「……はい?」
今この男はなんと言っただろうか? 静音の《神器》を回収しろ?
「私はこう考えるんだ。この世界に元々あったものではないのなら、一刻も早くもとの世界に返すべきだとね。それに魔法なんて危ない力は、子供が持つには危険すぎる。いや、大人だって危険だ。このままでは静音は、間違った方向に行ってしまうのではないかと不安なんだよ」
「……確かにあなたの言うとおりだ。この世界には魔術は存在しなかった。だからこそ、《神器》はあってはならない」
「しかし私にはどうしようも出来ないんだ。私は魔法が使えないからね。それに静音も、やはり魔法というものがものめずらしいのか、その《神器》を手放そうとしないんだよ」
「ふむ、なるほど……そういうことだったのか」
「……ずいぶんと、娘さん思いなんですね」
高貴の言葉に、巌は当然と言わんばかりに胸を張る。
「自分の子供が道を踏み外しそうになった時、親はそれを正してやるものだろう? 今がまさにそのときだと思っているんだ。子供を大切に思わない親なんていないからね」
「親の……役目……」
高貴の様子が、その一言で明らかに変わった。エイルもそれに気がついたが今は《神器》を優先させる為に頭を切り替える。
「静音、巌さんの言うとおりだ。《神器》などに頼っていたらいけない。それを渡してくれ」
「…………嫌だといったら?」
「少々手荒な事になる。しかしそれは巌さんも望んでいる事ではないだろう?」
エイルの問いかけに、巌の表情が険しくなる。腕を組んで、しばらく考えをめぐらせた後に、
「それはもちろんだが……私はどうしても《神器》が静音のためになるとは思えないんだ。それしか方法がないというのなら……いや、もちろん怪我はさせないでほしいが……」
「努力しよう。私はヴァルキリーだ。静音、戦いになる前に、そして巌さんにこれ以上心配をかけさせないためにも、《神器》を渡してくれないだろうか?」
「…………」
静音は何も答えない。
高貴も黙って静音を見ていた。静音の様子がどことなくおかしく見えたからだ。それはまるで、何かに怯えているような……
「静音」
巌が、静かに静音の名前を呼ぶ。静音が顔を上げて、二人の目と目が真っ直ぐにあう。
「聞き分けなさい」
そのたった一言で、静音は……
「……はい」
とうとう、《神器》を渡す事を了承した。
エイルがホッと一息を着く。戦わずにすんだ事がなにより嬉しく思えたからだ。
「そうか、それは助かる」
「本当によかった。これで娘の道を正す事ができるよ……ところで話は変わるが、静音は今四之宮から出られないというのは本当だろうか?」
巌がエイルに問いかける。その時、目の色が少しだけ変わったことを高貴は見逃さなかった。
「ふむ、今この四之宮には、《神器》の持ち主が外に出られないように結界を張っている。《神器》の持ち主だったら気がつくものだが、一般人は気がつかないので、わからなくても無理は無い。しかし《神器》を手放せば問題なく出られるようになる」
「そうか、それは良かった。いくらなんでもこれから先四之宮から出られないようでは不便だろうからね。その結界というものは、私たちのようなただの人間には害がないというのなら安心だ」
巌がホッとしたように息をついた。すると今度は高貴が口を開く。
「……そういえば、あのメイドのお姉さんは《神器》を持ってるんですか? 魔術を使ってたみたいですけど」
「ふむ、そういえばそうだったな。どうなのだろう?」
「いや……彼女は《神器》を持っていない。それでも魔法が使える理由は……君たちなら心当たりがあるのではないかな?」
「心当たり……」
高貴が首を傾げる。《神器》以外で魔術を使えるようになる方法など心当たりはない。
いや、あった。むしろ自分は知っているはずだ。
「ふむ、契約の印か」
高貴がその言葉を口にするよりも速く、エイルの口からその言葉が出てくる。巌は正解だとでも言うかのように頷いた。
「私も聞いた話なのだが、静音がやってしまったらしいんだよ。つい出来心だったらしいがね。今は反省もしているようだ」
「あー……ほら、俺も勢いでやられちゃいましたし。まぁあの時はああするしか無かったですけど」
「……そのことはすまないと思っているよ。しかし都合のいいときもあるだろう」
「いやまぁ、そうだけどさ……」
戦いの時に便利だったりするときも確かにある。しかし意外だ。静音は出来心でそんなことをするような人物とは思えない。
「さぁ、とにかく静音の《神器》を回収してくれ。静音、渡しなさい」
「……アイギス」
静音が《神器》の名前を呼ぶと、その右手に黄金の指輪がはめられた。それは間違いなく《天輪アイギス》であり、四之宮に散らばった《神器》の一つだ。
静音がアイギスをゆっくりと指からはずすと、アイギスをテーブルの上に置いた。
「さぁ、持って行ってくれ。本来あるべき世界にね」
「感謝する。おかげで穏便に事を運ぶ事ができた」
巌が笑顔でエイルに向かってそう言うと、エイルは快くそれを了承して、アイギスに手を伸ばした。
しかし、その伸ばした手は、アイギスに触れることなく空中で止まった。
「……高貴?」
