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100%と0%は存在しない。完璧である人間が居ないように、死人が表を歩かぬように。
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烏の濡羽色は日本人特有の黒い髪の美しさを現すと言う。その羽が濡れて汚れを落とすまでは穢れているということなのだろうか。
そんな囈言を寝言のように吐いてしまいたいくらいにしとしとと地を打つ雨の日だった。寮の部屋から覗く窓の外はセピア色で、まるで色を失った世界のようにも見えて、ふと脳裏に燻る炎が新たな疑問に飛び火する。
色を失った世界は真っ黒なのかそれとも真っ白なのか、はたまた色はすでに亡く透明なのだろうか。
白黒の世界を色を失った世界だと語るのは少しばかり強欲だろう、零と言っているのに二つも色が存在するのだから。
かといって、全てが透明であれば四方八方の壁も制限を意味を成さず存在すらも消え失せる。
個性無き世界。
――そんな世界を誰が観測するというのだろうか。
神でさえも認識の境界線を触れることもできずに迷子になるくらいに、混沌の世界になるに違いないだろうし、その世界で生きるためには色を作り出すことが不可欠だというのにその色を作るために生きなければならない永遠めいた言葉遊び(リリック)に陥る世界。
倫理を論理で語り、論理を嘲笑い倫理を冒涜し、その二単語をゲシュタルト崩壊するまで煮詰め終えた先には何があるのだろうか。
暴虐の如く最悪の世界か、正義の如く愚信の世界か、はたまた侵食の如く空虚な世界か。はて、何が残るのやら。
人の世を生きる思考する機械人間であるぼくがそんな興冷めた話を続けるのにはやる気とかモラルとかロマンとか根気とか努力とか気持ちとか、色々と不足しまくりで今も尚螺子を敢えて二、三本くらい緩めてしまうくらいに――ああ、もう思考終了。かったるい。
「……佐々木小次郎の真似をしつつアクロバットでもしてみようかな」
そんな囈言を垂れ流すぼくの姿は恐らく格好が悪いってもんじゃなくて、自堕落のそれだとはっきり自己申告できちゃうくらいにだらけていた。
職員会議とやらで全ての授業が短縮で終了し、全員に寮内に居るよう口酸っぱく昨日のHRで言われてしまっているからして、やることがない。
恐らく、人識くんの無差別……いや、理由があるのかも知れないのだけれども。まぁ、殺人鬼の行動がすっぱりと消え去ったからこそ、セキュリティを大幅に上げましょうか、という会議らしく、強化されているぼくの耳で特定の声だけを拾って器用に盗聴されているのも知らずに激論状態らしい。やれやれ、お疲れ様なことで。
ちなみに、一夏くんらは娯楽の提供場として開放された食堂に行って箒ちゃんらとケーキバイキングに勤しんでいる。
その中に混ざってもよかったのだが、なんかもう、ほら、歩きたくないし動きたくないし喋りたくもないしやってらんないし――独りでしりとりでもやるか、なんて考えちゃうくらいに捻くれちゃってるぼくだからさ、その、なんだ。一言で言えば、ガッツが足りない。
……ふむ? 何やら三十メートル先の階段付近から四人程の足音を感じるな。何か喋っているようだけれども今のぼくの耳は全力で盗聴中なのでソナー的なものでしか感知ができていない。いやまぁ、盗聴止めればいいのだけれども。
でもまぁ、千冬さんのカックイイ独壇場演説を聴き続けてもいたいので妥協せずに自室のベッドでゴロゴロしていよう。
眠っても良いのだが、何せ機械の身だ。疲れやら乳酸やらとオサラバした身体だからさ、別にすっきりするわけじゃないんだよね。
言わば、娯楽のようなものだね。睡眠をしっかり取ることは大切だと夜更かしをしても疲れを感じていた頃に肝に銘じていたけども。
つっても、すでにその肝も鉄の塊かもしれないし、そもそも無いのかもしれないのだけれどもさ。
