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幸せは歩いてこない、絶望の隣で一緒に這い寄ってくるからだ。
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……はて、これはどういう状況だろうか。
毎日の如く「起きます」という気合の掛け声をかけて起き上がろうとしたぼくだったが、今回は、いや、今はそれが不可能だった。
何故か、ぼくを挟むようにして介の字で寝ている人物らが居たのだ。
左にはラウラちゃんが左腕を、
右にはシャルロットちゃんが右腕を、
枕にしてしまっていて磔にされたような感じでぼくはベッドに寝ていたのだった。
いや、どういう状況だよ。
「にげろ……やまねこ……、そっちは崖だ……」
「だめだよ……逃がさない……、そっちは海だよ山猫ぉ……」
……どうやら、彼女らの夢の中ではぼくは火曜サスペンスの大告白シーンの如く崖っぷちで海を背にして追い詰められているらしい。
溜息を吐いた後、ぼくは昨夜のことを思い返していた。
デュノア社のお得意先に罪口商会の有能さを書き連ねた宣伝メールを送信した後、シャルロットちゃんにチーズケーキの極意を教えて、それからそれをラウラちゃんを呼んでお茶会をして、んでもって二人をきちんと部屋に帰して……、うん。寝たはずだ。
そうそう、シャルロットちゃんの処遇は千冬さんの強引な権力発揮により御咎め無しとなった。
まさか、「私が男子の格好をしていたのは山猫さんの悪戯で、皆の困る顔が見たかったからにしろって千冬先生が……」と、ぼくのせいにされるとは思っていなかった。そんなのあんまりだ、横暴だ。と直談判しに行き抗議したら、良い顔で「お前は彼女のことになると血が沸騰する程にキレる、それを自覚しているのに関わらずそれを良しとする根性が私には気に食わん。なので、今回の件はデュノアの落ち度ではあるが、デュノアに対する暴言の謝罪として受け止めろ」と言われた。ぐうの音も出やしなかった。
ちなみに、本音は何ですかと尋ねたらしれっと「お前のせいにしておけば生徒の大半が頷くからだ。それに、デュノア自身から男性であるという発言が無かったようだからな。納得させるには十分だ」と言われた。
理不尽ながら納得してしまった自分が恨めしい。とぼとぼと自室へ帰ったのを覚えている。
……あれ、結局二人が居る理由が見当たらなかった。何で居るんだこの二人。
寝返りでぼくを抱き枕のように抱きしめる幸せ顔のラウラちゃん。
そして、何故か少しだけ息が荒く顔がにへらとしているシャルロットちゃん。
二人の寝顔は……いや、訂正しよう。シャルロットちゃんのは何か危ない気がする。
貞操的な意味合いで。
まぁ、意味はきっと愛なのだろうけれども、如何せん……百合は別に……、いや、悪くは無いんだけどもさ。うん。
悪くは無い、悪くは無いよ。しかしだな、百合は遠目で愛でるもので愛でられるのは少し……抵抗が……。
というか、ぼくの身体は女の子だけれどもIS。つまり、機械だ。そこらへんはどうなんだろう。たぶん……、無理だな。うん、無理だ。うん。
今度はシャルロットちゃんが「捕まえたー」と寝惚けて体に抱きついてきた。ぼくは、右腕が空いたために彼女の後頭部をこつんと叩いた。
「ひゃんっ」
「起きてるよねシャルロットちゃん。つか、何で居んの」
「……………………てへぺろ♪」
「……………………」
「ちょ、やめ、山猫さん! 一秒間十五連射な達人的速度で中指でぺしぺし私の眉間を叩かないで! 赤くなっちゃうよぉ! あれ、何か……気持ちよくなって……っ! え……、なんで止めちゃうの?」
「…………変態」
「――~~ッ! いいね、それ。ぞくぞくきたよ……」
どうしてこうなった。
あれ、目の前に居るのはシャルロットちゃんだよ……ね。いや、違う……わけではなさそうだ。
いやいや、いやいや嫌嫌、嫌。恍惚とした表情でぼくの唇を狙ってきてるこの発情期真っ盛りの娘はシャルロットちゃんじゃないはずだ。
おかしい。昨日はあんなにも爽やかな笑顔だったシャルロットちゃんがどうなってこうなったんだ?
