SIDE:ハリー
学校が始まって初めての火曜日。僕とロンとハーマイオニーは、防寒用の重装備をし、かなり不安な気持ちで『魔法生物飼育学』の授業へと向かった。
今学期が始まっても姿を現さなかったハグリットが帰ってきてくれたことは嬉しい。でも、ハグリットの考える『面白い授業』って……誰かの頭が食いちぎられる危険性がある授業ばかりだし……それに今年はアンブリッジもいる。奴は今、高等尋問官として副校長のマクゴナガルより権力を持っている。魔法省の犬だから、半巨人のハグリットに好印象なんて持っているはずないし。
ハッキリ言って嫌な予感しかしない。
雪と格闘しながら、森の端で待っているハグリットに近づいてみると、アンブリッジの姿はどこにも見当たらなかった。少しホッとしたけど、ハグリットの様子は不安を和らげてくれるどころではなかった。ハグリットの顔半分は、緑や黄色が混じった傷で覆われていたし、切り傷の何か所かから血がにじみ出ていた。しかも、何故か死んだ牛の半身らしいものを肩に担いでいる。本当に、嫌な予感しかしない。
「今日はあそこで授業だ!」
近付いてくる生徒たちに、ハグリッドは背後の暗い木立を振り返りながら嬉々として呼び掛けた。
「少しは寒さしのぎになるぞ!どっちみち、あいつらは暗いとこが好きなんだ」
「…何が暗いところが好きだって?」
ハグリットが言った言葉を聞いたマルフォイが、クラッブとゴイルと話している。どことなく恐怖を覗かせた声だった。……いい気味だ。いつもマルフォイは偉そうにしているけど、本当は物凄く臆病だってことを僕は知っている。権力に尻尾を振っているだけの臆病者だ。1年生の時に罰則で一緒に『禁じられた森』に入ったけど、全然勇敢じゃなかったし。
思わずニンマリと笑みを浮かべてしまった。
ものの10分も歩くと、木が密生して夕暮れどきのような暗い場所に出た。地面に雪は積もっていない。枯れた木や土が暗い色を発している。気味が悪い場所だ。ハグリットは後ろを向き、もじゃもじゃの頭を振って、髪の毛を顔から払いのけ、甲高い奇妙な叫び声をあげた。その叫びは、怪鳥が呼び交わす声のように、暗い木々の間に木霊した。誰も笑わなかった……というか、誰も怖くて声が出せなかったんだと思う。
まぁ、僕は怖くないけど。
ハグリットがもう一度呼んだ。誰もが暗い木立の間を透かし見たりして、近づいてくるはずの何かの姿をとらえようとした。…何も起こらない。何でハグリットはもう一度呼ばないのだろう?
「ハグリットは、どうしてもう一度呼ばないのかな?」
ロンにも見えないらしい。当惑した表情を浮かべて辺りを見渡している。誰しもが怖いもの見たさの当惑した表情で目を凝らしている。……いや、誰もがっているわけじゃない。
ネビルは、ある一点を凝視しているし、ゴイルのすぐ後ろにいる背の高いスリザリン生が、苦々しげに何かを見ている。その男子生徒の隣でセレネも真顔で何かを見ていた。
…そういえば、セレネを見かけたのは久しぶりかもしれない。
セレネはDA…第2回の『闇の魔術に対する防衛術の自習』以来、あまり姿を見かけていなかった。
第2回の闇の魔術に対する防衛術の自習会は、無事に行われた。あれ以降、週に1回のペースでやっているけど、セレネが来ることはない。あの日、屋敷しもべ妖精のドビーが教えてくれた『必要の部屋』という不思議な部屋で第2回の会合をしている時だ。その会合で行ったことは会合の名前を決めること。
ほぼ全会一致で『DA(ダンブルドア軍団)』に決まった。……そう、ほぼ一致……セレネ以外のみんなはそれに賛成したんだ。
あの時のセレネの顔は、今までに見たことがないような顔をしていた。苦虫を潰したような……何かに耐えるような顔だった。机の上に置いてあった『名簿』を手に取り、それを変な顔をして睨みつけていた。そして、それを机に叩き付けると、僕たちに向けて淡々と話したんだ。
『悪い、もう会合に参加できない。誰にも言わないから安心しろ』
そう言うと、振り返らずに外へ出て行ったんだ。すぐにハーマイオニーが後を追いかけて、半分泣きながら戻ってきた。どうやら、彼女を見失ってしまったらしい。…あれ以後、ハーマイオニーが機会を見つけてセレネに戻るよう誘いかけているみたいだけど、セレネは首を縦に振らないみたいだ。
