自己紹介はさておき、刹那の窮地を救うと言う目的をとりあえず果たしたさよには、現在進行形で一つの問題が起こっていた。
「それでですね、刹那さん」
「どうしたんです?」
それを解決するためにもさよは刹那に救いを求める。刹那もどうやらさよをある程度は信頼してもいいと判断したらしく、いぶかしみながらも疑問の声に応える。
「あのですね……」
「はぁ」
「――――どうやって戦えばいいんでしょう?」
「はぁ!?」
「だって私ずっと幽霊やってましたから、戦いなんてしたことないんですよぅ!?」
「幽霊!? え、えぇ!?」
「ど、どうしましょう刹那さ~ん!!」
さっきあれだけ豪快に登場しておいてそれですか!? と刹那の視線が雄弁に物語る。さよとしてもそれは当然の反応だとは思うのだが、さよとしてもそう言うしかないのだ。
先ほどの一撃は刹那を救う為に無我夢中になった結果できたことであり、いったん冷静になってしまうと、忘れ去っていた諸々、例えば戦いに対する恐怖心であったり、初めて踏み入れる戦場に対する緊張出会ったり、初陣であることを理解しての困惑だったりが、一斉に噴き出てしまうのだ。
だから本当に、どうやって戦えばいいのかわからない状況であり、さよにしてみれば泣きわめかないだけで精一杯なのだ。
「――――ふざけてるのか貴様アアアアアァッ!!」
そんな寸劇を眼前で見せられたせいだろうか、襲撃者の男があらんばかりの絶叫を上げる。
同時、雑多な戦意の波が周囲に侍る魑魅魍魎から溢れだす。統率など考えられていない、まさに烏合の衆だが、それでもその数は軽く百を超えている。どうやら先ほどさよが蹴散らした分など、即座に召喚しなおし、その穴を埋めていたようだった。
「いけませんっ、あなたは速く逃げてくださいっ!!」
「え、でもっ!!」
「私ならばもう大丈夫ですからっ」
その刹那の言葉を、さよは嘘だと断じた。刹那の体はそう言いながらも膝をつき、かろうじて野太刀を握りしめる手は震えている。きっとこれは助けてくれた自分を逃がすための、そう言う嘘だと判断して、さよは改めて刀を、薄刃陽炎を構え直す。
「な、なら、私だってもう大丈夫ですもんっ!!」
「あからさまな嘘言わないでくださいっ」
「あからさまなのは刹那さんでしょう!!」
そう言い合う間に、男の従える魍魎どもは既にさよの間近に迫ってきていた。既にさよにも逃走という選択肢はなくなり、戦って勝つしか――幽霊に言うにはおかしな話だが――生存は望めない。
――――そうだ、それでいい。臆せば死ぬぞ。
その時だ。さよの傍らで声が響いた。刹那でもなければ、視線の先にいる男でもない。それは、先程聞いた胸の奥からの声だった。
微かに視線を声の方に向ければ、そこには一人の女性がいた。身を包むのは闇夜の様な漆黒で染め上げられたドレス。靡く黒髪は腰元まで届き、その髪の下から覗く肌は新雪のように純白だった。
抱く印象は、白刃の様に冷たげでもあり、陽炎のように儚げでもあった。まるでそう、今さよが手に持つ刀の銘の様な―――
「え?」
刹那も男も、この女性の気付いたそぶりさえ見せない。つまりこれは自分だけに見えているとさよは判断する。
――――誰なのか、とでも言いたげだな。
それはそうだ。自分は何もわかっていない。胸の内から呼び出したこの刀――薄刃陽炎のことすらも、全くわかっていないのだから。
けれどさよの心は、この女性に対し不信感を抱いていなかった。見知らぬはずなのに、まるで長年連れ添ってきた相棒の様な、そんな不思議な既知感を感じるのだ。
――――お前が私を知らぬなど、あり得んよ。
そんな内心を察知したのか、刃の様に冷ややかな口調の中に、どこかさよを気遣う様な、そんな雰囲気が滲み出てくる。
――――何せ、先程“私の名前を言った”だろうに。
その言葉は、さよの疑問を解消するピース。
導き出された答えを読み上げるように、さよは薄刃陽炎を握る手に力を込める。きっと彼女は、それこそを求めているのだと確信を抱きながら。
――――ならば往け。恐れるな。勝利は常に一歩を踏み出した者こそが得る。
――――お前は既に、一歩踏み出しただろう。
その言葉に、今の今までさよの内に吹き荒れていた恐怖や緊張がかき消える。自分は守るために、戦うことを選択したのだ。ならば、恐怖如きに負けてはいけないだろう。
