SIDE:ハリー・ポッター
僕は、セレネの黒々とした瞳を見上げる。
ダンブルドアが死んで僕が助かるか、僕が死んでダンブルドアが助かるかの二択だとしたら、僕が選ぶ答えなんて決まっている。
「僕は、ダンブルドアを殺したくない」
僕の声が、『秘密の部屋』に響き渡る。
僕はダンブルドアを殺したくない。だけど、僕はまだ死にたくない。なら、選択肢3番を探せばいい。ダンブルドアを殺さずに、僕の中にあるヴォルデモートの魂だけを殺す方法を探すのだ。もちろん、そんな都合の良い話が転がっているわけない。探すのは苦難の道になることだろう。でも、これが一番だと僕の直感が告げていた。
そんな僕の返答は、セレネにとって予想外だったのだろう。今まで無表情と言う名の仮面を被っていたセレネの表情に、驚きの色が奔った。セレネは眉をあげて、僕を見下ろす。
「……アンタ、それでいいの?」
「ダメだ、ハリー!!」
ロンが叫ぶ声が聞こえてくる。僕の大切な親友の悲痛に染まった声だ。ロンは僕とセレネの間に入ると、迷わず杖を取り出した。
「こいつは、スリザリンの継承者だ!ヴォルデモートの手先だぞ?僕たちを騙して、ヴォルデモートの都合のいいようにしようとしているんだ!!」
ロンの杖を持つ手が、震えている。セレネは、黙ってロンを見上げていた。そして、どこか呆れたような口調で話し始める。
「あのな、私はヴォルデモートと利害関係が一致しているってだけ。ダンブルドアさえ死ねば、ヴォルデモートは……ただの敵だ」
「そんなの…」
「待って、ロン」
僕はロンの言葉を遮った。ロンが驚いたように、僕を見下ろす。セレネの視線が、ロンから僕に移った。僕はセレネの黒い瞳を、真っ直ぐ見つめた。セレネには聞きたいことが、山ほどある。ルーナを殺したのは誰なのかということとか、僕たちの記憶が改ざんされているかもしれないということとか。その中でも、一番聞きたいことは……
「セレネ、僕は…どうして君が、そんなにダンブルドアに執着するのか分からないんだ」
ダンブルドアとセレネが対峙した時、セレネが発する殺気は言葉で言い表せないくらい激しいモノだった。キングズリーの放った『失神呪文』でセレネが倒れた後も、僕の背中には耐え難い悪寒が残っていたのを覚えている。普通、あそこまで殺気を放てない。どうして、セレネはあそこまでダンブルドアに執着するのだろう?たかが、記憶を改ざんされたくらいで人を殺そうとするとは信じられない。僕はセレネが、そんな心の狭い人間に思えなかった。
それだけじゃない。セレネの義父であるクイールは、死喰い人『カルカロフ』に殺されたのだ。何故、わざわざ敵側につくのだろう?僕は、実の両親を殺したヴォルデモートが憎くて仕方ない。セレネは……憎くないのだろうか?