…いったいどうしたんだろう…
「ほれ、もう一頭来たぞ!」
自慢げに言うハグリット。僕はハグリットの方に視線を戻した。でも、何も起こらない。なんとなく、何かいるってことは分かるんだけど。
「さーて、手を挙げてみろや。こいつらが見える者は?」
やっぱり、見えている人と見えていない人がいるんだ。
手を挙げたのはネビルとセレネと、背が高いスリザリンの男子生徒だけ。残りの人達は困惑した表情を浮かべていた。
「何がいるの、ハグリット?」
ハーマイオニーが難しい顔をして質問する。
ハグリットは黙って担いできていた死んだ牛の半身を指さした。僕は目を丸くしてしまった。だって肉が独りでに骨から剥がれて空中に消えていっていたのだから。僕の少し後ろにいたスリザリンの女子が小さな悲鳴を上げているのが耳に入った。
「何がいるの?何が食べているの?」
パーバディが後ずさりして近くの木の陰に隠れ、震える声でハグリットに聞いた。
「セストラルだ」
ハグリットが誇らしげに言う。すると僕の隣でハーマイオニーが納得したように「あっ!」と小さな声を上げた。『セストラル』…どこかで、ずっと昔にどこかで聞いたような気がする。どこだったか、思い出せないけど…
「だけど、それってとっても縁起が悪いのよ?」
パーバティがとんでもないという顔で口を挟む。
「見た人に、ありとあらゆる恐ろしい災難が降りかかるって言われてるわ。トレローニ先生が1度教えてくださった話では……」
「いや、いや、いや」
彼女の言葉に、ハグリッドはクックッと笑った。
「そりゃ、単なる迷信だ。こいつらは縁起が悪いんじゃねぇ。どえらく賢いし、役に立つ!重要なんは、学校の馬車牽きだけだ。あとはダンブルドアが遠出するのに『姿現し』をなさらねぇときだけだな―――ほれ、また2頭来た。
大丈夫だ。おまえさん達に怪我させるようなことはしねぇ。……そんじゃ、知っとる者はいるか?どうして見える者と見えねぇ者がおるのか」
誰よりも早く、ハーマイオニーが手を挙げた。ハグリットは、にっこり笑いながら、ハーマイオニーを指名する。
「セストラルを見ることができるのは、死を見たことがあるものだけです」
「その通りだ。グリフィンドールに10点。さーて、セストラルは――」
「ェヘン、ェヘン」
アンブリッジのお出ましだった。ほんの数十センチの所に、また趣味の悪いピンク一色の服装で、クリップボードを構えて立っている。彼女の空咳を初めて聞いたハグリッドは、変な方向を向いた。…たぶん、そこにセストラルがいて、そのセストラルが咳をしているんじゃないかと思ったんだと思う。
「ェヘン、ェヘン」
「おう、やぁ!」
アンブリッジがもう1度空咳をすると、音の出所がわかったハグリッドがニッコリと笑みを浮かべた。
「今朝、あなたの小屋に送ったメモは、受け取りましたか?」
アンブリッジはハグリットに大きな声でゆっくり話しかけた。まるで、外国人に、しかもトロイ人間に話しかけているみたいだ。
「あなたの授業を査察しますと書きましたが?」
「あぁ、うん。この場所がわかってよかった。見ての通り――はて、どうかな――見えるか?今日はセストラルをやっちょる」
ハグリッドは明るく言った。
「え?何?」
アンブリッジは耳に手を当て、顔をしかめて大声で聞き直した。……絶対に聞こえていたはずなのに。本当に嫌な女だ。アンブリッジをよく知らないハグリッドは、ちょっと戸惑った顔をした。
「あー―――セストラル。大きな――あー―――翼のある馬だ。ほれ!」
ハグリッドは、分かりやすく示そうと巨大な両腕をパタパタ上下させた。それを見たアンブリッジは、眉を吊り上げ、ブツブツ言いながらクリップボードに書きつける。
「原始的な……身振りによる……言葉に……頼らなければならない」
「さて、とにかくだ。…む?何を言いかけたんだっけな?」
ハグリッドは生徒の方に向き直る。少しまごついている。そんなハグリットを見たアンブリッジの手は、更に早くクリップボードの上を動いた。
