12月が、風と霙を連れてホグワーツにやってきた。この時期が来るたびに、ホグワーツ城は隙間風だらけで、廊下の移動の時にはコートを着込んでいないといけなかったが、湖に浮かぶダームストラングの船を見るたびに、城の暖炉に燃える火や、厚い壁がありがたく思えた。校庭に停車しているボーバトンの馬車も、ずいぶんと寒そうだ。
「セレネはクリスマスの日、誰と過ごすの?」
パンジーが魔法史の授業が終わった途端に、少し引くくらいの笑みを浮かべて私に尋ねてきた。私は『魔法史』の教科書をしまいながら、怪訝そうに眉を寄せる。
「いつも通り、父さんと過ごすつもりだが…」
「「「「えっ!!」」」」
隣にいたミリセントやダフネだけでなく、少し離れたところで、次の『変身術』の教室へ行く準備をしていたドラコやノットまでもが、私の方を見ている。誰もが一様に驚いた表情を浮かべていた。
「えっと……それって本気?」
手で口を押えたミリセントが恐る恐るという感じで言う。私は、何か変なことでも言っただろうか?
「本気も何も…毎年、父さんとクリスマスを過ごしているからな。何か問題でも?」
「問題というか、セレネはクリスマスのダンスパーティに出ないの?」
「ダンスパーティ?」
「うん。えっと……三校対抗試合の伝統で、4年生以上の参加が許可されているらしいの。ほら、今年の用意するものの中に『ドレス』ってあったでしょ?」
ダフネが説明してくれる。そういえば、数日前から図書室で本を探したり、談話室で本を読んだりしている時に、『ダンスパーティ』がどうたらこうたらという話を小耳にはさんだ気がする。興味のない話だったので、気にも留めなかったが。
「正直、ダンスなんて面倒なだけだろ」
「そう…残念だけど、セレネらしいわね」
ミリセントが、そういってノットたちの方を見る。つられてそちらを見ると、なぜか彼らの上空に黒雲が漂っている気がした。ザビ二が笑うのを必死でこらえている。
「あっ、すまないが…この本の返本が今日の午後までだ。悪いが先に次の教室へ行ってくれないか?」
パンジー達に断りを入れて、教室を出る。
廊下は管理人のフィルチがいつにも増して、廊下を磨いていた。クリスマスは少し先だというのに、廊下はワックスを塗ったばかりのように、ツルツルで滑りそうだった。
図書室で本を返して、外に出た時だった。ハーマイオニーが1人で歩いているのが視界に入る。久々に彼女と話そうか…と思い、声をかける寸前で気が付いたことがあった。なんだか困惑している様子で、前を見ていないみたいだ。今も上級生とぶつかりそうになっていた。普段の彼女らしくない。
「どうしたんだ、ハーマイオニー?」
「セ、セレネ!?」
私が後ろにいることに気が付いて、手に持っていた本を落としそうになるハーマイオニー。
「…何かあったのか?」
こうしてハーマイオニーの顔を見ると、異常なくらい頬を赤く染めていた。たとえるなら、熟し過ぎたリンゴとでもいうのだろうか?やはり、いつもの冷静なハーマイオニーらしくない。
「あの……セレネって口が堅い、わよね?」
「そこら辺の人よりは」
「実は……相談に乗ってほしくて…」
珍しい。ハーマイオニーが相談に乗ってほしいと言ってくるなんて、今までになかったことだ。ちらりと時計を見ると、もうすぐ授業開始のチャイムが鳴りそうだ。
「午後なら空いているが……」
「ありがとう!じゃあ、昼食後に玄関ホールで待ってるわ。絶対に誰にも言わないでね!!」
そう言ってハーマイオニーは走って行ってしまった。…そんなに人に聞かれたくないのか?いったい何の話なのだろう。私より身近にいる同じグリフィンドール生のハリーやロンにも話せない事柄に違いない。
