「使徒が現れた以上、私はここまで。葛城一尉、指揮権をあなたに譲ります……ただ、ネルフに出番があるかは微妙だけれど」
赤木リツコが葛城ミサトに告げた。司令と副司令が不在の今、使徒が現れたことで最先任は作戦課のミサトという事になる。
「指揮権は確かにあずかりました。って、出番がないってどういうことよ」
敬礼してみせるミサトだが、リツコの台詞の後半が気にかかった。使徒が現れて、使徒迎撃機関であるネルフに出番がないとはどういうことだろう。
「あそこにいる二人はBF団でも最強を誇る十傑集よ。初号機が出撃した時には状況は終了しているかもしれないわ」
ミサトの目が大きく見開かれた。
「まさか、生身で使徒の相手をしようっていうの!?」
「そんな生易しいものではないわ。彼らが使徒に対抗できるかというより、使徒がどこまであの二人に食い下がれるかどうかよ」
「……十傑集ってほんとに人類なの?」
ミサトがため息をつく。もう呆れるより他はないというところだ。
「私達が普通の人間、と定義しているものからは大きく外れているわね。十傑集と対抗できる九大天王《神行太保・戴宗》、二度目の使徒戦で初号機に電撃を与えていたでしょう? あれ、手加減していたらしいの」
「マジ……?」
「あの時こちらから出した要望は初号機の停止。もし破壊するつもりで本気の一撃を食らっていたら、初号機は無事ではすまなかったでしょうね」
リツコの言葉にミサトは頭を抱える。
「う~、大枚はたいてエヴァを動かすより、九大天王連れてきて使徒とやり合わせたほうが話が早いんじゃ……」
身も蓋も無い。ネルフの存在意義をひっくり返された気がするミサトだった。
そんなネルフに構うことなく、十傑集は行動を開始している。
アルベルトの指先から衝撃波が次々と放たれる。使徒のATフィールドはそれを阻むが、散弾のように降り注ぐ衝撃波に使徒は身動きできなくなった。
「ははは、どうした。大した抵抗もできないのか? そんな様でバビルの系譜を断とうなど無理の一言。思い上がりも甚だしいわ!」
動けなくなったかに見えた使徒だが、衝撃波の雨を受けながら身を沈め長い足を縮めたかと思うと、大きく上空に跳躍する。
アルベルト達のいるネルフ本部に飛びかかり、胴体から強力な溶解液を吹き出した。
「ふっ、そうこなくては。オードブルだけで食事が終わってしまっては、こちらも興ざめというものだ」
セルバンテスが笑みを浮かべるとともに、二人の姿が忽然と掻き消える。セルバンテスの幻術だ。二人はすでにネルフ本部から地底湖の上空に移動していた。
溶解液を浴びせかけられたネルフ本部は、大慌てで職員の避難をはじめる。初号機の発進準備にも支障が出るほどだ。
「ちょっとはこっちの迷惑も考えてよ!」
ミサトが思わず叫ぶが、十傑集の二人はネルフのことなど考慮することはない。再び衝撃波が使徒を襲う。その余波でネルフ本部は大きく揺さぶられた。
「使徒よりたち悪いんじゃないの? あの二人!」
「無駄だと思うけど、一応尋ねてみましょうか」
「え? 誰に?」
「十傑集に対抗できる国際警察機構の九大天王《神行太保・戴宗》よ」
リツコが格納庫に電話を賭ける。だが、色よい返事をもらうことは出来なかった。
「やっぱり、草間大作の警護に専念するそうよ。前の一件以来ネルフは国際警察機構の信頼を失ってるから」
ため息をついたリツコがミサトに向き直る。
「私達にできることは、一刻も早く初号機を発進させること。それしかないわ」
「そうね……各員、作業急いで! 固定具、拘束具は破損しても構わないわ。何よりも時間を優先して!」
綾波レイの乗り込んだ初号機が固定具を破壊しながら動き始める。冷却水の排出も待たずに射出口へ移動した。格納庫の階下の層は水浸しになってしまうが、ネルフの誰もがそんなことを気にしない。使徒が現れて使徒迎撃機関であるネルフが何もできないまま事が収まってしまう、そんなことを許すわけにはいかないのだ。
「このままアルベルトに任せてもよさそうだが……ここはひとつ私の芸も見てもらうとしようか」
セルバンテスは地底湖の水面に手を当てて、目を閉じて集中する。
しばらくすると湖は波が静まり、一枚の大きな鏡のようになった。地底湖の上に立つセルバンテスとアルベルトの姿が逆さまに映し出される。
