リーファは最初、それが何の音だかわからなかった。
ドンッ! という力強い音。それがシステム上の聴覚を刺激した時、エリカの姿は既にそこには無かった。
弾丸もかくや、という凄まじいスピードで、一本の矢のように真っ直ぐ彼女は急上昇していく。
そのあまりの速さには、唖然とするより他はない。一体何があったというのか。
数秒遅れで何故かエリカが飛び出したことを理解したリーファは、彼女を追い宙へと翅を向ける。
とりあえず話を聞かないことには始まらない。そう思い、持てる全速で追いかけた……のだが。
これまで上昇スピードや下降スピードにリーファは多少なりとも自信があった。
飛ぶことを知ってからのリーファはその魅力に取り付かれ、来る日も来る日も飛び続けている。
飛ぶことに関してはかのユージーンにさえ遅れを取るつもりはなかった。
だというのに。
信じられないことにエリカはスピードをどんどんと増していき、二人の距離を突き放していく。
速く、もっと速く。まだ速く。さっきよりも速く。最高に速く。極限まで速く。
その様はまさに流星のようだった。
若草色の閃光、ふとそんな言葉さえ浮かぶ。
信じられない思いが胸に渦巻きながらもリーファは必死に追いすがった。
エリカはすぐにアルンの街並みを突き抜け、世界樹の枝下に広がる白い雲海へと突入する。
リーファはまずい、と思った。
「気をつけて! すぐに障壁があります!」
あの速度でまともに障壁にぶつかったりなどしたら、それだけで危険だ。
この高さから地面まで叩きつけられればそれだけでHPの全損は免れない。
加えて、現実の感覚に影響を及ぼす危険性さえある。
いかにペインアブソーバで制御されているとは言え、上昇、下降の体感はきちんと存在している。
これほどの高さから急激に落下しダメージを受ければ、人体にどのような影響を与えるのか想像も付かない。
以前何人かの有志が多段式の人間ロケットで世界樹の写真を撮った後、運営は世界樹の枝下一帯から上を侵入不可能領域として設定している。
ズルは受け付けないということだろう。この白い雲海を超えれば、その障壁ポイントまではすぐだとリーファはスイルベーンで聞いていた。
それまでには彼女を止めたかったのだが、残念ながら、リーファが真っ白な雲海を突き抜けた時には、エリカが見えない壁に跳ね返された後だった。
「エリカさん!」
リーファは慌てて彼女に近寄っていく。
制御を失ったエリカのアバターは自由落下を始めているが、幸いエリカはすぐに体勢を立て直した。
リーファがホッとしたのも束の間、エリカはキッと空の障壁を睨み付けて腰から細剣を引き抜き、再び突撃する。
しかし、ギィィィィンという音を立てて剣の切っ先は障壁より先へは全く進まない。
それはシステムがここから先への侵入を許可していないことを示していた。
「無理だよエリカさん! ここからは飛んではいけないんだよ!」
「行かなきゃ、行かなきゃ、また……またいなくなっちゃう!」
「……?」
エリカの顔は、先とは打って変わって恐怖に彩られていた。
何が彼女をここまで駆り立てるのだろう? ユイの言うパパという存在だろうか。
だとしたら、余程大切な相手なのだろう。
「通して! 通してよ! また、そうやって、奪うの!? 私から彼を奪うの!? 毒の次は壁? 何がシステムよ、ふざけないで!」
リーファには、何のことだかわからない。だが、彼女のそのあまりの必死さに一瞬言葉を失ってしまう。
ここまで彼女が感情を剥き出しにするところを、リーファは初めて見た。
さほど長い付き合いではないがそうそう感情を爆発させるような相手には見えない。
──長い付き合いではない? 本当に?