……ああ、なるほどね。うん、分かったよ……。きっとこれは罠、だな。きっと刺客がシャルロットちゃんに何か仕込んだんだろう。仕込んだろ、仕込んだって言え。頼むから、あの清楚で純粋な笑顔を返せぇえええ。
「山猫さんが悪いんだよ……? 私はノーマルで普通に男の人のお嫁さんになりたいって思ってたのに……、昨日あんなにいやらしく私のをぐりぐりしてさ。怖いのに気持ちいいっていう状態で放置されて……、目覚めちゃったんだよ?」
いや、ええと、あれ、うん? ぼくのせいなのか? いやいや、そんなはずは……。
そもそも、あれは話題的にあの場所を意識させることで恐怖を煽る……という趣旨だったんだけど、今の説明だと何処か、イケないプレイのように聞こえてきちゃうんだけど。いや、そんなつもりは一切無かったんだけど。というか、そんなこと考えてたの君。
うわぁ、ぼく超複雑。複雑難解骨折ってぐらい意味不明って感じで焦ってる。素数を二で割り切れちゃうくらいに焦ってるよぼく。
まさか、恐怖感を煽るつもりが、性的な成長を促してるとは思っていなかった。いや、どうしろってんだ、これ。
絶賛発情期って感じでシャルロットちゃんはぼくを抱きしめて太ももに南下したり北上したりしてるし、逃げ出そうにも左半身はラウラちゃんが大好きホールドしてて逃げられないし、どうしろって!?
「ううん……? んだよ、山猫。騒がしいけど……」
「――! おはよう一夏くん!」
「へ?」
「チッ」
アホ面の一夏くんの目がこちらに向かい、心底残念そうな顔で「放置プレイってのまた乙かな……」と怖いことを呟いているシャルロットちゃんの太ももがにゅちっとぼくの右足から離れた。……お、音が卑猥だ。間違ってないんだけども、この事実だけは間違ってて欲しかった。さよなら清楚なシャルルくん、こんにちわ変態なシャルロットちゃん……。
ちらりと窓を見やれば美しい空の上に「えへへ」と笑うシャルルくんの顔があった……気がした。疲れてるんだな、きっと。
昔買ってあげた水玉のパジャマを着てくれているラウラちゃんを起こし、シャルロットちゃんには少々強めのデコピンで正気に戻し(その際悦んだのは言うまでも無いが)、ぼくはようやくすばやく着替えもとい装甲をチェンジし、問題の部分を消し去った。
……双識さんに高く売れたかな。そう思うと少しだけ勿体無いような気がしたが、即刻忘れたかったので無かったことにした。
されなかったことにしよう、しなかったことにしよう。うん、困り値MAX。幸せのインフレ気味スパイラルで、朝から不幸せだった。
まぁ、普通の身体だったなら、すでに決心していなければ、少しくらいは嬉しかった……のかな。
愛することを断る身としては、何とも……複雑過ぎる乙女の性長だった。誤字では、ないぜ。
「それで、何でぼくのベッドに居たのさ」
朝食の際に二人に尋ねてみれば、ラウラちゃん曰く「あの頃のように寝たい気分だったから」とホームステイ時代の思い出を思い出させてくれて、シャルロットちゃん曰く「限界だったんです、悪気はありません。はい。自分でもおかしいかなぁと思うけど……何でだろう。この気持ち、大切にしようと思えるんだ!」と朝の一件が脳裏に横切り背筋を凍らせてくれた。
片や純粋で、片や性純だった。
本気でどうしようかなぁっとセシリアちゃんを見たけれども、ああ、そういえば、この子もある意味そうなんだよなぁ、とさらに複雑な気持ちにさせてくれて、今朝の炭焼きキチン丼の味が分からなかった。
ぼくの左手を握るラウラちゃんに癒され、右腕を取り合う二人の百合乙女の戦いに目を背けて、また新聞部に記事にされちゃうんだろうなー、と溜息をつきながら教室へ向かう。
