湖の女王ウルドの言うとおり、以前は邪神モンスターで溢れかえっていた氷のダンジョン内にはほとんどモンスターが湧出(POP)しなかった。
ダンジョン内のモンスターはALOプレイヤーと一緒にトンキーの仲間である象水母型邪神をせっせと狩る為出払っている……という設定なのだ。
アスナ達としては以前来た時に尻尾を巻いて逃げた経緯があったので少々複雑な心境ではあったが今はこの状況に感謝する事にする。
なにせ失敗すればやり直しの出来ない時限イベント。クリア出来なければ失われるのはALOのメインシティなのだ。
青い光を薄ぼんやりと含む氷の回廊を進むと、少しばかりグラフィック……マップデータが《重く》なり始めてきた。
これまでは何の光かもわからない氷が含む謎の光源によって視界が確保されていたのだが、何処からそうだったのか氷壁には銀の燭台がポツポツと埋め込まれていてチロチロとした炎を立ち上らせている。
何故氷が溶けないのか、などというのは仮想世界に言っても無駄だろう。
天井と一体化している氷柱には金属の装飾が施され、何を表しているのかもよくわからない紋章が刻み込まれている。
ボス部屋が近付くとマップデータが重くなる、というのはSAOから引き継がれている特徴の一つだ。
やがて想像通りに大きめの氷扉が目の前に現れた。
キリトが全員を見渡し、みんなが頷くのを確認してからその重そうな扉を開く。
ギギギ……という蝶番の金属が擦れる音が静かに響いた。氷製なのに何故金属音なのかという疑問は……してはいけないものだろう。
扉が開かれると、中はやはりというべきか広い空間となっていて中央に屹立する大きな存在に目を引かれる。
流石にフロアボスまで出払っているというダンジョン空っぽ状態では無かったらしい。もっともそれはアスナ達も予想していたことだ。
「みんな! 最初は冷静にね!」
アスナの号令の後、アスナとクリスハイトを残して全員が散開しつつ前へと駆けだした。
アスナとクリスハイトは即座に詠唱へと入り出す。
近付く妖精達に気付いたのか、中央に立つ巨大なボスは大きな咆吼を上げてこちらへと振り向いた。
その顔は……一つ眼。単眼で、さらに口端が耳まで裂けている巨大なサイクロプス型のボスだった。
右手には粗暴な形ではあるが身体のサイズに見合った棍棒が握られている。
身体は全身真っ青で、その身を覆うのは金色の中に黒い斑模様が混じった腰布のみ。
咆吼によってビリビリと部屋中が震えるが、幸いアスナやクリスハイトまで《叫び声(ハウリング)》のバッドステータスは届かない。
おかげで彼女たちは無事に詠唱を終える事が出来、その手に持つ杖を前衛へと向けた。
ボスの正面に駆けだしたメンバーには青白い光が灯り、ゆっくりと全身を明滅させる。
アスナが使ったのは攻撃力上昇の魔法で、クリスハイトが使用したのは防御力アップの魔法だ。
「サンキュ! いっちょいくぜえええええええッ!」
クラインは魔法の補助を受けると一足先にとばかりに一番槍を自ら買って出た。
彼のこういった辺りがかつてギルドを率いる立場でいられた要員だろう。誰よりも早く危ない橋を自ら進む。
デスゲームと化していたSAOでこれが出来たプレイヤーは非常に少ない。キリトでさえ、知らない相手に挑む時は慎重になる。
だがクラインは決して臆することなく自らにその役目を課し続けてきた。
ギルドを率いている……つまりは仲間の命を預かっているという責任を常に肩に乗せていたからかもしれない。
クラインの持つカタナにライトエフェクトが宿った。だが彼はまだボスから四メートルは離れた位置にいる。
当然ながらその距離は彼の武器の射程範囲ではない……ハズだった。
「セイッ!」
一声上げた瞬間、彼は瞬時に間合いを詰めきっていた。
その間、時間に換算して僅か半秒も経過していない。まさに一瞬と呼ぶに相応しい刹那の時間消費でクラインは驚くべき事にその距離を詰め切っていた。
そのまま大振りではあるが鋭い太刀筋でまず一太刀目を青い一つ眼の巨人へと浴びせることに成功する。
