「クラウ・ソラス!」
突進してくる菜月を前に、反射的に高貴はクラウ・ソラスを取り出した。目の前の相手の正体はまったくわからないが、このままでは確実に殺されてしまうという事を理解したからだ。
右手に光が集まり、一瞬でクラウ・ソラスの柄が現れる。それに魔力を流し込み、光の刃を展開させた。
「おらあっ!!」
極めて男らしい叫びとともに、菜月の右手に握られている刀が高貴を襲う。刀を光の刃で防御すると、鈍い金属音のようなものがあたりに響いた。
「このっ! いったいなんなんだよテメーは! 俺の《神器》がほしいのか!」
ギリギリとせめぎあいながら高貴が菜月に言葉を投げかける。
「テメーの《神器》なんざいるか! あたしがほしいのはテメーの命だけだっつーの!」
「《神器》を知ってんのか? 音無から聞いたのかよ?」
「気安くお嬢様の名前を呼んでんじゃねーよこの性犯罪者がぁ!」
刀に力がこめられた。押し――返せない。そのまま押し切られて、高貴はバックステップで距離をとる。
「はあああっ!!」
菜月の勢いは止まらない。刀は連続で高貴を襲ってくる。
ふと、妙な違和感が高貴を襲った。目の前のメイドが振るっている刀。この刀からは魔力をほとんど感じない。これは本当に《神器》なのかと疑問に思うほどだ。
もしもこの刀がただの刀ならば、
「ブッ壊しても、問題ねーな!」
クラウ・ソラスがその輝きを増していく。光の刀身は力強さをまして、高貴が初めて攻撃に転じた。
菜月の体ではなく刀だけをねらって横一閃。その一撃を菜月は高貴の目論見どおり刀で受け止めた。
しかし、受け止めきれない。ばきぃ! と鈍い音が響いて、菜月の持っていた刀が真っ二つに折れる。その事実に初めて菜月の顔に驚きが浮ぶ。
「ちっ、腐っても《神器》ってことかよ。だがなぁ」
半分に折れた刀を、菜月はなんのためらいもなく地面に投げ捨てた。そして再びスカートに手をつっこむと、なんと新しい刀を取り出したのだ。それを構えて、菜月は再び高貴に襲い掛かる。
「テメ、なんつーところになんつー物隠し持ってんだよ!」
「乙女のスカートにはなぁ、|凶器《ひみつ》がいっぱい詰まってんだよ!」
「誰が乙女だ! ヤンキーそのものじゃねーか!」
「んだとテメェ! 清楚なメイド服に身を包んだ純情可憐なこのあたしの、どこがヤンキーに見えるってんだよ! 言って見ろやこのシャバ蔵がぁ!」
全部だよ!
その言葉は口にせずに、高貴は再び防御に専念した。目の前のヤンキーメイドは、どういう考えかは知らないが《神器》を使っていない。ならばむやみに攻め込むのは危険だと判断したからだ。ここは反撃の機会を待つのが得策。
しかし、菜月は当然攻める手を休めない。刀を持っていないほうの指に、緑の光が灯りだす。
「《ᚺ》、《ᛒ》、バインドルーン・デュオ!」
菜月の左手がすばやく動き、空中に二つのルーンが描かれる。
「バ、バインドルーン!?」
思わず高貴は唖然としてしまった。今まで《神器》の持ち主には何人か会ってきたが、誰一人としてバインドルーンを使っていなかったからだ。使っていたのはヴァルキリーであるエイルとヒルドのみ、つまり目の前のヤンキーメイドは、あの二人と同じくらいルーンを使いこなせるのかもしれない。
二つの文字が一つに溶け合い、菜月の持つ刀に集まっていく。しかし、一瞬だけ刀が緑色の光に包まれたかと思えば、その光はすぐに弾けて消えてしまった。
まさか失敗したのか?
「行くぜコラァ! 《|武血斬り》!!」
そんな高貴の考えを、一閃の元に斬り裂くかのごとく、菜月が刀を振る。水平に振るわれたその刃から、風の真空波が放たれた。
《ᚺ》は風のルーン。エイルの《雷光の槍》と同じように、自分の武器に風を与えたに違いない。
回避を不可能と瞬時に判断した高貴は、クラウ・ソラスで真空波をかき消した。しかし、かき消したそばから菜月がまたもや接近してくる。
もう一度刀を折る!