とりあえず変身術の教室にたどり着いたので、いったん疑問を頭の隅に追いやる。授業はいつも通り進行し、マクゴナガル先生が黒板に書いた図面を羊皮紙に写していく。
…もう羽ペンにつけるインクが切れそうだ。今度、ロンドンでマグルの友人…フィーナたちに会うので、その前にダイアゴン横丁で買っておこう。
「さて……そろそろ今日の授業が終わりますが…その前に、すでに知っているかもしれないことですが『ダンスパーティ』について説明しておきましょう」
授業終了3分前、マクゴナガル先生がコホンっと咳払いをしてから話し始める。どうせ私には関係のない話だが、先生の話なので形だけは聞いているふりをしておくことにした。マクゴナガル先生の額のあたりをボンヤリと眺めているうちにチャイムが鳴り響く。
「――ですので、ホグワーツ生として品位のある行動をしてください。羽目を外しすぎないように。以上です。あと、それからゴーントは、ちょっと来てください」
立ち上がりかけた私を、マクゴナガル先生は引き留めた。この間のレポートを眠いからと言って適当に書いたことが、バレたに違いない。だが、適当とはいえ…怒られるほど酷い内容のものを書いた覚えはないが…
ハーマイオニーとの約束があるので、早くして欲しい。そう思いながら先生が話し出すのを待つ。マクゴナガル先生は、生徒が全員いなくなるのを待ってから、ようやく口を開いた。
「ゴーント、代表選手とそのパートナーは…」
「パートナー?」
おうむ返しに聞き返してしまった。
「パートナーとは、ダンスパーティのパートナーですか?」
「それ以外に何があるのですか?」
『何を馬鹿げたことを』というような眼で私を見てくるマクゴナガル先生。
「先生、私はクリスマスに家に帰るつもりです。なので、ダンスパーティには参加できません」
「残念ですが、あなたはダンスパーティに出なければならないのです」
厳しい顔を崩さないで言うマクゴナガル先生。だが、先生の眼の奥に申し訳なさそうな色が見え隠れしていた。
「代表選手は伝統に従い、パーティの最初に踊るのです。ですので、家には『帰れない』と手紙を書きなさい。自分で書きたくないというのであれば、私が代わりに、家に手紙を書きましょう。とにかく、あなたは絶対にパートナーを連れてくるのですよ」
「ですが――」
「分かりましたね、ゴーント」
問答無用という口調でキッパリと言い放つマクゴナガル先生。マクゴナガル先生に礼をして、逃げるようにその場を立ち去った。…どうしたらいいのだろうか?
男子生徒を誘うことなんて考えたこともなかった。正直な話、もう1回ドラゴンと戦う方が、遥かに楽だ。…だが、なんで代表選手が最初に踊らないといけないのだろうか?三校対抗試合の中心人物だから?いや…それだけではないはずだ。
1つだけ考えられるのは『第二の課題』に何かかかわってくる、かもしれないということ。
第一の課題が終わった時に、バグマンが『第二の課題は2月。ヒントは今回手に入れた“金の卵”に隠されている』としか言わなかった。『金の卵』をパカリと開いても、この世のものとは思えない叫び声がするだけで、解読できない。…もしかしたら、このダンスパーティに『卵の秘密』が隠されているのかもしれない。なので、絶対に代表選手を参加させるために、最初に踊らせる……のだろうか?
「やぁ、セレネ」
名前を呼ばれたので顔を上げてみると、そこにいたのは、まったく見知らぬ男子学生。ネクタイが黄色と黒なので……恐らくハッフルパフ生だろう。鼻先が少し上を向いていて、背が高いブロンドの少年だ。
「君と同学年のザカリアス・スミスだ」
「…何の用だ?」
記憶の隅々まで探したが、聞き覚えのない名前だ。本当に何の用で来たのだろうか?