ちなみに、後ろでは鈴ちゃんと箒ちゃんに甘々な輸送をされてあまりの幸せ振りに頬が緩む一夏くんの姿があった。
くそう、どうしてこうなったんだ。ぼくはくーちゃん一筋なのに、本当にどうして……こうなったんだ。
そうそう、シャルロットちゃんが女だった、というニュースはあんまり学園の中でも響かなかった。
こんなにも乙女しているシャルロットちゃんを見て「ああ、確かに女の子だよね」と納得するには十分過ぎたのだろう。
「体育かぁ……。楽しみだよ」
「わたしも軍事訓練は行ったが、高等学校の訓練は始めてだな」
IS学園は特殊な校風でありながら、週二日の特別IS学習時間があるだけで他の三日は普通科高校のそれに準じている。
そのため一夏くんは数学を筆頭に現代文と体育の時間以外は突っ伏している。
そもそも、IS学院はぼくらが所属するIS操縦科と敷地内と言えど反対側の別校舎にIS工学科及びIS技術科が存在し、そこにはむさ苦しい男子生徒たちと一部の女子生徒がISの整備や装備開発に力を入れている。
操縦科は言わずもがな、千冬さんの男性クローンたる一夏くん以外の例外を除けば全員が女子だ。
そのため、体育の時間は結構暇だったのだが、こうしてぼくがインフィニット・ストラトスという受肉を果たしたために拮抗状態が作れるようになったのだ。成人男性ですらぼくの腕力においては赤子当然なのだから、手加減すれば一夏くんと対になれることは当然のことだった。
一夏くん率いるAチーム。
ぼくが率いるBチーム。
通算十回目の死闘――バスケットボールが体育館で始まる。
普通のバスケのルールにいくつかの条件を混ぜた特別ルール。
ぼくと一夏くんは3ポイントエリアに入ることができず、司令塔とパスしかできないと言う縛りを加えただけの特別なルールだ。
無論、シュートも禁止だ。辛いルールに見えるが、これをやらずにやった最初の試合は酷いもんだった。
一夏くんの男子生徒特有の「オラオラオラッ!!」な荒っぽいバスケテクニックと、
ぼくの冷酷無比にして「無駄無駄無駄ァッ!!」な百発百中の3ポイントシュートが、
大暴れしたために試合が試合じゃなかった。1on1だった。
結局、一回一回の一点の差が大きいためにぼくが勝利したが、 終わったあとの満足感と、周りの温度は凄まじかった。
いやはや……、ぼくらの攻防が常人離れしたプレイだったおかげでドン引きではなく「すごーい!」と形容されたが、それでもやっぱり千冬さんの出席簿の鉄槌は免れることは無かった。
「あはは……、それだけ聞くと凄い事だね」
「山猫らしいな」
「凄かったわよ……、二人共身体能力が高いからとんでもなかったわ」
「ああ、正直化物のレベルだったからな……」
「失礼な」
ボールをドリブルしてたぼくはそれをひょいっとゴールへシュートし、3ポイント。
「だよなぁ」
そのボールを拾い上げてダンクする一夏くん。ナイスダンク。
その様子を見て「うわぁ」とげんなりする一同を一瞥してぼくらはハイタッチ。
「お二人は仲がよろしくて微笑ましいですわね」
「兄妹だしね」
「兄妹だからな」
「いや、セシリア。あらあらうふふ、で済むような光景ではないからな!?」
「でもまぁ、もう行ってしまったぞ?」
前を走る一夏くんへパス。彼はそれを華麗にレイアップ。
ゴールから下へ落ちたボールを受け取り、振り向き様にシュート。遠くでぱすんと乾いた音が聞こえる。
ボールを拾いに行った一夏くんがドリブルしながら、ぼくのディフェンスを避けて、だんっと力強く跳び――ダンクした。
