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その手を伸ばして掴むのが希望ならば、その足を払うのが絶望だ。
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人間誰しも生きていることに不思議に思った時があるだろう。
ふと、何故、自分は生きるのか、と自問したことがあるに違いない。
念のために生きている、とでも言っておけば洒落た戯言で済ませられるが、実際に問うて見れば、そうはっきりと答えられないだろう。生きたいから生きる。なら、生きたくないなら死ぬのか、そう極論を叩きつけるのも滑稽だろう。
この問いに答えることができないのも無理は無い。
自分という人間がすでに「人間」というカテゴリに埋まった一つの個性であり、生命体であると過信している。
故に、自分より劣ったモノを見れば嫌悪する。自分とは違う、と決め付けるからだ。
先ほどの問いに自信を持って答えるものが居たのなら、それは恐らく哲学者か捻くれ者か、ぼくのような人でなしだろう。
――問うまでもない。
自然に群れる動物だからだ。人間という思考する動物なのだから、生きようとするのは理由ではなく本能だ。
生きたいから生きるのではなく、生きることが当たり前だから、子孫を残すことが前提だから、生きるんだ。
誰もが、神により生きることを促されているのだ。
全てを統べて生み出した神に、運命という波でゴールへと押し流される。
それが人の、いや、生物の宿命と言うのなら、ぼくが、それを凌駕する無限の可能性だと言うのなら。
ぼくは――。
「……起きるか」
思考を切り、仮眠状態から通常状態へと移行。両腕を拘束する二つのエラーを感知。
思考状態を機甲状態から人間状態へ移行。
……おっと、また色々と脳内回線を切りすぎてリセットしてしまった。
寝起きはこれだからな……、如何せん朝は弱いまんまだ。
案の定ぼくの腕を拘束するのは左にラウラちゃん、右にシャルロットちゃんだった。
確か昨日も同じ状態だったはずなんだけど、ラウラちゃんはともかくシャルロットちゃんは下心があるから……えい。
「ぐふっ、きゃうっ!?」
先日のように早くは起きていなかったようで緩い拘束を蹴り落とすことで振り払う。
良い感じにベッドから転がり落ちたシャルロットちゃんを一瞥することなく、ぼくはラウラちゃんを抱きしめた。
ぷにぷにすべすべの幼い感じの感触に癒されながら、胸の中で幸せそうに眠る笑顔を見てほっこりした。
ベッドの下から「うう……酷いよ山猫ぉ……」と魘されているのか、それとも悦んでいるのか分からぬシャルロットちゃんの呻きが聞こえたが、んなこと知るかとぼくはだんまりを決め込む。君が横に居ることに危険を感じるんだよ、性的にさ。
「んん……、山猫……?」
「おはよ」
「んむ、おはよう……」
ぽけーっとした様子で目を小さな手で擦るラウラちゃんを見て微笑みが浮かんでしまった。
「ねぇ、ちょっと。私は無視? 無視なの? いや、放置プレイってのも乙だと思うんだけど、けれどやはり始まる最初は何かアクションが欲しいって思うんだよ私は。けれど、これが山猫さんの愛だと言うのなら甘んじて、いや、悦んできゃうんっ!?」
「なーに床で正座してぶつくさ言ってるのか分からないんだけど、一応聞くけどなんで居んの?」
「え?」
「いや、そんな「当たり前でしょ?」なんて顔されても反応に困るんだけども」
「そんな反応しちゃう山猫さんも可愛いよ!」
「ちょいと歯ぁ噛み締めろ」
「いやん♪」
ラウラちゃんを置いて、ぼくはシャルロットちゃんの懐へ入り「どっせーい」と空いている場所のベッドに叩きつけた。
バウンドしたシャルロットちゃんの足を掴み、ぐるんと一回転させて、もう一度ベッドに叩きつけた。
柔らかいベッドなのでダメージは無い。
しかし「あーれー」とされるがままのシャルロットちゃんの姿を見て、少しすっきりしただけだ。