紅い血飛沫に似たライトエフェクトが宙に舞い、フトモモに深く斬り込まれたサイクロプスは鬱陶しそうにクラインへと棍棒を振り払った。
クラインは深入りせずに二、三度跳ねるようにバックステップして距離を取る。だが今の攻撃で嫌悪値(ヘイト)は完全にクラインへと向いた。
それこそがクラインの狙い。クラインが放ったのは曲刀カテゴリのソードスキル、《フェル・クレセント》だ。
曲刀ソードスキルはクラインが普段から使用し、得意とする《カタナ用ソードスキル》の下位スキルであり、この技は中距離を一瞬にして詰められるという利点がある。
その分カタナ用ソードスキルに比べると威力は幾分下がるが、彼はアバター全身を使ったアシスト──システム外スキル──を加える事によってその威力をそこらのプレイヤーのカタナスキルの物と大差が無いほどまでに押し上げている。
完全にクラインを標的(ターゲット)にしたサイクロプス型巨人は間合いを取ったクラインに近付こうとして……少女二人の攻撃に挟み込まれた。
シリカの短剣によるソードスキルと、リズベットのメイスによるソードスキルが左足を挟撃し、体勢を崩した。《転倒(タンブル)》状態である。
「今だ!」
キリトとリーファは一気に距離を詰めると持てる大味のソードスキルを連発する。
クライン、リズベット、シリカもすぐに加わってみるみるボスのHPゲージを減らしていく。
ボスが起きあがりかけた所で全員が一度ボスから距離を取った。
その瞬間、ボス周辺に円を描くようにして雷がスパークする。
「暗記は得意なんだ」
得意げに笑うクリスハイトの杖が光り、サイクロプス型巨人はその下半身を地面から迸る雷に埋め尽くされる。
この瞬間の為に詠唱し、溜めておいたクリスハイトの雷魔法だ。
ピシャァァァ! という轟音が鳴り、一瞬極大の閃光と「ドンッ!」という音を放ってスパークは消え失せた。
この魔法は範囲がそれなりに広いが、エフェクトの割にそこまでのダメージは期待出来ない。だが、その代わりにこの魔法は敵へのバッドステータスを一つ含んでいる。
「……グ」
小さく呻く声が漏れる。
僅かながらサイクロプス巨人の動きが止まった。
《行動不能(スタン)》したのだ。これこそ雷魔法系最大の利点である。
それを見計らったように巨大な氷の塊がサイクロプスの顔面へと叩きつけられた。
アスナの上位水魔法だ。これにより、弱点だったらしい眼を攻撃されたサイクロプス型巨人ボスは再び《転倒(タンブル)》状態に陥った。
攻撃が上手くマッチする時は二度三度とボスを《転倒(タンブル)》状態に出来ることはある。
今が攻撃チャンスだと前衛陣は持てる大味のソードスキルを再び連発し、一気にHPゲージを削り尽くしていく。
新生アインクラッドのフロアボスはHPゲージが見えない仕様が採択されてしまっているが、今のところアルヴヘイム内ではそのバージョンアップは行われていない。
相手のHPゲージが見えるのと見えないのではそのペースの掴み方もかなり変わってくるので出来ればこれからも可視化して欲しい、と思うのはヘビーユーザーでも仕方の無い事と言えよう。
このまま一つ眼巨人……サイクロプスへの攻撃は上手く連携が続き、軽い反撃はもらったものの最初のフロアボスはそこまで苦労することなく押し切る事に成功した。
最後はやはりというか、キリトの素早いソードスキルによってトドメを刺され、ボスはその姿をガラス片へと爆散させる。
ラストアタックボーナスの概念はSAO同様に引き継いでいるので、彼のストレージにはまた一つレアアイテムが格納されたことだろう。
「お疲れ!」
口々に互いを労う声をかける。ネットゲームでの最低限のマナーだが、ここにいるのは皆リアルの知り合いなので心からの言葉でもある。
手を叩き合い、和気藹々と微笑み合う。今回、緒戦において良い形でスタートを切れたので、仲間達の間では「行ける」という思いが強まり、次のボスも楽に倒せるという空気さえ漂い始めていた。
しかし、流石にそこまで甘くはなかったとすぐに悟らされる。
