彼の目が哭いている。
アスナは彼、キリトに対峙してまずそう感じた。
彼の責めるような言葉は、まっすぐに彼自身を傷つけている。
それが分かるから────アスナは許せなかった。
いつまでも、他人を危険から遠ざけて自分だけが危険な目に合おうとする彼の考えが。
「そういうキリト君こそ、どういうつもりなの?」
「っ!」
言葉に詰まる。
彼は普段何処か大人びた態度を取るが、その内面はとてもナイーブで子供っぽい。
本当の彼は何処までも幼く無邪気。それを、彼はひた隠しにして生きている。
アスナはキリトにそんな印象を受けていた。
だから、核心を突かれた言葉に対してすぐに反論出来ない。
────もっとも、それはアスナ自身も同じだと自覚していた。
どこか達観したような表面とは裏腹に、いつも悩みを内包している。
失うことを恐れ、与えられることを求めている。
なんて子供。わかっていてもどうしようもない程に根付いた根底は覆せない。
そう、まだ二人は……子供なのだ。
故に感情が、ぶつかり合う。
「どうしてキリト君はこの世界にいるのかな?」
「そ、それは……」
「私に黙って……《あの時》みたいに私だけ危険から切り離そうとするの?」
あの時。
アスナには今も克明に思い出せる彼の苦悩の表情がある。
今ALOに存在している伝説の城、浮遊城アインクラッド……その最初の姿。
忌まわしいデスゲームと化し、大人数の死者を実際に出した最低最悪のVRMMO……《ソードアート・オンライン》、その最終的な攻略戦となった第七十五層攻略において、彼は全く同じ事をしようとした。
「攻略戦に参加しないでくれ」と懇願した彼の悲壮な表情は、決してアスナの中から消えることはない。
嘘偽り無く言えば、彼の苦悩の理由が当時は嬉しかった。失いたくない存在として彼の中に自分がいると実感できることがくすぐったかった。
だが、それは光明の見えないデスゲームの中での話。
既にあのゲームから解放された今、彼の態度は酷い侮辱だった。
故に、珍しくアスナもキリト相手に感情が爆発する。
「俺は……」
「キリト君、二つ忘れてる」
キリトの言葉を封殺する。
これ以上彼には話させない。
子供。全くもって子供。そうだと理解出来ていても、感情が昂ぶるのを止められない。
彼が《その答え》に思い至らない事が許せなかった。
アスナはエスクトックの切っ先をキリトに向ける。
キリトは信じられない物でも見ているかのように悲しみの感情をその瞳に宿した。
ズキンとアスナの胸が痛む。だがそれでもアスナは構わず、一歩を踏み出すのと同時にエストックをキリトに突き出した。
ヒュン、という風切り音が耳に届いた時には、エストックの尖った切っ先はキリトの眉間数センチ前で止まっていた。
キリトに抵抗は無かった。動こうとする素振りすら皆無。
ただ、アスナが動いた時から真っ直ぐにアスナの《目》だけを見つめていた。
「……私が突き刺さないってわかっていたの?」
「いや」
キリトもアスナと同じく、いやアスナ以上に相手の《目》を見るというシステム外スキルを磨いている。
故にアスナの目を見ていたキリトはわかっていた。アスナは《本気で攻撃する気だ》と。
それでもキリトは微動だにしなかった。避けるでもなく、防ぐでもなくただ立っているだけだった。
「じゃあどうして動かなかったの?」
「アスナになら、殺されてもいいからさ」
彼の真っ直ぐな顔が────アスナの心を抉る。
彼の偽りない本心が、やはり彼には《思いだしてもらわなくてはならない事がある》と確信した。
アスナはエストックの切っ先をゆっくりと降ろす。
「キリト君、さっき言ったよね、忘れてるって」
「……ああ」
「何のことだかわかる?」
「……」
「わからないんだ?」
「……ごめん」
本当に申し訳なさそうな顔でキリトは謝る。
その顔は本当に何のことなのかわかっていないようだった。
それは本来なら良いことだ。こんなことに巻き込まれていなければ。
アスナはすぅっと胸の中を尖らせた。怒りからではない。悲しいというわけでもない。
ただ、いつも《そのこと》を覚えていて欲しいと思う。
「キリト君、さっき私になら殺されてもいいって言ったよね」
「ああ」
─────パンッ!
