ビッグファイアによって大きな被害を受けたBF団本部では、十傑集《眩惑のセルバンテス》と《衝撃のアルベルト》が二人空を見上げている。
それ以外の撤収作業に従事していたBF団員達は皆、作業を諦めて本部から脱出を始めていた。
「ふん、あの情けない小僧が言うようになったではないか」
アルベルトが口の端を歪めてつぶやく。
「まあそういうな。ビッグファイア様がよりふさわしく成長されたのならば、喜ぶべきことだ」
セルバンテスが苦笑しながら答えた。
「まだまだよ。この程度で我らの首領に相応しいなどとは、到底言えぬ」
アルベルトの言葉は変わらず厳しい。だがここまで言い切った少年であっても、いまだBF団首領ビッグファイアと名乗るには、足りないものが多すぎるのは確かだ。
セルバンテスとアルベルトが見上げる空の向こう、肉眼ではまだ確認することのできないはるか彼方から、BF団本部を滅ぼすものが迫りつつあった。
衛星軌道に突如出現した使徒がATフィールドを展開させながら、地球に落下を始めている。
BF団も早くからそれを認識していたが、通常の隕石などと同じ軌道であれば問題はなく、急いで避難する必要などないはずだった。
そこに、鈴原ナツミからの緊急通信がもたらされる。真実を見通す千里眼によって、使徒がBF団本部に直撃するという未来予知が現れたのだ。
そしてナツミの通信内容には、現在本部にいる十傑集とエージェントでは使徒を阻止することができず、今から本部を破棄し脱出を始めても全員が逃げ延びるのは不可能だと記されていた。
ナツミの未来予知は、確定したものであれば覆すことはほぼできない。一刻も早く脱出を始めて犠牲者を減らす。それだけしかできることはなかった。
BF団本部は大海の孤島に築かれているように見えるが、実際は浮き島であり自在に移動し国際警察機構の目をくらませていた。短時間ではあるが海中に潜ることすら可能である。
本来はその能力で落下する使徒から逃れることもできるはずだった。ビッグファイアが本部中枢を破壊していなければ、の話だが。
つまり、使徒との衝突でBF団本部が壊滅し、多くの団員が巻き込まれる原因はビッグファイアにあると言っていい。
本部を脱出しようとする団員たちからは、ビッグファイアへの怨嗟の声が上がっていた。ボスへの不満を声に出せば死あるのみ、なのだがこの場合は無理もない。
『黙らぬか! この大馬鹿者共が!!』
アルベルトの怒声(テレパシー)が本部に響き渡った。慌てうろたえていた団員たちが一瞬硬直する。
『我らのビッグファイア様が死ねと命じられたのならば、潔く死ね! そのためのBF団ではないか!』
そう言われても納得などできるわけがない。しかし他ならぬ十傑集《衝撃のアルベルト》の言葉である。誰もが反論できずにいた。
ヘタレのビッグファイアなどよりよほど畏怖されているわけだが、年季も貫禄も違いすぎる。まあ、あの少年がいくら成長したところで、十傑集のようなカリスマを身につけることはありえないわけだが。
『今のビッグファイア様に命を懸ける価値はない。ああ、お前たちがそう思うのは無理もない。ワシも同じだ』
本部の団員達はさらに驚く。粛清されたという《マスク・ザ・レッド》に続いて、今また十傑集がビッグファイアを公然と批判したのだ。
『だが、なればこそ我らが血を流し命を捧げよ! ビッグファイア様が足りぬのであれば、我らの屍を礎として相応しき高みまで押し上げねばならぬ……なに、案ずるな。あの世への先陣はワシが務めてやろう』
アルベルトの口元がわずかに歪んだ。咥えた葉巻の先端がいっそう赤く灯る。
『さあ、脱出するものも、ここで死ぬものも、為すべきことを為せ。すべては我らのビッグファイア様のために!』
このとき、テレパシーを繋ぎっぱなしで様子をうかがっていた少年には想像するもできない事がおこった。
我先にと脱出する飛行機や船に殺到していたもの、脱出を諦めてビッグファイアへの恨み言を呟きながら放心していたもの、すべてのBF団員が立ち上がって片腕を真上に伸ばす。
「我らのビッグファイアのために!」
BF団本部に彼らの声が響き渡った。