ボス部屋の下層に広がる氷ダンジョン二層にも目立った湧出(POP)モンスターがなく、二層のボス部屋までは労せずしてたどり着けた。
だが、この第二層ボスがなかなか厄介な相手だった。
第二層のボスは牛の頭を持ち、人間のような肉体を持つミノタウロス型大型邪神が二体というスタイルだ。
第一層のサイクロプス型巨大邪神もそれなりに大きかったが、この二体は第一層のボスを上回る巨躯の持ち主で、武器はこれまた巨大なバトルアックスなのでリーチはそこそこ、と言った所だろう。
ボスのうち、右にいるミノタウロスが全身黒毛に覆われ真っ黒なのに対し、左にいるのは黄金の毛に覆われ全身から神々しいまでのオーラを放っている。
中でもやっかいなのはその金ピカミノタウロスの性能で、何とこいつは物理耐性がかなり強力に設定されているらしく殆ど武器での攻撃が通らない。
逆に黒ミノタウロスは魔法耐性がかなり強力に設定されており、魔法攻撃はほとんど受け付けない。
そこで当初は、黒ミノタウロスを倒してから黄金ミノタウロスを抑える作戦に出たのだが、この二体は一方が弱るとこれまでの嫌悪値(ヘイト)を無視して相方をサポートするようプログラムされているらしい。
さらに困ったことに、弱ったミノタウロスは相方に護られながら《瞑想》をし始め、短時間で体力を大幅に回復してしまう。
唯一の救いはこのボスが魔法を一切使って来ないので、広範囲に急な攻撃を受けないことだ。
と言っても、一番気をつけなければいけない不動タイプであるメイジの二人……アスナとクリスハイトはボスからかなりの距離を取っているので最初からその心配は無い。
心配は無いが、光明もない。
「キリト君、このままじゃもうすぐMP切れちゃうよ!」
クリスハイトが焦りの声を飛ばす。その声はかなりテンパっていて、ああそういえば彼はゲーム歴が低いんだったと無駄な記憶を呼び起こし……さっさと奥隅へと記憶をしまう。
今は余分なことに思考を費やしている暇などない。
回復に専念していたメイジの二人はガンガン魔法でサポートしてくれていたので、当然ながらMPの消費が激しい。
なのでアスナの方もクリスハイトと似たような状況ではある。だがこのサポートが無ければ戦線維持は難しい。
このままではいずれこちらが力尽きてしまう。
かといってメイジ二人の魔法攻撃では黄金ミノタウロスのHPを吹き飛ばし切れない。火力が足りないのだ。
そう、このパーティは当初キリトが危惧した通り魔法攻撃力が圧倒的に不足している。その為こういった物理耐性が高い敵にはいらぬ苦戦を強いられる事がしばしばあった。
従来ならばここでゆっくりと時間をかけて攻略するか、出直すという手段ももちろん考えられるが、
「キリの字! 時間がやべェ!」
クラインの飛ばす声にその選択肢を消す。今回ばかりはそうはいかないのだ。
クラインの持つメダリオンはどんどん黒く染まっていく。これが全て黒く塗りつぶされた時、アルヴヘイムは今までの姿を失ってしまうのだ。
「キリト君! やってみようよ!」
「わかってる!」
アスナの声にキリトは右手の剣を掲げて答え、素早く左手にも剣をシステムメニューから呼び出した。
一瞬にしてもう一本の剣がキリトの左手の中にジェネレートされる。いや、これはただシステム的にアイテムストレージに格納されていた所持武器をオブジェクト化したにすぎない。
だが彼が二刀を装備した意味は全員──クリスハイトを除いて──理解する。
次の瞬間、一体が白い霧に包まれる。アスナが目くらまし用の水魔法を唱えていたのだ。
「一かバチか、全員ソードスキルによる総攻撃!」
「よっしゃあ!」
「了解!」
アスナの提案は、そのままキリトの考えと直結していた。
それは……全員の《ソードスキル》による連続攻撃だ。
ソードスキルとは本来、アインクラッド……SAO時代の遺物だがこのALOにもアップデートとして実装されている。
これは大いにSAO生還者(サバイバー)の人気を集めたが、この《ソードスキル》はただそのまま実装されたわけではない。
