声高らかに名乗りを上げた少年は、頭上で手に持つ槍を振り回し、それを黒コートの男に向ける形で静止した。そのまま数秒ほど場の空気が固まったが、そんな中でいち早く思考を再開させたのは、ヴァルキリーのエイルだった。
「おい、そこの少年。君が手に持っているのは《神器》だろう? それについて話がある」
エイルが逆神正義と名乗った少年に近づいていく。それに気がついた少年は、槍を黒コートに向けたまま視線をエイルのほうに向けた。
「しんき? それはなんですか? 僕の手に持つこの漆黒の槍は《正義の武具》の一つ、この世界にあまねく悪を貫く漆黒の槍です」
「じゃす……なんだそれは? どう考えてもその魔力は《神器》のものだろう」
「違います。もう一度言いますがこれは《正義の武具》。この世界に存在する《災厄を招く影》を倒す事のできる武器の一つ、漆黒の魔力を帯びた正義の槍です。見たところあなたの武器からは正義の魔力を感じません。あの《災厄を招く影》を操っている黒いコートを着た人物……妖しく光る真紅は僕に任せてください」
「……すまないが日本語でお願いできるだろうか? 私は日本語以外の言葉は、簡単なものしか理解できないんだ」
「なるほど、あなたは力に目覚めても、まだ《正義の守護者》としての自覚はないみたいですね。ならば完全な《正義の守護者》として覚醒している僕の言葉を理解できないのは仕方がありません。詳しい話は後にしましょう。大丈夫です、あなた達からは邪悪な魔力を感じないので、敵ではないという事は理解できます。僕が妖しく光る真紅をひきつけますから、もしも妖しく光る真紅が《災厄を招く影》を召喚したらそっちを頼みます」
「ふむ……つまりどういうことだ?」
「僕は正義に基づき、邪悪な存在を断罪する漆黒の守護者、逆神正義!」
「ふむ……真澄、ヒルド、すまないが彼はなにを言っているのか通訳してくれないか?」
エイルが真澄たちの方に顔を向けた。少し離れたとことでエイルと少年のやり取りを見ていた二人だが、二人ともわけがわからないという表情でぽかんと口を開いている。少年は日本語を喋っているにもかかわらず、真澄は少年が何を言っているのか理解できず、非現実的な話をしているにもかかわらず、ヒルドは少年が何を言っているのかまったく理解する事ができないできない。
ただ一つ三人が理解できた事があるといえば、今屋根から振ってきたこの少年は、逆神正義と名乗ったという事だけだった。その圧倒的に情報が足りない中で、ヒルドは今何をすべきかという答えを搾り出す。
「……真澄、あの子供は敵意を感じないから後回しで、とにかく今は黒コートを優先させるわ。もう一度援護よろしく頼むわよ」
「う、うん。それはもちろん良いんだけど、あの男の子は大丈夫かな?」
「今言ったように敵意は感じないわ。うまくいけば黒コートと4対1で戦える。黒コートを倒してからゆっくりとあの男の話を聞きましょう」
「理解……できる?」
「……じゃあ頼んだわ」
真澄にそういい残してヒルドはエイルの元へと近づいていった。真澄はヒルドの言った様に、今はこの状況をなんとかするほうが先と判断して、アルテミスを構えた。それ以上に、少年のことを考えないようにしたいという気持ちが大きかったが。
「ちょっとあなた、よくわかんないけどあの黒コートぶっ飛ばすのに協力してくれるってことでいいのよね?」
「ああ。君の持っているその剣は《正義の武具》みたいだね。正義の名の元にともに協力して妖しく光る真紅を断罪しよう」
「……年上には敬語を使いなさい坊や。エイル、とにかく黒コートとベルセルクを片付けるわよ」
「ふむ、了解した」
三人そろって視線を黒コートに向ける。黒コートは少年が現れてから、まるで観察でもするかのように何もしないでジッとしている。もしくは少年の奇行に呆れているのかもしれない。殺気はすっかり消えていたが、フードの奥のには相変わらず紅い目が光っていた。
「ちなみにお二人の名前は?」
「私はエイル・エルルーンというものだ。エイルが名前―――いや、ファーストネームと言ったほうが―――」