この手の輩は放って置くほど手に負えないってことを知った瞬間だった。
そして、一度手を出してしまった以上、これが習慣になるんだろうな、とも思った瞬間でもあった。
「なにやってんだろぼくは……」
ぼくとしては切羽詰った状態で遊ぶ暇も無い……という感じなのに余裕ができてしまっていた。
クラスメイトといい、シャルロットちゃんといい、双識さんといい……ぼくの周りには変態しか居ないのか。
溜息を吐きながらぼくは朝食のBLTサンドを摘んでいた。
ベーコン、レタス、チキン、サンドだ。Tはサンドの意味じゃあ、無い。
隣にセシリアちゃんとラウラちゃんを侍らせてぼくは食事をしていた。
厄介度はセシリアちゃん<シャルロットちゃん。
なので、取り合えず護衛としてラウラちゃん。空いた場所にセシリアちゃんを置いた。
だが、目の前でニコニコとぼくと同じBLTサンドを頬張りながら笑顔で食べるシャルロットちゃんの視線が痛い。
何だろう……、ぼくをおかずにBLTサンドを食べてるって感じなんだけどシャルロットちゃん。
鼻息荒いし、目がギラギラしてるし。
取り合えず……後で躾けておこうか。
今日の授業日程は通常授業なので、一夏くんが唸る日だった。
雰囲気的にorzって感じだったので、ぼくはそれを愉快そうに見ていた。
「ひっでぇよなぁ……。間違えた回数叩かれるんだぜ?」
「それは、一夏くんが馬鹿だからだ。きちんと勉強したまえよ。このまま行くと絶望的だな。知らぬ知らぬうちに変な契約書にサインして解剖されてしまうんじゃないか?」
「ちょ、何気に怖いことをさらっと言うなよ。こう見えても勉強はしてんだぜ?」
「結果を伴わない課程に意味は無いさ。このままじゃ、前期末テストで赤点を取ってしまうんじゃなかろうか。そして、大好きな千冬さんにみっちりパッシンパッシンと教えを教授されるわけだ」
「待て、途中から出席簿で叩かれてるんだが」
「そりゃ、君が馬鹿だからね。叩かれるのを前提とするのは当たり前のことじゃないか」
頭を抱えて一夏くんはベッドに寝転がった。
「ぐっ。自分でも想像できちまったから何も言えねぇ……」
「愛しの二人に勉強を見てもらいたまえよ。ぼくは独学で十分だし、点数を三桁にするくらい楽勝だから」
「だから、こうして頼み込んでるんじゃねぇか。勉強教えてくれって」
「教科書を覚えなさい。以上」
「えぇ……」
一夏くんは枕に顔を押し付けて「ぐああああ」と扇風機に「あ゛あ゛あ゛あ゛」とするような感じに呻いていた。
やれやれ……。ぼくは空中投影したディスプレイで株価やらを見ながらも、脳裏で必要な情報を集めていた。
束さんの居場所を筆頭に、亡国の傀儡蜘蛛から送られる情報を閲覧する。
ぼくはマルチタスクでスパコン並みで贅沢ができる。
なので、こうしてそれとなく普通を装いながら機密な情報に手を出している。
一夏くんは株価などの難しい事柄を喜んで覗き見るような輩ではないし、そして、自室であれば用が無い時間は全てこの時間に割り振れるためある意味ぼくにとっては休息に等しい作業だ。宿題何てもんは貰った直後に終わらせて突っ返している。
そういえば、珍しいことに放課後の六時前後は大体自主訓練という名のバトルをしているというのに、何故居るんだろうか。
それとなく尋ねてみれば「そろそろ前期末だからアリーナ禁止でやることがあるけどない」とのこと。勉強しなさい。
……学年別トーナメントはクラス代表戦と同じく人識くんの一件で自重されているため、実質無いに等しい。
そのため、教師側としては前期末テストに力を入れたいのだろう。後何週間もすれば外部宿泊強化合宿もあるそうだし……。皆無事に合宿に行かせたいのだろう。なので、隣のアホのような一夏くんが居ると拙いわけだ。
「なー山猫ー。なんか漫画貸してくれないか? 読んでて勉強できる奴」
「……なら、そこの奇妙な冒険でも読んでみたらどうだい。人間賛歌について熱く熱心に勉強できるはずだよ」
