「ねぇ真澄、あなたのオススメのケーキってあるの?」
「うーん、わたしはチーズケーキかいちごどっさりケーキかなぁ。でも詩織さんの作るケーキは基本なんでもおいしいよ。ね、エイル」
「ふむ、確かにそう思う。私もこの前チーズケーキとモンブランを食べたがどちらもおいしかった。というよりもマイペースのケーキは全て食べたがどれもおいしかったよ」
「ふーん、そうなのね。じゃあ取り合えずメニューを見て考えることにするわ」
住宅街を歩いて、高貴たちはマイペースに向かっていた。女の子三人が並んで前を歩き、高貴が後ろを歩いている。バイトの時間には少し早くつくことになりそうだが別に問題はない。
問題はケーキを餌にマイペースについてくることになったヒルドのほうだ。エイルよりは常識があるように思えるが、やはりヴァルキリーなので油断はできない。それに詩織になんといわれるかもわからない。とはいえ今更帰れともいえないので、もはや腹をくくるしかないだろう。7月の夏の日差しを浴びながら高貴たちは歩く。もう少しで6時になろうとしているが、夏なのでまだ暗くなる気配はまったくなかった。
「ついたよヒルド。あれがマイペース」
「歩きつかれたわ、さっさと入りましょう」
初めて入る店にもかかわらず、まるで通いなれた店にでも入るかのように、ヒルドがドアを開ける。カランカランとドアについているベルの音が響き―――
「だから! 君はどうしてそんなことばかり言うんだ!!」
その涼やかな鐘の音を、一つの怒声が打ち消した。ヒルドがドアを開けた瞬間に、マイペースの店内から男性の大声が聞こえてきたのだ。いったい何事かと思い、高貴たちはすぐさま店内を覗き込む。
店内に客らしき人物は一人しかおらず、その人物はカウンターに座っている。カウンターの内側、いつも通りの場所に詩織が座っており、二人はなにやら話をしているようにも思える。残念ながら入り口からではその人物の顔は見ることができないが、服装や体型からして男性である事は間違いない。二人は高貴たちが入ってきたことにも気がついていないようだ。
「何度来てもらっても無駄よ。あなたの返事に頷く事は決してないわ」
「だからどうして! 君は自分がなにを言っているのかわかっているのか!」
「わかっているつもりよ。だから―――何度来ても無駄」
「無駄だと? 僕は君のためを思って言ってるんだぞ!」
バンッ! と男性が勢いよくカウンターに拳をたたきつけた。注文していたであろうコーヒーのカップが揺れて音をあげる。そばにいた真澄も怯えるように小さく悲鳴を上げた。
それが我慢の限界だった。高貴は真っ直ぐに男性に向かって走り出す。一瞬遅れてエイルもそれに続いて走る。
「なにやってるんですか!!」
本当ならば思い切り殴ってやりたかったが、仮にも自分はマイペースのバイトであることを思い出し、何とか敬語を使って男性に向かって話しかける。声をかけられて高貴の存在に気がついたのか、男性が高貴とエイルのほうに振り返る。
近づいてみてわかるが、目の前の男は結構な長身で190センチはありそうだ。がっしりとした体型でスーツをしっかりと着こなした、できる大人の男性と言った感じの男だが、その表情はだいぶイラだっており、余裕がないようにも見える。
「こ、高貴君。エイルちゃん……」
「なんだ君達は? 今大事な話をしているから―――」
「この店のバイトです」
「私はヴァル―――ただの客だ。ただの客だが、怒鳴り声の聞こえる喫茶店でコーヒーなど飲みたくはないと思ってね。静かにしてくれないだろうか」
「子供は引っ込んでいてくれ。これは大人の問題だ」
ギロリと男が高貴とエイルをにらめつけてくる。確かにこの男は大人だ。子供の目ではないし、むしろこの目は子供に言い聞かせる為の、子供に恐怖を与える大人の目だ。当然のごとく子供の高貴には恐怖すら覚える。しかし、だからと言って引くわけには行かない。
「あ、赤倉さん。この子たちは関係ないわ」
「関係ありますよ。店で騒がれるのなんて迷惑です。コーヒーも飲み終わってるみたいですし帰ってください。さっきの様子を見た限り、嫌がる詩織さんに無理矢理せまっているようにしか見えませんでした。とても大人の男性が取るような行動とは思います。この店の店員とケーキ食いに来た客、そしてコーヒーを飲み終わったのに追加の注文もせずに店に迷惑をかけている客。さて、この店から引っ込むのは誰でしょうね?」
「ぐ……」
赤倉と呼ばれた男が言葉を詰まらせた。高貴の言い分が正しいと認めているからだろう。
ぐ、じゃねーよさっさと消えろバカ!