幾度目かの寝返りをした時に、鍵を外から開く振動を感知した。
ふむ、演説終わったし後は録音程度に留めて置こうかな。中々便利な身体になったものだ。
「おーい、山猫。生きてるかー?」
「脈は無いが生きてるぞー」
「んな馬鹿な」
ちなみに、マジで無い。でも、さすがにバレる要素にするには不味いので規則的な鼓動っぽい振動で誤魔化してたりする。
「って、朝と同じ格好じゃないか」
「良いだろう、ぼくだってだらける日があってもいいじゃないか」
「いや、アンタ毎日ダラダラしてるじゃないのよ」
「うむ、生気がある瞳を見た日は土曜の朝に出会った時だけだな」
「嫉妬してしまいますわねー」
何故、君らがこの部屋に集まるんだい。織斑部屋と呼ばれているらしいこの部屋に、さ。
あれからぼくは結構有名になってしまったようで、曰く「清楚で可憐な死体」だそうだ。見た目は良いのに中身が腐りすぎている、ということらしい。ああ、間違って覚えられると困るので弁解しておくが、腐るの意味は自堕落の意味であって、×のカップリングを一日中考えて別れた割り箸の両サイドでヘヴン状態になれちゃうような御腐人たちと一緒にしないでほしい。全く持って興味は無い。
そういえば、最近簪ちゃんという濃ゆい友人ができたが、それはまぁ、語らずに及ばぬことだろうね。
ベッドにだらけるぼくを視界に入れつつもテーブルを持ってきて部屋の中央に椅子を添えていた。なるほど、お茶会をするらしい。
ならば、ぼくは参加せずに瞳だけを残して透明にでもなっておけばいいのだろうか
。実際にできるけど人間の瞳が浮いているのは怖いと思う。
一夏くんのベッド側に一夏くんを鈴ちゃんと箒ちゃんが挟み、こちら側にセシリアちゃんと空いた椅子がある。
「……あれ、もしかしてぼくも参加しろということだったりしちゃったりするのかな?」
「そりゃ、まぁ。見ての通りだ」
「ふふ、今日はわたくしの自家製フルーツケーキのお披露目会ですのよ」
「セシリアは料理が少しアレだけど、ケーキとかは美味しいのよね」
「ああ、アレさえ直ればな……」
セシリアちゃんは料理ができない子……いや、遥かに難しいケーキを作れるのだから作れるはずなんだけどもおかしいよね。
もそもそとシーツを被り直し、装甲を展開する要領で寝間着から部屋着へとチェンジゲッター。
起き上がれば灰色のタンクトップにくたびれたジーンズという少し涼しい格好に大変身。
……楽過ぎるなこの身体。慣れれば慣れるほど堕落していく気分だ。
のそのそと椅子へ座り、ぐったりと突っ伏す。あー……、めんどくさい。雨の日は何故だか余計にめんどくさい。機械だからだろうか。
つっても、この身体防水の上に真空状態でも余裕で耐熱性もあるというチート性能を保有している。身体の変化も自由自在だったり。
いやまぁ、人間でないのだから当たり前なのだけれども。
「さて、フォークは持った。ケーキはまだかい?」
「ふてぶてしいな」
「良いんですのよ。ラム酒の香りが強いですが大丈夫かしら?」
「大丈夫だ、問題無い。ふむ、確かに良い感じに熟成されていて……はむ」
ラム酒の酔わせそうな匂いが口の中から鼻腔を穿ち、一瞬でぼくの口の中は酔いどれ状態に。いやまぁ、さすがに二ヶ月くらいは熟成されているようだから酔いはしないが、甘美な香りに酔ってしまいそうだ。加えて、ドライレーズンのドライ系独特の噛めば噛むほど甘くなるあの感じがたまらなく甘く感じる。熟成されてしっとりとした生地もまた、美味。
「あら、口元に滓がついていますわよ」
そうセシリアちゃんはすっと取り出したシルクのハンカチで口元を拭ってくれた。良いヘルパーになれそうだね、セシリアちゃん。
そこはお嫁さんと言っておくべきなのだろうけども、如何せんこのセシリアちゃんを調子付かせるのは拙い気がするんだよね。
確かにまぁ、こうしてお姉さんキャラを発揮して面倒を見てくれるのは楽で楽で……楽なんだけども、まぁ、いいか。
今日はもう、通常運行は不可能ってくらいにだらけてるしさ……。