「ヒルドよ。弓を持っているのは弓塚真澄」
「僕はたとえ神に逆らう事となっても己の―――」
「逆神だったわね。じゃあ行くわよ!」
エイルと逆神の自己紹介をヒルドが切り、黒コート目掛けて地面を蹴った。それに一瞬送れてエイルと逆神の二人も地面を蹴る。黒コートはその場に突き立てているダインスレイヴから影を生み出し、3体のベルセルクを出現させた。先ほど逆神が倒したものよりも一回り大きく、ベルセルク達は黒コートの壁になるように横に並び、エイルたち目掛けて突進していく。
「一人一体だ。私は右をやる」
「あたしは真ん中、あんたは左よ」
「ジャスティス!」
三人がそれぞれベルセルクに向かって行った。着火、ヒルドのレーヴァテインに炎が宿る。ベルセルクにスピードを緩めることなく接近し、正面のベルセルクに思い切り斬り付けた。がぎぃ!! と鈍い音が響く。ベルセルクはレーヴァテインの刃を右腕で受け止めたのだ。腕は破壊されることなく、そのまま力と力が拮抗する。
明らかに最初に倒したベルセルクよりも硬い。クマの予測していたように、自分は試されていたのかもしれない。ヒルドとベルセルクはそのまま剣と腕で斬り結び始める。それはエイルも同じのようで、黒コートに近づくことはできないでいた。
しかし、
「ジャスティス!!」
逆神だけは違った。彼はベルセルクの頭部に槍を突き刺すと、ベルセルクには目もくれずに黒コートに向かっていく。
「妖しく光る真紅! お前の手に持つ《正義の武具》を渡してもらうぞ!」
しかし、黒コートは逆神のほうを見向きもしない。彼が見ているのはエイルのみだ。ベルセルクを一撃で倒した逆神ではなく、ベルセルクに攻めあぐねているエイルの事ばかり黒コートは気にしている。故に隙だらけだ。逆神は黒コート目がけて槍で突きを繰り出した。風を切る音が聞こえそうなくらいのすさまじいその突きを、黒コートは僅かに首を捻っただけで回避、反撃にダインスレイブを振るう。
それを逆神が槍で受け止めると僅かに間合いが開いた。その隙に再び黒コートはダインスレイヴでベルセルクを四体出現させる。
「やはりお前が《災厄を招く影》を生み出す原因か。罪無き人々を襲って一体何が狙いなんだ? 答えろ妖しく光る真紅!」
逆神の問いに黒コートは何も言わなかった。何も言わずに逆神にくるりと背を向けると、そのまま反対方向に歩き出す。
「待て、妖しく光る真紅!」
逆神が黒コートを追いかけようとするも、眼前の四体のベルセルクに行く手を阻まれてしまい、黒コートを追いかけることができない。
「くっ、真澄!」
それに気がついたエイルが真澄に向かって叫ぶ。しかし真澄はアルテミスを構えたまま、歯がゆそうな表情で矢を放つことなく止まっていた。
「駄目! ベルセルクが邪魔で狙えない!」
「ああ、もう! こいつらうっとうしいのよ!」
《神器》をもっているヒルドでさえ攻めあぐねていた。目の前のベルセルクを倒すほどの火力をレーヴァテインで使うとなると、その衝撃の余波で周囲に被害が及んでしまう場合がある。まだ校舎には生徒がたくさん残っているのは間違いないので、それは避けなければならない。エイルも同じ理由で下手にルーン魔術を使うことができなかった。昼間の戦闘というのはなかなかに厳しいものなのだ。
「あ、あの子が!」
真澄が逆神のほうを見ると、逆神は先ほど黒コートの呼び出した四体のベルセルクに同時に襲われていた。助けなければと思いアルテミスの狙いをそちらに向ける。しかし、アルテミスから矢が放たれようとしたその時、今まで回避しかしていなかった逆神が動いた。
「《災厄を招く影》……僕の力を見せてやる!」
逆神がベルセルク達から一気に距離をとった。約10メートルほど離れ、そこは完全に手に持つ槍の間合いの外だ。さらに逆神は予想外の行動にでる。槍の持ち方を変えたのだ。本来槍とは刃のついていいるほうを先端とし、そちらを相手に向けるように構えるが、逆神はその逆、石突の方をベルセルクに向けて構えている。石突で突くという攻撃も確かに存在するが、刃で貫くほうが効果的であることは想像にたやすい。