リーファがふと何かひっかかりを覚えたその時、アスナのポケットからユイが飛び出した。
そうか、プレイヤーではないプライベート・ピクシーならあるいは、とリーファも一瞬期待し、先程の疑問を霧散させる。
しかし、無情にもエリカが嫌悪をしたシステムはユイの侵入すら拒んでしまった。
「あぅっ」
勢いよく飛んだせいでユイもそれなりの反動を受けるが、すぐに頭を数回振ってもう一度突っ込む。
……これが、本当にシステムに準ずるAIのすることだろうか。
そう思いたくなるほどその行動は酷く人間的で、胸を締め付けられる。
何度かユイは障壁を突いて揺れる波紋を凝視すると、目を閉じて片手を頭へと乗せた。
が、すぐにパチッと目を開く。
「ママ! この上には世界樹の根本にあるドームから中を通って行けるみたいです!」
「わかったわ!」
エリカはその言葉を聞くと、世界樹へと侵入する為の入り口へ一気に急降下を始めた。
リーファは慌てて彼女たちを追いかける。一年かけても踏破されないグランドクエストだ。
二人、いや実質一人で簡単にどうこうできるとは思えない。
だが、またも驚いたことに彼女の降下スピードにリーファは追いつけなかった。
エリカは若草色の光となって世界樹の根元付近まで降下し、根と根の間にある大きなテラスを見つけ着陸態勢に入る。
その速度は明らかに速度オーバーでいくらエリカと言えど制動をかけきれない。
しかし彼女はお構いなしに翅を広げてスピードを殺し、それでも押さえきれない速度を踵で火花を散らしながら石畳を滑り、殺しきれなかった反動で転んだ後もすぐに起きあがって駆けだしていく。
執念。
そんな言葉が未だ滑空中のリーファに浮かんだ。
それほどまでに必死だということがわかる。
かつて、自分はあれほどまでに必死になったことがあっただろうか。
──はて、似たような事を、つい最近も考えたような。
「っ!」
一瞬集中力が途切れた事でリーファの降下バランスが崩れる。
慌てて彼女は余計な思考を中断して体勢を立て直す。
着地を失敗すれば手痛いダメージを受けかねない、そう思って降下スピードを緩めて安全に着地した。
それでも通常時よりかなり無理した速度ではあったが視界の隅にすらエリカは見えなかった。
エリカはアルンの街を駆け抜け、ユイの先導によって世界樹の根本へと急ぐ
一秒でもジッとしてなどいられなかった。かつて、アインクラッド迷宮区七十四層で経験した最低最悪な感覚が思い出される。
質量を、失う感覚。
フッと軽くなった時の絶望感は忘れたくとも忘れられない。
それが今、喉元にまで迫りつつある予感。
ユイによるとガーディアンと呼ばれる強力な護り手がいるそうだが、エリカ/アスナにはそんなこと関係なかった。
世界樹の根元の表面近くまで来ると、石造りの妖精の騎士を象った彫像が、大きな扉を挟むようにして二体そこに屹立していた。
大扉の前にエリカが立つと、その彫像が身じろぎを始める。まさかこの彫像が護り手、ガーディアンか何かか、と一瞬エリカは身構えるが、どうやらそうではないらしい。
彫像は仰々しい兜の奥の両目に青白い光を灯しながらエリカに問いかける。
『未だ天の高みを知らぬ者よ、王の城へ至らんと欲するか』
以前エリカはリーファに聞いた話を思い出していた。
世界樹の上にある空中都市に最初に到達し、《妖精王オベイロン》に謁見した種族が《アルフ》と呼ばれる高位種族へ生まれ変わり、滞空制限が無くなると。
それこそが、このゲームのグランドクエスト。最終目的。
だが、エリカにはそんなことどうでも良かった。目の前には最終クエストへの挑戦の有無を問うイエス・ノーボタンがポップしている。
エリカは握り拳を作ってイエスに叩きつけた。
途端、もう一体の彫像が喋りだす。
『さればそなたが背の双翼の、天翔に足ることを示すがよい』
大がかりな重低音を奏でて石造りの大扉は開いていく。
アインクラッドのボス部屋の扉を思わせるそれは、しかしエリカになんの感慨も与えなかった。
ここはアインクラッドではない。まして、ボス部屋へ挑む際にいつもそばにいた、《彼》なくしてどう感傷に浸れというのか。
さっさと足を中へ進めると、天蓋から眩い光が降り注ぐ。大きなドーム状のそこは、天蓋が一際綺麗な虹色のステンドグラスで覆われていた。
その中心に、円形の扉が見える。あそこを、突破しなければならないのだろう。
翅を広げて、勢いよくそこを目指す。
エリカが飛び始めてすぐ、それが引き金だったかのようにステンドグラスの前でもやもやとした白光が生まれ、みるみる形を形成していく。
人型のそれは白銀の鎧を纏い、四枚の翅を背に生やした騎士だった。
人間にしてはやや大きめの体躯のそれは鏡のようなマスクをしていて顔は見えない。
やけに長大な剣を片手に、人ならざる獣のような咆哮を上げたその守護騎士、《ガーディアン》はゲートへ向かうエリカの前に立ちはだかった。
「そこを、どいてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
エリカは宙空で立ちはだかる一体のガーディアンに渾身の突きを繰り出す。
その勢いは凄まじく、ガーディアンは身体をくの字に曲げて僅かにノックバックする。
だがエリカに後退は無い。そのまま力任せに左上から下に向かって斜めに切り払う。
ガーディアンはそのまま一直線に地表へと落ちていった。
HPはまだ僅かに残っていたが、地表へ激突するのと同時にその全てが吹き飛び、霧散する。
エリカはそれを見届けることなくさらに上へと翅を羽ばたかせ、初めて僅かに止まった。
「っ、邪魔しないで……邪魔しないでよ……!」
上空の扉。
それを囲むようにあるステンドグラス。
そこから、数十、いや、数百ものガーディアンがガシャガシャと湧きだしてくる。
さりとてエリカが逡巡、躊躇ったのも本当に一瞬。次の瞬間には構うものかと一条の光となって再び急速上昇を始める。
肘を曲げて、一点集中突破。出来ることはそれしかない!
