四之宮高校の図書室は、テスト前には沢山の人で溢れかえっている。その理由はもちろんテスト勉強をしていくためだ。家に帰ると誘惑が多いのはどの学生にとっても同じ事だし、教師にすぐに質問にいけるという利点もあるからだ。
高貴は図書室の図書当番をしながら、静音の借りを返させるという名目で勉強を見てもらっていた。今の時期に本を借りる生徒は多くなく、実質カウンターに座っているだけなので、テスト勉強はかなりはかどっている。
元々高貴は勉強が特別好きという訳ではないが、テスト前はしっかりと勉強するタイプだ。静音の教え方はわかりやすく、どんどん必要な事が頭の中に入っていくのを感じる。
「そこ、間違えてるわよ。その英文は客観的な意味だから、mustじゃなくてhove toよ」
「あ、ありがとう」
気のせいだった。
いや、気のせいではない。数学の公式などは、本当にわかりやすかったのだが、英語はどちらかと言えば苦手なほうなので、先ほどから何度もミスを指摘されている。
「スペルミスも目立っていたし、月館君の課題は英語かしらね。でも思って頼りは出来るみたいね。これなら今のままでも平均点以上は取れるんじゃないの?」
紙パックのジュースをストローで飲みながら、静音が高貴にそういった。
「そうかもな。でも目標点数は全教科95点以上だから」
「ふぅん、どうしてそんなに高い目標なのかしら?」
「それは……ほら、どうしてもやらなくちゃいけないときってあるだろ。だから本気になってみようかなと思ったんだ」
「そう、素敵ね」
詩織のおっぱいに触るためだとは言う事ができず、取り合えず適当にごまかして、再びノートに視線を落とす。それにしても本当に勉強がはかどる。家に帰ってしまえばヴァルキリーもいるだろうし、きっとこうはいかない。そういえば俊樹もいないが、いたらうるさいだろうから別に構わない。
そんな調子で集中していた時、不意に高貴のスマホが鳴りだした。今まで静かだった図書室に突然音が鳴ったため、近くにいる生徒の視線が高貴に集まる。
「月館君、図書室はマナーモードよ」
「ご、ごめん。」
スマホを取り出して確認すると、真澄からメールが来ているようだった。何かと思いそのメールを開く。
中二病発見。
すごく大変。
帰ってきて。
……何これ?
メールの本文はたった3行。絵文字も顔文字も使われていない。しかも内容が意味不明。
もしかして勉強の邪魔をしているのだろうか? 《神器》が見つかったとかならともかく、中二病なんてほっとけばいいのに。
「彼女からのメール?」
「いや、いたずらメール」
画面をタッチして返信のメールを作成。「勉強中だ」と一言だけ送信すると、高貴はスマホの電源を切って再びノートに視線を落とした。
忙しいのにイタズラなんてかまってらんねーし。
◇
「つまり、僕は前世では神々に不当に支配されていた人々を救い出す為に、その力を振るっていた漆黒の守護者です。神との《神への反逆》は《聖戦》と呼ばれ、数百年にわたって繰り広げられましたが、僕は一度神に敗北してしまい命を落としました。しかし僕の圧倒的な力に目を付けた神々は、僕に新たな肉体をあたえて転生させたのです。そして僕は一度闇に落ちて《影の道を歩む者》となったのです。神々は僕を使って人を滅ぼそうとしていましたが、予期せぬ事態が起こります。人々の声が僕の心の闇を打ち払って、僕は再び人の守護神となっただけではなく、漆黒の正義も手に入れることができました。漆黒の正義をその胸に、僕は相打ちという形ではありましたが、全ての神々を打ち倒す事に成功しました。それは神々や僕にとって《勝者も敗者も無き終幕》となりましたが、それでも人を救えたのだから僕は満足でした。ちなみに人々の救世主となり世界を救った僕の存在は歴史から抹消され、どの神話にも残っていません。僕の役目は終わったはずでした。しかし声が聞こえたんです。《災厄を招く影》のせいで傷つく人たちの声が、涙を流す人たちの声が。その救いを求める声に応えて、僕はこの世界のこの時代に《二度目の転生》をはたしました。そして今は《正義の武具》の導きによって、《災厄を招く影》から世界を守る為に戦っています。それがこの僕、たとえ神に逆らうことになろうとも、己の信じる漆黒の正義の貫く者。すなわち逆神正義です!」
「……わ、わー、そーなんだぁ。すごいね逆神君」
「何を言ってるんですか真澄さん! あなただって元々は僕と一緒に戦った《正義の守護者》の一員だったはずです。銀の弓である《正義の弓》を手に、神々と戦ったことをまだ思い出せませんか?」
「ふむ、そうなのか真澄?」
「そ、そんなの知らないよぉ……」
……は? 何コレ?
俺帰って来る部屋間違えたっけ? いやでもなんか見覚えのある部屋だし、見覚えのある奴らもいるし、見覚えのない奴が一人いるけど……誰こいつ?
