう告げる。今でこそ、和やかな雰囲気になりつつあるとはいえ、先ほどまで口論していた場でお茶会を続けるというのも、風情に欠ける。さらに気分を一新できればというファリンなりの配慮だった。「そうね。アリサちゃん、なのはちゃん、そうしましょうか」「わかりました~。ではお嬢様方、私に着いてきてくださいね」 そうしてファリンを先頭に四人は部屋を後にした。 ☆「それですずか。あんた、何を悩んでるの? このあたしに話してみなさい」 紅茶を淹れ終えたファリンがその場を後にすると、アリサが開口一番にすずかに尋ねた。「えっと、ね。もしアリサちゃんが魔法使いに何でも一つだけ願いを叶えてもらえる代わりに、怪物と戦わなければならないって言われたらどうする?」「……はぁ? なによそれ。あたしはね、あんたの悩みを聞かせてって言ったのよ!」「だ、だって、これが悩みなんだからしょうがないじゃない!」「え、えーっと、すずかちゃん。もしかしてそれって本のお話?」 すずかの言葉だけでは、その悩みの意味はわからなかった。しかしなのはが補足したおかげでアリサにもなんとなく、すずかの悩みを理解した。「つまりそれって、あんたが書いてる小説の話ってこと?」 すずかは読書家だ。学校のある日は毎日必ず図書室に顔を出すし、市内の図書館にも週一で通っていると以前、聞いたことがある。そんなすずかが小説を書いていると言われたら、アリサは納得するしかなかった。「そ、そうなの! こんなこと言われたら、主人公がどんな行動を取るのかなって悩んじゃって……」 その言葉自体は方便だが、実際にすずかは趣味で小説を書いていた。誰にも見せたことのないその小説の内容は小学生の女の子らしい恋愛もの……ではない。吸血鬼の能力に目覚めた一人の少女が刀片手に戦い抜くという異能力バトルアクションだ。 しかしアリサやなのはがそのように勘違いしてくれるのなら、好都合だと考えた。そもそもキュゥべえのことを話したところで、二人には到底信じてもらえるとは思わない。なのははともかくとして、アリサはとても現実主義なところがあるから尚更だ。「はぁ~。くだらない」 アリサは大きくため息をつく。アリサはすずかが重大な悩みを抱えていると考えていたので、ある意味その反応は当然と言える。しかしそれと同時に、大した悩みでなくてよかったと安堵もしていた。「く、くだらなくなんかないよ~。大事なことなんだから」「くだらないわよ。ねぇ、なのは」「にゃ!? ここでなのはに振るの!!」 いきなり話を振られたなのはは反応に困り、乾いた笑いを見せる。「でも、すずかちゃんの書いた小説かぁ。ちょっと読んでみたいかも」「……そうね。すずか、今からその小説持ってきなさいよ!」「ひ、人に見せるのはちょっと……。それにまだ完成もしてないし」 そもそもすずかは自分の書いている小説を人に見せる気はなかった。というよりも、あの作品はとても他人には見せられない。すずかはストレスを発散させるために小説を書いている。そのため敵を完膚なきまでに滅ぼし、その死体さえも切り刻むといった描写が何度も描かれていた。執筆中は楽しんで書いているが、書き終わるとたまに不快感を覚えるぐらいだ。そんな作品を見せられるはずがない。「それじゃあ完成したら、あたしたちに一番に見せなさい」「あ~、ずるいよ、アリサちゃん。わたしも一番に読みたいよ~」 なのはとアリサはすずかの書いている小説の話で盛り上がる。その会話の節々に恋愛物語を示唆する単語が出てくるが、すずかの書く小説に恋愛要素など一切ない。あるのは憎しみと生き死にを掛ける戦いだけだ。「あ、あはは。……そ、それでね、なのはちゃん、アリサちゃん。さっきの話なんだけど……二人ならどうする?」 別の誤魔化し方をすればよかったと少しだけ後悔するすずかだったが、いっそ開き直ることにした。自作の小説の醜さよりも今はこの悩みを解決させることの方が先だ。キュゥべえが来た時に、もう一日待って、と言わないために二人の考えを参考にしたかった。「そうね~。あたしなら願わないわね。なのは、あんたは?」「にゃはは、なのはも願わない、かなぁ?」「えっ? どうして」 すずかはまさか二人とも願いごとしないと返事してくるとは思わなかった。「だって願いの代わりに怪物と戦わなきゃいけないんでしょ? そんなの嫌よ。