「殺される前に殺す。……それだけだ」
セレネは感情がこもっていない声で、返答する。僕の頭は、真っ白になった。
ダンブルドアが、セレネを殺す?そんなことありえない。ダンブルドアが、そんなことするはずない。僕がそのことを口にする前に、先生方が声を出した。2人とも、訳が分からないという表情を浮かべている。
「どういうことだ、セレネ」
「説明してください、ミス・ゴーント!」
2人とも、秘密の部屋に足を踏み入れる。ジニーが慌てたように2人の背中を追った。そんな3人を、セレネは黙って見つめている。
「先生、私は『スリザリンの継承者』です。あのダンブルドアが…そんな危険分子を野放しにしておきますか?いいえ、野放しにするわけありません。私は、死んだ父さんのためにも……生きなければならないんです。こんなところで、危険分子って理由だけで死んだら、あの世で父さんに顔向けができない。父さんは私に『生きて』欲しかったんだから」
「ミス・ゴーント、貴女は何を言っているのですか?」
マクゴナガル先生が、驚いたように目を見開く。そして、セレネに言い聞かせるような調子で言葉を紡いだ。
「いいですか、ダンブルドアは、どのような人物であったとしても『やり直すチャンス』を与えてくださいます」
マクゴナガル先生の視線が一瞬だけ、真っ青な顔をしたスネイプに向けられたのを、僕は見逃さなかった。だが、それはほんの一瞬で、マクゴナガル先生は再びセレネに視線を戻した。
「それに、ダンブルドアは貴女に、不思議なメガネを渡していたではありませんか。貴女を苦しませないように、眼鏡を渡したんですよ?」
「まさか」
耐え切れなくなったように、セレネは口を開いた。それは、今まで聞いたことがない…セレネの悲痛に満ちた声だった。マクゴナガル先生は、ハッとしたかのように口を閉じる。
「ダンブルドアは、私を誘導していた」
まるで僕たちを軽蔑するかのように、セレネは一連の出来事を語り始めるのだった。
「そこにいる4人には、すでに話しただろ?賢者の石を護りきったのも、トム・リドルの宿った日記を破壊し、そこの少女を救ったのも私だ。あの時は下手に目立ちたくなかったから……それらの行いをハリー・ポッターがしたということに周囲の記憶を改竄するダンブルドアの提案に賛成した。だが……」
セレネの瞳の奥に、一瞬…ほんの一瞬だけ赤い光がチラつく。
「父さんの死を『心臓病』と偽ったことは、赦したくない」
「なに!?」
沈鬱そうな表情を浮かべていたスネイプの表情に、驚きの色が奔った。マクゴナガル先生も驚いたような表情を浮かべる。
「……確かに『心臓病』とした方が都合がいい。城内で死人が出るというのは醜聞に繋がる。魔法省やマスコミへの対応やらなんやらで、まともに授業が行えない。……私1人が我慢すれば、残りの生徒たちが迷惑しなくて済む。そう考えれば、ダンブルドアの選択は正しいかもしれないな。
だけど、私にも我慢の限度というモノが存在する」
セレネはそっと目を閉じる。何かを耐えるかのように……
「それに、マクゴナガル先生。もしダンブルドアが、『やり直すチャンス』を与えるとするならば、私が投獄された際……すぐさま『私』を助けようと動いたはずです。……でも、ダンブルドアはそんなことをしなかった」
マクゴナガル先生は、『そういえば……』というような表情を浮かべた。
ロンが何か言おうと、口を開こうとする。たぶん、怒りのあまり赤く染まったロンの表情から察するに、セレネの言い分に反論しようとしていたのだろう。だけど、スネイプがロンを手で制した。
「ダンブルドアが私に『眼鏡』を与えたのは、『飴と鞭』の『飴』を与えられたようなモノ。善意で与えられたものではなかったんだ」
秘密の部屋に重い空気が漂う。押しつぶされそうな重い空気だ。誰もが沈鬱な表情を浮かべ、セレネを凝視している。
「…信じ…られないわ」
最初に沈黙を破ったのは、ジニーだった。可哀そうなくらい顔から色が抜け落ち、震えている。頭を抱え、今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。
「わ、私……やっぱり、信じられない。私は…私は……」
だが、ジニーがその先の言葉を紡ぐことは出来なかった。秘密の部屋の入口辺りから、一筋の銀色の光が飛び込んできたからだ。銀色の光の塊は、マクゴナガル先生の前で止まり、オオカミの姿へと形を変えた。ぐわっとオオカミが口を開き、そこから信じがたい言葉が飛び出した。
SIDE:???
