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背伸びするのが子供の役目、それを支えてやるのが大人の役目。
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自堕落の生活というのは中々に楽なものだが、私の肩書きを並べてみればそう長く続けてはならないものだ。
ブリュンヒルデはともかく、超人やら鉄人やら修羅やらと、人外を並べるんじゃない。私はただの人間だ。
そう私は心の中で独白しつつ缶ビールを片手にくつろいでいた。
キッチンの方では一夏が手料理を作ってくれているため香ばしい秋刀魚の匂いが鼻腔を微かに擽る。
確か秋刀魚で釜飯を作ると意気込んでいたから下準備か何かなのだろう。
口に誘い込まれる麦特有の苦味が何処か懐かしく感じる。一夏のことを思い、色々と手をかけているのだがそうそう上手くは運ばない。
むしろ、一夏の方が率先して仕事を掻っ攫ってしまうために手持ち無沙汰でもある。
年齢からして独り立ちにはまだまだ早いが、姉の手を離れつつあることは確かだ。なんだろうな、何処か寂しく感じるものがある。
「プハァッ! いやぁ仕事の後の一杯ってのは良いもんだな、千冬」
「ああ、そうだな。"普通"な仕事というのは積み重なって喜びを感じるもんなんだ。まぁ、請負人のお前には無縁かもしれないから味わっておけ、潤」
円卓状のちゃぶ台を挟んで対面に座るは人類最強の請負人と呼ばれている友人、哀川潤だった。
本当は一夏の専用機が手に入るまでの護衛をお願いしたのだが、どんなわけか延長の申し出を受けた。
潤曰く、全く依頼が入ってこないから暇潰させてもらう、とのことで恐らくながら私の悪友たるあの馬鹿兎が何かこそこそやっているに違いない。
高校からの付き合いだが本当にあいつには困らされたことだ。コミマとかいう暑苦しい場所でアニメの服を着させられたりどう見ても十八禁の本の売り子をやらされたり奴の部屋でコスプレなるものをさせられたり……ああ、そういえば白騎士に乗ってミサイルとかも落としたな。
私の一夏との時間を削ってまで遊びへと連れ出す束の押しの強さには恐れ入る。今ではアイアンクロー状態で語り合う仲だがな。
「まぁ、ほどほどにな。それにしても……、いーくん万能過ぎねぇか? 家事に料理に女の扱いからISの操作まで何でもできる。まさに完璧主夫だな」
「うちの一夏の腕は飛ばん。まぁ、そうだな。うちは両親が居ないからどうしても家事面は一夏に任せるしかなかったからな。その名残だろう」
「名残ねぇ。ああ、そういや千冬は別けて考えてんだっけか。一夏といーくんとで他人として扱ってて罪悪感ねぇの?」
「うっぐっ!? 随分と痛い所を的確に刺したな。……確かに、罪悪感はある。しかし……」
「変わり過ぎてて同じに思えないってか。まぁ、前のいーくんがどんな奴だったかは知らんし興味は無いが……」
……分かっている。世界最強の肩書きを持ちながらも実の弟の変貌を受け入れられていない私が何処か未熟なのだとは分かっているんだ。
しかし、あんまりにも面影が残っていないんだから仕方が無いだろう。姉という立ち位置でなければ私でも惚れる性格になってしまってるんだぞ?
昔から一夏はモテモテだった。鈍感で愚直だった子供だったから皆に好かれていた。そう、朴念仁だったのだ。二年前までは!
