9月の弱い陽光の中、私は人ごみに逆らうようにしながらカートを押す。
カートの上にはトランクだけではなく、蛇が入っているケージや、フクロウが眠る入ったケージを乗せているので、行き交う人は私の方をチラリと横目で見る。だが、彼らは彼らの用事があるのだろう。何事もなかったかのように私の横を通り過ぎて行った。
朝早くから電車を乗り継いでここまで辿り着いたので、私は少し疲れていた。例年なら、クイールに車で送ってもらっていた。でも、今年から違う。車は便利だなと今更ながらに再認識した。
何気なく壁に寄りかかるようにして、9と4分の3番線を通り抜ける。深紅のホグワーツ特急はすでに到着していて、煤けた蒸気をプラットホームに吐き出していた。
「あれ、セレネ?」
後ろの方から声をかけられる。声を聴いた瞬間、心が一気に重くなったが…それを悟られたくはないので無表情という仮面をかぶってから振り返る。思った通り、後ろにいたのは同じくカートを押すハリー。その隣にいるのはハーマイオニーとロンだ。その足元に纏わりつくように黒い大きな犬が歩いている。……見覚えがある。確か犬の正体はシリウス・ブラック。てっきり南の国にでも逃亡したかと思ったが、まさかイギリスにいたとは。
「久しぶり、セレネ!」
ハーマイオニーも駆け寄ってきた。ロンは警戒心を隠せないみたいだ。いつものように私を怪しむような眼で見てくる。
「久しぶり…3人で夏を過ごしていたのか?」
「「俺たちもいるって」」
私達を追い越していく赤毛の双子、フレッドとジョージ。末っ子のジニーは父親と思われる背の高い男性と一緒に歩いている。…どうやら、ウィーズリー一家と一緒にハリーとハーマイオニーは過ごしていたみたいだ。
「ねぇ、セレネ!セレネも貰った!?」
少し興奮気味で頬を紅潮させたハーマイオニーは、グリフィンドールのライオンのシンボルの上に、大きく『P』の文字が書かれているバッジを私に見せてきた。
「『監督生バッジ』のことか?やっぱりハーマイオニーも貰ったんだ」
ポケットからスリザリンの蛇のシンボルの上に、同じく『P』と書かれたバッジを取り出した。
「スリザリンの男の監督生は誰なの?グリフィンドールのもう1人は、ロンなんだけど…」
「……そうなのか?」
…予期していない出来事だったので、眼を大きく開けて、穴が開くほどロンを見てしまった。ロンの不愉快そうに歪めていた顔が、一気に鮮やかな赤色に染まる。恐らく照れているのだろう。
だが…意外だ。
監督生とは、5年生になると閣僚から男女1人ずつ選ばれる、いわば寮長のようなものだ。監督生に選ばれた生徒は、特別な事情がない限り、卒業まで継続して監督生を務めることになる。仕事は寮生の模範となり、下級生や他の寮生を指導すること。必要なら、監督生以外の生徒に罰則を与えることも出来る。もっとも、そういう場面を目撃したことはあまりないが…。ホグワーツ特急の通路を巡回したり、入学したばかりの1年生を寮へ導いたりするのも監督生の役目だ。
任命権はダンブルドアにあるらしい。
…私の予想では、スリザリンのもう1人はドラコかノット。ハッフルパフとレイブンクローからは誰がなるのか分からないが、グリフィンドールからはハーマイオニーとハリーが監督生に選ばれると思っていた。
まさか、ロン・ウィーズリーが監督生になるとは……
1つ考えられるとしたら、ロンをハリーの味方に引き留めておくための手段…だろうか?ロンといえば、ハリーの親友ということと、スリザリン生に偏見を持っていることしか思い浮かばない。つまり、他にこれといった取り柄がない少年だ。
そんな少年が、有名なハリー・ポッターと、学年でもトップクラスの秀才…ハーマイオニーと一緒にいるのだ。自分を卑下するのは当然だと思うし、彼らに嫉妬心を抱くのは当然だと思う。自分に自信を持つことが出来ないに違いない。そんなロンの心をヴォルデモートが利用し、ハリーの個人情報を手に入れることがあるかもしれない。少しロンに自信をつけさせるために、ダンブルドアはロンを監督生にさせたのではないだろう。
考えすぎかもしれないが…ダンブルドアに対しては考え過ぎの方がいいような気がする。あの老人は、何重にも策を張り巡らせているのだから。
「セレネ……どうしたの?」
心配そうに私を見てくるハーマイオニー。少し自分の世界に入ってしまっていたみたいだ。私は苦笑する。
「悪い、少し考え込んでた。スリザリンのもう1人は分からない。ドラコかノットだと思う。…2人ともおめでとう」
「ありがとう!セレネもおめでとう。そういえば、セレネは1人で来たの?」
私が1人だということに気が付いたのだろう。辺りを見渡すハーマイオニー。きっと、クイールが死んだということを知らないに違いない。私は、ゆっくりと頭を縦に振った。
「…あぁ」