クラウ・ソラスで刀を受け止める。しかし、今度は刀は折れることはなく、最初と同じように互角に切り結んでいる。
「オラオラオラァ! お嬢様に死んでわびろやああああっ」
「だから、あんたは音無の知り合いなのかよ!? 後あれをやったのは俺じゃねーっつーの!」
「いいからとっととくたばれえっ!!」
話は完全に通じない。二つだけわかっていることは、菜月は静音の知り合いだと言うことと、このままでは間違いなく殺されると言う事だ。
「このっ! 仕方ねーな!」
こうなったら多少は痛い目を見てもらうしかない。クラウ・ソラスの刀身にさらに魔力をこめる。
幸いクラウ・ソラスは、相手を殺すことなくダメージのみを与えることができるのだ。刀をもう一度折った後、一撃を叩き込んで動けなくするしかない。
相手へは女性で、多少心が痛むが――
「死ねやこの性犯罪者ぁ!!」
訂正、こいつをぶっ飛ばすのに心なんて痛まねー。
「上等だこのヤンキー!」
クラウ・ソラスと刀が激しく衝突した。そのまま二つの刃がギリギリと拮抗しあう。
いかにルーンで強化されているとはいえ、やはり《神器》であるクラウ・ソラスのほうが威力が高いのか、菜月の持つ刀に徐々にヒビが入っていく。
いける。このまま刀を折って、そのままもう一撃――
「《ᚱ》!」
しかし、再び菜月がルーンを刻んだ。刀を持っていない左手で描かれた《ᚱ》。それと同時に、菜月の右手にあった刀が砕け散った。
その事実に驚愕したのは、菜月ではなく高貴だった。武器を失った菜月は下がって距離をとろうとせずに、なんとそのまま前進してきたのだ。
そして、左手で高貴の顔をつかむ。視界が遮られ、
「特攻だぁっ!!」
その叫びとともに、高貴の足が地面から離れた。《ᚱ》は跳躍力を高めるルーン。かつてエイルが使ったように、菜月はそれを使って高貴をつかんで跳んだのだ。
ただし上にではなく横に跳んだ。さながら車にでも乗っているかのような高速移動。視界が遮られているのでよく見えないが、背中に凄まじい風圧を感じる。
がしゃあああっ!! と轟音が耳に入り、同時にとんでもない衝撃が高貴の体を襲う。菜月が真っ直ぐ横に飛んだため、屋上のフェンスに叩きつけられたのだ。
「がっ!!」
あまりの痛みにうめき声がもれる。ふさがれている視界。菜月の指と指の間から、僅かに光が見えてくる。その光のむこうで、菜月が右手にナイフを持ち、自分に向かって振り上げているのがはっきりと見えた。
「死ね!」
やばい!
高貴は反射的に距離をとろうとして、膝を菜月の腹部に入れた。それでも菜月が離れる事はなかったが、自分を押さえつけている左手が僅かに緩む。その一瞬の隙に、高貴は菜月の左手をはずして、顔を横にずらした。
0コンマ1秒ほど遅れたタイミングで、菜月が高貴の顔のあった位置にナイフを振り下ろす。いやな金属音が高貴の耳に入ってきたが、無傷ですんで何よりと考える事にした。
菜月はもう一度ナイフを振り落ろそうとしたが、フェンスに引っかかってナイフを抜くのが遅れてしまう。その隙も見逃さずに、高貴は今度こそ菜月を振り払ってフェンスのそばから脱出した。
「はぁ……はぁ……あ、あぶねー」
何よりも驚いたのは、なんの躊躇もなく菜月がナイフを振り下ろした事だ。このヤンキーは、自分を殺す事に本当にためらいはないらしい。
「この……しぶてー野郎だな!」
菜月が再びスカートの中に手を入れる。取り出したのは刀ではなく、高貴を刺そうとした様なナイフだ。しかも一本ではなく、指と指の間に挟むように持ち、両手合わせて八本のナイフを取り出した。
「げっ……」
「穴だらけになりやがれっ!」
菜月が高貴目掛けてナイフを投げてくる。まるで時代劇にでてくる忍者が、手裏剣やクナイを放つかのようだった。
「《ᛇ》!」
今度は高貴がルーンを刻んだ。白い軌跡で描かれた文字が、高貴の眼前に光の障壁を作り出す。ただのナイフが魔術で作られた障壁を破れるはずもなく、八本のナイフは全て乾いた音を立てて地面に落ちた。
「テメー! 何お嬢様のパクリみてーなことしてんだ!」
「知るかよ。つーか音無のあれは俺のとは比べ物にならねーっての」
「完全に切れたぜ! コマギレにして魚の餌にしてやらぁっ!」
菜月が刀を二本取り出し両手に構える。高貴に向けて地面を蹴ろうとした瞬間――
「来い、契約の槍!」
凛とした声が響き、フェンスを飛び越えて屋上に人影が入ってきた。銀の長い髪をたなびかせ、身の丈以上の槍を持った少女。エイルが突然乱入してきたのだ。
菜月もエイルの存在に気が付く。エイルが自分に向かってランスを振り下ろそうとしている事を把握すると、菜月は即座にその場から退いた。エイルのランスは空を切り、菜月を警戒しながら高貴に近づいていく。
「エイル、来てくれたのか」
「ふむ、告白がどうなったのかが気にな……ま、魔力を感じたから戻ってきたんだ」
「いやそれは助かったけど、フェンス飛び越えてくるなよ。ここ屋上だぞ。」
部活動で残っている生徒はまだ沢山いるだろうから、誰にも見られていなければいいのだが。
「あいつが俺を呼び出したんだ。多分《神器》を持ってる」
「……それで、告白はされたのか?」
なぜ、《神器》を気にしないのか?
