ちょいちょい増えていきます、多分。
その内チラ裏のネタ要素が少なめのやつもまとめます、多分。
仕事の終わりを告げる夕刻の鐘が鳴るとチクトンネ街はにわかに活気づく。アングラな売店から飲み屋など誰にでも開かれているところまで、夜のトリスタニアを語るにはこの通りは外せない。明日に虚無の曜日、つまりお休みを控えたダエグの曜日はそれこそどっと人が押し寄せる。
平民たちは友人と笑いながら、恋人と語りながら、あるいは女性を現地調達しようと目を光らせる者までピンからキリまで多種多様だ。貴族らしき人物もちらほら見えて、ここに市中の人々がすべて集まったかのような錯覚すら覚えてしまう。
フードをかぶった淑女もその人の流れに混じっていた。人の多さにも慣れた様子でするする間を縫って歩き、目的の店へ少し早歩きで向かう。
やがて彼女が着いたのは一件の飲み屋であった。客の呼び込みをしているのはきわどい服装の少女たち、通称『妖精さん』。上客たる彼女に気づくと嬉しそうに駆け寄り店の中へ導いていく。
すでに出来上がりつつある酔漢には目もくれず、彼女は店の一番奥、店内から見えない二つのワイングラスが置かれた予約席に腰掛けた。ぱさりとフードを取り去るとピンクブロンドの美しい長髪が現れた。少し翳りの見える鳶色の瞳、整った顔立ち、年月を感じさせない美貌をもつ淑女だった。
ローブを脱いだ彼女は誰がどう見ても上級貴族の身なりをしている。だというのに応対する妖精さんは緊張した様子もなく、彼女も権威をかさにきたところがない。相当通い慣れているようであった。
「いつものでございます」
「ありがと」
オーダーするまでもなくジョッキになみなみと注がれたビールが二つやってきた。泡のきめ細やかさを目で確認しつつ流れるような動作で腰を落ち着ける。酒場に通い慣れているどころではない、常連というより身内扱いに近かった。
ことりと、鮮やかな緑の房つき枝豆が山と盛られた器がやってくる。さらに香辛料がたっぷりまぶされた牛肉を串に刺して焼いたものが通されてきた。彼女の来る時間を完全に把握していなければ不可能なタイミングだ。
「では、ごゆっくり」
妖精さんは彼女からチップをせびらない。彼女はいつも店員全員へ均等にチップがいきわたるようにしてくれるからだ。
木製ジョッキを持ち上げ、彼女は空のワイングラスに軽く触れさせる。
「今週もお疲れさま、わたし」
最初はビールの冷たさを唇で感じ、薫りを肺いっぱいに吸い込む。ホップの華やぎを感じればあとは一息に飲み干すだけ。
ジョッキを傾ければ口の中には鮮烈な苦みと例えようもない旨味がやってくる。
ごきゅ、ごきゅ、ごきゅとあっという間にジョッキを空にして、歓喜に身体を震わせる。
「くぁっはー! これがなきゃ一週間の終わりって感じしないわよやっぱり!!」
おっとこまえにジョッキをテーブルに叩きつけ、続いて豪快に牛串にかぶりつく。枝豆をぱくぱく摘まみだす彼女の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール三十六歳。
ラ・フォンティーヌ領で病弱な姉の領主代理を務めている。花の独身貴族であった。
―――やさぐれるいずさんじゅうろくさい――――
「追加注文ございませんか?」
「タルブの6098年ものの赤。それと適当なチーズをおねがい」
ひょこっと顔をのぞかせた黒髪の少女に見向きもせずに、ルイズは二杯目のジョッキに口をつけている。少女はそれをいつものことだとまったく気にせずオーダーを受け取って厨房に引っ込んでいった。
その後ろ姿を見送って、ルイズはなんともやるせない気持ちになる。
「ジェシカの娘、ね」
ジュスティーヌは今年十七歳になるはずだ。シエスタの弟、ジュリアンとジェシカとの間にできた娘で、はじめて魅惑の妖精亭に来たときのジェシカとそっくりだ。利発でくるくる動き回り、それでいて男のあしらい方も一流だった。
ここに通いはじめたころはまだ十になるかならないかというときだった。時間の流れは平等で残酷だ、などと思わず自虐的な笑みを浮かべてしまう。
二十年、あのレコン・キスタからはじまる激動の時からもう二十年もたっている。
ギーシュはモンモランシーと、マリコルヌはブリジッタと、キュルケはコルベールとそれぞれ幸せな家庭を築いている。むしろあの時代をともに駆け抜けた仲間で結婚していないのは彼女だけだった。平賀才人は―――。
「っ!」
いやな思い出を振り払うようにジョッキを煽る。喉を流れ落ちていく冷たい液体と仕事だけが彼女の恋人だ。そうでも思わないとやってられなかった。
「ワインとチーズお持ちしました~」
「あ、ありが……」