エイルの伸ばした右手を、高貴の右手がつかんで止めたからだ。その右手には結構な力がこめられており、エイルは手を動かす事ができない。
エイルが、巌が、そして静音までもが、高貴のこの行動の意味を理解できずに、ただただ呆然としている。
「高貴、いったい何をしている?」
「……いや、その……なんていうか……」
高貴の態度もはっきりしない。自分でもどうしてこんなことをしたのかはっきりしていない様子だ。
「その……い、今は……まだいいだろ」
「……なに?」
「だから! 《神器》は返してくれるって言ってるんだから、何も今すぐに返してもらわなくてもいいだろって事だよ。ほら、もう少し音無に持っててもらってもいいだろ」
「君は何を言っている? なぜ後回しにする必要がある?」
「確かに、後回しにする必要などないよ」
エイルの意見に賛成したのは、少し難しい表情になった巌だ。
「私としては心変わりをしないうちに、回収してほしいと思っている。下手に後回しにすると、未練が残って戦いになるかもしれない。そうなれば危ないのは静音だけではなく、君達も同じだろう」
「ふむ、その通りだ。高貴、私も巌さんと同じで、今回収させてもらったほうがいいと思うよ」
ああ、そうだろうさ。今アイギスを貰っておかないと、俺は絶対に後悔する。その確信ははっきりとある。だけど、自分でもよくわからないけど、今音無から《神器》を貰ったらダメだ。
こいつの、さっきの眼を信じられない。音無に聞き分けろといったあの目は……あの目は、大人が子供に恐怖を与える時の目だ。
「月館君……どうして?」
「……と、とにかくそういうことだから」
そして不審な点がもう一つ。静音が《神器》を手放さなかった理由だ。完全に高貴の勘にすぎないが、静音が《神器》を持っている理由は、ものめずらしいからという理由では決してない。もっと他になにか理由がある
だからこそ、彼女はアイギスを手放したくないのだ。
「高貴! わけのわからないことをいうな!」
「……だあああっ! とにかく今日のところは帰ります! お茶ご馳走様でした! 帰るぞエイル!」
「ちょ、こ、高貴!」
「……エルルーンさんに、逆らった?」
高貴がエイルの手を握って立ち上がる、すぐさま走りだそうとしたその時――
「おじょーーーさまあぁぁーーーーっ!」
突然両手に刀をもった菜月が、社長室の扉を開いて中に入ってきた。その目は血走っており、完全に頭に血が上っているのがわかる。
「お嬢様はあたしが守る! お嬢様の《神器》は絶対にわたさねーぞ! 持っていきたいならあたしを倒してみろやあっ!!」
「いや、別にいらない。もう帰るからどいてくれ」
「…………へ?」
が、しかし。高貴の一言であっさりと動きが止まり、
「それじゃあ失礼しました!」
「ま、待て高貴! 引っ張るな!」
颯爽と走り出す高貴とエイルを、三人はぽかんとした表情で見送ったのだった。
◇
「高貴! いったいどういうつもりだ!」
高貴に手を引っ張られながらも、エイルの抗議の声を休めない。ビルの廊下にエイルの怒鳴り声が響く。
エレベーターのボタンは押したのだが、ここは高い階のためか、なかなかやってこなかった。
「だ、だからさぁ……くれるって言ってるんだから、別に急がなくてもいいだろうって事だよ」
「そんな理由が納得できるか! 早く戻って静音からアイギスを受け取るべきだ!」
ごもっとも。エイルの言っていることは全てが正しい。しかし、高貴はその答えに納得できない。
「少し落ち着けよ。だいたいさっきの音無の態度なんか変だったろ? それに、なんつーかあのおっさんも変な感じしたっていうか……」
「どこがだ? 静音のことを大切に思っているいい父親だったじゃあないか。とにかく戻って――」
そのエイルの言葉が途中で遮られた。エイルの目の前に、赤い文字で《ᛖ》のルーンが浮かび上がってきたからだ。苛立っていたのかエイルは、周囲の確認もせずにその文字に触れる。文字は雫となって空中に溶けると、
「ちょっとエイル! 今どこにいるのよあんた!」
高貴とエイルの頭の中に、ヒルドの声が聞こえてきた。なにやら怒っているような、焦っているような声だ。
「今忙しいんだ。切るぞ」
「ま、待ちなさい! ヴァルハラから連絡が来たのよ! 《|ᛖ(エオー)》が飛んで来たの!」
「別に通信などお前やネコがいれば問題ないだろう。それよりも今私たちは――」
「ロスヴァイセ様から連絡が来たのよ!」
ピタリと、エイルの体がわかりやすいほど止まった。
「な、何だと?」
「だからロスヴァイセ様から連絡が来たって言ったの! あたし達全員と話がしたいそうよ。さっさと帰ってきなさい!」
ヒルドは本当に慌てているようだ。いったいろすヴぁいセとは誰なのだろうと考えている高貴をよそに、
「す、すぐに戻る! 今すぐに戻る!」
エイルもとたんに慌て始めた。それと同時にエレベーターがやってくる。
ヒルドは「早く来なさいよ!」という声を最後に、頭の中に声が聞こえなくなったので、通信を切ったのだろう。
「急げ高貴! もたもたしている暇はない!」
「え? 《神器》は良いのか?」
「そんなものはどうでもいい! 早くしろ!」
……いいのかよおい、俺としては助けるけど。
それにしても、今日は本当に忙しい一日になるようだ。