そして、脱出しようとするものたちは理路整然と乗り物に乗り込んで行き、それ以外のものたちも起き上がって本部の端末や機械の操作を始めていく。
『へ……え……あれ?』
ここまでテレパシーを繋いだままでも沈黙していた少年が呆然と呟く。たとえ十傑集の言葉があったとしてもこんなことになるとは思っても見なかった。
自分のせいでBF団本部が壊滅し多くの団員が死ぬ羽目になったのだから、本当なら土下座でも五体投地でもして謝り倒したいところなのだ。
それでもずっと黙っていたのは、ビッグファイアとして「死ね」と命じた以上謝罪など絶対にするわけにはいかない、それが自分のために死んでゆくものたちへの最低の礼儀であり、BF団のビッグファイアとして、ものすごく嫌ではあるがそうするしかなかった。
だから、本部の団員たちの恨み言もすべて受け止める気でいた。本当に何を言われても弁解のしようもない。
なのに、今少年に見放されたはずの団員たちが、一致団結して行動を始めていた。
脱出する船や飛行機に殺到していたものは、無理と判断すれば道を譲り発進するのを見送っている。
「後を頼む。ビッグファイアのために!」
「先にあの世で待っていてくれ。ビッグファイアのために!」
去るものと残るものが、互いに声をかけていた。次々と本部から船、飛行機、潜水艦などが離脱していく。
脱出を諦めたものたちは、レーダーなどの観測機で周囲を検索し脱出するものたちのサポートと、本部に向けて落下してくる使徒の情報を収集していた。
その他の団員も本部壊滅後に一切の証拠を残さないために、本部の各所に自爆用の爆弾の設置を始めている。
「ああ、アルベルト。こういうことは私の役目なのだがな?」
セルバンテスが苦笑しながらアルベルトに言った。カリスマと幻術で人の心を操る、それは確かに《眩惑のセルバンテス》の得意とするところだ。
「お前では幻術に誘導された、と疑われかねんだろう……それよりも、フォーグラーたちはどうなった?」
アルベルトもまた唇の端を歪めながら答える。ガラではないと自分でも思っていた。
「博士はすでに脱出済み。だがあの兄妹は本部を丸ごとテレポートしてみせる、などと言い出したのでな。私が眠らせて十常寺が脱出させる」
「BF団の不始末のために、あの二人に命を懸けさせるわけにはいかん」
二人がそろって嘆息する。父親であるフォーグラー博士はともかく、あの兄妹はBF団員ではないのだ。
BF団は死ねと命じられれば死ぬことを厭わず、敵とあらば殺すことに躊躇しない。だが、BF団のために団員でないものが命を懸けるのは、容認しづらかった。
「とはいえ、いずれはあの二人に頼ることになるのだろうが……」
BF団の究極の目的を果たすためには、最後にテレポート能力が必要になる局面があるだろう。そしてそのときフォーグラー兄妹はおそらく二人とも命を落とすのでは、と懸念されていた。
十傑集の二人が本部のもっとも高いところで話していたそのとき、本部全体に警報が鳴らされた。
使徒による本部の壊滅はそこにいる全てのものが、とうに承知のことである。あえてこのタイミングで鳴らされた警報は、国際警察機構の襲来を知らせるものだった。
BF団本部で少年が暴走したとき、本部上空にバベルの塔が出現していた。その後本部が移動できなくなったため、国際警察機構にこの場所は知られていたのだ。これも100%少年のせいである。
「ちっ、このタイミングでか!」
「やれやれ、あの世に行く前にもう一仕事しなければいけないな」
国際警察機構が使徒について認識しているのかこの段階では判断できないが、このままでは脱出するBF団員に被害が出るのは間違いない。
「本部の壊滅は避けられぬのだから、ここは打って出るのが上策か……」
セルバンテスが国際警察機構を迎撃しようとする。
「……待て」
「ん? どうかしたのか?」
アルベルトの制止する言葉に、セルバンテスがいぶかしむ。皆てんでバラバラのBF団には珍しく、コンビネーションを組むことができるこの二人の場合、意見が食い違うことは滅多になかった。だが、