「せい、やぁぁぁァァァァッ!」
気合いとともに、幾重ものガーディアンによって組まれた《壁》ともいえる正面を突き抜けるべく速度を上げる。
一体、二体、三体を玉突き事故のように押し上げ、持ち上げたところで、しかし彼女の勢いは止まってしまった。
すぐに彼女は肘を引いて手近なガーディアンを踏み台にし、さらに上昇しようとする。
だが、数の暴力にそう簡単に逆らえるはずもない。背後から強力な一撃をもらい横方向へ吹き飛ばされる。
激しい目眩がエリカを襲い、一瞬上下左右の感覚が狂うが、必死に翅を動かし制動をかける。
宙空で止まったエリカは一瞬で立ち位置を把握すると、構わずそのまま上昇を再開した。
すぐにガーディアンに囲まれるが、全てを倒そうとはせず、向かってくる相手だけを切り払い、押しのける。
「あぐっ!」
しかし相手は百を超える軍勢。
一体の攻撃をかわし、二体目の攻撃を受けている間に三体目の攻撃が横から襲ってくる。
切り結んだガーディアンを力任せに吹き飛ばし、反動のノックバックで距離をとってもエリカを囲むようにして大勢いるガーディアンが次の攻撃を向けてくる。
素早く強攻撃を繰り出してそのガーディアンを押しのけ、二体ほど巻き込んでも、大振りな攻撃が祟り左右から挟み撃ちにされてエリカはHPを削られ目的地から遠ざけられる。
「邪、魔ァ!」
その度にエリカは声を荒げて細剣を振り回し、奪われた目的地への距離を取り戻そうと躍起になる。
だが、このゲームはレベルが存在しない。故にHPはさほど上限が増大しない。
攻撃を何度も受けていてはそれが尽きるのは自明の理だ。
アスナのHPは既に残り僅かだった。あと一撃で、良くて二撃で彼女のその身はリメインライトと化してしまうだろう。
だがエリカはそんなことを気にしてはいなかった。
あそこへ辿り着きたい、ただそれだけの思いしかなかった。
「届いてェェェェェッ!」
手を伸ばす。
それはまだ遠い。
だが、無情にも行く手を再び五体ものガーディアンが塞ぐ。
背後にも三体。逃げ場はない。攻撃をかわしきれないのは明らかだった。
──そこに、鮮やかな黄緑色のポニーテールが割り込んでくる。
「エリカさん!」
「リーファちゃん!?」
「一旦引いて下さい! 無茶ですよ!」
「でも、私は……!」
リーファの突然の介入によって、一部穴が出来たエリカ包囲網を彼女は上手く抜けて、事なきを得る。
だが依然としてHPは危険域。お互いが背中合わせになりすぐに二人を囲むようにして集まったガーディアン達を睨んだ。
正直、絶望的ではある。リーファも既にHPは危険域だった。
エリカの凄まじい圧倒的突破力を前に、殆どのヘイトはエリカへ向いていた。
その為リーファにはさほどガーディアンが襲ってこなかったのだが、それでも敵の絶対数が多い為、通常時では考えられないような数の相手と同時にまみえなければならない。
リーファは這々の体でエリカに追いついたが、これの数倍もの敵にターゲットされながらもまだ生きているエリカには驚愕を禁じ得ない。
「とにかく今は……ッ!?」
ガーディアンは二人の話す暇を与えてくれない。四体のガーディアンがリーファに向かってくる。とても捌ききれない。
これまでか……そうリーファが思った時────目の前のガーディアンを素早く切り刻む閃光が奔った。
「ピナ!」
えっというリーファの驚愕を他所に、高い声で名前を呼ばれた《小竜ピナ》がその小さい咢を開き、一帯を包み込むほどのふんわりとした虹色の泡ブレスを放出する。
《バブルブレス》。視界を塞ぎ幻惑効果を生むピナのブレスの一つだ。それで、ガーディアンの動きが僅かに鈍った。
リーファは突然のことに驚き、それをやってのけた主を見やる。
相手は、ツーサイドアップで髪を留めた猫妖精族(ケットシー)の少女、シリカだった。
「シリカ、ちゃん?」
「無茶しちゃダメですよ! 逃げましょう!」
「う、うん!」
シリカの援護を受けて、リーファはエリカの腕を掴み素早く宙空で身を翻した。
エリカは若干抵抗していたが、リーファは構わず彼女を連れて行く。
二人の背後から迫るガーディアンを、まだHPに余裕のあるシリカが殿よろしく引き受け、ボロボロの二人が離脱領域まで飛んだのを見計らってシリカも出口へ向かった。
「行くよピナ!」
呼ばれた小竜は遥か高みにあるステンドグラス、その中央の扉を見つめていたが、主の声にピクンと反応して彼女の後を追い始める。
幸い、ピナのバブルブレスによってガーディアンの動きは鈍っており、逃げ切ることが出来た。
リーファはほとんど死を覚悟していた。
シリカの乱入のおかげで、何とか三人+一人+一匹は死亡せずに脱出できたのはまさに僥倖と言えた。
一歩間違えれば、HP全損の憂き目にあってもおかしくはなかった。
リーファに連れられ脱出したエリカは、助けられた礼を言い回復を済ませると、再び世界樹へと足を向ける。
「一人じゃ無理ですって!」
リーファが止めるが、エリカは聞き入れなかった。
本当は、今すぐにでも飛び出したいのを押さえてさえいる。
先程だって、あのまま逃げずに突っ込みたかった。たとえ死ぬことになろうとも。
ただ、自身を省みずに助けに来たリーファを巻き添えに出来ないという冷静さが、まだエリカには僅かに残っていて彼女に強く抵抗しなかった。
「どうしてそこまで……何が、一体何があるんですか!?」
リーファは、マナー違反とわかっていても聞かずにはいられなかった。
一体、何が彼女をこうまで駆り立てるのか。それを知りたかった。
聞かねば納得出来なかった。
エリカは意外にも、そんなリーファの問いにすんなりと答えた。
言ったところでわからないだろう、という思いもあったのかもしれない。
「時間が無いの。早くしないとキリト君が……」