「記憶力が……弱く……直前のことも……覚えて……ないらしい」
ブツブツと、不愉快な単語が並んでいるアンブリッジの言葉は、誰にでも聞こえるくらい大きい。マルフォイが笑いをこらえているのが見えた。顔を真っ赤にさせて俯いている様は、一見すると悔しがっている様子にも見えたけど、あのマルフォイが…ハグリットのことが嫌いなマルフォイが悔しがる理由がない。反対にハーマイオニーは、怒りを抑えるのに真っ赤になっていた。
持ち直して何か話しはじめようとしたハグリッド。だが、彼が口を開く前にアンブリッジが口を挟んだ。
「御存じかしら?魔法省はセストラルを『危険生物』に分類しているのですが?」
あ……まずい。僕は心臓が石のように重くなった。でも、ハグリットは少し笑っただけだった。
「セストラルが危険なものか!そりゃ、さんざん嫌がらせをすりゃあ、噛みつくかもしらんが――」
「暴力の……行使を……楽しむ……傾向がある」
アンブリッジが、またもブツブツと言いながらクリップボードに走り書きをした。ハグリットは少し心配そうな顔になった。
「そりゃ違うぞ!けしかけりゃ犬だって噛みつくだろうが。だけど、セストラルは、死とか何とかで、悪い評判が立っとるだけだ。こいつらが不吉だと思いこんどるだけだろうが?」
アンブリッジは何も答えずに、最後のメモを書き終えるとハグリットを見上げた。そして…またしても、大きな声でゆっくりと話しかけた。
「授業を普段通り続けて下さい。私は歩いて見回ります。生徒さんの間をね。そして…みんなに質問します」
生徒たち1人ひとりを指差したり、自分の口を示しパクパクさせてみたりする。ハグリットは、なぜそんな言い方をするのか、分からないという顔をしていた。ハーマイオニーは、いまや悔し涙を浮かべている。
「むむむ…とにかくだ。そんで―セストラルだ。うん。まぁ、こいつらには、色々とええところがある……」
「どうかしら?」
流れを取り戻そうと奮闘しているハグリット。でも、その邪魔をするようにアンブリッジが声を響かせて、パンジー・パーキンソンに質問していた。
「あなた、ハグリット先生(・・)が話していることを、理解できるかしら?」
「……あの……話し方が…いつも唸っているみたいで……」
クスクス笑いを堪えながら答えるので、パンジーが何を言っているのか分からない。アンブリッジが何かクリップボードに走り書きをした。どうせ、ろくでもないことを書き込んだのだろう。ハグリットの顔の、怪我をしていない部分が赤くなった。それでも、ハグリットはパンジーの答えを聞かなかったように振る舞おうとした。
「あー……うん。セストラルのええとこだが。
ココの群れみたいに飼い慣らされると、もう絶対に道に迷うことはねぇぞ。方向感覚抜群だ。どこへ行きてぇって、こいつらに言うだけでええ―――」
「セストラルが見えるのね、ゴーント」
ハグリットの説明を遮るように、質問するアンブリッジ。セレネは、眉間に皺を寄せたまま、同じくセストラルが見えていたスリザリン生と一緒に木に寄りかかっていた。
セレネは「はい」という一言だけ…淡々と、つぶやくようにアンブリッジに告げた。
「誰が死ぬところを見たの?」
無神経な調子で尋ねるアンブリッジ。一瞬…ほんの一瞬だけ…セレネの瞳が赤くなっていた気がするけど……光の当たり具合だったのかもしれない。次の瞬間にはいつもの黒い瞳に戻っていた。セレネは、にっこりと笑顔を浮かべ、アンブリッジの方を見ていた。
「それは、授業査察に関係があることですか?」
アンブリッジの動きが止まって表情が固まった。その隙を逃さないみたいな感じで口を開くセレネ。
「私は授業料を払って受講しているんです。たとえ、どんな授業であったとしても集中して取り組みたいので。あまり、先生(・・)を戸惑わせるような発言は控えて欲しいです。先生(・・)も本調子を出せないでしょうし」
セレネは木から離れ、アンブリッジの方へ歩き始めた。セレネがアンブリッジの傍を通り過ぎる時……本当に小さい声で、アンブリッジが何か言っていたのが耳に入った。
「…貴方は私の味方でしょ?」