リビングの扉を開けた瞬間に高貴の目に入ってきた光景は、興奮したように熱弁をふるっている見知らぬ少年と、それを困惑しながら聞いている幼馴染。その隣にヴァルキリーが一人と、ベットの上に寝転がって漫画を読んでいるヴァルキリーがもう一人。
「あ、高貴お帰り……(助けて!)」
「ただいま……(なにこいつ?)」
「あ、この子はね、逆神君って言うんだよ(中二病!)」
「はぁ……よろしく(捨てて来い)」
ほんとに中二病見つけたのかよ。つーかなんでつれてきた。知らない人はつれてきたらいけないって教わんなかったのか?
高貴と真澄は表面上では普通に会話しながら、アイコンタクトで本当の会話をしていた。まったく幼馴染様々である。
「それで、その逆神君がなんのようなんだ?」
「ふむ、それはだな、彼も《神器》の持ち主なんだよ」
「……え?」
《神器》の持ち主。エイルは確かにそう言った。途端に高貴は緊張で硬くなってしまう。今までの《神器》の持ち主は、真澄以外は初対面で戦いになってきていた。
目の前にいる少年は、四之宮中学の制服を着ているため、間違いなく自分よりも年下で、見た感じは危険そうには見えない。しかしそんなことは関係無しに、危険人物かもしれない。
「待って下さい! 僕は戦いに来たんじゃありません。ただあなた方に思い出してほしかっただけなんです」
「思い出すって、一体何をだよ?」
「それはもちろん―――《正義の守護者》としての使命です!」
この少年は一体何を言っているのだろう? がーでぃあんとはなんだ? ヴァルキリーの親戚か?
「あなた達は前世ではこの僕、漆黒の守護者とともに戦った《正義の守護者》の一員です。だからこそ《正義の武具》を使うことができるんです。見た感じではあなたも魔力を感じますから《正義の武具》を持っていますよね? それこそが僕達が前世で仲間であった証拠です。僕達はどんなに離れていても、正義の名の元に集まって悪を断罪する仲間なんです。すなわちジャスティス!」
「……ふーん」
間違いない。もはや疑う必要など微塵も存在しない。
こいつは間違いなく中二病だ
ヒルドはきっと逆神の相手をするのが嫌だから、ベットの上で本を読んでいるんだろう。それで仕方なく真澄が話を聞いていたということだ。
なんとやっかいな。初めてエイルにあった時以上のやっかいごとのにおい。以前自分をヴァルキリーだと言っているエイルに対して、高貴は中二病扱いしてしまったが、本物はそれとは比べ物にならないほどに本格的らしい。
目の前の少年のように。
とりあえず高貴も腰を下ろした。ヒルドはベット、ほか三人は床に座っていたため、ソファーに座るのはなんだか気がひけてしまい、テレビの前に腰を下ろした。
「それで、逆神君も《神器》を集めるのに協力してくれるのか?」
「ですからそんな名前じゃありません。ジャスティスです」
「……あのさエイル、お前が異世界から来たとか、《神器》も異世界から来たとか、そういうことは話したのか?」
「いや、まだ話していない。というよりも今までは正義の中二病の設定を延々と聞かされていただけなんだ」
「だから僕は中二病じゃありません! 中二病なんて自分にとって都合のいいありえない妄想を現実だと思い込んで、自分を特別だと思っている幼稚な人たちの事です!」
「逆神君って何歳?」
「中学二年生の14歳です」
まさにお前の事じゃねーか。
エイルのように声には出さなかったものの、高貴は心の中でそう逆神にツッコミを入れた。
しかし、これはたちが悪い。ただの中二病とはちがい、逆神は特別な力を持っているのだ。異世界からこの世界に来た《神器》という極めて特別なものを。
「とにかく、そっちの話は聞いたんだから、今度はこっちの話も聞いてくれ。エイル、ヴァルハラとか《神器》のことについて話してやってくれよ。俺は全員分のコーヒーでも淹れてくる」
「ああ、それは構わない。それでは正義、今度は私の話に付き合ってくれるか?」
「……わかりました。あなた達の持つ記憶の欠片と僕の記憶を照らし合わせることで、なにかわかるかもしれませんから」
……頭が痛い。
もしも彼が味方になるのだとしたら、付き合っていくのはかなり大変だろうななどと考えながら、高貴はコーヒーの準備を始めた。
それからしばらく、エイルの声だけが部屋の中に響いていた。エイルがこちらの世界にやってきてから、高貴に出会い、ヒルドと戦い、真澄に出会い、黒コートと戦った時のことなど、約2ヶ月あまりのことをなるべく詳しくエイルは話した。
「というわけで、私達は《神器》を回収する為に行動しているんだ。この世界には元々存在していなかったものを、この世界に残しておくわけにはいかないんだ。できれば君も協力してほしい」