渇いた音が響く。
閃光、と言うかつての名に偽りはない。
アスナの速度は速く、キリトには身構える余裕すらなかった。
故に、頬を叩かれたとキリトが気付いたのは、情けない事に突然発生したサウンドエフェクトと自分の視点が急に変わったせいだった。
遅れて頬に薄められた痛みが不快感となって伝わってくる。
これが現実なら今頃はジンジンと痛み出していることだろう。
「キリト君、私言ったよね? 《キリト君は簡単に命を諦められない》って」
「そ、それは……!」
「あの世界でのことだけだとでも思ってた? 私そこまで軽い女のつもりじゃないよ。今だって、もしキリト君が死んだりしたら────自殺するよ」
「ッッッッッッッ!」
キリトの表情が一変する。
焦りと恐怖の入り交じったような、怯えた表情。
誤解の無いよう言うのなら、キリトはそのことを忘れてしまったことは無かった。
だが、キリトにとってそれはSAOというデスゲームの世界限定の話だと勝手に決めつけていた。
いつも死が隣り合わせのあの世界で無茶をするキリトを止める為の彼女の覚悟。
だがアスナにとってその決意は、決してゲームの世界だけで留まらせるつもりのものではなかった。
それがキリトを動揺させ、迷いを生ませる。
──もし、本当にこの世界で死んでしまったら、と。
「ね、戦おっかキリト君。せっかくの決勝戦なんだし」
「え……」
「久しぶりに勝負しよう、本気で」
「ちょ、ちょっと待ってくれアスナ。俺はアスナと戦う気なんて……」
「それで、負けた方は勝った方の言うことを一つ何でも聞くっていうのはどう?」
「……!」
「もしキリト君がこの決勝戦で勝ったら私をこの件から引き離しても良いよ。文句も言わない。でもキリト君が負けたら……その逆もありえるってことで」
「それはダメだ!」
再びキリトの緊迫した叫びが上がる。
それはダメだった。キリトの中でそれだけはあってはならないことだった。
それほどまでに、既にこのゲームに安全性を感じられない理由を、キリトは得ていた。
「じゃあ……キリト君は私に勝つしか無いね!」
「っ!」
アスナの素早い切り払いに、初めてキリトは応対した。
持っていた金属の筒をアスナの切り払い線上に合わせて来る。
瞬間、互いに驚愕が奔った。
アスナの目から見て、金属の筒の長さはさほど無いことが見て取れていた。
三十センチ定規よりも短い、と目算する。キリトがお手製エストックの切り払いを謎の金属筒で防ごうとしたのはわかるが、長さが足りない。
そんなミスは彼らしくないが、アスナのエストックが通る軌跡にその金属筒は届いていない。
そう思った時、金属筒から光が迸る。重低音を響かせて、筒の先からエネルギーの棒のようなもの……刃が生み出される。
金属筒から伸びた光の刃は問題なくアスナの軌跡を捕らえていた。
──────しかし。
アスナのエストックはキリトの光の刃……《光剣》をすり抜けてしまった。
これには流石のキリトも予想外で、反応がコンマ半秒ほど遅れる。
咄嗟に距離を取るも、ざっくりとHPは削られてしまった。
お互いに開いた距離を見つめ、動きが止まる。
今の攻防に予想以上の物が含まれすぎていた。
ちらりとアスナはエストックの刀身を見やる。
キリトの光剣──熱エネルギー等の剣だと思われる──と触れたエストックの部位は赤黒く焦げたように変色したが、すぐに色が元に戻っていく。
リアル思考、ということなのだろう。金属の物体と熱エネルギーを収束させた剣のぶつかり合いでは本来鍔競り合うことなど出来ない。
ずっと光剣をエストックに当て続けられれば破壊は可能だろう。耐久値を削れることは変色エフェクトがあったことからも明らかだ。
だが、それを許してくれるほどアスナは甘くない。さらに素材がその耐久性を幾重にも強くしている。
ちらりとキリトはアスナを見やった。彼女は今のやり取りを終えて尚、驚きこそあったもののその矛先を納める気がないと表情が物語っている。
対等な決闘ではない。それでも止める気はない、と。
アスナの目を見るだけで、彼女の声が聞こえてくる。
────キリト君にとっては丁度良いハンデでしょ?
────おいおい。いくら俺でもこれは苦しいぞ。
────じゃ、諦めるの?
────冗談!
キリトの眉が動くのと同時に、彼はアスナに勝らずとも劣らない速度で肉薄する。
その手は《体術スキル》使用時のように手刀と化していて、素早くアスナが握るエストックの手に吸い込まれていく。
初動で出遅れたアスナだが、素早く思考を切り返して逃げるのではなくエストックを横薙ぎに振るう攻撃を繰り出すことでそれを防ごうとした。
だが。
「っ!?」
「……捕まえた」
アスナの動きを予想していたキリトはエストックを持つ彼女の腕ごとホールドしてみせた。
グンッとお互いの距離が近くなる。
アスナの目の前にはキリトの顔。
それ以上に力強いホールド感。キリトはSAO時代から筋力値、STRを高める傾向が強かった。
対してアスナはAGI、敏捷力でその差をカバーしてきている。
一度捕まれば逃げることはパラメータの差から不可能に近かった。
それだけキリトは《筋力》にパラメータの割り振りを傾けているということであり、そうでありながらアスナに迫らんとする速度をひねり出せる彼はやはり廃プレイヤーだと言わざるを得ない。
「アスナ、降参(リザイン)してくれ。これで俺の勝ちだろ?」
「……」
「頼む、アスナ。俺は君を攻撃したくない」
キリトには最初からアスナを攻撃するつもりなど無かった。
出来ない、と言う方が正しいのかもしれない。
そもそも、ここはSAOではなくGGOだ。GGOには存在しないと思われるSAOの《体術スキル》を真似た時点でブラフだったとアスナは見透かさねばならなかった。
「キリト君、君が私を大切にしてくれるのは本当に嬉しいよ」
「だったら……!」
「でも────────私はNPCやお人形さんじゃないんだよ」
「っ!」
少しだけ、キリトのアスナを拘束する力が弱まる。
キリトに自覚が全くなかったわけではなかった。
いや、自覚があるからこそ発覚を恐れていた。
アスナを危険から遠ざけたいと思う行動。それが彼女の意志に反していても止めようとは思わない。
だがそれはアスナの意志を阻害する行為だ。この先、そうやって彼女の意志を阻害し続けた時、果たして彼女は喜ぶだろうか?
