『BF団員、心得の条。我が命我が物と思わず、武門の儀、あくまで陰にて、己の器量伏し、ご下命如何にても果すべし。なお、死して屍拾う者なし、死して屍拾う者なし』
『おお~、アンタッチャブルやな……ってこないなとこでパロってどないすんねん』
BF団に入団したナツミにビッグファイアが組織の説明を始めたのだが、のっけからこんな調子だった。
二人共敵地にいるので、会話はすべてテレパシーを使っている。普通に会話してしまうと、どこで聞かれたり録音されてしまうかわからないからだ。
『んー、でもまあ、洒落抜きでそういう組織だよ、BF団は。退職金も年金もなし、労働基準法も適応されないしね』
『そう言われたら、たしかにブラックやな』
『悪の秘密結社ですから。福利厚生を期待されても困ります』
BF団本部にいる少女、朱里が口を挟む。このままでは話が進みそうになかったから。
『ひとーつ、人の世生き血をすすり、ふたーつ、不埒な悪行三昧、みーっつ、右腕科学の勝利……』
『それはもうええて。ていうかなんやその3つ目は?』
『それはともかく、世界征服がなった暁には、BF団員に厚く報いることになるでしょう』
朱里が当たり前のように少年の言葉をスルーする。少年はちょっと凹んだ。
『……世界征服なんて一朝一夕ではいかないから、当分先の話だけどね』
『もちろん普通に働いていれば給料は出ますし、作戦に参加すれば報酬、成功報酬が支払われます』
『ふんふん、要するに頑張って働けばええってことやな。当たり前の事やけど』
ナツミはとりあえず納得したようだった。
『ナツミちゃんの能力は物事の本質を見ぬく、『水晶眼』とか『千里眼』とか言われるものだね……うーん』
少年は悩んで考えこむ。
『それ、しょうもないんか? ウチ何の役にも立たへんの?』
ナツミは少年の様子を感じて心配になった。せっかく目覚めた超能力でも、少年を助けることも支えることもできないのだろうか。
『いやその逆で、すごいレアな、テレポート能力者にも匹敵するぐらいの類まれな能力なんだ。けど……』
『けど、なんや? もったいぶらんといて』
『重要な能力者だからこそ、危ない目に会うよ。仕事も危険なものになる。直接的な攻撃力や防御力は無いから、そのへんをフォローしないといけないな』
『難しいですね。攻撃や防御に長けた者はいくらでもいますが、コンビネーションを組めるものとなると……』
『おらへんのか?』
ナツミが不思議そうに聞く。大きな組織なのにそういう人材がいないのだろうか。
『BF団員って個々の能力は高い人が多いんだけど、連携とか協力とかできる人は少ないんだよ』
『幹部の十傑集ですら連携が取れるのはアルベルトさんとセルバンテスさん、カワラザキさんと幽鬼さんの二組だけ。みなさんバラバラというか我の強い人ばかりですから』
『でも、ナツミちゃんの能力は戦局を左右するだけの力がある。十傑集クラスと組んでもおかしくない』
『人選は追々考えるとしましょう。今は能力の更なる開発と制御の訓練を行うべきかと』
『……松コースで一気にやってもらえるかな』
少年の言葉に朱里は少し驚く。
『危険もありますが、それでよろしいですか』
『時間が惜しい。ナツミちゃんの能力はこの戦いで、必ず勝利の鍵になる。一刻も早く戦線に出てもらわなきゃいけない』
『ナツミさんはいかがです? 事故の起こる確率はまあ、自動車に乗って交通事故に会う程度でしょうが、もしはずれくじを引いた時には助かる見込みは無いものと思ってください』
『……かまへん。その程度の確率やったら、実戦に出た時の危険に比べたら屁みたいなもんやろ』
この程度の脅しではナツミを怯ませることは出来なかった。
『よくわかってますね……ビッグファイア様よりも工作員に向いているようです』
『……それ、褒めてるのか貶してるのか、どっち?』
『両方です』
『……』
少年はいじけるしかない。
ともかく、こうしてナツミはかつての碇シンジのようにダミーと入れ替わり、BF団で訓練に励むことになった。
ネルフ本部が、やってくるはずの使徒に対する臨戦態勢を維持し続けているのは、潜入工作を行なっているBF団にとっても不都合だった。BF団は国連経由で、海底火山の爆発と共にブラッドパターン・ブルーが検知されたこと、そしてそれが消滅したことをネルフにリークする。
その情報によってMAGIの非常事態宣言は終息し、ネルフ本部に平穏が訪れた。その平穏の影に忍び寄るBF団の姿をまだ誰も見るものはいなかった。