「君、僕と一緒にダンスパーティに行かないか?」
「断る」
即答してしまった。スミスは一瞬、憤慨したような顔になった。だが、すぐに元の愛想のよさそうな顔に戻る。
「何故だい?」
「何故も何も……私はアンタのことを何も知らないだろ?」
「なら、これから知っていけばいい話だ」
…どうしても、私と一緒に行きたいらしい。どうせ私が代表選手だから、一緒にいれば目立つだろう、と考えているのだろう。まったく、こういう軽い男とダンスパーティに行く仲だと、周りから思われるのは心外だ。どうやって断ろうか…
「悪いが、私がアンタの名前を知ったのは今だ。これから知っていけばいいといわれても、もしこのダンスパーティが、次の課題に影響する事だった場合、アンタにも迷惑をかけてしまう。知り合って間もないアンタを、危険に巻き込むわけにはいかない」
少し愛想のよい笑顔を浮かべて言う。そして彼に背を向けて、去ろうとした。だが、今度は私の腕をつかんできた。…振り払おうと思ったが、思った以上に力が強い。何か運動でもやっているのかも知れない。
「その点は問題ない。僕はハッフルパフ寮のクィディッチチームのチェイサーだ。
運動神経なら女の君にだって負けていないし、さすがに君ほどの魔法は使えないが、そこそこの魔法は使える。君の足手まといにはならないはずだ」
「なら、今ここで『武装解除』の呪文をやってくれるか?」
武装解除の呪文は、2年生の時……ほとんどの生徒が参加した『決闘クラブ』で習った呪文だ。一応、今年の『闇の魔術に関する防衛術』の教科書の参考の箇所に記載されていたが……大方の人が覚えていない呪文だろう。スミスの眉間のしわがピクピクと動いている。
「どうした?その程度の呪文もできないのか?」
「で、出来るに決まっている。『エクスペリアームス‐武器よ去れ』!」
しかし、私の杖も、袖の下に隠してあるナイフもピクリとも動かなかった。スミスの顔がイラつきで歪んでいく。
「…出来ないな」
「っく!そんなこと言って……本当は今、杖を持ってないんだろ!?」
どうしてそうなるのだろうか?まったく……いい加減、離してほしい。私はローブの取り出しやすい位置にしまってある杖を取り出して、スミスの前で軽く振った。
「そろそろ離してくれないか?この後に、大事な用事があるんだ」
そういうと、逆にさらに腕に手が食い込んでくる。絶対に痕が出来ている気がした。
「俺のどこが気に入らないんだ!?セドリックが卒業したら俺がキャプテンだ。父様も母様も純血の魔法使いで優秀な魔法使いだ。もし、俺が17歳でゴブレットに名前をいれていたら、絶対に俺が代表選手になっていたに決まってるんだ!だから、つべこべ言わずに……っ!」
「おい、やめろ」
スミスの肩に、誰かの手が乗っけられた。スミスがイラつきを隠さないで、その人物を見上げる。
「なんだ!?俺は今――」
「悪いが、俺の方が先約だ。…こいつが婉曲に断っているうちに去った方がいい。でないと…呪いをかけられても知らないぞ」
スミスは舌打ちをして「男がいるならとっとと言いやがれ」と捨て台詞を残して去って行った。
「助けてくれたのはありがたいが…お前と約束した覚えはない」
先程のスミスと同じくらいの位置に顔がある、ノットを軽くにらむ。ノットは睨まれても素知らぬ顔だ。
「ああでも言わないと、解放してくれなそうだっただろ?」
「…それもそうだな」
あのままだったら、私はスミスに呪いをかけていたかもしれない。いや、呪いまでとはいかなくても、『眼』を発動させて威嚇くらいはしていたかも。でも、それで妙な噂が広まってしまったら、それこそ大問題だ。
「で、どうするんだ?」
「どうするって…なにがだ?」
聞き返すとノットは頭をガシガシとかいた。小さく舌打ちの音が聞こえた気がする。
「結局、俺と行くか行かないかということだ。さっきの話だと、『第二の課題』に影響するかもしれないんだって?俺は、巻き込まれても文句は言わないし、俺の実力はお前も知っているだろ?」
ノットの実力は、よく知っている。
同学年のスリザリン男子の中で、魔法の実力はドラコと並ぶかそれ以上だ。将棋を指している時にも感じるが、頭のキレだって悪くない。まだ私の勝ち越しだ。だが、昔は10回に1回の割合だったのが、今では5回に1回の割合で負けてしまうようになってしまった。
ノットなら……万が一、巻き込まれても、なんとかなるかもしれない。他の実力もわからない見知らぬ人を誘うより、彼を誘った方がいいかもしれない。よく知っている相手なので、あまり気を使わなくて済むし…
「まぁ、いいか。よろしく頼む」