自分の思うとおりにのみ彼女の行く先を決め、危険を取り払って、果たしてそれが本当に彼女の為と言えるのか。
答えは否。
そんなものは最初からはわかっている。
どれだけ格好を付けたところで結局彼女を護りたいのは《キリト自身》の為なのだ。
彼女が大切だから護りたい。究極のエゴとも呼べるそれは、誰しもが持っているものでもある。
だから、そこを問い詰める人間は少ない。
だが、アスナ/結城明日奈はそうではなかった。
ただ護られるのを良しとは出来ない。彼の隣に常に並び立っていたい。
その思いが彼女をここまで駆り立てた。
結城明日奈は護られる存在でいるより、護る存在でいたかったのだ。
おとぎ話の中の王子様。そんなものに憧れなど無かったと言えば嘘になる。
大切にされることに歓喜が無かったかと言われれば「あった」と言わざるを得ない。
だが、彼女はSAOという《非現実の現実》を通して自身のあり方を既に決めていた。
彼を収め護る鞘になり、彼の前に現れる敵を切り裂く剣になると。
間違っても、護られるだけの存在ではいたくなかった。絶対にそれだけは嫌だった。
脳裏に、紅い蠍が蘇える。
HPバーが消え、目の前には爆散したデータのガラス片。
明日奈/アスナにとって彼に《護られる》とは、《あの時の再来》を予感させるものとなっていた。
だから彼女はただ護られるだけの関係を望まない。絶対に望まない。
アスナには確信に似た予感があった。彼はいつかまた同じことをしてしまう、と。
だから、それを止めるのは自分の役目なのだ。
「アスナ……」
キリトの万感の思いを込めた声が耳に届く。
ゆっくりと彼の拘束する力が緩められていった。
突かれたくない所を突かれてしまったキリトに、これ以上の戦いは難しかった。
戦意の喪失。こうなることがわかっていたからこそ、これだけは言いたくないとアスナは思ってはいたが、致し方なかった。
徐々にキリトの拘束力は力を無くし、アスナはほぼ自由になる。
そうなったアスナは逆に自由になった腕を彼の背へと回した。
彼の肩に頭を預けて目を瞑る。さらり、と本当の自分のものではない髪を撫でられる感覚がシステムを通して伝わってくる。
「私は……私だってキリト君に危ないことはしてほしくない」
「ああ」
「私だって、キリト君を護りたい」
「ああ」
「だからね……」
アスナの一つ一つの短い言葉に、キリトは丁寧に頷いて返す。
アスナの肩が小刻み震えているのを感じて、キリトは優しく彼女の桃髪を撫でていた。
と、アスナの震えがピタリと止まる。
おや、とキリトが思った時には……アスナは弾かれたようにキリトから距離を取った。
ポカン、とキリトは鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くして彼女を見やる。
桃髪の少女の手には、キリトにとって見覚えのある一丁の銃と金属の筒があった。
なんとなく、キリトは腰のあたりに手を伸ばしてみる。
……そこには何も無かった。
「えへへ、降参してくれる?」
アスナは両手にキリトの全装備を掲げて満面の笑みを見せる。
ウインクのオマケ付きのその表情を見て、遅ればせながらキリトは状況を察した。
あまりの事に驚愕し、口をパクパクと開閉しつつアスナの手の中にあるものが自分の武器だと悟らされる。
すなわち、今の自分は無防備状態だと。
「な、な、な……!?」
「確か約束はこの決勝戦で勝った方、だったよねキリト君」
「い、いや、だって……さっきのでもう勝負はついて……」
「ついてないよー、決勝戦はまだ終わって無いもん」
「なっ……!?」
そんな馬鹿な、とキリトはずっと口をパクパクさせたままアスナとその手にある自分の武器を見つめ続けた。
アスナはニッコリと微笑みながら口を開く。
「このゲームにもSAOの《クイックチェンジ》みたいなのがあれば良かったねキリト君。対人戦が主なこのゲームにその手のスキルは無いって下調べ済みだけど」
「……」
「まあ武器落とし(ディスアーム)属性攻撃みたいのは結構あるらしいよ」
「……」
「いやあ、キリト君にゲームシステムの事で上を取れる日が来るとは思わなかったよ」
「……はあ」
本当に、本当に悔しそうにキリトは溜息を一つ吐いた。
半ば諦めた、それでもようやくと彼らしい表情で「まいった」と宣言し、アスナにWINNER表示が上がる。
試合時間がホログラムで現れ、予選ブロックごとの順位が宙に浮かび上がって行った。
決勝戦だったからか、二人はすぐに転送されなかった。本戦には二人とも参加できる為、健闘を称えあう余裕時間でも設けているのだろうか。
とにかくアスナはホッと胸を撫で下ろすとキリトに二つの武器を返した。
キリトは無言で受け取ってそれらを腰に装備しなおしている。
恐る恐る目で「怒ってる?」と尋ねると、キリトはじぃ、とアスナを見つめていつもの意地悪そうな顔になった。