「『アバタ・ケタブラ』!」
眼をギュッと閉じて、俺は『死の呪い』を叫んだ。とてつもなく重たい閃光が、ダンブルドアめがけて噴出される感じが杖から伝わってくる。肖像画たちが甲高い悲鳴を上げ、何かが床に落ちる音が耳に入ってきた。……これで、ダンブルドアが死んだはず。俺は……人殺しになってしまった。なんともいえない感覚が、体中に奔る。そう、俺は本当にダンブルドアを殺してしまったのだ。
「君には人を殺せぬよ。ミスター・ノット」
「!?」
死んだはずのダンブルドアの声。俺は、慌てて目を開けた。ダンブルドアは、俺をじぃっと見つめている。ダンブルドアの足元には、一山の灰が落ちていた。灰の中では、小さく萎びた鳥のヒナらしき生き物が動いている。……どうやらダンブルドアは、不死鳥に命を救われたらしい。俺は杖を構えたまま、ダンブルドアを睨み返した。
「…いや、俺はお前を殺せる。『アバタ…」
だが、その呪文が言い終えることは出来なかった。ダンブルドアが流れるような動きで杖を振ったとたん、手から杖が抜け落ちてしまったのだ。宙を枯れ木のようにくるくる回り、俺の杖はダンブルドアの義手の中に納まった。ダンブルドアは俺の杖を、ゆっくりとローブの中にしまう。
俺には、もう杖はない。一応、制服の内ポケットに、ペーパーナイフを仕込んでいる。だが、このタイミングで使用したとしても杖同様、簡単に武装解除されてしまうだろう。今の俺に攻撃手段はもちろん、防衛手段もない。……万事休す。俺は、がっくりと膝をついた。
「さて、どうしてここに忍び込んだのか…話してもらおうかのぅ、セオドール」
先程は苗字で呼ばれたが、今度は名前で呼ばれた。その口調は、長年の友人と会話しているかのようだ。だが…俺は何も答えない。
「なるほどのぅ。WWW製『透明帽子』を使って、この部屋に忍び込んだんじゃな。…あぁ、エバラードとエルフリーダ、すまんが魔法省への連絡は待ってくれ。少し、この青年と話がしたいんじゃ」
エバラードとエルフリーダと呼ばれた肖像画は、しぶしぶという雰囲気で額縁の中にとどまった。再びダンブルドアの青い目が、俺に向けられた。セレネの『蒼』とは違う、全てを見透かすような『青』。背筋に蛇が這いずられたかのように、ぞくぞくとした。
「君は、どうしてワシを殺そうとしたんじゃ?」
「……さぁ、なんでだろうな」
俺は、華奢な足のテーブルの上で、のどかにポッポっと煙を吐いている銀の道具に視線を向けた。
何で、ダンブルドアを殺そうとしたか?あぁ、理由なんて決まっている。
アイツに人殺しをさせたくないからだ。いくら、アイツがダンブルドアに対して深い憎悪の感情を持っていたとしても、人殺しだけはいけない。
セレネが好きだから。セレネに幸せになってほしいから、これ以上傷ついて欲しくない。ただでさえ、義理の父親を亡くし、辛い思いをして、アイツは自分を追い込んでしまったのだ。それを思うと、胸が痛い。なんでもっと早くに、気がつくことが出来なかったのだろうか。俺は、何故……セレネを支えることが出来なかったのだろう。後悔ばかりが渦巻いていく。
「こんな夜中に、どんな要件かな?」
ダンブルドアは、落ち着いた雰囲気を保ったまま問いかける。
「さぁ」
俺ははぐらかすと、そっぽを向いた。窓の外は、だんだんと西日の影響でオレンジ色に染まっていく。
アイツがアズカバンから脱獄したというニュースを聞いたときは、嬉しかった。アズカバンから脱獄して、そのまま国外へ逃亡したならそれでいい。たとえ逃亡先であったとしても、アイツが幸せに暮らせるなら、俺は満足だ。……俺はイギリスで、遠くに暮らすアイツが幸せになってくれることを祈るだけで、ダンブルドアの殺害を実行に移すことなんてしなかったはずだ。
だが、俺はセレネが『ここ』にいるということに気がついてしまった。
先日、ドラコの見舞いに行ったとき……ドラコが起きてすぐに口にした『セレネ』という言葉。そして、ドラコの顔に浮かんだ困惑の色。ドラコは『何でもない』と言っていたが、どうも怪しい。そう思った俺は、ドラコと一緒に行動していたというアステリアを問い詰めることにした。最初は渋っていたアステリアだったが、つい数時間前に教えてくれた。