がごんっと勢い良く入れ、ゴールリングにぶら下がりながら下に転がったボールを一瞥して一夏くんは飛び降りた。
へーい、とまたハイタッチ。この体育系のノリは意外と楽しいんだよね。
それに、試合が始まるとぼくらはパスと指令だけで暴れられないからこうして先に憂さ晴らしをしているだけだ。
「いやー……織斑兄妹のレヴェルたっけー……」
「だねぇ。ふふふー、二人共楽しそうだなー。いいなー!」
ストリートバスケの如くテンションが上がってきたぼくらはちょいとばかし本気で遣り始めた。
本気の1on1を始め、黄色い歓声を背に3ポイントやダンクを決めまくっていたら何時の間にか志望者による試合になっていた。
「セシリアちゃん!」
「承りましたわ!」
パスを受け取ったセシリアちゃんは胸を揺らしながら華麗なドリブルで鈴ちゃんを追い抜き、のほほんさんを抜け――ず、ボールを掠め取られたセシリアちゃんは「あら?」ときょとんと立ち尽くす。
仇と言わんばかりにシャルロットちゃんがのほほんさんのそれを即効カット。のほほんさんが「まだまだだよ~」と後ろを向いて油断していた一瞬を突いたようだ。
「ありゃやられちった~♪」
シャルロットちゃんに即座についたのは箒ちゃんだった。
「させん!」
「くっ、山猫さん!」
完全に足を止められたシャルロットちゃんは身体を床へ倒す寸前にパスした。
「ほいっと」
「山猫にボール行ったぞ! 止めろ!」
「じゃ、ラウラちゃんにパスッ!」
「む。シュートすればいいんだな?」
「ラウラさんシュートですわ!」
ぼくばかりにマークが来る中、ゴール下に空いているラウラちゃんにパス。ぴょんと飛んでラウラちゃんはふわりとシュートを打った。
リングに当たりくるんと回転してから通過して、ぼくらの得点となった。
黄色い歓声を身に受けたラウラちゃんは最初はそれがよく分からないといった様子だったが、自分に向けられていると分かったようで「ふふん」と得意げに無い胸を張った。そんなラウラちゃんが可愛くて見物の観客たちがより一層声援を送った。
それと同時に古めかしいチャイムが鳴り……、あれ、これってどっちの合図だ。
ハイパーセンサーで辺りを見やれば出席簿を持って苦笑している千冬さんが見えた。
「よし、今日の体育は以上だ。整列!」
どうやらぼくらは授業時間までを消費して遊んでいたらしい。
しかしまぁ、授業内容がバスケだったからそのままお咎め無しと言ったところだろうか。
それとも、喜ぶラウラちゃんの姿を見てどうでもよくなったのか、どちらだろう。
整列しながら千冬さんを見て――後者であると確信したのはラウラちゃんの方を見て微笑を浮かべたからだ。
軍人であり日常に慣れぬラウラちゃんを心配していたのだろう。
楽しそうな顔を見て肩の荷が下りた、と言ったところだろうか。それほどまでに千冬さんは嬉しそうな顔をしていた。
結局、授業後にぼくと一夏くんの頭に「次は無いからな馬鹿者め」と出席簿が火を噴いたのは言うまでも無い。
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化物を殺すのは人であり、人を殺すのは化物である。
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愛せないけども、愛されたい。愛したいけども、愛せない。
それは、きっとぼくの我侭なのだろう。最低だ、と言われても構わない。蔑んでくれても別に何も感じない。
『ああ、確かにそれは――最低な幕引きだな。俺の友人』
ぼくは痺れるような惹かれる声に意識が引かれる。電話の相手は人類最悪と名高い狐さんだった。