その顔は憑き物が落ちたような表情で、アスナをとても安心させてくれた。
「完敗だよアスナ、俺の負けだ。ごめん」
「ううん。私こそこんな卑怯な方法使って」
「確かに卑怯だったな、まさかかの副団長様がこんな盗人みたいな真似をするとは」
「う、うぅ……!」
攻撃ならぬ口撃。この手の口のやり取りでは勝てた試しがないアスナは閉口するより無かった。
そんな風にアスナをやり込めたことでやや溜飲を下げたのかキリトはふと思い出したように尋ねる。
「そういえばさ、アスナ」
「なあに?」
「俺が二つ忘れてるって言ってたけど」
「ああ、うん」
「一つはその……さっきのことだとして、もう一つってなんなんだ?」
「ああ、そのこと? それはね……」
今度はアスナが少々悪戯っぽい笑みを浮かべて、自身の──飽くまで桃色の髪をした少女のアバターではあるが──唇を人差し指でなぞった。
そのままその指をキリトの──飽くまで女性のような男性の姿をしたアバターではあるが──唇に押し付ける。
「《呪い》のこと、だよ。最近していないから」
「っ!」
キリトの表情が紅く染まる。
同時に時間が来たのか、二人のアバターはぐにゃりと歪んで転送された。
Fブロック優勝者、アスナ。
Fブロック準優勝者、キリト。
Fブロック予選を通過したこの二人は、一つ失念していることがあった。
それは、この戦いの一部始終がプレイヤー達に見られている、ということ。
観客と化していたGGOプレイヤー、それもBoB参加者はその戦いを見て口々に言った。
悪魔だ、と。
人の純情を弄ぶかのような所行。
まさに男性キラーと言うべき悪魔のようなプレイヤー。
いつしかそれが彼女のアバターの特徴からこう囁かれることになる。
桃色の髪をした悪魔。
《Pink Devil(ピンクデビル)》──桃色の悪魔と。
「それで? どういうことなのかな?」
桐ヶ谷家からそう遠くないファミリーレストラン。
そこの一角を陣取り、宇治金時ラズベリークリームパフェ越しにニコニコと怖い笑顔で語りかけてくるのは、短めの黒髪を持ち引き締まった体には不釣り合いな程豊満な胸をぶら下げている少女だった。
彼女は現実とは異なる世界、すなわちVRMMOでは《リーファ》としてその名を轟かせる剣士であり、現実世界ではキリト/桐ヶ谷和人の妹──血縁上は従妹──にして剣道でも指折りの選手、桐ヶ谷直葉その人である。
対して、テーブルにある宇治金時ラズベリークリームパフェを境界線として対面に座る、もとい頭を下げて膝の上に置いた手を見つめながらどう返事をしたものかと頭を悩ませている影が二つ。
テーブルで頭が隠れているのを良いことに、直葉の問いに対して二人はお互いが視線で「どうする?」と問い合っている。
その原因を担っているのは直葉が宇治金時ラズベリークリームパフェの隣に置いているA4の印刷物だろう。
その印刷物はどうやら国内最大級のVRMMOゲーム情報サイト、《MMOトゥモロー》略してMトモのニュースコーナーの一部らしかった。
見出しはこうなっている。
【ガンゲイル・オンラインの最強者決定バトルロイヤル、第三回《バレット・オブ・バレッツ》本大会出場プレイヤー三十名決まる】
【Fブロック一位:Asuna(初)】
【Fブロック二位:Kirito(初)】
直葉はとてもニコニコしながら宇治金時ラズベリークリームパフェを一口分スプーンで掬って口元へ運び、二人の回答を待っていた。
影のうちの一人、彼女の兄──血縁上は従兄──であるキリト/桐ヶ谷和人は一先ず自分の作戦の成功を悟る。
付き合いの長さから妹の好みを知り尽くしている和人はご機嫌アップの策を図り、それは見事に功を奏したかにみえた。
だが、
「……二人とも、もうALOを辞めちゃうの?」
一瞬にして悲しげな顔になった直葉に和人は胸を締め付けられる。
もとより妹のことを大切にしてきた和人にとって直葉の傷つくような顔は見たくなかった。
SAO及びALO生還後は一時の疎遠さを忘れるほどの仲の良ささえ見せ、外国出張中の父が一時帰国した際にはその仲良しぶりに嫉妬心さえ垣間見せた程なのだ。
同時に。
「そ、そういうわけじゃないの直葉ちゃん!」
もう一つの影、アスナ/結城明日奈は弾かれたように顔を上げて否定の声を上げる。
明日奈にとっても直葉は大切な存在だった。もはやお互い本当の姉妹のような錯覚さえあると言ってもいい。
和人が囚われの身となっていた時、お互いそうとは知らずに一緒に冒険した日々は二人の仲を急速に進展させていた。
時折、和人が羨むほどの仲の良さを明日奈と直葉は見せる。
ある意味で直葉は、和人よりも明日奈と親密でさえあった。
そんな彼女の悲しげな表情や言葉を聞くことは明日奈にとっても本意ではなかった。
「そ、そうだ直葉、そもそもその記事のKiritoやAsunaが俺たちだっていう証拠は……」