「え──────」
エリカの口から放たれた名前に、リーファは一瞬聞き間違いかと思った。
だって、それは。その名前は。
「どうして、お兄ちゃんの、プレイヤーネームを……」
「お兄、ちゃん……? え、まさか、リーファちゃんて……」
今度はエリカが驚く番だった。
深く考えずに口走ってしまった名前。
その名前の主、キリトのことを《兄》と呼ぶ少女。その人物に心当たりは、一人しか居ない。
エリカとリーファはお互い見つめ合って、信じられないと固まってしまう。
思考は《まさか》という言葉で一杯だろう。
だが、互いに思い当たる節は確かにあった。
直葉/リーファはふと思い出す。ひったくり相手に凄まじい突きを繰り出した兄の知り合いの女性を。
彼女のノボリ旗を腰に持ってくる動作と、エリカの動作が脳内でピタリと一致する。
「結城、さん……?」
「直葉、ちゃん……?」
声に出して、それが真実であるとお互いが認識し、再び固まってしまう。
浮き彫りになった事実に脳が追いついていかない。
リアルネームの開示などという極大級のマナー違反のことなど、今の二人の頭には全くなかった。
そんな彼女達の止まった思考を動かすかのように、シリカが口を開く。
「あの、アスナさん……ですよね?」
「ッ!?」
それは、エリカの行動を見て思い至った推論だが……シリカには自信があった。
彼女の強さはもちろんだが、先日エギルから聞いた話を鑑みれば、その可能性は非常に高い。
だから彼女は《行動した》のだ。
エリカ/アスナは「どうして……」とシリカを見つめる。
何故、そのプレイヤーネームを知っているのか。
いや、考えられる理由は一つしかない。
「貴方も、SAOプレイヤー……なの?」
「はい」
「……そう、なんだ」
「キリトさんには、助けてもらったことがあるんです」
「キリト君が助けて……あれ? シリカ、ちゃん?」
「ご存知ですか?」
「あ、あ、ああ────っ! うん! 聞いたことがある! 確かフラワーガーデンでプネウマの花を取りに行ったって……」
「はい、キリトさんには私だけじゃなくピナを助けてもらいました」
シリカは肩の上に乗っているピナのフワフワの頭を撫でる。
ピナは喜び、すぐにシリカの首に頭を擦りつけて親愛の意を示した。
微笑ましい光景。誰もが表情の弛む中、その一言が、空気を変えた。
「あの、アスナさん」
「なぁに?」
「キリトさんと結婚していたって、本当ですか?」
「えっ」
「えっ」
シリカの質問に、リーファとエリカの顔が強張る。
リーファはゆっくりと、エリカの顔を見つめた。
エリカは慌てたものの、アバターの頬を染めて、小さく、本当に小さく頷いた。
頷いた。
頷いた。
頷いた。
結婚していた、という問いに頷いた。
それはつまり、リーファにとって兄であり、ただならぬ感情を持ってしまっていた相手は、知らぬ間に他の相手と結ばれていたということだ。
仲が良かったんだろうな、という予感はあった。もしかしたらただならぬ仲……という予想が全くなかったわけではなかった。
だが、まさか全てを飛び越えて終着点である結婚をしているとは、流石に予想していなかった。
ふと、思い出す。
彼女の、献身的なまでの姿を。
現実の彼女は、誠心誠意兄である和人の事を思っていたように見えた。
ひたすらに手を握り、祈るようにずっと兄の傍にいた姿が浮かぶ。
あの、神聖ささえ感じられる思いと行動。
心の何処かで自分と比べて、その綺麗な在り方に《勝てない》と思うことを恐れ、避けてきたその様。
今思えば、あれはまるで永年連れ添った夫婦のそれのようでは無かったか。
──瞬間、あらゆる出来事がリーファの胸を駆け巡り、心の容量がオーバーフローする。
──思いが巡り、彼女が気が付きたくなかった《それ》に気付かされる。
胸が、痛い。ペインアブソーバによって本来痛覚は薄められる。
だが、それとは無関係にズキズキと突き刺さるような痛みが直葉を襲った。
心にシステムは干渉できない。干渉されてたまるものか。
だから、直葉/リーファは《ある覚悟》を決めた。
気付いてしまった今、このままにはしておけなかった。
リーファは凛とした態度で、エリカ、いやアスナに向き合う。
「エリカさん……ううん結城さん」
「……?」
「私と、デュエルして下さい。お兄ちゃんをかけて」
「え……」
戸惑うエリカを他所に、リーファは剣を抜いた。
それにはレコンやシリカでさえ驚いている。
しかしリーファは既に退く気は無かった。もう決めたのだ。
《気付いてしまった》今、このままではいられない。
「私は、お兄ちゃんとは本当は従妹なんです」
「ッッッ!?」
エリカの顔が驚愕に彩られる。
流石に、それは知らなかった。
それを今言う意味。それは、つまり、本当に、そういうことなのだろうか。
「構えないなら、こちらからいきます……よッ!」
リーファの踏み込む一歩は本気のものだった。
鋭い刃がエリカを襲う。エリカは慌ててバックするがそれを見越していたリーファは即座に切り返してくる。
エリカはたまらず空へ逃げるも、リーファは何処までも追ってくる。
そのうち、キィン! と高い金属音が鳴った。
リーファの剣に、エリカは細剣を抜いてしまった。抜かねば、今の攻撃を捌けなかった。
「やっと抜きましたね」
「本気、なの……?」
「……どっちが勝っても恨みっこなしですよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ……! 急にそんなこと言われても私……」
逡巡するエリカに、リーファは容赦なく剣戟をお見舞いする。
凄まじい速度。このリーファの腕ならSAOで攻略組を名乗れる、とエリカは感じた。
何もしなければ、やられる!