内容はぼくのこれからの全て。すでに話し終えているので繰り返すまでもない。
誰にも知られてはならない秘密の談義。中々にスリリングな気分だった。
操り人形たるアラクネによりすでにこの会話を盗聴できぬ妨害をさせているし、先客の簪ちゃんに頼んでこのTVルームを貸し切らせてもらっている。万全な状態での密会だ。バレる心配が無い。
「当たり前でしょう。ぼくのそれはただの我侭ですから」
『『当たり前でしょう』。ふん。それもそうだな、自ら世界へ廻る己の歯車を狂わせようとしているのだからな。お前ほどに狂っている自殺志願者は居ないだろう。そして、お前ほど優しい奴は居ないだろう』
「勘弁してくださいよ、狐さん。ぼくは優しい奴なんかじゃあない。ヴァルプルギスの夜の如く、罪深い嵐なんですよ。遣った事の収拾は他人任せ、これほどまでに迷惑な奴なんていませんよ。それを優しいだなんて形容するなんて、貴方は酔狂過ぎます」
『『貴方は酔狂過ぎます』。ふん。確かに良酒が手に入ったから少しばかし早い晩酌をしてるが、そこまで酔っちゃいない。そもそも、だ。俺という因果から外れた存在にアプローチをかけている時点でお前は因果の流れが速い。程々にしなければ運命に押し流されるぞ』
「運命、ですか。確かに、ぼくの鬼札の一人から薦められた漫画のキャラが言ってましたね。『人間は策を弄すれば弄するほど、予期せぬ事態で策が崩れ去る』、と。ですが、ぼくにも当て嵌まりません。なぜなら、先ほど言ったようにぼくはIS。人間じゃあない。知能的な策士に抑えきれぬ程の狂戦士を送るような感じのぼくですし、この計画は失敗には至りません」
――ぼくは、人間ではなく、兵器だ。優しさなんて武器は、積んでない。
そもそも……、ぼくが生まれたきっかけは何だったろうか。
一夏くんの犠牲となった人達への手向けと言うべきか、ぼくという存在は"織斑一夏"の中ではとても大きな役割だった。
己が弱いことに絶望し眠る『弱さ』。
己が強いことを確信し猛る『強さ』。
その『強さ』を担い、その『弱さ』を背負ったのが、ぼくという罪滅ぼしの存在だった。
自分のせいで誰かを傷つけたのだから、誰かのために傷つく自分であるべきだ。
彼はそう願った。だから、ぼくが生まれた。
生まれたばかりのぼくは、最初はそう生きるつもりだった。
誰かの杖となり、誰かの剣となり、誰かの盾になる存在。だったはずだ。
しかしながら、運命の波というものは愚かにも賢しくも上手く廻らぬように人々を流す。
クーヴェルト・アジルス――人類最凶に出会った。
ぼくという存在は恐らく彼女の過剰までに過ぎる自己防衛概念により、因果が凶ってしまったのだろう。
織斑山猫――兵器最強に成った。
ぼくという存在は、誰かの願望器のようなものだった。故に、凶って全ての願いを叶える。
――友人の恋を成就し、
――誰かの欲望を成就し、
――最強の兵器と呼ばれたそれらの成就を背負い、
――天災の解放を成就させんと望む。
言うなれば、災厄。
ぼくは、最低で、どこまでも我侭で、どんなに足掻いても優し過ぎて、それらを狂言で語るただの、道化。
だから、ぼくに優しさは要らない。愛されることも愛すことも狂言と陥るのだから、愛さぬ方が未練も無い。
だけど、ぼくは一人だけ、彼女だけを、愛してしまっている。恋焦がれてしまっている。ゾッコンだった。
故に、ぼくは――人でなしとなった。
『……運命というものは時に人を導くように流し、時に人を破滅に押し流す。決まった運命があるというのなら、全ての行動はなるべきようになったというだけだ。それなのに、お前は、足掻くのか。俺のように因果から追放されるだろうに、それでも、望むのか』