「流石にその言い訳は厳しいと思うよキリト君……」
「そうだよお兄ちゃん、私がALOで二人の状況チェックしてないと思ってたの?」
「う」
なんだか急に雲行きが怪しくなる。
ついさっきまでは責められる側は明日奈と和人だったはずなのに、いつの間にか明日奈は直葉側へとシフトしつつあった。
なんで俺ばっかり、とは思いつつも口には出せない。出さないのではなく出せない。
自称対人スキル激低の和人は女性に対して未だに強気になれない。この二人であればまだ幾分マシではあるがそれでも今は強気になるべき時ではないということがわからぬほど空気の読めない和人では無かった。
そもそもこの二人に責められては元々和人に謝る以外の選択肢は用意されていなかった。
心情的な意味はもちろんのこと、現実ではジムに通っていると言ってももやしっ子の部類に入ってしまう程細い和人の体はさほど強靭に出来ていない。
対して妹の直葉は幼い頃より剣道を続けてきた成果もあってその肉体は申し分なく鍛えられている。
加えて直葉はもちろん明日奈も仮想世界ではかなりの力量を誇っている。
決して油断して勝てる相手ではなく、時として本気で戦っても負ける可能性を孕んでいる相手ともなればめったなことでは戦闘をしたくはない。
ましてタッグなど組まれた日には早々に土下座する以外為すすべなど和人に用意されていなかった。
故に「さっきまでは明日奈も一緒に責められていたはずなのに」などとは間違っても口に出さない。
そんなお子様な真似は二ヶ月ほど前に卒業している。
「ごめん直葉。実は菊岡……えっと総務省の役人からの依頼でさ……」
和人はそこで下手な小細工──物(宇治金時ラズベリークリームパフェ)でご機嫌取りという古典的手段──に頼ることを止め、本当のことを話し始めた。
明日奈と時折目配せしながら、飽くまでゲーム内の調査という表向きの名目だけではあるが。
《死銃》については触れなかった。これには明日奈も何も言わない。異論はないということだろう。
ログアウト後、和人はおおよその話を明日奈から聞いている。何故彼女もログインすることになったのか、その理由を。
菊岡氏を脅したと聞いた時には一瞬ゲーム内での時のようにポカンとなったものだが、それが嬉しくもあった。
「それでねー、私が勝ったからキリト君にはなんでも一つだけ言うことを聞いてもらえるんだー」
「へえ、良かったですね。絶対やってくれないことを頼んだ方が良いですよ」
「……勘弁してくれ。あんまり変なことは言わないでくれよ? アスナ」
「えー? どうしようかなー」
話はいつの間にか決勝戦での約束にまで飛び火した。
これもログアウトしてからすぐにお互いで決めたことだが、今回の件についてお互い関わらないようにさせる類のことはしないようにしようと言うことになり、約束の《何でもお願い権》はこれに関してのみ無効となる。
だが逆を言えばそれ以外なら何でもありなのだ。
和人は明日奈のことだからあまり変なことは言わないだろうと思っているが、それでもどんな無茶難題を言われるかわからない為に怯えずにはいられない。
そう和人がまだ来ぬその《お願い》に内心で身構えていると、明日奈は思い出したように口を開いた。
「あ、そうだキリト君。菊岡さんから連絡が来たんだけど」
「あいつから?」
「うん。なんか報酬は当初の額しか用意出来ないから二人で山分けよろしく、って」
「……な!?」
「私報酬のことなんて聞いてなくて。キリト君に聞こうと思ってたんだ」
突然の事に和人は頭を抱えそうになる。
おのれ菊岡め、と内心で罵りつつ素早く脳内計算を行った。
彼、総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、通信ネットワーク内仮想空間管理課、通称《仮想課》に籍を置いているという菊岡誠二郎が和人に最初に提示した報酬は、金三十万円也。
これを山分けとなると単純に半分で一人当たり十五万円也。
和人にとって必要な、それでいて目標金額ピッタリとなってしまうわけだ。
既に和人の中では残りの金額で買いたいものリストを脳内構成してしまっていたために、その大幅な修正が必要となる。
うぬぬ、と和人が唸っていると目ざとく、また耳ざとい妹様が尋ねてきた。
「へえ、バイト代出るんだね。いくらなのお兄ちゃん」
「う。そ、それは……」
たらり、と背中に汗が流れる。
予定がじゃらじゃらと音を立てて崩れていく。
やはりおのれ菊岡ああああああ、と内心で呪いの言葉を呟きつつ嘘を言うのはやめた。
この二人にこれ以上虚偽を語ることを和人はしたくなかった。
なので、僅かばかりの淡い期待だけを持つことにする。
「こ、これだけ、かな……」
和人はビッと指を三本立てた。
あはは、と渇いた笑いで二人を見やる。
「三万円? 結構割の良いバイトなんだねお兄ちゃん」