それを思えば、迫る敵の何と矮小なことか。一転して表出した戦意が漲り、溢れ出る力が木々を揺らす。
「大丈夫――――私は、やれるっ!!」
やけに遅く感じられるような魍魎どもの突撃に、さよは恐れることなく前進を選択した。
力の限り大地を踏みしめ、敵の群れを両断するように、刀を大きく振りかぶる。
描く剣閃はそう、常日頃から目に焼き付けた刹那の剣閃。透き通る刃に力を込めて、巨岩すら両断する威力を乗せて振るう一閃、それこそは、
「なっ!?」
「あれは……斬岩剣!?」
刀身に気を漲らせ、巌の如き妖怪の肉体すら両断する剣技、京都神鳴流・斬岩剣に他ならなかった。
響く轟音。魍魎の群れごと両断する剛剣が戦場を揺らす。
「まだ、まだあああぁっ!!」
それでもまだまだ残る敵の群れに対し、さよは続けざまに一撃二撃と振るっていく。振り下ろしでは効果が薄いと見るや、より多くを叩き斬る様に、横薙ぎに硝子の剛剣を振るっていく。
三日月の剣閃を描くそれは、敵を飲みこむ数を大幅に増していき、元より一体一体の実力に乏しい魍魎どもは、さよの攻撃に面白いように飲まれていく。
「舐めるな小娘がっ!!」
されどそれは男と言う指揮官がいない話でのこと。さよの攻勢からようやく平静を取り戻した男は、印を結び呪を唱え、烏合の群れであったそれを、一個の軍団へと変えていく。
「え? きゃぁっ!!」
小鬼達の振るう槍の切っ先が壁を作り、その隙間から投擲される小刀、放たれる弓矢や術が、さよに襲いかかる。
咄嗟に襲いかかってくるそれを薄刃陽炎で撃ち払い、どうにか直撃をかわすものの、攻撃されるという初めての体験に、さよの心に再び恐怖の欠片が浮かび上がる。
足は竦み、腕は縮こまり、
――――言っただろう、臆するなとっ!!
その檄と同時、握りしめる刃から伝わる意思がある。
――――私を使え!! 我が身は刃、ならば我が身を十全に使いこなすことこそが、今、お前がやるべき事だっ!!
迫る槍衾から逃れながら、さよは今、自分がやるべき事を認識する。
迫ってくる槍の切っ先は、正直に言えば怖い。飛んでくる矢や、炎や、飛びかかってくる敵の爪も、本当に怖い。それが間近を通り過ぎたり、掠ったりするのは、気を抜けば涙が出そうになるくらい怖い、けど、
(……陽炎さん。私、やれますよね)
――――ああ。
(あんなのなんて、お茶の子さいさいですよねっ)
――――無論だとも。
その肯定を胸にさよは大きく間合いを取ると、薄刃陽炎を一旦構え直した。
今からやるべきは、刹那の模倣ではなく、薄刃陽炎を“使う”こと。単に刃として用いるのではなく、己が魂の刃であるこれの力を正しく使うのだと、さよは自身に言い聞かせる。
使い方は、何となくだがわかる。文字通り自分の一部なのだから。
そう決意した瞬間、さよの体が“あやふや”になっていく。ピントのずれた写真のように、輪郭がぼやけ、まるで陽炎のように、さよの体に“ずれ”が生じていく。
「幻術……なのか?」
その男の言葉通りに、そこには二人のさよが現れる。
まるでアニメに出てくる忍者が使う様な、分身の術そのものだった。
「フンッ、それがどうしたっ!!」
それを所詮は小細工だと断じる男。質はさておき数の面では男が圧倒的に優位なのだから、分身を一つ出したところで全くの無意味だと思うのは当然だった。
「諸共に片付けろっ」
その判断の元に号令を駆け、魍魎の群れが一気呵成にさよへと攻撃を仕掛ける。さっきまで泡を食って回避に専念するしかなかったさよなど、これで打ち取れる。多少腕が立つようだったが、所詮は小娘なのだろうと嘲りを込めて。
そうしてまずは一体、前に進み出ていた一人目のさよに攻撃が届く。その体は槍衾に貫かれ、あっという間に蜂の巣になる。
「――――引っ掛かりましたね」
その時、さよがにやりと笑う。悪戯を仕掛けた子供の様に。
するとそのズタボロにされたさよの体は何事も無かったかのように、槍衾を無視して進みだす。見ればその体には傷一つ無く、今し方攻撃を喰らったことすら嘘ではないかと思わせた。
「フン、それがどうしたぁっ!!」
男はその光景を分身故と判断。その後方に位置する二人目のさよに対し、重ねて攻撃を指示する。
分身のさよが魍魎どもの群れを飛び越える様に跳躍し、後方のさよへと何の妨害もなく攻撃が届いた。