「セルバンテス、お前は脱出しろ」
「何!?」
まったく予想外の言葉に、セルバンテスの目が大きく見開かれた。二人ともこの期に及んで命を永らえようなどと考えていないことは、お互い承知のはずである。
「使徒とやらは、バリアがあるとはいえ単純な質量兵器に過ぎん。お前の幻術など役に立たぬ」
「私を何だと……む」
さすがに納得できないセルバンテスが反論しようとしたが、途中で言葉を止めた。アルベルトが口に出さない真意を感じ取ったのだ。
「……」
黙ったまま、セルバンテスがスーツの内側から何かを取り出す。
「む、これは……」
アルベルトが手渡されたそれを訝しげに見る。それは一本の葉巻だった。
かつてアルベルトがもっとも好んでいたブランドのものだが、セカンドインパクトでこのメーカーは消滅し今は生産すらされていない。
「セカンドインパクトの前に、この手のお宝を収集して本部に保管していたのさ。停滞空間に入っていたから香りもそのままだ」
「こんなものが……今まで隠していたな」
これにはアルベルトも苦笑してしまう。
「こういうときの為のとっておきだ。お前に知られたら、あっという間になくなるだろう」
「……ふん」
使い込まれたシガーカッターで端を切り落として、件の葉巻を咥えた。セルバンテスもまた自分用に同じ葉巻を取り出して咥える。
二筋の煙がゆらゆらと立ち上った。
しかし、その静かに流れる時間もわずかの間にすぎない。
セルバンテスが、いつもつけているゴーグルをはずしてアルベルトのほうを向く。アルベルトもまたセルバンテスの目を見つめた。
「……では、さらばだ。我が盟友、衝撃のアルベルト。すべてはビッグファイアのために」
「さらば。眩惑のセルバンテス、我が盟友よ。ビッグファイアのために。後は頼んだぞ」
最後の言葉とともに、セルバンテスがその場から離脱する。
はるか上空から落下してくる使徒が、いよいよ肉眼で捕らえられるほどになってきた。とはいっても超能力者の知覚で感じられるだけで、常人であればまだ認識することはまだできないだろう。
「たかが使徒に我らの本部が壊滅させられる。千里眼の未来予知故に、覆すことはほぼ不可能……ふん!」
上空をにらみつけたまま、アルベルトが両手を組み合わせた。その手に能力が宿り、衝撃波の渦を巻き始める。
「だがな、黙ってやられてやる筋合いはない!」
アルベルトの渾身の衝撃波が、未だ点にしか見えない使徒に向かって放たれた。ATフィールドと落下による超音速衝撃波をまとった使徒に、正面からぶつかる。
ATフィールドによって、大気圏突入にもその質量をほとんど失わずにいる使徒は、衝撃波を受けてもまるで影響を受けているように見えなかった。
ただの隕石であれば破壊、もしくは軌道を逸らせることができただろう。効果がないように見えるのは、使徒が意図してBF団本部を目指しているためと思われた。
ATフィールドを操ることで、本部への直撃コースから外れないよう補正している。
「一筋縄ではいかんということか。ならば見せてやろう、十傑集の恐ろしさをな!」
アルベルトが全力で放つ衝撃波にさらに力をこめる。今までに倍するようなエネルギーが放出された。
握り締めた両腕がズタズタに裂け、血が噴き出してくる。だがアルベルトは力を緩めるどころか、ますます威力を上げていった。食いしばった歯にヒビが入る。
ビッグファイアがアダムを発動(暴走?)させたときをも超えるような衝撃波に、使徒のATフィールドが揺らぎ落下速度が目に見えて下がっていった。
「くくっ、どうせなら新米団員の予知など、ひっくり返して見せよう……これが十傑集《衝撃のアルベルト》最後の一撃だ! 心して受けよ!」
アルベルトの精神力、生命力、何もかもをこめた最大最後の衝撃波は、その余波だけでBF団本部の地表にあるイミテーションの建造物や木々を消し飛ばす。
もし地面に向かって放たれたのならば、セカンドインパクトに匹敵する被害を出すであろう威力を受けた使徒のATフィールドはついに消滅し、直撃を食らった本体は轟音とともに爆発四散した。使徒を貫いた衝撃波ははるか空のかなたに消えていく。