「それが、ぼくの存在意義だから、諦めるわけには行かないんですよ。足掻きます。泥を啜り地を這い血を吐いてでも、ぼくは成就せねばならないことがある。人が皆天国へ行く参加資格があるように、ぼくには地獄の片道切符があるんですよ。運命とやらがぼくを失敗へ流すのなら、ぼくは、この最強兵器の身体で滝を登り、龍となります」
『『龍となります』。ふん。やはり、お前は愉快だ。お前ならば……物語への干渉を果たすかもしれないな。ああ、楽しみだ。お前という存在がどれほどまでに世界を終わらす手がかりになるのか、俺には測り知れん』
「世界は終わりませんよ。誰かが、それはもう神様とやらがこの世界を観測し続ける限り、終わりません」
――だから、ぼくは世界を壊す。破滅的に壊滅的に絶望的に壊して壊して壊す。
必要なのは『時』と『場所』と『観客』だ。集めなくてはならない。
ぼくはこの人類最悪にその相談をしているのだ。
「……狐さん。いや、西東天さん」
『……その名で呼ばれるとはな』
「ええ、この身になってから色々としましたから」
『はっきり言うが、お前の物語は未だに幼い。それでもやるのか』
「やりますよ。言ったでしょう、ぼくという存在は機械になり永遠となったわけじゃないんです。終焉が来る前に、格好の良い悪役の散り様を魅せてやりたいんですよ。それほどまでに、ぼくには時間が無いんです。強行突破しなきゃなんのですよ、神の戸を叩くためには」
『……そうか。良いだろう、それほどまでに覚悟を決めているのならば。なぁ、俺の友人。お前は――俺に何を望むんだ』
「貴方のシナリオを少しばかり丸写しさせてもらいます。だから、"敵造り"のために少しばかりお手を貸してください。"彼"に理由を作らねばなりませんから。そうですね、作戦部隊が欲しいです。ISはこちらで用意します」
『人数は適当で構わないのか』
「ええ」
『そうか。なら、"十三人"だ』
彼はそう即答した。何か、彼にとって十三とは意味のある数字なのだろうか。そう尋ねると彼は言った。
『理由なんてもんは無い。適当に思いついた数字が十三だった、それだけだ』
人類最悪の狐は、西東天は、そう苦笑しながら「それにしても」と続けて言葉を紡いだ。
『まさか、あの小娘とこうして縁が繋がるとはな』
「小娘とは、誰のことです?」
『『誰のことです』。ふん。決まっているだろう。お前やISを生み出した小娘――篠ノ之束のことだ』
彼は、とんでもないことを、さらりと言ってくれた。
『あいつは。篠ノ之束は、昔の俺の研究対象にして助手だった小娘だからな』
ぼくはその言葉を聞いて、一瞬だけ、ほんの少しだけ、思考が途切れた。
そう、だった。
束さんに同情した際に、確かに彼女は言っていた。
――『西東先生のお零れを拾い続けて、彼が捨てても私は諦めなかった』と。
彼の名を、彼を先生と慕っていた。つまり――彼女と彼には過去に接点があったということだ。
何故、気付かなかったのだろうか。
彼がすでに故人として扱われているからか、それとも、彼女の隠蔽のせいだろうか。
いや、違う。
運命に流され続けて、加速し続けたから、見落としたんだ。だから、これもまた、ぼくの、ミスだ。
ぼくという物語の加速度は一向に増していくばかりで終着点がすでにぼくにだけ見えはじめていた。
『語ってやってもいいが……生憎俺は今忙しくてな。零崎人識というガキとメンバーを集めてる最中だ。また今度にしてくれ』
「……零崎人識なら貴方は会ってますよ?」
『は?』
初めて聞く彼の驚く声にぼくも驚いた。この人、こんな声も出せるんだ。