「あー……、最近アニメやってるよな。スレでもちらほら……、おおう!? 全巻揃ってんのかよ、すげぇな」
「ああ、前に食堂の赤いお姉さんが全巻一括払いで布教してきたんだよ。ちなみにぼくは三部が好きだぜ」
「へぇ、俺は一部が好きだぜ。スタンドは出てないけどやっぱり原点って感じでさ」
そんな感じで脱線しながらぼくらは夕食まで語り合っていた。
最後の方は漫画片手にジョジョ立ちの練習をしたりして遊んでいたけどね。
夕食を食べるために食堂へ向かうが、何やら食堂の入り口の前で渋滞ができていた。
恐らく皆が自由に外へ出なかったために時間が重なって詰まったのだろう。
ぼくと一夏くんは溜息を吐いて踵を返し、寮長室へ向かい千冬さんを巻き込んで夕食を作り上げた。
この前作りに来た時の食材の余りが残っていたため、それらを一括して消費するために鍋に決定。
ここにラウラちゃんを呼びたいものだが、そうすると同部屋である危険人物もといシャルロットちゃんも召還してしまうため泣く泣く諦めた。それに、そこまで具材のストックが無いため、三人で食べるのが限界だった。
まぁ、ぼくは栄養が無くても生きれるのでお二人に遠慮して鍋奉行に甘んじていたけどね。
しかし、鶏はきっちりと食べた。むしろ、一夏くんの分を奪ったくらいだった。その分豚肉をあげたけどね。
からんと最後の一掬いの仕事を終えたお玉が鍋の底に転がる。
IS学園で用いられる野菜などが美味しいところだったというものあるが、やはり身を犠牲にして出汁となってくれた鶏のおかげだろう、大変美味だった。
「ふぅ……食った食った」
「ふむ、久しぶりに一家団欒したな」
「そうですね。曜日を決めて毎週やりましょうか?」
「ああ、それいいな。俺と山猫が腕を振るいあうってことで」
「うん、勿論。千冬さんには食器とお茶担当だから絶対に手を出さないでくださいね」
「お、お前ら人が料理できないと分かってて言ってるんだな!? お姉ちゃんを苛めてそんなに楽しいか!」
お酒が少し回っているのか、千冬さんはお姉ちゃんモードらしい。
「……なら、千冬さん。お料理学んでみますか?」
「む。何やら嫌な予感がするんだが……」
「花嫁修業って奴だな。なるほど、確かにそろそろやっとくべきだよな」
「でしょ? じゃあ、明日から交互にやりますかね」
「ああ、そうだな。最初は何が良いか……悩むな」
「夜だから……あんまり簡単過ぎるとつまらないし……」
「ちょ、ちょっと待て。待ってくれ。きゅ、急過ぎやしないか?」
「いや、千冬さん二十三じゃないですか。そろそろ貰い手探さないと仕事が夫になりますよ?」
「だな。子供作るなら早めじゃないと母体に危険があるし……、うん。決定だな」
あーでもない、こーでもない、と千冬さんにやらせる最初のレシピを一夏くんと語る。
何故か小さくなっている千冬さんからは「別に貰い手くらい……あれ、私の青春って全部あの馬鹿兎に費やしてしまったような……」というループ気味の困惑の言葉が漏れているし、こうなったら本気で改善させるしかないだろう。
見た目は最高水準くらいはあるし、出会いの場は結構あるはずだろう。勿論選定はさせてもらうが。
仕事も家事もできる鉄人にするためには基本事項からの習得が不可欠だろう、と立案され、明日の夕飯はご飯を自分で炊き玉子焼きとおにぎりと味噌汁をマスターする流れで決定した。
自慢の姉だから自慢できる人物を夫にして欲しいということで、恋愛講座を開くべきではなかろうか、との提案したところまでで一回目の会議は終了した。理由は自棄酒気味に飲んでいた千冬さんが酔い潰れたからであり、介抱が必要になってしまったからだ。一夏くんは先に自室へ返し、ぼくは千冬さんの着替えを手伝いながらベッドへ寝かす。
最近教鞭ばかりで動いていないのか若干むっちりし始めた実の姉の現状に少し思考する。
