今回は、ダフネ・グリーングラス視点です。
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……何も悩みなんて抱えていなさそうな周囲の声が、全て忌まわしく思える……
楽しそうに言葉を弾ませる声……勉学に対して愚痴をこぼす声……今日の予定について確認し合う声。全てが私の心を逆なでする。あまり…この場所にいたくない。私は、いつの間にかオニオンスープを口に運ぼうとした手を降ろしてしまっていた。そして、そっとテーブルの上にスプーンを置く。
「ちょっと、ダフネ。アンタさ、全然食べてないじゃない!」
隣に腰を掛けていたミリセントが、眉をしかめて私の顔を覗き込んできた。周囲の子達もミリセントにつられて、食べる手を止め、うかがうように私の方を見る。
「…本当にどうしたのよ?半分どころか一口しか食べてないわ。これじゃあ、午前中もたないわよ?」
ドラコと頬を赤らめて話していたパンジーの顔が、蒼く染まる。丁度良い具合に焦げ目がついたフランスパンを手に取り、私に押し付けてくるパンジー。
「ごめん…私、お腹すいてないの」
「すいてないわけないでしょ!まったく……食べないと駄目じゃない!」
掌の上に乗せられたフランスパンは、ほんのりと温かい。私はフランスパンを、そっとナプキンで包んだ。出来る限り精一杯の笑みを浮かべる。
「分かった、後で食べるから心配しないで」
「そういって食べないのを知ってるわよ。この間だって、食べなかったパンを校庭に撒いてたじゃない!」
パンジーが眉を吊り上げた。誰もいないと思ったのに、見られていたなんて。
「分かったよ、ちゃんと食べるよ……でも、今はちょっと……ごめん、また後で」
私は席を立つと、大広間の出口に向かって走りだした。パンジーやミリセントが私を呼び止めるような声が聞こえたけど……無視して走り続ける。
何処へ行こうとは考えていなかった。とにかく、大広間から離れたかった。とにかく、人の少ない所に逃避したかった。1人になりたい………だから、ひたすら足を動かし続ける。
大広間から遠く離れた北塔にたどり着いたとき、ようやく足を止めることが出来た。ひんやりと氷のように冷たい壁に右手をつけて、荒い息を落ち着かせる。音までもが停止したように思えるくらい静かな北塔に、私の呼吸音だけが不自然なくらい響いていた。
ぼんやりと、目の前に飾ってあったたステンドガラスを眺める。赤や青のガラスが、何かに懺悔するように膝を折り曲げる修道女を模っていた。そのガラスに陽光が優しく降り注ぎ反射している光景は、言葉に言い表すことが出来ないくらい幻想的で………夏前の私だったら、きっと見惚れてしまっていただろう。
でも、今の私では何も感じることが出来なかった。
………何をしても、食欲がわかない。………何をしても、心の底から笑えない。………何をしても、セレネの笑う顔が頭から離れない。
私は思わず頭を押さえて、その場にうずくまってしまった。
私の親友のセレネは、夏の休暇前に逮捕された。理由は、死喰い人、つまり『例のあの人』の仲間だったから。テスト最終日の日の夕食に姿はなく、夜になってもセレネは寮に戻って来なかった。私は心配したけど、きっと『秘密の部屋』に行ったんだろうって思ってた。でも、次の日の朝刊を見た私は、自分の考えが間違だったことに気がついた。
『“あの人”が復活した』と騒いでいる新聞の一面よりも、その3面の逮捕された『死喰い人』のリストを見た時に、世界が制止した。そこに書いてあることが信じられなくて。
ヴォルデモートの一味に加担した罪でアズカバンへ送還されたことが信じられなくて。その記事を読めば読むほど、何かが身体の底から喉に上がってきて、数年ぶりに。嗚咽をこらえきれなくなってしまった。
何で、セレネの変化に気が付かなかったんだろう?
