「やっぱりさ、このままじゃ駄目なんじゃないかと思うんだよ」
ソファーに座りながらくつろいでテレビを見ている学生服の少女に向かって、真面目な口調で高貴が話しかける。しかし少女は視線をテレビから離す事はない。録画していたのであろう昼ドラに夢中になっているのだ。
それでも無視するつもりはないらしく、その少女―――エイルは、一瞬だけ高貴のほうに視線を送り、もう一度テレビのほうを向いたまま返事をした。
「何が駄目だというんだ? このドラマはなかなか面白いぞ」
「いや、ドラマの事じゃなくてさ」
どうやらこのヴァルキリーは、昼ドラがお好みらしい。いや、昼ドラに関わらず、月曜9時、土曜のワイド、その他ドラマなど、とにかくフィクションの創作物が好きらしい。それがエイルと暮らし始めて一週間で、高貴がエイルについて知った事のひとつだ。
「少し静かにしていてくれ、今すごくいいところなんだ」
「そーよ人間君。今奥さんが旦那を取るか浮気相手を取るかの瀬戸際なんだから」
女二人に、正確にはヴァルキリーとクマのぬいぐるみから非難を受けた。ぬいぐるみが喋っているという状況にもすっかりと慣れてしまっている自分に少し驚く。クマはエイルに抱かれて一緒にテレビを見ている。エイル曰く、モフモフしていて抱いていると気持ちが良いらしい。
高貴は専ら踏みつける事や叩き付ける事にしか使っていない為あまり意識した事はない。おそらくはこれからもモフモフする事はないだろう。とりあえず今見ている昼ドラが終わらない限りは、話を聞いてもらえそうにないので、高貴は大人しくベットの上に腰を落とした。
ここ最近はエイルが使っているこのベット。今はエイルがソファに座っているので、高貴の座る場所はここくらいしかない。ソファに座るのがテレビを見るベストポジションなので仕方がないのだが、普段女の子が使っているベットに腰掛けるというのはなかなかに恥ずかしい。少し前まで自分が使っていたとしてもだ。
こうしてエイルを見てみると、どこから見ても普通の人間にしか見えないが、事実は違う。この少女は世界でもトップクラスに異端の存在であり、異世界からやって来たヴァルキリーだ。
一週間前に、高貴はその事実を嫌というほど理解することになった。ヴァルキリーとの戦い、エイルとのエインフェリアの契約、そして《神器》であるクラウ・ソラスに選ばれたこと。その日から高貴の日常は平凡な生活から、戦いの日々へと移った。
なんてことはなく。実際はあれから戦いなど起きてはいない。まるであの日の戦いなど夢だったかのようだ。しかし、だからと言って何事もないかといえばそれもまた別問題である。そもそも命の危険だけが問題なのではない。
この一週間、頭からエイルのことがまったく離れない。寝ても覚めてもエイルのことばかり考えている。そう、まさにそれ以外のことが考えられない状態に、高貴は陥ってしまったのだ。考えているのはたった一つだけ。自分の中で明確な目標として、そして野望として固まりつつある事。
この二人、さっさと追い出そう。
「いけー! 押し倒せー! レッツ不倫関係! ビバ浮気!」
「ダメだ、耐えるんだ! 一時の感情に身をゆだねてはいけない! 貴女にはすばらしい夫が―――あ」
「よっし、堕ちた! ウェルカムトゥ大人の世界!」
「ああ……若妻が……新婚二ヶ月が……」
いまや完全にこの部屋の主となっている一人と一匹。ほんの一週間前までの安息の日々は完全に消えている。自分で選んだ事なのだから文句を言うのも筋違いなのだが、さすがに一緒に住むというのはいろいろと問題が多い。
