「一体なにを考えているんだ! 君達はバカなのか!」
「どうしてわたしとエイルにすぐに連絡しなかったの!」
死闘と呼べる戦いが終わった四之宮公園。そこに響いている音は、剣戟でも魔術の音でもなく、二人の少女の怒鳴り声だった。
ヒルドはすぐにエイルに《ᛖ》で連絡をいれ、真澄と一緒に公園に来てもらったのだが、公園の様子、そして鈴木に殴られてボロボロになってしまった高貴のさまを見て、呆然とした表情を浮かべたのだ。
そして、我に返った二人は、すぐさま高貴とヒルドの二人を正座させ説教を開始した。
「いえ……その……お、俺達だけで、大丈夫かなぁと思いました」
「大丈夫ではないだろう! そんなにボロボロになっているではないか! そもそもヒルド! お前はどうしてもっと早く連絡をよこさなかった!」
「めんどかったからよ」
「それで危険な目にあったらダメでしょ!」
二人の怒りはまったく収まる気配はない。いい加減に嫌になってきたのか、ヒルドがため息を一つ漏らす。
「もういいじゃない。《神器》も無事に回収できたし、あたしもストレス発散できたし」
「そういう問題ではない! そもそも――」
「え、エイル! こう言ったらなんだけど、俺たちかなり疲れてるんだよ! だから説教はまた今度にしてくれ」
というよりも勘弁してほしい。かなり疲れているのは本当だが、望んで説教などされたくはない。
「も、もしかして君はどこかケガをしたのか? ど、どこをケガしたんだ? ここか? ここか? それともここか?」
「怪我してない! そんなとこケガしてないから、そんなにペタペタ体に触ってこないでくれ!」
「エイル! そそそ、そんなことしたらダメだよ! こういうときはわたしが触って確かめるから――」
「どういう理屈だ!」
「はぁ……元気でいいわね、あなた達」
騒いでいる高貴たちを見て、もう一度ヒルドがため息をついた。自分が見られていないことを理解したヒルドは、正座を解いて足を崩す。
「まぁ……言いたい事は沢山あるが、今日はこのくらいにしておいてやろう。君達も本当に疲れているようだしな」
「ふぅ、助かった」
「それにしても鈴木君がいきなり暴れだすなんてね。流石に対処の仕様がないよ」
真澄が視線をさげる。高貴が正座しているすぐ隣には、高貴とヒルドの目覚まし時計攻撃を受けた鈴木が伸びており、仰向けに倒れていた。
人格的に問題がある上に、普通に戦ってもかなり手ごわい相手だった。正直な所、静音がいなければ負けていただろう。まったくもって、本当にやっかいな相手だった。
「俺決めた。これから先中二病には絶対に関わらない。出会った瞬間に逃げる」
「同感ね。でもこいつは、中二病というよりも、人として狂ってたようにも思えるわ」
「ふむ、君達の話によると、太郎はいじめにあっており、その現実逃避の為に中二病になったという事か?」
「いや……もしかして元々こういう奴なんじゃねーのか? 中二病だから目を付けられていじめられたんだと思う。気の毒だと思うけど、俺にはいつまでも妄想に浸ってる奴なんて理解できない。……妄想なんて、いつかは絶対覚めるんだからさ」
そう言う高貴の表情が、いささか暗いものになったのをエイルは見逃さなかった。一体どうしたのかと聞いてみようとしたその時、
「……でも、わたしは少しわかる気がする。鈴木君みたいな人の気持ち」
真澄が独り言のようにそう言った。それは誰かに言った言葉なのか、それとも無意識に零れ落ちた言葉なのかはわからないが、反応したのは高貴だ。
「真澄は中二病じゃないだろ?」
「そうだけど。中二病って言うか……そう、”特別”でいたいって言う気持ちかな。初めて話した後、ちょっと考えてみたんだ」
「ふむ、その意見を聞いてみたいな」
エイルの興味もそちらに移る。
「うん。世界には沢山の人がいるよね。四之宮でも都心に行けば人ごみを見かけるし、もっと都会に行けばさらに沢山の人がいる。その人たちは自分にとって他人で、自分の人生にとってその他大勢の人でしかないでしょ。でもさ、ときどき自分も同じなんだなって思うの」
「同じ?」
「自分だって誰かにとってはその他大勢の内の一人で、世界に沢山いる平凡な人間の一人でしかないでしょ。その他大勢、見てすらもらえない人間だって思い込んじゃうんじゃないかなって思ったんだ」
