SIDE:ハリー
校庭を淡い銀色の太陽が照らしている。これまでになく穏やかな天気で、ホグズミード村に着くころには、僕もロンもハーマイオニーもマントを脱いで片方の肩に引っ掛けていた。
これから、僕はシリウスに会う。シリウスは、ホグズミード村に隠れ住んでいるみたいだ。…とはいっても、指名手配犯であることには変わりないので、人としてではなく野良犬として。だから、食糧には困っているみたいで、今日会う約束をした時に、ついでに鳥の足を12本、パン1本…それから、かぼちゃジュース1瓶を持ってくるようにって頼んできたんだ。
「シリウスとの待ち合わせは正午だったわね?」
暑さで顔を赤らめながら、時計を確認するハーマイオニー。
「ずいぶん時間があるわ。どこに行く?」
「僕は――」
その先は、別の声でかき消された。今、1番聞きたくなかった最低な奴らの声だ。
「あら、ポッター!『穢れた血』で、有名人に尻尾を振る『尻軽女』の彼女とデート?」
「いや、ウィーズリーも一緒じゃないか。まさかポッターやクラムの次はウィーズリーってことか?『魔法使い1の貧乏』だからか?」
ケタケタと醜く笑いながら傍を通り過ぎるマルフォイとパンジー。ロンが顔を真っ赤にさせて殴りかかろうとしていたが、なんとか思いとどまったみたいだ。ハーマイオニーは、2人を完全に無視している。
最近、『週刊魔女』っていう週刊誌でハーマイオニーを中傷する記事が載ったんだ。書いた記者はリータ・スキータ。前に、ハーマイオニーがスキータを非難したことがあってから、何かハーマイオニーによくないことが起こるんじゃないかって不安だった。事実、その予感は的中してしまったんだ。
≪ハリー・ポッターの密やかな胸の痛み≫という表題が書かれた記事で、簡単にまとめれば――ハリーのガールフレンド――と記事の中で書かれているハーマイオニーは、クラムとも関係を持っており、ハリーとクラムの愛をもて遊んでいる。そしてクラムは、ハーマイオニーに『夏休みにはブルガリアに来てほしい』と招待しているらしい。
そして『こんな気持ちをほかの女の子に感じたことはない』とクラムは、はっきり言ったのだとか…
その記事は瞬く間に学校中に広まったんだ。あの記事が出てから数日間、本当に大変だった。僕は、ハーマイオニーは彼女じゃないって訂正しないといけなかったし、ロンは、理由は察しが付くけど、その話が出るたびに機嫌悪くなるし。でも1番大変だったのは、ハーマイオニーだ。
ハーマイオニーを知らない読者からは『尻軽女』って中傷されて、抗議の手紙が届くようになったんだ。中には『吠えメール』を送ってくる人がいて、そのせいで『週刊魔女』を読んでいない生徒たちにも噂が広まってしまるなんて、本当に最低だ。
ハーマイオニーは言われもない中傷に激怒して、『絶対にリータ・スキーターがどうやって個人情報を取材しているか、調べてやるわ!』といって日夜、図書室にこもることが多くなった。
それにしても、あの最悪な記事の最後の行に
≪だが、恋人との関係に頭を悩ませるハリー・ポッターの心に、新しい少女の影がチラつき始めた。常に冷静で大人っぽい可愛さの少女は、第二の課題に頭を悩ますハリーに、そっと手を差し伸べたり、励ましたりと陰ながらにサポートをしている。ハリー・ポッター応援団としては、ミス・グレンジャーよりも、この少女に心を捧げることを願いたい≫
…って書かれてあったんだ。よく分からないけど、僕の周りにいる女子で、冷静で、かつ大人っぽい可愛さを持つ少女って……セレネのこと?僕はセレネよりも、レイブンクローのチョウ・チャンの方が大人っぽくて可愛いって思うんだけど……じゃなくて、なんでスキーターは、セレネが僕に『第二の課題』のアドバイスをくれたってことを知ってるんだ?