再び一際甲高い金属音が鳴り響く。初めて、エリカが受ける剣ではなく力のこもった剣を振った。
リーファはエリカから距離を取って口を開く。
「やっと、その気になりましたね」
「止める気はないんだね?」
「……はい」
「わかった」
それで、エリカは覚悟を決めたようだった。
リーファはそれを待っていたように、真っ直ぐエリカを見つめる。
見つめ合いは数瞬。
「せぇぇぇぇぇぇぇい!」
リーファが裂帛の気合いと共にエリカへと突撃する。
これまでにない速度。彼女とて、風妖精族(シルフ)の中でもトップ争いが出来るプレイヤーであり、その腕は一流と言って良かった。
その彼女が必殺の速度で迫る。
が、次の瞬間、リーファは剣を投げ捨てた。
リーファは目を閉じる。
これでいい、と。これで……エリカさん、いや結城さんに《償える》と。
そう思い、来るであろうその瞬間を待つが、それは来ない。
代わりに、ふわりと誰かに抱きしめられた。
「え……?」
目を開けば、リーファはエリカに抱きしめられていた。
頭を撫でられて、背中をポンポンと叩かれる。
エリカは剣を振らなかった。初めから、振る気など無かった。
「私、斬れないよ。リーファちゃんには一杯お世話になったもん。意味もなく斬れないよ」
彼女の言葉に、リーファは一気に涙を零した。
掠れるような声で、何度も何度も呟く。
「ごめ……なさい、ごめん、なさい……!」
リーファ、いや、直葉は泣きじゃくった。
止めどなく大粒の涙を零して、泣きじゃくった。
エリカ、いやアスナは「よしよし」とそんな彼女を抱きしめる。
「わた、し……知らなくて、何も、知ら、なくて……!」
「うん」
「お兄ちゃ、んに……キスしちゃって、でも、私、知らなくて、結城さんとお兄ちゃんのこと、知らなくて……!」
「うん」
「結城さんが、どんな気持ちか、とか、ちゃんと考えたこと無くて……いつも、自分のことばっかりで……私、私……!」
「うん」
「ごめん、なさい……!」
「うん」
泣きじゃくる直葉を、アスナは優しく撫でていた。
突然爆発した感情の発露。直葉は、気付いてしまったのだ。
結婚までしたという二人。だというのに、自分はその人の目の前で相手にキスしてしまっていたのだ。
自分だって兄のことは好きだ。でも、兄が選んだのはあの人なのだ。その相手に、ワザとじゃなくても、見せつけるような形になってしまった。
もし自分がやられたら、どんな気持ちだろう。考えただけで背筋が冷たくなった。凄く、嫌な気持ちだった。
なのに、彼女は、一度儚いような笑顔を見せただけで、特に責めることはしなかった。
その彼女の優しさに気付いた時、直葉の心は溢れた。
申し訳ない、という気持ちで。
気付いてしまった。自分が、どれだけ酷い仕打ちをしてしまったかということに。
溢れてしまった。償いたいという思いで。
だから、直葉はせめて彼女の剣で貫いてもらうことを望んだ。
だが、アスナはそれをしなかった。その優しさが、直葉の心を尚も揺さぶって、表出させた。
「私も、ごめんね……?」
「……ひっく」
「直葉ちゃんも、キリト君の事、大好きだったんだね」
「……ひっく、はい」
「ごめんね……私、ずるいよね……」
「そんなこと、ないです……」
「でも、直葉ちゃんがいないところでキリト君と仲良くなって……」
「それは、だって……」
「私、ずるかったね……ごめんね……ごめんね……!」
今度は、感極まってアスナが泣いてしまった。
ごめんねごめんねと、何度も何度も。
徐々に直葉のアバター、リーファを撫でる手も震えて、その嗚咽が聞こえ始める。
「ち、違います! ずるくなんかないです! ずるいのは私の方で……」
「ううん、私の方がずるいよ。あの世界で生きるのに必死で、現実の事を考えられなくて……」
「で、でもお二人は結婚までしてるのに私お兄ちゃんにキスしちゃって……」
そうやって、お互いが引かぬ卑下のし合いをしている時だった。
なかなか終わらないかと思われたそれを打ち破ったのは、一つの怒髪天をつこうかというようなさんさんたる怒り声だった。
「えぇ!? リーファさんパパにキスしたんですか!? パパにキスしていいのはママだけなんですぅ!」
フンス、と怒り心頭ですと身体全身で表現しているその怒りの主は、言わずもがな、ユイだった。
彼女はリーファに対して「ムキー!」と怒り狂っているが、その様が大変可愛らしく、つい二人は笑ってしまった。
「あ、あはははは! うん、そうだね、ごめんねユイちゃん」
「もう、本当にわかってるんですか!? それにママもですよ!」
「え、ええっ!? 私?」
「当たり前です! 現実で何をやっているんですか! しっかりして下さい! パパの唇を守れるのはママだけなんですよ!」
「え、あ、うん……その、はい。ごめんなさい」