それを見ていた真澄は、どうして逆神がそうしているのか理解できていなかった。その疑問を解消するかのように、逆神は声高らかに叫んだ。
「我が正義の魔力をその身に宿せ。飛べ、《漆黒の弾丸》!」
どん!! 銃声のような轟音が連続で響く。瞬間、槍から黒い銃弾のようなものが放たれた。逆神の持つ槍の石突、その底は空洞になっていたのだ。その空洞になっている部分から、黒い銃弾がベルセルクに向かって放たれた。アルテミスの矢と比べると、スピードはそれほどでもない、しかしベルセルクはそれをかわそうとしないため、完全に直撃コースだ。
その黒い銃弾が、ベルセルクに直撃した―――しかし、直撃しただけだった。黒の銃弾は鈍い音を立てて、ベルセルクにダメージを与えることなく弾かれてしまったのだ。
「コラ! やるならさっきみたいに一撃で倒しなさいよ!」
「安心してください、《漆黒の弾丸》の真の力はここからです」
ベルセルクに当たった四つの弾丸が、逆神の持つ槍の底に吸い込まれるように戻っていく。ベルセルクは動かない。いや、何か様子がおかしい。本当にベルセルクは動かないのだ。まるで金縛りにでもあっているかのように、《漆黒の弾丸》が当たったベルセルクは立ったまま動くことはなかったのだ。
「我が呼びかけに応えてその力を示せ。遥かなる地の底より来たれる漆黒の呪縛よ。かの者達の時を止めよ! 《漆黒の足枷》」
逆神が頭上で槍を振り回しながら叫んだ。ベルセルクの体に異変が訪れる。《漆黒の弾丸》の当たった場所。そこには今までなかった文字のようなものが浮かび上がっていた。ようやく目の前のベルセルクを、周りに被害のないように倒したエイルとヒルドもその文字の存在に気がつく。
「あれは……《ᚾ》のルーンか?」
「《ᚾ》ね、どうりで動けないはずだわ」
「ふ、二人とも。あの文字って何なの? なんだかルーン文字に見えるけど」
「あれは《ᚾ》といって、束縛のルーンだよ。つまりは動きを止めるルーンだ。ようするに先ほどの攻撃は、ベルセルクを倒す為ではなく、ベルセルクの動きを止める為の攻撃だったわけか」
「その通りです。《漆黒の弾丸》には一つ一つに《漆黒の足枷》が刻まれています。つまりあたったものは漆黒の呪縛に捕われ、《災厄を招く影》なら一分ほどは動きを止められます。後は僕に任せてください」
逆神が右手の指を二本立てた。その指に黒い光が灯る。
「我が呼びかけに応えてその力を示せ。ムスペルヘイムの炎さえも焼き尽くす漆黒の焔よ、今こそ時空の狭間を越えてこの場に具現せよ! 《漆黒の焔》!」
逆神の指が動き、《ᚲ》のルーンが黒い軌跡で描かれた。文字は一瞬で弾け飛び、逆神の右手に黒い炎が出現する。その黒い炎を、逆神は槍の先端に叩きつける。
「うおおおっ! 燃えろ漆黒! 宿れジャスティス! 《漆黒の焔を纏う正義の槍》!」
槍の先端に黒い炎が激しく燃え、全体が黒い光に包まれた。昼にもかかわらず、逆神の持つ槍は夜だと見間違うかのように黒に染まっている。
「終わりだ―――ッ!」
逆神がベルセルク目掛けて地面を蹴った。《ᚾ》のルーンで動けないベルセルクには何もすることができず、ただその時を待つことしかできない。
そこからはもはや圧倒的、数秒のうちに全ての決着がついた。
「ジャスティス!! ジャスティス、ジャスティス!!」
逆神が声を上げながらベルセルク達を一撃で倒していく。ベルセルクは傷口から黒い炎を上げながら、砂のようになり消滅していった。
「ジャスティ――――ス!!」
そして、最後のベルセルクの腹部を、漆黒の槍が貫いた。同時に刻まれていた《ᚾ》のルーンが消え、ベルセルクは体を震わせながら赤と黒の煙となって消滅した。
全てのベルセルクが消滅し、四之宮中学校の体育館裏に静寂が帰って来る。逆神はベルセルクに止めを刺した姿勢で止まっていたが、やがて槍を頭上で勢いよく振り回した後、槍を空高く掲げ、
「漆黒の正義による断罪完了!!」