私は、私は、彼女の一番近くにいたつもりだったのに。思い返せば、セレネは、お義父さんを殺されたのに、以前とあまりにも変わらなかった。私は、乗り越えたんだって思って…安心してた。でも、乗り越えてなんかなかったんだ。私だって、母様や父様、それにアステリアが死んだら、それも殺されたら、きっと乗り越えるのに時間がかかると思うし、もしかしたら乗り越えられないかもしれない。
親友なのに気が付かなかったんだろう。
苦しんでいるのに気が付かないで、助けてあげられなかった。もし…私が気が付いていれば、何かが変わったかもしれないのに!今年も一緒に授業受けたり、遊んだり出来たかも知れなかったのに!私が気が付いていれば、セレネの人生が壊れなくて済んだのに!犯罪者にならずに済んだのに!!
同じことを妹のアステリアも考えていたみたいで、家に帰ってから数日間、アステリアも部屋から出てこなかった。母上がアステリアの名前を呼んでも、しもべ妖精達がアステリアの好物『パンプキンパイ』を作っても、部屋から出てこようとはしなかった。ようやく、数日ぶりに部屋から出てきたアステリアは、何か吹っ切れた顔をしていた。いつもの無邪気な笑顔が戻っていたけど、不吉感じがした。無理やり笑顔を浮かべているみたいで。
実際に、アステリアはとんでもない計画を考えていた。自信満々の笑みを浮かべて私に語ってくれた話を要約すると、セレネの人生を壊した元凶…ダンブルドア校長先生と、セレネを見捨てた『例のあの人』を殺そうとしているらしい。『姉様も参加して!』とアステリアは私に手を差し伸べてきた。アステリアの提案は、魅力的なモノだったけど………私は、その手を取ることが出来なかった。
確かに、セレネを追い詰めたダンブルドア校長先生は赦せない。セレネを見捨てて魔法省から逃げた『例のあの人』も赦せない。
でも…『何も殺さなくても』と思う私がいる。だって、殺しても解決する問題じゃないと思うから。復讐は復讐を呼ぶと思うから。きっと、ダンブルドア校長先生を殺したら、ダンブルドア校長先生に心酔しているグリフィンドール生を筆頭とした魔法使いが復讐に立ち上がりそうだし。それは、『あの人』だって同じ。『あの人』に心酔する魔法使い、例えば『あの人』の腹心の部下とされているベラトリックス・レストレンジが復讐のために立ち上がる気がする。
でも、他にどういう解決方法があるのだろう?どうすれば、セレネを救えるんだろう?
遠くからチャイムの音が聞こえてきた。慌てて時計を見ると、1時間目が終わるチャイムだったみたい。1時間目からは授業が入っている。確か、『魔法薬学』。私は急いで階段を駆け下りた。
教室の重たい扉を開けたとき、既に他の生徒たちは席についていた。OWL試験の成績で、最優秀の成績を採らないと、6年生以降の魔法薬学は受講できない。だから教室にいた生徒の数は少なかった。グリフィンドール生は『ハーマイオニー・グレンジャー』と『ハリー・ポッター』それから『ロン・ウィーズリー』の3人だけだったし、ハッフルパフは監督生の男子学生1人だけだった。
レイブンクローは4人が残っていた。私の恋人のテリーの姿はない。彼はマグル関係の仕事に就職したいと考えているみたいで、魔法薬学の受講を希望しなかったらしい。私はテリーの友人のパドマ達に小さく手を振ると、スリザリン生が集まっている教室の隅へと足を進めた。
スリザリン生で私の他に魔法薬学を受講しているのは3人。ドラコとザビ二、それからノットだけ。3人は真剣な顔をして何かを話していたけど、私が近づくと、話を止めて席を用意してくれた。私は、椅子に腰を掛ける。そして、ザビ二が私に何か話しかけようと口を開いたとき―――巨大なセイウチ髭を生やしている太った男が教室に入ってきた。
男の名前はスラグホーン先生。『闇の魔術に対する防衛術』を担当することになったスネイプ先生の後任として、『魔法薬学』を担当することになった先生だ。
「さーてと」