突っ伏したぼくに「あーん」甲斐甲斐しく「あーん」してくれるのは「あーん」嬉しいんだけどさ「あーん」やっぱり「あーん」。
ここらで一杯紅茶が怖い。
「いや、自分で飲めよ?」
「まるでセシリアが山猫のお母さんみたいに見えるわね……親馬鹿だけど」
「そうだな。確かに微笑ましい光景だな……親馬鹿だが」
「もうっ、ひどいですわ皆さん。こんなにも可愛らしい山猫さんを愛でないだなんて常識を疑いますわ」
「そこまで言われるのか私たちは!?」
「ここまで重症だとむしろ清々しいわね……」
「いつもに増して絶好調だなセシリア……。まぁ、確かに山猫は……はっ!?」
その時、一夏くんの背筋に悪寒が走る。溢れ出た怒気というオーラを纏った二人がゆらりと立ち上がる。
「ほう? 山猫が……何だって一夏?」
「ふふ、いーちーかー。何を言おうとしていたのかなー? もしかして、可愛いだなんて言おうと思ってたんじゃないわよねー?」
「いや、待て。お前ら、何で瞳から光が無くなって、ちょ、おま、止め――」
「ふざけるんじゃないぞ一夏! 確かにこいつはほんにゃりぽやぽや系冷酷サディストで可愛い担当だがそういう形容詞を一度たりとも私たちに使わないお前がよりによってそっちに先に言うのか!?」
「そうよ! 胸があって甘えと鞭の使い方が巧すぎる可愛い系でアンチ安心系のこいつに言う前にあたしたちに言いなさいよ! それに、いつになったら返事を返すのよアンタは!!」
……うん? ほうほう、なるほど。最近浮ついていると思えば告白されていたのかこの朴念仁の鈍感シスコーン。
そもそも、この二人がプライドを捨ててまで先に一夏くんに告白するなんて……ああ、それほどまでに恋焦がれていた、と。
まぁ、確かに。箒ちゃんは渋々と学園に特別入学したと言っていたが束さんのリークにより実家でガッツポーズをしていたという情報もあるし、鈴ちゃんはそもそもここに来るつもりは無かったのにぼくのニュースを見てすぐにお偉いさんに人を殺せる視線を持ってじっくりと話し合って編入を捻じ込んだとかって言ってたしなぁ。
言うなれば感情爆発ということだろうか。まぁ、恐らくながら一夏くんの姿でぼくが理解していたのに関わらず露骨なアタックを仕掛けても「うん? 何か言ったか?」「あれ、今何かしたか?」「何か、あったっけ?」と、天然のフラグブレイカースキルでへし折り続けられていたらしいから我慢の限界だったんだろうね。
いやはや、恋する乙女は恐ろしいね。
しかも両方分かりやすいツンデレなのに一夏くん特性フィルター越しだと「どういうことなんだ?」と疑問系になってしまうから尚更性質が悪いためにぶち切れちゃったんだろうな。
可哀想に、とは言わないよ。
だって、ぼくが一夏くんから受けていた相談でさりげなーく誤認させるような言い方で敢えて遠回しに答えてあげて、もどかしい状況をかなりややこしくして尚且つぼくが黒幕だと言うことすらも分からぬような狂言を遣いつつも実は裏で箒ちゃんたちの相談も受けてこれまたさらに混沌にさせるために色々と努力した結果なのであるからして、行っていたここ数日のご飯はとても美味しく感じられていたのを覚えている。今時男からの告白を待っている白馬の王子様症候群にかかっているような時代じゃないんだし、好きなら好きと言ってあげればいいのだ。まぁ、一夏くんは「好き」という単語が「Like」に変わってしまっていたし、丁度良かったんだよきっと。ぼくの暇つぶしもとい色恋としても。
取り敢えず、まぁ。こうして火山口にガソリンを撒き散らすような真似をして見事噴火させた結果を知ったのであった。
もしも、ぼくが告白されるなら……はにかんだ笑顔でさりげなく「てあーも♪」だなんて可愛らしく言って欲しいものだ。メイド服着用で捻くれた毒舌家で「そんなにそわそわしないで~」なんて言っちゃうようなお茶目さがある人物ならモアベター。ロマンティックが止まらないね。