いや、技のモーションや派生Mod、基本の物理攻撃力に関してはほぼ変わりないだろう。だが新たな運営者達はそこに一つ付け加えた物があったのだ。
それが……《属性》である。
ほぼ全てのソードスキルには魔法で言うところの属性が付与され、属性に応じたエフェクトが加味された。
これによって魔法を得意としない種族でも属性値による十分な攻撃が可能とされ、これまでのALOのセオリーが一つひっくり返った瞬間でもあった。
だが、このソードスキルの実装に当たり《ユニークスキル》だけは実装されなかった。
アスナにとってそれは少しばかり残念なことだと思っていたが、思ったよりもキリトにショックは無いようだった。
《二刀流》や《神聖剣》などの突出した強力過ぎる《ユニークスキル》はゲーマーとしては確かに魅力的な部分もあるが、《公平さ》という点では大きく外れてしまう。
だから、それは当然のことだと理解していると説明を受けたアスナは一度だけキリトに尋ねたことがある。
『二刀流のスキルを、もう一度使いたいとは思わないの?』
キリトは苦笑しつつ答えた。
アスナは、恐らくその言葉を永遠に忘れない。
『未練が無いと言えば嘘になるけど、護る力が必要とされないのなら、その方が良い』
そう言われてそっと繋がれた手は、とても暖かかった。
確かにそうなのだ。あれほどの力を求めなければいけない時というのは、本当に鬼気迫った時だろう。
そんな時など、もう来なくてもいい。繋がれた手は、護るべき存在。その存在が脅かされずに済むのなら、強力過ぎる力なんていらない。
だから、キリトはシステムとしての《二刀流》を然程強く求めていない。そのことにアスナも理解を示した。
しかし。
それはそれとして、《出来ることを試したい》と思う欲求は子供が持つ好奇心のように溢れてくるものである。
キリトはシステムとしての《二刀流》を求めはしなかったが、《二刀流》の再現には余念が無かった。
当初は再現できたのは上位剣技までだったのだが、今や努力の結果により最上位剣技も再現可能になったほどの修練を積んだ。
もともとソードスキルとは、プリセットされた動きをシステムのアシストを受けて発動させるものであり、ソードスキルを《使わずとも》動きを《真似る》ことはできるのだ。
だがそこにはソードスキルに付与される威力ダメージは無いし、このALOに至っては当然ながら属性も付与されない。
だからここでキリトがほぼ完璧にマスターした《なんちゃって二刀流スキル》を使うメリットはあまりない。
しかし。
二刀帯刀状態となったキリトはもう一つ《過去の記憶》から一つの技──システム外スキルを編み出すことに成功していた。
皆がそれぞれソードスキルで突撃していく中、キリトの持つ剣にもオレンジ色のライトエフェクトが宿る。
「フッ!」
キリトは息を吐く声と同時に、高速で五連続の突きを繰り出し、さらには上段斬り下ろしから素早く斬り上げの軌跡を描いて再び全力の上段斬りをお見舞いする。
片手剣用ソードスキル《ハウリング・オクターブ》。ダメージとしては物理四割、火炎六割の高速八連撃だ。
素早さが売りとも言える片手剣カテゴリの中では連撃数が多いダメージ重視の大技である。当然スキル使用後の硬直時間はそれなりに長い……のだが。
「……ッ」
だがキリトは技を完全に出し終える前に……最後の上段斬りをシステムが生み出す仮想の慣性にのみ動きを任せ、右手の意識を切り離した。
イメージ的には……この右手そのものを《自分の体の一部ではない》と思い込ませるような……そんな感覚。
同時に、意識は左手にのみ集中させ、左手に持つ剣の柄を強く握り、ググッと後方に引き絞った。
瞬間、左手で握っている剣に鮮やかなブルーのライトエフェクトが宿る。これは本来ならあり得ないことだ。
スキルは二つ同時に使用出来ない。これはキリトを含めた一介のプレイヤーには与り知らぬことだが、一つのアバターには、そのアバターがスキルを使用中に他のスキルを発動できぬよう基本設定がなされている。