スラグホーン先生は、興奮気味に胸を膨らませると、腹の前で掌を合わせる。その時に、ポッターとウィーズリーが立ち上がり、先生の方へと歩き始めた。OWL試験の成績から、魔法薬学の授業が受講できるとは思っていなかったらしく、教科書を購入していなかったらしい。先生はニッコリと優しそうな笑みを浮かべると、古い教科書を2冊取り出し、2人に渡していた。…なんで授業が始まる前に、先生に言いに行かなかったのかなっと、ボンヤリと感じた。私も、この授業が受講できるとは思っていなかったから、教科書を購入してなかった。だから昨日のうちに先生を訪ね、古い『上級魔法薬学』の教科書を先生に貸してもらっていた。なんか……色々と書き込んであって読みにくかったけど、授業に差し支えはないと思う。
ポッターとウィーズリーが席に戻ったのを確認した先生は、煙を上げている4つの大鍋の前に立ち、少し偉そうに辺りを見渡した。
「皆に見せようと思って、いくつか魔法薬を煎じておいた。N・E・W・Tを終えた時には、皆もこういう物を煎じることができるようになっているはずだ。これが何だか、わかる者はおるかね?」
1番近くにあった鍋を指さすスラグホーン先生。少しだけ椅子から腰を浮かしてみると、鍋の中に入っているのは無色透明の湯。でも、きっと先生が尋ねてくるのだから、魔法薬の一種なのだろう。グリフィンドールのグレンジャーが、天井に着くくらい手を高く上げた。
「真実薬(ぺリタセラム)です、無色無臭で飲んだ者に無理やり真実を吐かせます」
落ち着きの払った声でスラスラと答えるグレンジャー。そういえば、彼女はセレネの友人だった気がする。犯罪者になってしまったセレネのことを、彼女はどう考えているのだろうか。
「大変よろしい!」
次々に大鍋の中で煮立っている魔法薬の名前を言い当てていくグレンジャーに、スラグホーン先生は大層上機嫌で愛想よく20点もグリフィンドールに追加した。
「では、実習を始めよう」
「すみません、先生、これは何ですか?」
ハッフルパフ生がスラグホーン先生の机に置いてある小さな黒い鍋を指す。まるで黄金を溶かしたような色の魔法薬だ。表面から金魚が跳び上がるように飛沫が跳ねているのに、不思議なことに鍋からは1滴も溢れていない。
「ほっほう」
口髭を擦るスラグホーン先生。まるで、尋ねてもらうのを待っていたような感じだ。
「さて、これこそは…紳士淑女諸君、最も興味深い、ひと癖ある魔法薬で、『フェリックス・フェリシス』と言う。『フェリックス・フェリシス』が何かを知っているかね、ミス・グレンジャー?」
「幸運の液体です。人に幸福をもたらします!」
グレンジャーは、興奮気味に答えた。途端にクラス中が背筋を正し、スラグホーン先生の机をよく見ようとし始めた。それまで興味なさそうにテーブルに肘をつけていたドラコも、目を丸くして姿勢を正した。
「その通り。グリフィンドールにもう10点あげよう。…この魔法薬はちょっと面白い。調合は極めて難しく、間違えると惨憺たる結果になる。しかし―――正しく煎じれば、全ての企てが成功へと傾いていく。もちろん、薬効が切れるまでだが」
「先生、どうしてみんな、しょっちゅう飲まないんですか?」
テリーの友人のアンソニーが勢い込んで聞いていた。
「それは飲みすぎると有頂天になったり、危険な自己過信に陥るからだ。大量に摂取すれば毒性が高い。しかし、ちびちびと…ほんの時々なら……」
きっと、先生は飲んだことがあるのだろう。スラグホーン先生は、夢を見る様に遠くを見つめる。…もし、演技だったとしても、効果は抜群だった。
「そして、この薬を……この授業の褒美として差し上げよう」
途端に教室中が、これ以上ないというくらい静まり返る。先生は、コルクで栓がされた小さなガラス瓶をポケットから取り出すと、生徒全員に見えるように掲げた。効果は12時間……しかし競技や競争では決して使ってはいけないと忠告した。