やがてセルバンテスが自分の指をかんで傷をつけた。指先から血の雫が滴り落ちると、水面に波紋が広がる。ただ一滴の雫から作られたとは思えないほど大きく広がる波紋は、うねり波となり大きく盛り上がって、巨大なヒトガタのような形になった。
血が滴り落ちる度に波紋が生まれ巨大なヒトガタがふたつみっつと増えていき、やがて無数の巨人が地底湖から使徒に向かって歩き始める。その姿はどこかエヴァに酷似していた。
「さあ踊れ! 我が人形たちよ!」
巨人たちが使徒に襲いかかる。四方から伸びるその腕はしかし、使徒のATフィールドに阻まれた。巨人たちの指先は弾けて元の水に戻り地面に流れ落ちていく。
「ほう、さすが自慢のバリアだけはある。だがその有様で……」
「……ワシの衝撃波を止められるか! はあっ!」
アルベルトの渾身の衝撃波が放たれた。全方位に展開された使徒のATフィールドはそれを止めることが出来ない。フィールドは光を放って霧散し、衝撃波が使徒の本体を貫いた。
「容赦せん。一気に核を貫いてくれよう」
やがて使徒は衝撃波によって穴だらけになってしまう。活動停止も時間の問題と思われたが、使徒はATフィールドを集中しアルベルトの前面に押し立てた。衝撃波は何層にも重ねられたATフィールドによって阻まれてしまう。水の巨人たちが姿だけでたいした力を持っていないと見ぬいたのだ。
だが、十傑集の二人に浮かぶ余裕の笑みを消し去ることはできない。
「単純な反応だ。その程度の知能で霊長を気取ろうなど、百年早い」
セルバンテスの声と共に、水の巨人の一人が腕を伸ばしていく。今まで使徒の細い足に触れただけでも崩れてしまっていた水の巨人の指先が、力強く使徒の足を掴んで引きちぎった。使徒が大きく跳躍してその場から逃れる。
「驚いたかね? 我が二つ名《眩惑》は幻術を操るからつけられたのではない。虚と実を織り交ぜ、惑わし眩ませるからこその《眩惑》なのだよ」
いつの間にかセルバンテスは、使徒の足を握った水の巨人の肩に乗っていた。幻術が解除され水の巨人達が元の水に戻る。
セルバンテスの乗った巨人だけが残り、その姿が歪み正体を表す。そこに立っていたのは、エヴァンゲリオン初号機だった。
「はあ!? いつの間に……レイ、応答しなさい! レイ!」
ようやく出撃させた初号機が、本部の制御を受け付けなくなり発令所が大騒ぎになったと思ったら、この状態だった。
「ダメです! 初号機からの応答なし。パイロットの脳波からα波を探知。おそらく催眠状態になっていると思われます!」
「あの十傑集に操られているわね、まちがいなく」
「くっ、エントリープラグに電気ショックを! レイをたたき起こし……」
「ミサトッ!」
「何よっ!?」
リツコからの制止の声に、ミサトが声を荒げる。
「このタイミングではまずいわ。今レイを正気に戻したら、使徒に体勢を立て直されてしまう」
リツコの声はあくまでも冷静だった。
「だからって! このまま指を咥えて見てろっていうの!?」
「それもひとつの選択肢よ。葛城一尉、ネルフの本来の目的は何?」
「決まってるでしょ! エヴァの……っ! う、そうか、使徒の迎撃……」
リツコの指摘にミサトは言葉をつまらせた。
「より正確には、ターミナルドグマの第一使徒との接触によるサードインパクトの阻止。それが果たされるなら、この状況を利用しない手はないわ」
「うう、そうだけど、それじゃネルフの存在意義が……あああぁ……」
ミサトは頭を抱えてその場にうずくまる。リツコの言う事もわかる、わかるのだが納得できない。強烈なジレンマにミサトは悶え苦しんだ。
「……どうなさいますか?」
二人のやり取りをハラハラしながら見守っていたマヤが問う。ミサトが顔を伏せたままボソリとつぶやいた。
「……待機」
「は?」
「た・い・き! 電気ショックの準備だけはしておいて……まあ、あの二人がよっぽどマヌケなことしない限り、そんな状況にはならないでしょうけど」
力ないミサトの声にマヤは戸惑う。
「……いいんでしょうか?」
「よくないっ! よくはないわよっ!!……けど、しょうが無いじゃない。今の私達には打つ手がないんだから……」
急にミサトが立ち上がって気勢を上げるが、言葉の後半にはがっくりと肩を落としてしまった。
「せめてセカンドかフォースがいれば、弐号機や零号機を起動させて主導権を取り戻すこともできたんでしょうけど」
