理解が出来ない。
どうして彼女がこの場にいるのかが理解できない。
どうして彼女が、音無静音がこの場にいて、この状況で、こちらを見ているのかが、高貴には理解できなかった。
救援として期待できるとしたのなら、ヴァルキリーであるエイル。もしくはアルテミスを持つ真澄くらいだ。しかし、この場にいるのは音無静音。クラスメイトで隣の席に座っている女の子。今は借りを返してもらうという事で、勉強を見てもらっている女の子。
そんな彼女が、はっきりと借りを、返しておくと口にして立ち上がった。
「おと……なし?」
「知ってるの月館? あの女誰よ?」
ヒルドは四之宮高校に通っていない為、静音を見たことがない。なので誰なのかわからなかったのだろう。
「高校のクラスメイトだよ。クラスメイトだけど……クラスメイトだ」
「そのクラスメイトがどうしてここに……まさかあいつも《神器》の持ち主?」
「……かもしれないな。だって……魔力を感じる」
静音の体からは、いつの間にか魔力が溢れていた。《神器》の持ち主は魔力を隠す事ができる。高貴は自分が《神器》を持っていると、他の《神器》の持ち主に気づかせる囮役をしているため、隠す事はしていないが、静音は《神器》を持っていて、魔力を隠して板と言う事は十分にありえる。
「ま、まさか……あなたは……そうか! そういうことか!」
沈黙を打ち破ったのは逆神の叫びだった。
「さっそく僕の魅力が伴侶となる存在をひきつけたということか! 漆黒の守護者としての自分の魅力も罪なものだ! ハッハッハッハッハ!!」
狂ったように逆神は笑う。一体どういう頭の構造をしていれば、こんなにも自分に都合よく物事を考えられるのだろうと、心底高貴は疑問に思った。そんな逆神を見て、静音は――
「……はぁ…………」
ため息を一つついただけ。
まるで今の狂言などどうでも良いとでも言うように、目の前の少年の事など眼中にないかのように。
ため息を一つついただけだった。
「月館君を助けるという事は、必然的にあなたの相手もしなくてはいけないのよね。めんどうだわ」
「さぁ! 僕にその身を捧げ《太郎の子供達》を生み出し世界に漆黒の正義を――」
「特別授業を――してあげるわ」
逆神の言葉を、静音が断ち切る。
「その制服、四之宮中学校の制服よね。特別に勉強を教えてあげるから、受験の足しにでもしておきなさい」
「なに? ……さっきから魔力を感じると思ったが、僕と戦うつもりか? そもそも僕に何を教えるというんだ。漆黒の正義というこの世の真理を習得しているこの僕に!」
「授業内容は……そうね、理不尽な現実かしらね。それをあなたに教えてあげるわ」
あくまで無表情で、しかしどこか余裕があるように言葉を放つ静音を、高貴はポカンとしながら見ていたが、ようやく我に返って静音に叫ぶ。
「おい音無! こいつはマジでやばい! 逃げてエイルをつれて来てくれ!」
「いやよ、めんどくさいわ」
「ちょ、ちょっとあんた! そいつは本当に危険なのよ! その槍を見なさい! 丸腰で敵うわけがないから、こいつの言ったように逃げなさい!」
「動けないなら黙ってて」
ゆっくりと、静音が逆神に向かって歩み始めた。ゆっくりと、しかしその足取りは力強い。
「ははっ! 僕と戦うつもりか? この最強の武器である《正義の槍》を持つこの僕と! 僕の漆黒の正義の前にはここに転がっている無様な二人のように、敗北しか待っていないというのに! 僕の力にかかれば、こいつらのように身動き一つ取れずに吼える事しかできないのだ!」
「そう、素敵ね」
一蹴。
たった一言で、表情も足取りも崩さずに、静音が逆神を一蹴する。その態度、行動、言動。全てが逆神の神経を逆なでさせるのには十分だった。
「調子にのるなあっ!! 行けっ、《漆黒の弾丸》!!」
ヒルドの周りを浮遊している10の弾丸。その動きが一瞬ピタリと止まり、一直線に静音に向かって飛んでいく。
「音無、逃げろ!」
静音は歩調を崩さない。自分に向かってくる黒の弾丸に対して、微塵も恐怖を感じていないとでも言うように歩調を崩さない。しかし、歩いたまま右腕を前に伸ばした。そして――
「《天輪の守護障壁》――《平面》」