「これを、今日の授業で1番を取った者に与えよう。『フェリックス・フェリシス』の小瓶を1本!約1時間しか残っていないが『上級魔法薬学』の10ページ『生ける屍の水薬』を1回分調合するには十分だろう。……君たちが取り組んできた薬よりも遥かに複雑だから完璧な仕上がりは期待しておらんが。しかし、1番良くできた者が、このフェリックスを獲得する。さぁ、はじめ!」
途端に大鍋を手元に引き寄せる音が聞こえてきた。誰もが口を利かなくなる。部屋中が固く集中する気配は、手で触れるかと思う程だった。数分前まで興味なさそうに座っていたドラコでさえ、全速力でカノコソウの根を刻んでいるのが視界の端に入ってきた。ノットもザビ二も、いつになく真剣にメモリを図っている。
誰もが『幸運』を手にしたいに決まっている。
私も、幸運が欲しい。もし、あの薬を飲んだら……セレネを助けることが出来るかもしれない。
前の持ち主がページ一杯に書き込みをしていて、余白が本分と同じくらい黒々としているのに閉口したけど……なんとか材料を読み取り、材料棚に急いだ。火をつけている時間がもったいないので、杖を使って素早く大鍋に火をつける。
10分程経過すると、鍋から青い湯気が立ち始めた。教室全体に青みがかった湯気が広がっている。教科書に色々と書き込みがしてあるから、読みにくい。このクラスの中で1番遅れているのは私みたいだ。…でも、急いでも成功につながるとは限らない。深呼吸をして焦る気持ちを落ち着かせ、教科書を覗き込んだ。
次の記述は他の箇所にも増して読みにくかった。『催眠豆』という豆をどう処理するか、という記述みたいだ。だが、《銀の小刀の平たい面で砕け、切るより多くの汁が出る》と、本文の上から書き直されていた。……誤字訂正……にしては、違和感がある。ちなみに、解読した本文には『切って汁を鍋に入れろ』としか記されていなかった。
まずは、本文に書いてある通り『催眠豆』を切ろうとしたけど、非常に刻みにくい。小さくて抑えにくいし、少し抑える手を緩めただけで、テーブルの下へと転がり落ちてしまう。
……訂正されている方を試してみようか……
ちょうど私が使っているのは、銀の小刀だ。でも、これが嘘の情報だったら、という不安が一瞬頭をかすめた。でも、物は試しだ。なんでもやってみないと分からないって、聞いたことがある。もし、豆を砕いて汁が全くでなかったら、新しい催眠豆を材料棚から持って来ればいい。
私は、銀の小刀の平たい面で豆を砕いた。その瞬間に、私は思わず声が出そうになるくらい驚いてしまった。こんな萎びた豆のどこにこれだけの汁があったのだろう、と思う程の汁が出てきたのだ。急いで全部すくって大鍋に入れると、たちまち教科書通りのライラック色に変化した。私は息をのんだ。どうやら、嘘ではなかったらしい。
次の記述を読むと、また本文が訂正されていた。
薬が水のように澄んでくるまで、反時計回りに、かき回さないといけない。でも、追加された書き込みでは、7回反時計回りにかき回し、その後に1回…時計回りを加えなければならないと記されていた。
2回目も、正しいのだろうか。ここで失敗したら、薬を手に入れることは出来ない。いや、それだけじゃなくて、評価も0点になってしまう。
面倒だけど、2通り試してみよう。私はボウルを鍋に突っ込み、予備の液体を採取した。……失敗したとしても、この予備の液体を使って教科書通りに魔法薬を作ればいい。そうしたら、0点は免れるだろう……たぶん……。
私は思い切って反時計周りに7回掻きまわし、時計回りに1回、掻きまわした。たちまち効果が表れた。ライラック色の液体は、ごく淡いピンク色へと変化した。私は同じやり方を続けながら、辺りをそっと見渡した。低い声で悪態をついているザビ二。彼の薬は、まるで……アステリアが昔遊んでいた『スライム』みたいな形状になっていた。その隣に腰を掛けているドラコの薬は、くすんだ紫色。湯気で顔を真っ赤にさせながら大鍋を掻きまわしているノットの薬は、ライラック色……に限りなく近いけど、どこか違う紫色をしていた。