内心で高貴が赤倉に毒づく。あくまでマイペースの店員として高貴そういった。店員としてではなかったらとっくに殴りかかっていたか、下手をすればクラウ・ソラスで斬りかかっていたかもしれない。しばらく赤倉は険しい顔をしていたが、やがて落ち着くようにため息を一つついた。
「もういい、今日は帰るよ。しかし僕は諦めたわけではないからね」
「だから、なんどきても考えは変わらないって言ってるじゃない」
赤倉がポケットから財布を取り出し、カウンターの上に千円札を置いて立ち上がる。最後に高貴とエイルをにらめつけると、そのまま出口に向かって歩き出した。出口で見ていたヒルドと真澄に対してもギロリと睨みをきかせて、そのままマイペースから出て行った。
そのまましばらく沈黙が―――
「なによあの男、公共の場で騒ぐなっての。見た目は良くても中身は全然駄目な男ね」
続かなかった。
今まで一言も口を開かなかったヒルドがそういいながらカウンターに座る。それどころか「メニューはないの?」と高貴に向かって言ってくる始末だ。今おきたことなどまったく気にしていないようで、ただ面倒なので口を開かなかっただけなのだろう。なんというか、マイペースなヴァルキリーだ。
「……これメニュー。真澄、大丈夫か?」
「う、うん……でも少し怖かったかな」
真澄もようやく動き出し、カウンターの中に入っていった。しまってあるエプロンを身につけ、高貴の分も彼に手渡す。
「えっと、この女の子はみんなのお友達かしら?」
詩織がヒルドのほうを見てそういった。しかしヒルドはメニューから眼を話そうとしないので、ヒルドの隣に座ったエイルがヒルドの代わりに答える。
「彼女は私の友人でヒルドというものだ。少し用事があって、しばらく四之宮に住む事になったんだよ」
「ヒルド・スケグルよ。ヒルドでいいわ」
「そう、エイルちゃんの知り合いだったの。私は加々美詩織よ。よろしくねヒルドちゃん」
ヒルドちゃんと呼ばれて一瞬ヒルドが反応したが、すぐに何事もなかったかのように、メニューに視線を落とした。ちゃん付けは嫌だと真澄には言っていたが、詩織から言われる分には構わないということなのだろう。
「なんだかごめんね、みっともない所見せちゃったわね」
「ったく、あいつ誰なんですか詩織さん。今の口ぶりからすると、何回も来てるようでしたけど」
「ふむ、私も気になるな。あまりいい客とは思えない」
「えっと、私の学生時代のクラスメートで、赤倉優君っていう人なの。今は四之宮中央病院に勤めているわ」
「ってことは医者? イケメンで医者なんて超勝ち組じゃない。でもあの性格じゃあ結婚なんてしたくない相手ね。まぁ月館よりはましだけど」
「……まぁ、認めるよ」
「そ、そんなことはないぞ。君には君のいいところが沢山あるじゃないか」
「将来性がなさそうなのよねこいつー。トラブルに巻き込まれていつの間にか人生終わってるって感じだわ」
返す言葉もない。ぐぅの音も出ない。全面的にヒルドの言葉が正しい事を高貴は完全に理解しているからだ。実際今もトラブルに巻き込まれている真っ只中なのだから。
「しかしまた来るといっていたが、本当に大丈夫なのか?」
「別に気にしなくても大丈夫よ。今日はあんなふうになっちゃったけど、いつもは普通にコーヒーを飲んでいくだけだもの」
「いつも来てるんですか? その割にはわたし見かけたことなかったですけど」
「いつもはもう少し早い時間に、真澄ちゃんたちがバイトに来るよりも早く来るのよ。だからあまり見かけないのね」
「決めた、あたしチョコケーキとブラックコーヒーにするわ。エイルは?」
「ふむ、では私はイチゴのショートケーキとコーヒーを頼もう」
「オッケーよ。エイルちゃんはコーヒーに砂糖たっぷりね」