「エヴァンゲリオンですか。確かに動かしたことありますよ」
病院にやってきたリツコの質問に、少年はあっさり答える。
「そう、やっぱりチルドレンの素質を持っているのね」
「僕は員数外なんでナンバーは振られませんでしたけどね」
少年にとってエヴァンゲリオンのパイロットになることは必要だった。このままでは死ぬまで病院から出ることもできないからだ。普通の医学的に見ても少年が生存を続けるには、病院での継続的な治療が不可欠と診断される。少年はネルフ内部に潜り込む口実としてエヴァンゲリオンのパイロットとなるしかなかったのだ。
「今ネルフ本部には二人のパイロットと3体のエヴァがあるの。あなたにはフォースチルドレンになってもらって、空いている零号機のパイロットになってもらうわ」
「お好きなように。僕みたいな半死人でもいいなら」
「冷めてるのね」
「いやだ、といったら止めてくれるんですか? 言うだけ無駄なことはわかってますから」
「……フランス支部は壊滅したけれど、あなたはまだ生きている。生きている限り、全てに絶望するのは早いわよ」
リツコの言葉に少年は微かに笑った。
「優しいですね。でも僕にはそれを受ける資格なんかないんですよ」
フランス支部の壊滅。それはBF団の潜入作戦の一環として行われた。少年がビッグファイアとして命令した2つ、『仲間を決して見捨てないこと』『一般人に被害を出さないこと』これは裏を返せば敵対するものに容赦しないという事でもある。BF団のボスとして、少年はこの結果を承知の上で作戦の許可を出した。少年は自分の手が血で塗られていることを、これからも屍山血河を築き続けていかなければいけないことを、自覚せずにはいられなかった。
「……それでも、少しでも死ぬ人が少ないほうが、悲しむ人が少ないほうがまだマシだと、思わずにはいられない」
「何を言ってるの?」
それはただのワガママ、傲慢、独りよがりな偽善に過ぎない。だが少年の手には力があった。世界を左右する力が。自分一人だけの独善を貫いてしまうほどの力だ。
「これは僕の弱さなんだ。力は有り余って器から溢れかえるほどあるのに、心の強さがまるで無い。この弱さが僕と共にある人たちを苦しめる」
「……あなたが何を言ってるのかはわからない……でも、何もかもを自分のせいにすることはないわ」
リツコが少年の変質していない方の左手を握る。
「ああ、駄目だ。自分の心の整理をつけようとすると、愚痴ばっかり出てくるな。申し訳ありませんがリツコさん、あなたも僕の傲慢の犠牲になるんですよ」
少年は首を振って、超能力を発動させた。病室が急に暗くなる。全てのものがモノクロの写真のような扁平な景色に変化した。
『え? 何、身体が動かない!?』
『僕とあなたの思考速度を一万六千倍に加速しました。現実の一秒が僕達には4時間以上かかることになります。思考の速度に身体が反応しきれないので、動けないように感じますが大丈夫ですよ』
『あなた、超能力者だったのね……私を洗脳でもするつもり?』
リツコはほとんど取り乱すことなく少年に質問する。
『状況判断が早いですね。まあ、洗脳というかなんというか』
『……オレは勧めんがな』
『誰っ!?』
明らかに第三者の声がして、リツコは緊張した。
『ああ、僕の腹心の一人です。今回の件で仲介をお願いしました』
『後悔するぞ。人の心なんて見て楽しい物じゃない』
『腹心……あなた、何者?』
『お前たちに名乗る名前は無いっ! かっこ井上和彦かっことじ! いや嘘です。えーと……ビッグファイアといえばわかりますか? こんなことをやる目的は、リツコさんをBF団に引き抜くためです』
『BF団!? ビッグファイア本人なんて、いったいなぜ?』
赤木リツコを引き抜くだけが目的なら、首領本人が出てくる必要など無いだろう。誘拐にしろ洗脳にしろ部下はいくらでもいるはずだった。
『理由は、まあ色々あるんですが、リツコさんをネルフに所属したまま説得するには、これが一番かなと思いまして』
『説得? 応じると思ってるの?』
『アンタッチャブルっていうほど、ネルフに忠誠を誓っているわけじゃないでしょう』
『……そう、その気になればきっと私の記憶を覗くこともできるんでしょうね。洗脳でないなら、何をするつもりかしら』
『碇ゲンドウの記憶を見たことがありますから、リツコさんがネルフにいる理由も一応知ってます』
『……』
『ですので、力ずくで洗脳するんじゃなくて、僕にできる最大の誠意を見てもらおうかと思いまして』
『は? 誠意?』