直葉もアスナも「私怒ってます!」というオーラを常に昇らせているユイに頭を下げた。
腕を組んで不機嫌そうにしているユイを見ると、それだけで二人は言い争っていたことが馬鹿らしくなる。
だから、頭を下げたまま、お互いに視線を絡めて、微笑みあった。
リーファとエリカの二人が置いてけぼりにしてしまったシリカとレコンの元へ戻ってくると、シリカが何やらメッセージを打っていた。
すぐにメッセージが返ってきたようで、「よしっ!」と彼女は喜んでいる。
「どうしたの? 知り合い?」
リーファが駆け寄ると、シリカは「えへへ、そんなところです」と微笑んだ。
レコンが一人、そんなシリカを訝しそうに見つめている。
「この子いろいろ何かやってるんだよね、さっきだってさ、速くリーファちゃんたち追いかけたかったのに急にログアウトするから守ってくれ、なんて言い出すし」
「ログアウト? シリカちゃんログアウトしてたの?」
「はい、ちょっとリアルの人と連絡を取りたくて」
「ふぅん、それでなかなか追いついてこなかったのね。まあいいわ。それでシリカちゃん、約束していた世界樹攻略なんだけど」
リーファが気まずそうに切り出す。
その真意を、シリカは理解していた。
「皆で協力しようってことですよね? もちろん構いませんよ」
「よ、良かったあ……」
リーファはホッと胸を撫で下ろした。
に一緒にやろうとリーファの中では決めていたのだが、断られたらどうしようという不安はあったのだ。
これで戦力は増えた。リーファはチラリ、とエリカを見やる。それにエリカは頷いた。
「リーファちゃん、シリカちゃん、レコンさん、私に力を貸して」
エリカは深く頭を下げた。
それに全員が頷く。
「ありがとう。じゃあまず、最初に言っておくことが一つあるの」
全員が頷いてくれたことにわかっていながらも安堵しながら、エリカは神妙な顔で口を開いた。
これを、知っていてもらわねばならない。
「世界樹の上には、キリト君がいる。これは間違いないよ」
その言葉に、レコンだけが首を捻った。
誰だろうそれ、というところだろう。
だが今は、それを説明している暇はない。
「もう一つ、そのキリト君の直近の言葉をユイちゃんが偶然キャッチしたの。内容は……死にたい、だって……」
「え……」
「そんな!」
これには、リーファもシリカも驚きを隠せない。
みるみる顔が焦燥に包まれていく。
「私も、それを聞いてだいぶ焦ったの。だから、がむしゃらに突っ込んだけど、多分それだけじゃ突破は難しいと思う。でも、ユイちゃんが聞いたことが確かなら、時間はあまり無いと思うの」
真面目なエリカの顔に、シリカとリーファは頷いた。
唯一レコンだけがやはり疑問符を浮かべている。
それにエリカは苦笑しながら、応えた。
「ごめんね、わけのわからないことを言って。でも、すぐにでも世界樹を攻略しなくちゃいけない。これは絶対なの。それだけはわかって」
真摯なエリカの態度にレコンは慌てて頷いた。
別に彼にも反対の意があるわけではない。ただ、三人には共通認識があって、自分にだけ無いそれに、些か疑問が発生していただけだった。
「じゃあ作戦だけど、基本は変わらずでいきたいと思う。ユイちゃんの話だと、ゲートへ近づくにつれてガーディアンのポップ率が上がっていくらしいの。最接近時で秒間十二体だったって」
「秒間十二体!? そんなの、クリアなんてできるわけ……」
レコンが口を挟むが、リーファに睨まれすぐに口を閉ざす。
今は不可能を検証する時ではない。いかに無茶を通すかだ。
「ユイちゃんの見た限りだと、私の瞬間突破力はそこそこあるから、フォローがあればいける、かもしれないって」
「色々考えたいけど、時間は無いみたいだもんね」
「……そうですね、どこまでできるかわかりませんが、やってみましょう!」
「僕はもう、決まったことに付き合うよ」
全員の同意を得て、一行は再びグランドクエストへと向かう。
アスナは、全員に改めて、心の中でお礼を言った。ありがとう、私の我が儘に付き合ってくれて、と。
大扉を開いて、再びアスナは一直線に駆け上る。
ぐんぐん上昇していくと、やはりすぐにガーディアンがポップする。
しかし先ほどとは違い、今度は最初からリーファやシリカ、レコンがガーディアンのタゲを極力取るように奔走し、エリカの負担を減らすように心掛けた。
「でええええええええええい!!」
アスナは細剣を真っ直ぐ伸ばし、刺突の要領で一直線に突破を狙う。
ガーディアンがいくら湧き出ようと、気を回さない。すべては、他の皆へと任せたのだ。
だが、
「くっ! 数が多すぎる!」
レコンがぼやく。その気持ちはわからないでもない。
一年かけてもクリアされないグランドクエストだ。これ以上の圧倒的レイドを組んでも全滅の憂き目を見たと言う話しはアルヴヘイム中に出回っている。