いや、より正しく言うならばスキルの同時発動は製作者側の意図には無く《システム的には》存在しない。
しかしゲームプレイヤー……とりわけネットプレイヤーとは業が深いもので、どんな物にも《抜け道》を見つけ出そうとする。
製作者が意図したわけではない……あの手この手のいわばバグのような隙部分を突く方法で一部のプレイヤーは不可能を可能にする。
仮想世界……VRMMOはアミュスフィアを介した《脳》による命令に活動を依存している。
直接《頭の中からアクセス》し、脳の命令系統……思考力をネットを介してデジタルなゲーム世界にダイブさせている。
つまり、VRワールドでの肉体運動の全ては脳内処理によって行われているのだ。
これには小さくないメリットがあり、例えるならば五感や五体を失ってしまった人にも正常な脳運動……思考力があればVR世界ではそのハンデをゼロに出来る。
逆に言えば、脳からの命令によってシステムも作動することになるので、その命令が狂うとシステム自体がエラーを起こす。
キリトの左手で青く輝く剣が水平に軌跡を描いた。今キリトは凄まじい違和感に襲われている。
右の体と左の体がどこかでズレているような気持ちの悪い感覚。だがここで意識を統合しようとするとスキルは中断されディレイが課されてしまうことをキリトは経験から知っている。
キリトがこのシステムに許可されていない……存在しない連携技を初めて使ったのはSAO時代のことだ。
ヒースクリフ、いや茅場晶彦とデュエルをすることになった際、最後の瞬間まで諦めずにあがこうとしたあの時、意図せずにキリトはこの連携技を偶然発動させている。
あの後、SAOでは結局この技を完成させるには至らなかった。最後の最後で失敗までしている。
今をもってしても完成と呼ぶには遠く、成功率は六割程度だがあの時よりも《発動条件》を理解しているだけ進化していると言えよう。
ただ、あまりにイレギュラーな方法……条件の為にこれ以上の成功率上昇は難しいだろう。
動き出したキリトの左手は続けざまに高速でブルーのラインを二本ほど描いた。
物理五割に氷属性五割の重三連撃を繰り出す片手剣用ソードスキル《サベージ・フルクラム》である。
さらにキリトは今回も最後の一撃を加える寸前に意識を左手から切り離し、右手のみに意識を戻す。
剣技連携(スキルコネクト)と名付けたこのシステム外スキルは、一見すると無限にソードスキルを連携できるように思えるが、実はそう単純な話ではなく、連携前のソードスキルの終了モーションと連携後のソードスキルの初動モーションがほぼ一致していなければ発動出来ない。
さらに意識の切り替えが求められるタイミングはかなりシビアで、おおよそ誤差コンマ一秒以下程度だと思われる。
故にこの剣技連携(スキルコネクト)は何よりも《続ける》ことが難しい。
成功率六割とは飽くまで《一度目》の話であり、二回目以降の連携となると確率はガクッと落ちる。
二回続けばかなり良い方とキリトも自覚しているだけに、次は半ば祈るような気持ちで剣を握っている右手に命令を送り込むと、上手いこと右手の剣に青いライトエフェクトを帯びさせる事に成功した。
身体がシステムのアシストによって動き出し始める。
先の重攻撃によって黄金ミノタウロスは《のけぞり》状態になっているので反撃の心配はない。
ここが攻め時とキリトはガンガン攻撃すべくソードスキルのシステムアシストに我が身を任せきった。
キリトの剣は鋭い剣閃で青いラインを四度生みだし、黄金ミノタウロスの脹ら脛をざっくりと切り裂く。
グググッと黄金ミノタウロスのHPゲージが大きく減少する。すでに計十五連撃という二刀流の上位剣技に迫る手数である。
──────と、ここまでがSAO時代のそれと《原理》は変わらぬキリト《単独》の連携技(コネクト)だ。
キリトが四連撃──片手剣用ソードスキル《バーチカル・スクエア》を終える瞬間、ブルートルマリンのようなロングヘアが《閃光》のように奔った。
