見慣れた風景の中に、一つだけ見慣れない存在があった場合、いったい人間はどんな顔をすればいいのだろうか?
この場合見慣れた風景とは自分の部屋のことを指す。つまりは四之宮高校二年四組に通う、月館高貴の部屋だ。高貴はここ最近自分の部屋で信じられないような光景を二回も目の当たりにしている。それは例えばベットの上で仁王立ちしているヴァルキリーであり、ベットの上にエロ本を広げて熟読している幼馴染の事だ。
二度あることは三度あるというが、学校から帰宅した高貴の目の前ではまたもや信じられないような光景が広がっているのだ。それは何回経験しても慣れるはずがなく、むしろ慣れたいとも思わない。と言うよりも二度と起こらないでほしい。平穏がほしい。一体何が悪かったのだろう? このベットは呪われていて、災いを呼び寄せる魔術でもかけられているのかもしれないとすら高貴は思ってしまう。
今回の信じられない光景は、またもやベットが関係していた。しかしベットの上には誰もおらず、ヴァルキリーが仁王立ちしているなどということもない。今回問題があるのは上ではなく下の方なのだ。
ベットの下から、人間らしき下半身が生えている。
……うん、いやマジでなんで?
間違いなくそれは人間の下半身だ。それ以外の言葉では表現できない。しかし高貴はベットの下で人間の下半身を栽培するような趣味はない。
待て、落ち着こう。冷静に判断しよう。高貴は心の中で自分に言い聞かせた。とりあえず目の前にあるのは間違いなく下半身だ、上半身はまったく見えない。と言う事は、この光景の正体は、誰かがベットの下に潜り込んでいると言う事なのだろう。だからこそ上半身は見えないのだ。謎は解けた。しかしその謎は新たな謎を呼ぶ。こいつは誰だろうと言う謎だ。
観察開始。見た感じその足はどことなく女性的なラインだ。いや、女性というよりは女の子だろうか? 掃いているソックスといい、ショートパンツといい、この人物の性別はおそらく女。
「ちょっとクマ。どこにもエロ本なんてないじゃない。あるのは埃ばっかよ」
「おかしいわね、この前人間ちゃんがエイルと一緒に読んだって聞いたんだけど」
ベットのしたから声が聞こえてきた。片方は聞き覚えのある声、もう片方はここ最近毎日聞いている声。と言うよりも今の会話で謎はすべて解けた。
こいつ、エロ本漁ってやがる。
その女は両足をパタパタと動かして、どこか楽しそうに他人のベットの下を漁っているのだ。そして高貴は思い出した。いや、思い出してしまったのだ。どこか聞き覚えのあるその声の主の正体を。なんでこんな事をしているのかと呆れつつ、いつまでも勝手にさせるわけにもいかなかったので、高貴は嫌々ながらも声を絞り出す。
「……おい、何してんだよ?」
ビクッと、女の下半身が跳ね上がった。
「え!? だ、誰!?」
ベットの下から声が聞こえた瞬間に、ごんっ!! と鈍い音が響いてベットがわずかに揺れた。おそらくは慌てて出てこようとして、ベットに頭をぶつけたのだろう。ご機嫌そうに動いていた足の動きもピタリと止まった。「う~~……」などという恨めしそうなうめき声がを出しながら、ベットの下の女がだんだんとその姿を現してくる。
出てきた人物は、高貴が予想していた通りの少女だった。自分よりも少し年下に見えるが年齢不詳。肩まである鮮やかな赤い髪。ベットの下のに頭をぶつけたせいで、その目は多少涙目になっている。その涙目で、少女は座ったままキッと高貴をにらめつけた。
間違いない、彼女はエイルと初めてあった日に会ったもう一人のヴァルキリー。高貴が《神器》であるクラウ・ソラスを使って初めて戦ったレーヴァテインの持ち主。