拉致される際のテロ行為で身近に居た無関係の人たちが死に逝く無残な姿を見てトラウマを抱え精神を病んでしまってからは別人だった。
この私ですら最初は自分の目を疑ったものだ。事故のショックだろうと思い込んでみたが違和感は強まっていく限りだった。
家に帰り呆然と立ち尽くして無表情に私を"千冬さん"と呼んだ瞬間に違和感が爆発してしまったくらいに溜まっていたのだろう。
情けなかった。悔しかった。後悔もした。懺悔もしたさ。だが、神は非情にも私の弟を返してはくれなかった。
趣味も嗜好も違う、口調もファッションも違う、考え方も行動の仕方も違う。全くの別人だったのだ。それを知って私は泣き崩れたのを覚えている。
そして、今もふとした時に思い出す。何処か寂しげに自分を見る換わってしまった一夏の哀しい瞳を。
断罪とでも言うのだろうか、糾弾したかったというのに、一夏を、弟を返せと叫びたかったのに。
――生まれて、すみません。
今にも死にたいと訴える瞳でそんな言葉を言われたなら――抱きしめるしかないだろう……っ。たった一人の肉親なのだから。
あれから一夏は自分のことを"ぼく"と形容するようになった。恐らくながら私を思ってのことだろう。
目の前の人物は他人であるから何の侮蔑もなく接してくれて構わないと、実の姉であるはずの私に気遣いをみせたんだ。
情報を提供してくれたドイツ軍に礼を果たすべく教官として一夏と半年離れてから私は愚かな自分の情けなさを嘆いて死にたくなっていた。
そんな私よりも死にたそうな瞳をしているあの娘が居なければ私はきっと一人でに潰れてしまっていたに違いない。
「……まぁ、今では感傷に浸る程度だがな。私とて流石に慣れたさ。考えてもみろ、唯一の肉親なんだ。生きてくれて嬉しいんだよ私は」
「ふうん、少しは前進できたってことか。良かったじゃねぇか千冬。お前、着実と大人の階段登ってるぜ」
「ふん、甘いほうの階段ではないからな。私とてそれくらい弁えているさ」
「いや、待て。その言い方だと血が繋がっていなかったら押し倒してるってのと同意義だぞ」
「ふむ。やぶさかではないな、しっかりと気配りできるいい子だからな。食べてしまいたいくらいに愛しいくらいだ」
「おいおい……、そいつは……。いや、あたしが言えたもんじゃないな。まぁ話題を変えようか。そうだな、最近どうよ」
「何だその思春期の娘に喋りかけ辛いお父さんのような出だしは。まぁ、そうだな。プライベートの方は一夏のおかげで完璧だとして……、消えた生徒の行方探しとか明日の夕飯は何にしようかだとか山田くんがドジった所をどうフォローするかだとか色々大変なんだぞ」
「おい、行方不明者と飯の悩みが同レヴェルでいいのかよ教師」
「うん? ああ、まぁそちらはすでに詳細が分かっているからな。弟に手を出した輩が何処ぞの殺人鬼にでも襲われたそうだ」
「殺人鬼だと? 特定までできてんのか」
「ああ、一夏の友人らしいな。全くどうして呪い名と殺し名にコネクションを持っているのか理解不能だ。実の弟ながらよく分からん」
「……おいおい、マジかよ。いーたんならまだしもいーくんまでもかよ。はぁ……、奇想天外な彼女に惚れてるところとか似過ぎだろ」
「なん……だと? 潤、その話詳しく聞かせてもらおうか。一夏が惚れている女が居るだと?」
「変なもん拗らせてるな千冬は……。くーちゃんとか言ったか、ほら、あそこの大きな病院の病室に居る女の子だ」
窓越しに指されたその大きな病院には見覚えがあった。確か、私が一夏に精密検査を受けさせるために足を運んだ病院だ。
くーちゃん……、ああ、その名は聞き及んでいる。今の一夏の瞳に生気を齎した少女だったはずだ。……なら、仕方あるまい。
「……おーい? どうした。鳩がソードオフ喰らったような顔をして」
「そこまで私の顔は絶望的だったか!?」
「一夏を殺して私も死ぬみたいな顔してたぞお前。酒は……、一缶目か。まぁなんだ、お前疲れてんだよきっと。だから今日は早く寝とけ」
「……そうかもしれんな。ここのところ兵隊蟻の如く仕事をしていてたツケが溜まったのかもしれん」
「そうかもな。食堂に来たらちっとはサービスしてやるぜ先生」
「よろしく頼むとしよう、食堂の赤いお姉さん?」
そう、こいつは意外にも食堂のカウンターで働いていたりするのだ。潤曰く、食堂のおばちゃんと趣味が合い意気投合した、との事らしい。
そういえば潤は漫画とかが好きだったからな。古き良き時代の話でもしているのかもしれん。
残念なことに私の青春時代は漫画などの娯楽に手を出さなかったもんだから、というか出す暇が無かったからだが、その手の事には疎いのだ。
「何か学校の怪談とかにでてきそうなフレーズだなおい。夜な夜な皿洗ってるイメージなんだが」
「それだと潤の手が真っ赤に染まっていることになるな」
「知ってるか、皿回しで車カットできんだぜ」
「それができるのはお前だけだ。私は精々投げてドア貫通が良い所だ」
