碇シンジを乗せた初号機は、地上へと射出され使徒の目の前にあらわれる。
「いいわね、シンジくん」
「……はい」
いやだ、と反射的に言いそうになるが、シャレにならないのでやめておいた。
「最終安全装置解除!」
この声で、初号機は完全に自由になる。
「まずは歩くことだけ考えて」
「はあ、歩く……」
初号機が右足を踏み出す。
「歩いた!」
「なにこれ、 にぶっ!!」
発令所では歓声が上がったが、シンジはあまりの反応の悪さに驚いた。
まるで足の指で箸を持って米粒を摘もうとするような、とんでもなくじれったい感触がする。
(こんなので格闘戦をやれって? なんだか気が遠くなってくるな……)
動きが鈍いのはシンクロ率が低いためなのだが、事情を知らないビッグファイア(と碇シンジ)にはエヴァがポンコツだからとしか考えられない。
「……逃げようかな」
このままでは、嬲り殺しになる。そう確信したシンジは、すっかりやる気をなくした。
だがシンジが躊躇する間にも、使徒はエヴァに接近してくる。
「気をつけてシンジくん、もう使徒は目の前よ!」
「あ~、そうですねぇ、困りましたねぇ。どうしましょうかぁ」
シンジの声は、まるでしぼんだ風船のようだった。
「ふざけないで! まじめにやる気はあるの!?」
ミサトは怒り心頭に発してしまう。
「うーん、どっちかというと、ないです。ああ、つい本音が口をついて……」
しかし、シンジはへたれたままだった。
士気ゼロになったシンジだが、使徒はお構いなくやってくる。
一歩足を踏み出したまま固まっている、エヴァの頭部を鷲掴みにした。
「! ちょちょっと!? なんで僕の頭に掴まれる感触が!!」
(フィードバック付の思考制御なのか!……最悪だ)
「避けて! シンジ君!」
「はあ!?」
頭を掴まれているのに『振りほどいて』でも『逃げて』でもない。一体何を避ければいいんだ?
シンジが思わず迷ったそのとき、使徒の手のひらが光を放つ。
「え?」
驚くシンジの右目に衝撃が走った。
「あだーっ!! パ、パイルバンカー?」
「落ち着いてシンジ君! あなたの頭が掴まれているわけじゃないわ!」
「痛みがあるなら一緒じゃないか! くそっ、はなせってば!」
シンジが叫んだ瞬間、使徒が見えない壁にあたったようにのけぞる。初号機の頭から使徒の手が外れた。
「これは!」
「マヤ、今のはひょっとして」
「瞬間的ですが、間違いありません。初号機のATフィールドです!」
発令所のオペレータ伊吹マヤがコンソールを見ながら、リツコとミサトに告げた。
(ATフィールド……? それって使徒が持ってるバリアじゃなかったっけ。なんでこのロボットが使えるんだ?)
ビッグファイアの疑問はかなり核心をついたものだったが、このときはただの疑問で終わってしまう。
ちなみにロボットじゃなくて人造人間なんだが、ビッグファイアはロボットと思い込んでいた。
「これなら! いける!!」
勢いづく発令所の面々。
「今がチャンスだ! 撤退っ!」
後ろを向いて逃げ出そうとするシンジ。
大人たちと少年の間には、埋めがたい溝があるようだった。
逃走を開始した初号機だが、数歩走ったところで足をもつれさせて転倒してしまう。
「あいたっ! だめだ、反応が鈍すぎるよ……あ、あれ!?」
うつぶせに倒れた状態から、顔だけ上げたシンジは気づいた。
「なんで、子供がこんなところに?」
歩道に倒れている子供の姿が、アップになって映し出される。
(自分だって子供だろ。って突っ込んでる場合じゃないな。このままじゃ、あの子は確実に死ぬ……しょうがないな)
ビッグファイアは、神経接続を正常にするために封印していた超能力を使う決心をした。
(僕みたいなヘタレが、目の前で人死にを見るのに、耐えられるわけないんだ)
破壊活動、殺戮上等のBF団のボスになったとき、少年がどうにか命令を徹底させたことはこの2つ。
・仲間を決して見捨てないこと
・一般人に被害を出さないこと
少年は、これで正体がバレてしまうことを覚悟しながら、ビッグファイアの人格を表に出す。
「……」
ビッグファイアはシートのレバーを握って、目を閉じた。
「シンジくん、何をしているの!?」
ミサトが何か言っているが聞こえなかったことにする。
サイコメトリを発動させて、レバーを使った基本的な操縦方法を、手で触れただけで読み取った。
「なんだ? これって、ものすごく忌まわしい感触がするな」
サイコメトリは、触れたものから情報を得る超能力だが、無制限に情報を引き出そうとすると人間の脳の限界を超えてしまう恐れがあった。
「……気になるけど、今はそれどころじゃない」
このときも外に出るために必要な情報のみ取り出して、後は捨ててしまう。ビッグファイアは未だエヴァンゲリオンの本質には触れていなかった。
「これか」
レバーのボタンを操作して、エントリープラグを半分だけ外に出す。
エントリープラグのハッチを開いた。LCLが流れ出すのを無視して、ビッグファイアは外に飛び出す。
初号機のエントリープラグがある首の後ろから、頭部、子供のいる道路までひょいひょいと跳んでいった。
「あ、危ないじゃない! 使徒の目の前で、エヴァから降りるなんて!」
ミサトがあわてて叫ぶ。
「あの運動能力は一体!?」
リツコは人間離れした跳躍に目を見張っていた。
「大丈夫かな?」
少年は、倒れている子供を抱えあげる。どうやら小学生の女の子のようだ。
「さて、後はここから逃げ出せば……え!?」
少年が逃走しようと使徒に背中を向けたそのとき、空から巨大な何かが降ってくる。
――それは人型というにはあまりにも大きすぎた。大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに鉄塊だった。
巨大な影が空から降ってくる。
轟音とともにあらわれたそれは、巨大な鉄の塊だった。
「このかたまりは! まさか!」
落下の衝撃から女の子をかばいながら、少年はどこか見覚えのある鉄塊を凝視する。
巨大な鉄塊が、ゆっくりと立ち上がる。
徐々に伸びていく影に、使徒の姿が隠れていく。
「あれは、まさか……ジャイアントロボ!」
「そして、手の上に乗っている、あれが操縦者、草間大作!」
「国際警察機構、北京支部のロボットがなぜここに!?」
騒然となる発令所。
「落ち着きたまえ。あれは、私が呼んだのだ」
けして大きくはないが、よくひびく声が発令所の動揺を制する。
「副司令!?」
ネルフ副司令、冬月コウゾウが発令所の上部から皆に話しかける。
「使えるエヴァは一機のみ。正規のパイロットは出撃できず、何も知らぬ民間人を乗せるしかない。
この状況、援軍を頼めるなら、どこからでもかまわんと考えてな。まさかこの戦いに間に合うとは思っていなかったが」
「じ、じじじGR1!? すると草間大作の後ろにいる男は……やっぱり、神行太保・戴宗!」
少年は、がたがたと震えだした。
「九大天王が二人……あ、あはは、もうだめだ、おしまいだ。僕の命は風前の灯。皆さんさよーならー……」