その名は―――
「……えっと、名前なんだっけ?」
忘れた。その存在は覚えているのだが、どんな名前なのか高貴は忘れてしまっていた。そんな高貴の言葉に、目の前に座る少女は大きなショックを受けているようだが、勢いよく立ち上がると高貴を指差しながら答えた。
「ヒルドよヒルド! ヒルド・スケグルよ! なんであたしに殺されかけたくせにあたしの名前忘れてんのよ!?」
「ああ、そんな名前だったっけ。なんかあんたのイメージって、レーヴァテインとか危険人物とかってイメージが強いからさ。それに最近エイルも名前出してなかったから忘れてたんだよ。つーか自分で言うか?」
そもそも高貴にとってトラウマとして強く残っているのは火であり、ヒルドのことはたいして怖いとは思えなくなってしまっているようだ。涙目の今の姿を見てしまえばそれはなおさらだ。せいぜい中学生が泣いてるくらいにしか思えない。
「あ、人間君だ。おかえりなさ~い」
ベットの下から熊のぬいぐるみが姿を現した。自称おとなのお姉さんであり、どう見ても子供のおもちゃでしかないクマだ。ベットの下のほこりがついたのか、犬のように体を震わせて埃を落としている。というよりもやめてほしい。後で掃除をしなければいけないのだから。
「人間君、エイルは一緒じゃないの?」
「ああ、なんか真澄のとこによって来るってさ。つーかお前ら二人何してんだよ? なんでこいつがここにいるんだよ?」
「こいつって言うな!!」
「落ち着いてヒルド。まずはキチンと説明しないといけないわ。と言うことで―――いきなりですが真面目な話に入りましょう。とりあえず座ったほうがよろしいかと思われます」
クマの口調が真面目モードに切り替わる。クマの言うとおり立ったまま話を聞くのもどうかと思い、高貴はソファーにこし掛け、ヒルドはベットの上に座る。何と言うかエイルといいヒルドといい、あまり面識のない男のベットにこうも軽々しく座れるものなのだろうか? そんなことを思ってヒルドのほうに視線を向けると、思い切り睨み返されてしまった。
「まず、一ヶ月ほど前になりますが、ヒルド・スケグルがギリシャの《神器》を紛失した事により、彼女は死刑判決を言い渡されました。しかし、この世界の四之宮高校二年四組出席番号37番の弓塚真澄がその《神器》である《星弓アルテミス》を発見しました。彼女がアルテミスの持ち主となり、ギリシャに《神器》が戻る事はなくなりましたが、ギリシャの失われた《神器》を探す為にと使用の許可を得て、死刑判決も撤回。その結果、ヒルド・スケグルの処罰はお仕置きのみと言うことになりました」
「うん、それは聞いた」
確かに一ヶ月ほど前、六月のはじめくらいの時の事だ。黒コートと戦った時に真澄のがアルテミスの持ち主となって力を貸してくれることとなった。今思えばあの黒コートは、アルテミスを手に入れるつもりだったのかもしれない。ベルセルクを自在に操れるなら、ストラップ状態のアルテミスでも《神器》だとわかったかもしれないからだ。
「そして先日そのお仕置きが終了し、ヒルド・スケグルをもともとの任務に戻す事が決定しました。つまりは今現在エイル・エルルーンが行っている、四之宮に散らばった《神器》の回収です。どうして彼女がここにいるのかという質問の回答は、あなた方の助っ人として送られてきたということになります」
「……マジで?」
「マジです」
「残念ながらマジなのよね」
マジらしい。