僕は、盗聴器を使ったんじゃないかって思う。でも、スネイプの私室が直結している教室に盗聴器を仕掛けられるわけない。スネイプにすぐ気付かれて、半殺しの目に合うのが目に見えている。スネイプといえば、今日の魔法薬学の時間に尋ねてきたカルカロフが、自分の腕を見せて怖がりながら、何かスネイプに相談していたっけ。
「ハリー、どうしたんだ?」
ちょうどロンが『グラドラグス・魔法ファッション店』に入ろうとしているところだった。ハーマイオニーはもう店に入ったみたい。僕は慌ててロンの方に走った。
正午になって、シリウスと会う場所に3人で歩いていく。
人気のない曲がりくねっている校外へと続く小道を歩いていくと、山と村との境にある柵が見えてきた。柵の1番高いところに、2本の前足を載せ、新聞らしいものを口にくわえて僕たちを待っている大きな毛むくじゃらの黒い犬、見覚えのある懐かしい姿
黒い犬は僕のカバンの匂いを夢中で嗅ぐ。そして尻尾を1度だけ振り、向きを変えてトコトコと歩き始めた。…低木で生い茂られている場所を抜け…岩だらけの道を進め…汗で服がびしょ濡れになりながら、歩いていく。僕だけじゃなくてハーマイオニーやロンも同じみたいだ。…4本足で歩いているシリウスは問題ないみたいだけど。
そんな苦痛の時間を30分、シリウスの体が急に見えなくなった。僕たちが慌てて姿の消えた場所まで行くと、狭い岩の裂け目を見つけた。裂け目に身体を押し込むようにして入ると、意外にも中は薄暗い涼しい洞窟だった。
その奥に丁度、黒い犬が名付け親の姿に戻るのを目撃した。
相変わらず灰色のボロボロなローブを纏っている。少し、痩せていたみたい。僕が鞄を開けると、鳥の足をつかみシリウスに渡した。
「ありがとう」
シリウスが本当に嬉しそうにそう言うと、歯で大きく食いちぎった。
「ネズミばかり食べて生きてきた。ホグズミードからたくさん食べ物を盗むわけにはいかないからね」
シリウスがにっこりと笑ってくれたけど、僕は心から笑い返す気分に中々なれなかった。
「シリウスおじさん、どうしてこんなところにいるの?」
「私のことは心配しなくていい。私は現場にいたいのだ。誰かが新聞を捨てるたびに拾っていたのだが、どうやら、心配しているのは私だけではないようだ」
シリウスは洞窟の床にある、黄色く変色した『日刊預言者新聞』を顎で指した。ロンが何枚か拾い上げて広げる。
「≪バーテミウス・クラウチの不可解な病気≫…≪魔法省の魔女、いまだに行方不明≫」
ロンがそれを読み上げた。確か魔法省の魔女、バーサー・ジョーキンズが、夏からずっと、もう3月だというのに姿が確認されていないらしい。
「まるでクラウチが死にかけているみたいだ」
11月以来、公の場に現れず、家に人影はなく、病院もコメントを拒否していて、魔法省は重症のうわさを否定しているのだという。
「僕の兄さんが、クラウチの秘書なんだ」
ロンがそう口にした。去年、ホグワーツを卒業したロンの兄…パーシーは、クラウチの秘書として働いているのだ。
「ウィンキーをクビにした当然の報いじゃない?クビにしなきゃよかったって、後悔しているのよ。世話してくれるウィンキーがいないと、どんなに困るか分かったんだわ」
冷たく言い放つハーマイオニー。ロンは脱力した感じでハーマイオニーを見たが、シリウスは違ったみたいだ。
「クラウチが屋敷しもべ妖精をクビに!?」
「うん、クィディッチワールドカップの時に」
『闇の印』が上がった日、何が起こったのかは新聞には詳しく載っていなかったらしい。勿論、クラウチのしもべであるウィンキーが、『闇の印』が打ち上げられた場所の真下で、僕の杖を握ったまま発見されたことも……。シリウスは興味深げに話を聞き、洞窟をうろついた。
「話を整理しよう。初めは、しもべ妖精が貴賓席に座ってクラウチの席を確保していた。だがクラウチは来なかった」
鳥の足を1本振りながら、シリウスが問いかけてきた。
「「そうだよ」」
僕もロンもハーマイオニーも同時に答えた。
「あの人、忙しすぎて来れなかったって言ったと思う」
「ハリー、貴賓席を離れたとき、杖があるかどうか確かめたか?」
「うーん……『死喰い人』が暴れ始めるまで杖を使わなかったから、確かめなかった。気が付いたら、ポケットの中になかったんだ」
ずっと大昔のことみたいに思える出来事を、出来るだけ鮮明に思い出そうとした。考えてみたら、あれから1年も経っていないのだ。時が過ぎるのは、早いものだとしみじみ感じる。
「『闇の印』を作り出した誰かがハリーの杖を盗んだ可能性があるってことだ」
「ウィンキーは杖を盗んだりしないわ!!」
ハーマイオニーが鋭い声を出す。そんなハーマイオニーを横目で見たシリウスは、眉根に皺を寄せて、歩き回っていた。
「貴賓席にいたのは、妖精(ウィンキー)だけじゃない。君の後ろにはだれがいたのかね?」
「いっぱいいた。ブルガリアの大臣たちとか、コーネリウス・ファッジとか、マルフォイ一家とか」
「そうだ、マルフォイだ!」
ロンが突然叫んだ。確信を持った表情のロンは、半ば興奮気味に言葉をつづける。
「絶対、ルシウス・マルフォイだ!」
「他には?」
「いたわ、ル―ド・バグマンが」
ハーマイオニーが言う。そういえばいた。でも、あの人は、試合中継をしていたから、そんな暇なかったと思う。それに、僕のことを気に入ってくれていて、いつも助けたいって言ってくれるし。
「バグマンについてはよく知らないな。クィディッチチームの名ビーターだったこと以外は」
シリウスも彼のことを、よく知らないみたいだ。
「話を進めるぞ。闇の印が現れたとき、君達は茂みの傍で声を聞いた。その後に妖精がハリーの杖を持ったまま発見された。その時、クラウチは何をしていた?」
何でそんなにクラウチのことを、気にするのだろう?