「……なるほど、《正義の武具》にはそんな秘密があったんですか……確かに《正義の武具》は使い方しだいでは人を簡単に傷つけます。それはあの妖しく光る真紅を見ているとわかります。彼は《災厄を招く影》を使って、きっと世界制服でもたくらんでいるに違いありません」
「それはわからないが……君にもう少し聞いておきたいことがあるのだがいいだろうか?」
「はい、なんでも聞いてください」
「まず、君がその《神器》を手にしたのはだいたいいつごろだろうか?」
エイルの質問に、逆神はしばらく首を捻ってから答える。
「あれは確か……《始まりの日》の事でした。今年の4月2日ですね。その日に僕は初めてこの槍を手にしました」
「手にしたってどういうことだ?」
「なんといいいますか、いつの間にか僕の中に入っていた感じです。気がついたら自然に取り出せるようになっていたんです」
高貴がエイルに視線を向ける。おそらく逆神は、真澄のように《神器》に選ばれたという事なのだろう。それも対話などは必要なかったようだ。
「僕がこの槍、《正義の槍》手に入れてから、時々《災厄を招く影》に狙われるようになったんです。幸い僕が一人でいる時にくることが多くて、まだ一般人には見られていません」
「……ちなみにさぁ、その逆神君のもってる槍って、ほかに名前ねーのか? ジャスティスじゃなくてさ。ちなみに俺の持ってる《神器》は《光剣クラウ・ソラス》」
「わたしがもってるのは《星弓アルテミス》だよ。ヒルドのは《炎剣レーヴァテイン》だったよね」
「……そうよ」
ベットに寝転がったままヒルドが嫌そうに返事をした。
「私は《神器》をもってはいない。あの黒コートの男がもっていた《神器》は、おそらくダインスレイヴという名前だと思うよ」
「……ある事にはあります。しかしその名前は、真の力を発揮する鍵ともなるので、普段は封印しているんです」
「そ、そうなのか」
まためんどくさい設定があるようだ。これは簡単に教えてもらえそうにはない。
「ですが皆さんになら教えても大丈夫でしょう。僕の《正義の槍》の真の名前は《銃槍ゲイ・ボルグ》といいます」
と思ったら案外あっさりと教えてくれた。封印しなくていいのかと心の中で全員がツッコミをいれる。
しかしちゃんとした名前があったようだ。ジャスティス何たらよりも呼びやすい。
「僕の前世は、実はあの英雄であるクー・フーリンだったんです。だからこそゲイ・ボルグは僕の前に姿を現してくれたんだと思います」
「くー……エイル、知ってる?」
「ふむ、ケルトの神と人間のハーフだな。確かに槍を使っていたという記録は残っているが、それが正義の持つゲイ・ボルグだったという事か」
「前世だったのに、その人生きてるのか?」
「普通に生きてるわよ。ちなみにこの前不倫が発覚してさされた挙句、裁判に負けて慰謝料たんまり払ったらしいわ」
ベットの上のヒルドが会話に入ってきた。
「フーリン……不倫か?」
「不倫する英雄かぁ……やだなぁ」
「ふむ、正義はその生まれ変わりなのか?」
じろっと高貴たち三人に視線が逆神に集まった。逆神はばつが悪そうに視線をそらすと、話をそらすように「と、とにかく!」と叫ぶ。
「僕達は正義の名の元に《災厄を招く影》を倒すべきなんです! 人々の涙をこれ以上増やさない為に!」
「ふむ、先ほども言ったが、ベルセルクは魔力の低い人間に興味を示さない。つまり放っておいても一般人は傷つく事はないぞ」
「し、しかし! 妖しく光る真紅はなにを考えているのかわかりません! この町に出現する全ての《災厄を招く影》は、彼が生み出しているのかもしれないからです!」
「う~ん……まぁあの黒コートは危険だよね。正直あんなのが四之宮にいるなんて安心できないかな」
「はい! だからこそ僕達は手を取り合うべきなんです!」
「いや、だからさっきからそう言ってんだろ。俺達は逆神に協力してほしいって言ってるんだけど」
「…………」
沈黙。
しばらく沈黙が続いた。そんな気まずい沈黙を打ち破ったのは―――
「あのさー、そんなにめんどくさい事考えなくてもいいでしょ」
不意に、リビングの入り口の扉が開いた。部屋にいる全員の視線がそちらにいく。そこにいたのは―――
「ね、猫?」
「猫だな」
「猫だよな」
「猫ですね」
「猫ね」
一匹の茶色い猫。猫はとことこと歩いてきて、テーブルの上にぴょんと飛び乗る。
完全に見た事もない猫だ。というよりも今、この猫は喋ったのだろうか?
「はぁい、みんな元気だったかしら? みんなの大好きお姉さんよ」
聞き覚えのある声。最近ほぼ毎日聞いていたその声。姿かたちはまったく違うものの、身にまとっている空気などはまさにそっくり。高貴が恐る恐る口を開いた。
「も、もしかして……クマ?」
「違うわ人間君、今のお姉さんはネコよ」
ポカンとする5人をよそに、クマは―――いやネコは二本足で立ち上がって、得意げに胸を張った
「お姉さん、クマからネコにジョブチェンジしちゃったわ」