そんなアブノーマル側の欲望を心の中限定で曝しつつ、目の前で起きている惨劇を喜劇として見ながら紅茶を一口。
ふむ、アールグレイか。
「茶葉はイギリスから寄越させた一級品ですの。お口に合いまして?」
「へぇ、インスタントすらも飲まないからあんまり味の違いが分からないけれども……これは、美味しいね」
「良かったですわ、喜んでいただけて」
そうぼくらは目の前の惨劇を視界に入れることをせずに現実逃避のような現実的な話をしていた。
視界の端では、一般人が見ると鬼が二人と生贄が争っているように見えるが、実際には恋する乙女二人が自分の不満と愛しい気持ちの自己主張をこれでもかと浴びせているだけであり、修羅場ってはいない。むしろ、リア充爆発しろと言われかねないフィーバータイムだ。
と、形容するが嵐の中心たる一夏くんはたまったもんじゃないだろう。いや、別のが溜まるかもしれんしね。積極的なスキンシップだし。
この二人の修羅によって一夏くんファンはごっそりと会員数を減らし、今では山猫同好会などと言うぼくを愛でる怪しげなそれが開設されたりと、たった三日で大変なことになっていた。まさに、混沌って感じだ。
とまぁ、名誉ある山猫同好会の会長が隣の貴婦人だったりするのはご愛嬌。別に愛されるのは嫌いじゃない。
うっとおしくなければ、だけど。
「あ、愛が重い……」
すがるような瞳で一夏くんが椅子を経由して机に上ってきたので、「森へお帰り」と手を払ってあげた。グッドラック。
……そろそろ朴念仁が矯正されるのも近いやもしれないなー。一夏くん、君の犠牲のことはきっとすぐに忘れるだろう。
甘い蜜のような愛の囁きが机の下で繰り広げられているが、ぼくはまぁケーキの甘さで十分なので放っておくことにする。
口に運ばれるフォークの先のケーキを食べて咀嚼。うん、良い熟成具合で美味い。紅茶も砂糖が入ってないのに甘いし、平和だなぁ。
「そういえば山猫さん。転入生の噂はお聞きになりましたか?」
「んー……、ああ。ドイツとフランスだっけ。まぁ、代表候補生だろうね、たぶん。調べようと思えば調べるけど……めんどくさい」
「あらあら……。ではわたくしの方で調べておきましょうか?」
「うんや、それには及ばないよ。危ない橋を渡るのはぼくだけで十分だ。それに、何となくドイツの子には予想がついてるからさ」
「あら? そうなんですの?」
「うん、そうなんですの」
と、言っても中学三年の夏の二週間だけのホームステイだったから、未だに彼女の記憶に残っているかは知らないけれど。
……むしろ、距離を置かれていたというか……敵対されていた、というか、警戒されていたのかな。
千冬さんのだらだらとした生活に渇を入れる節々を見られて「教官を苛めるな!」と怒鳴られたのを覚えている。
「どんなお方なんですか?」
「うーん……、千冬さんが大好きな背伸びしたがるお嬢さん、かな。純粋だけど軍人さんだからちっとばかし堅いけど、良い子だよ」
「へぇ……。お会いしたいものですわね」
「そう、だね」
ぼくとしてはあの恐ろしいほどに純粋な瞳で見られるのはあんまり好ましいとは思わないのだけれども。
汚い人間だと分かっているからこそ、あのような純粋無垢な瞳は眩しく過ぎる。
まぁ、その視線が若干苦手なのであって彼女が嫌いだというわけではない。
むしろ、大好きだった。義妹だと錯覚するくらいに溺愛していた。あの無垢な瞳で見られるとぼくは……。
「……つい、お菓子とかあげたくなるんだよなぁ」
「?」
最初は飴玉だったのに、最終日にはココアと手作りチーズケーキだったかな。甘やかし過ぎてしまったのは自身でも感じている。
しかしまぁ彼女の笑顔を微笑ましく思い、つい、手は彼女の頭の上に向かってしまうのだ。
こちらを見るのはジト目なのに、少しだけ気持ち良さそうな表情でさらさらとした銀色の髪を撫でられるのを良しとしてくれたその光景を今も覚えている。今も尚その髪触りが思い出せるくらいに鮮明に、思い出せる。