それにどうしても叶えたい願いがあるのなら、あたしなら自分の力で叶えようとするはずよ。そもそもその魔法使いが信用できないし」 それはバニングス家の家訓だった。アリサの両親の教育方針と言い換えても良いだろう。神に祈らず自分に祈れ。自分を信じて努力し続ければ、必ず求める物が手に入る。アリサは両親や教育係の執事にそのように言われて育った。だからこそ、自分の願いは自分で掴み取ろうとするし、上手い話には乗らない。実に現実主義なアリサらしい答えだった。「えーっとね、なのはは、まず怪物と戦うことになってまで叶えたい願いごとが思いつかないんだよね。何か願いごとがあったら、魔法使いさんに頼っちゃうかもしれないけど……」 一方でなのはは恵まれていた。もちろんちょっとした願いごとならなのはにもある。しかしそんな危険を冒してまで叶えたい願いごとをなのはは思いつかなかった。怪物と戦う分には、すでにジュエルシードの暴走体と戦いを繰り広げるということもあり、まったく問題にはならないだろう。しかし肝心の願いごとが思いつかなければそんな魔法使いの言葉など無意味だった。「どう? 参考になった?」「う、うん」 そう答えて見たものの、実際のところ、二人の答えは期待外れだった。そもそもすずかの願いごとは努力でどうにかできるものではない。彼女は生まれた時からその業を背負っている。まさに宿命なのだ。「そ、それじゃあ、その願いが自分の力じゃ解決できないようなものなら、どうかな?」「それでもあたしは願わないわね」 だからこそすずかは突っ込んで尋ねるが、それをアリサはばっさり切り捨てた。「そもそもなんでそいつは自力で叶えられないって決めつけちゃってるのよ! やってみなきゃわからないじゃない」 さらにアリサの言葉がすずかを抉る。その言葉は確かに一理ある。やらないで諦めたら確率は0%だが、やれば1%は可能性があるかもしれない。 ……しかしそれはすでにやってみた人物に対しては意味がない。 今でこそ、すずかは図書館に通うのは週一だ。しかしもっと幼い頃、すずかは毎日のように図書館に通っていた。毎日、毎日難しい本を読み漁り、必死にその方法を探した。図書館だけじゃない。月村邸の書斎に貯蔵されている万を超える書籍も乱読した。そこで見つからなかったから図書館に通うようになった。そうして調べて調べて調べて調べて ……わかったことはただの一人もその運命に抗うことができなかったということだけだった。 ――そう、すずかの願いは普通の女の子になることだった。 何故、自分は他の子より頭が良いのだろう? 何故、自分は他の子より運動神経が良いのだろう? 何故、自分のことを他の子に話してはいけないのだろう? 何故、自分は血が吸いたくなるのだろう? はじめはそんな疑問から書斎にある本を読み始めた。そうして行き着いた。自分が普通の人間ではない、夜の一族と呼ばれる存在だということを知った。本来なら、すずかがそのことを知るのは、もう少し大人になってからだった。それは忍の配慮によるものだ。まだ幼いすずかが、自分は人間じゃないと告げられ、冷静でいられるかわからない。早くても小学校を卒業してからと忍は考えていた。 しかし現実は小学校の卒業どころか、入学前にすずかはその事実を知ってしまった。普通の人間ならまだ本に書いてある内容が理解できなかったかもしれない。だが夜の一族であるすずかは、本の内容を一度読んだだけで理解してしまった。それだけなら、まだ真実だとは思わなかっただろう。しかし忍を問い詰めた時に見た表情を見て、それが真実だと悟ってしまった。 それからすずかは、自分の本心を隠すようになった。姉である忍のことはもちろん、メイドのノエルやファリン、そして親友のなのはやアリサのことも信用しているし大好きだ。だが最後の一線は踏み込めない。本当のすずかを知る者は誰もいなかった。「……ごめんね。アリサちゃん、なのはちゃん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」 だからすずかがいきなりそう言って、その場から屋敷に戻って行った時、二人は彼女の本心に気付くことができなかった。(あれ?) 本心には気付けなかったなのはだったが、すずかの首筋になにか汚れのようなものがついていることに気がついた。それはまるで誰かの口付けのような形をしていた。2012/6/2 初投稿