電話越しながらその本当に驚いた様子が見て取れるようなぐらいに、その声は驚愕に満ちていた。
「この前会った際に貴方が話していた刺青少年ですよ」
『……そうだったのか……』
冷静ながら落ち込む声で初めて彼が人間なんだなぁと思った瞬間でもあった。
飄々と何も考えずに行動している割には後悔のような事もするんだな、とも思った。
『だがまぁ、いつか会う予定だったからな。それが早くなった、それだけだ。起こるべくして起きた、ああ、それだけだ』
「いや、どんだけ負けず嫌いなんですか貴方は。これで目標が一つ減りましたよね。暇でしょう、お聞かせいただけますか?」
――篠ノ之束との出会いと、その軌跡を。
彼はしばらく沈黙していたが「まぁ、いいだろう」と語り始めた。
時は今から十六年前に遡る。彼――西東天が渡米し、架条明楽、藍川純哉と共にある組織を作った年だ。
その組織は、彼が世界が終わる瞬間を見るために「死なない研究」を本格的に始めてから二年経った頃に友人らと作ったという。
幾度も検証と実験を繰り返し、これという進歩の無い日々に焦りと諦めを感じ始めた彼がふらりと外に出た時のことだった。
今から数えて十四年前、束さんが九歳の頃、彼は偶然にも路地裏で倒れる彼女を見つけ「これもまた何かの運命だろう」と拾った。
その頃から彼は彼女の異常さを見抜いていたそうだ。
実験対象でありながら彼女は、彼の助手のように自身に行った実験についてのレポートを欲しがり、そして、それに対し考えを述べた。
恐ろしい程に鋭すぎる感性と指摘により研究は進んでいった。人類最終に至る道へと進み続けた。
三年ほどの歳月が経ち、彼女はハードな研究内容に次第に壊れ始めたそうだ。いや、正確に言えば、彼女は研究内容に没頭することで壊れ始めた。研究が原因ではなく、研究を己の中でし続けたことが原因で心を壊し始めたのだ。
自身をモルモットにして、狂ったように研究を続ける彼女にふと彼の娘が言ってしまったらしい。
「お前には親から貰った大切な身体を大切にしようとする気持ちは無いのか」、と。
彼の娘の名は驚くべきながら「ああ、やっぱり」と納得のできる人物――人類最強の請負人たる哀川潤だった。
"親"という束さんにとって最悪過ぎるワードを入れてしまった瞬間、束さんは壊れた。完全に、壊れてしまったそうだ。
自白するように、自供するように、自首するように、彼女は自分の才能の重さで見捨てられた事実を否定し始め、彼の言葉すらも聞き入れられないくらいに彼女の心は砕けて壊れてしまったらしい。
彼は「自分の責任だ」と束さんを篠ノ之家へ戻した。いや、残酷に言うなら捨てたのだ。
研究の価値が無くなったモルモットが殺されるように、彼女もまた、捨てられたのだ。
『それからのことは知らん。その二年後には俺たちは殺されちまったからな』
「世界大戦、ですか。四神一鏡の財政力の、戦闘能力の、政治力の、普通の、四つの世界を巻き込み壊滅せしめたその年、貴方たちは死んだことになっています。……こうして言葉を交わしていますがね」
『ああ、俺と娘が喧嘩して、俺に架条が、娘に藍川がついた。まぁ、その話は今は置いておけ。お前はそちらに興味を持ったわけじゃないだろう』
「ええ、その後のことは分からない、でしたね」
『ああ』
これで、空白のうちほとんどが埋めることができた。
千冬さんが邂逅したという七年前の高校一年の時、ではなく、それから二年前の中学二年の時。
そこから戻って二年間の空白が気になる。彼に捨てられ家へ戻された後の二年間……、何があったのだろうか。
彼から聞くことはこれで恐らく全てだろう。
