地面にへたりこんだビッグファイアの前に、使徒が迫ってくる。
「う、うわああぁ! 来た来た来たあぁぁっっ!」
少年は観念して目を閉じる。
使徒の足音が響くその前に、自動車のブレーキ音が聞こえた。
「? あれ?」
恐る恐る目を開くと、目の前に急停止した自動車がある。ドアが開き、中から女性が顔を出した。
「ごめーん。お待たせっ!」
手紙に同封されていた写真の女性、葛城ミサトである。
後にビッグファイアは、このときの出来事をこう語った。
『いやもう、地獄に仏、掃き溜めに鶴! ミサトさんが女神に見えたよ。ほんとほんと』
「どうしたの? 早く乗って!」
「そうしたいのは山々なんですけど……」
「なによっ」
いつまでも乗ろうとしない少年に、苛立って声が大きくなる。緊急事態だから当然だが。
「その……腰が抜けちゃって」
「はあ? なっさけないわねえ」
心底あきれました、という声がヘタレ少年の胸にぐっさりと突き刺さった。
「……すみません」
結局ミサトに手伝ってもらって、少年は何とか自動車にのりこんだ。
「飛ばすわよ!」
「りょ、りょうか……あだ!」
舌噛んだ。
「だから言ったのに」
「ふみまふぇん」
二人の車は逃走を続ける。
使徒から十分な距離まで離れたところで、ミサトはいったん自動車を停止させた。
「ここまでくれば大丈夫でしょ」
「助かりました。ええと、葛城、さん?」
「ミサトでいいわよ。そういうあなたは碇シンジくんね。よろしくシンジくん」
「ど、どうも」
そういって、少年は差し出された手を握る。
瞬間。少年の頭に膨大な量の情報が流れ込んだ。
(えっ? 読心能力は使ってないのに……そうかこれは)
サイコメトリ、精神感応能力の発現。
自覚なしに発動した超能力によって得られた情報は、巨大な津波のように少年の心を押しつぶそうとする。
『葛城調査隊』『南極』『アダム』『覚醒』『セカンドインパクト』『天をつく光の柱』『父親』『ただ一人の生存者』
心に深く刻み込まれた思いは『使徒への復讐』
(うう、これは、きつい……)
少年は精神を集中させて、情報の奔流から自我が崩壊するのをかろうじて防いだ。
「ん? どうしたの?」
「あ、いえ、すみません。ぼーっとしちゃって」
少年は、あわてて手を離した。
「すみませんって、シンジくん謝ってばかりじゃない」
ミサトが苦笑しながら言う。
「ああ、すみませ……じゃないや。よく言われるんですけど、これが性分みたいでなかなか直らなくて」
BF団の本拠地で事務仕事に明け暮れてたときにも、少女から『謝るくらいなら、仕事進めてください』とよく言われていた。
「あはは、まっじめね~」
「からかわないでください……あれ?」
少年は、車の外を見て首をかしげる。
「どうかしたの?」
「あっち、し……怪獣のいるほう、なんか雰囲気が変に」
「ん~、どれどれ」
ミサトは双眼鏡を取り出して使徒のいる方向に向けると、顔色を変えた。
「ちょっとまさか、N2地雷を使うわけ!?」
「え゛!?」
少年は大いにあわてた。使徒との距離は十分といっても、N2の爆発からのがれるには距離が近すぎる。
「伏せて!!」
ミサトは少年に覆いかぶさった。
(ええと、こういうときは……そう! バリアだ、バリア。よーし……うわあっ!!)
少年が超能力を発動するより早く、爆発の衝撃波がやってくる。
二人の乗った自動車は、衝撃波によって横転し始めた。
(目が回る~ とにかくバリアをっ)
ようやく超能力が発動して、バリアが二人を覆う。
「大丈夫だった?」
「ええ、何とか」
バリアのおかげか、二人とも怪我らしい怪我もなく無事だった。
横倒しになった自動車を二人で立て直すと、今度こそネルフに向かう。
そしてネルフに向かうカートレインに、自動車を乗り入れて一息つく。
「特務機関ナ、ナーヴ?」
「ネルフよ」
「はあ、ネルフ。なるほど」
しばらく沈黙が続いた。
「お父さんの仕事のこと、何か聞いてない?」
少年は眉をひそめて首をかしげた。
「うーん、誰かが何か言ってたような……すみません。覚えてないです」
少年、ビッグファイアにとって、碇シンジは遠い存在。碇シンジだったころ何があったか、ほとんど覚えていない。
無論、今回の潜入作戦を実行するにあたって、ネルフのことについてはかなり詳しく調査した。だが、その調査内容をべらべらしゃべるわけにはいかない。少年はとぼけ続けるしかなかった。
「国連特務機関ネルフ司令、碇ゲンドウ。それがあなたのお父さんよ」
「へ~、偉いんですね」
「人事みたいに……お父さん苦手?」
「苦手というか、遠いですね。知らないおじさんより正体不明って感じで」
「正体不明って……そうかもしれないけど」
ミサトが苦笑する。
そのとき突然、周囲が明るくなった。
地下都市、ジオフロントが目の前に広がる。
「へえ、本物のジオフロントだ」
(あれ? 何か感じる……これは?)
