黒コートとの戦いから一日たった。
真澄がアルテミスを手に入れて、高貴たちに協力する事になったとは言っても、劇的に変わった毎日の他にもいつもと変わらない毎日も存在しているので、高貴も真澄も、当然エイルも普段どおりに学校に登校し授業を受けた。
真澄は特に変わった様子はなく、本当にいつも通りと言った感じだ。強いて言うのなら、元々中のよかったエイルとさらに仲がよくなったように見えるくらいのことだろう。その証拠に、いつもならば高貴と一緒に帰ろうとするエイルが、今日は真澄と二人だけで帰っていった。さらに何か二人ですることがあるといっていた。
とてもいい傾向だ。
本当にとてもいい傾向だ。
エイルのいない下校とはこんなに静かで心安らぐものだったという事を、高貴はしみじみと感じながら下校した。多少静か過ぎる気がしたが気のせいだろう、寂しいなんて思っていない。そもそも同年代ので同じ女の子の真澄と仲良くなるのは、エイルのことを考えてもとてもいい事だろう。正確には年齢不詳だが。
そんなこんなであっという間に寮についた。今日はこの後マイペースでバイトだが、少しゆっくりしてから行こうと思いドアに手をかけると、ドアの鍵が開いていることに気がつく。もしかしたらエイルが帰ってきているのかもしれないし、昨日のように真澄が遊びに来たのかもしれない。
昨日は結局真澄も高貴の部屋に来て、録画したビデオを見ながらの遅い夕食を全員で食べた。戦いによる疲れのものなのか、ソファーに座っていた二人が途中で眠ってしまい、さすがに真澄をとめるのはまずいと判断した高貴は、少し罪悪感を感じながら二人を起こして、真澄だけは帰らせたのだった。おかげでドラマは途中までしか見ていないため、部屋でそれを見ているのかもしれない。
玄関に入ると、やはり真澄の靴も存在している。やっぱり二人でドラマの続きを見ているのかもしれない。だったら邪魔をしないように静かに入ったほうがいいだろう。そんなことを考えながら高貴は居間の扉を開けた。
開けた瞬間、高貴は自分の目を疑った。
「ねえエイル、ほとんどの本が巨乳のジャンルになってるよ。やっぱり高貴がロリコンだって線は捨てたほうがいいかも。逆に年上のお姉さんとかが好きなんじゃないかな?」
「ふむ……こっちの本には様々な衣装を着た人たちが載っているぞ。これはいわゆるコスプレというやつではないのか? ほら、神に仕えるはずなのにいけないことばかり考えている私をお仕置きしてください、と言っている」
「うわぁ……シスターさんが……巫女さんが……うわぁ」
「こっちのほうには漫画があるぞ……ふむ、おっぱいとはこのようにして使うのか。しかし現実的に考えて、こんなにしっかりと挟めるのだろうか? 私のおっぱいでは……いや、相手にもよるのか? ふむ、……これは……」
「え、どれどれ? ……う、うーん漫画だからセーフ、いやアウト? エイルはどう思う?」
「ふむ、無理やりはよくないと思うよ」
唖然そして呆然。鳩が豆鉄砲を食ったような顔に高貴の顔が変形した。一体この二人はなにをしているのだろう?