野太い声に振り返るとマッチョなもじゃもじゃがいた。
「もうダメよルイズちゃん。こんなハイペースで飲んでたら体にだってよくないんだから」
「ミ・マドモワゼル……」
すでに白髪もだいぶ混じった黒髪が年齢を感じさせる男性、魅惑の妖精亭の店長ことスカロンだった。
もうだいぶ歳をとっているのに服装はまるっきり変わっていない。変えようともしていない。ただ彼が女性のような言葉を使うことは少なくなった。結婚もしたジェシカに、もう母としての役割は十分だと諭されたから。今では限られた知り合いの前でしか昔のように喋らない。
「週に一度だけだから問題ないわ」
「そう? ならいいんだけどね……」
少し不安そうにルイズを見つめながらスカロンは手際よく赤ワインをグラスに注いでいく。数種類のチーズを盛り合わせた皿と牛串が二本、それとウナギを焼いたものが机の上に並べられる。
「これ、頼んでないけど」
「こちらのご夫人のものよ」
スカロンの声に敷居で隠れていた人物が姿を見せる。その意外な相手にルイズは思わず「あら」と声をあげてしまった。
「店長に聞くとこちらで飲んでいるというからな。相席よろしいかなミス・ヴァリエール」
「どうぞ、ミセス・コルカス。敬語はいらないわ」
「そう呼ばれると違和感があるな。こちらも、昔のようにアニエスと呼んでくれ」
昔は短く揃えていた金髪も今は長く腰ほどまである。すでに銃士隊隊長を退いているアニエスはルイズの対面に腰掛けた。
彼女は手酌でワインを注ぐと目線程の高さにグラスを持ち上げる。
「再会に」
「乾杯」
チンと、澄んだ音が響いた。
最初特に会話もなくワインを口にし、時折つまみに手を伸ばしていた二人だが、次第にアルコールが回って顔が赤らんできた。
そうすると舌も滑らかになりしばし会っていない二人だから、当然会話の花も咲く。
「ところで何故トリスタニアへ? 今はラ・フォンティーヌで領主代理を務めていると聞いたが」
「ダエグの曜日だけはこっちに来ているの。姫さま、と、アンリエッタ女王陛下とのお茶会よ」
「陛下のか……私はその職を離れて久しいからな。時折手紙をやり取りしているが、どうだった?」
「元気も元気。もっと北部を切り取ってやるってノリノリよ」
アンリエッタは結局ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世と結婚した。
聖戦は終わり全ての問題は解決したと言っても財政関係だけはそうもいかない。マザリーニやデムリ財務卿と会談を重ね、ゲルマニアに輿入れすることもやむなしと判断したのだ。
だが、女王はただでは転ばない女だった。
「はは、しかしアルブレヒト殿も災難だったな」
「そりゃね。お妃さまに領地全部乗っ取られたんだから伝説に残るわよ」
なんとアンリエッタはロイヤルボディを駆使してアルブレヒトをめろんめろんの骨抜きにし、少しずつ少しずつゲルマニア領土を切り取り、十五年ほどかけて完全にのっとってしまった。今はもうゲルマニアという名前の国は存在しない。トリステインがガリアよりも広大な領土をもつに至っただけだ。
それに伴い過剰な貴族はゲルマニアの各地方に送られ、メイジ不足だったゲルマニアの工業をより発展させているという。
キュルケなんかは「これであたしもトリステイン人か」なんて肩をすくめてぼやいていた。
そして話題はアニエスの家族のことにも触れる。
「確か息子が今年魔法学院に入るころでしたっけ」
「ああ、レイナールと二人で鍛え上げた自慢の息子だ。学院でもうまくやるだろう」
才人と近しい水精霊騎士隊の四人のうち、おそらくもっとも貴族たらんとしていたレイナールは、なんと思い人アニエスを射止めてしまった。結婚の際に実家でゴタゴタはあったそうだが騎士隊で何故か身についてしまった口八丁手八丁で家族を言いくるめ、今では平民出身のアニエスもコルカス男爵家で幸せに暮らしている。
その幸せそうな微笑みを見て羨ましいという感情を隠せない。確かに彼女は歳をとった。今年で四十三歳、顔にはしわが刻まれもうかつてのように敏捷な身のこなしはできないだろう。だがそれでもその顔には幸せがあった。ルイズが手に入れることのできなかった幸福を彼女は手に入れていたのだ。
やけになってワインを勢いよく煽る。アルコールだけが自分を慰めてくれる気がした。
「白のいいのも持ってきて!」
「おいおい。あまり飲みすぎると体に堪えるぞ。もう若くはないのだから」
もう若くはないのだから……もう若くはないのだから……もう若くはないのだから……。
アニエスの言葉が脳内にリフレインする。ああ、この野郎コンチクショウめ。もうやけっぱちだ、知ったことじゃない!