まさか、アイツがホグワーツにいるとは……。あのセレネが、ホグワーツと言う危険な場所にとどまり続けている理由は、1つしか考えられない。十中八九、アイツはダンブルドアを殺そうとしているのだろう。自分の運命を狂わせた1人であるダンブルドアを殺すため、虎視眈々と息をひそめているセレネの姿が脳裏に浮かぶ。
俺は、これ以上…アイツに罪を背負ってほしくない。そのためなら、俺は……
「セレネ・ゴーントのためじゃな?」
ダンブルドアは、俺の考えを見通しているらしい。女のために、命を捨てるなんて気恥ずかしい。それに、アイツをあんな目に合わせた内の1人に、こんなことを頼むのは嫌だ。…だが、これもアイツのためだ。俺はごくりと唾を飲み込むと、決意を固めた。
「…アイツを殺すつもりですか?」
「殺しはしない」
ダンブルドアは、ゆっくりと言う。俺の心の中に、ほんの少しだけ安堵の色が浮かぶ。だが、忘れていはいけない。目の前にいる老人は『殺しはしない』と言っただけ。他の危害を加える可能性があるということだ。俺は更に気を引き締める。ダンブルドアは、俺の心を読んだのだろう。悲しそうに顔を歪ませると、静かに口を開いた。
「セレネ・ゴーントは、罪を犯し過ぎておる。ワシには何もできん。『罪には罰を』という言葉があるのを知っておるかの?」
「『セブルス・スネイプ』にも、罪があると思いますが」
俺がスネイプ先生のことを口にすると、ほんの少しダンブルドアの身体が動いた。俺はダンブルドアが話し始める前に、言葉を続ける。
「スネイプ先生は、もともと『死喰い人』です。それなのに、一回も裁判にかけられることもなく、アズカバンに収監されたこともない」
「スネイプ先生は、信頼に値する人物だからじゃ」
「アイツは、信頼に値しないのですか!!」
俺は、ダンブルドアの青い瞳を凝視した。ダンブルドアの瞳の奥には、寂しげな色がちらついていた。一言一言を繰り出すのがつらいように、ダンブルドアはゆっくりと言った。
「ワシとて、セレネ・ゴーントを信頼したい。だが、魔法省は信頼しないじゃろう。スネイプ先生は、死喰い人として表舞台に立っていなかったから、まだ助けることが出来た。しかしセレネは、ワシの右腕を切り落としてしまった」
そう言いながら、義手をさするダンブルドア。俺は奥歯を噛みしめた。つまり、もう打つ手がないということなのだろうか。……いいや、ここで諦めたらダメだ。ダンブルドアはもっとも偉大な魔法使いと世間で称されているし、それは今でも変わらない。ダンブルドアは、イギリスで魔法省大臣に匹敵する権力を持っているのだ。人を傷つけたという罪を消すことは出来なくても、少しでも刑を軽くすることくらいは、出来るのではないだろうか。
「ダンブルドア…先生なら、それでもセレネを救うことが出来るのではないでしょうか?」
すると、ダンブルドアは俺を見下ろした。そのまなざしは、どこか冷めているようでもあり、どこか懐かしい光景を見ているようにも感じた。
「では、セオドール。その代わりに、君はワシに何をくれるんじゃ?」
「か、代わりに…ですか?」
思考が停止する。
ダンブルドアが言っていることは、一理ある。何かを得るためには、同等の対価を支払わなければならない。それは当然のことだ。
セレネを助けてもらう代わりに、俺が差し出す対価。いったい、何を支払えばいいのだろうか。俺の手元には、セレネの対価と言えるものが何もない。金?家?それとも俺の命?…いいや、そんなものではセレネの命と釣り合わない。
俺はしばらく黙った後、ようやく答えた。
「なんでも構いません。俺が出来ることなら、なんでもします」
ダンブルドアは、俺が答えた後も黙っていた。黙って俺を見下ろしている。校長室を取り囲むように掲げられている肖像画たちも、じっと黙って俺たちを見下ろしていた。絶対的な沈黙が、空間を支配していた。俺もダンブルドアも何も言わないし、肖像画たちも物音ひとつ立てなかった。先程まで囀っていたヒナ鳥ですら、沈黙している。