いや、何をしているのかはわかっている。わかりきっている。わかりきっているからこそ一体この二人はなにをしているのかを理解したくないのだ。簡潔に言ってしまえば、ベットの上でヴァルキリーと幼馴染が本を読んでいる。
ただの本ではない、エロ本をだ。しかも高貴のエロ本をだ。
それはもう興味津々と言った様子で、より取り見取りに広げている。よほど集中しているのか、高貴が入ってきた事にもまったく気がついていない。なんだか少し前にも似たような事があったような気がしてきた。
ああ、むしろ豆鉄砲ではなくマシンガンでも食らった顔になれば、この光景を見ずに済んだのだろうか? いや、しかしそんな現実逃避をしても仕方がない。とりあえず高貴は二人に声を欠けることにした。
「おい、なにしてんだ?」
ビクッとベットの上の真澄の体が震えた。そのまま恐る恐る高貴のほうに視線を移す。いっぽうエイルは特に戸惑った様子もなく高貴のほうに視線を向けた。二人とも視線は本から離れたが、その手は本からまったく離れない。黙った高貴の代わりに口を開いたのはエイルだった。
「おかえり高貴、何をしているのかと聞かれれば、本を読んでいると答えるよ。見てわかるだろう?」
「……なんでその本……」
「あ、わたしが見つけたの。エッチな本の隠し場所がベットの下って定番過ぎるかなって思ったんだけど、本当にあったからビックリしちゃった」
「探してんじゃねーよ! なんで人の部屋のエロ本あさり勝手にしてんだよ!!」
「と言うより、君もこういう本を持っていたんだな。まったく気がつかなかった。てっきり女性には興味がなくて男性が好きなのかと思っていたよ」
「んなわけねーだろ!! テメーやクマに見つかると面倒だから今まで隠してたんだよ!!」
そう、高貴は今までベットの下にある本のことをひたすらに隠していたのだ。その手の話題を決して出さず、そういうものをもっているとまったく思わせず、最大の注意を払ってエイルと生活してきた。
「だったらさっさと燃やせばよかったじゃん」
「常に部屋にエイルかクマがいたから暇がなかったんだよ! つーか本当になんで人のエロ本見てんだよ!?」
声を荒げる高貴に対して、あくまで通常運転で二人は答え始める。
「まず、わたしも高貴とエイルの手伝いする事になったでしょ」
「ああ、つーかいつの間に呼び捨てにするようになったんだ?」
昨日まで真澄はエイルを呼び捨てにしていなかったにもかかわらず、今は普通に呼び捨てにしている。確か以前に、呼び捨てにしにくいとか言っていた気がするが、エイルの本質を知ってその考えがなくなったのかもしれない。
「ついさっきから。てゆーかそんなの気にしなくていいじゃん。ね、エイル」
「ああ、そうだな。話を戻すが、私達はこれから互いに助け合っていく仲間だと言う事だ」
「確かに」
「だから、高貴の性癖を知っておこうと思って」
「はい待ておかしいだろ!? どこをどうしたらそういう結論が出てくるんだよ!?」
「ふむ、真澄がベットの下を覗いたらこういう結論に……」
「やっぱテメーかこの野郎!!」
「その……えっと……つまり……あ、あんたが悪いのよ!!」
なんで逆ギレ? 何で俺が怒られてんの?
「だ、だいたいこんなにいやらしい本を持ってるなんて、ほんっとに男ってサイテー! しかもエイルがいつも寝てるベットの下に隠すなんてありえないっつーのこのド変態!」
「エイルが来てそうそうベットを占拠したんだよ!」
「ま、まぁ落ち着け二人とも。真澄、高貴も年頃の男性なのだから、こういう本を持っていても仕方がないし、むしろ正常な事じゃないか」
言い争う高貴と真澄をエイルが落ち着いて諭し始めた。その目は軽蔑でも羞恥でもなく、ひたすらに平常運転のエイルの目だ。
やめて。その「私はわかっているよ」見たいな目はマジでやめて。なんでそんな家族にエロ本見つかった見たいな感じになってんの? なんでそんな姉貴にエロ本見つかったみたいな感じになってんの? 俺一人っ子だからわかんねーけど。
「しかし高貴、私のおっぱいには常にブラックカードが挟まれているから、この本に載っているようなことは出来ないと思うのだが、その場合はどうすればいいのだろう?」
「黙っとけド天然!!」
「エイルは喋るの禁止!」
こいつわかってねー! わかったような目をして何一つわかってねー! 家族や姉貴は絶対にそんなこと言うはずがねーっつーかそんなこと聞くな!
エイルは二人に怒鳴られてふてくされたようにすねてしまう。ああ、本当に頭が痛い。真澄は本当に何をしにきたのだろう?