分泌するナノマシンは……。まぁ、こんなもんか。指先から活性化系のナノマシンを数滴程千冬さんの半開きの口に放り込む。カロリー消費を少しだけ上げるような効果なのでほんの少し火照るくらいだろう。問題あるまい。
近くのジムでも探しておくかな、と姉孝行しつつもぼくは「おやすみなさい」と扉を閉めて外側から寮長室予備鍵で施錠した。
「さてと……少し遅くなっちゃったな」
暗い窓の外をぼんやりと見ながら自室へ戻ってみれば、なにやらわいわいがやがやと騒がしい。
案の定と言うべきか、はたまた予定調和とでも言うべきか、いつものメンバーが一人多く集まっていた。
「はろはろ~♪ いーくん、おっひさー!」
何故、貴方がここに居るんですか、と叫びたい衝動に駆られてしまった。いや、本当に。
「……はい、久しぶりです、はい」
「あれれ~? どっしたのいーくん。顔が暗いぞ?」
漫画でよくある「うわぁ」って感じの顔にかかるあの黒い奴でもあるんじゃないんですかね。
こんなにあっさりと見つかるのであれば苦労しねぇよ、と突きつけてしまいたい衝動にも駆られるが、必死に抑える。
一夏くんのベッドに鈴ちゃんと箒ちゃん――そして姉である束さんが箒ちゃんに抱きついて座っていた。
勿論、一夏くんも鈴ちゃんも困惑顔である。ちなみに箒ちゃんは嬉しそうな顔をしていた。シスコンめ。
案の定ぼくのベッドには何故か枕を抱きしめるシャルロットちゃんとセシリアちゃんに膝枕されているラウラちゃんの姿があった。ぼくは顔を包むように右手で覆い「えええええええええ!?」と内心叫んだ。叫ばずには居られなかった。
何つーかもう、台無しだ。マジで天災だった、この人は。
「束さん。何時ごろからここに?」
「ん~? さっきだよ」
「そうですか」
「何か用があったりするのかな?」
「ありますが……ここではちょっと、って感じですね」
「ははーん。もしかして箒ちゃんみたく媚薬を頼みたいとかかなー? 特別に作ってあげるよー?」
「ちょ!? お、お姉ちゃん!? 何でそれを今言っちゃうかな!?」
箒ちゃんがとばっちりに遭い、恐らく姉妹内で話す口調なのだろう。
いつもの凛々しい感じと正反対のおっちょこちょいな妹みたいな様子で束さんに詰め寄っていた。
さっと意図を察した鈴ちゃんと一夏くんは若干頬を赤くしてそっぽを向いたが、それのせいでぼくの勘が働く。
彼女らに進展があったんだなーと、身体のお付き合いをしかねない状態まで一夏くんを落としたんだなーと、今度は赤飯かなとかも思う。
「あー……束さん。色恋の問題ではなくてですね……」
「うーん、じゃあ、くーちゃんのことかな? そろそろこっちに入れたいんでしょ。手配はしておいたから安心していいよ」
「うぇ!?」
「なんですって!?」
「ふむ?」
と、ぼくのベッドに座る面々が反応する。明らかにぼくを狙っているであろう二人の反応は分かりやすい、ラウラちゃんに至っては「誰それ」状態だろうし、今度説明してあげようかな。
確かに、くーちゃんは近々退院して一度アメリカ国籍を取得させて代表候補生として転入させる予定だったが、もしかするとその手配を察してすでに行ってしまっている可能性がある。というか、してるんだろうなぁ、さっきの言い方からしてさ。
ありがたいんだけども、せめて一言欲しかったなーとぼくは苦笑した。
「いやまぁ、それは感謝しますが……」
「ああ! 分かった!」
「だからここで言う話題じゃないって言ってるじゃないですか!? そろそろ怒りますよ」
「へぇ? どんなことされちゃうのかな?」
「己の肉体のみで十キロマラソンを完走してもらいます。千冬さんのコーチ付きで休憩無く」
「うん、ごめんなさい。悪かったです、悪ノリしてごめんなさいでした♪」
てへぺろ♪って感じで可愛らしく言われてしまったので許すとしよう。可愛かったし、分かってくれたようだから許してあげよう。うん。断じてちらっと見えた可愛らしくも小さな舌にキュンと来たからじゃあない。
ああ、断じて違う。違う、違うんだからな!?