その右手に、緑の光が灯りだす。右手に集った光が広がっていき、静音の眼前に光の壁が一瞬で出現した。
バシィィッ!! と凄まじい音が響き、緑の壁は漆黒の弾丸を全て受け止めた。
「エ、《ᛇ》か?」
「ルーン書いてないわよ!?」
ヒルドの言うとおり、静音はルーンを書いてはいない。ルーン魔術はルーンを書かなければ決して発動しないのだ。
にもかかわらず、静音の眼前には《ᛇ》のような障壁が出来ている。
「そんなへんちくりんな壁で僕の漆黒の正義を止められると思っているのかこのスカタンがあああっ!!」
まだ攻撃は終わっていない。《漆黒の弾丸》は逆神の意志に従って自由に動き、目標に衝突するまでその動きを止める事はない。障壁にぶつかっていた弾丸が、いったん障壁から離れた。そして静音を取り囲むように包囲する。
それはヒルドのときと同じだ。すなわち逃げ場を完全になくした状態での一斉射撃。
「漆黒の包囲完了!! 僕の正義にひれ伏せえええ!!」
「《天輪の守護障壁》――《球体》」
静音の右手が再び光り、眼前の障壁がその姿を消した。消したと同時に右手の光が再び広がり、今度は静音を中心に球体を作るように障壁が形成される。
それに向かって黒い弾丸が雨霰のように降り注いでいく。しかし弾丸は障壁を破壊する事ができずに、その攻撃は静音にはまったく届かない。
攻撃が防がれる。その事実に逆神が驚愕の表情を浮かべる。
「ば、バカな……僕の《漆黒の弾丸》を……き、貴様まさか……漆黒の――」
「そこ、どいてくれないかしら? 邪魔なのだけど」
静音は相変わらずゆっくりと歩いている。自分の周りに障壁を展開し、その障壁に黒い弾丸が何度も当たっていると言うのに、そんなことはお構い無しとでも言うように真っ直ぐに、高貴とヒルドの元に向かって歩く。
「し、漆黒の守護者をなめるなあああっ!!」
錯乱したように逆神が静音に向かっていく。一直線に突進して、ゲイ・ボルグを障壁に突きつけた。
耳を劈く音とともに光がはじけるが、障壁の勢いはまったく弱くならない。
「ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス!」
叩く、斬る、突く、刺す。ゲイ・ボルグを使ってありとあらゆる攻撃を静音にぶつけるものの、そのどれもが障壁によって阻まれてしまう。公園に響くのは、逆神の無常な叫びとゲイ・ボルグを障壁に叩きつける音のみ。
そんな中でも、静音は相変わらず歩みを止めなかった。何度攻撃されようと、一歩一歩歩みを進めている。静音の動きが止まらないので、攻撃している逆神のほうが後ろに下がっていく。
「ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス! ジャ、ジャスティス! この……このおおおおおっ!!」
逆神が右手を伸ばし指を立てると、そこに黒い光が灯る。
「我が呼びかけに応えてその力を示せ。ムスペルヘイムの炎さえも焼き尽くす漆黒の焔よ、今こそ時空の狭間を越えてこの場に具現せよ! 《漆黒の焔》!」
描かれる《ᚲ》のルーン。逆神の右手に黒い炎が燃える。その炎は今までより心なしか激しく燃えていた。
「はあああああっ!! 燃えろ漆黒! 轟けジャスティス! 《漆黒の焔を纏う正義の槍》!」
ゲイ・ボルグの先端に炎が灯る。逆神が上にとび、上空から静音に襲い掛かる。
「これが全ての悪をジャスティスする黒炎の槍だあああっ!! ジャスティス!!」
真上からの攻撃。符筒はそれに対処する時は、自分も上を向いて防御や回避、または迎撃を行う。しかし、静音は逆神に見向きもしなかった。いや、歩き始めたときから、静音は逆神のことなど見ていない。彼女が見ているのは高貴とヒルドのみだ。
なぜ攻撃されているにもかかわらず逆神を見ないのか、それは……逆神の攻撃では、この障壁を破れないという核心があるからだ。
バシィィッ!! と嫌な音があたりに響く。黒い炎と緑の光が周囲にはじけた。逆神は真上から静音に襲い掛かっているので、障壁を突破されてしまえば静音は脳天から串刺しににされてしまうに違いない。
それでも、相変わらず静音は逆神を見向きもしない。障壁をはったままゆっくりと高貴とヒルドの元に向かう。