「つーか真澄さ、もしかしてエロ本あさりに来たのか?」
「そ、そんなわけないじゃん。最初はエイルと一緒にドラマを見ようと思ってたんだけど、クマさんからわたしがアルテミスを使う許可が取れたって連絡が来たの」
真澄がスマホを取り出して高貴に見せる。そこにはストラップの形に戻っているアルテミスが付けられていた。昨日の戦いのあと、真澄のスマホはクマが治してくれたようで、本人としてもかなり喜んでいる。
「それで何となくベットの下を漁ってたらこの本を見つけたわけ」
「だからそこにいたるまでの過程はどうなってんだよ。つーかなんとなくで人のベットの下を漁んないでくれ……」
「うるさい! こんなにエッチな本を……しかも巨乳ばっかり、そんなに巨乳が好きなの!?」
大好きです。とはもちろん声には出せなかった。
「だいたい高貴はいつもいつも俊樹と一緒に巨乳巨乳ってうるさいし、詩織さんの胸には見とれるし、エイルの胸にだって見とれてるし、《神器》のこととか隠してたし、エイルと同棲してるし、わたしのスタイルが貧乳だとか言って来るし……」
まずい、非常にまずい。何がスイッチになったのかはわからないが、真澄の機嫌が非常に悪くなっている。このままでは一週間ぐらいは毎日グチグチと言われ続ける日々を過ごさなくてはいけないかもしれない。そんな平穏じゃない日々はごめんだ、ここは手を売っておこう。
「わ、悪かったよ! お詫びにケーキでもおごるからさ」
「……わたし、ケーキで買収されるほど安い女じゃないの。そんなことで傷ついた乙女心は治んない。まぁせっかくだから奢ってもらうけど」
乙女心安っ。つーか普通に買収されてるし。
「……マイペースのいちごどっさりショートケーキを三個で許してあげる」
「さ、三個ですか?」
安いと思っていた女心の修理代は、思っていたよりも高かった。イチゴどっさりショートケーキとは、マイペースで一番高いケーキの事だ。名前の通りイチゴを沢山使ったケーキで、680円と高額だが人気は高い。今回は680円を三つで2040円。野口先生が二人もいなくなってしまうが、ここで真澄の機嫌は損ねたくはない。
なにより、真澄の嫌味は結構心に突き刺さるので、どうせ話すなら普通の会話を楽しみたいのだ。
「わかったよ、今度奢る」
「今日これからバイトでしょ、その時奢って貰うから。じゃあわたし制服から着替えたいしいったん帰るね」
そう言って真澄がベットから立ち上がる。ついさっきまでは不機嫌そうな表情だったにもかかわらず、真澄の表情はすでにやわらかいものとなっている。それほどまでにケーキが嬉しかったのだろうか。
「真澄」
部屋から出て行こうとする真澄の背中に声をかける。真澄はすぐに「なに?」と振り向いた。
「今更だけど、《神器》のこと本当によかったのか?」
「またその話? 今日休み時間も含めて何回も確認したでしょ。もう決めた事だから。わたしは高貴と違って自分で選んだんだから後悔なんて絶対にしないし。それにこれでやっと二人の隣に立てるんだから」
本当に、真澄の目にはまったく迷いがない。自分とは大違いだ。この幼馴染は自分で考えていた以上に精神的に強い人間だったらしい。それにやっと隣に立てるなどと言われたら、これ以上高貴は何も言う事ができない。
「わかったよ、これからよろしく」
「……ねぇ高貴、わたしを巻き込みたくなかったのは、わたしのこと心配してくれたから?」
「え? ……まぁ、そうだけど」
面と向かって聞かれるとさすがに恥ずかしくなってしまい、思わず顔をそらして高貴はそう言った。これはまたグチグチといわれるパターンだ。よけいなお世話だの、自分の身は自分で守れるだのいろいろと言われるに違いない。
しかし意外な事に、真澄は高貴に対して何も言ってこない。ただ少し顔を赤くして「ふ、ふーん」とおちつかなそうにしている。熱でもあるのかもしれないと心配した高貴が声をかけるよりもはやく、その幼馴染は、
「……ありがとうね」
そう言って、高貴に笑顔を見せた。
その時の真澄の顔は本当に嬉しそうで、そんな表情を真っ直ぐに向けられた高貴は、再び真澄から視線をそらしてしまう。
「お、おう」
「じゃあまた後で、バイト遅れないでよ」
最後にそう言って今度こそ真澄は部屋から出て行った。一体何があったのだろう? あんなに嬉しそうな真澄を見るのは久しぶりな気が……むしろ真澄にあそこまで真っ直ぐに感謝された事自体が久しぶりだ。自分も嬉しくなって思わず顔がにやけてしまう。