そんな思考をカットし、別のことを考え始める。
さて、どうしようか。昨日の西東天さんの話のことを直接ぶつけてやってもいいのだが、ちっとそれはこの場ではヘヴィ過ぎる。別話題にして後ほど二人きりで話す時間を設けたいところなのだが、この混沌とした空気の中立ち尽くすぼくには……無理そうだ。
まずは……隔離だろうか。それとも釘を刺すだけ指して放置か。
いや、先にここに居る理由を聞くべきなんだろうけども。
尋ねてみれば「後は培養だけで十分だから暇つぶし」と極々普通に見えて極悪な理由だった。
この人の暇つぶしってのはちっとばかしやばい。微風という漢字を書いていたら嵐になってたくらいにやばいのだ。
いつもならば千冬さんが引っ張っていってくれるものの、今は酔い潰れている。助けは求められやしない。
どうすっかな……。すでに暴風と化している束さんのはしゃぎようを見ながら……ぼくは溜息を吐いた。
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正直は一生の宝、虚偽は一瞬の財。
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結局、死屍累々となった。勿論死んでいるわけではない。ニコニコと混沌を運ぶ兎に生気を、いや、SAN値を直葬されたのだった。マシンガントーク以上の速度でぺらぺらと他国の機密情報を喋り、加えて自慢しながら箒ちゃんに絡み、挙句の果てにはアルコールが入っていないのに関わらず酔えるという酒で乾杯を始め、どんちゃん騒ぎとなり、だんだんと皆酔い潰れて床へ倒れていった結果だった。
そもそも人間ですらないぼくだから何の害も受けてはいない。しかしながら、この惨状は酷い。凄惨たるものである。
一夏くんは彼女さんらにサンドウィッチ。
ぼくの膝枕に眠る可愛らしいラウラちゃんと右肩に頭を置いて眠るセシリアちゃんの姿。
シャルロットちゃん? ああ、堂々とセクハラしてきたので先ほどベッドに沈めておいた。犬神家って感じに突き刺さってたよ。
いやまぁ、突き刺さってたのは比喩で、バックドロップ喰らったような体勢だったんだけどね。
さすがにパンツ丸出しってのもあれだから寝かしといてあげたけども。
「ふふふ~♪ いや~楽しいねぇ。久しぶり過ぎてちょーっとハメを外しちゃったよ」
「貴方の場合、箍も外れてるんで自重してください」
「ふうん……。まぁ、いっか。それじゃ本題に入ろうかな? 皆良い感じに"潰れて"くれたしね」
「……ああ、それが目的だったんですか?」
「まぁ、一応? もし聞いてても夢で済むし~」
案外に短絡的だった。うーむ、もしかしてぼくの存在はあんまりこの人にとって重要じゃないのかもしれないな。
あんなアプローチしてくれた割には冷たいようだし。寂しいねぇ、まったく。
まぁ、それはともかく。
ぼくは取り合えず先にどのような状態であるかを説明し、そしてISネットワークへの接続ができるように頼み込んだ。
勿論、というか予想はしていたが「うんうん。分かったよ」と軽く許可が出た。
それならば、と十三機の件についてもお願いしてみたが「うーん、そっちはちょっと無理っぽいかなー」とやんわりと断られてしまった。手元に残っているのは数機だけで十三も無いとのことだった。少しばかり驚いたが、零号機を売ってしまう人だからなぁ。無理も無いか。
それでね、と前置きを置いてから束さんは真剣な瞳をした。