そのまま彼女、メイジであったはずのアスナはキリトの浮き上がった右腕をくぐるようにして黄金ミノタウロスに肉薄し、既に持ち替えているリズベット謹製の細剣(レイピア)で高速四連撃を繰り出す。
物理五割、雷属性五割の細剣用ソードスキル《カドラプル・ペイン》だ。
最後の突きの反動でやや後ろに下がったアスナの左手付近にはキリトの剣を握っている右手があり、アスナは目を向けずにその剣の柄をキリトの右手ごと握る。
と思った時にはまるで時間が巻き戻されたようにアスナの身体は黄金ミノタウロスへ近付きキリトの剣をミノタウロスへと突きだした。
小さい五角形の頂点を描くように高速ならぬ光速の五連突き。物理二割に聖属性八割の細剣用ソードスキル《ニュートロン》。
この攻撃が終わったところで……キリトの左手がジェットエンジンのような唸りを上げて黄金ミノタウロスに吸い込まれていく。
ドォォォン! と轟音をかき鳴らし、そのまま深々と黄金ミノタウロスを突き刺さした。
最後に放ったのは片手剣用ソードスキル、単発重攻撃《ヴォーパルストライク》だ。これは見事ボスのHPゲージの残りを全て吹き飛ばした。
丁度その時、《瞑想》を終えた黒ミノタウロスが自信満々に振り向き……相方である黄金ミノタウロスの姿を探してつぶらな瞳を瞬かせる。
その顔はまるで「あれ?」とでも言っているようだ。
「おーし牛野郎、そこに正座」
それを見ていたクラインは、カタナの峰で自身の肩をトントンと叩きながらニヤリと嗤った。
「ンで、さっきのありゃ一体なンだ!?」
物理耐性の低い黒ミノタウロスを難なく押し切り、戦闘が一段落したところでクラインはキリトに詰め寄った。
当然である。SAO時代からソードスキルはプレイヤーにとって《一技必殺》のイメージが強い。
連撃を加えるにしてもそこに《ワンクッション》何らかの動作、もしくは冷却(クーリング)が入らなければ次のソードスキルは放てないのが仕様であるとされている。
そもそもソードスキルには使用後の硬直時間(スキルディレイ)が存在するはずなのだから。
「……言わなきゃダメか?」
「ったり前だろが!」
「……システム外スキルだよ。剣技連携(スキルコネクト)って呼んでる」
キリトはやや面倒そうな顔をしつつ、大雑把に原理を説明する。
話を聞いたクラインは頭をガシガシと掻いて「なンだそりゃ!」と声を上げた。
キリトの剣を借りてその場で試してみるが、やはり上手くいかずスキルディレイにより硬直してしまう。
誰でも最初は似たような反応である。あのリーファ/直葉をしてこの剣技連携(スキルコネクト)のことは不正軽量竹刀の百倍ひどいアドバンテージと評した。
二、三回試したところでクラインは一旦切り上げ、剣を返しながらもう一度キリトに尋ねる。
「でもよぅ、ンじゃあ最後のアスナちゃんとお前のアレはなンだよ。聞いたことねェぞあンなの」
「あれは……まぁ応用版というか、俺たち以外に出来る保証は無いというか……俺たちでも普段はそうそう成功しないというか。だからアテにしないでくれると助かる」
「ンだよ煮え切らねェな」
「悪い、上手く説明出来ない。今は時間も無いし先を急ごう」
「……へいへい」
キリトは言葉を濁し、クラインは黒く染まっていくメダリオンを確認して不承不承ながら頷いた。
それを見ていたアスナは苦笑する。まぁ仕方ないか、と。
実際、キリトにもアスナにも説明をしろと言われるとこればかりは上手く出来ないのだ。
先のあれは一応剣技連携(スキルコネクト)ではある。だが、その原理はかなり特異という外はない。
と言うのも、これを説明する為にはまず、お互いの《接続》について説明しなければいけなくなるのだ。
アスナとキリトは、SAO時代からとある不思議な現象にその身を置く事が度々ある。
得てしてそれは戦闘中に多いことだが、簡単に言うならばお互いがお互いのことを深く理解出来る、というものだ。
相手が何を考え、何をしたいのかを感じ取り、《感度》が高まれば高まる程それは濃度を増して相手の思考を読み取らせてくれる。