「いや、告白って言うか、殺人予告っていうか。殺すって言われた」
「そ、そうか。殺人予告か。それは良かったよ」
「よくねーだろ!」
「い、いや違う。君に死んでほしいとかではなくてだな……」
「あたしの目の前でいちゃついてんじゃねー!」
いきなり現れたくせに自分を無視し続けるエイルに苛立ったのか、菜月が声を荒げる。
「誰だテメーは? いきなり現れてあたしの邪魔するんじゃねーよ」
「ふむ、お前はどうして高貴の命をねらう?」
「決まってんだろうが……愛のためだ!」
エイルの問いに、菜月は迷うことなく、そして迷いのない目ではっきりと答えた。思わず高貴とエイルはポカンとしてしまう。
「ふむ、ヤンデレというやつか?」
「……違うと思う」
おそらくだが、静音を拉致した高貴を許すことができず、そのけじめをとらせるために殺すと言った所だろう。しかし、静音を拉致したのは高貴ではないのだが、言ってもわかってもらえそうにない。
というよりも、もはや説明もできない。エイルは三日前の出来事を知らない。弁明をすれば、間違いなくエイルに三日前のことがばれてしまい、下手をすればエイルが敵になる。
「静音お嬢様の恨み、しっかりと晴らしてやらぁっ!」
「静音の? どういう意味だ?」
あ、やばい。
「しらばっくれんな! そこの男は三日前にお嬢様を拉致監禁して、お嬢様を無理矢理犯そうとしやがったんだぞ!」
「…………なに?」
うわー、俺死んだ
エイルの耳にそんなこと入れちまったら、マジギレするにきまってんだろ。ヤンキーだけでもしんどかったのに、さらに相手が増えるんじゃもう無理だ。 覚悟を決めた高貴が、おそるおそるエイルを見ると――
「それは何かの間違いだ」
迷いのない瞳で菜月にそう言うエイルの姿があった。
それがあまりにも予想外だったもので思わず高貴はポカンとしてしまう。
「そもそも高貴は平穏で平凡な人生を過ごしたがっている人間だ。そんな彼が拉致監禁などという犯罪を犯すわけがない。」
「ふ、ふざけんな! 実際お嬢様は拉致されたんだよ!」
「ふむ……ならそれはきっとヒルドかネコがやったのだろう。とにかく、彼はそんなことをする人間ではない。そうだな高貴?」
「……あ、うん。ヒルドとネコが睡眠薬で音無を拉致って、俺は縛られてたあいつをほどこうとしたんだ」
「だそうだ。この通り高貴は無実で、むしろ静音を助けようとしていたらしい。にもかかわらず彼を恨むのはどうかと思うが?」
自信満々で語るエイルに対して、一番驚いていたのは高貴だ。まさかここまで信頼されているとは思っていなかったからだ。二対一でどうやって生き残ろうかなどと考えていた自分が恥ずかしい。
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
菜月はやはり納得がいかなさそうに歯痒い表情をしている。彼女にとって静音はかなり大切な存在である事ははっきりしている為、エイルのいうことを信じることが出来ず、また信じられたとしても怒りが収まらないのだろう。
静音が拉致されたということは変わりない事実なのだから。
「だあああああああっ!! やっぱりテメーらはぶっ飛ばす! そのほうがわかりやすい!」
吹っ切れたように菜月がその場で刀を振り回す。それはまるで子供がダダをこねているようでもあり、思わず高貴とエイルは肩の力が抜けてしまった。
しかしすぐに明確な敵意を飛ばしてきたので、慌てて気持ちを切り替える。
「とりあえず動きを止めよう。いろいろと聞くこともあるしな」
「わかった。二対一ならば問題ないだろう。ただし気を抜くな」
「死んでお嬢様にわびやがれええっ!!」
菜月が地面を蹴る。しかし、高貴とエイルの意識は、菜月の背後に向けられた。先ほどのエイルと同じように、フェンスの影から少女が飛び出してきたからだ。
その少女はフェンスを越えると、凄まじいスピードで高貴たちの元に突進していく。しかしそれは攻撃ではなく、むしろ高貴とエイルを守るように、菜月を正面に見据えて立ちふさがった。
「なっ!」
その人物に気が付いた菜月が度肝を抜かれた表情になって慌てて立ち止ろうとする。しかし勢いに乗っていたため、止まる事などできず、そのまま衝突――