エイルにそう言って詩織はケーキの準備を始めた。マイペースに何度も来ているので、エイルは苦いものが苦手だということは、もはや詩織も承知の上なのだ。
「そういえばヒルド、お前は本当に学校には通わないのか? なかなかに楽しいところだぞ」
「パスだって言ってるじゃない。通うにしてもあなた一人で十分でしょ。大体学校なんて登校はめんどくさいし、授業はめんどくさいし、テストはやってられないしいい事なんてないじゃない」
「あ……そ、そういえばもうすぐ夏休み前のテストだね……わたし自信ないかも」
真澄の表情が曇り始めた。四之宮高校では夏休み前になると毎回テストを行っている。それでもし赤点を取ってしまうと、夏休み中に何回か補習に出なくてはいけなくなり、せっかくの夏休みが損した気分になってしまうのだ。
「テストなんて面倒だけど、どこら辺が出るかとか事前に教師が教えてくれるでしょ。だったらそこを重点的にやれば最低限赤点なんて取らずにすむんじゃないの?」
「なんでそんなに詳しいんだ?」
「前に通ってた学校でもテストくらいはあったからよ。てゆーかあなたはずいぶん余裕そうに見えるけど」
「一応テストでは毎回平均点以上は取ってるから、今回も大丈夫かなって」
「高貴って意外にも成績いいんだよね。本当に意外にも」
「ふぅん、確かにそうは見えないわね」
「進学にしろ就職にしろ、成績は悪いよりはいい方が有利だろ。俺は成績が悪くてプーになるとかはしたくない。もっと平穏に平凡に生きる……つーかこいつはどうしたんだよ?」
高貴の視線の先には、まるで石像のように固まってしまったエイルの姿があった。目が開いてはいるが何も見ておらず、口を半開きにしたままピクリとも動かない。
「理由ならわかるでしょ。あなた達二人はエイルと一緒に授業を受けてたんだから」
「……まぁ、な」
「……まぁ、ね」
「エイルは勉強とかまるっきり駄目なのよね。はっきり言ってバカ」
ぐさり。
ヒルドの言葉がエイルの胸に突き刺さる。むしろ貫通しそうな―――きっと貫通しているのだろう。今ヒルドが言ったように、エイルは勉強(体育以外)が得意ではない。授業はまじめに受けており、それはそれは毎日生き生きとした表情で授業を受けているものの、教師に当てられて答えられたときはほとんどなく、小テストなどの結果もさんざんなものだったのだ。
「……勉強はとても楽しいし好きなのだが、テストはどうも苦手だ」
「珍しいタイプだよなおまえって、勉強は好きなのに頭悪いなんてさ。つーかなんであんなに綺麗にノート取れるくせに頭悪いんだよ?」
高貴の見立てだが、エイルの書く字はとても綺麗だ。小学生の頃から日本語でノートを書いている高貴よりも、エイルの書くノートは見やすいもので、恐らくは十人中九人はエイルのノートのほうが見やすいと答えるだろう。なのにエイルはそのノートの内容を理解出来ていないのだ。
「そんなことを言われても困る……私だって好きで理解できないわけではない」
「だ、大丈夫だよエイル。まだ少しあるんだから頑張って勉強すればいいじゃん。ほら、わたしと一緒に勉強しよ」
「真澄……君は本当に優しいな……ぜひよろしく頼むよ」
「……あ、あたしも暇な時は少しくらい見てあげてもいいわよ」
「え? 本当かヒルド?」
「暇な時だけよ! だいたいあんまりあなたがバカだと、あたしまで一緒にバカだと思われちゃうじゃない」
「ヒルドって頭いいのか?」
「ふむ、かなりいい。私はテストでヒルドに勝ったことは無い」
いや、お前を基準にされても困る。エイルよりも頭が悪い奴なんてそうはいないだろうし。
「ただし月館、あんたは駄目よ。理由はなんか嫌だから」
「……理不尽極まりない理由だなおい」
「ふむ、君も少しは苦労したほうがいい」
「そうだよ。たまには赤点でもとっちゃえばいいんだよ」
……あれ? なんで俺こんなにアウェーなの?