「こ、この……おおおっ…………うわあぁっ!!」
逆神が障壁に弾かれる。吹き飛ばされた逆神は数メートルほど吹き飛び、数メートルほど転がっていった。
その隙に静音は障壁を消し去り、高貴とヒルドの元にたどり着く。
「大丈夫月館君? それとそちらの人も」
「「…………」」
「どうかしたの? なんだかポカンとしているみたいだけど」
それはポカンともするだろう。
いきなり現れた静音が、《神器》の持ち主相手に丸腰のまま互角以上に戦っているのだから。いや、正確には相手にしなくとも互角以上に戦えているのだ。
「お、音無? お前……《神器》持ってるのか?」
「その答えはYESね。今も使ったじゃない」
「何でここにいるのよ!? てゆーかいつからあそこにいたのよ!?」
「あなた達がここに来る前からあそこのベンチに座っていたわ」
と言う事は高貴がビニール袋をベンチに置いた時には、静音はあそこにいたということとなる。しかし姿が見えなかったし、気配も魔力も感じなかった。
「ところでそちらのあなた。そろそろルーンの効果が切れるんじゃないかしら?」
「え?」
静音がそう言ったのと、ヒルドの体から《ᚾ》のルーンが消え去り、体の自由が戻ってきた。先ほどまでは効果が切れた瞬間に、逆神が再び弾丸をぶつけて《ᚾ》をかけていたのだが、今逆神は地面に転がっており、弾丸も地面に落ちている。
「よくわかんないけど……助かったよ」
「気にしないで、借りを返しただけよ」
借りを返してもらったというよりも、むしろ命の恩人になってもらったのだが。高貴は体を起こしながらそんなことを考えていた。
「ふっざけるなあああああああああああっ!!」
逆神が叫びながら立ち上がる。その表情は今日見た中でも一番に錯乱しており、怒りの感情をあらわにしているのがわかる。
「貴様いきなり現れて僕の邪魔をするとはどういうことだ! なぜ僕の漆黒の正義の邪魔をする! 僕は漆黒の守護者だぞ! 偉いんだぞ! すごいんだぞ! わかっているのかああっ!!」
「そう、素敵ね」
「ぐ……がああああああああああああああああっ!!」
逆神がゲイ・ボルグを空に掲げる。しかし先端の部分ではなく、石突の方を空に向けている。
「《漆黒の弾丸》!!」
逆神が叫ぶと、石突から《漆黒の弾丸》が連続して空に放たれた。しかしその数が尋常ではない。
「ちょ、多すぎだろ!」
「20……いえ、最初の10発も含めれば30?」
ヒルドの推測は正しかった。地面に転がっていた10発の弾丸も浮き上がり、逆神の周りに30の《漆黒の弾丸》が展開される。
さらに今までのものとは違い、一つ一つが強く禍々しい漆黒の光を放っている。
「これがっ!! 全ての力を解放した《漆黒の弾丸》だ! その数30! さらに僕の漆黒の魔力を上乗せし威力もアップ! これらの弾丸が全て貴様らに襲い掛かるのだ! ヒャーッヒャッヒャッヒャ!!」
「お、おい……やばくないか?」
「かわすのは無理ね……」
高貴とヒルドはその脅威を見た瞬間に理解した。10発でもかわす事が出来なかったにもかかわらず、30などとてもではないが回避は出来ない。
しかし、そんな状況にもかかわらず。音無静音は、彼女だけは違った。
まるでそんなことなどどうでも良いかのように、脅威などどこにもないとでも言うように、相手をするのが面倒だとでも言うように、彼女はため息を一つつき――
「そう、素敵ね」
あいもかわらず、言い放った。
プルプルと逆神の体が震え、顔が真っ赤に染まり、怒りが溢れ――
「地獄で後悔しろおおっ!! 《全漆黒開放》!!」
叫んだ。同時に全ての弾丸が高貴たちに向かっていく。
そんな絶望的な状況で高貴が見たのは、自分に降り注いでくる黒い弾丸。
「……え?」
ではなく、音無静音の右手だった。
静音が近くに来て初めて気がついたが、静音の右手、その中指に指輪がはめられている。それは今日一緒に勉強した時にははめられていなかったもので、金色で、小さな緑の宝石が埋め込まれている指輪だった。
その指輪から、とてつもない魔力を感じる。
「まさか――」
静音が右手を前に伸ばす。そして、指輪に緑の光が走る。
光が――溢れる!