この異常事態にも動じなかったリツコが呆れた声を上げる。この少年は何を言っているのだろう。
『ええ、誠意です。通じるかどうかわかりませんし、これも洗脳と言われればそうかもしれませんが』
そう言って少年は超能力を発動させた。目に見えない、精神だけに見える光がリツコの心を包んだ。
『! これは!?』
『……精神の全面開放。僕の心の光、闇、崇高なもの、下衆なもの、全てをお見せします』
少年の記憶の全て、心の深奥、気高い志、下品な欲望、ありとあらゆるものがリツコの心に降り注ぐ。
『ああ、あああああ!』
『あ~、思ってたよりキツイなこれは。一週間くらい欝になりそうだ』
自分の心の裏まで全てを見せる。覚悟はしていたものの、気持ちの良いものではなかった。自己嫌悪の嵐でひたすら落ち込む。
『それだけの思いをして、得るものがあるとは限らんぞ』
『幽鬼さんが言うと重みがあるけど、結果はまだ出てないよ……リツコさん、どうかな?』
『……』
だが、リツコからの返事はなかった。
『さすがに人一人の心の全てを飲み込むのは時間がかかる。わざわざ思考加速をしているのだ、今は待つしか無い』
『そりゃそうか。まあ、まだ現実で1秒も立ってないし、ゆっくり待つとしますか』
少年と《暮れなずむ幽鬼》はリツコの回復を待ち続ける。
現実時間で十数秒後、加速時間では数日の時が立った頃リツコがはじめて反応した。
『……シンジくん、だったのね』
『え、ええ。あ、そういえば言ってませんでしたね』
『私みたいな汚れた女に全てを見せて、裏切られたらどうするつもりなの?』
リツコの声はあくまでも静かだった。
『リツコさんが碇ゲンドウみたいな心ない外道なら、力ずくで洗脳しますよ。確かに賭けですが分の悪い賭けとは思ってません……多分』
『自信があるわけじゃないのね。ふふっ』
リツコが微かに笑うのが感じられる。この時、少年は賭けに勝ったことを感じ取った。
『ただし、条件があるわ』
『条件……なんですか?』
少年が身構える。予想外の展開だった。
『あなたの超能力で、私の心を見て欲しいの』
『へ? ええっ!? いや、自分でやっておいて何ですが、はっきり言っておすすめできませんよ。後悔しますよ。自己嫌悪でのたうち回るはめになること間違い無しで……』
少年が慌てふためく。まさかリツコがこんなことを言い出すとは思いもしなかった。
『かまわないわ。私があなたを知ったように、あなたにも私を知ってほしい』
だが、リツコの意思は固いようだ。
『えーと、どうしようか、幽鬼さん』
『ボスといいこの女といい、おかしな奴らだ。いや、ある意味お似合いなのかもしれんな』
強力なテレパシーを持ったために人間不信に陥ったことのある《暮れなずむ幽鬼》からすれば、二人共酔狂にも程があるといったところだ。
『本人が言っているのだ。好きにさせればいいだろう』
『似たような台詞を最近聞いたような気もするけど……いいのかなあ、うーん……それじゃ、お邪魔しますよ』
ためらいながら少年は、リツコの心に侵入する。
『くっ、たしかにこれは、キツイわね』
リツコが苦悶の声を上げた。自分の心というものはある意味もっとも見たくないもののひとつだろう、精神が悲鳴を上げるほどの自己嫌悪が襲いかかってくる。
『まあ、誰だってそうです。と自分がやったから言えるんですけどね』
少年の精神に、赤木リツコの心が開かれて見えた。母親赤木ナオコ、ネルフ司令碇ゲンドウによって抑圧、偏向された様を感じ取る。
『改めて見ればひどいものね。こんな汚れた女、幻滅した?』
『いやあ、心の歪みっぷりなら僕も負けてませんから』
限界を超えた自己嫌悪の嵐の中、軽口を叩き合う二人。半ば開き直り、残り半分はヤケクソであった。
互いに心を見せ合ったあと、立ち直るのに現実時間で数分、加速時間ではひと月近くの時間がかかった。
思考加速が解除され現実世界に戻った二人は、同時にため息をつく。時間を置いたとはいえ、精神のダメージは大きなものがあった。
「さて、それじゃあ後始末、お願いしますね」
「わかったわ」
そう言ってリツコは病室を離れる。この数分間に交わされた不自然な会話は、リツコの手でMAGIの記録から消去された。
(これで、潜入作戦の最初の山場は超えたか。計画は慎重に、行動は大胆にって誰が言ったのかな)
少年は安堵の吐息をつく。だがそれが早かったことを、すぐに思い知らされることになった。
「国際警察機構の銭形です。ルパンの犯行予告があったため、国連特務機関ネルフの査察を執行させていただきます!」