そして、永遠という時間が流れたように思えた頃……ようやくダンブルドアの口が開いた。
「そうか、君は似ておるの。…いや、似ておらんか」
どこか興味深そうな口調で言いながら、ダンブルドアはゆっくりと棚を開けた。一体、ダンブルドアは、どのような結論に達したのだろうか。俺が呆気にとられているうちに、ダンブルドアは棚の中から瓶を取り出した。当惑を隠せない俺に対して、ダンブルドアは初めて、ニコッと笑いかける。
「実は、君と同じような提案をしてきた少女から、『クリスマスプレゼント』として送られてきたんじゃよ」
ダンブルドアの手の中にある瓶のラベルに記されていたのは《オーク樽熟成蜂蜜酒》という文字。俺は思わず目を丸くしてしまった。たしか『三本の箒』で売られている飲み物の中では、1番高額な酒だったはずだ。酒が苦手な人であっても、飲めば上機嫌になると言われている。ダンブルドアは黄金色の酒を惜しむことなく、こぽこぽとゴブレットに注いでいく。
「和解と契約の印じゃ。セレネ・ゴーントを助けよう」
ダンブルドアは微笑みながら、ゴブレットを俺に差し出した。どうやら、契約が成立したという意味らしい。俺はホッと安堵の息を漏らして、ゴブレットを受け取る。だが、飲むことが出来なかった。何故だかわからないが、ダンブルドアをまだ信用してはいけないような気がしたのだ。『ダンブルドアを相手にするときには、裏の裏のそのまた裏を考えなければならない』と言うセレネの姿が脳裏に浮かぶ。…本当に、これでいいのだろうか。
そんな俺の疑念を見破ったらしいダンブルドアは、ゴブレットを少しだけ掲げた。
「安心しなさい、毒など入っておらん」
ダンブルドアは不快そうな顔一つせず、蜂蜜酒を口に含んだ。ダンブルドアは『ほれ、なんともない』と言わんばかりの表情を俺に向けた
「おい!」
…かに見えた。ダンブルドアはゴブレットをポトリと床に落とす。まだ半分ほど残っている蜂蜜酒が、床全体に広がっていく。ダンブルドアの体はぐしゃりと崩れ、手足が激しく痙攣し始めた。口から泡を吹き、両眼が飛び出しかけていた。
「ふざけるなよ!」
せっかく、約束までたどり着けたのに。これでは、セレネを本当に助けることなんてできない。すぐにダンブルドアを助けようと思ったが、解毒薬なんて普段から持ち歩いていない。そもそも、この毒の成分が何だかわからない以上、下手に解毒薬を投与できないのだ。
「右の棚、右の棚じゃ!!」
一番近くにいた赤鼻の肖像画が、慌てたように叫ぶ。俺は言われた通り、右の棚に飛びつく。そこには、俺が持っているモノよりも遥かに上等な、魔法薬キットが入っていた。様々な瓶や袋を引っ張り出す。だが、どれも役に立てそうなものは入っていない。その間にも、ゼイゼイと苦しそうなダンブルドアの断末魔が耳に入ってくる。畜生、畜生、なんで見つからないのだろう。俺は必死で袋を探り、やっとの思いで1つの石をつかんだ。萎びた腎臓のような石……ベゾアール石だ。ヤギの胃から取り出す石で、たいていの毒薬に対する解毒剤になる珍しく高価な石。俺はダンブルドアの傍に飛んで戻り、顎を開け、ベゾアール石を口に押し込んだ。
だが、何も起こらなかった。なぜなら、ダンブルドアは動かなくなっていたからだ。
ダンブルドアの眼鏡が外れ、口はぱっかりと開き、そしてあの青い瞳は閉じられていた。俺がベゾアール石から手を離すと、コトンと音を立てて石は転がる。肖像画が嘆く声が、不思議と遠くから聞こえてきた。
「ちょっと……なによ、これ…」
くすんだ茶髪の女性が、いつの間にか入口に立っていた。確か、ニンファドーラ・トンクス。父親の仕事の関係で一緒に魔法省に出かけたとき、見かけた闇払いの女性だ。ダンブルドアと会う約束でもしていたのだろうか、と思考停止寸前の脳は考える。俺は、トンクスに返事をすることが出来なかった。口を開いても、言葉が出ない。そんな俺を見るに見かねたのか、1人の肖像画が、やれやれと言わんばかりの表情で口を開いた。