それほどの無茶で難関クエスト。いや、レコンの言葉を借りるなら、クリアさせる気のないクエスト、というところだろう。
少人数の軍勢は、あっという間に追い込まれる。
もっとも飛翔しているアスナの周りには既に五十を超えるガーディアンがおり、壁と言って差し支えないそれに行く手を阻まれ叩き落とされる。
必死に高度を下げないよう頑張っているが、これ以上進むのは至難の業だ。
レコン、リーファ、シリカに至ってはそこまで上ることさえ出来ずにタゲを取り過ぎたガーディアンの始末に忙しい。
いや、始末する余裕すらなく、ひたすら逃げまくっている、というのが正しかった。
撃破こそしているものの、それを超えるポップが常に起こり、減少させられない。間に合わない。
相手をする数が増える一方になり、防戦ばかりに気を取られる。くしくも、最初のエリカの時と同じ状態になりつつあった。
そんな中、一人猛然と諦めないプレイヤーがいた。
「やああああっ!」
短剣での素早い連撃をお見舞いし、援護を近くの小竜が行う。
そうやって、実にシリカは一人で三十体近くもガーディアンを屠るという戦果をあげていた。
そのバーサクぶりにはリーファも舌を巻くしかない。
シリカは必死だった。諦めたくなかった。キリトを助けたかった。
いつか、きっと彼の役に立つと決めたのだ。ここで諦めるわけにはいかなった。
「あうっ」
しかし、数の暴力に少数は圧倒的不利を強いられる。
一向に減らないガーディアンは、むしろその数を増し始めて彼女たちを襲う。
とうとうシリカもクリーンヒットを背中にもらって吹き飛んだ。
ピナが慌ててフォローに入る。僅かに彼女のHPが回復するが、まさに焼け石に水。
すぐに身を翻すも、一度ペースを乱したシリカにガーディアンは畳み掛けてくる。
再び長剣を向けられ、短剣を構えるもその背中にはもう一体のガーディアンがシリカを貫くべく接近していた。
「危ない!」
リーファは叫ぶも、加勢に向かえない。自分の事で手一杯。
いやむしろ助けて欲しいくらいの状態だった。
それはレコンも同じで、彼はどうにかまた闇属性魔法の自爆を考えてさえいた。
エリカに至ってはもっとも遠く、さらには上にいるために救助は期待できない。
リーファの視界の中、シリカが貫かれる時を想像して、彼女がその目を閉じようとしたまさにその時、紅い閃光がシリカの背中に飛び込んだ。
「よっ!」
軽そうな声を上げて、そのサラマンダープレイヤーはガーディアンを屠る。
そのサラマンダープレイヤーは男性だった。見たことは無いが、装備は至って普通で、これといって特筆するものはない。
ただ、あえていうなら、趣味が良いとは言い難いバンダナをその頭に巻いているくらいだろうか。
「お待たせシリカちゃん」
ニカッと笑うサラマンダープレイヤー。
彼はどうやらシリカの知り合いらしい。
そのシリカは目をぱちくりさせて、恐る恐る尋ねた。
「えっと、クラインさん、ですか?」
「おうよ! つってもアバターは前と違ってランダム生成されるから、わからないか。ほれ、似たようなバンダナはしてるんだけどな!」
「ありがとうございますクラインさん、助かりました」
「なァーに、シリカちゃんの頼みならたとえ火の中水の中、連絡もらえば即参上ってなァ!」
クラインは、振り向きざまに曲刀を振り抜き、寄ってきていたガーディアンを切り伏せる。
リーファをして、なんて速い太刀筋だと息を呑ませた。
何者なのだ? あのクラインと呼ばれたサラマンダープレイヤーは。
そんなリーファの疑問は、小さい叫び声によって解決される。
「ああ───────ッ!? クラインさん!」
小妖精、と呼ぶに相応しいユイが、エリカの元を離れてクラインの前へと来ていた。
当のクラインは目を丸くして驚く。
「え? えええええ!? ユ、ユイちゃんなのか!? うお、マジか!?」
「酷いですクラインさん、浮気ですね浮気なんですね!?」
「へ? えええ!? い、いやそういうわけじゃあ……」
突然の再会に、クラインは驚きのあまりあたふたとする。
こんなことは聞いてなかったし予想もしていなかった。
助けてくれシリカちゃん、とクラインは視線を向ける。
するとシリカはクスリと笑った後、急に悲しそうな顔をして、涙さえ滲ませながら呟いた。
「クラインさん、私とは遊びだったんですね……」
「ええええええええ!?」
クラインはますます困り果て、あたりを見回す。
彼の視線の先からは既に殺気が一ダース以上生まれていた。
……そう、そこには先ほどまでいなかったはずの一ダース以上の種族混合チームが既に存在していた。
「クラインてめぇ!」
「俺たちのシリカちゃんを泣かせたぞ!」
「《黒ずくめ(ブラッキー)》よりまずはあいつだろ!」
「そうだそうだ!」
口々に罵詈雑言をクラインに浴びせる。