やはり一人だけ自信があるような発言をしたのがいけなかったのだろうか? いつの間にか女三人が結託している。
「お待たせしました。エイルちゃんとヒルドちゃんのご注文です。あと真澄ちゃんの分のコーヒーも」
ケーキとコーヒーを用意し終えた詩織が、エイルとヒルドの前にそれぞれの注文したケーキをおいた。
「エイル、真澄。一人だけテストに自信がある羨ましいやつなんてほっといてむこうで食べましょ」
「ふむ、私は構わない」
「うん、わたしも」
そういうなり女三人は、カウンターから席を立ってボックス席のほうに移動してしまった。なんだか完全に取り残されてしまい、さすがに高貴は寂しさを感じる。というよりも真澄は仕事中にもかかわらずいいのだろうか? おそらくいいのだろう。それがこの店、マイペースなのだから。
「高貴君も座ったら? はいこれコーヒー」
「あ、はい。ありがとうございます」
詩織は高貴の分のコーヒーと自分の分のコーヒーも淹れたらしい。客もほかには居なかったので、詩織に進められたとおりにカウンターに座ってコーヒーを飲んだ。
「それにしても、エイルちゃんといいヒルドちゃんといい、最近かわいい女の子がここに来るようになって嬉しいわ。これも高貴君と真澄ちゃんのおかげね」
「たまたま知り合いになっただけですよ(なりたかったかどうかは微妙だけど)」
「でも本当に可愛いわよね。私もあんな感じの妹とかほしかったわぁ。家にお持ち帰りしたいくらい」
よろしければどちらか一人どうですか? クーリングオフはなし、ノークレームノーリターンでお願いします。今ならもう片方もついてきますよ。
「そう言えば今日は俊樹が来るとか言ってた気がするんですけど、あいつまだ来てないですね」
植松俊樹は高貴と同じく2年4組のクラスメイトで、真澄と同じく幼馴染の関係だ。俊樹はマイペースでバイトはしていないが、詩織に会いたいがためによくコーヒーを飲みに来ている常連客の一人だ。学校で話した時に来るといっていたので、てっきり高貴は先に来ていると思っていたのだがまだ姿を見せない。
「ああ、俊樹君なら帰ったわよ。なんでもテスト勉強をするとか何とか言ってたけど」
「……はぁ?」
今、詩織さんなんて言った? テスト勉強するから俊樹が帰った? いや、ありえねーって。
俊樹は勉強が好きな人間ではない。成績は並と言ったタイプでかろうじで平均点に達するくらいのものだ。間違っても進んでテスト勉強をするような人間ではない。そもそも詩織と会話の時間よりも、テスト勉強を優先させるなど断じてありえない。
……まぁ、別にいいか。来なくても困らないし。
「四之宮高校ではもうすぐテストなのよね。俊樹君から聞いたわ。高貴君はテスト勉強とかしないの?」
「前日にちょっとやるくらいですね。授業を真面目に受けてしっかりノート取ってればテストは何とかなります。いつも平均以上は取ってますから、今回もそのくらいでいいかなぁと」
「あら、だめよそんなの。もっと向上心を持たないと。狙うなら学年一位とか、全教科95点以上とか」
「全教科70点くらい取れればまぁ十分ですよ。補習は回避できるし特別悪い点数でもないですし」
「まったくもう、少しは俊樹君を見習ったらどう? 男には、命をかけてでもやらなければいけないときがあるって言って勉強しに帰ってったわよ。あの目は本気そのものだったわ」
「それ信じられないんですけど。俊樹って勉強が好きなタイプじゃないし、むしろ嫌いなタイプですよ。いったい何があったんですかね?」
「うーん、全教科95点以上取れたら、私のおっぱい触っていいって言ったからかしらね」
フリーズ。
思考停止。
約十秒後、思考を取り戻した高貴の脳内には、フリーズする直前の詩織の言葉がリピートされていた。
全教科95点以上取れたら、私のおっぱい触っていい。
「そ、そんなこといったんですか?」
「ええ、言ったわよ。俊樹君がテストなんてやる気でないし最悪だって言ってたから、全教科95点以上取れたら、私のおっぱい触っていいって言えばやる気が出るかどうか聞いたのよ。そしたら出るって言ったから、じゃあいいわよって。高貴君と俊樹君よく私の胸見てるから、触りたいのかなって思って」
「……ま、マジっすか? し、詩織さんの……」
高貴の視線が詩織の胸元に移動する。黒いエプロンを盛り上げてその存在を主張している戦闘力Fの胸。エイルの胸も大きいが、おそらくはそれ以上の大きさであろうそれから高貴は目をはなせなくなってしまう。
「なんなら高貴君も頑張ってみる? 全教科95点以上」
男には……やらなければいけないときがある。その言葉に、少年の目に熱い決意の炎が激しく燃え出した。
「やります!!」