「作戦の概要は以上です。この手順でビッグファイア様にはもう一度ネルフに潜入していただきます」
少女が書類を見ながらビッグファイアに報告する。
「うん。それはいいんだけど、僕の身体検査の方は……」
「潜入と同時にネルフに滞在中の十傑集は、例の民間人三人の護衛任務をC級エージェントに交代して、ビッグファイア様のもとで活動することになります」
少年の言葉を無視した少女は書類から顔を上げようとしなかった。
「いや、だから身体検査の結果を」
「……」
言い募る少年に、少女は顔を伏せたまま深いため息をつく。
「……どうしても、聞きたいですか?」
「そりゃ聞かないわけには……そんなに悪いの?」
「……脳が無事なのが奇跡的な状況です」
少女が諦めて話し始めた。
「身体の右半身はすでに生命体とは呼べないものに変質しています。右の肺、肝臓、右側の腎臓などはもう機能していません。特に肝臓は代えの利かない臓器ですから、ビッグファイア様のクローン細胞から左半身に組織を移植して凌いでいる状況です」
書類を持つ少女の手は、かすかに震えている。
「改めて聞くとキツイなあ」
少年は変質した右腕を軽く動かしてみる。金属が軋む音がした。それはもう人間の腕とは言えないものになっている。
「絶対安静でも半年持たないと思われます。超能力を使い続ければすぐにでも、破滅の時が訪れるでしょう」
「超能力を使わない、って選択肢はないよ」
「そうですね……月面での訓練が良い方向に作用してくれればと思いましたが、甘かったようです」
少女の手に力がこもり、書類がくしゃくしゃになった。
「こりゃ急がないと間に合わないな」
「間に合わなければ、世界が滅びます」
「自分が死んだ後のことなんて知ったことじゃない、って言い切れれば楽なんだけど」
少年はため息をついた。
「まあ、僕に出来るところまで、やってみるしかないか」
「監視衛星からの画像です」
机上ディスプレイの中央に、ネルフ・フランス支部を真上から見た画像が映し出されている。
「-3、-2、-1、状況開始」
ディスプレイ中央に閃光が走り、発生した衝撃波が円状に広がっていった。
「……ひどいわね」
爆発の惨状を見て、ミサトがつぶやく。
「いえ、この程度で済むはずが……マヤ、爆発の原因はN2で間違いないわね?」
リツコがオペレータのマヤの方に向き直った。
「は、はい。フランス支部はBF団の襲撃を受けて、N2地雷による自爆決議を選択しました。MAGIクローンの最後のログからも確認されています」
「何か変なことでも? 赤木博士」
ミサトが改まって聞く。
「衝撃波の減衰が早すぎるのよ。N2地雷による爆発の影響は本来ならこの2倍、いえ3倍はあるはず……それにこの衝撃波の形、地形から考えてもこれほど歪むとは思えないわ」
ディスプレイで広がっていく衝撃波は上下の2点で大きくくぼんで、ひょうたんのような形に変形していった。
「この歪みの原因かどうかはわかりませんが、この2点にBF団のロボットが確認されています」
マヤの言葉と共に、ディスプレイの画像が切り替わる。2分割された画面に2つのロボットの姿が映し出された。
大きな羽を持ったロボットと、三日月型をした巨大な角を持ったロボットだ。
「これは! GR2、GR3!」
「GRって、ジャイアントロボ?」
リツコの上げた声にミサトが反応する。
「草間博士が開発した3機のロボット。エネルギー吸収能力を持っているという話は、本当だったのね」
「N2の爆発を吸収したというの!?」
ミサトが驚きの声を上げた。
「不完全ではあるけれど、ね。もしジャイアントロボが3機揃っていれば、N2の影響を完全に押さえ込めたかもしれないわ」
リツコは冷静に指摘する。
「マヤ、このデータを敷島博士にも渡して、検証を頼むわ。BF団のGR計画は、ただの戦闘用ロボットを作るだけじゃないかもしれない」
「わ、わかりました」
マヤが慌てながらデータの編集を始めた。
マヤ以外の者は、別のディスプレイに注目し始める。
「そしてこれが、フランス支部の遺産という事?」
「BF団の襲撃直前に本部に向けて移送されたらしいわね」
そこにはひとつのカプセルが表示されている。カプセルの中には、人の姿があった。
「アダムとの接触実験をおこなった検体、だそうよ」
「アダムとの接触って! そんなことしたらサードインパクトが!」
ミサトが驚くが、リツコの顔色は変わらない。