そういうと、ノットは嬉しそうに笑った。珍しい…こうして彼が笑っているのを見たのは、初めてかもしれない。
「……そういえば、何故お前はここにいたんだ?とっくに大広間に行っている時間だろ?」
そういうと、笑うのをやめて、なぜか視線をそらすノット。そして足早に歩きながらこう言った。
「……別に何でもいいだろ。早く大広間に行かないと、食べるものがなくなるぞ」
「そうだな」
私達は大広間へ向かった。玄関ホールのあたりまで来ると、いつも通り…大広間から、焼きたてのパンや身体を温めてくれそうなシチューの匂いが漂ってくる。が、今日の私がそれらを口にすることはないみたいだ。ちょうど食事を終えたハーマイオニーが玄関ホールに出てきたところだったからだ。しかも、目が合ってしまった。
私はノットに断わって、ハーマイオニーの方へ走る。ハーマイオニーは先程より落ち着きを取り戻しているみたいだ。何かナプキンで包んである。
「セレネの姿が大広間にないから、包んでおいたわ」
そういって彼女が包みを渡す。開けてみると、トーストが入っていた。……食べ物持参で来るということは……相当長い話になるのかもしれない。覚悟しておこう。人に聞かれたくない話のようなので、玄関ホールから外に出て、凍てつくような12月の寒空の下を歩く。まだ雪は降っていないが……もう少ししたら今歩いているところ一面が、雪で覆われるに違いない。
「…で、どうしたんだ?」
「あの………実は…………………クラムに申し込まれたの……」
俯き気味な顔を赤らめるハーマイオニーは、消えそうな声でそう言った。……ある意味、災難かもしれない。世界的に有名なクィディッチ選手で、代表選手のクラムは、ありとあらゆる女子の憧れの的で、熱狂的なファンがクラムを手段で追いかけているところを何度も目撃したことがある。
クラムのパートナーになった女は、そんなファンたちからの恨みの視線を受ける羽目になる。だが、ハーマイオニーは、それだけでは済まない。同じ代表選手でクィディッチが上手いハリーと(誤った)熱愛報道がされてしまっているのだ。
……新聞が次々と男を手駒に取る『悪女』として騒ぎ立てなければいいが……
「…で、どう答えたんだ?」
「……『少し待って』て……」
「『待て』と答えたのか?」
断らなかったということは、受けてもいいということ。でも、待っててほしい、ということは…
「…ハーマイオニー、好きな人でもいるのか?」
「い、いないわよ!!た、ただ、その……」
変身術の授業前に見かけた時よりも、ずっと顔を赤く染めたハーマイオニー。触ったら火傷しそうなくらい赤い。…おそらく、好きな人がいるのだろう。
その人に誘われたい。だから、その人の行動次第で、クラムの誘いに乗るか乗らないかが決まる、ということか。
「いいんじゃないか。少し待ってみて、気になる人が誰か誘ったようなら、クラムの誘いを受ける。数日の間に、その人から告白されるかもしれないし」
「でも…あの人、とっても鈍いのよ。私を女として見てくれていないし」
……私は頭をすこしかいた。恋愛相談は専門外だ。どう答えたらよいのだろう?
「…でも、誰かに話してすっきりしたかも」
ハーマイオニーは伸びをした。顔から少しだけ赤みが抜けている。
「誰かに話さないと、考えがまとまらなかったのよ。本当にこれがいいのか分からなかったし。クラムに答えたとおり、少し待ってから…答えを出すわ」
「そうか…よかった」
ハーマイオニーがくれたトーストを食べる。もうすっかり冷めてしまっていたが、腹の足しにはなった。
「そういえば、セレネは誰と行くの?」
「ノット。さっき誘われた」
「えっと……たしか背の高いスリザリン生?」
あまりよく知らないわね、という顔をするハーマイオニー。
「セレネも楽しいクリスマスを送ってね!」
「ハーマイオニーもな」
そういって城へと歩き始める。雪がちらつき始めたので、急いで玄関ホールに駆け込んだ。
「そういえば、セレネ……、いや、なんでもないわ、第二の課題も頑張ってね!」
何かを言いかけたハーマイオニーだったが、口を閉ざして、さっさと『闇の魔術に対する防衛術』の教室の方へ向かう廊下へと、姿を消した。それにしても、クラムはどこでハーマイオニーを見初めたのだろう?
少し気になったが、今はそれを考える時ではない。次の『呪文学』の授業が行われる教室へ走らないといけないからだ。私は2,3度深呼吸をして息を落ち着かせると、思いっきり大理石の床を蹴って、転びそうになりながらも階段を疾走したのだった。
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10月15日:一部改訂