「あんたも飲めぇっ!!」
きーきー騒ぐルイズを横目にアニエスは静かにグラスをかたむけて呟いた。
「やれやれ、サイトがこの場にいればどう言っただろうな……」
*
気づけば周囲は暗かった。そのことに気を取られるでもなくベッドから起き上がりカーテンを開ける。気持ちのいい朝日が部屋いっぱいに飛び込んできた。
ぱたぱたと部屋を動き回り寝巻から普段着に着替える。そのときふと姿見に眼がとまった。そこに映る自分は若い、いや幼いと言ってもいい。そこで理解できた。ああ、これは夢なんだと。
「おはようございます。ミス・ヴァリエール」
起こしに来たシエスタも当然のごとく若かった。
はて、これはいつの夢なんだろうと疑問に思う。ひょっとして夢なんだからまったく関係のない空間かもしれない。よくわからなかった。
「サイトさんは珍しく早起きでしたよ。もう食堂で待ってらっしゃいます」
「わかったわ」
「それと、エレオノール様もお待ちです」
「……わかったわ」
エレオノール姉さまがいるというならおそらく間違いない。ここはオルニエールだ。
廊下に出ても記憶と寸分たがわぬ壁紙と調度品の数々。とりあえず食堂に行こう。エレオノール姉さまには正直会いたくないけれど、サイトがいるというなら話は別だ。
食堂の前のドア、夢だけれど念のため寝癖がないかもう一度チェックして、こほんと咳払いしてからドアを開く。
待ち構えていたのは涙がこぼれそうなくらい懐かしい光景だった。
「お、おはようルイズ」
「おはようルイズ。あなたもそろそろ魔法学院を卒業するのだからしゃんとなさい」
ある時まではいつも通りだった光景だった。ある時からもう見れなくなった日常がそこにあった。
エレオノール姉さまの小言も耳に入らない。ただサイトの笑顔が眩しすぎて、直視するのが辛かった。
そんな内心をおくびにも出さず席につく。
メイドらしく整然とした動きでシエスタが朝食を並べていき、彼女は厨房に引っ込んだ。来客がないときは彼女も一緒に食卓を囲むのだけれど、特にエレオノール姉さまがいるときにはできるはずがない。
夢の中なのになぜか申し訳なくなってしまう。
食前の祈りを唱えてから食事に口をつける。夢の中だから感触はなかった。
「そういえばルイズ。話があるんだけど……」
ぴしりと固まった。気づいてしまった。理解してしまった。
今日はあの日だ。穏やかだった日常が、不変のものだと信じていた楽園が崩れ落ちてしまった日。
「後になさいよ」
「いやでもエレオノールさん。こういうのは早い方がいいって」
フォークを握る手が震える。ダメだこれ以上言わせてはならない。
なのに言葉は口から出てこなくて。決定的な瞬間を迎えてしまう。
「俺、エレオノールさんと結婚するから」
*
「なんでよこのスットコドッコイ!!」
「すっと!? どうしたんですか?」
はっと気づけばまた魅惑の妖精亭だった。さっきまで一緒だったアニエスはもういない。
目の前で黒髪の少年が心配そうにルイズを見つめていた。
ルイズは思う。デレた姉の姿なんか見たくなかった。しかもそれが自分の思い人に対するものだからキツさは倍。着々とフラグみたいな感じを積み上げていたような気がしていたからさらに倍。もう絶望しかなかった。
シエスタにかっさらわれるならまだいい。あの娘がどれほど才人を好きだったか、ルイズは知っている。
アンリエッタは納得できないけれど理解はできる。ずっと前だってロイヤルおっぱいで才人をたぶらかそうとしていた。
タバサ、シャルロットも騎士だなんだと誤魔化していても恋する乙女だったのは見てわかった。
なのになんで、なんで。
「どうひてエレ姉さまが横からかっさらっれいくのよ……」
「母さまがどうかしたのですか?」
きょとんと小首をかしげる少年は、どこか一般的ハルケギニア人とは違う顔立ちをしている。それもそのはず、彼は現ラ・ヴァリエール公爵こと才人とエレオノールの長男であった。
「いいのよーわたしエルネストと結婚するんだからー」
「……ルイズさんまた結構な酔いっぷりですね」
アレな父親とアレな母親の間に生まれながら、この男の子はありえないくらい真っ当に育った。かつての魔法学院を見渡しても該当する人物がいないくらいの常識人だ。
「ていうかなんでここにいるろよ~」