「正直言っていーくんの身に起きた事態は私にとっても手に負えないことなんだ。そもそも、IS……いや、インフィニット・ストラトスに明確な意思が存在できるかどうかすらも疑ってたからね。今のいーくんを見てるとこれまでの人生がおかしく見えるよ。確かに人口知能をぶっこんで扱い易くはしたんだけれどもこんなオカルトを引き起こすとはね……。魂ってのはいったい何処にあるんだろうね。私でも分からない」
「まぁ、束さんが知らないのであればぼくも知る由もありませんし……。まぁ、良かったんじゃないですかね」
「まぁね。いーくんの魂を"完全なる固体"へ移そうか悩んでたし、朗報だったのかもしれない。でも、その分負担……大きいよね?」
ぼくは辺りをセンサーで一瞥してから「はい」と頷いた。
拒絶反応、って奴なのだろうか。それとも、ハードが違うソフトを突っ込んだからか。
確実にぼくという存在はその灯火を着々と弱くなっていた。
ろうそくに例えるのであれば後三センチ程で溶け切るくらいにまで、だ。
あの時の気だるさは決して怠慢や怠惰からくる五月病めいた理由からではなく、単純に身体が蝕まれていただけなのだ。
雨の日以外でも未だに残る身体の違和感は今も尚ぼくという心を攻め立てる。焦らせるのだ。早く死んでしまえ、と。
だからこそ、ぼくには狂言が必要だった。戯言のような自分を騙す狂言が必要だった。
恐らく、後数年は、もしかすると後数日かもしれないが、ぼくという存在が死ぬ日は限りなく近づいてきている。
友人の彼の言葉を借りるのであれば『運命が加速を始めた』ということなのだろう。
今日――"偶然的"に"奇跡"のような再会を彼女と果たすなんてことは、運命に流され始めた証拠なのだろう。
この出会いをぼくが望んでいたという点もあるが、それに加えて彼女の気まぐれな日が今日だった、という不安定要素が確定に変わっているという点がこれまた運命的。もはや、人為的に行われたかのような神様の悪戯のように感じられる。
この天災すらも神の掌で踊っているのだろう。
彼女は恐らくながら友人たる人類最悪の思考回路にまでは触れてはいないだろうから、彼の運命論は受け付けないだろう。
何せ、彼女が敵対するは全知全能たる気まぐれな神様なのであるからして。
神によって定められた運命というレールに彼女がほいほいと自ら乗るはずがないだろう。
それ故に彼女は知らないのだ。
自分がすでにレールの上で立ち尽くしていることに。
レールの先がすでに無い、ということにも、気づきやしないだろう。
ちなみに、ぼくのレールの先もすでに何も無い。加えて言えば、後ろもありやしない。
後はもう、罪を抱いて身を傾けるだけで良い。
――ああ、それで良い。
「やだなぁ束さん、そんなわけないじゃないですか。こんなにキビキビと動けるわけがないじゃないですか」
「うーん? 直接はもう何が起こるか分からなくて弄れないから何ともできないけど……、うん。いーくんが大丈夫って言うなら大丈夫かな」
「ええ、変な心配はノーサンキューですよ束さん。取り合えずISネットワークの構築をお願いできますかね」
「うん、いいよー。そっちからの構築がエラーになるだけだから、こうやって……ああやって……ほいっと。エンターで終了! これでOK」
インターネット接続とは違う回線が繋がった感覚があった。
――ISネットワーク起動。
マスター権限の取得を確認。マスタールームの開場の申請を、マスター権限によって承認。
監視体制状態に移行し、全機体に機密暗号送信……完了。