「…蜂蜜酒を飲んだ瞬間、ああなってしまったのだ」
少し偉そうな雰囲気を漂わせているその肖像画は、トンクスの問いに対し、沈鬱な面持ちで答えている。トンクスはフラフラと後ずさりしたが、やはり闇払いだ。ギュッと感情を押し殺すように唇を噛みしめると、杖を振るった。杖先からは、とても大きな銀色の四足の生き物が現れ、校長室から矢のように飛び去って行った。恐らく、あれはトンクスの守護霊なのだろう。ここで起こった出来事を、誰かに伝えに行ったのかもしれない。
どこかへ飛び去って行く守護霊を見送ったトンクスは、力尽きたように近くの椅子に座り込んでしまった。ダンブルドアの死を嘆く肖像画の声と、ヒナ鳥の不死鳥が灰の中で、チュッチュッと何かを惜しむように鳴く声だけが、校長室に満ちている。
ダンブルドアが死んだ。
これで、セレネが人殺しをする必要はなくなったのだ。それは嬉しいことだが、せっかくダンブルドアがセレネを救うと約束してくれたのに、このざまだ。一体、誰が蜂蜜酒に毒なんて盛ったのだろうか?あそこまで穏やかな顔で疑いもなく毒を飲めるとは、考えられない。だから、きっとダンブルドアは毒が入っていることを知らなかったのだろう。
送り主は、誰だ?
俺は徐々に暗くなっていく床を見つめたまま、全力で頭を働かせた。
確か、ダンブルドアは送り主を『少女』と言っていた。しかも俺と同じような提案…つまり、セレネを助けてほしいという提案をしたらしい。そんな提案をする少女は、俺の知る限り5人しかいないし、実際…その5人しかいないだろう。
ダフネ・グリーングラス、アステリア・グリーングラスの姉妹。ミリセント・ブルストロードとパンジー・パーキンソン。他寮で考えるとするなら、ハーマイオニー・グレンジャーの5人だ。その中で、一番ダンブルドアにクリスマスプレゼントを送っても怪しまれないのは……
「まさか、な」
1人の少女の顔が、脳裏に浮かび上がってくる。学年有数の頭脳を持ち、ハリー・ポッターとも親しい少女。だが、彼女が犯人であるとすれば、もっと頭の良い殺し方をする気がする。だが、人は追い詰められたら思いもよらない行動に出る。世間一般には『頭の良い行動』と言わないような行動に奔ることが多々あるのだ。それこそ……セレネのように。
「ダンブルドア!!」
マクゴナガルとその他数人が入ってくる足音が聞こえる。新しく入ってきた人たちが、息をのみ、ダンブルドアに駆け寄る音を耳にした。誰かが嘆き、誰かが激高し、誰かが床に座り込む音を耳にした。だけど俺はただ黙って、床を見つめていた。
「…ノット、か」
ふと、懐かしい声が聞こえてくる。ここにいるはずのない人の声。はじかれたように俺は、うつむいていた顔をあげた。
肩より少し長い髪も、黒々とした瞳も、服の袖口からすらりと伸びた白い手も、記憶にある彼女と変わらない。異なる点を挙げるとするなら、縄で両手の動きを封じられていることくらいだろう。
ダンブルドアが死んでいることに、そしてその場に何故か俺がいることに、驚いているのか驚いていないのか、それは分からない。ただ、眼鏡がない分、新鮮に感じた。
セレネに言いたいことは、色々ある。数えきれないくらい沢山の文句を言いたい。でも、その中で一番言いたいことは……
「ようやく、森から戻ってきたんだな」
どことなく拗ねたような口調で、その一言だけをセレネに告げた。
その一言が告げられただけでも、良かったと思うべきなのだろう。こうして、再びセレネとホグワーツで会えるなんて、考えたこともなかったのだから……
「……あぁ、ちょっと迷った」
セレネは少し戸惑うような表情を浮かべた後、ほんの少しだけ微笑んで答えてくれた。それだけで、俺は十分だ。
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1月1日…一部訂正
1月20日…一部加筆