まさにお互いが一体化してしまったような《接続》状態。
この時点で既に他人に話すにはかなり抵抗がある。説明したところでからかわれて終わる可能性も否めない。
こうなった時の二人は軽く《ハイ》になっている状態に等しく、心地よささえ感じられる。
さらに剣技連携(スキルコネクト)の原理から行くと、通常二つしかない手が四本あるものとして捉えられるのだ。
あえて評するなら双技連携(ダブルコネクト)とでも言おうか。現状、これはアスナとキリトの間でしか成功したことが無く、成功率もかなり低めとなっている。
実際今までで成功したことがあるのは片手の指で足りる程でしかないし、アスナとリーファ、リーファとキリトでは何度やっても成功しなかった。
だが一度嵌ればこれほど強力な物はない。リーファ曰く、成功すれば不正軽量竹刀の千倍ひどいアドバンテージでも生温い審判と選手がグルみたいなもの、と述べている。
とありあえずの追求を止めたクラインは先へと足を進めだし、それに続く形でゾロゾロとみんながボス部屋を後にする。
その様子を眺めつつ追いかけるように最後尾へと足を進めながらキリトは呟いた。
「よくやる気になったなアレ」
「出来る気がしたから」
アスナはクスリと微笑んでキリトの隣に並んで歩幅を合わせる。
仮称双技連携(ダブルコネクト)は数字にして成功確率0.一パーセント以下という鬼成功率だ。
土壇場でやるにはリスキー過ぎる。だが、
「まぁ、なんとなくわかるよ」
「でしょ?」
キリトはアスナの言わんとしていることを理解した。
これまではほとんど成功するのは奇跡に近かった双技連携(ダブルコネクト)だが、きっかけは掴んでいたのだ。
それはここではない別の仮想世界、ガンゲイル・オンラインでのことだ。いや、より正確に言うならその仮想世界へログインした時の《状況》と言うべきか。
ガンゲイル・オンライン──GGOに二人がログインしたのはとある事件……プレイヤーの変死についての調査だった。
調査は考えられる限りでは安全なはずだが、それでも念のためにとかなりの安全策を取られ、二人は《一緒に》ログインした。
《一緒に》とは文字通りの意味で、体中に心電図モニターなどの電極パッドを貼り付け、同じベッドに横になり、手を繋いだ状態でのダイブ。
ちなみに手を繋ぐ必要性はこれっぽっちもなく、意図したわけではなかったのだが、それは本人達にとって意外な効果を仮想世界で生み出した。
普段よりも《接続》の濃度が高まったのだ。現実で繋いでいる手が、仮想世界でも常に温かいと感じられるほどに。
相手の存在を確かに感じられたことで、戦闘においてはお互いのコンビネーションが最高レベルにまで引き上げられる結果ともなった。
リアルでの物理的接触による仮想世界への影響は《システム的には》存在しないはずだが、これがなかなかバカに出来ないものというのは古参のVRプレイヤーなら理解している。
ゼロと一で構成されるデジタルなVRワールドには確かに《ロジック》だけではない何かがあった。
今、アスナとキリトのリアルの肉体は、その時と同じように同じベッドで横になり手を繋いでいる。
もっとも、場所はあの時のような病院の一室ではなく桐ヶ谷邸の和人の部屋のベッドの上だが。
そしてこれは、やはり二人に《接続力の上昇》という恩恵を産み落としていた。
その結果が、先の《確率0.一パーセント》の成功である。
双技連携(ダブルコネクト)はよほど《接続》が高まっていなければ成功しない。
いや、高まっている事がまず前提条件の一つ、という程に難しい。狙ってやれることではそうそうない。
だが、そこに確率のブーストをかけるのが恐らくはリアルでの肉体的接触だったのだろう。
それをGGOの時から二人は朧気に理解し、今回でそれは確信に変わった。
「ふふ」
アスナはそっとキリトの手を握る。
ビクッとキリトは肩を震わせるが、すぐに握り返した。
突然の事に驚きはするが、キリトもアスナと触れることが厭ではない。