「茂みの様子を見に行った。でも、そこには何もなかった」
僕が答えると、シリウスは頷きながら、洞窟の中を行ったり来たりし始めた。
「クラウチは、自分のしもべ妖精以外の犯人を見つけたかったことだろうな。それで、しもべ妖精をクビにしたのか?」
「そうよ」
ハーマイオニーの声が熱くなった。
「クビにしたの!テントに残って、踏みつぶされるままになっていなかったのがいけなかったっていうわけ―――」
「妖精のことはちょっとほっといてくれ!」
うんざりしたように頼み込むロン。だが、シリウスは違ったみたいだ。頭を振ってこう言った。
「クラウチのことはハーマイオニーの方がよく見ているぞ、ロン。その人間を知るには、その人が自分と同等の者より、目下の者をどう扱うかで分かるものだ」
シリウスの答えを聞いたハーマイオニーが得意げに胸を張る。ロンが少し頬を膨らませた。それにしても…、とシリウスは顔を歪めながら独り言のように呟いていた。
「バーティ・クラウチは仕事だろうと何だろうと、一度決めたことは曲げない奴だ。しもべ妖精に席取りまで遣らせておきながら、観戦に来ない。三校対抗試合に尽力しながらも自分の成果を確かめに来ていない。クラウチらしくないな。」
「クラウチのことを知ってるの?」
思わずそう尋ねると、シリウスの顔が曇った。なんだか、最初に会った時みたいに恐ろしげな顔になる。
「ああ、知っている。私を裁判なしでアズカバンに送れと命令した奴だ。」
「「「ええ!?」」」
「いや、嘘じゃない。あいつは当時『魔法法執行部』の部長だった。知らなかったのか?」
魔法法執行部、というのは魔法界でいう警察なのだろう。僕達は揃って首を横に振る。シリウスは残っていたパンを乱暴にかじりながら、説明を続けた。
「素晴らしい魔法使いで、次期魔法省大臣を期待されていた。強力な魔法力――それに、誰よりも権力を持ちたいという欲が強かった。もちろん、ヴォルデモートの支持者であったことは無い。常にクラウチは、闇の陣営にはハッキリ対抗していた。ヴォルデモートに与する者は、捕まえるのではなく、暴力には暴力で立ち向かい、疑わしい者には『許されざる呪文』の使用も許可した。
あいつを支持する者はたくさんいた。だから、ヴォルデモートがいなくなったとき、クラウチが最高の職に就くのは時間も問題だと思われた。…息子が『死喰い人』の一味と捕まらなければな」
シリウスがニヤリと、笑みを浮かべる。
「クラウチの息子が捕まった?」
ハーマイオニーが息をのんだ。シリウスは軽く頷いて、残りのパンを口に放り込む。
「最後まで、息子が本当に死喰人かは分からないままだったがな。裁判の場で、息子を庇うどころか『お前は俺の息子などではない』とまで言い切ったそうだ。その後、クラウチは実の息子を躊躇いもなくアズカバンへ送った。
息子はまもなく亡くなって、憔悴していた彼の妻も亡くなった。この事件であいつは名誉も信頼も何もかもを失い、大臣への道を断たれたというわけだ」
沈黙が洞窟を支配する。誰も口を開かない。ハーマイオニーもロンも下を向いていた。最初に重い沈黙を破ったのは、シリウスだった。思い出したかのように、僕たちに問いかける。
「ところで、あいつはどうした?」
「あいつって?」
「セレネ・ゴーント」
「セレネが『あの人』の手先になるわけないわ!!」
ハーマイオニーが、『しもべ妖精擁護論』を展開する時みたいに、顔を真っ赤にさせて即答した。相当怒っているみたいで、握った拳が震えている。
「どうかな?あいつはスリザリン生だぞ?」
ロンが呆れた感じで言い返す。そんなロンをハーマイオニーは鋭く睨み返した。