「――――またまた引っ掛かりましたね」
結果は、寸分たがわず先ほどの焼き直し。分身などであるわけがない筈の二人目のさよもまた、槍衾に貫かれた素振りさえ見せず、にやりと微笑んだ。
「馬鹿なっ、そっちも分身だとっ!?」
「違いますよ。今はこっちが本物ですっ!!」
その声は男の頭上から、分身だと捨て置いた筈の一人目のさよだ。
「――――!?」
男の顔が驚愕に染まる。
無論実態を持つ分身を作り出す術も世の中にはある。だがそう言うものは得てして先ほどのさよの様に脆い構造はしていない。男が一体目のさよを捨て置いたのも、“あの程度の攻撃”が易々通じるほど、脆い術式故だ。
だと言うのに、今は男の頭上で刃を振り上げるさよこそが本物だ。在りえない、道理が通じない。そんな思いが男の胸中を占め――――
「てぇりゃああああぁっ!!」
呆れるほど無防備に、さよの刃を返した――峰打ちの一撃を脳天に喰らって昏倒したのだった。
先程のさよは、まずは分身を前に出し攻撃させ、気を逸らさせ、その後に“分身と実態を入れ替えた”。故に男は本物だと思っている分身に攻撃をかけ、致命の隙を晒したのだ。
本物の自分と自在に入れ替えることのできる分身を作り出す、それこそが薄刃陽炎の能力であり、六十年もの長きにわたって、現実と幻想の間を彷徨い続けた、さよらしい力でもあった。
「峯打ちです。――――なんて、一度言ってみたかったんですよね」
――――全く、あまり調子付くな。
人生初ならぬ、“幽霊”生初の戦いを何とか勝利でおさめ、にこやかに胸を張るさよに対し、傍らに立つ陽炎は苦言を漏らす。
とはいえそれが耳に入っているのか怪しいほどに、さよは満面の笑みを浮かべ、刹那の元へと再び歩み寄る。
「大丈夫ですか? 刹那さん」
「はい、何とか自力で立てるぐらいには、体のほうも回復しましたので」
「そうですか~、よかったです」
「ええ、あなたのおかげです。“さよさん”」
最早さよに対し、疑心は無いのか刹那の口調は柔らかだ。
それに何より、刹那はたった今、こういったのだ――――さよさん、と。
それはこれまでずっと、孤独に耐え続けてきたさよにとっては、万金に勝る言葉だった。
「……ぐすっ」
「え、えぇっ!? 何で泣くんですかさよさんっ」
その響きが更にさよの眦に涙をあふれさせてしまう。名前を呼んでくれたことが本当に嬉しくて。
「ち、違いますっ……。これは、嬉し涙ですっ」
「嬉し涙?」
「はい……」
その涙を皮切りに、さよは刹那にこれまでの経緯を話し始める。六十年近く幽霊で過ごしてきたこと。刹那の鍛錬を見ることが唯一の楽しみだったこと、刹那の窮地に薄刃陽炎という不思議な力に目覚めたこと。それら全てを涙で滲んだ声で余すことなく刹那へ語っていく。
「……こんなところでしょうか」
「その、つらいことを話させてしまってすみません」
「いえいえ、今はそんなことないですから」
「そうなのですか?」
「ええ、だってこうして刹那さんとお話しできるんですから」
「……さよさん」
「ああっ、そんなに気にしなくていいですよ!」
これまでの身の上話に罪悪感を抱く刹那に、さよは努めて笑顔で語りかける。せっかくの、六十年ぶりの会話だ。決して一方通行ではない会話だ。できればこんな話は笑って聞き流してほしいと言うのがさよの本音だった。
「ですが……」
刹那にしてみれば助けられた上に、つらい話をさせてしまった負い目があるのだろうか。
なんだか生真面目過ぎる人ですねぇ、とさよは思い、同時に、ある一つの考えが浮かんだ。
「でしたら」
「な、なんでしょうか」
思えば、この状況は自分の最大の望みを叶えるチャンスではないだろうか。刹那の罪悪感につけ込む様な気がして少しばかり気が引けるさよだったが、できればこのチャンスを逃したくないと思うのも事実。
「――――でしたら、お友達になってくれませんか?」
一方通行から双方向の関係へと変えるための一言を、さよは今ここに、正しく全霊の思いで口にしたのだった。
<あとがき>
さよは影が薄くて儚げで、というイメージから斬魄刀の名前を決めたんですけど、なんだか気付けば能力が、某殺し愛夫婦の片割れの能力っぽくなってしまいました。薄刃“陽炎”って名前の所為で特に。