「実際起こっていないんだから、落ち着きなさい。それにしてもひどいわね。アダムを移植されたのは右腕かしら、右半身がアダムの侵食を受けて変質してしまっている」
そこにいるのは、ビッグファイアだった。ネルフ・フランス支部と引き換えに本部へ潜入することになったのだ。
カプセルの中で眠ったふりをしながら、少年は外の様子をうかがっている。
月での猛特訓の成果によって変身能力を使えるようになった少年は、顔を別人に変えていた。アダムによって変質した右半身はどうにもならなかったが。
(潜入工作はバレてないようだね。けど人間コンピュータの敷島博士や少年探偵金田一正太郎が本気になったらすぐバレちゃうよ。どうやってごまかそうかな……)
だが、今回のフランス支部の壊滅、少年の移送に関してはネルフ内部の問題として、国際警察機構は蚊帳の外に置かれているようだ。追及の手がのびてくる可能性は少ないだろう。
(なんとか穏便に忍び込めればいいんだけど)
そうそう思うようには行かない、少年はそのことを骨身にしみてわかっていた。
数日後、カプセルに入った少年はネルフ本部に搬入される。ひと通りの検査を受けたあと、少年は病院で目を覚ました。
「Est-ce que vous comprenez japonais?」
リツコがたどたどしいフランス語で少年に話しかける。
「ああ、一応日本人なんで、日本語で大丈夫ですよ」
「ふう、それは良かったわ。本部でもフランス語のできる人は少ないから。私はネルフ本部の技術局第一課、赤木リツコよ。とりあえず、こちらの質問に答えてくれるかしら」
「えーと、答えられることはほとんどありませんよ。僕は研究者じゃなくて、ただの検体ですから」
少年は予め用意しておいた設定通りに話す。潜入工作をするにあたって決められたのは『ろくに事情を知らない実験体』だった。
「できる範囲でいいわ。まず名前は?」
「名前、あったかもしれないんですが覚えてなくて。識別コードはGF13ー009NFなんですが」
「どこのガンダムファイターよ」
リツコがすかさず突っ込む。
「僕の担当の趣味だそうで。個人的にはNP3228とかが良かったんですけど」
「……ネイティブアルターね。聞くだけ無駄だという事はわかったわ。自分が一体何をされたのか、どこまで自覚しているの?」
リツコは諦めて質問を変えた。
「コードネーム、アダムの移植実験だと聞いてます。アダムが何なのかは、全然知らないんですが」
「アダム、第一の使徒。セカンドインパクトの元凶と言われているわ」
「……怖いですね。危ないシロモノだろうなとは思っていましたけど」
その他、いくつかの質問があったがろくに答えられず、リツコはとりあえず諦めて立ち去っていった。
(なんとか乗りきれたか? 相手がリツコさんだから何とかなったけど、国際警察機構が本気で尋問したらごまかしきれないな。擬似人格を展開しておいたほうが良さそうだ)
それでも、話に聞く九大天王《大塚署長》のカツ丼なんか食べた日には、隠し切ることはできないだろう。
(まあ、その時は全力で逃げるしか無いか。それじゃ、精神障壁を張って……)
「にいちゃん、なんでこんな所にいるんや?」
(!?)
突然かけられた声に少年はパニックを起こしそうになった。入り口のドアのところに、かつて『碇シンジ』が助けた少女がいる。十傑集《眩惑のセルバンテス》も同行していた。
この瞬間、少年があわてて声を上げなかったのは奇跡に近い。月面での修行の成果だろうか。
「……えっと、誰かな君は?」
『な、なんでこんな所にいるの? とっくに退院したはずじゃあ』
表向きはとぼけて、テレパシーでセルバンテスに話しかける。
『赤木リツコの要望で直接ではありませんが、定期的に検査を行なっております』
『にいちゃんこそどないしたんや。会うたんびに見た目変わっとるけど』
テレパシーで横から口をはさまれて、少年は更に驚いた。
『て、テレパシー!? それに僕のことがわかるの?』
『この少女は超能力を持っております。いつ目覚めたのかはわかりませんが』
『そや! 驚いた? にいちゃんのことやったら、一目見てわかったわ』
変身能力で別人に成りすましているはずなのに、少女はあっさりと正体を見抜いていた。
『そりゃ驚くよ……えっと、僕は今正体を隠してここにいるんだ。とりあえず表向きは知らん顔してくれるかな』
『りょうかいや』
「ウチはナツミいうねん。知り合いのにいちゃんかと思ったけど、人違いみたいやな」
「そ、そう、その人もこんななのかな?」