「スリザリン生だからって皆が悪いとは限らないわ。セレネは第二の課題のヒントをハリーにくれたし、スネイプだってスリザリン出身だけどダンブルドアの味方でしょ?」
「ダンブルドアはさ、そりゃ素晴らしいよ。でも、本当に狡賢い闇の魔法使いだったら、ダンブルドアを騙せるかもしれないだろ?」
「なら、なんで1年生の時にスネイプはハリーを助けたの?なんでセレネは、1年生の時にトロールから守ってくれたの?」
「ダンブルドアの信用を失いたくなかったからじゃない?」
睨み合っているハーマイオニーとロン。このままではまずいと思った僕は、慌ててシリウスに話題を振った。
「シリウスはどう思う?」
「2人ともそれぞれイイ点をついている」
シリウスは、少しニヤリと口元を歪ませた。
「スネイプがここで教えているということを知って以来、どうしてスネイプを雇ったのか不思議に思っていた。闇の魔術にどっぷり魅せられていて、気味の悪い奴だったよ。
セレネの血筋を知った時も、なんでダンブルドアが入学を許可させたか不思議に思った。ハリーが同学年にいるにもかかわらず、ヴォルデモートの姪を入学させるなんて正気の沙汰じゃない」
考え込んでいるシリウス。
「だが、なんでハリーにヒントを教えた?」
「セレネは優勝したくないからに決まってるわよ」
キッパリと言い放つハーマイオニー。
「セレネは、有名になりたがらないもの。自分が優勝する確率を、出来る限り減らしたいんだと思うわ。
それに、セレネは水中人に襲われたのよ?水中人は課題における見張り役のような存在で、代表選手を襲わないって取り決めてあったみたいなのに。危うく、死ぬところだったのよ?」
「水中人に襲われた!?」
シリウスが当惑した表情になった。何かに気を取られたように、汚れた髪を指でかきむしり始め、肩をすくめた。
「どういうことだ。水中人は滅多なことで人を襲ったりしないはずだ。あいつが、連中を怒らせるとは思えないし。自分が殺されないという絶対的な自信があったのか?」
洞窟の壁を睨みつけて考え込むシリウス。その時のシリウスの顔は、いつになく当惑していた。しばらくして大きなため息をつくと、落ち窪んだ眼をこすった。
「何時だ?」
僕は腕時計を見たが、湖で1時間も過ごしたからだと思う。ずっと時計の針は止まったままだった。
「3時半よ」
代わりに答えるハーマイオニー。
「もう学校に戻った方がいい。いいか。よく聞きなさい。対抗試合が終わるまで1人で行動しないことだ。君に万が一、何かがあったらジェームズ…君のお父さんに顔向けができない。試合さえ終われば、わたしはまた枕を高くして眠れる。
引き続きカルカロフとセレネには気を付けて、出来るだけ接触をしないこと。それから、君たちの間で私の話をするときは『スナッフルズ』と呼びなさい。いいかい?『シリウス』と呼ぶのは危険だからね」
すっかり空になった瓶を僕に返すシリウス。先程まで浮かんでいた戸惑いの色はすっかり消えて、眼には真剣な色が浮かんでいた。僕たちは頷いた。
「村境まで送っていこう…新聞が拾えるかもしれない」
黒い犬に変身するシリウス。僕たちは再び、岩だらけの山道を下り、柵の所まで戻った。そこで、僕たちは、かわるがわるシリウスの頭を撫でた。シリウスは少し尻尾を振ると、村のどこかへ新聞を求めて走り去っていった。
僕たちは城に戻るため、来た道を戻っていく。その途中にあったパン屋から、パンが焼けるいい匂いが漂ってきた。それを思いっきり吸い込むロン。
「かわいそうなスナッフルズ」
シリウスが走り去っていった方向を振り返って、ロンがつぶやいた。
「本当に君のことを可愛がっているんだね………ネズミを食って生き延びてまで」