大きくため息をつきながらヒルドは、両手を後ろについて脚をパタパタと動かし始める。ヒルドの実力はエイルと大体同じくらいだろう。それに加えてレーヴァテインを使えるとなると、戦力的にはかなり頼もしい存在だ。しかし、それは戦力的に考えた話であり、実際は気まずい事この上ない。
「え、えっと……」
「なによ?」
「いや……これからよろしく」
「……ふーん、それだけ? あー痛かったわぁあの時の攻撃。それに校舎から落ちた時とかぁ。てゆーか校舎を斬ったあれって、あたしがかわさなかったら死んでたわよねー。あたしはさぁ、ちゃ~んと死なないように手加減してあげたんだけどなぁ~。なのにこーんなか弱い乙女に対して二人係りでタコ殴りなんて、人間としてどうかと思うんだけどー」
「う……」
どこがか弱いんだよ、とは心の中でしか言えなかった。まさかヴァルキリーに人間としてなどといわれるとは思っていなかったが、今ヒルドが言った事はおおむね正しい。
確かに高貴はヒルドと戦って、下手をすれば殺されかけた。それは紛れもない事実だ。しかしそれは逆に、高貴もヒルドを殺しかけてしまったと言うことになる。今ヒルドが言ったように、校舎を斬った時の光刃円舞などは当たっていたら、いや、かわしてもらわなかったらヒルドは死んでいただろう。
初めての戦闘で加減などまったくできなかった状態だったとはいえ、さすがに殺してしまうなど絶対にごめんだ。だからこそ白光烈波のような技が使えたのかもしれない。気まずい沈黙を破ったのは、真面目モードが解けたクマの言葉だった。
「気にしないでいいわよ人間君。こんな事言ってるけど、ヒルドは人間君にもちゃんと感謝してるから」
「感謝?」
「そうよ。だって人間君たちがアルテミスを見つけてくれなかったら、ヒルドは今頃デスペナルティだったもん。こっちに来る前はぶつくさ言いながらもお礼言わなくちゃとか言ってたし」
「よ、よけいな事言うんじゃないわよ!」
顔を真っ赤にしながら「このっこのっ!」とヒルドがクマを踏みつける。しかしMに目覚めてしまっているクマにとって、それはご褒美でしかないようで、とても嬉しそうに足蹴にされている。ヒルドが感謝してくれているとは高貴にとって意外なことだった。しかし改めて思い出してみれば、ヒルドはそこまで性格が破綻しているような人ではなかったかもしれない。
さっき言ったように(本当かはわからないが)手加減して戦ってくれたり、謝罪のためにコーヒーを奢ってくれたりと、どちらかといえば優しい性格にも思える。少なくともエイルよりはだいぶ常識的なヴァルキリーなのかもしれない。
「じゃあなんでベットの下にもぐってたんだ?」
「エロ本探してたのよ」
「なんでだよ!!」
前言撤回。やはりヴァルキリーにまともな人間などいない。
「なんでどいつもこいつも男の部屋に入るとエロ本探すの? 今四之宮でエロ本探しが流行ってんの? 」
「そんなわけないじゃない。これからあたしが住む部屋だから、エロ本なんてあったら嫌じゃない。だから見つけたら全部燃やしておこうと思って」
「もうないよ! 結構前にどこかのヴァルキリーと幼馴染に没収されたよ! ってちょっと待て、今なんつった?」
「燃やしておこうと思って」
「その前」
「エロ本なんてあったら嫌じゃない」
「もう少し前」
「童貞小僧」
「うるせー!! そうじゃなくてここに住むってどういうことだよ!」
「そのままの意味よ。今日からここはあたしの部屋になるわけ。まぁあたしは優しいから、エイルとあんたもちゃんと住ませてあげるわ。感謝しなさい」
……こいつはさっきから何を言ってるんだろう?