クラインは状況の悪化を悟り、一人ガーディアンの群れに突っ込みながら叫んだ。
「キリトよォ──ッ! 助けに来たゾォ──ッ! だから助けてくれェ──ッ!」
なんとも情けない台詞だが、言葉とは裏腹に、彼は信じられない戦闘力を発揮していた。
あっという間に十はガーディアンを屠って見せた。なんというスピードだ。あんなプレイヤーがまだいたのか。
……しかし、何故いまこのタイミングでここ来たのだろう。
その様を、はるか上空に位置しながらまだゲートに到達できないエリカも見ていた。
リーファとは違い、すぐに彼らの存在に思い当たる節がエリカにはあった。
彼女は、その立場からある程度のSAOプレイヤーならば、動きを見ただけでなんとなく誰が誰だと把握できる程の目を持っていた。
ある程度のSAOプレイヤー、すなわち攻略組に属するプレイヤーならば。
そう、どういうわけか、そこに現れた助太刀らしきプレイヤーは、SAOプレイヤーでも選りすぐりの、攻略組プレイヤーがほとんどだと思われた。
時間は少し、遡る。
シリカは、エリカが一人で世界樹上空へと向かった時から、一つの仮説を立てていた。
それは、エリカがアスナではないか、ということ。
そこから連想されるのはやはり、世界樹にキリトがいるのではないかという仮説。
だとすれば、戦力は心許ない。そこで、彼女はあることを思い立ってレコンに自身の警護を頼んで一度ログアウトした。
アルンの街の中ならば、即時ログアウトは可能だったかもしれないが、今は一分一秒が惜しい。
既に飛び出した二人をそこそこ追いかけていた為、レコンとシリカはフィールドに出てしまっていた。
頼まれたレコンは空中でシリカを抱きかかえ──役得なお姫様抱っこではあるが、ピナが目を光らせていて変なことは一切できなかった──現実でエギルに連絡を取る。
彼は以前言っていた。ある程度のプレイヤーとの人脈はある。と。
藁にも縋る思いで、その人たちに連絡を取ってもらい、協力をお願いした。
さらに、自身の知り合いであり、《偶然にも》SAO解放時に同じ病院だったクラインに自ら連絡し、協力を依頼した。
彼にはALOをやることを以前から話しており、彼だけは同じくALOをプレイしていた。
──直葉のこともあって、一緒にプレイしていたわけではないが。
クラインは相変わらずギルド《風林火山》のメンバーとつるんでいて、彼らもまたALOに参加していた。
そんな経緯からクラインは《風林火山》ごと協力する旨をシリカに伝えてきた。
それが、リーファとエリカが戻ってきたときにシリカが受けたメッセージである。
正直に言えば、シリカにもどれだけ戦力が集まるか自信は無かった。それ故に余計な期待を持たせまいとあえてこのことは伏せていたのだ。
しかし蓋を開けてみれば、総勢二十名近くのSAOプレイヤーが協力に駆けつけてくれていた。
同じくALOにフルダイブしていて、なおかつアルンの近くにでもいなければ協力は不可能なはずなのに。
だが彼らは来てくれた。あんな目に合いながらも、フルダイブ型のゲームを止めずにいてくれた。
もしかしたらエギルのように、いや、エギルがこれを見越して情報を他のプレイヤーにも回していたのかもしれない。
だがそれでも、ここにいることを選んだのは彼ら自身だ。
ここに、SAOというデスゲームに参加させられ、見事生き残った精鋭が援軍として現れた。
それが何を意味するのか、ALO組にはわからないだろう。
この中の半数は攻略組であると知れば、その混沌さはさらに増すことになる。
プレイヤーの一人が、一番上にいるエリカに声をかけた。
エリカにわかるということは、他のSAOプレイヤーもエリカがアスナだとわかるということでもある。
たとえお互いにその姿がランダム生成されたアバターでまったく違っていたとしても。
「エギルからの伝言! キリトを助け出せ、じゃないと俺たちのSAOは終わらない、だとサ! 指揮を頼むぜ副団長サマ!」
その言葉に、総勢二十名近くの援軍は声を高らかに上げる。
これからが戦だ。いや《攻略》の時だ。
そう、これは、かつてアインクラッドでボス部屋の前にいた時と同じような昂ぶり。
誰かが言う。
「死なないゲームなんて、ヌルすぎるぜ!」
ソードアート・オンラインは常に本当の死と隣り合わせだった。
理不尽極まりないそれは、一瞬の油断が実際の死を招く。
そんな中で鍛え、生き残ってきた精鋭達。
それを……死んでも良いなどという《ヌルゲー》が果たして抑えきれるのか?
プレイヤー達の激しい咆哮が飛ぶ。それは絶対に否だと示すかのように。
さあ攻略を始めよう、と二十余名のプレイヤーは一斉に飛び散った。
その動きは俊敏で無駄が無く、ガーディアンを悉く屠っていく。
今ここに、かつてのデスゲームで行われた攻略戦の幕が再び上がろうとしていた。