そう言って少年は自分の変質した右半身を指す。
「おお!? さすがにそんなん見たんは初めてや。ごめんな間違えてしもて」
「いや、いいよ気にしないで」
「それじゃ、もう行くわ。ホンマにごめんな」
そう言って、少女はセルバンテスと共に立ち去っていった。
テレパシーに距離は関係ない。少年と少女はまだ繋がったままだった。
『ナツミちゃん、君が超能力を持っていることは他に誰か知ってるの? ネルフや国際警察機構にバレたらただじゃすまないんだけど』
BF団に知られるのも、それはそれでただじゃすまないと思われるが、もう手遅れなので少年は考えないようにした。
『今のところ知ってんのは、セルバンテスのおっちゃんだけや。やっぱ秘密にしといたほうがええんか?』
『うん、超能力者なんて、ろくな扱いうけないからねえ』
ろくでもない思いしかしたことのない少年は、しみじみ言う。超能力に目覚めて良かったことなど、覚えがなかった。
『にいちゃん、ホンマに苦労しとんやな。よっしゃ、やっぱりウチ、BF団に入るわ!』
『へ? なんでそうなるの?』
物好き、では済まされない。少年はこの少女が正気かどうか本気で疑う。
『BF団てアレだよ。世界征服を企む悪の秘密結社。特撮ヒーロー番組のヤラレ役。関わったらろくな死に方できないよ……それともまさか、人殺しとか破壊活動に興味があるの?』
『んなわけあるかい! ええか、ウチが今生きてられんのは、にいちゃんとBF団のおかげなんや。国際警察機構はなんもしてくれへんし、ネルフには命を狙われとる。ウチが何かの役に立てるんなら、にいちゃんの力になりたいんや!』
『う、うーん……』
この娘が冗談で言っているわけでないのは、はっきり伝わってきた。だからといって、はいそうですかと即答もできない。BF団に入るという事は、人間として大切なものを色々と捨て去らなければいけないから。主に良識とか常識とか平穏とか。
『人生捨てるのは早すぎるよ。まだ子供なのに……』
『人のこと言えるんかい、自分かて子供やろ! 大して違わんわ』
『うっ……』
ありきたりの言葉では納得させることは出来そうになかった。
『あう~、セルバンテスさん~』
口では勝てそうにないので、少年はセルバンテスに泣きついた。
『望むと望まざるとにかかわらず、ネルフから見ればこの少女はBF団の関係者と思われております。本人が希望するのであれば拒むこともないのでは?』
『あああ、セルバンテスさんまでそんなことを……』
少年は頭を抱える。
『……家族とか友達とか、二度と会えなくなるかもしれないよ。僕はそういうものに縁遠かったから構わないけど、大切な人がいるのならその人のそばにいるほうがいい』
『大丈夫や。家族も友達も最初の怪獣が来た時、ビビってみんなここから逃げ出しておらんようになっとる……兄貴が残っとるけど、アレはどうでもええわ』
少女の言葉には全くブレがなかった。随分と薄情なことを言っているような気もするが。
『……うう、えーと、あああ……あ! そうだ、それに僕はもう人間じゃない。M78星雲から……は来てないけど、残留思念、幽霊とかゾンビみたいなもんで、こんな人間の残骸に付き合う必要はないよ』
これがとどめの一撃、のつもりで少年は言い放つ。しかし、
『そんなん、そんなん関係あらへん! ウチは、ウチはにいちゃんの役に立ちたいんや! 頼む! このとーり!』
少年の言葉に構わず、少女は深く頭を下げた。
そのとき、少女のそばにいた人間はいきなり頭を下げる少女にびっくりするのだが、懸命な少女は周りの様子など気にする余裕はない。
『ああ、いやいや、えええ……しょうがない、のかな? うーん、わかりました……ビッグファイアの名においてBF団への入団を認めます……本当にいいのかなあ?』
少年はついに諦めて、少女の希望を叶える。これが正しい判断か、少年は全く自信を持てなかった。
『よっしゃ、これでウチもBF団の仲間入りや! あれ? ビッグファイアって……にいちゃんビッグファイア本人なんか!?』
『え、知らなかったの?』
『初耳や。けどちょうどええわ。我らのビッグファイアのために!……にいちゃんのためやったら、この命いくらでも賭けたるで!』
『うーん、ナツミちゃんが命を賭けるような事態なんて、あっちゃいけないんだけどね。それにせっかく助けたんだから、簡単に命投げ出しちゃダメだよ』
『はーい、合点承知や!』
返事だけはいい。だがどうにも不安を消すことができないビッグファイアだった。