大声で、なんの恥ずかしげもなくそう叫ぶと、もう一度その体勢で固まった。
そんな少年をポカンとした顔で見ている少女達が三人。もちろんエイルたちのことだ。逆神の実力はエイルたちの想像以上だったということもあって、途中からは完全に逆神一人の独壇場になってしまっていた。しかしそれは強さに圧倒されたというよりも、逆神の奇行に圧倒されていたといったほうがこの場合は正しい。
その証拠にヒルドはポカンとした表情などしていない。逆神がどんな人物なのか見当がついた彼女は極端に引いている。
ドン引きしている。
本来ならば戦いが終われば、逆神と話し合ってみるつもりだったのだが、心が逆神と会話する事を拒否している。それは真澄も同じのようで、どうすればいいのか迷っている顔だ。しかし、
「君、逆神正義と言ったな」
エイルがなんのためらいもなく逆神に近づいていった。ぶっちゃけてしまえば、逆神はベルセルクを倒した後に決めポーズをとって自分に酔いしれていたのだ。そんな状態の彼にエイルはなんのためらいもなく声をかけた。「頼もしい」とヒルドと真澄が同時に思い、その後に続くようにヒルドと真澄も逆神に近づいていく。
逆神が不機嫌そうにエイルに振り返る。自分に酔っていた所を邪魔されたからなのだろう。
「協力に感謝します。おかげで《災厄を招く影》を倒す事ができました。妖しく光る真紅には逃げられましたが、誰もけが人が出ませんでしたし、周囲にも被害が出ませんでしたしよしとしましょう」
「ふむ、一つ聞きたいのだが、君は先ほどの黒いコートを着た男の知り合いなのか?」
「いえ、会うのは初めてです。しかし彼はおそらく、元々は《正義の守護者》だったにもかかわらず、闇に堕ちてしまった者、つまり《影の道を歩む者》ですね。もしも再び正義の道を歩めるのなら、僕のように漆黒の正義を手に入れられるのですが、彼の場合は望みが薄そうです。我々《正義の守護者》が断罪するのが唯一の救いでしょう」
「……すまない、君の言っていることは私には理解できないようだ」
「あなた達はきっと力に目覚めたばかりなんですね。ならば記憶のほうはまだ戻っていなくても仕方がありません。《神への反逆》、《聖戦》、《勝者も敗者も無き終幕》そして《二度目の転生》。これらの言葉に聞き覚えはありませんか?」
「ふむ、ないな」
「ないわよ」
「ないかな」
即答。
一瞬の間もおかずにエイルたちは即答した。逆神の顔が僅かにゆがむ。
「ま、まぁそのうち思い出すでしょう」
「ふむ、しかし何かが引っかかるような……心当たりがあるような……」
「本当ですか!?」
「エ、エイル! あなたは少し黙ってなさい! 逆神だったわよね、できればあなたの持つ《神器》について話がしたいんだけど、今から時間は取れるかしら?」
「しんきなんて変な名前じゃありません。これは《正義の武具》です。あなたの持つ剣や、そちらの人の弓だってそうじゃないですか」
心底不思議そうに逆神がヒルドにそういった。今度はヒルドの顔が僅かに歪むが、真澄がそれをたしなめる。
「と、とにかく。逆神君、わたし達と一緒に来てもらえるかな?」
「はい、大丈夫です」
「……真澄、月館に連絡よろしく」
「あ、うん。メールしとくね」
真澄がアルテミスを消し去った。銀の三日月は真澄の取り出したスマホのストラップへと姿を変える。そのままスマホを操作して高貴に送るメールを作りはじめようとしたその時だった。
「ふむ、わかった。思い出したぞ」
エイルが唐突にそう言った。
「思い出した? もしかして―――」
「ああ、思い出したよ。おかげでモヤモヤしていたものがすっきりした」
「そうですか! それであなたもはれて《正義の守護者》です!」
エイルはなにを言ってるんだろう?
真澄とヒルドは心の中で同時に言葉を発した。なぜわざわざそんなことを言うのだろう? そんな二人をよそに、逆神は大はしゃぎしている。
「それでエイルさん、何を思い出したんですか!?」
満面の笑顔でたずねる逆神に向かって、エイルは笑いながら声を響かせた。
「君はいわゆる中二病なのだな」