エイルがここに住んでいることは、学校の友人にももちろん内密にしており、俊樹や真澄にも話してはいない。入ってくるところを見られないかどうか細心の注意を払う必要がある。というよりも何回か見られたらしく、クマがその人物の記憶を消したらしい。
今まで一人暮らしだった高貴にとって、常に誰かと一緒に過ごすということは、思っていた以上に神経を使うことだったようである。さらにともに暮らしている相手は非常識なヴァルキリーとぬいぐるみ一匹というさらに神経が擦り減る様な相手だ。
しかしこれはエイルのことを思っての判断である。エイルに協力するというのは構わない。だが、一緒に暮らすということまでは了承した覚えはまったくないため、これからの為にもこの二人に出て行ってもらったほうがいいと高貴は考えたのだ。
決して自分の理性がもちそうもないからというわけではない。
「あー、面白かった。次回が楽しみね」
昼ドラが終わったらしく、テレビ画面にはスタッフロールが流れている。
「ふむ、私としては奥さんにきっぱり断ってほしかったのだが、これが昼ドラの魔力というやつか」
「仕方ないわよ。結婚っていうのは不倫を楽しむ為にするものなんだから」
「テメーは全ての夫婦に土下座しろバカやろう」
「む、なによ人間くーん。お姉さんはこう見えておとなの恋愛だって経験済みなのよ」
「クマじゃねーか」
「ふむ、まぁクマもヴァルハラではきっと人間だと思うよ。そういえば高貴、君はさっき私たちに何か言いかけなかったか?」
一応は覚えていてくれたらしい。真面目な話になるので、高貴はチャンネルでテレビの電源を切った。テレビの音が消えた事で部屋の中からほとんどの音が消え去る。
「あのさ、エイル達がここに住むようになってから、大体一週間だろ。それで思ったんだけど、やっぱり一緒に住むっていうのは色々と問題があると思うんだ」
「ふむ、なぜだ?」
全く理由に心当たりがなさそうにエイルは首を傾げた。
「エイルに協力するっていうのは文句ないんだよ。巻き込まれたとは言っても最後には自分で決めた事だから。だけど若い男女が一緒に住むのはまずい。ここは男子寮だから、見られないように気を使う必要もあるからさ」
「心配ない、私はヴァルキリーだ」
「いや、会話が繋がってねーよ」
「大丈夫よ人間君、お姉さんがちゃんとフォローしてるから何も問題ないわ」
「ふむ、しかしむやみやたらに魔術を使うというのは確かによくないかもしれないな。そもそもこの世界には魔術がないのだから。それに記憶というのは大切なものだし、軽々しく消していいものでもない」
一番ありえないところからフォローが来たことに戸惑いつつも、せっかくなので高貴はそれに便乗して攻める事にした。
「エイルの言うとおりだよ、つまりは―――」
「つまり、隠すのをやめて私がここに住んでいることを皆にも教えればいいということだな」
「なんでそうなる!?」
ヴァルキリーの発言によりノックアウトされた高貴がベットに仰向けに倒れこんだ。カウントが始まる前にすぐさま起き上がる。
「なにお前バカなの? なんで俺とお前が同居してるって周りの人に言いふらさなきゃいけないの?」
「ちがう、ホームステイだ。もともと隠す事ではないと私は思っていたんだよ」
「違うわよ二人とも、同居でもホームステイでもなく同棲よ」
「よけい悪いわ! つーかホームステイってのは保護者のいる家とかにするものだろ!」
「保護者ならいるじゃないか」
エイルが得意げな表情でクマを高貴に突きつける。
「どこの世界にクマのぬいぐるみが保護者の家庭がありますか!?」
「「ここに」」
「ねーよ!!」
「少しは落ち着きなさいよ人間君、近所迷惑になるわよ。最近この寮に住んでる202号室の奴が夜にピーピーうるさいって噂になってたわよ」
「テメーらのせいだ!!」