「明日は虚無の曜日ですから」
なんて言いながらエルネストはルイズの脇に腕を差し込み肩をかして持ち上げる。ルイズはなされるがままだった。
「じゃ、ジュスティーヌ。また来るから」
「またのご来店をお待ちしてまーす。あ、ツケときますから次払ってください」
へべれけルイズの様子を見て、こりゃダメだと判断したジュスティーヌは料金回収を早々に諦めて二人を店から追い出した。どうせルイズは来週も来る。そのときお金をとれば問題ない。
よたよたと二人は夜のチクトンネ街を往く。目指すはラ・ヴァリエールのトリスタニアにある屋敷だった。
「ほら、ルイズさんももう少ししゃんとしてください」
「む~~り~~」
甘えるようにぐっと甥っ子に体重をかける。とても三十六歳がやるような行動ではなかった。
それを迷惑そうな眼と、かすかにゆるむ口元で受け止めるエルネスト。親子ほども歳の離れた二人だったが見ようによってはカップルに見れなくもない。
「たまにはラ・ヴァリエールにも帰ってきてください。じーじもばーばも父さんも母さんも会いたがってますよ」
「む……りー」
「あとシエスタさんも」
「あいつころす」
シエスタは、なんとルイズを裏切ってエレオノールの味方についた。そして妾として才人の子どもを産んだのだ。そのことをルイズは一生許せない。
なにより許せないのが――。
『ねえルイズ。あなたがサイトのこと好きっていうのは知ってるから。その、よければあなたを第二夫人にしてもいいのだけれど』
二十七まで独身だった姉に情けをかけられた。
もうそのことに怒りやら悔しさやら悲しさやらで噴火した。愛しさと切なさと心強さなんてこれっぽっちも沸いてこなかった。
だから彼女はラ・ヴァリエールに帰る予定なんてついぞない。
「そうねー。エルネストが結婚してくれたそれもいいかもねー」
「……はいはい」
「じょーだんじゃないのにー」
ぶらぶら二人は夜の街を往く。朝はまだまだ遠そうだった。
*
「……はっ!?」
ばっと身体を起こす。目を覚ましてすぐに確認したのは鏡。自分の顔をまじまじと確認する。
しわ一つない。まだまだ幼く見える顔がそこにあった。
「……夢?」
思わずへなへなとルイズはへたりこんだ。外からは小鳥の鳴き声が聞こえる。
自分の顔をぺたぺた手で触ってもう一度確かめ、大きな大きなため息をついた。
「よかったぁ……」
あれが事実なら悪夢なんてもんじゃない。どっと寝汗をかいていたようで体中がべたついている。でもそんなことも気にならないくらいルイズは安心した。
そのときシエスタがノックをして部屋に入ってくる。
「おはようございますミス・ヴァリエール……ってどうしたんですか?」
「ちょっとね。夢見が悪かったのよ」
わかったようなわからないような返事をしながらシエスタはカーテンを開ける。外は快晴、気持ちのいい青空が広がっている。まさに悪夢を吹き飛ばすような天気だった。
「いい天気ね」
「ええ、そのせいかサイトさんも今日は早起きですよ。もう食堂で待ってらっしゃいます」
「わかったわ」
「それと、エレオノール様もお待ちです」
「……わかったわ」
違和感がぞわりと身体を奔る。なにか経験したような、既視感があった。
とりあえず食堂に行こうと決め、部屋を出る。エレオノールに小言を言われそうな気はするが、なにはともあれ才人に会いたいとルイズは思った。
食堂の前のドア、夢でしたように念のため寝癖がないかもう一度チェックして、こほんと咳払いしてからドアを開く。
待ち構えていたのは夢で見たのと同じ光景だった。
「お、おはようルイズ」
「おはようルイズ。あなたもそろそろ魔法学院を卒業するのだからしゃんとなさい」
ルイズの使い魔、平賀才人と姉のエレオノールが席について彼女を待っていた。
今はエレオノールの小言も耳に入らない。才人の笑顔がとにかく嬉しくてるんるん気分で腰を下ろす。
メイドらしく整然とした動きでシエスタが朝食を並べていき、彼女は厨房に引っ込んだ。来客がないときは彼女も一緒に食卓を囲むのだが、特にエレオノールがいるときにはできるはずがない。
食前の祈りを唱えてから食事に口をつける。しばらく無言で食事をしていると、思い出したように才人が声をあげる。
「そういえばルイズ。話があるんだけど……」
了