「あ、いや……」
「え? 違うの? あ、まさか三千円?」
「い、いや……」
「まさか三百円なんてオチないよね?」
「流石にそれなら俺も断ってる」
「じゃあまさか、三十万円!?」
「ま、まあ……」
「「ええ─────────っ!?」」
明日奈と直葉が声を揃えて驚愕する。
思いもよらぬ高額な報酬額に流石に度肝を抜かれてしまったようだった。
だがそれも束の間、急に猫撫で声となった直葉は和人の淡い期待を音もなく砕いていく。
「お兄ちゃん、実は私、前からナノカーボン竹刀が欲しかったんだー」
「う……」
案の定、和人の予定が狂っていく。
だが和人の苦笑に《困り》を感じ取った明日奈は手助けをすることにした。
なんとなく、また隠していることがあるのが分かったが、今回のそれはさほど悪いものではなさそうだと当たりを付けて。
「じゃあ直葉ちゃんのそれは私の取り分で買ってよ。残りはキリト君のものでいいから」
「えっ」
これには和人が一番驚いた。
明日奈からしてみれば十五万円もの大金を山分けでもらえる権利があるのだ。
それを、直葉の欲しいものを買って残りは和人のもので良いと言う。
嬉しい申し出ではあるが、素直に喜びきれなくもあった。
「キリト君、もうなんか予定あるんでしょ? そのお金の使い道」
「あることはあるけど、でも……」
やや歯切れの悪い和人に、明日奈は微笑んだ。
好きに使っていいよ、と。もともと明日奈はその報酬の事は知らなかった。
そんなものなど無くても首を突っ込んでいたし、報酬を望んでいたわけでもない。
欲しい報酬があるとすれば、それは和人が無事でいること。一緒にいてくれること。それだけだ。
「ええ!? 本当にいいの明日奈さん?」
「うん。そのかわりキリト君にはもっと高いもの買ってもらうから」
「え」
「今度ALOでアインクラッドがアップデートされたら家を買ってもらうから。流石に私も手伝うけど」
「それは……」
それはもともと買う予定のものだった。
二人の、いや三人の思いが詰まるそこは既に一緒に買おうと決めていたことで今更言質を取り直す必要のあるものではない。
だが明日奈はウインクを一つ和人に送る。それだけで和人は全てを察した。
気にしないで、という明日奈の気遣いを。
和人は同じく見つめるだけで「ありがとう。必ずお礼をするから」と声なき声で伝える。
「あのー? もしもーし?」
その見つめ合いは直葉の「二人の世界から戻ってきてよー!」という声が上がるまでしばし続いた。
我に返った二人は顔を紅くしながら最初のように俯く。
やれやれ、と直葉は呆れつつ笑いながら残りの宇治金時ラズベリークリームパフェを平らげた。
「せめて会計は俺が持つよ」という和人の言葉でファミレスの支払いは和人一人が行い、さあいざ帰宅しようというところで和人は一つ失念していたことがあることに気付いた。
「そういえばさアスナ」
「ん? どうしたのキリト君」
「ユイって今どうなってるんだ? 確か俺はアスナに説明した後ユイのマスター権をアスナに預けたはずだけど」
「え? あっと……それは……」
尋ねられた明日奈はしどろもどろになる。
実は明日奈にとってあまり和人に聞かれたくないことだった。
話を聞いていた直葉も首を傾げる。「そういえばどうしたんだろう」と。
「じ、実はね」
「ああ」
「最初は直葉ちゃんに預かってもらおうと思ったんだけど、ユイちゃんが……」
「ユイがどうかしたのか?」
「マスター権は私かキリト君以外なら……クラインじゃないと嫌だって」
「クラインさーん、お酒入れましたよー」
「おお、ありがとうなユイちゃん」
「いえいえ」
「かぁーっ! ユイちゃんみたいに可愛い子にお酌してもらえるなんて最高だなあおい!」
空中都市《イグドラシル・シティ》。ALOにあるその街のバーでかつてのSAOでそうだったようにバンダナを頭に巻いて野武士面をした侍のような風体の火妖精族(サラマンダー)であるクラインはグラスを煽っていた。
数日前急にアスナから内緒でユイのマスター権を預かって欲しいと頼まれた時は驚いたが、クラインは深くは何も尋ねずにそれを了承した。
キリトやアスナのことだ、何か理由があるに違いない。あの二人に対してはそれくらいの信頼はしていた。
今バーにはクラインの他にはNPCの客数名とこれまたNPCのバーテンが一人いるだけだ。
ここはクラインが見つけた穴場スポットの一つだった。まだあまりプレイヤーに発見されていないせいもあって静かに飲める。
仮想世界のお酒は実際に酔わないことを除けば味は変わらないし体に害があるわけでもない。
場合によってはとんでもなく美味いものもあり、現実でも飲酒を好むクラインはよくよくいろんなバーに足を運んでいた。
クラインの隣にぴょんことユイが座る。その姿はここにはクライン以外のリアルプレイヤーがいないせいなのか、ナビゲーションピクシーのものではなくかつてのアインクラッドでクラインも見たことのある黒髪の少女のそれだった。
