女王陛下の下僕
~01 召喚前夜~
―― アンリエッタ ――
使い魔召喚の儀といえば、貴族にとっては生誕や元服と並ぶ重要な儀式。
それが王家ともなれば、その重要度は一国の行く末を左右しかねない程です。
しかし正直なところ、召喚の儀を明日に控えてなお、わたくしはそのような重圧は感じていませんでした。
わたくしはまるで夢見る少女のように、未知なる出会いに心躍らせていたんです。
『だってそうでしょう?』
わたくしは羊皮紙の上を走る魔法ペンを眺めながら考えました。
『使い魔は、生涯を共にする伴侶なんですもの』
俸大なる始祖ブリミルによって導かれた伴侶。それが使い魔。
死が両者を分かつまで切れることのない、絶対的な絆。
しかも、どんな使い魔が現れるのかは誰にもわからない―――
いえ、少し違いますね。
現れる使い魔は、召喚する者に最もふさわしい種類の筈なのですから、ある程度の予想はできるはずです。
水系統の使い手であるわたくしの場合は、例えば水竜とか。
それとも可愛らしいカエルとか。
水鳥なんて可能性もあるかもしれません。
それでも、召喚する者の意思では使い魔を選べない点には変わりありません。
もちろん大臣たちにも側近たちにも干渉の余地はありません。
そうです。
わたくしの17年の生涯において初めて、誰の意思も介入されない、未知な―――真の意味で自由な選択が行われるのです。
『こんなにワクワクするのは、あなたと一緒に宝物庫に忍び込んだとき以来です』
すらすらと、魔法ペンが羊皮紙の上に文字を書いていきます。
魔法ペンは手を使わずに文章が書ける便利なアイテムですが、貴族にしか使えないのが難点です。もしこれが平民にも使えるのなら、平民の教育レベルももっと高められると思うのですが。
おっと、脱線しましたね。
わたくしは再び魔法ペンを操り、数少ない親友への手紙を書き上げました。
『召喚に成功したら、真っ先にあなたにお知らせしますね。
アンリエッタより
親愛なるルイズへ』
明日は日取りの良い日ですから、トリステイン魔法学院でも召喚の儀が行われるはずです。
いまだに魔法は失敗ばかりのルイズですが、きっと使い魔の召喚は成功するに違いありません。
いまだに系統のはっきりしないルイズ。
いったいどんな使い魔を召喚するのでしょう?
パンパン!
わたくしが手を叩くと、まるで最初からそこに居たかのように、柱の陰からメイドが姿を現しました。
いえ、彼女は本当に最初からそこに居たに違いありません。
「手紙を出したいの。私信よ」
「かしこまりました」
一礼して柱の陰に消えるメイド。
王室付メッセンジャーガールの誰かを呼びに行ったに違いありません。
わたくしは手紙に封をしながら、ふと思いました。
もしルイズのところまで、この手紙が自分で飛んでいったなら……
それともわたくしの声が、ルイズのところまで直接届いたなら……
もしそんなことが出来るのなら、こんな夜更けにメッセンジャーガールが、わざわざトリステイン魔法学院まで行く必要はなくなるはずです。
「失礼いたします」
わたくしの空想は、メッセンジャーガールである下級貴族の声によって中断されました。
彼女の名前は確か……
「これを、トリステイン魔法学院のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールまで届けて頂戴」
「かしこまりました」
メッセンジャーガールは緊張した面持ちでわたくしの手紙を受け取ります。
「お願いね、サマンサ」
「はっ!」
一礼して去るメッセンジャーガール。
その顔がわずかにほころんだことを、わたくしは見逃しませんでした。
一介の下級貴族に過ぎない彼女の名前を間違えずに覚える。
まったく、人の上に立つというのは、どうしてこうも厄介なことばかりなのでしょうか……
―― アンリエッタ/翌日 ――
使い魔召喚の儀、当日。
朝から誰もがピリピリとした様子で、さすがのわたくしもプレッシャーを感じずにはいられません。
それは母さまも同じらしく、朝食の時もお互い無口になりがちで、会話はほとんど弾みませんでした。
もし父さまが生きておられたら、やはり父さまも緊張して無口になるのかもしれません。
壁にかかった父さまの肖像画を見て、わたくしは思わず溜息をついてしまいました。
「いけませんよ、アンリエッタ」
すかさず母さまに見咎められてしまいました。
「気持ちは分からないでもありませんが、将来このトリステイン王国を背負って立つ者が……」
「分かっております、母さま」
こんな嫌な雰囲気の上に、小言まで長々と続けられては堪りません。
朝食後の、執務室でのお歴々の緊張の度合いもまた凄いものした。グランディエ神父ですら緊張を隠し切れていません。
ド・ポワチエ大将に至っては滝のような冷や汗で、まるで戦争にでも行くよう。
マザリーニ枢機卿も表情にこそ出していませんが、普段から堅苦しい口調がますます堅苦しくなっています。
「……と、このような段取りになっております」
「分かりました」
今日の召喚の儀の手順を説明する枢機卿の話を、わたくしはほとんど聞いていませんでしたが、そう返事をしました。
召喚の儀があるとはいえ、どうせ今日のスケジュールも普段と大差ないのです。昼は形式だけの会議と山のような書類に追われ、夜は出世欲丸出しの人たちとの晩餐に決まっています。
いっそ風竜を使い魔にして、どこか遠くへ逃げ出せたら……
そう、アルビオンへ行ってウェールズ様と駆け落ちなんて…………… きゃっ♪
そんな少女のようなことを考えてしまうわたくしに、始祖ブリミルはどんな使い魔をお与えになるのでしょうか?
―――――
初版:2008/06/30 13:09
改1:2008/11/18 23:48
改2:2008/12/21 14:24
改3:2009/02/25 18:06