自分の右手を見ながら懐かしいという感傷に呑まれてみる。
もしも、彼女――ラウラ・ボーデヴィッヒちゃんが噂の転入生だったなら、恐らく一夏くんの方へ懐くのだろう。
少し、寂しいね。それは。
誰かに忘れられるというのは存在の消滅だ。誰にも干渉されず誰にも感傷にされることもなく誰かに過去として鑑賞されることも無い。
それは、存在の消失であり、アイデンティティの死だ。思い出は重なることもなく過ぎ去り、他人として生きるしか無いのだろう。
例え人間の領域からすでに通り過ぎてしまっているぼくと言えども思い出は大切にしたいと思っている。
だからかな。ラウラちゃんがぼくのことを見抜いてくれると嬉しいだなんて思ってしまうのはさ。
アールグレイのカップを口につけて飲み干す。すでに時間が経っているから少し冷めてしまっていたが、不味いとは感じなかった。
「……ちょっと、花でも刈り取ってくるよ」
「あら、ではおかわりを準備しておきますわね」
「ありがとう、セシリアちゃん」
不穏な匂い、とでも形容しようか。この紛れも無きぼくだけを狙って放たれている殺気の存在を。気持ちが込められていてここまで酷ければいっそ清々しいほどだ。皆が気づかないほどに繊細で大胆なその殺気を辿り、誰も居ない廊下へと足を運ぶ。
そちらを見やれば何やら見知らぬスーツの女性が立っていた。何処か違和感を覚える。
所謂、デジャヴ。どっかで見たような気がする人だ。
「……今日はオフなんだけど」
「あら、悪いわね。でも私は仕事なのよ。貴方が――織斑山猫ね」
「生憎、見知らぬ女性にフルネームで呼ばれる筋合いはないんだけども」
「見知らぬ、ね。言ってくれるわ。貴方でしょう……? 私の右足と両肩に穴を穿ちやがったのはよぉおおおお!!」
突然の怒声。見慣れぬ形態のISを展開させた女性。八本の黄色と黒の装甲脚は廊下の床を突き破る。その姿はまるで蜘蛛だった。
女性の様子は先ほどまでの穏やかな雰囲気を砕き、まるで荒くれた暴風のように刺々しい悪鬼の表情を曝した。
右足と両肩に穴、ね。どこかでやった覚えがあるよ、確か。
「ああ、あの時の独断専行したお馬鹿さんか。よくぼくの前に顔を出せたね」
「はんっ! 吼えるんじゃないよガキが! ISを身に纏ってない時と同じだと思うなよ!!」
「ぼくは確かに言ったよ」
「シャァアぁアアァアアアァアアアアアァアアアアアアッ!!」
女性は蛇の咆哮の如く高い声の雄たけびをあげて床を蹴り、低空飛行で飛んできた。……やれやれ、馬鹿かこいつ。
――よっぽど死にたくなる思いで溺死したいらしい。
全体の装甲の展開はしたことは無かったが、この際だ。思いっきりと遊んでやることにする。
身体がギチギチと姿を変えていく。
一メートルくらいに伸びた腕先には鉤爪、鱗の様に積み重なるその装甲はまるで龍鱗、口元を覆うような噛み砕くことに特化された顎、背中にはISエネルギーで生成された四つの黒き翼が生えた。外見は恐らく機甲鎧黒龍のような感じに違いない。
目の前の蜘蛛女の瞳に恐れの色が生まれるが、どうだっていい。
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「知ってたか? タイムマシンって誰でも持ってるんだぜ? 十時に寝て起きたら明日になってんだよ!」
「つまり、ぼくに明日は来ない、と言いたいんだな君は」
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「汝、人狼なりや?」
瞬間、ぼくの周りの空気が焼けて爆ぜた。ぼくが掴むは細い首。四つの翼は八つの槍に分かれ、装甲脚を砕く。
女性が驚愕で目を見開いた瞬間。首から肉が鉄板で焼けるような音が聞こえた。
「アガァッ、ぐげ、ぁあ、あぁああぁあああぁああああああ!!!」
音速すらも超えた速度で『ザ・ハンド』の如く距離を消し飛ばし、赤熱せずに熱だけを表面に残す装甲はまさに業火に焼かれた鉄板と同じだろう。触れるだけなら絶対防御が発動するわけもなく、その熱を防ぐ壁は無いため妨げは無い。