薄い白のワンピースから伸びる健康的な白い素足が可愛らしい。いくつか着せ替えのようにアスナはユイを着替えさせていたが、ユイはベーシックなこの姿がお気に入りなのか、ピクシーの姿でいないときはこの服装でいることが多かった。
「クラインさん、ここでは良いですけど現実での飲み過ぎはメッですよ」
「いやあ、わかってるんだけどな、あはは」
クラインは昨日ログインしなかった。いや正確にはログインできなかった。
仕事の都合で帰りが遅くなったせいもあるが、会社仲間と夜通し飲み明かしていた。
今日ログインして、昨日ログインできなかったことを詫びつつまだちょっと気分が悪いことをユイに告げるとそれはもうクラインはユイに怒られた。
そんな不摂生はよくありません! と。
延々と説教された後「昨夜は寂しかったです……」としょげた顔を見せられたクラインは罪悪感が募り、今夜は彼女にとことん付き合うことを決めた。
だが流石にどうすれば良いかはわからず、結局注意されたばかりではあるがクラインが時間を潰すのに最適な穴場のバーへ行くことにした。
ゲーム内なら大丈夫だからと再び説教を始めそうになったユイを宥めつつ今に至るのである。
最初は乗り気でなかったユイも、ここがNPCばかりと知って、急に元の姿に戻りご機嫌でクラインにお酌をし始め、かれこれ一時間近く経つ。
「一人暮らしだそうですけど、注意やお世話をしてくれる人は身近にいないんですか?」
「そんな人がいたらいくら会社で遅くなったからって仲間と夜通し飲まねぇって!」
「そうなんですか」
「ユイちゃんが現実にもいたら世話してくれそうだなあ」
「良いですよ? あ、パパとママに許可をもらってクラインさんのお部屋に私を展開できるようにしてもらいましょうか?」
「え? いや……どうだろうな。あの二人がウンって言うかどうか……」
半ば冗談のつもりだったのだが、思いの外ユイは乗り気だった。
危ない危ない、とクラインは苦笑する。存外子煩悩のキリトとアスナはユイに悪い虫がつくことをあまり良しとはしない。
それはクラインとて例外ではなく、かつてアインクラッドでキリトに「圏内戦闘で恐怖をたっぷり刻み込まれた」事は今も忘れていない。
「じゃあ聞いてみますね」
「お、おう? まあ無理しない程度にな」
「はい」
にっこりと微笑むユイの表情に陰りはない。
そこらへんにいる少女と本当になんら変わりはない。
クラインは時々思う。この子と人間の違いとはなんだろうか、と。
人工知能だという話は聞いている。生身のプレイヤー、人間ではない。
だが、感情があるように見える人工知能を機械としてみることはクラインには出来なかった。
「クラインさんは現実でも誰かとお付き合いしたことないんですか?」
「酷いぜユイちゃんよお、それは聞かないでくれえ」
これまでの人生を振り返り、一度も春など来ていないことに悲しくなってグラスを一気にあおる。
続けざまに「マスターもう一杯」と注文して新しいボトルを受け取った。
クラインの視点では同時にストレージのユルドが減ったのが確認できる。
受け取ったボトルを今度はユイがクラインから受け取り、つたない手つきながら丁寧に氷の入ったグラスへと注いでいく。
ボーッとそんな姿をクラインが見ていると、ふとユイの表情がおかしいことに気付いた。
そのユイが不意に口を開く。
「クラインさんは……誰かを好きになったことがありますか?」
「へ?」
「お付き合いをしたことがないというクラインさんは誰かを好きになったことがありますか?」
「そりゃ……えっと……」
一瞬言葉に詰まる。とても素面で出来る話ではない。飲んでいると言っても酔ってはいないのだ。
だがよくよく考えてみれば本気で好きになった相手などこれまでいただろうかとクラインは思い悩む。
彼女が欲しいとは漠然と思うが、ではどんな相手が良いのか。
あの人と絶対に結ばれたいと強く思うような相手にこれまで出会ったことがあったか。
「どうだろうなァ」
思わず思い追い悩んで、答えがわからないことに意外さを感じる。
あれだけ恋人募集中、などと言っていながら相手のイメージさえ湧かないとは。
「そういうユイちゃんはどうなんだ?」
「私は……」
「ユイちゃん?」
ユイの表情が少しだけ陰る。
何か気に障ることを言っただろうか、とクラインは慌てた。
「私はパパとママが好きです。これは絶対です」
「お、おお」
「でもこの好き、というのは人間の言う異性などに対するものではありません」
「まあ、そうだな」
「私は……人間が持つ異性に対する好意がよくわからないんです」
「……へ?」
「もちろんどんなものなのかは擬似的に理解しているつもりです。でも、それは《そういうもの》としてプログラムになぞった答えをシミュレートしているにすぎません」