全ISネットワークのマスター権限を零号機『黒』へと更新完了。以降セーフモードで継続。
仮管理権限状態へと全機へ通達。以上。
試して、みるか。
ちらりと一夏くんの右手にある白式の起動を試みる。
小さな光が灯ったのを確認して、確かにコントロールできることを確認した。
……これで、最強の盾を手に入れたってわけだ。
「確かに繋がりました。助かります」
「まぁ、スレッド立てるのも良いけどきちんと監視しなきゃだめだからね」
「いや、何処のシスターズのネットワークですかそれは。流石にスレ立てするほどの知能というか茶目っ気は無いでしょうに」
「あはは~そっかな。まぁ、それくらいの茶目っ気が生まれてもいいんだけどねぇ?」
「いや、ぼくを見られても困るんですが……」
「まぁ、考えてもみなよ。一万人のちーちゃんクローンだよ?」
……なるほど、それは確かに最高の眺めだと思う。勿論中学生時代の千冬さんが一万人ってことだ。
あれ、手に負えないんだけど主に家事的な意味で。可愛らしいけども獰猛過ぎるんだけれども。
中学時代……ね。本人に尋ねてもいいが、ここで壊れられては困るんだ。パス。
ぼくは話題を変えるために適当に話を振ってみるが、どれもこれも全て、一つに収束される。
これが、運命に流されるという事だろうか。それとも、単純に偶然な理不尽だろうか。
どちらにしろ大概にして欲しいものだ。
まさか、ぼくの計画を知っての行為である、とだなんてぼくは信じたくはない。
信じたくはない。信じたくないのに、彼女との会話は全て何故か「中学生」の話になってしまっている。
「……束さん」
「うん? やっぱり中学生の下着に黒は無いよね。ちーちゃんったら不良の形から入ろうとしてたらしくて焦っちゃったよ」
「ああ、いや。それも確かに良いんですが……、あんまり騒いじゃうと箒ちゃんが起きちゃいますよ」
「うー、確かにそれは可哀想だね。折角いっくんの頭を胸に抱きしめて寝てるんだから、そのまんまにしておいてあげたいし」
「と、いうことで今日はお開きにいたしませんかね?」
「そうだね。結構お話しちゃったから束さんも疲れちゃったよ」
笑顔で立ち上がりながら束さんはくたくたと言わんばかりに手をひらひらと振る。
束さんは一夏くんを抱いて眠る箒ちゃんの髪を撫でてから、ひょいっと窓から出て行って、人参に乗って帰って行った。
いつも思うがあれにどうやって乗っているんだろうか。パイルダーオン式か、それとも瞬間装着式か。どっちだろうか。
ぼくとしては前者が良いなーと思う。宇宙刑事も捨てがたいが……生憎、ぼくは巨大ロボット派なんだ。
そうだ、ロケットパンチやってみるか。
右手をぐっぱぐっぱして凝視する。左手の回転を思い出す。あの回転力ならきっと良いパンチが出せるはずだ。
「…………いや、何処に撃つつもりなんだよぼくは」
ぼくは悪役だけれども、目の前に敵が居るわけではないのだ。むしろ、作る側なのだ。
試し撃ちは簪ちゃんが居るときにしようかな。確か、あの子はそっちの教養もあったはずだから……。
……懐かしいなぁ。ちょっと暇な時間ができちゃったからTVルームでゴジラでも見ようかと思ったらちょっと際どい方の黒い魔法少女姿の簪ちゃんが「アルカス、クルタス、エイギアス。疾風なる……っ!? ちょ、あ、貴方誰!?」とノリノリで詠唱してたシーンに出くわしてしまったんだっけ。それから千冬さん経由で簪ちゃんが保健室通学ならぬTVルーム通学(生徒会の姉の権限)のちょっと残念な少女だということを知ってから、暇があればちょいちょい顔を出してあげたんだよね。