「ずいぶんと……君……嬉しそうじゃないか」
「うわあぁっ!!」
真澄の声とは違って、とてつもなく不機嫌そうな声が高貴の耳に入ってくる。忘れていた。この部屋にはもう一人いるということを高貴は完全に忘れていた。いまだにベットに座っていたエイルが不機嫌そうに高貴を見ている。
「喋るなというから黙っていたら、二人で私を無視してずいぶんと楽しそうだったな。というよりも君、真澄にはなんだかとても優しくないか?」
「べ、別にそんなことねーだろ」
高貴は立ったままだったのでソファーに座った。そんな高貴をエイルがいまだにジト目で見ている。
「そういえばクマから伝言を預かっている。ヒルドの事はもう心配ないそうだよ。きっとアルテミスが見つかってお仕置きも終わったんだろう」
デスペナルティ回避完了。本当に真澄様様だ。これで残る問題は一つだけ。
「エイル、真澄が協力してくれる事になったんだから、俺の部屋じゃなくて真澄の部屋に泊まったらどうだ? 真澄のとこなら引越しの手続きとかもいらないだろ」
「君、またそんなことを言っているのか」
「それに真澄とならエイルも寂しくないだろうし、やっぱりいろいろと問題はあるだろ?」
「ふむ、そうだな。君も人並みに興味のある人物だという事は理解したからね」
片手でエロ本を持ちヒラヒラとさせながら、エイルが高貴にそう言った。すぐさまその本を高貴はエイルの手からひったくる。やはり何度考えてもエイルと一緒というのは常識的に考えればいろいろとよくない。
エイルはベットの上でしばらく考えるような仕草をしていたが、やがてベットから降りると高貴の目の前にたった。と思ったら、ソファーに、つまりは高貴の隣に腰掛けた。このソファーは二人用なので、二人座っても大丈夫だが、高貴はエイルと一緒にこのソファーに座った事はない。自分の左隣にエイルがいる。肩と肩、膝や太ももなども触れ合っており、エイルの女の子特有の香りが鼻をくすぐる。
いきなりの事に高貴は石像のように硬くなってしまったが、それとは裏腹に柔らかい動きでエイルは高貴に顔を近づけた。
「高貴」
「は、はい!」
「私は……君と一緒がいいんだ。ダメか?」
それはまるで、子供が親に甘えるような、いや、恋人が甘えてくるような表情だった。上目使いで、何かを期待するような弱々しい顔。ヴァルキリーとしてではなく、一人の女の子としてのエイルが目の前にいる。これは反則だ。こんな顔をされてしまったら、
「……ダメじゃ……ない」
そうとしか言える訳がない。
「ありがとう。やはり君は優しいな」
あー、スゲーかわいい笑顔。俺ってこんなにチョロかったのか。
「ふむ、状況は違ったが、おねだりとはこうするのか。あの本の知識は役に立つな」
「え、なんか言った?」
「いや、なんでもない。それにしても君、そんなに私を追い出したかったのか? こうも何度も言われるとさすがにショックだよ」
「あー……怒ってる?」
「もちろんだ、私は怒っているぞ。やはり君は真澄には優しいが私にはあまり優しくないような気がするな。なんだか気分が悪い。君はもっとヴァルキリー心をよく学んだほうがいい」
「いやそんな心の存在しらねーし。まぁ悪かったよ。そうだ、エイルにもケーキおごるからさ」
「……私はケーキで買収されるほど安いヴァルキリーではない。しかしせっかくだから君の好意は受け取っておこう」
ヴァルキリー心安っ。つーか真澄といいエイルといいどんだけケーキ好きなんだよ。
「そうだな……確かモンブランとチーズケーキがあったな、あれを一つずつ」
「二つか……わかったよ」
モンブランは一個450円。チーズケーキは480円なので、あわせて930円の計算だ。乙女心の修理費よりはたいぶ安い。しかしそんな希望を打ち壊すように、ヴァルキリーは言葉を続けた。
「それを一週間分だ」
高貴の血の気がサッと引いた。一週間分と言う事は、930円の7日分という事で、6510円の計算になる。乙女心の修理費の約三倍。野口先生がらいちょう先生に花を渡して、世界遺産にデートに行ってしまうレベルだ。
しかし、奢ると言ってしまった以上はもはや後戻りはできない。何より期待に満ちたエイルの顔を見ると、絶対にダメだなんていえるはずもない。故に「わかったよ」と苦い表情で高貴は言うしかなかった。
財布がだいぶ寂しくなってしまうが仕方がない。どうやらヴァルキリー心とは、乙女心よりも高くつくらしい。
――――――ヒルド・スケグルの処刑中止(お仕置きは続行中の模様)
第二章終了