つーかそんなの冗談じゃねーぞ。ただでさえ最近どこぞの非常識なヴァルキリーがホームステイとか言ってここを占領してんのに、これ以上騒がしくなんてなったらたまったもんじゃねー。ようやくそれにも少しずつ慣れて来て、このままもう少ししたら戦い以外は平穏に過ごせるんじゃないかとすら思ってたのに。
ヴァルキリーは一家に一人で十分だ。
「帰れ。ここは俺の部屋だ。それにこの部屋のサイズ的に、これ以上同居人が増えるなんて無理だろーが。お前だってそんなの嫌だろ」
「あっそ、そんなこと言うのね。よくもこのあたしに対してそんなにえらそうな口きけたものね」
何故かヒルドが勝ち誇ったような顔になった。その不敵な笑顔に、高貴は思わず恐怖を覚えてしまう。
「な、なんだよその顔……」
「ふん、このあたしがなんの準備もなしにくると思ってんの? 教えてあげるわ、《神器》に選ばれたとか言っても、あんたは所詮はただの高校生に過ぎないってことをね。クマ、例のものを出しなさい」
パチンとヒルドが指を鳴らした。するとすぐにクマが「ははぁ」なんていってベットの下に潜っていく。つーかこいつ指鳴らせるんだ。俺はできないのに。
ベットの下に潜ったクマは、数秒で姿を現した。例のものなんてどんな非常識なものが出てくるのかと高貴は警戒していたが、クマが持ってきたのは一枚の紙切れだ。それをベットに座っているヒルドに差し出すと、ヒルドはそれを高貴に向かって見せ付ける。
「これを見なさい」
「はぁ、なんだよ」
仕方なく高貴はその紙に目を通した。どうやら何かしら文字が書かれてあるらしく、面倒ではあるがそれを心の中でそれを読んでいく。読み進めるうちに、いや、読み始めた瞬間に高貴の顔色がどんどんと青くなっていった。それはまるで信じられないものを見ているといった表情だ。実際彼は今信じられないものを目の当たりにしているのだろう。
ヒルドが高貴に対して見せつけてきたものは―――
「け、権利書?」
「そうよ、権利書よ」
それは極めて現実的なものだった。ヒルドが出したのは権利書。正確にはこの四之宮高校の学生寮と、その土地の権利書だ。権利書など見るのは高貴にとって初めてだったが、大きくそう書かれているので間違いないだろう。それにキチンと判子なども押されているので、やはり偽物とは考えにくい。しかし一番信じられないのは、その権利書によると、建物と土地の持ち主がヒルドと言うことになっている事だ。
信じられないが、本当に信じられないが間違いない。カタカナであるが、ヒルド・スケグルと大きく書かれてある。つまり、この権利書が意味することはたった一つ。
「ようするに、この学生寮はあたしの物って事よ」
「……嘘だろ?」
「マジよ人間君」
「いや……どうやって?」
「そんなの諭吉の力に決まってるじゃない。この世にはググっても出てこない諭吉の増やし方なんていくらでもあるんだから。てゆーかあんたも幼稚園卒業したら気がつきなさいよ。この世の中は諭吉が全てだってことにね」
「幼稚園児は諭吉なんていわねーよ! つーか福沢諭吉先生は子供にそんなことのぞまねーよ!」
「とにかく、この寮はこのあたしが極めて非合法的な手段で合法的に手に入れたわ。つまりあたしが出て行けといえば、あんたは出て行かないといけないのよ」
完全に勝ち誇ったドヤ顔でヒルドが高貴に向かってそう言った。目の前が段々と暗くなっていく。自分の安らぎの空間(最近は騒がしいが)をこんな不合理なことで失ってしまうかもしれないという恐怖が高貴を襲う。
「それだけじゃないわ。あんたがうだうだ言うなら、ここに住んでる生徒を全部追い出して、あたしの為の一軒家を建てるっていうのもありね」
「て、テメー……第二第三の深田君を生み出すつもりかよ」
「誰よそれ?」
「ちょっと人間君、深田君は本人達も了承の上の夜逃げだったわよ!」
「とにかく、ここにこのまま住みたかったら……いえ、住まわせてほしかったら、どうかこの憐れな童貞に住む場所をお恵みくださいヒルド様って言って土下座しなさい」
……この野郎。完全に調子こいてやがる。
傲慢なヒルドの態度に、さすがに高貴は堪忍袋の緒が切れかけていた。そもそもここは元々自分の部屋だったにもかかわらず、なんでそんなことをしなければいけないのか。むしろヒルドのほうから頼んでくるのが筋というものだ。
そもそも高貴にもプライドというものがある。そんなに簡単に土下座などできるわけがない。こうなったら一高校生の意地を見せ付けてやるしかないのではないか。そうだ、一度はこいつに勝っているんだから何も恐れることはない。きっとクラウ・ソラスも力を貸してくれる。目の前で権利書をヒラヒラとさせてドヤ顔で勝ち誇っているヴァルキリーに向かって高貴は―――
「どうかこの憐れな童貞に住む場所をお恵みくださいヒルド様」
土下座した。どこからどう見ても土下座。
仕方がないのだ。どんなに頑張ったとしても目の前の権利書には勝てるはずがないのだから。