叫びすぎて喉が痛くなってきたので、高貴はテーブルの上においてあったジュースを一口飲んで喉を潤す。夜中に近所迷惑になってしまうのは自分としても不本意なので、高貴は少し落ち着く事にした。
「そもそもさ、引越しなんて簡単だろ。なんでここに住んでるんだよ?」
「ふむ、ともに行動していたほうが何かと好都合だろう。それに―――」
「それに、なんだよ」
「その……君と一緒に居たほうが寂しくなくて良いからだよ。私は寂しいのは苦手なんだ」
本人も言うのが恥ずかしかったらしく、少し小さい声になりながらエイルはそう言った。それにつられて高貴の顔も少し赤くなってしまう。赤くなるのなら言わなければ良いだろうとも思ったが、それを言ってしまうのがエイルだという事なのだろう。
「あらまぁ、若いわね」
お互いにもじもじとして気まずくなっていた空間に、心なしかニヤニヤしているクマの声が響く。
「そ、その、クマだって高貴の所に居たいだろう?」
「いえ別に。ただ引越しめんどい。主に手続きとか。それならもうここで我慢しようかなって思ってるの。ほら、お姉さん寛大だから」
「よしわかった、クマはでてけ」
クマをエイルの手から引ったくり、窓を大きく開け、外に放り出す体勢を作ったところで、クマが高貴の手で暴れだす。
「ま、待って人間君! 本当はただの資金不足なの! 理事長に諭吉を五千人ワイロにした事がばれて、経費削減されてるの! だから引っ越す余裕なんてないのよ!」
「たぶん?」
「間違えました絶対です!」
クマの必死の講義を聞き、なんとか高貴は我を抑えて腕の力を抜いた。開けた窓を閉めてクマから手を離すと、一目散とばかりにエイルに駆け寄って避難する。
クマが理事長に五千万円もの大金を払ったのは、界外留学生としてエイルを編入させる為であり、エイルが編入してきたのは高貴の警護をするためなので、その事に対して高貴は文句を言う事ができなくなってしまった。
「……わかったよ。じゃあもうしばらくここにいてもいいよ。そういう理由だったらまぁ仕方ないし」
「ふむ、それはよかった。身包みはがれて追い出されるかと思ったよ」
「なんでだよ!?」
「あ、そういえばお風呂の準備ができていたな。先に入るか高貴?」
「なんで会話が繋がんないんだろうな……後でいいよ」
「ではお言葉に甘えよう」
そう言ってエイルが立ち上がると、リビングを出て浴室のほうに向かって行った。するとクマが高貴の隣までやってくる。
「ねぇ人間君、そんなにお姉さん達と暮らすの嫌?」
「嫌っつーか、何回も言うけど問題だらけだろ。だいたいエイルは風呂上りにバスタオル姿でうろつくし」
「眼福じゃないの?」
「朝は朝で着崩れたパジャマで突進してくるし」
「役得じゃないの?」
「洗濯する時は気を遣う必要があるし、かといって向こうは気にしてないし。この前は自分の下着を俺の下着と一緒に窓を空けて干してたし」
「オカズにしないの?」
「……」
「しかも優しいお姉さんつきよ。彼女いない暦イコール年齢の人間君にとっては最高の環境だと思うけど」
「踏み心地のいいクマがいるのはストレス発散になるけど、そのクマがストレスの原因だしなぁ」
「に、人間君。踏まないで……」
足元で抗議の声が聞こえるも、それは完全に無視する事にした。今となっては高貴の数少ないストレス発散法がこれだからだ。
「だいたいさ、ここに来て一週間の間、《神器》を探すとかそういうのをしてないけど、何もしなくて大丈夫なのか?」
そう、これも高貴の疑問の一つだ。この一週間エイルは普通の生活をしているだけであり、《神器》を探す事をまったくしていない。この世界に来た目的が《神器》を探すという事だが、こんなに何もしなくてもいいのだろうかというのが高貴の疑問だ。