私の眼の届く限り、私の薬のような薄い色になっている薬は1つもない。セレネに次いで学年2位のグレンジャーの薬でさえ、紫色のままだった。
「さぁ、時間終了!」
スラグホーン先生は、大鍋を覗き込みながら、何も言わずに、時々薬を掻きまわしたり、臭いをかいだりして、ゆっくりとテーブルを巡った。今の所、先生が満足そうに頷いていたのはグレンジャーの薬だけだった。私達のテーブルに回ってきた先生は、まずザビ二のスライム状の物質を素通りし、ドラコの薬の匂いを嗅ぎ、気の毒そうな笑みを浮かべた。ノットの薬には、よしよし…と頷いた。
そして私の薬を覗き込んだとたん、『信じられない』という喜びの表情がスラグホーン先生の顔に広がった。
「まぎれもない勝利者だ!」
スラグホーン先生の声が教室中に響き渡る。一斉に私の方に全員の視線が注がれて、恥ずかしく、身体を小さく縮ませた。
「すばらしい!すばらしい!えっと……君の名前と所属寮は何だったかな?」
「ダ、ダフネ・グリーングラス……スリザリンです」
「あぁ、貿易業で有名なグリーングラス家の子か!」
スラグホーン先生が、金色の液体が入った小さな瓶、を胸ポケットから取り出すと、私に握らせた。
「約束の『フェリックス・フェリシス』の瓶だ。上手に使いなさい!」
「え、あの……実は……」
「いや~、最初の授業で、ここまで完璧に『生ける屍の水薬』を完成させた生徒を見たのは初めてだ!」
教科書の本文の上から書きこまれていた記述通りにやったのだということを説明しようとしたけど、上機嫌の先生は私の背中をポンポンと叩き、教室を出て行ってしまった。
ズルをしたような罪悪感が胸に広がる。
「一体どうやったんだ?」
不満顔のドラコが私を問い詰めてくる。ノットもザビ二も驚いた表情を浮かべていた。ずっと可もなく不可もなくという成績だった私が、いきなりグレンジャーを超える成績をたたき出したのだ。驚かれるに決まっている。
「あの、実は……」
私は歩きながら3人に何があったのかを話すことにした。話を進めるたびに、3人の顔が固くなっていく。
「その本におかしなところがないか、調べた方がいいんじゃないか?」
ザビ二が古ぼけた教科書を触りながら、呟いた。
「この書き込みは、魔法省の認可を受けてない書き込みだろ?…危険かもしれない」
「見た目は普通の教科書、だけどな」
腕を組んでいたノットは、ローブの内側からするりと杖を取り出し、教科書に狙いを定めた。
「『スぺシアリス・レべリオ‐化けの皮 剥がれよ!』」
ノットは、表紙をコツコツ叩きながら呪文を唱える。しかし、何も起こらない。ザビ二の手の中に、おとなしく収まっていた。古くて汚くて、ページの角が折れているだけの教科書。
「見かけは、ただの教科書ってことか」
ドラコは、ザビ二の手から教科書を取り上げると、裏表紙を見る。何か書かれてあるらしく、ドラコは目を細めていた。
「『半純血のプリンス蔵書』?」
ドラコは眉間に皺を寄せて、何かを考え込んでいた。私は首をかしげる。『プリンス』なんて苗字は知らないし、魔法界に『プリンス‐王子』なんていない。
「知ってるの?」
「いや、プリンスなんて聞いたことがないな」
ドラコは興味なさそうに呟くと、私に教科書を放り投げる。教科書は上手く受け取ることが出来ず、床に落ちてしまった。
「幸運の薬、上手に使えよ」
ドラコは私に背を向けて階段を上り始めた。もうすぐ昼食なのに、何か用事でもあるのだろうか?
「おーい、3人とも!」
大広間の入り口で、ミリセントとパンジーが私達に手を振っている。ノットとザビ二が彼女たちの方に面倒くさそうに歩き始めた。私も教科書を滑り込ませるようにして鞄の中にしまい、2人の背中を追いかける。
『幸運(フェリックス・フェリシス)』を手に入れた。後は、これを使うタイミングを見極めよう。何しろ……1回分しかないのだから、失敗は許されない。
今もどこかで苦しんでいるセレネを助け出すために必要な……絶好なタイミングを。