「いや、お前も人外染みてるじゃねぇか」
「世界最強だから良いんだよ」
「ちっ、私だってなぁ。ISに嫌われなきゃ少しは夢見れたんだ。空とか飛んでみたかったぜ」
「……お前さっきジャンプで四階のここまで来ただろう。ほぼ飛んでいると言っていいんじゃないか」
「いやいや、ほらやっぱり鳥のように自由に戦闘機の如く速く飛びたいじゃん。いいなーIS」
「娯楽目的で乗ろうとするな……。せめて仕事に使え」
「やなこった。あたしはその手のもん使うと逆に弱くなるんだよ」
「皿で車をカットできるお前が言うな」
「皿でドアを貫通するお前も言うんじゃねぇよ」
「………………………………」
「………………………………」
沈黙と威圧。世界最強と人類最強の意地というか、単なる手持ち無沙汰の暇つぶしが欲しいと感じてしまった。恐らくそれは潤も同じだろう。
「よし、久しぶりに戦るか」
「ああ、構わんぞ。……だが、一夏の夕飯を食べてからだ」
「あー……、そうだな。いーたんみたく水道水出すんじゃなくてきちんとした料理出してくれるからな。それに美味いし」
「だろう? 精神的には色々あったが元々料理のスキルはかなりレヴェルが高いからな。……待て、いつ喰ったんだお前は」
「あん? この前食堂で会って料理バトルした際にだな。やべぇよあいつ、中華鍋の中身が勝手に混ざって踊り出すくらいのチート遣ってくるからな。このあたしですら具材三回転半焼きが普通の限界だっていうのによぉ」
どうやったら中身が勝手に混ざるんだ? というか具材の三回転焼きとは何だ。サイクロンでも起こしたのかこいつは。
「待て、いつからスケートの話になった。まずその時点でおかしい」
「炒飯対決だったからな。久々に本気出して四回転してやったぜ。その時いーくん何してたと思う? 空中で食材切ってやがった。専用機持ったからってバトルに遣うことはないよなー。まぁ、あたしも対抗して空中で切ってやったけど」
そう子供の悔し紛れな顔で潤が言うがどう見ても若干不貞腐れていた。そりゃ人外めいてる潤に対抗するにはISを使わざる得ないだろう。
私は使わないがな。
「……鉄人を通り越して超人バトルじゃないか。それで、どっちが勝ったんだ?」
「んや、結局いーくんが狂言であたしを宥めてドローにしてくれた」
「負けたうえに癇癪起こして宥められたのか……」
「あーもうそうざっくり言うんじゃねぇよ。仕方無いだろ、いーくんのそれ喰った瞬間に涙が出ちまうくらい美味かったんだからよぉ」
「宥められたというのはそういうことか……」
見てみたかったな、こいつが泣く所を。今度対決する際には審判として席に座ってみたいものだな。
「清々しく負けちまったよ。だがな、次は絶対に勝つ。ああ、絶対にだ」
「ふん、お前の女子力の低さで主夫力を高めた一夏に勝てるかどうか分からんな」
「なんだとー? 女死力はあるからいいんだよ。別に千冬と違って家事できないわけじゃないしよぉ」
「ぐっ!? 分が悪いからって矛先を私に向けるな。ニヤニヤするなうざったい」
ニヤニヤと勝ち誇る人類最強を見て、まぁ確かに私は女子力は低い方だろう、とは思う。だが、こいつに負けるのは何処か癪だ。
ビール缶の中身を飲み干し、握力でサイコロ状にしてから机に置く。こうすることでビニールに入る量を増やせるのだ。一夏はできないらしいがな。
二缶目のプルタブを開け、一口飲む。……ふぅ、若干落ち着いた。まだやれる、私はまだいけるぞ。
「そういや……」
「む?」
「いーくんを救うにはどうすればいいか会議開かねぇ? 正直魂とかオカルトなもんは好きだけど詳しいわけじゃねぇからよ」
「それはこちらとて同じだ。だが、アテはあるんだろう?」
「ああ、蒼い暴君に協力を願おうかな。たぶんだけどいーくんのこと気に入るかもしれんし、一応の保険ってとこだな」
「そうか、ならこちらも陽気な兎に相談しておくか。あいつなら何とかできるやもしれん」
「……なぁ、やっぱり千冬もあいつのこと――」
「救いたいに決まっているだろう……っ。あんな顔をして心で泣く奴を見捨てられるわけがないだろうが」
あの日、私は一夏を抱きしめただけで救い上げることはできやしなかった。それどころか何処か距離を置いていたんだ。
罪滅ぼしができると言うのなら、あいつを救う以外に手はあるまい。
「だよなぁ。いーくん曰くタイムリミットが後数ヶ月らしいんだわ。早々に決着つけねぇとジ・エンドだぜ」
「それまでには何とかできるだろう。何せ私らの知り合いは――」
「天災だからな」
「天才だからな」
なんかイントネーションが噛み合っていない気がするが、まぁ、根本は似たようなものだろう。
秋刀魚の香ばしい匂いが待ち遠しい。再びサイコロ状にして机に放った私は特別に許してくれた三缶目に手を伸ばす。
――いつか必ずお前を救ってみせる。それが姉としての威厳を見せるいい機会だからな。
そんなことを思いながら、私は――自信のくさい台詞に苦笑した。