「そうは言っても探す手段がなかなかないのよ。でも今のところは《神器》を悪用されてる心配はほぼないから大丈夫よ」
「なんでそう言い切れるんだ?」
「この町に結界を張ったってのは前に言ったわよね。それのおかげで、四之宮で大きな魔力を使ったり《神器》の力を使ったりするとその場所を特定できるのよ。でも今のところ大きな魔力反応はこの前の戦いのときに、四之宮高校でしか探知されていないの。つまりは《神器》が誰かの手に渡ったかもしれないけど、その力を強く行使してはいないってことね」
「ちょっと待った、だったらそれで《神器》の場所を探れないのか?」
「それは無理ね。この前の人間君みたいに、使い手が《神器》を具現化すれば反応は現れるけど、今の人間君みたいに具現化していない状態なら反応は出てこないわ」
「なんだよそれ。もっと強い結界とかないのか? 完全に探せるみたいな感じのさ」
「あることにはあるけど……もしかしたら天変地異が起きるかもしれないわよ」
「てっ、天変地異!?」
クマのさらりとした爆弾発言に、思わず高貴は目を丸くする。
「この世界には魔術がない。なのに完全に空間を監視する魔術なんて使ったら、その一部の空間がおかしくなるかもしれないわ。他の世界にいけなくする結界だって、かなり無理して作ったのに、これ以上この町の空間に負担をかけるとなると……」
「わ、わかったよ! もう言わないから言わないでいい!」
さすがにこの町が天変地異に襲われるところなど見たくはない。残念だがこれは諦めるしかないだろう。しかしそうなってくると探す方法はかなり限られてくるはずだ。誰かが《神器》を使うのを待ってその反応をたどるか、以前屋上で聞いたようにエイルを囮にして戦うか、どちらにせよ後手に回ってしまう事になる。
それにエイルを囮にするというのはなるべく避けたい。すぐに無茶をしてしまうのが目に見えているからだ。もしも囮になるときは、せめて自分も一緒に居ようと高貴は決めている。そういう意味では一緒に暮らしたほうが何かといいのかもしれないが、やはりそこは複雑である。
美人な少女とともに暮らすというこの状況を素直に楽しめる性格だったらよかったのだが、生憎と高貴はそのような正確ではないからだ。
しばらく他愛のない話をしていると、風呂上りのエイルがリビングに入ってきた。今日はしっかりとパジャマを着ているが、肌がほんのりと染まっていて、やはり直視するのはなかなか恥ずかしい。タオルで髪を拭いていない所を見ると、髪はドライヤーで乾かしてきたようだ。
「ふぅ、気持ちよかった。お風呂があいたぞ高貴」
ベットには高貴が座っているので、ソファ座ったエイルがそう言った。
「さ、エイルの残り香があるうちに入ってきなさいよ」
「……もう少したったら入る」
「もう、照れ屋なんだから。……あ、そういえばお姉さん二人に言い忘れてた事があったわ」
「言い忘れたこと?」
「ふむ、なんだ?」
クマが高貴の足元から脱出しベットの上に上ると、コホンと一つ咳払いをついた。
「あのね、ヒルドいるでしょ。この前戦ったヒルド・スケグル」
「……ああ、あの赤い女か」
ヒルドはエイルと同じくヴァルハラからやって来たヴァルキリーであり、《神器》である《炎剣レーヴァテイン》を持ち去った人物でもある。ある意味では高貴がエイルの手伝いをするきっかけを作った人物だ。一週間前の戦いで二人に敗北し、ヴァルハラに帰ってからの行方は聞いていない。
「ヒルドがどうかしたのか?」
エイルが首を傾げながらクマにそう聞いた。
「彼女の処分が決まったわ。2週間後に死刑だって」
ヴァルハラという組織、もしくは国は、殺す事が趣味なのか?