「《天輪の守護障壁》――《平面》」
しなかった。
少女が右手を伸ばした瞬間に、目の前に緑の障壁が出現する。菜月は少女の替わりにその障壁に顔面から勢いよく激突してしまった。
「ぎゃん!!」
うめき声を上げて、まるでコメディ漫画のように衝突した菜月は、そのまま地面に倒れてしまう。しかしすぐに起き上がると、目の前の少女、音無静音の正面に立った。
「お、おおお、お嬢様! どうしてここに!?」
「……それはこっちの台詞よ。いったい白峰さんはなにをしてるの?」
「いえ、それは、その……なんといいますかぁ……えっと……」
菜月はおどおどしている。高貴と戦っていたヤンキーのような態度ではなく、最初に見た時のような態度だ。しかも声まで違っている。
「お、お嬢様に無礼を働いた方に、少し話があったものでして、少しお話をしておりました」
「……そう、人と話すのに刀は必要かしら?」
「こ、これはぁ……ファッションといいますか、おしゃれみたいなものです。これで斬りかかったりなんてしてません」
「………………」
「本当ですってば。少しお話しただけなんです。えと……その……あの……すいませんでした!」
いきなり菜月が土下座した。それはもうすがすがしいまでの完璧な土下座だ。先ほどまでの態度はどこに行ったのかと思うくらいの低姿勢で、額をぐりぐりと擦り付けている。
「音無……すげーな」
「ふむ、この人は静音のメイドさんなのか?」
エイルの問いに、静音は少し嫌な顔になって口を開いた。
「一応ね。白峰菜月さんよ。ご迷惑をかけたみたいだから謝るわ」
「いや、そんな……助けてくれてありがとう。でもお前もエイルも何でフェンスを飛び越えてくるんだよ」
「近かったからよ」
そうっすか……
まぁ、静音が現れなかったら、間違いなく闘いは続いていた。菜月を止めてくれただけでもかなり感謝するべき所だろう。
しかし、静音がいったい何をしにここにきたのかはわからない。菜月を止める為なのか、もしくは他に理由があるのか。
どうするべきかと高貴が悩んでいると、エイルが静音に向かって話しかけた。
「静音、君の持つ《神器》について話があるのだが、今から時間をもらえるだろうか?」
あくまで友好的に話しかけるエイルに対し、静音はエイルに冷たい視線を送ってきた。それはまるで、エイルを軽蔑するかのような視線だ。静音がこんなに直接的に感情を表現するのは珍しいため、思わず高貴とエイルはたじろいでしまう。
「……わかったわ。ちょうど私もあなたたちに話があったところだもの」
「話ってなんの?」
高貴の問いに静音が答える前に、ポケットの中から着信音が鳴り響く。自分のスマホに誰かから電話がかかってきたようだ。
「ふむ、でたほうがいいのではないか?」
「ああ、ちょっとごめん」
高貴は後ろを向くと、ポケットからスマホを取り出す。誰からだろうと思い画面を見てみると、画面には非通知と表示されていて、誰から掛かって来たのかわからない。
いたずらかと思ったが、もしかするとネコかヒルドあたりが携帯を買ったのかもしれないと考え、高貴は画面をタッチした。
「もしもし」
「ああ、よかった。出てくれた。まぁ出てくれなくても大丈夫だったんだがね」
スマホから聞こえてきた声は男性のものだ。おそらく年齢はかなり年上だろう。穏やかで、安心感を与えてくるような声だ。
「月館高貴君……で、間違いないかな?」
しかし、自分の名前を言い当てられた瞬間に、一気に警戒のレベルが最大になる。
「……あんた誰ですか?」
思わず低い声になってしまったが、それは仕方のないことだろう。電話の主は先ほどとまったく変わらない調子で、あくまで穏やかに言葉を発した。
「《神器》について知っている者だよ」
「…………はぁ?」
今、この男性はなんと言っただろう? 自分の耳に異常がなければ、《神器》を知っていると言ってきた。
……え、マジで?
あまりにも予想外の事に言葉を失っている高貴に対して、やはり男性は穏やかな声でさらに言葉を続ける。
「今から会って話がしたい」
どうやら今日は驚きの連続らしい。