しかし、元々宇宙用パワードスーツ。すぐに耐熱機能が発動しただろう。だが、熱さが首の皮を焼いた一瞬の時の痛みが今も尚掴むぼくの右手によって痛みを持続する。あんまり力を入れ過ぎるとへし折ってしまうため加減が難しい。
「言ったよな。調子に乗るなってさ。アプローチをいちいち受けてやるのもさすがにめんどくさいんだよ。それに言ったよな、今日のぼくはオフだって。勘弁してほしいなー、これからぼくはアールグレイとフルーツケーキでゆったりと過ごすんだからさ。なんつーかさ、今のぼくに君のような虫けらを殺せるとは到底思えないのだけれども君んとこのシミュレーション室壊れてるんじゃねぇの? または、きみの頭ん中が残念過ぎて滑稽過ぎるほどまでに愚かで腐っちまってんのかい? 苛っときた。そうだな、お仕置きでもしようか。ぼくはやさしいから選ばせてあげる」
ぼくは空いた左手で彼女の右肩のIS装甲を掴み、力任せに剥ぎ取る。むき出した素肌を掴み、尋ねる。
「右腕を壁で紅葉卸にされるか、右腕を練り消しのようにぐちゃぐちゃにされるの、どちらがいいかな?」
「――ッ!?」
「そうか、両方か」
渾身の蹴りでつま先を彼女の腹部へ突き刺してから、右手を離す。そのまま彼女の右腕を関節を中心にするように持ち、捻った。
ごりんっと手から伝わる骨が外れた音と痛みの絶叫が良い感じにハーモニーを生み出した。そのまま骨の中心を掴み、強靭過ぎるう握力で砕く。そのぐにゃぐちゃな右腕の手首を掴み、窓側の壁へ押し付ける。すでに彼女は痛みで気を失いかけているようで、若干白目を向いていたが、構わずそのまま音速を超えた初速度の瞬時加速を行い、一瞬で彼女の右肩までが壁の染みとなった。
後ろを見やれば赤い線ができていて、とても鉄臭い。摩り下ろされた右腕の付け根を抱えて彼女はその場で嗚咽を漏らしながら崩れ落ちた。泣けば許されるとでも思っているのだろうか。こちらは命を狙われたのだ、右腕程度で勘弁してあげるんだから感謝して欲しいくらいなのだけど。
「さて、と」
ぼくは全身の装甲を元に戻し、タンクトップとジーパンに戻る。
今も尚言葉にならない声で嗚咽を零す女性の前にかがみ、まるで首輪のような痕になった火傷を触らぬように首を掴む。
ぐいっと表を上げさせれば最初の気強い獰猛な顔は苛められた小動物のような泣き顔に変わっていた。
「ひぃっ!!」
「今から君に面白いことをしてあげよう――」
今からやるのは狐さんに会わされた彼の部下の十八番を真似たものだ。
本来ならば継続して効果を延長するようなものなのだが、如何せん真似た程度では劣化の速度は速く、永遠には縛れない。
なので、ぼくはそれにサブリミナル効果を混ぜて独自の催眠術を作り上げた。目を合わせる際にぼくの瞳を見せ、そこに映る自分の姿に一瞬だけ狂言の言葉を見せる。サブリミナル効果を利用して無意識に縛りを施すという呪縛をかけてあげる。
そう――ぼくの命令を聞かなければ心臓が急激に痛むよう、精神の記憶に残らぬ肉体の記憶を植え付ける。
サブリミナル効果を増幅させるために操想術という恐怖を操る時宮の技術を用いるのが味噌だ。
無意識的な感覚を恐怖という感覚で覆い被せ、隠蔽と持続性を持たせる。そのために、右腕をさよならさせて彼女に恐怖を植え付けるような事をしなくてはならなかった。可哀想だとは思わない。むしろ、戦力が少し削れたか、程度の心配もしてやしない。どうせ、捨て駒だ。
精々――壊れるまで働いてもらおう。
「服従してくれるね」
「――はい」
「よろしい」
操想術の副作用としてかけてから少々の時間は虚ろな瞳だが、しばらくすれば先ほどの強気な彼女へ戻るだろう。
そして、このやり方で一番恐ろしいところは――彼女がぼくに対し憎しみや苛つくことができないという呪縛に縛られることを意識できないことだ。ぼくの声を、または瞳を見れば催眠状態に陥り、ぼくの手駒になるように無意識に侵食していく。それがこの――鎖操術の力だ。