「《天輪の守護障壁》――《球体》」
静音がその言葉を世界に放つと同時に、再び緑の障壁が、球形に具現化される。それは静音だけではなく、高貴とヒルドをも包み込む大きさだった。
展開、そして炸裂。
黒い弾丸、その全てが静音の障壁に襲い掛かる。一発一発が着弾するたびに、まるで爆発したかのような轟音が響き、黒い光が勢いよく弾ける。ぶつかっては離れて、またぶつかる。その単純な動作を30の弾丸はひたすらに繰り返していた。
緑の結界。その光が黒い光とともにどんどん弾けていく。
「ははっ! これはもうあの結界を打ち破るのも時間の問題だな。奴らを動けなくしたらゆっくりととどめを刺してやろう。この漆黒の守護者に逆らった事を後悔させながら、許しを請うまでひたすらに痛めつけてやる。ヒャーヒャッヒャッヒャアッ!!」
逆神の笑い声が、着弾の炸裂音とともに公園に響く。しかし――
「これ……すげーな」
ふと、声が聞こえた。
それは目の前に存在する結界の中から聞こえてきた声だ。ハッと逆神が結界を見る。
「全然壊れねえんだなこれ。《ᛇ》よりも硬いのか?」
「比べ物にならないわね。強化したとしてもここまでになるかどうか……ちょっとあんた、これって《神器》の力なの?」
ヒルドの声に、面倒そうに静音が応える。
「そうよ。私の《神器》はこの指輪。名前は《天輪アイギス》よ。能力は見てのとおり、身を守る結界を作り出すわ」
「……音無バリアーって実在したんだな」
アイギス。その言葉に高貴は聞き覚えがあった。以前エイルと真澄の三人で《神器》について調べた時に出てきた言葉だ。たしか盾や防具、身を守るものだったような気がするが、この障壁を作るのがアイギスなら、自分を守る結界を作り出すのがアイギスだというのなら、指輪でも納得できる。
「音無、お前一体どこでそれを――」
「後にしましょう。あっちが優先よ」
ふと、結界に弾丸が突き刺さる音が止んだ。逆神が攻撃をやめたのだ。これ以上続けても無駄だという事を、逆神は認めてしまったのだ。
「な……なぜだ……なぜだあぁっ!? 僕は漆黒の守護者だ! 漆黒だ! ジャスティスだ! 最強の武器も持っているんだぞ! これを見ろ! 《正義の槍》だ! この最強の力を持っているのに、なんでお前は倒れないんだ! そもそもなんでいきなりお前みたいなのがくるんだ! おかしいだろ! 理不尽だろ! おかしいいいいいいだろおおおおおおおっ!!」
錯乱しながら、ひたすらに逆神が叫ぶ。そして思い切り静音を睨み付ける。それにたいして静音は……
「勉強になったでしょう? これが、理不尽な現実よ」
やはり、つまらなさそうに、仕方なくといった様子で呟いた。
「どういうことだ!?」
「いきなり現れた私に、まるで相手にされない扱いを受ける。最強の武器を持っているにもかかわらず、いきなり現れた相手に手も足も出ない。さっきまで圧倒的優位に立っていたにもかかわらず、いきなり現れた私のせいで余裕をなくしている。これが現実よ。都合のいい夢ではなく理不尽な現実。テストや受験には出ないけれど、人生には沢山出るから覚えておいたほうが良いわ」
淡々と言葉を離す静音に、逆神はショックを受けた顔になる。
静音は戦っていたのではない。逆神に教えていたのだ。いや、見せ付けていたのだ。都合のいい夢ではなく、理不尽な今の現実を。
「音無……お前、本当に教えるのうまいな」
「あたしより、頭いいかもしれないわね」
脱帽と言った様子の二人の言葉に、静音が振り向いて言葉を紡いだ。
「まだ勉強は終わってないわよ。せっかくだから夢から覚まさせてあげましょう」