無論羞恥心はあるが、今は最後尾。気付かれない内はこうしていてもいい。
こうして、二人で手を繋いでいる時は、時間が穏やかに流れる。
幸せな時と言うのはこういう時を言うのだと自覚できるほどに。
────だから、思いもしなかった。この穏やかな時間の崩壊が、目の前に迫っているなど。
それは、突然に現れた。
氷のダンジョン第三層。時間の関係からキリトは普段なら絶対にやらないユイのダンジョンナビゲート機能を駆使してフロア内の至る所に仕掛けられているトラップを全部回避した。
本来ならば数多くのトラップやパズル、謎解きに時間がかかるのだろうが、今回ばかりは心の中で全身全霊の土下座をして前進する。
おかげでたいした時間の浪費もせずに第三層のフロアボスまで到着する事が出来た……のだが。
そこで待っていたのは……予想もしない相手だった。
表皮は煌めくようなメタリックの碧。躯のあらゆる部位には《節足動物》特有の細かい節がある。
ドクン──アスナの表情が一瞬で目の前の相手のように真っ青になった。
前方には巨大な触肢が鉞状になって突き出されており、見るからに鋭い光沢を放っている。
だがやはり一際目を奪われるのは背中から反り返るように伸びた二股の尻尾だろう。その先は鈍色に輝く太い針がその存在を主張している。
一言で表すなら────二股の尻尾を持つ金属の蠍。
カラーリングこそ当時と違うが、このフォルムは……いや、ポリゴンの細部に至るまでこのモンスターの姿形はかつてデスゲームと化したSAOで攻略組を恐怖で震え上がらせ《バッドラック》の象徴として君臨した《The Hell Scorpion》──地獄の蠍そのものだった。
基本戦術……それは《逃げろ》。何故なら《HP全損イコール現実での死》となった世界で、最前線の一つ下のフロアボスと同等の力を持つと言われるコイツを少数で相手にするのは無理があるからだ。
ドクン──アスナの身体が小刻みに震えだした。
ゲームにはよくあることではある。モンスターのカラーリングと名前を変えて強力にする、などと言った手法は。
だから、驚きはしたが、それだけでもある。彼女を除いては。
「あ、あ、ア────」
か細いアスナの声が喉の奥から漏れる。
仮想世界に喉の構造などという概念は無いはずだが、例えるならばカラカラの喉が必至に言葉を発しようとして出来ないような、そんな声。
身体は時間を増す事にガタガタと震えだし、ガチャガチャとらしくない動作で腰のレイピアを引き抜く。
その異様さに仲間達が気付いた時には、彼女は一人先行していた。
コイツは、コイツが、キリト君を─────────
「だめええええええええええええっ!!!」
劈くような叫びと精緻の欠片も感じられない特攻。全力で腕を引き絞り、渾身の一撃を蠍型ボスにアスナは与える。
彼女は元来《正確さ(アキュラシー)》の高さと《速さ(クイックネス)》によってその戦闘力を底上げしていた。
それが失われれば、彼女の戦闘力は半減すると言ってもいい。今のアスナの攻撃は明らかに《正確さ(アキュラシー)》を欠いていて普段の期待値よりもダメージを与えられていない。
蠍型ボスが怯まなかったことからもそれは明らかで、アスナはすぐに反撃されてしまう。
ブンッ! と力強い二本の尻尾が横薙ぎに振られ、アスナを襲う。アスナは一本目の尻尾を身を屈めて回避し、二本目の尻尾を跳躍で避けた。
避けながら、アスナは攻撃の手を休めない。効果的とは言い難い、子供の反抗のような攻撃をがむしゃらに続ける。
刺して、突いて、切り払って、また突き刺す。一突きする度に憎悪の感情が彼女の顔に染みだしていく。
一回、二回、三回、四回……回を増す事に彼女が何事か呟いている声も大きくなっていった。
「殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない……!」
レイピアの切っ先を硬い金属の甲殻に何度も刺し込む度に、彼女は同じ言葉をうわ言のように繰り返す。
怨嗟、と呼ぶに相応しいその声は止む気配を見せない。