見てすらもらえない人間。そこにいるはずなのに、存在を認識してもらえない人間。
それはドラマに出てくる名も無い役割であり。
学園漫画に出てくる主人公と同じクラスの生徒であり。
そして、人ごみの中を歩く通行人でもある。
「だから、自分は特別なんだって、その他大勢じゃなくてちゃんとした名前のある意思を持った人間なんだって、そう思って特別な人間だなんて思い込んじゃうんじゃないかな」
「ふむ、そう思い込んで……太郎のようになるというわけか」
「わたしの予想だからわかんないよ。単純にアニメや漫画に憧れたり、イジメの現実逃避かもしれないし。でももしかしたら、もしかしたらだよ? この子も心の中で叫んでたのかも。自分はその他大勢じゃない。自分はちゃんと――ここにいるんだよって。特別だって思っていないと、その他大勢の他人の中に、自分が溶けていっちゃいそうで怖かったんじゃないかなって。そう考えたの」
三人は黙って真澄の話を聞いていた。もしも真澄の言ったとおりならば、鈴木は誰かに自分を見てほしかったのかもしれない。それは人として当然の考えなのかもしれない。
「そうなのかもしれないな。そして彼は《神器》を手に入れた。ずっと夢に思っていたことが現実となってしまったのか」
「だからって夢に浸っててもどうにもならないだろ。夢なんていつか必ず覚める。どんなに嫌でも、所詮人間は現実でしか生きられないんだよ」
だけどそれでも――それでも高貴は、鈴木の考えを理解できなかった。それは高貴が現実でしか生きられないという考えを持ってるからかもしれないし、平穏や平凡を強く望む高貴は、その他大勢に溶けても良いと心のどこかで思っているのかもしれない。
「そうだな……現実と向き合わなければな」
「鈴木君はどうなるの?」
「とりあえずゲイ・ボルグと一緒にヴァルハラに強制送還ね。その後《神器》や魔術に関する記憶を完全に消去して、今までどおりの人生を送ってもらうわ。まぁそこの所はネコがうまくやるだろうし、あいつが帰って来るまで見張ってるわよ」
ネコはエイルたちと一緒に来たのだが、公園から逃げ出していった二人の不良生徒の記憶を消す為に、あの二人を探しに行っている。どうやって探す蚊などはわからないが、すぐに戻ると言っていたのですぐだろう。
「ふむ、では太郎についてはもういいだろう。次の問題に移ろうか」
4人の視線が公園のベンチに向かう。そこには周囲の状況等何も気にしていないかのように、静音がベンチに座って本を読んでいた。
高貴とヒルドが待っていてほしいと頼んだら、それを了承してくれたのだが、自分はまったく関係ないとでも言うように、見えない音無バリアーを張っている。
「静音、まさか君まで《神器》の持ち主だったとは驚いたよ。高貴とヒルドを助けてくれてありがとう」
そんなことを関係無しに話しかけるのは、やはりエイルしかいない。
「あ、わたしからも。ありがとう音無さん」
真澄もエイルに続いてお礼を言った。そこでようやく静音は本から目を離し、座ったまま高貴たちに視線を向ける。
「別に、私は月館君に借りを返しただけよ。言っておくけどこれで貸しは帳消しね」
「あー、本当にありがとな音無。おかげで命拾いしたよ」
思ってみれば、貸しが二つだったから静音に助けてもらえたわけであり、もしも《神器》を調べに図書室に行った時、エイルが静音に話しかけなかった場合は、貸しは一つしかなかったという事となる。
……ゾッとする話だ。
「もっとも……よけいな事をしたのかもしれないけれど」
「…………」
静音の言ったその一言は、高貴以外の誰にも聞こえる事はなかった。
そして、高貴も聞こえない事にした。
「ところで静音、君の持つ《神器》のことなのだが……」
「話すことは何もないわ」
そう言うなり、鈴音は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って音無さん!」
「私達は《神器》を集めているんだ! 君の持つその《神器》も回収しなければならない。元々それは――」
「他の世界からの産物でしょう。アイギスから聞いたわ」
「そこまでわかってるなら話が早いわね。それはこの世界にはあってはいけないものよ。だからあたしとエイルが、元の世界に持ち帰らなければいけない。もしも拒否するなら――力づくでいくわよ」