「ユイちゃん……」
「クラインさん、人を好きになるってどういうことなんでしょうか?」
「それは……」
「私はかつてクラインさんにキスしました」
「おおう……」
「当時の目的はただの善意でした。ママがパパにしているのを見て、そういうものだと自己学習していたんです」
ユイの、哀しみが混じったような独白が続く。
思いがけない感情の吐露。そんな気がして、クラインは黙ってユイの話を聞いていた。
「あの後、パパとママは私に学習させました。キスをしていいのは家族と大事な相手……恋人だけだと」
「まあ、そうだな……」
なんつうことを教えてるんだあの二人はよう、とクラインはユイから飛び出る言葉にハラハラさせられる。
恐らく、ユイがこの手の話をするのは初めてだ。キリトやアスナにもしたことはあるまい。クラインにはなんとなくそれがわかっていた。
「ですが当時の私はそれを曲解して登録しており、今もその名残があります」
「曲解……? 名残?」
「私は以前ママに確認を取りました。『大事な家族以外にキスをしたら相手は恋人さん』だと」
「ん? さっき言ってたのと同じじゃないか?」
「いいえ、これを私は曲解し、かつてクラインさんにキスをしたことがあるから、キスの相手は恋人、と登録されていたんです」
「はあ……なるほど……えええええっ!? それって……」
「はい。私の中にはクラインさんが恋人のような位置づけにされています。でも今の私ならこのエラーを正常に戻す……無かったことに出来ます」
また少しだけ、ユイの表情の陰りが濃くなる。
何故だかクラインの胸が締め付けられた。
「人を好きになるということがわからない私は、このままの方が異性への好意について学べるのではないかとそのままにしてきました。私が今回パパとママ以外ならマスター権の主としてクラインさん以外認めないと言ったのはそのせいもあります。でもこのままでいることが正しいのか私にはだんだんわからなくなってきました。今回、ママもだいぶ困っていました。私はママやパパを困らせたくはありません。ですからクラインさん」
「お、おう……?」
「クラインさんに決めてもらおうと思うんです。この登録をエラーとして処理してしまうかどうかを」
「俺に……?」
「これのせいでクラインさんにも少なからず迷惑をかけたと思います」
「いや、俺は迷惑だなんて思っていないぜ?」
それは本心だった。
だがそれだけではユイの考えが変わらないのも顔を見てクラインは悟る。
この子はこの子なりに悩んでいるのだと。悩む、という行為自体が既に人間らしさを窺わせている。
それすらもプログラムされた行動と言動だと言ってしまえば身も蓋もないが、クラインはそれだけとは思いたくなかった。
だから、
「よォユイちゃん」
「はい」
「今度俺とデートしてくんねェかな」
「……はい? え? 私と、ですか?」
「俺はよう、これまで女の子とまともなデートなんざしたことないんだけどよう、ユイちゃんさえ良かったら、デート、いかねェか?」
「……良いんですか?」
「頼んでるのはこっちだって」
「私は………………っ!」
ユイが何か言いかけた時、急に彼女がビクンと震え、宙に浮いて体を丸めた。
ユイの体が発光していき、すぐに彼女はナビゲーションピクシーの姿となってクラインの肩に乗る。
と、同時に二人のプレイヤーがバーに雪崩れ込んできた。
「あーいたいた」
「えっと、こんにちはクラインさん」
「リズにリーファちゃんか。どうした?」
入ってきたのは顔なじみの鍛冶妖精族(レプラコーン)であるリズベットことリズとキリトの妹で風妖精族(シルフ)のリーファだった。
恐らくはフレンド検索をかけてここに来たのだろうがそんな急な用事は無かったはずだ。
「う~んお兄ちゃんがユイちゃんを心配しててね」
「そうそう、あのバカキリトとアスナが様子を見てきてくれないかって」
「おいおい、そりゃどういう意味だ?」
「あんた前科あるじゃない」
ここで言う前科とはユイのキスのことだが、今それを掘り返されるのは大変よろしくない。
クラインは珍しく反論せずに黙ってしまう。
それを訝しんだリズは冗談半分でユイに話しかけた。
「大丈夫ユイ? クラインに変なことされなかった?」
尋ねながら「まあそんなわけないか」とリズもわかっていた。
単にあの二人が少々過保護なだけなのだ。リーファもほとんど同じ気持ちだった。
だが、
「大丈夫ですよ、口説かれてただけです」
「あーそう。そりゃ良かっ……はぁ?」
「えええええええ!?」
「ちょ!? ユイちゃん!?」
三者三様、驚愕の声を上げる。
途端ユイは両親譲りの悪戯っぽい笑みを浮かべながらクラインの肩の上で小さい体を立ち上がらせて尖ったクラインの耳に抱き着く。
クラインが慌てる中、ユイはそっと囁いた。
「約束ですからね、クラインさん」