ワンアクション置かなければならないところが劣化点なのではあるが、そうそうこれとは会わないことになるだろうから問題無い。
携帯をスッて電話番号とアドレスを網膜から記憶し、元に戻す。さて、これをこのままにしておくのも厄介だ。
「帰りたまえ。結果は惨敗、右腕を差し出して逃げ切った」
「――分かりました」
すくっと立ち上がり、ISを仕舞い右腕が無いことで少しバランスを崩しているからかふらふらとしながら彼女は廊下の角を曲がって行った。恐らくこの状況を作り出した人物の指示通りに逃げ道を通り、出て行ったはずだ。
しばらくして廊下に充満していた違和感は消えた。
ふんっとぼくは鼻で笑って部屋へ戻り、お茶会に戻らずベッドに飛んだ。途轍もないことを思い出してしまって、現実逃避したかった。
「うん? どうしたんだよ山猫」
「……いや、ちょっとだけ疲れただけだよ」
「めんどくさがりにも程があんだろ……」
やっべ、後片付けできる人物が今居ないことに気がついた……っ。廊下のあの紅葉卸どうしよう……。ばっちり廊下全体にあるよあれ。
束さんに頼もうにも恐らく話すこともできないだろう、かと言って千冬さんに頼むのもアレだ、だからと言ってぼくが掃除するのも……。
……よーし、廊下掃除は用務員さんに任せよう。
恐らく思いっきりやったから水分残らずにこびりついているだろうし、人識くんの件で元々警戒が緩まったときだし……。
「……まぁ、警備が強くなるのは喜ばしいことだよね、うん」
ぼくの口から枕元に漏れたのは狂言だった。
少しやりすぎた感はあるね、やはり。
兵器に人が勝てる道理は無いし、当たり前な結果ではあるが右腕一本はやり過ぎたかな。
後片付けの件で頭が冷えたぼくは少しだけ罪悪感を覚えていた。……でもまぁ、今の時代義手くらいはできるか。
罪悪感は山田先生に座布団と一緒に回収されていったので、ベッドから椅子へ戻る。
再びフルーツケーキを口に運ばれる作業に戻ったぼくは先ほどのことをまとめるために思考を働かす。
まず、再びの久しぶりの痛恨のミスの反省。
またまたまた尋問することを忘れていたことだ。反省して次に生かそう。ほら、三度目の正直ってことは二回まではあるって……、いや、今回が三回目じゃん。どちらかといえば仏の顔は三度までって方じゃないか。
……まぁ、取りあえずアラクネとでも呼ばせてもらおうか。ISの名前だしさ。
アラクネさんは"確実"にあの時の"織斑一夏の正体"が今の"織斑山猫"であることを看破していた。これに対し解は二つだ。
一つはぼくの正体を知るマドカちゃんが所属する組織が山猫であるぼくのことを見抜いている。
そして、もう一つはセシリアちゃんたちと同様――彼女がぼくの存在を見抜けるくらいに恨んでいて鋭かったからか。
……わかんね。
「あら、紅茶が切れてしまいましたわ。少しお待ちを」
自分の右手を見てぼくは思考を一度止める。爪の先の方を変化させてから戻す。自分が人間でないことを再確認する。
ぼくの身体は完全にISであるらしい。しかし、こうして食事もできるし寝ることもできる。
どういうことなんだろうか。やはり、ここは少し怖いながらも束さんに尋ねてみることを選択することを考えるべきなのだろう。嫌だなぁ。
こんな身体を束さんに見せたら分解されるかもしれないし……、うん。やめた。狸型未来ロボットって感じで自己完結しておこう。
いや、だめだろ。
……つい苛立ちに任せて装甲を展開してしまったが、先ほどの格好は色々と不味かった。
機龍型のISデザインは自分でもかっこいいとは思うが、よろしくない。
ただでさえスポーツの役割を押し付けられているISに戦闘に特化させた装甲展開はケチを付けられかねないからだ。
なので、白式のデザインを反転させ黒いデザインの黒式をデフォルトにしておこう。元々対なのだから姿形が似ていてもおかしくはない。