ヒルドがレーヴァテインを静音に向けた。しかし静音は表情一つ変えることは無い。変わりに焦ったような表情になったエイルと真澄が、慌ててヒルドをたしなめる。
「ま、待てヒルド。いきなり静音に襲い掛かるな」
「そうだよヒルド」
「アイギスは渡せないわ。もしも奪うというのなら、私も戦わざるをえないわね」
静音の指にはめられているアイギスが光を放つ。二人は一触即発と言った様子だ。このままではまずいと高貴も判断し、ヒルドに話しかける。
「待てよヒルド、今日はもうやめにしよう」
「何言ってんのよ月館。《神器》が目の前にあるって言うのに――」
「俺達はもう疲れてる。それに音無に助けてもらったのは事実だ。だから今日はやめにしとこう」
「う……それは……」
ヒルドの顔に迷いが映る。もう一押しだ。
「音無は俺達のクラスメイトだ。いつでも会えるし、別に急ぐ事でもないだろ。エイルと真澄もいいよな?」
「ふむ……そう……だな。話が出来ない相手でもあるまい」
「異議なし」
「……はぁ、わかったわよ。今日助けてもらったのは事実だし、見逃してあげるわ」
ようやくヒルドがレーヴァテインをさげ、そして消し去った。ホッと一息をつく高貴をよそに、静音はベンチにおいてあった学生鞄を手に、背を向ける。
「……一つだけ、聞いてもいいかしらね」
しかし、途中で振り返ると、言葉を投げかけてくる。
「エルルーンさんと、そちらのあなた。その二人はアイギスから聞いた、《神器》を集めている異世界の存在だという事はなんとなくわかるわ。でも月館君と弓塚さんは、そうは見えない。実際私が始めてエルルーンさんを見たときは、強い魔力を感じたけど、そっちの二人からはまったく魔力を感じなかったもの。一体どうして二人はエルルーンさんを手伝っているの?」
静音が高貴と真澄を初めて見たとき。それは静音が転校して来たあの日だ。高貴はエイルと出会っていたが、まだ《神器》を持ち主ではなかった為、魔力を感じないのは当然だ。それは真澄もあてはまる。しかしそれに気がついたということは、静音は転校して来たあの日には、すでに《神器》の持ち主だったという事だろう。
「わたしは……まぁ、高貴もエイルも友達だから手伝いたかったの。そしたらアルテミスがわたしに力を貸してくれたんだ」
「俺は……まぁなんとなく流れでかなぁ。夜の学校に行って、ヒルドに襲われて、クラウ・ソラスを使えるようになるために契約の印をして――」
「なんですって?」
初めて、今日初めて静音の顔に驚きの色が浮かんだ。それは微かなものだったが、めったに表情を変えない静音のことを考えると、相当な事だ。
「……あなた、それを受け入れたの?」
「え? ああ、うん。だって俺はクラウ・ソラスに選ばれたわけじゃなかったから、契約の印で魔術師になって対話する必要があったんだ」
「……そう、わかったわ……それじゃ、今度こそさよなら」
もう一度静音が高貴たちに背を向ける。
「さよなら静音、また明日学校で会おう」
エイルがその背中に声をかけるものの、静音は今度は振り返ることなく歩いていき、夜の闇で見えなくなった。
「……はぁ、それにしても体じゅういてーな。やっぱもう少し殴っとこうかな」
「や、やめてあげなよ。でも大丈夫?」
「ネコが戻ってきたら、《ᚢ》のルーンをかけてもらうといい。回復力を高める治療のルーンだ。少しは楽になるだろう」
それは助かる。このままだとテスト勉強もままならない。
「ネコが帰ってきたら俺達もさっさと帰ろう。いい加減に腹減ったよ」
「ふむ、そういえば夕飯をまだ食べていなかったな。買い物は終わったのか?」
「終わってるわ。真澄、もしも夕飯がまだなら一緒に食べる? 《神器》が見つかったお祝いに、あたしがご馳走作ってあげるわ」
「本当? じゃあ……お言葉に甘えちゃおうかな」
なにが食べたいかなどを話し始めるエイルたちを、高貴はベンチに腰掛けて見ていた。鈴木に殴られた体はまだ結構痛い。それに今までで一番疲れる戦いだった。
今日はもうゆっくりと休もう。今は静音が《神器》の持ち主だという事も、そして聞こえなかった事にしたあの言葉の意味も全て忘れたい。
――なるほど、やはり貴様はあらゆる意味で破綻しているようだな。やはり平穏に生きるなどはできるはずが無いだろう。
頭の中に聞こえてきた気がするそんな声も、今は聞かなかった事にして、高貴はただ夜空を眺めていた。