渾身の、文字通り何もかもを懸けた一撃の代償は大きかった。アルベルトの両腕は肩からなくなっており、腕以外も己の衝撃波の余波を受けて大きく傷ついている。失われた右目に仕込んだ機械もどこかに消し飛び、空ろな眼窩があらわになっていた。
「み、見たか。これが、十傑……ぐあっ!」
生命の火が今にも尽きようとしているアルベルトの胸を、拳が貫いた。九大天王《神行太保・戴宗》の腕である。
戴宗だけではなかった。剣や槍、様々な得物がアルベルトに突き刺さっている。国際警察機構がついに本部にまで到達したのだ。
「悪いな、衝撃の。俺としても不本意だが、わざわざ好機を見逃してやる余裕はねえんだ」
本当にすまなそうな戴宗の言葉に、しかしアルベルトは皮肉な笑みを浮かべる。
「ぐぐっ、くはは……貴様まで、この馬鹿騒ぎに付き合っていたとはな……だが、地獄への道連れには、ちょうどいい」
「何だと?」
戴宗もそれ以外の国際警察機構のエキスパートにも、その言葉の意味がわからなかった。虫の息のアルベルトに抵抗する力など残っているはずがない。
次の瞬間、アルベルトたちのいる場所が急に暗くなった。国際警察機構のエキスパートたちが慌てて上を見上げる。そこにはアルベルトが命を懸けて撃墜したはずの使徒が、本部めがけてすぐにでも衝突するほどの距離まで近づいていた。
そしてアルベルトたちから離れた場所、本部の地表に隠された大型ハッチが開き、そこから巨大な飛行体が轟音を立てて発進する。超大型の飛行機、だがそのシルエットはどこか3つの僕ガルーダを思わせた。BF団の秘密兵器、3つの僕への切り札V号である。
「アルベルトと私の最後のコンビネーションだ。気に入ってくれたかな? 国際警察機構の諸君!」
V号に乗ったセルバンテスが高らかに宣言する。アルベルトの衝撃波とタイミングを合わせて、セルバンテスの幻術で使徒が撃墜された、と見せかけたのだ。
本来、国際警察機構のエキスパートたちは、脱出するBF団員を一人でも多く倒すためにこの場にいたはずだった。しかし本部に残った十傑集が使徒を撃墜するのを見て、目標を本部と力を使い果たしたアルベルトへ変更した。
これこそが十傑集二人の作戦である。脱出する団員の生還率を上げ、国際警察機構にもダメージを与える、その目的は十分に達成された。
ぎりぎりのタイミングで発進したV号にはセルバンテスだけでなく、フォーグラー兄妹や最後まで本部に残っていた団員が可能な限り乗り込んでいる。このタイミングでは普通の脱出艇はもはや、使徒と本部の衝突から生み出される爆発や衝撃に耐えることができないからだ。
3つの僕に対抗するために強力な装甲とバリア装置を持つV号は、全速力で本部から離脱する。アルベルトが犠牲にならなければ、V号も本部もろとも失われていただろう。
「ちっ、腕が……!」
戴宗がその場から脱出しようとするが、アルベルトの胸を貫いた腕はどれほど力をこめても抜くことができなかった。
「……往生際が、悪いぞ、戴宗……ここで、貴様を逃がす、わけがなかろう……」
まだ生きているのが不思議な状態にまでなったアルベルトだが、腕を失った今でも戴宗を放そうとしない。
「ふざけんな! 別に死ぬことを恐れちゃいないが、こんな終わり方で納得できるわけねえだろう!」
「ふん……くだらん、未練……だ……」
言葉をとぎらせたアルベルトの全身から、力が抜ける。
「待てっ!? 衝撃の……!」
貫いた腕からアルベルトの死を感じ取った戴宗が、逃げようとしていたことも忘れてアルベルトに詰め寄る。
そしてついに、使徒がBF団本部へ到達した。核爆弾にも匹敵する大質量の音速をはるかに超える運動エネルギーが本部と使徒自身を一瞬で崩壊させ、発生した爆風とその反射波の複合衝撃波(マッハステム)がすべてをなぎ倒していく。
こうしてBF団本部は完全に消滅した。十傑集《衝撃のアルベルト》を筆頭に多くのBF団員と、それに比べればわずかな国際警察機構のエキスパートが失われ、脱出したV号以外の本部に蓄えられた大量の兵器、機械、資源が消失。BF団はあまりにも大きな損害を被ることとなった。