高貴がクマの言葉を聞いて一番最初に思った事がそれだった。初めてエイルに会ったときといい今回といいそうとしか思えない。
「死刑って……死刑か?」
「そうよ。支系も紙型でも詩形でも市警でも四系でもなくて死刑よ。デースペナルティ」
「その……なんつーか……いや、なんて言ったらいいか……どう思うエイル」
反応に困った高貴がエイルのほうを向いた。そして固まった。
絶句。
今のエイルの表情にこれ以上似合う言葉は無いと間違いなくいえるほどにエイルは絶句している。その瞳は呆然と虚空を見据え、高貴が目の前で手を左右に振ってもまったく反応が無い。クマがベットに座っている高貴の膝に乗る。
「あらあら、止まっちゃったわね」
「おい、エイルどうしたんだよ。確かに死刑ってのはとんでもないけど、なんの反応もなくなるほど止まるってなに?」
「うーん、それはきっと……」
その言葉を遮って、エイルが突然動き出した。ソファから高貴の膝にいるクマ目掛けて突進し、クマを両手で掴んで首を絞める。と、同時にそれは、高貴にとってはとてつもなく危険な状況になってしまった。エイルの顔や手が高貴の股間にかなり近づいており、柔らかな胸は膝に押し付けられ、なおかつエイルは風呂上りのパジャマ姿。
その状況に今度は高貴が固まってしまったが、そんなことは気にも留めずにエイルはクマを睨み付けた。
「どういうことだ! どうしてヒルドが死刑になる!? レーヴァテインを持ち去ったのは確かに違反かもしれないが、それはむしろ《神器》を思っての行動だろう!」
「エ、エイル……お姉さん中身出る……もしくは千切れる……」
「え、えい、えい、エイルさん? 少し落ち着いてくれないか? てゆーか離れてくれ」
「それどころではない! 君はわかっているのか!? 死刑だぞ死刑! デスペナルティだぞ! 幾らなんでも酷すぎだろう!」
部屋にやって来た家主に対して、死んでくれないかと言ってきた人物の台詞とは思えなかったが。今はそんなことを言うよりも優先すべき事があったので、高貴は何もいわなかった。
「お、落ち着いてってばエイル! ちゃんと理由を説明するから」
「言ってみるといい! どんな理由があっても私は納得しない!」
「ギ、ギリシャの《神器》……ヒルドが借りてたギリシャの《神器》をこの世界でなくしちゃったでしょ……だ、だからその責任を……お、お姉さん新しい世界に……目覚めそ……う」
「そ、それは……」
ヒルドがギリシャから借り受けた《神器》は、ヒルドが四之宮でレーヴァテインを探している最中に、その姿を消したらしい。それ以来行方がわかっておらず、その責任を取らされるということなのだろう。
「だったらその《神器》を探し出せばヒルドを助けられるという事なんだな?」
「ま、まぁ刑を軽くは出来ると思うわよ」
「よし! 聞いたか高貴!」
「柔らかくない。柔らかくない。いい匂いなんてしない。いい匂いなんてしない。無心無心無心無心……」
「聞け!」
「なら離れろ……俺は今無心になってないと大変な事を起こしてしまう自信がある」
高貴は心をひたすらに無にして理性を保っていたため、二人の会話をまったく聞いていなかった。にもかかわらずエイルが顔を近づけてくる。
「いいか高貴! 今から2週間以内にヒルドの無くしたギリシャの《神器》を見つけるぞ!」
「み、見つけるってどうやってだよ!」
「気合で探す! 私はヴァルキリーだ!」
「お前スゲー男前なのな……まぁ手伝うって言ったのは俺だし、ちゃんと手伝うけどさ」
「どうして君はそんなに平然としていられるんだ? ヒルドが死んでしまうかもしれないんだぞ。悲しくはならないのか?」
少々落ち着きを取り戻してきたのか、エイルが高貴から離れた事により、高貴にも考える余裕が生まれた。
ヒルドは高貴がエイルと出会うきっかけを作ったヴァルキリーであるとも言える。少々口が悪かったが、悪かった事をキチンと謝罪するなど、謙虚な心も持ち合わせている。
しかし、逆に言えば高貴を非現実な日常に引きずり込んだ大元と言えるかもしれないし、コーヒーを奢ってもらったとはいえ、殺されかけた恐怖はしっかりと覚えている。彼女のせいで炎は軽くトラウマになってしまっている事も含めれば、気の毒だとは思えど、悲しいとは強くは思えない。
そもそもヒルドとはたいして交流すらなかったのだから。
「……えっと、正直俺あいつの事よく知らないし、気の毒だとは思うけど……」
「そんな事言わないで頑張ってくれ! ヒルドは私の大切な友人なんだ!」
「……え?」
今、こいつ、なんて言った?
「エイルとあいつって友達なのか?」
「戦乙女学校の同期だ! クラスも一緒だったし席も隣だったし修学旅行も一緒の班だったんだ! 幼い頃からの付き合いなんだよ!」
「……そういうことは先に言えよ! この前は普通に戦ってたから、友達だなんて思いもしなかったよ!」
「それが私の仕事なんだから仕方ないじゃないか! とにかくあと2週間以内にギリシャの《神器》を見つけて―――」
「違うわよエイル、一週間以内よ」
「「え?」」
突然のクマの言葉に高貴とエイルはポカンとした表情になる。どうしていきなり2週間ではなく半分の1週間になってしまったのだろう?