リツコがため息をつきながらつぶやく。残り二人のパイロットは銭形警部のルパン対策本部に拘留されている。連れてくる時間はなかった。
「ううう~っ! ルパンも銭形も国際警察機構もBF団も、みんなみんな大っ嫌いだああぁぁぁっっ!!」
ミサトの絶叫が虚しく発令所にこだました。
「あ、ブラッドパターン・ブルー消滅。使徒、殲滅されました」
「あう」
オペレータ日向マコトの声がミサトにとどめを刺した。
「やれやれ、最後においしい所だけかっさらおうと思ったんだが、そんな暇もなかったか……使徒とやらも情けない」
ジオフロントの天井に開いた大きな穴の上で、十傑集《素晴らしきヒィッツカラルド》がつぶやく。アルベルトとセルバンテスの戦いを文字通り高みの見物していたのだ。
「俺の出番は無し、ってことで帰ってもいいんだが、そうもいかんようだ……出てきな。隠れたまま真っ二つにされたいか? まあ出てきても真っ二つにするんだが」
ヒィッツカラルドが指を構えていつでも真空波を放てる体勢を取る。
「……なぜ気づいた?」
建物の背後から、忍装束の男が姿を現す。ヒィッツカラルドはニヤリと笑った。
「忍者か。お前らは気配さえ断てば人に気付かれることはない、と思い込んでいるようだが、あいにくと俺は耳が恐ろしく敏感に出来ていてな。どれほど鍛錬を積んで気配を消そうとも、生き物である限り呼吸音や心臓の音を完全になくすことはできない、ということだ」
「……」
「納得したか? なら俺の暇つぶしに付き合ってもらうぞ」
ヒィッツカラルドの指が鳴り、真空波が忍びの男に襲いかかる。男は真空波をギリギリのタイミングで全てかわした。背後の柱や壁がいくつも切断されていく。
「ほう、なかなかやる。ならば少し本気を出して……何っ!」
それまでその場で真空波を避けつづけていた忍者が、ヒィッツカラルドに向かってダッシュをしてきた。接近しながらも真空波を全て紙一重でかわしていく。
「……忍法、木の葉火輪!」
一陣の風が吹き、まき上げられた葉が炎をまとってヒィッツカラルドに襲いかかった。
「この技は! 貴様、まさか!?」
「……」
忍者は答えようとはしない。ヒィッツカラルドは炎にまかれてその場に倒れる。
「……!?」
だが忍者はそれを見ても警戒を解こうとしない。背中の刀に手を当てて、周囲を見渡した。
「ふっ、相手を侮って本気を出さないのはお前の欠点だぞ、ヒィッツカラルド」
どこからともなくセルバンテスの声が響き、倒れていたヒィッツカラルドの姿が掻き消える。やがてセルバンテス、アルベルト、ヒィッツカラルドの三人が無傷で姿を表した。
「ああ、まさか《伊賀の影丸》が出てくるとはな。スーツに焦げ目が付いちまったじゃないか」
「あの使徒では物足りんと思っていたところだ。九大天王ならば不足なし、全力で相手してくれよう!」
「いかに九大天王といえども、一人で十傑集三人を相手にできるとは思うまいな」
三人は影丸の退路を塞ぐように周囲に展開する。影丸にとって絶体絶命の危機、だがこの状況にあっても影丸の心を乱すことは出来なかった。
「!」
影丸が素早い動作で印を組む。風が渦を巻いて無数の木の葉を巻き上げた。
「これは! 木の葉隠れか!」
「ちっ、この好機を逃してなるか!」
アルベルトの衝撃波が放たれるが、そこにはもう影丸の姿はない。忍者は忽然と姿を眩ませてしまった。
「あのなあ、言っただろう、いくら気配を消しても俺の耳は誤魔化せないと」
ヒィッツカラルドが笑みを浮かべて、指を鳴らそうとする。彼の耳には影丸の居場所がはっきりとわかっていたのだ。
ヒィッツカラルドが真空波を放とうとしたその時、十傑集三人は一斉に空を見上げた。
「……なんだと、十傑集裁判?」
「被告は《レッド》だと? 奴は何をしでかした?」
「ビッグファイア様も直々に閲覧なされるのか。ならば召集に応じぬわけにはいくまい」
セルバンテスとアルベルトの二人はすぐさまその場から離脱した。残ったヒィッツカラルドがつぶやく。
「《伊賀の影丸》悪いが急用だ。このケリはいずれ必ずつけるぞ。その時まで首を洗って待っているがいい」
そう言ってヒィッツカラルドも姿を消す。
誰もいなくなったと思われたが、どこからともなく九大天王《伊賀の影丸》が姿を現す。
「……時は動き出す……」
一言つぶやくと影丸もその場から姿を消した。そこにはただ木の葉だけが風にまかれて踊っているだけだった。