……そろそろ腹くくって挨拶回りといくべきだね。
積雪さんを筆頭に曲識さんや双識さん。狐さんと潤さん、ええと後は……マドカちゃんにも会わなきゃだな。人識くんたちは……まぁ、またいつか勝手に出会うだろう。物語に語られないようなくだらない時にでも外伝みたいな感じの出会いをするに違いない。
では、まずは――ラスボスから片付けよう。
……まぁ、夜でいいよね。今はぐったりしていよう。やけに調子悪いし……。
「そういや、山猫って日本の代表候補生なんだよな」
「うん、そうだよ」
「専用機あるよな? よし、明日からお前も模擬戦に混ざってくれよ」
「ああ、確かにそれは良い案だな。一夏にしては冴えている」
「ええ! それは大変喜ばしいことですわ!」
「……そういえば確かにアンタのISをまだ見てないわね」
「つーことで、お披露目よろしく」
……めんどくせ。何なんだ……まるで新しいゲーム機を買った友人に見せてくれとねだるようなノリじゃないか。
まぁ、確かに間違っちゃいないのだけれども。確かに新しいけどさ……一週間ちょい前だし。
「あー……、一夏くんの零式もとい白式を黒く塗ったような感じ。以上」
「ずいぶんと説明があっさりかつストレートだな。外見が似てるってことはもしかして兄妹機だったりするのか?」
「そうらしいよ。確か君のとぼくので対になる機体らしいよ。つっても、ぼくのはワンオフできないらしいけど」
「ワンオフ?」
「単一仕様能力のことよ。昨日授業でやってたわよ。まぁ、一夏のことだから聞いてなかったんでしょ」
「わたくしたち代表候補生はすでに教科書一冊分くらいの素養はありますので問題ありませんが、一夏さんはド素人ですので座学はしっかりとしなければついていけませんよ?」
「うむ、三習は大切だぞ一夏」
「予習復習実習だったっけか」
「まぁ、ぼくにはすで関係ないけどね」
その何気なく呟いた言葉で空気が一変した。主に箒ちゃんで、それに続いて鈴ちゃんセシリアちゃんって感じに感染が広がる。
「しれっとこの前の小テストで満点を取っていたな……」
「確か以前にIS検定二級もお持ちになっていたかと……」
「なにそれ、おかしい……」
「……………………ん?」
どんよりと嫉妬恨めしいといった様子でこちらをジト目で睨む三人の理由が分からない一夏くんは、空気が変わったことにようやく気付いたらしい様子でアホ面を晒していた。まぁ、記憶には残っていないが経験くらいには残っているためもしかすると宝籤を引くような確立でテストで大穴を当てる可能性もあるのだが、まぁ、期待してあげないことが優しさだろうね、きっと。
そもそも……自分がISなので、それに纏わる話は全て自身の身に問えば大抵は分かるのだ。満点を取れないわけがない。
ミスるとしたらIS技術の革命やらの年号などを一文字間違えるとかの凡ミスくらいだろうし、後はIS経済くらいだろうか。
まぁ、いざとなればISネットワークを経由して……って、まだ繋がってないんだった。
それも課題の一つだった。生活を行えるくらいの身体の動かし方は普段通りで構わないのだが、それ以外――ISとしての身体の動かし方はまだ慣れていない。間違えると左手がドリルの如く回転数が千回超えてしまうくらいに暴走してしまうかもしれない危険性もある。
問いを呟いて「Exactly(その通りでございます)」だなんて答えてくれる人口AIはぼくが乗っ取ってしまっているようなものだから、知識と勘で色々と行うしかない状況なのだ。
そのため、早急にネットワークを接続してとある某巨大掲示板で板を立てて質問を、もとい、ISネットワークを有効活用しなくてはならない。脳の中にスーパーコンピューターがあるようなものなので計算は一瞬で終わるくらいの頭のスペックだ、それを情報収集に活用しないというのは宝の持ち腐れでしかないだろう。
やることは意外と多かった。やれやれ、千里の道も一日にしてならずって感じだぜ。
あとがき
そろそろその他板に移っても大丈夫……かな?