ああ、やっぱり、知りたくはなかったが、確信したくはなかったが、やはり、彼は、西東天こそが、ぼくを生み出した元凶だった。
彼との出会いで壊れ、千冬さんとの出会いで溺れ、ぼくとの出会いで狂った束さん。
愛を欲し知識に溺れた彼女を解放するキーワードは「二年の空白」「西東先生」「親」「願い」のうち、二つだけ済んだ。
尋ねるしかないのだろう。インターネットという記録に残らぬ記憶を紡がなくてはならないのだろう。
「ありがとうございます、十分です」
ぼくは礼を言ってから「息災で」と電話を切った。
尋ねるべき人物はすでに決まっている。篠ノ之束の妹であり、一夏くんの彼女(候補)たる――箒ちゃんだ。
彼女に近いようで遠く、遠いからこそ近い箒ちゃんに尋ねなくてはならない。
……だが、惜しいことに急ぐことはできない。まだ、全ての準備は整っていない。宣戦布告には、まだ、早すぎる。
取り合えず、束さんに会う機会を作らなくてはいけないだろう。何せ、ISを十三機も見繕って貰わねばならないのだから。
「終わったよ、ありがとね簪ちゃん」
「ううん……、大丈夫。これから暇?」
「まぁ、そうだね。彼らのように訓練するつもりもないし……おや、その手に持つのはもしかして」
「うん! この前言ってた映画! ここのスクリーンは大きいから劇場には劣るけど中々だよ」
「……そうだね、それもいい。じゃあ、鑑賞会とでも洒落込もうかな」
更識簪。四神一鏡が統べる財政力の世界の中で中級の名家。その使命は――秩序の安定。
彼女の姉はこの学校の人間の生徒の中で随一の実力を持つ生徒会長の任を担いながらも、IS学園周辺の秩序を安定させようと今も奮起している人物だ。まぁ、零崎の名が噛むここ周辺の秩序は混沌であるままだが、そもそも、その原因であるぼくに何もアプローチしてこないのだから、所詮中級名家止まりの安全ピンだ。捨て置いていいだろう。
期待ができると言えば、隣でごそごそとBDをセットしている簪ちゃんくらいだろう。彼女の埋もれた才能は姉を超える代物だ。
だが、彼女は幼い頃から周囲から姉との力差の指摘を受けてコンプレックスを持ち、さらに人との関わりを絶っている少女だった。ごく一部の人物にしかコミュニティを築けない人間不信に陥っていて、ぼくの鎖操術でちょいとばかり自身を持たせてようやく周囲と話せるようにまで回復したが、まだ不安定だ。
簪ちゃんの才能が埋もれてきた最たる原因は姉である楯無である。
故に縛るものは恐怖ではなく――嫉妬。実の姉への怒りを、胸の奥に燻らせている小さな火種を、密かに、燃やしてあげた。
ぼくの計画に不備を齎す可能性がありそうな生徒会長更識楯無への切り札こそが、彼女だ。
自身でも無意識に思うコンプレックスを嫉妬に、怒りに、憎悪へと負の方向へ齎すだけでいい。
事が成った時、彼女はきっとぼくの都合の良い操り人形となってくれるはずだ。はたまた、自律した共犯者になってくれるやもしれない。
半分は、そう思っている。
もう半分は、同情でもなく期待だ。
もしも、彼女がぼくの鎖操術の有無に関わらず、己の意思を安定させることができたなら、きっと、彼女は天災に至る天才となる。
姉をも超える、超越者の道を、覇道を行く人物に成長する。
それだけの期待をぼくはこの子にしていた。
「山猫さん、できたよ!」
「ん。ありがと簪ちゃん。じゃ、見ようか」
「うん!」
何も知らずにニコニコとする簪ちゃんの笑顔に罪悪感が生まれるが、それもまた、ぼくの業だろう。狂言だ、捨て置く。
スクリーンに映し出された映画の内容は皮肉にも――愛と勇気が絶望に染まる物語だった。オリジナルの三部目が楽しみだった。