「死刑判決を受けたのはヒルドがヴァルハラに帰ってすぐの1週間前。それから1週間たったから、死刑まであと1週間しか―――」
エイルが再びクマの首を絞めた。まるでそのまま引き千切ってしまうかのような勢いだ。
「どうしてそういう大切な事を早く言わないんだ!」
「お前が言うなよ。つーことはあれか? あと一週間以内にその無くなった《神器》を探さなくちゃいけないわけかよ」
この一週間何もしていなかったとはいえ、まったく音沙汰の無かった《神器》を1週間で見つけるというのはかなり厳しい。出来る事といえば、《神器》の持ち主が《神器》を使うのを待って、その魔力の反応をたどる事ぐらいなのだから。
「ちなみにヒルドからの伝言よ。『べ、別に助けてほしいだなんて思ってないんだからねッ! でも助けてくれなかったら許さないわよ高貴!』ですって」
「それ本当にあいつが言ったのか? 俺あいつに名前呼ばれた記憶ねーぞ」
「高貴、ヒルドも君に助けを求めているぞ!」
「お前やっぱバカだろ。普通は俺じゃなくてお前に助けを求めるって。まぁエイルの友達だって言うんなら、助けてやりたいとも思うけど、実際どうやって《神器》を探すんだよ」
「気合で探す! 私はヴァルキリーだ!」
「黙ってろ、どうするんだよクマ」
エイルの手の中で、もはや今にも真っ二つに裂けそうなクマに向かって高貴が問いかける。助ける気は高貴にはさらさら無いようだ。クマがその短い腕でエイルの手をタップし、何とかその魔の手から逃れたクマがテーブルに降り立った。
「ふぅ……新しい快感に目覚めちゃった。まぁ《神器》がこの町の人たちの手に渡ったら、おのずと魔力の反応は出てくると思うわよ。たとえ使いたくなくても《神器》を使う必要が出てくると思うから」
「どういうことだよ?」
「……まさかベルセルクのことか?」
「あ、そうか」
「正解よ。ベルセルクは《神器》を持つものやヴァルキリーを襲う存在。《神器》を持っていれば、ベルセルクに襲われる可能性は高くなるし、それを撃退する為に《神器》を使う必要がある。その時に魔力反応を感知できるわ。もっとも撃退して《神器》を消せば反応は消えるけど、それでも手がかりくらいはつかめると思うし。あとは欲深い奴がエイルや人間君に襲い掛かってくるのを期待するしかないわね。人間君は《神器》持ってるし、エイルはヴァルキリーで魔力が強いから、それを隠してなければ囮には最適。人間君、魔力を隠したりはしてないわよね?」
クマの言葉に高貴が頷いた。エイルと契約をしてエインフェリアとなってから、高貴には魔力の扱い方がその記憶に刻み込まれた。それにより、普通の人間とエイルなどのヴァルキリーの魔力の違いを感じられるようになったのだ。
《神器》の持ち主になったものならば、その違いを感じ取れるらしく、高貴やエイルをねらってくる可能性が高い。
本来ならば、こちらもその方法で探せればよいのだが、魔力を扱えるものはその魔力を小さくすることができるため、一般人に紛れ込むことも当然できる。携帯電話の電源を切り替えるようにお手軽にできるため、魔力を小さくされてしまえばこちらからは探せず、せいぜい囮になって向こうに気がついてもらうしかない。
「結局は後手に回るしかないってことかよ。こっちからは探しようがねーんだな。でもベルセルクって本当に普通の人を襲ったりしねーのか?」
「ヴァルハラではそうだったよ。魔力の低いものがベルセルクに剣で斬りかかったのだが、見向きもされなかったという記録が残っている。しかし―――以前屋上に出てきたベルセルクが気になるな。本来は夜にしか活動しないベルセルクが、どうして昼間に出てきたのかがわからない」
約一週間前、ヒルドと戦う前日に、高貴とエイルはベルセルクに遭遇した。幸いエイルが難なく撃退したものの、エイルが今言ったように昼間に出現する事は前例が無いという。