私の小さすぎる返答に、ハーマイオニーは何か察したのだろう。不安げに眉をひそめるハーマイオニーは、それ以上何も詮索してこなかった。……だが、代わりに眉間に皺を寄せたロンが話しかけてきた。
「あれ?家族とか送ってきてくれた人はいないの?」
「……1人で来たって言っただろ」
私は彼から視線を逸らし、斜め下を向いた。ここで何か察してくれるとよかったのだが、ロンは何も気が付かなかったみたいだ。黒い犬に変身したままのシリウスも何か気が付いたみたいなのに。
「ふ~ん、そんなに忙しい両親なんだ」
「ロン!」
ハーマイオニーが厳しい声を上げ、ジロッとロン・ウィーズリーを睨めつける。チクリ、と胸を刺すような痛みを感じたが、私は何事もなかったかのように無表情を装った。
「なんだよ、ハーマイオニー。僕はただ『忙しい両親なんだな』って言っただけだろ?」
「セレネのお母様は、すでに亡くなっているのよ」
ハーマイオニーが口にすると、さすがにロンはばつの悪そうな表情を浮かべた。
「…ごめん。君に母親がいないって知らなかったんだ」
「……別にいい」
今の私に『父親』もいないということを、ハーマイオニーも知らなかったらしい。少し忘れていた寂しい気持ちが、再び胸に押し寄せてきた。そんな弱い自分を悟られないように、私は無表情の仮面をかぶる。だが、その無表情がロンに誤解を与えてしまったらしい。
「なんだよ、せっかく謝ったのにソレだけかよ。……変な奴」
「変な奴って言わないでください!何も知らないくせに!!」
ロンに殴り掛かる勢いで走ってくる小さな影。小さな影…アステリアは顔を真っ赤にさせてロンを睨んだ。ロンが、その剣幕に少したじろいた。
「先輩のお父様は…先輩のお父様は……殺されたんです!カルカロフに!!」
「えっ…!?」
ロンだけではなく、ハリーとハーマイオニーとジニー……それからロンの両親やシリウス、そして近くにいた3人の魔法使いもアステリアを凝視した。そういえば今気が付いたのだが、ハリーを護衛するみたいに囲んでいる3人だが……1人は分からないが、残りの2人はルーピン先生とムーディ先生だ。たしか先学期、ムーディとして振る舞っていた死喰い人は、アズカバンに護送されたと聞いているので、目の前にいるのは本物のムーディなのだろう。ダンブルドアの腹心の部下ともいえるであろうムーディ先生が、驚いたように眉を上げている。
ダンブルドアは、他の誰にもカルカロフが犯した事件を言っていないのだろうか?
いや、そもそも…なんで後難のためにダンブルドアはアステリアの記憶を消さなかったんだ?
「昨日思い出したんです!先輩に会える嬉しさで小躍りしてたら、頭ぶつけちゃって…」
……予想外の出来事(アクシデント)が原因か。だが、そんな簡単な理由で記憶を思い出せるのだろうか?ダンブルドアがそんな乱雑に忘却術をかけたということしか考えられない。だが、どうして乱雑にかけた?面倒だったから?それとも…
その時、空気を裂くように鳴り響く汽笛。我に返って時計を見ると、あと1分で発車する時間だった。
「早く、早く!」
慌ててロンの母親らしき魔女が、私たちをせかした。慌ててハリー達を抱きしめる魔女。私はアステリアと一緒に立ち去ろうとしたが、立ち去る前に抱きしめられた。
「ごめんなさいね、息子が…」
耳元でささやく魔女。そういえば、この魔女……第三の課題が行われた日に、クイールと話していた魔女だ。あの時よりも少しだけ、やつれているように思えた。
「先輩!早く、早く!!」
すでに汽車に乗り込んだアステリアが、私を呼ぶ声が聞こえる。すでに私の分の荷物まで汽車に運んでくれていた。私は魔女から離れると、汽車に飛び乗った。飛び乗った時、視界の端で大きな黒い犬が後脚で立ち上がり、名残惜しそうに前脚をハリーの両肩にかけているところが映った。
「間に合ってよかったです……あっ、先輩!よかったら私と姉さんのコンパートメントに来ませんか?もう席は取ってあるんです!」
ふぅと息をつくアステリア。席を取っていないし、アステリアと彼女の姉、ダフネとは友達だし、本当は行きたい。でも、監督生は最前列の車両に集まらないといけない。私は、アステリアに少しだけ笑みを向けた。
「ありがとう。少し経ってから行く」
「あっ…もしかして、監督生になったのですか!?おめでとうございます!!」
90度に頭を下げるアステリア。なんだか周りの人たちが見てくるので恥ずかしい。思わず眉をしかめてしまった。
「祝ってくれるのはうれしいが、少し大げさだ。じゃあ、また後で」
「は、はい!」
窓の外の家々の屋根が、飛ぶように過ぎていくのを片目で見ながら、最前列を目指す。『これから、忙しくなりそうだ』と思いながら。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
11月10日:一部改訂