最初の頃はおどおどしてたけどスイッチが入って力説し始めて元気が増してきて最後の方になって「あれ?」と正気に戻る彼女の姿が何とも可愛かったので「ああ、ちょっとばかし摘み食いもとい手伝ってあげようかな」って感じで鎖操術かけたらとんでもない原石だってのに気付いたんだっけ。いやぁ、偶然って怖いね。
誰からにも愛されないから、誰にでも愛せる何かを愛した。
これもまた、正解の一つなのだろう。彼女の取った、ぼくには取れぬ、正解の一つ。
「だからこそ、ぼくは尊敬している」
呟いた声は誰にも届かず、ぼくにだけ、ぼくの中にだけに反響した。
出来て当然なことを出来ない人が居るこの世界で、ぼくはそのたった一つの解を見て、尊敬の念を送った。
彼女がどのようにしてその解を求め、
彼女がどのようにしてその解を考え、
彼女は初めて解を得た瞬間こそ、讃えるべき瞬間なのだ。
これは、祝福されるべき出来事だ。誰もが簡単に見つけてしまうそれを、彼女は思考することで勝ち取ったのだから。
例え友人が居なくても、
例え世界を憎んでも、
例え自身を嫌っても、
その解は彼女にとって一番の誇りであると言って過言ではない。
――途轍もない違和感を感じた。
思考という回路に水がかかったような、そんな脳内思考の空白がぼくの思考を止めた。
今、ぼくは何を考えていたんだろうか。ぼくが、"織斑一夏"が、"いーくん"が、誰かを褒めて、いる?
――狂言遣い。
その言葉が赤きシルエットと共に浮かび上がる。
鮮烈にして鮮明なあの人類最強の請負人たる彼女の声で響く。
ぼくは……どうしてしまったのだろうか。これはきっと、恐らく、多分、戯言なのだろう。
ただでさえぼくは偽者なんだ。いや、偽者だったんだ。
くーちゃんに言われたように、ぼくは、偽者が偽者らしく偽者として生きていいのだ。
なのに……何故だろう。この心の空白は。埋まらない、到底埋まらないこの空白は、いったい――。
「ううん……。あれ、私はいったい何を……」
カチリ、とスイッチが切り替わるかのようにぼくの思考はそこで強制的に終止符を打たれた。
ぼくのベッドの上で伸びをしてその豊かな成長の証を張ってから、シャルロットちゃんはむくりと起き上がる。
ああ、そうか。ぼくは――怖がっているのか。
計画を成就することを、躊躇っているのかもしれない。成功させようとして焦り過ぎているのかもしれない。
だから、自分の心を観測できずに暴れさせているのだろう。
近い故に遠く、遠いからこそ近い。
求めるほどに掴めず、捨てるほどに得ていく。
そんな矛盾さを孕んだかのようにぼくの心の中はウロボロスの如くぐるぐると逆巻き続ける。
出入り口を失くした迷路のように、ぼくの心は、彷徨い歩いている。
辿り着くために必要な鍵を全て、一つの欠けもなく手に入れなければならない。
例え、それがどんな代償を払うことになったとしても、だ。
「やぁ、シャルロットちゃん。おはよう、良い夢見れたかい?」
「……………………よね?」
「ん?」
聴覚は人並みまでに落としていたから聞き取ることができなかったが、シャルロットちゃんは何かを呟いたようだった。
尋ねてみるが「ううん、なんでもないよ」とシャルロットちゃんは左右に振り、苦笑した。
ふむ、まぁ、何事も無いのなら別に構わないのだけれども。だけど何故だろう、今の一瞬。刹那だけ――彼女が遠く感じた。