「クマ、四之宮でベルセルクによる被害は何かあるか?」
「何にも無いわよ。夜にお化けが出るとか、怪物が出たとかの噂もないし、あれ以降出現してないのかもね」
「本当に絶望的だなこりゃ。一週間でその目当ての《神器》を見つけるなんて無理じゃ―――」
「無理ではない! きっとできるはずだ! なんだったら今から草の根をかき分けてでも探し出してみせる」
「それは無理よ、《神器》が道に落ちてるわけないじゃない。親切な誰かが交番に届けてくれてたら楽だけど」
「おい、世界を揺るがすとか何とかが、急に安っぽくなるからやめろ。なんだよその落とした財布と同レベルみたいな例えは」
「まぁ気楽にいきましょうよ。ヒルドが死刑なんてのは嘘なんだから」
「「え?」」
クマの能天気な声に、再び高貴とエイルの声が重なった。
「い、今……嘘だと言ったのか?」
「ええ、最初は死刑って話も出たけど、お仕置きだけでなんとかなりそうよ。ちょっとした冗談のつもりだったんだけど、驚かせちゃったみたいね」
クマの言葉を聞いたエイルはしばらく呆然としていた。そして強張っていた体の力が見る見る抜けていき、次第に安心したような表情になっていった。
「……クマ、言って良い事と悪い事があるよ。本当に私はビックリしたんだぞ」
「確かに、友達の死刑報告なんて聞きたくないわな。どう考えてもクマが悪い」
「ご、ごめんなさい。お姉さんも悪かったと思ってるわよ」
「いや、許さない。高貴、ハサミを貸してくれないか?」
「本当にすみませんでした! これからは嘘のない人生、いえ、クマ生を心がけて生きていきますのでバラバラだけはお許しを! せめて思いっきり踏みつけるとかで許してください!」
身の危険を感じたのか、クマがエイルに向かって土下座しながら謝罪する。それを見てようやく落ち着いてきたのか、エイルがため息を一つついた。
「まったく……まぁ、《神器》を失くしてしまったにもかかわらず、お仕置きだけで済むのだからよしとするか。今日はもう遅いから、高貴もそろそろお風呂に入ってきたらどうだ?」
「……ああ、そうするよ。その前にちょっと外行ってジュース買ってくる。エイルもなんか飲むか?」
「いや、私はいい」
「お姉さんもついてく」
高貴とクマが立ち上がり、リビングにエイルを残したまま二人一緒に部屋を出る。玄関の扉を開けて外に出て、寮のすぐそばにある自動販売機に向かって歩き出した。
「さてと、一応聞いておくけど、そのヒルドって奴本当はどうなるんだ?」
クマは少しの間黙っていたが、やがて気まずそうに口を開いた。
「1週間後に死刑よ。罪状はギリシャの《神器》の紛失」
「ああ、やっぱりか。エイルには黙ってたほうが良いな。さっきは完全に取り乱してたから」
「助かるわ。あそこまで取り乱すなんてお姉さんも予想外だったのよ。しゃべっちゃったのはお姉さんのミスね」
ヒルドの死刑の話を聞き、エイルは完全に我を失っていた。このままでは《神器》を探す事など不可能だと判断したクマは、とっさに嘘だという事にしたということだ。
「とにかく、その《神器》を持ってる奴が俺達を襲ってくるか、ベルセルクとの戦いの魔力をたどるかしかないんだから、神様にでも祈るしかねーだろ。エイルの友達だって言うんなら助けてやりたいし、できる限りの事はやってみるよ。エイルにばれないようにだけど」
「そうね、あと一週間以内に見つかる事を祈りましょう。お姉さんも何かわかったらすぐに知らせるわ」
自動販売機についた高貴は、缶ジュースを購入する。炭酸入りのオレンジジュースだ。思えばエイルに初めて会った時にもこれを飲んでいた気がする。
とにかく、この一週間はエイルにならって、気合で《神器》を探すしかないようだ。
「そういやお前ってジュース飲めるんだっけ?」
「大丈夫よ。お姉さんの本体的なものはきっと今頃お酒飲んでるから」
―――――ヒルド・スケグルの処刑まであと七日