「私は『中立』だと言ったはずです。手を貸す時は貸しますよ。
ただ、私は義父が残した金で学校に通っています。だから、この時間を無駄な時間にしたくはありません。少しでも得られる知識は吸収しておきたいんです。たとえ半巨人の授業であっても、何か得られるものがあるはずです。だから……これ以上、授業に対する『妨害』をしないでください」
セレネはアンブリッジの傍を通り過ぎた途端、無表情になってスリザリン女子が集まっている場所で止まった。アンブリッジは少しイラついているみたいだが、再び気持ち悪いガマガエルみたいな笑顔を浮かべた。
しばらく、ハグリットが時折どもりながらもセストラルの授業は続けられ、遠くから響いてきたチャイムと同時に終了した。アンブリッジは、またも大声や身振り手振りでハグリットに査察の結果がいつ渡されるかを説明し、意気揚々と引き揚げて行った。
ハグリットは、しばらくアンブリッジの後姿を見ていたが、気を取り直したように、何も見えない空間に、残っている牛の生肉を持ち上げた。すると、何の前触れもなく消滅していく肉……あそこにセストラルがいるのだろう。
見える人と見えない人がいるなんて……セストラルは面白い馬だ。僕も見れたらよかったのに。ロンやハーマイオニーの意見も聞きたくて、2人がいる方を振り返ったけど、ハーマイオニーの姿は何処にも見当たらなかった。
「ハーマイオニーなら、あいつのところに行ったよ」
呆れ口調のロンが指さした方を見ると、ハーマイオニーがセレネに何か言っているのが見えた。ハーマイオニーが熱心に話しかけているのに対し、セレネは無表情で答えている。
「懲りないよな、本当に。先に帰ろうぜ」
ロンが歩き始めたので、僕も後を追った。
積もりに積もった雪が邪魔で歩きにくい。足を持ち上げないと歩けないから疲れる。…行きはハーマイオニーが『熱風呪文』で新雪を溶かして歩きやすい道を確保してくれていたけど。
やっぱりハーマイオニーを待っていた方がよかった、と思う。ロンも同感らしく、ちらちら後ろを振り返ってハーマイオニーがいつ来るか、いつ来るか確かめながら歩いていた。だけど、いつまでたってもハーマイオニーの姿は見えない。
結局、ハーマイオニーが来る前に、次の授業が行われる温室まで辿り着いてしまった。なんだか騒がしい。一緒に授業を受けるハッフルパフ生達が興奮して何か話し合っている。いつもはムカつくほど高慢な表情を崩さないザカリアス・スミスでさえ、興奮してアーニーと話していた。
……なんだか耳障りだ。イライラする。僕は疲れているから、静かにしてほしいのに。本当に最近、ストレスがたまる。
みんな僕のことを目の上のたんこぶみたいに扱うし、変な夢見るし……まぁ、その夢のお蔭でロンのお父さんが助かったからいいけど……でも、その夢を見ないようにする訓練を、来週からスネイプとはじめないといけないし。
唯一の心の安らぎと言ったら、クリスマス休暇に入る前の最後のDAで、レイブンクローの美女……チョウとしたキス。あの時のことを思い出す一時だけが、心休まる時だった。
「何かあったの?」
ロンが、近くにいたジャスティンに尋ねた。ジャスティンも、他のハッフルパフ生同様、非常に興奮した顔をしている。
「僕もたった今聞いた話なんだけど、セドリックが来週から戻ってくるんだって!」
「本当に!?」
僕は聞き返してしまった。セドリックが、ずっと気を失っていた、目を覚ますことはないと思われていたセドリックが、戻ってくるんだって!?
僕は『狂人』だと周りから誤解されているけど、セドリックは違う。きっと……セドリックなら、僕の言っている事が正しいって言ってくれるに違いない!そして、みんなの目が覚めるんだ!僕が言っていたことが正しいって!ヴォルデモートは本当に復活したんだって!
急に世界が明るく見え始めた。耳障りだった話し声も、温室の隅に咲き誇っているヒースも、何もかもが、素晴らしいもののように見えてきた。
もう、僕を悪く言う人はいなくなるんだ。そう思うだけで、先程感じていたイライラが吹っ飛んでいった気がした。チョウとしたキスのことを思い出すよりも、ずっと心が安らいだ気がしたんだ。