少年は外を見ているふりをして、目を閉じて精神を集中させた。
(結界? こんなところに能力者がいるんだ。うかつに超能力を使うのはまずいな)
ばれたらどうなるか、今の段階では予想はできないが、潜入作戦中に目立つまねはできないのは確かだ。
(国際警察機構のエキスパートかな? 僕に殺し合いなんてできるのか?)
BF団のボスであるからには、躊躇せず人を殺すことができなければいけない。だが、このヘタレ小市民にとっては、殺人はあまりにも大きな禁忌だった。
やがて列車は終点であるネルフ本部に到着する。しかし、
「おっかしいな~ たしかこの道のはずよね」
ネルフ本部に入ると、二人は道に迷ってあちこちを放浪するはめになった。
少年は、この隙に結界を発動している者の位置を特定しようと、神経を集中させる。
(たぶんこの本部の中にいるんだろう。結界の範囲はジオフロントの内部を全域か。どう考えてもエキスパートだよな。やだな~)
「ううっ、シンジくんがシカトするよお」
声をかけても返事もせず、後ろからついてくるだけの少年に、ミサトの精神はゴリゴリと削られていた。別に少年に悪気はないのだが。
「だ、大丈夫。システムは利用するためにあるのよ」
そういってミサトは、端末で赤木リツコに呼び出しをかける。
赤木リツコは水着に白衣を羽織った格好でやってきた。
「何やってたの、葛城一尉。人手も無ければ、時間も無いのよ」
リツコは、開口一番ミサトを叱責する。
「うーん、ごめん!」
ミサトは片手でリツコを拝むようにして、白々しくあやまる。
リツコはため息をついた。これ以上は言っても無駄だとわかっていたからだ。
「それで、この子が?」
「ええ、サードチルドレン、碇シンジくん」
自分の名前が呼ばれて、少年はようやく顔を上げる。
「技術局第一課、E計画担当責任者、赤木リツコ。よろしくね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
少年はあわてて答える。
ビッグファイアは、このとき赤木リツコに触れて情報を引き出さなかったことを、後に後悔している。
『リツコさんて、ネルフの機密事項をほとんど知ってたんだよな。もっと早めに心を読み取っていれば、こんな苦労もなかったのに……』
だが、本当に読心能力やサイコメトリを使ってしまったら、結界に探知されてしまっただろう。少年はおとなしくするしかなかった。
リツコの案内で、少年とミサトは、ある場所に連れてこられた。
「あなたに見せたいものがあるの」
リツコがそういうが、少年の目には何も見えない。
「真っ暗ですが」
当たり前だった。
すると、突然明かりがつく。
少年の目の前に、巨大な紫色の顔が現れた。
「うおぉ!? でかっ!」
少年は思わず後ろに下がる。
「あまり下がると、落ちちゃうわよ」
ミサトに言われて、少年はなんとか踏みとどまった。
「人の作り出した、究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。その初号機。我々人類の、最後の切り札よ」
「はあ、凄いですね」
デザインが悪役っぽいところなんかも。
BF団のロボットのデザインは、設計するブラック博士の趣味か、レトロな感じのものばかりだった。
(うーん、これはこれでいい感じだな)
「ニュースに出てくるBF団のロボットには似てないですね」
「いまどき世界征服なんて、馬鹿なことを言ってるカルト集団と一緒にしないで!」
リツコが憤慨する。
そのカルト集団のボスは、かなり凹んだ。
突然、今度はエヴァの頭上に明かりがともる。
「久しぶりだな……む」
ズルッ、ドボーン。
碇ゲンドウ。その姿が現れると、驚いた少年は足を滑らせて冷却水プールに落っこちた。
「ちょちょっと、シンジくーん!!」
ミサトがあわてるが、少年はまだ浮かび上がってこない。
「まずいわね。時間がないのに」
水着を着替えなくて正解だった、とリツコは思った。
落ちた少年は、パニック状態になっていた。
驚いたのは、碇ゲンドウのことではない。その後ろにいた人影。
(国際警察機構、梁山泊九大天王! 無明幻妖斉!! なんでこんな大物がこんな所にーっ!)
ジオフロントの内部にあった結界は、この老人が発動したものだろう。
(まずい! 今の僕じゃ逃げることも難しいよ……やっぱり来るんじゃなかった)